SFは現実逃避なのか? 

最近は、うまく表現ができませんが、うつ状態になれてしまったか、抗うつ剤なしでも徐々に正常な生活ができつつある状態なのか、ブログを頻繁に更新できるようになりました。

酷い気分傷害の時はブログを更新する意欲もないです。

しつこいようですが、吾妻ひでお先生の「けいおん!」批判が物議をかもしたことですが、個人的には吾妻先生は天才であり現代の萌えアニメ・SF美少女アニメの始祖だと思うのですが、吾妻先生の「現実をみるのがそんなに嫌なのか」という発言が多くのブローガーに反感を持たれたのではないかと思います。

ようするに失踪したり自殺未遂やホームレスをしたり、挙句の果てには(ちゃんと漫画の連載の仕事があるのに)アルコール中毒になって精神病院に入院する人が、「現実逃避」という意見には全然説得力がないだけではなく、逆にいま流行のアニメである「けいおん!」をネットで無名で売れない漫画家が批判したのが、多くの人に強い反感を持ったのではないかと思います。

それによってSFは現実逃避の手段だと言われ、下手すればますますSF離れ科学離れが進むのではないかと思います。逆に言えば、夢がない刹那的な若者が増加すると思います。

「けいおん!」は、一部の人にとっては今年最悪のアニメと評されているが、その反対に「けいおん!」に影響されてギターが弾けないのに楽器を買う女子高生が多くいるというほどの反響があり、ある種の社会現象になっています。(高価なAKGのヘットフォンなど買う「けいおん!」ファンもいるのです。)

若者のSF離れの原因は、一癖もあるSFマニア同士によるSF作品批判本が売れており、柳田氏の「空想科学読本」で人気がある特撮やアニメの科学考察をおもしろく解説した本を、山本弘氏が「ここがへんだよ『空想科学読本』」で柳田氏の人格否定から攻撃的な文章で反論するのは、とても陰湿だと思います。

部外者からみれば、マニア同士の無益な争いに知性は全く感じられず、SFなんて所詮現実逃避ではないかということになるのです。

その状況下で、SFマニアの吾妻先生が「現実をみるのがそんなに嫌なのか」という発言に全然説得力も無く逆に強い反感を持たれたと思います。

吾妻先生が「けいおん!」を批判しないで、むしろ「涼宮ハルヒの憂鬱」を賞賛すれば良かったと思います。そもそもSFの定義は明確ではなく個人の好みによって、その範囲が人によって異なるので、ある人はSFは夢の分野だから、たとえば「銀河鉄道999」もSFだと言う人もいれば、全然科学考証を無視しているから「スペースオペラ」とか「ファンタジー」とみなす人もいるのです。だから、へんな言い方すれば、おもしろければ多少の科学考証が間違えても良いのではないかと思うのです。

SFマニアは、おもしろいとか夢があるだけでは物足りず、徹底した科学考証とリアリティを追求するのです。

「涼宮ハルヒ」シリーズは、SFの冬の時代に突如として現れた作品であり、ある意味ではSFの可能性と発展に貢献するものだと思います。
だから、吾妻先生が「ハルヒ」を賞賛すれば良かったのです。

要するに「涼宮ハルヒ」シリーズは吾妻先生の「スクラップ学園」に似た作品であり、原作者の谷川氏によってキャラ設定を「新世紀エヴァンゲリヲン」から、ちょっとパクリ、現代風にアレンジした作品だと思います。


自分がもしSFを描くとしたら、内容が暗いディストピア小説とか、地球人が悪者であり異星人の文明を破壊させるというものしか描けないと思います。
そもそもディストピア小説はアジア大陸の北の某国の日常生活をたんたんと描けば、それだけで立派なSFになるのです。

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911同時多発テロとマイケルジャクソンの急死は未来人の仕業!?

現実の世界は無限の並行世界があり、もしかすればタイムマシーンが使える未来人によって、現代社会に影響を与える大事件たのではないか。その可能性は完全に0パーセントとは言いきれないと思います。

逆に言えば、ある説だと(全宇宙規模からみれば)人類の歴史は、まだ始まったばかりであり、1万年後でも20万年後でも人類が地球上に存在しており、そのまま科学が進歩すればタイムマシーンを発明して過去に影響を与えようと考える人たちがいると思います。

ようするに自分の価値観どおりの好ましい時代に住むためにタイムマシーンを利用するわけです。

と言う事は、アフガン戦争・イラク戦争がもし無い未来社会があったとしたら、またマイケルジャクソンが大統領になった未来世界への影響など、1万年後以降の未来の住む人にとって決して好ましくない時代に住んでおり、そのために現代にタイムスリップして、911事件とかマイケルジャクソン急死(未来人による暗殺)は未来人の仕業だと考えられるのです。

そのように考えるようになると、頭はSF脳でありるのではないかと思います。

SF脳で現代の世界情勢を考えると、アフガン戦争・イラク戦争は未来人によって引き起こされた歴史的事件であり、すでに過去の多くの歴史的事件は未来人によって何らかの影響を受けているのではないかと思います。

で、良く考えると、未来は人間の判断しだいで無限に存在するとなれば、現実とは何だろうか疑問に思うことがあります。

自分が良い未来を強く願うなら、良い未来の宇宙へと自分の意識が、それを認識し、暗黒の未来を悲観すれば、自分にとって都合の悪い未来へと意識が移動すると考えられます。そこに人間の自由意志の不思議さがあり、誤解されるかもしれないが、自分が「この世の中心」に似た世界観になるのではないかと思います。

ようするに、もし過去に賢明な選択した自分がいたとすれば、正しい判断や行動を起こした時点で、自分ではなく異世界の別人(性格や容姿がまったく同じでも別人)になるわけです。それを無限に分技するのが「自由意志」だと思います。

すなわち意識とは、無限に存在する並行宇宙を渡り歩くものだと思います。

説明するのは難しいと思いますが、怠惰というのは、意識のエントロピー(?)が高い状態だと思います。

エントロピーが高いほど、並行宇宙が発生率が低くなり、低いほど並行宇宙の発生率が高くなると考えられます。

上手に文章で表現できませんが、未来は神様によって完璧に固定されたものではなく、一つ一つの自由意志による選択の連続で、無限の未来があるということです。

その反対が運命論・宿命論であり、
全ての人の人生は無限の過去から無限の未来まで神様によって、運命が決められており、自分の思考による意思決定で行動しているように見えるが、実は全ては神様によって操られていると言う考えです。

一部のプロテスタント教会では、滅ぶ人は滅ぼされるために、この世に誕生し、救われる人は、救われるために、この世に誕生していると言うわけです。決して、自分の愚かさ弱さによって悪と滅びを刈り取るのではなく、悪を行う人は悪を行うように神さまによって創造されたという単純な思想です。

ようするに、宇宙論でも、無限の過去から無限の未来まで全宇宙は、永久不変ならわかりやすいのです。

キリスト教会ではビックバーン理論は認めておらず、天地創造は現代の科学では謎とみなす傾向があります。

タイムマシーンの発明は、ワープ航法と同じくらい難しいので、何か新しい法則が発見しない限り実用化するまで、1万年以上先になると思います。

911事件とかマイケルジャクソンの急死(未来人による暗殺)などは、未来人によって引き起こされたと言うSF的な発想できるわけです。






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吾妻ひでお先生が失踪した遠因は「ふたりと5人」という作品を書くように強要され続けたから

6月末から体調を悪化したためブログを更新できませんでした

吾妻先生ほど、自分の作品で弱音を吐く作家は珍しく、その遠因を考えたら、1972年から76年まで少年チャンピオン連載した「ふたりと5人」というギャク漫画ではないかと思います。

描きたいものが描けないというのは、作家としてかなり精神的苦痛らしいです。

個人的には「ふたりと5人」は駄作だと思うのは、その作品の記憶が全然無く、むしろ別の作家のギャク漫画「がきデカ」を少し覚えているくらいで、同じシモネタを扱う漫画でも面白さがぜんぜん違うのです。

なんというか、70年代の少年キングに連載された「おそまつくん」なども、とてもつまらなくて途中で読むのをやめるほどなんです。その作品と同じレベルだった思うので、なぜ「ふたりと5人」がこんなに人気あるのか子ども心に不思議に思いました。

吾妻先生も「ふたりと5人」に関しては、やる気なしなのです。だから、読むほうも面白く感じないのです。漫画家の場合は、ネーム(シナリオ)を出版社の編集者に送り、それを編集者が勝手に書き直したものを、漫画の原稿にするのです。

吾妻先生も何度も連載を中止してくれと懇願したが、人気がなくなったときに急に連載を中止し、その後に「みだれモコ」を描いたら、わずか6回で連載終了。

1979年に「シャン・キャット」を連載させたら、これもわずか5回で連載終了で、それ以降、すべてがマイナー誌への連載に至りました。結果的に自由に作品を描けるようになり、結果的には、当時の基準では傑作を多くつくり、吾妻先生の人気がうなぎのぼりになりました。

1980年当時には約30もの吾妻先生のファンクラブがあり、実は人気が出たことが、ファンの期待を裏切らないようにと思って、それがプレッシャーになッ他のではないかと思います。

人気がでたときには、既に仕事が嫌いになり、「ふたりと5人」を描いていた当時に、既に「うつ病」が発生したのではないかと思います。うつ病の原因は、編集者たちの過剰なプレッシャーがあり、最盛期には、多くのファンクラブができてしまって、期待を裏切らないようにと言うプレッシャーが、鬱を酷くさせ、次第に仕事に対する拒絶反応が酷くなったと思います。

というか、多くのギャク漫画家は自殺が多いのです。
最近、名前を聞かなくなったなと思う作家がいれば、たいていは自殺したということになるのです。

その意味では、最近の少女漫画の性的表現が成人向けアダルト作品よりも過激になったのは、少年誌やアダルト雑誌にはフェミニスト団体や教育団体の圧力が強く働き、まさかと思うところ、それらの団体の死角である「少女漫画」などにかなり過激な性表現を載せるのですが、実は、性表現のみだけに特質してしまい、内容が全くなくなってしまったのです。

ようするに何も考えず(頭脳を使う領域を少なくするため性表現のみ)漫画を描くほうが楽なんです。感動させる漫画は比較的に出来るが、人を笑わせる作品を作るのはとても難しいことなんです。

だから、徐々にギャク漫画という分野は無くなっていくのではないかと思います。

また漫画を描くのが好きな人は、あえてプロになろうとせず同人誌で自分が描きたい物を描く作家が増えると思います。

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教会公式サイトは誰のものではなく教会のものである

個人的には教会公式サイトは、やる気があり相応しい人なら誰でも良いと思います。
その意味では教会員であるなし関係ないと思います。

ひとつは、この責任を楽しく喜びを持って行えることです。その意味では技術よりも意欲が重要だと思います。

もう一つは責任者を明確化させることです。

その意味では、「○○の責任には負担となる」と考えるようですなら、その人に相応しくない責任なんだと思います。

その意味では躓きにならないように、十分気をつけるべきだと自分はそのように思います。

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SF中毒はモルモンの影響?

1990年代は神秘主義に傾向してしまい、ファンタジーやSFなどに興味を持ち、結果的にはSF中毒になりました。で、実は宇宙開発に興味を持ち熱力学や一般性相対性理論などの知識が入り込み、さらに政治思想にも興味をもち、自分の人生で最も大きな影響を及ぼしたのが、ジョージオーゥエルの近未来小説「1984年」です。

「1984年」という映画を観て、何となくモルモン教的な共産主義支配が感じられ、そんなふうに人間を支配する事が神様のみこころなのか?と疑問に思ってから数年もの時間がかかりました。

1997年に自分の頭の中でSFバブルになりました。

結果的に知人が酷い鬱病にかかり、もともとは熱心な信者でしたが、いろいろとあり、過剰な律法主義は人間をおかしくさせると思い、自分の中に自由主義的な思想が浸透しモルモン教の戒律をある程度は破ることになりました。

モルモンなんだけどコーヒーを飲む、日曜日(安息日)には買い物をする。

さらに日曜礼拝の証会で、人前で話をすることを止めたとき(1996年5月が最後)じわじわとモルモン教信仰が弱体化し始めました。

1980年代の自分は絶対にモルモンを辞めないと考えていたが、それは、楽しい時間を過ごせる仲間がたくさんいたから。その仲間も結婚や転勤でいなくなり、まして、後輩の教会員から自分のプライドを傷つけられ続けると、過度のストレスを感じて日曜日に教会に行くのがたまにしか行かない。具体的には月に2度しか行かない。

一切の教会の奉仕を勧められても断りました。

精神的暗黒時代といえるのは、80年代にあったような喜びを感じられない。なにか虚しさを感じる。モルモン教会に通うくらいなら自分の部屋の中で好きな事をすれば良いと考え、次第に日曜日にいろんなところに遊びに行く習慣が出来てしまいました。

で、そんな状態で同時に熱心なモルモン教の女性の結婚相手を探さないといけないという矛盾がありました

とにかく今もいろんなことで悩みがあったが、当時は今以上ストレスを感じており、それが不眠や鬱の原因になったと思います。

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任天堂DSとPSPというゲーム機が欲しい

PS3はスペックは高いが、電力をばかくいする、ソフトが少なすぎるため、AV機器として使われる場合が多々あります。

PS3もパソコン化させることができなくはないが、実はイエロードックというLinuxというOSをインストールをするのが難しいのと、メモリーが258メガバイトしかないためパソコンとしてはまだwindowsのほうが使いやすいと思います。

特にお勧めしたい、自分も欲しいのが任天堂DSですが、たぶん本体が安くても豊富なソフトがあるために、今のような貧乏生活ではあっというまに文無しになります。また、ネットとアニメで手一杯なので、寝る時間さえもなくなる可能性があります。

任天堂DSはパソコンソフトよりも有益な自己啓発的な教養ソフトがたくさんあり、それで学習する事も可能なのです。

近年、ゲーム機を懸念する声が多々あるが、これは包丁と同じで、使い方しだいで凶器にも食事を作る道具になるのです。

なぜパソコンに固執するのか、それはインターネットではフリーソフトが多々あり、わざわざ買いにいかなくても、それで間に合ってしまうのです。

ただし英会話・英語発音ソフトのフリーソフトはなかなかネットでソフトを探し出すことができず、市販品を買うしかないです。

あとは、ブローガーの必需品となりつつあるポメラという、テキスト入力専門のツールがあり、人気がありすぎて、入手が困難な状態です。スイッチ入れたらすぐに使え思い出したこと、思いついたアイデアをそれにインプットすればいいのです。

頭を鍛えるには、脳にインプットするのではなく、アウトプット作業をすることが大事なのです。

ゲーム感覚で学習するサイトに行き、満点が取れるまで頑張るのも、学習には効果があると思います。

人間の脳は短期記録だとわずか3分から5分で忘れる。一気に多くの事を覚える事は困難なのです。それを無理にインプットすると認知症になる可能性が高くなるのです。脳に負担がかかる、つらくなりストレスを感じる。だから続かないということになるのです。

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自己反省として高齢者に尊敬の念を

最近は老人による介護がある状態で、はたして長寿は幸福なのか疑問に思うし、または、認知症や高齢による精神障害(妄想・幻聴・幻覚など)の問題があります。

それを正直な話、邪魔者扱いする人もいますが、本来はそうなる前までは過去の医学だったら環境だったら長く生きられなかったと思う人ばかりなのです。医学だけが進歩して、健康な精神の持続に関する研究は今までないがしろにされて来たのです。

認知症とかは仕方ないと考えて諦めがつくのでストレスが少なく感じますが、比較的に頭がクリア、認知症ではない高齢者は口が悪いため高齢者を敬遠する人も多々いると思います。

まず、認知症なり精神障害なり、または頑固で言葉がキツイ高齢者へは、過去の時代に頑張って現代社会があるから敬意を払わないといけないと思います。

高齢者介護の仕事がたくさんある割には、すぐに辞める人も多いのが介護業界です。それには職員同士の人間関係の問題があり、ストレスを溜め込んで辞めてしまう人が多々いるわけです。

自分のように初めから負け戦したくないと思い、資格がとれても職業として選択するべきではないと考える場合もあるのです。

と言うか、しばらく就職できないのも、介護関係の資格を取ったことが大きな原因だと思うのです。また軽貨物自動車の仕事で酷いいじめに遭った。自動車をわざとぶつけるほど気が変になってしまった。立ち直るまでには時間がかかりました。

結果的には宗教的なことなど考えている暇が無い状態でした。


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意外と面白いフランス語

英語以外の言語で人気があるのが、中国語とドイツ語だと思います。あとは最も広範囲で話されているスペイン語。今後、日本との交流が深くなると予測されるポルトガル語(ブラジル)ではないかと思います。

ポルトガル語は日本に来ている日系人が増えており、モルモン教でもスペイン語やポルトガル語を教えている教会(ワード)が増えているし、宣教師もラテン系の人が増えています。相変わらず黒人は増えていないらしいですが。逆に英語を母国語とする日系人も多いのがモルモン教の宣教師の特徴です。

実は、いろいろと日常に使われながらあまり人気が無いのがフランス語で、キザだと思われる、スペルが難しい、ローマ字読みができない、発音が英語なみに難しい、長い単語も多くて覚えるのが大変。たしかに英語もフランス語も、学校教育どおりに覚えて話せたら天才です。

ひとつひとつの単語の意味と読み方を(発音のことではない)を覚え、それにスペルも覚える。ある文章の単語一つ一つをそれをやすから、非効率なのです。

あとは学校では教えないのが発音記号と、ヒヤリングの練習です。英語の教科書も文法だけで、内容が面白くないのでかなりの忍耐が必要です。

学校教育どおりに教えてもらって、それで英語が話せたら、その人は語学の天才です!

実はフランス語の場合もスペルが難しいため、フランス語を母国語とするひとでも書き間違える場合が多々あります。

なおスペルが長い割には、発音は短い物が多くあるのがフランス語の特徴です。さらに、英語と同じように単語と単語が繋がると、発音が変化するのも同じなのです。発音が短くなり変化するのです。それも学校では教えないのです。

そもそもジャパリッシュというのはエスペラント語の劣化コピーとさえ言われており、英語の古い文章は読める、それも英語を母国語としている人でも読めない、スペルをみて発音が解らないが、日本人だとそれが読めて解るという不思議な現象があり、日本人が英国の古典をジャパリッシュで読み、翻訳して、英語が話せる人が英語圏の人に聞かせるのです。

英語が話せる人と英語の文章が読める人とは違うのです。

フランス語はスペルが難しいので、スペルを覚えて話せるのは秀才ですから普通の人は話せるようにはできません。まず、会話の発音を暗記(?)することです。スペルにすると長いが、会話にすると単語が繋がるので意外と短くなるので、一つの単語を覚えると同じくらいになるのです。

文章語とに暗記するのがフランス語を覚えるコツだと思います。

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MDからPCへ

MDからPCにダビング(コピー)

アクセスの生ログを見ると、最も多いのが「MDからPCへ」「MDをmp3ファイル化」です。

一昨年のブログの記事にかかれたことがいまだにアクセスされるのです。

最近のMDの使い方とは、ちょっと前のマイクロカセットレコーダー的な使い方になり、メモ録には丁度良いものになりました

また、MDデッキの中古品はたくさんあるのでわずか数千円で変えるわけです。むしろコンパクトカセットテープデッキのほうが重宝されるのです。

自分の場合はネットラジオの録音に使います。
題名が判らないけど「ジャズ」を適当に録音、キリスト教会の牧師の説教を録音まで幅広く使えます。ただし、ポータブルの小さいものは、ICレコーダーが使うので、MDはネットラジオ放送の録音に適しているのです。

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本栖湖キャンプの復活・なぜキャンプはモノクロ写真が良いのか

本栖湖クリスチャンキャンプ場は現在利用者がほとんどいないため、近い将来、そちらでキャンプをする機会があると考えます。

東京教会のサイトで、あまり本栖湖キャンプ場の写真がなく、芦ノ湖のキャンプ場の写真がほとんどであり、幸い本栖湖クリスチャンキャンプ場は廃墟になってない。代々木八幡キリストの教会やその姉妹教会が所有していたときのモノが残存しているらしいのです。

いや、むしろ使用頻度は少ない過ぎる割には、時代に対応した近代化処置をされており、誰でも利用できる場所になっているので、有志で使うには良い場所かもしれません。


その途中で、思い出の地、1980年代にモルモン教で数百人規模の独身者だけの修養会・キャンプ(サマーカンファレンス・略して「サマカン」)が行われたのが西湖のキャンプ場で現在ではPICA西湖という名称になっています。

昨年、早朝に近い深夜に行きましたが、全然建物が変わり、むしろきれいになりモダンになったと思います。ただし宿泊費は夏だと値段がとても高いので教会だけで行くには料金では無理があると思います。

とにかく80年代の時とは建物が代わってしまったのは確かです。

なぜ、モノクロ写真にこだわりを持つのか。
より鮮明に忠実に思い出を記録するには、ハイビジョン・ビデオカメラで録画すれば良いのです。あとはデジカメのほうがフィルム代を気にしないで何百枚でも撮影できるのですが、モノクロ写真は色がないため、それだけ情報量が少なく、後になって、自分の記憶を寄り鮮明に思い出す気力を持てる、当時の事を想像しやすいからです。

モノクロ写真は撮影した風景を忠実に記録するのではなく、自分がその時に感じ取ったイメージも一緒に記録しやすいのです。それは、

モノクロ写真は記録する写真ではなく作る写真なのです。

一眼レフカメラでモノクロ写真には必ず黄色や緑のフィルターをつけるのは、それによってコントラストを調整することができるからです。

だから、その場の雰囲気で作る写真がモノクロ写真であり、あるときは28ミリ広角レンズにしたり、または35ミリ、標準50ミリにしたり、絞りを広げ、周りをぼかしたり、逆に絞りを小さくさせることで、全体をシャープな画像にすることもできるのです。

これがデジカメだと、自動的に完全な写真を撮影するから、あとになっても、その時の心境を思い出しにくいのです。

良いも悪いも、その時の心理状態を撮影するのがモノクロ写真です。デジカメだと小さいし、場合によっては動画も撮影できる。動画も意外と鮮明なんです。(音質が悪いが)

デジカメだと一回のキャンプで数百枚でも撮影可能ですが、

実は写真は、数枚だけでも十分な場合もあり、たくさんはいらないと思うし、まして、一眼レフカメラだと大きく目立つので、邪魔な時は持ち歩かないから、写真に囚われないでキャンプに参加できると思うのです。

モノクロ写真は自分のその時の心理状態で作る写真であり、色とかの情報がないから、逆にその時の事を寄り鮮明に思い出そうとするのです。

ようするに楽しい思い出ができるという確信が無ければ、高い電車賃や宿泊費を払って行くわけは無いと思います。

1990年代にモルモン教のサマーカンファレンスをビデオ撮影しましたが、当時のカメラも大きすぎるし、ビデオだと人の動きや言葉を録画できるが、あまり、思い出に浸れ無いのです。
むしろ、ビデオテープが紛失した。または、捨ててしまったなどがあり、どこか、思い出の余韻に浸れ無いのです。ビデオの場合は。

また、当時のビデオカメラは電池は持たない、すぐバッテリーが上がるとても重いし、機動力は一眼レフカメラよりも悪く、帰ってから観ても全て録画したのを見るには2時間以上もかかるのです。

ビデオだととても思い出に浸るには時間がかかりすぎるから、当時の余韻が感じられないのです。

その意味では若干、情報量が少ないモノクロ写真の方が、最も相応しいと思います。

個人的にはキャンプ=お祭り(?)みたいなもので、一年で一度か二度しかない特別な機会なのです。

昨年の教会のLST夏キャンプでは、カラーとモノクロを混在したのは失敗だったのは、カラーだと色褪せてしまいやすく、それに、カラー写真が常識だというから、それを誰かに見せないといけない場合があるからです。

だからモノクロに統一すればよかったと思います。





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SNSは自己申請登録制で良いのではないか

今までSNSは招待されないと入会できないとなっていますが、実際は現実に逢った事ない人からの招待が大部分であり、また、人の意見を読んで、細かいことで文句を言う人がいるので、リアルな友達は全然いない人だと思います。

まず、喧嘩を売ってきたら言い返すべきか?

否!いくら激しい口調の暴言でも相手は微動だしない無傷な状態ですので、言葉の暴力をいくら使っても、その人から見れば機械そのものが文句を言うくらいで、その言葉を発しているという概念が無い。通信しているというのではなくプログラムが、そのように反応していると感じるだけですから、何を言っても、こちらが疲れるだけです。

無視をするのも良いし、無視よりも手ごわいのは、回答の内容が、無視されたほうがまだマシだと思える返事です。

たとえば、

新幹線の騒音のことについては、

実際は根本的な解決方法は皆無であり、解決方法らしき回答、騒音を中和させるスピーカーをで音を静かにするとか、回答にならない回答のほうが、相手の精神的ダメージ、不快感は絶大です。

あとは、これも現実的ではないが、レールと車輪を防音材を使うという方法とか、

さらに相手がイラつくのは、そのスピンオフ的なアイデア、車輪にかかる圧力から電力を得るという方法などで、話しをワザとそらすと、無視された以上にイライラするのです。

個人的には招待を希望のメールをだしても、丁寧なことばで断れる場合もあるが、どうしても参加したいなら、誰でも招待という掲示板などで、そちらへ申し込むの良いとおもいます。

結果的には、面倒だからいっそのこと自己申請・自己責任という方法のSNSのほうが合理的だと思います。

参加人数が極少ないSNSで、SNSにも方向性があるので、自分に合ったSNSを探すことも大事だと思います。

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PCからMDに録音

あまったMDディスクの使い道ないかと考えましたが、。

Img_1201 キリスト教放送などの、他の教会の牧師先生の説教を録音して聞くという方法があります。PCにMDミニコンポを接続し、それを録音するわけです

あと、良きも悪きも飴の部分を録音したかなり古いテープがあり、自分しか、もう誰も覚えていない夏のキャンプの1986b 録音テープがあります。

若いときから、メカに関してのこだわりがありました。

「V_400017.WMA」をダウンロード かなりむかしの自分の声が聴けます。

当時は、一眼レフカメラなどにボーナスをつぎ込むのです。最後、1997年には、一眼レフカメラが故障、カルト信仰の終焉を象徴していました。

「V_400018.WMA」をダウンロード (かなり古いですが、著作権上、ほんのちょっとだけUPしました。)

1986a テープに録音して思い出を残しますが、音がゴチャになっているのです。

飴の部分を録音した物で、にぎやかです。

「V_400009.WMA」をダウンロード

「V_400001.WMA」をダウンロード 、以前、別のBlogにUPした聖書朗読です。mp3の音声ファイルの自分の声を録音したメッセージもそのうち載せたいと思います。

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