キリスト教と現代科学の時間の差

西洋文明(キリスト教)では、人類の歴史は、約7000年だけだという説もあり、現に西暦2000年を超えた現在、本来ならもうじき大艱難の時代、そのあとに来る1000年王国、ゴクとマゴクの戦いのあとに最後の審判で人類と宇宙全体の歴史は終焉するのです。
(1000年王国は存在しないという説もあります。だから西暦3000年頃まで人類社会の歴史が続くと思われるです。)

科学的には多くの突っ込みが入れられそうですが、創世記ではビックバーンで全宇宙が創られたということはキリスト教会では否定されております。現代科学では、大部分の物理学者や天文学者ではビックバーン説を支持しており、その証拠に、遠い銀河系ほど、速い速度で遠ざかっており(赤方偏移)とか、ひじょうに遠い宇宙の彼方からマイクロ波が全天から放射されており、それがビックバーンの名残だというのです。

その意味では、宇宙の始まりは137億年前であり、地球の歴史は46億年。
キリスト教の聖書解釈では、創世記では、ある牧師の説だと、文字通り6日で全宇宙を創造したというのです。アダムとエヴァの時代から、約7000年しか人類の歴史は存在しないのです。

でも現代科学では、人類は300万年前に誕生し、文明が発祥したのが、5000年前であり、また、アメリカ大陸の原住民は、1万5千年前に北アメリカに定住し狩猟をしながら南下していったのです。

キリスト教信仰を信じるものとしては、創造論は部分的に認められるのは、人間の祖先はサルではないことです。地上にいる生命体は神様が創造したものであるが、妥協して科学的に考えると、旧約聖書の創世記の一日目という概念は文字通りの24時間ではなく、数億年ではないかと思います。

個人的に創造論を支持する理由は、生物が必要とする炭素が作られるには、何度も太陽の100倍近くの恒星が超新星爆発(核融合)を繰り返さないと、生物の元素である炭素分子が作られない。また地球上には重い元素である金属からウランまである。宇宙が創造されてから、多くの星が何度も爆発と誕生を繰り返しながら、地球上の元素ができあがっているので、そうなると地球に人間が住むのに適した環境にするには数十億年くらいの時間が必要だと思います。

さらに、太陽系での地球の位置が、ちょっとでも太陽から遠かったち近かったりしたら、人間のような知的生命が住める環境にならなかったのではないかと思います。

さらに不思議なことに月の存在があり、月のおかげで地球は正常に自転できるのです。

偶然の産物では、かなり確率が低いのです。

無神論の現代科学では、地球は偶然の産物であると考える学者もいますが、多くの宇宙飛行士は、地球は偶然に作られたものではなく、なんらかの神秘的な偉大な意志によって地球が作られ、そこに人類と言う知的生命体が住むように計画されたと考えがほとんどです。

たしかに暗黒の宇宙にポツリと生命に満ち溢れた惑星をみれば、そのように感じるのです。

その意味で、人類の歴史は、最大なら無限であるという人もいれば、太陽が巨大化した遠未来である60億年後には滅びるとか、または、2億5千年後には地球上の海の水が地面に吸い込まれてなくなれば、酸素を供給量がないため、地球が現在の火星のような環境になるために人類は滅びるとか、あとは、地球は温暖化と寒冷化の繰り返しがあり、極端な寒冷化(氷河期)が500万年後に来れば人類は絶滅すると言う説があります。

ある科学者は21世紀中に人類は滅びる要素がたくさんあるから、22世紀は来ないと信じている人もいます。

科学者によって人類の歴史の長さは違うのです。
まず現代科学は、時間がたつと仮説が変わることがたびたびあるのです。
また科学者の学閥というのがあり、科学とは多数派が正しいとみなされているのです。

さらに、創造説を信じるのは、復活という物理的には説明できない現象が神様の力でおこなわれるなら、逆に言えば土から人間を作ることも可能だと思うのです。最後の審判のときに、全ての人たちが復活する。その復活はどんなものか知らないが、たぶん何らかの生命を持ったもの、または、霊的なものだと思います。それは想像を絶するものですから言葉では表現できないです。

古代の人たちは、現代のクリスチャンの葛藤を感じることなく自然に対して畏敬の念=神様への畏敬の念を抱いたと思います。

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臨死体験とキリスト教の来世観の違い

1990年ごろから立花隆さんの「臨死体験」の本がでており、自分の場合は「かいま見た死後の世界」と言う本を何度も繰りかえり読みました。

霊魂の存在は実証されているという事のみしか解らず、また、全ての臨死体験者に共通するのが、ある境界線(日本人的な表現だと「三途の川」)を超えた人はいない。それを超えると完全に死ぬ事になるからです。だから、その境界線を越えると二度と、この世に戻れない。別の良い方すれば絶対に蘇生しないのです。

たとえ自殺者でも、安楽感・安堵感に満たされる場合がほとんどですが、自殺をさせないために、あえてそのような情報を内密にして、自殺者の僅かな事例、地獄的な世界(仏教の地獄絵図みたいな光景)を見たとことを強調されます。

臨死体験をした人のほとんどが、思いやりを持った人間になれるのです。価値観が大きく変わるのです。

ただし、臨死体験をしたから、今まで信じていた宗教から、別の宗教に変えるという事は、ほとんどないです。

霊魂と死後の世界は実在するのは確かであり、または、神様とか天使、別宗教的な言い方すれば高級霊を目撃したという事例もあり、脳内における強い幻覚ではないのは、臨死体験をしている人が、目隠しされた状態でも、天井から自分を蘇生させる医師の姿がはっきり見える。それを鮮明に記憶できるので、その間、何をしたか話す事ができるのです。

その意味では死後の世界は存在する。霊魂も存在する。神様が存在するという事は確かであるが、

ひとつは、人間の魂は永遠に滅びないのか?死後の世界の社会とはどんなふうなのか?
そしてキリスト教会が口うるさくいう無限の地獄は実在するのか?その辺は、誰も見て来て、生還した人は一人もいないので、地獄や天国の存在は、信仰の世界の問題だと思います。

地獄がなければ、人間は何をやっても裁かれないから、いくらでも悪い事ができるからです。

プロテスタントでは神様は無限の御方だから、死後の世界も無限の世界であり、天国と地獄の両極の世界が存在しており、無信仰者や信仰が弱いものは、地獄に落とされるという教派がありますが、

カトリック教会では、キリストを知らないで死んだ人たち(キリスト教が伝えられない。キリスト教信仰をする自由がなかった地域や時代の人たち)さらには知的障害者や幼児期に死亡した人たちなど、不可抗力の人たちには、煉獄という地獄よりは、はるかに快適な世界で、キリスト教が伝えられており、煉獄でキリストを信じれば、天国に行けるのです。

あとエホバの証人とかセブンスディアドベンティスト教団の教義では、地獄は存在しないという聖書解釈をしています。悪人の霊魂は死亡したときに消滅するから永遠に自我と意識がない状態になるのです。

キリスト教会では臨死体験のことは、あまり語られないし研究対象になっていないので、かりにクリスチャンで臨死体験の経験をしても、それを秘密にしたまま生涯をすごす場合もあると思います。

また、一部のペンテコステ派は、臨死体験を悪魔の業とみなしています。
クリスチャンではない人が、死んだ時に、お花畑をみたり、光の生命を見てひじょうに心地良い気持ちを感じたとか、そのような体験談が広まると、なにもキリスト教に改宗する必要はないとか、熱狂的なクリスチャンになる必要はないと考えるようになるからです。
逆に自殺未遂をして、生還するまで、とても不快で、ひじょうに恐ろしい体験をしたと言う話しだと大々的に、その事を宣伝するのです。(自殺未遂者のほんの僅かの事例しかないのです。)

キリスト教と臨死体験談で共通しているのは、旧約聖書のダニエル書に「死の谷」が、臨死体験の暗黒のトンネル体験に似ているところです。




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地獄の亡者は、ガス生命体なのか??

最後の審判では、地獄に落ちる人と天国に行ける人に分けられます。

地獄の恐ろしさを最も強調するのがペンテコステ派ですから、そちらの教会では、異言が離せない人は、聖霊のバプテスマを受けていないから、不十分であり、その結果、死んだら地獄に落ちると信じられています。

だから必死になって正しい生活を送る努力をしているのです。
ネットでしらべると、世界で最も信者が増えている教派はペンテコステ派です。
(某A教団の牧師は、態度が冷たかったけど。)

自分が10代の頃に一時的に通った関東栄光教会では、熱狂的に歓迎されるし、礼拝の雰囲気も猛烈なエネルギーを感じました。それでいて、激しい口調でランダムな発音による祈りがあり、それを異言というのです。

これは、あまり真面目な話しではないが、地獄の亡者とは、もしかして「ガス生命体」のことではないかと思います。宇宙の終焉といわれる10の33乗年後に、物質を構成する原子がなくなるので、完全な静寂の世界になるはずですが、電子と陽電子からなるガス生命体が生まれる可能性もありえるのです。ただし一つの動作をするのに1000億年かかり、身体の大きさは現代の科学で観測できる宇宙の大きさよりも、はるかに大きい。

完全にスカスカの状態だから、巨大な幽霊みたいなものです。

極限的苦痛、無限の苦痛とは、平均的な成人の大きさが、全身に激しい痛みを感じても、身体全体以上の苦痛はないが、地獄に落ちた人の苦痛は、苦痛を感じる部分が全宇宙よりも遥かに広い範囲なので、それだけ激しい苦痛を受ける事になるのです。

まして、あまりにも酷い苦痛と強い悲しみと怒りの感情に満たされた状態ですから、無限の苦痛の地獄とは、仏教の地獄絵図よりも遥かに悲惨な状態であり、人間の想像を絶する世界だと思います。

また、死後の世界とか、最後の審判の後の世界の状態は、全宇宙の物理法則がまったく異なる世界であるので、前回の日記に書いたように、全宇宙の大きさが細菌くらいに感じるものかもしれません。

地獄の亡者=宇宙終焉後のガス生命体かもしれません。

ようするに、あまりにも激しい苦痛のため、生前の悪い行いを後悔できるほど余裕は一切なく、ただ全宇宙を遥かに超えた感覚器官に無限に強いストレスが襲い掛かる状態なのです。

完璧に無限の寿命を持つ唯一の生命体とは超巨大ガス生命体ではないかと思います。

最後の審判では善人・悪人・キリストを信じた人、信じない人の復活がありますが、それが人間の形とは限らないと思います。ガス生命体ということもありえるかもしれません。



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やはり地獄はあると信じなければ人間は悪を喜んでするようになる

キリスト教が極端に衰退している地域は、「万民救済説」すなわち「どんな悪人でも死後の世界では救われる」とか「地獄は存在しない」という極端な神学を信じている教会が多いところだと思います。

「神様は無限の慈悲と愛を持った御方」ということは、逆に「無限の正義の御方」であるので、個人的に思うのは、地獄は存在すると信じなければ、どんどん悪い方向へ向かってしまい堕落してしまうと思います。

もし「地獄はない」ということが実証されると、人間は自分に甘く意志が弱い存在だから、自分中心の思考になり、きびしい競争社会で周囲の人の足を引っ張ることに夢中になるか、逆に、この世に何の未練がないと思って自殺するしかないです。

「地獄がない」という事が実証できたとしたら、万引きも平気でできるし、自分よりも弱い人に辛辣な態度をとっても何の罪悪感も感じない。ようするに、今まで良い人でいることが苦痛だった人とか、良い人であることに疲れた人などは「地獄がない」という宗教を熱心に信じると思います。

逆にキリスト教会(プロテスタントのメソジスト派など)では、ジョン・ウェスレーが、地獄の恐ろしさについての説教をしたときは、あまりにも恐ろしい話のために、年配の女性が失神したという伝説もあるようです。キリストを信じてキリストの戒めを知っていながら守らない人は、キリストを知らない人よりも厳格な裁きを受け、自分はクリスチャンになり、何も大きな罪を犯していないと思って確実に天国に入れると確信したのに、地獄に落とされるということです。

どの基準で天国に行けるのか地獄に落ちるかは解らないが、もし地獄がないと信じたら、何をしても罪にならないと思って、自分勝手な生き方をしてしまうと思います。

クリスチャンの場合、信じるだけで自分の好き勝手で自己中心的な生き方の最悪の生活しても、地獄に落とされることは逃れると思うと、本当に自分勝手になり、どんどん悪に手を染めてしまい、最後には誰からも相手にされなくなり、地獄に落とされるのではないかと思います。



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西ヨーロッパのキリスト教会は教会としての機能を果たしていない

ヨーロッパ系のクリスチャンの大部分は、カトリックかギリシャ正教であり、プロテスタントは極少数派であるから、現代の日本のキリスト教徒の比率よりも少ないかもしれません。

最近は西ヨーロッパのキリスト教会がイスラム教のモスクへと改築されることが非常に多くなっており、また、7000人が収容できる巨大モスクの建設が計画されています。

ようするに西ヨーロッパはキリスト教圏ではなくなったのです。

逆に東ヨーロッパでは、ギリシャ正教の信者が圧倒的に多く、逆に元ソ連邦だった中央アジアではギリシャ正教への改宗者が増加しているのです。ようするにソ連共産党時代には宗教弾圧が強く、あらゆる宗教の聖職者を処刑してしまった結果、多くの人を引き付ける人材がほとんどいなくなり、なんちゃって聖職者が外国人観光客をひきつけるために、宗教施設でお酒を呑んでも良いとか、また、日本的な言い方すれば「拝観料」としょうして、観光客からお金をとることで生活を支えていたのです。

だから地下に潜伏した有能なギリシャ正教の信者が、ソ連邦解体後に伝道活動をして、被害を免れた信者による伝道活動によって東ヨーロッパでは、信者が増加傾向となっているのです。

その意味では、中南米やアフリカ大陸南部と東ヨーロッパがキリスト教圏であり、かつてキリスト教圏の西欧や北米は宗教的空洞地帯か近い将来イスラム圏になる可能性が高いです。(西ヨーロッパのプロテスタント教会では、クリスチャンにならなくても天国に行けるという神学があるため全然伝道活動も日曜礼拝もしないのです。)

西ヨーロッパの古いキリスト教会は、日曜礼拝をしない、むしろ観光地にして「拝観料」を取る事で牧師の生活資金にするのです。そのため、プロテスタントの信者の比率は日本よりも低いのですから、キリスト教=カトリック教会しかないということになり、プロテスタントはキリスト教系新宗教という扱いであるが、全然、伝道活動をしないから、次から次へと、他の宗教の施設へと改築するという状況です。

プロテスタントの教派は無数あり、それぞれ教義や聖書解釈が異なるので、なにが真実なのかわからないため、それでモルモン教に改宗する場合があるのです。

モルモン教は頑ななほどに「原始キリスト教会を回復させた」と強く主張し、他のキリスト教会は背教した人間が勝手に作った宗教だとみなしているのです。

実は、宣教師からモルモン経をもらって、本を読んでみましたが、これは初めから読めば、矛盾だらけなんです。

簡単に言えば、カラカラに乾燥しているアラビア半島を、食料も水も持たずに、一家そろって現代のイエメンまで徒歩で歩いてたどり着くのは奇跡であり、物理的には不可能だと思うのです。

強盗がいるなら、周囲には猛獣がいることになるが、強盗にきずかれずに、猛獣を捕まえるのは命がけであり、さらに、東京から名古屋までの距離に行った時に、リーハイが「聖典がどうしても必要だ」とわざわざエルサレムに戻し、そこで聖典(それも真鍮版の重たいもの)を取りにいくために、殺人をして、さらにニーファイが声色を使って、召使を誘拐して、そのまま連れて行くのは、現代でいえば強盗殺人と誘拐事件だと思います。

彼らは何も食料を持たないで、弓矢で獲物を取るが、神様の啓示で火を使うなというから、生の肉を強い日差しで干したのではないかと思うが、それだと、ビタミン不足に陥り、体調不調を起こして、満百キロの距離を徒歩で、炎天下の砂漠を歩く体力はなく、普通の人間だったら途中で野たれ死んでしまいます。

ましてイエメンから何の知識もなく、さらに、ニーファイが作った船が、どこの陸地に休憩せずに、そのまま1万キロ以上の距離を海でわたることは、どう考えても不可能だと思います。
(ニーファイは船の知識がないのに、インド洋と太平洋を渡る船を作り上げてしまったのです。また、航海の知識も世界地図も無いのです。どうやってアメリカ大陸に渡れるのだろうか?)

インド洋から太平洋への距離は、気が遠くなるような距離です。

だから、現在の自分の思考力があれば、科学的な矛盾がたくさんある部分を読んで、モルモン教には改宗しなかったと思います。

それでも、日本には2万人もの熱心なモルモン教信者がいるのです。

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ガンダムの世界ではスペースコロニーが180機ある

まず軌道(宇宙)エレベーターとスペースコロニーが作られる時代とは、完璧な超管理社会であり、ある意味では戦争と内戦もない、だからテロ活動をしたくても絶対に出来ないような、権力がひじょうに強い地球連邦が形成されないと、作れても作らないと思います。

機動戦士ガンダムのオープニングのはじめのシーンでは、スペースコロニー落としでニューヨークらしき街が破壊されました。水爆数発分の破壊力があり、実際はこれだけでも、核の冬が訪れ、地球が急激な寒冷化によって、食料不足になり大部分の人たちが餓死するのです。

一つのスペースコロニーに2億人が居住できるものを180機も作るとしたら、周囲にある月面の岩石や大量の小惑星を捕まえても足りないので、木星や土星の衛星をもスペースコロニーの材料になるのではないかと思います。

まだ人類が月面基地や火星基地を作り、ロケットで宇宙に行ける時代は、超大国や先進国が独占している状態なのです。だけど、「プラテネス」のように地球周回軌道の大型宇宙ステーションを一つ破壊しただけで、大量のスペースデブリが出て、人類の宇宙進出が当分先になってしまうのです。結果的には地球に閉じ込められた人類は、人類が存続する限り永遠に限られた資源の奪い合いとテロ地獄で苦しむ事になるのです。

もしかしたら人類の価値観は大きく変わり、刑務所よりも厳格に人間を管理する、極超管理社会を望むようになるのではないかと思います。かつては近代以前では残酷な拷問や死刑が庶民の娯楽だったり、アフリカ人の奴隷商売が正当化された時代がありました。現代から見れば人道的な大きな問題とみなされます。

だけど、あまりにも多いテロ地獄、いつまでも終らない戦争、その原因は人間をひとりひとり管理できない社会は危険な社会であり、管理できないから、精神障害や肥満がはびこる。自由放任社会があらゆる災いの原因だから、極超管理社会を求める声が次第に強くなるのではないかと思います。

逆に言えば、宇宙開発が進歩すればするほど、宇宙建造物はテロの標的になりやすくなり、その破壊力は計り知れず、結果的には第二次世界大戦よりも大きな被害となれば、世界中の人が、極超管理社会の到来を求めるようになるのではないかと思います。

極超管理社会はディストピア小説で良く使われる題材で、そのような社会には何も自由が無い悲劇的な社会と描かれているが、逆に極超管理社会では犯罪がまったくない安全な社会、ましてテロをしたくても絶対に出来ない社会。ようするに一人の人間に対して、数十人の専門家が監視する社会ではないかと思います。

毎日のように警察官が訪問してくれるような社会だと思います。

ある意味では自殺したくても自殺も絶対にできない社会。熟練の心理カウンセラーが毎日監視するので、場合によっては自殺する必要もない社会となり、

むしろ、未来の人からみれば21世紀の社会は、とても文明が低いため野蛮な思想が残っているため、精神障害者や自殺が多かったと悪い意味で評価すると思います。

当然、脳内のあらゆるところにチップを埋め込まされる義務があり、それを行わなければ終身刑にさせられて一生刑務所ですごすようになるのです。
(逆に刑務所のほうが自由な生活ができるかもしれません。)

特に思考犯罪と言う概念ができあがり、万一、社会に不満を持つものがいれば、まだ何も悪い事をしてなくても、テロ未遂犯として刑務所に入れられ、厚生させるために懲役刑となるのです。

極超管理社会とは、電脳化社会であり、電脳化していない人は、どんなに理知的な生活をしても未開人扱いされ、働いてお金を貰ったり、そのお金で買い物もできないのです。
考えている事を監視され、自分の周りに何十人もの人間やロボットが常に目を光らせている社会なのです。

発想を変えてみると、孤独とは無縁の社会。肥満や鬱病、不眠、不規則な生活とは無縁の社会。適正(才能)を十分生かせる社会、働くのが楽しい社会になる場合も考えられます。

極超管理社会は、とても良い社会のように感じられる文章になりましたが、たぶん、悪い人が支配したら人類全体が悲劇だと思います。極超管理社会の到来とは、遠い未来の話だと思います。

21世紀の技術でも、たぶん機動(宇宙)エレベーターとかスペースコロニーも作れると思いますが、テロの標的にされる危険性が高いので、早くても22世紀後半ごろにならないと作らないかと思います。

21世紀末の世界人口の予測は、30億人以下になり、さらに22世紀になると20から15億人程度になるので、あえて2億人が収容できる超巨大スペースコロニーを作る必要はなく、むしろスペースコロニーは将来、数世代にわたる恒星間飛行の実験施設になると思います。


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タイムマシーンは実現可能なのか?

現代の科学ではタイムマシーンの原理は不明ですけど、もし現代の天文学・宇宙物理学の知識を使えば、数パーセントの確率で可能だと思います。

たとえば、911同時多発テロは1万年後の未来人の仕業であり、現代は実は未来人によって影響を受けた世界ではないかという推測もあります。
(パラレルワールドでは、911同時多発テロがない世界、2009年でもNYツインタワーが存在している世界の自分もいるわけです。)

たとえば人類の歴史が永遠と考えれば、中東の某世界宗教は9000万年後になっても、現代と同じような生活様式と教義のままだと思います。(9000万年後の未来の人類は、ほとんどサイボーグになっており、ある意味では永遠の生命を享受しているかもしれないし、または、肉体は不浄なものだからという理由で、宇宙に漂うエネルギー生命体になっているかもしれません。

仮に地球上でタイムトラベルできる機械を作ることができたとしても、過去に戻ると、地球も太陽も、そして銀河も猛スピードで移動しているので、過去に戻ったら宇宙の彼方へ飛ばされてしまい、一瞬で凍結してしまいます。そのために恒星間宇宙船がタイムトラベルには必要不可欠なのです。

タイムマシーンのアイデアは、たくさんありますが、どれも壮大なものであり、また、タイムマシーンが作られた以前の過去にはもどることはできません。(壮大なものとは、約2.5光年の長さを持つ円筒状の巨大建造物を作り、そこを光の速度とほぼ同じ速度で、巨大建造物の周りを周回することです。そのかわり猛烈な遠心力で、宇宙船内の人間が潰れてしまいます。)

最も現実的なのは、ブラックホールにワザと入ることです。
光の速度に限りない近さで、ブラックホールに入ることです。そうしないと、ブラックホールの引力で自由落下で地表に落ちると、強烈な引力のためブラックホールの地表に達するまでに無限の時間がかかり、(重力が強烈だと時間がかなり遅く進むのです)ブラックホールに乗っている人が後ろを見たら、全宇宙の変化・周囲の銀河が次第に離れるのを数時間で見ることができ、そして最後には完璧な暗黒の世界しか見えない状態になるのです。かなり強烈な引力なので、普通なら人間が完全にぺしゃんこになるのですが、それを考えないで通常の重力として考えればの話しです。

また、ブラックホールに入る宇宙船や乗員たちは、素粒子レベルまで粉々にされるのですが、そうなるまえに、ブラックホールの中心(強烈な自転による遠心力で作られたドーナツ状になった部分の真ん中に入れば)を通りすぎれば、超空間という時間が逆行する世界に到達でき、それによって、過去に戻る事ができるのです。

自由落下でブラックホールに宇宙船が落ちると、宇宙船をかなり遠くから観察する人と、宇宙船の乗員との時間のギャップが大きく、たとえば観察する人の一年が、宇宙船の乗員にとっては、わずか10000万分の1秒という時間の進み方をするので、それを相殺するためには、ブラックホールに入る宇宙船の速度を光の速度に限りなく加速させる必要があります。そうしないとタイムトラベルする乗員達は、永遠にブラックホールの周囲に固定されてしまうからです。

現代科学では、まだ不明な部分がたくさんあり、現代では正しいと思えることも、近未来では間違えていたということもあるので、今の状態のまま1万年という時間をかけて科学が進歩し続ければ、タイムマシーンも作れるかもしれません。

あとジョンタイラーという未来から来た男の話は、論理的に科学的に考えれば完璧に嘘だと思います。


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地獄は絶対に存在しない論について

現在のキリスト教では、「万人救済説」とか、それをより強調した「地獄は存在しない」とい力説するクリスチャンがたくさんいます。

キリスト教神学を学べば学ぶほど、「地獄はありえない」「神様は無限の慈悲を持ったお方だから、どんなに冷酷で残忍な犯罪を犯した人間でも自動的に天国に行ける」だから「キリスト教会不要論・日曜礼拝不要論」があり、また、クリスチャンではなくても天国にいけるから極論を言えばキリスト教は現代社会に必要はない!と力説するのです。

要するに、「地獄」という概念は仏教的なものであり、「地獄」の存在を認めるものは異教に影響されたクリスチャンであるから、純粋な信仰ではないと言うのです。

その根拠とは、キリスト教を知らないで亡くなった祖母・祖父は知らなかっただけで地獄に落ちるのではないかという不安もあり、それだと今頃は地獄の底で24時間、休みなくのた打ち回っているのではないかということになり、そのような考え方は、神様の無限の愛を否定することであり、そもそも地獄という脅しは異教的だから、地獄は絶対に存在しないとなるのです。

だから、キリストが十字架にかかった時に、キリスト教の役目は終っており、その役目が終ったキリスト教信仰では、絶対に奇跡も起きないと力説するのです。西暦2世紀の時点で、キリスト教会の役目は終ったということになるのです。

ようするに、ペンテコステ派の信者が、祈ったら奇跡が起きたというのは、神様の力ではなく、悪魔の仕業だとみなすのです。現代では、どんなに強く祈っても、どんなに長時間祈っても絶対に奇跡は起きるわけないというクリスチャンが多いのです。

地獄は存在しないから、神様に従順である必要はなく、わざわざ良い人になって、隣人愛に満ちた人になる必要はなく、自分が嫌いな人間には意地の悪い事をしても、無限の罪の許しがあるから、どんなに他人に辛酸な思いをさせても絶対に裁かれないというわけです。

ようするに、神学を学べば学ぶほど、性格が悪くなる傾向があります。

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逆に、一部のペンテコステ派では、永遠の地獄を強く主張するあまりに、たとえクリスチャンであって、悪霊を追い払い、奇跡を体験した人でも、隣人に冷たい人は、最後の審判では、「わたし(イエスキリスト)となんのかかわりもない。そこから出て行け!」と永遠に続く、かなり激しい苦痛が及ぶ地獄に悪魔サタンと悪霊ともに地獄に落とされるのです。

地獄の恐ろしさは言葉では表現できない。一瞬でも見たら、どんなに精神的にタフな人間でも発狂するほど、酷いところだと強く主張しています。

ある意味では両極端な主張がキリスト教(プロテスタント教会)ではあり、中庸な神学論は、ごく稀なんだと思います。

よく近所のキリスト教会をお勧めしますと言われますが、個人的には、論理的で道徳の必要性を強調するキリスト教会をお勧めします。それが多少、自分の家から遠い場所でも、近くの狂信的な教会とか、カルト宗教的なキリスト教会には通わないほうが無難だと思います。

また、正常なキリスト教会でも、一部には上記のような極端な神学を強調するクリスチャンも一人や二人いるかも知れませんが、そのような人には、あまりかかわらないほうが良いと思います。


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キリスト教の死後の世界の状態は現代語では表現不可能

神様は無限の御方なので、全宇宙に遍在しており、たとえ光子力ロケットに乗って、アンドロメダ銀河へ400万光年先に行っても、神様からは絶対に逃れられないのです。
(極論を言えば、アンドロメダ銀河に行っても、キリスト教信仰を続けることはできるのです。)

そもそも銀河系だけではなく、超銀河団が集まった所と、全く何もない無限と思えるほどの暗黒の超空洞があり、全宇宙の姿は「泡」のような形になっているのです。まして地球上から観測できる銀河は、わずか1パーセントしかなく、それでも認識されているのは2000億以上の銀河です。

神様は無限の御方ですから、無限のエネルギーという概念が必要であり、死後の世界とか、または、最後の審判後の世界などは、全宇宙がとても小さく見えるほど、巨大なものではないかと思います。

たとえば、1円玉の大きさが全宇宙だとしたら、最後の審判後の世界とは、現在住んでいる全宇宙の大きさ(半径137億光年)なので、無限の神様からみれば、人間はウィルスの大きさにも満たないほどであり、最後の審判のあとの天国と地獄は、現代のどの言葉でも表現できないものではないかと思います。

ようするに生身の人間が天国や地獄を見たら一瞬で発狂してしまうようなものだと思います。

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仏教と現代天文学が酷似しているのが不思議

古代インドでは、巨大な蛇の上に、巨大な像が乗っていて、像の背中に地球(を半分にしたもの)となっているのが古代の宇宙観でした。

実は、それは仏教以前の宇宙観であり、仏教では宇宙は誕生して成長してから、最後には萎んで死ぬ。そして、また宇宙は誕生して、同じように成長して、最後には萎んで死ぬ繰り返しの教義があり、さらに、全ては素粒子からできていると教えているので、紀元前500年ごろの人が何故、現代物理学の知識を持っているのか謎です。

また、西洋では、最高でも兆までの数値しか表記できないので、それ以上の数値は×10の何乗と表現するのです。

現在では西洋(3桁)やインド(2桁)、東洋(4桁)など国によって数字の大きさを表記が統一されてないので、数値の10の何乗というように世界的に統一されています。これは天文学によく使われる数字の表記方法です。(最近は「ギガ」「テラ」バイトというようにな命数法が使われています。)

日本では一般的には、億とか兆までが使われており、それ以上の大きな数は、あまりつかわれないのですが、江戸時代に成立した名数法が現在でも使われています。

兆や京から、21の数字の桁を読みますと、まるでお経をあげいるような感じになります。
逆に小さい数字も、同じようにお経をあげているような感じなります。
江戸時代の数学に仏教の影響が入ったからだと思います。

ようするに無限への向けての命数法とは、「仏典の数詞」があり、なんと最大の数は「不可説不可説転」であり、天文学・物理学的な表記だと、10の37澗乗ですから、普通の人間の感覚では無限とほぼ同一なのです。

また、仏教では普通の生活ではほぼ使わない数を頻繁に使うため、そのために江戸時代では数学がとても重要視されたため、和算が発展しました。和算は西洋数学とほぼ同じくらいのレベルでしたので、明治時代初期に訪れた西洋人は、日本の輪算をみて驚いたのです。

キリスト教文化圏では、とくに古代社会となれば、一万以上の数は数え切れないし、普通の生活ではそれ以上大きな数字はありえないので、一万以上は無限とみなされました。

変なたとえですが、アフリカの未開人などは、1・2の次が「たくさん」とみなすのと似ているのです。アフリカの未開人では3という数字の概念が無い部族もたくさんおり、また、よくても手足の指の数の20までが限度なんです。

もしかしたら、紀元前以前の古代社会は、ほとんど記憶がなくなったため、見下した歴史観があるが、実は現代に近いほどの科学的知識を持っていたのではないかと思います。そうでなければブッタの教義が現代天文学や物理学と一致するわけないです。


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臨死体験をしないと人格は変わらない人間の弱さ

まず初めに、宇宙は無限に近いほど広大であり、大部分が謎に満ちている。
地球上では表現できないほどの、無数の桁を使った数字でないと表現できないほど、宇宙は広大でありエネルギーに満ち溢れている。

それは何を意味しているか。現実世界でさえ、兆とか京とか該という数字で表現するほど非常に大きなものとすれば、来世、死後の世界、さらに最後の審判の後の世界は、数字で表現するとなれば無量とか大数という桁でも足りないほど巨大なものだと思います。

キリスト教では、「無限」という概念がないと教義を説明できないのです。

だが、その無限というものを誤って使うと人格に、ひじょうに悪くさせる場合があり、いままで温厚でとても優しい人が、無限の慈悲、無限の赦しという概念を持つと、自分には利害が無い人に対して、とても冷たい態度を取ります。

たとえば、吾妻ひでおの「失踪日記」では、配管工をやっていたときに、とても意地の悪い同僚からの徹底的にいじめられ、他の社員でさえも彼をとても憎んでおり、ある人は、一日中ねちねち言われたために、半日でぶち切れたのです。何十人もの新人が辞めたのです。

「失踪日記」では、配管工を辞めたのは、吾妻先生と、いじめられた同僚が、性格が悪い同僚の悪口をトコトン言っているときに、社長が来て、相談に乗ったが、結果的には「気まずい雰囲気になり」配管工の仕事を辞めてしまいました。

ようするに無限の慈悲、無限の罪の許しの概念があると、クリスチャンになる前は、温厚で優しい人も、無限の罪の赦しという概念によって、他人に対して辛辣な態度を取り付ける、吾妻先生をいじめた同僚と同じ性格になるのです。

自分には利害がない人間は人間としてみない人間は、たぶんどこのキリスト教会にも多々おり、一部の人は歓迎するが、「無限の慈悲、赦し」を強く信じている人にとっては、初めて教会に来た人に対して「もうこなくてもいいよ!」とか言う場合があり、または、話しかけても挨拶しても完全に無視する場合もあります。そのような人がたくさんいると、日本からキリスト教を信仰をする人がほとんどいなくなると思います。

その意味で、そのような人は臨死体験で非常に恐ろしい思いをしないと、なかなか性格を変えていくことはできないと思います。

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無限の慈悲と愛で天国に行ける加藤智大とは

日本の自殺者数は年間3万5千人以上で、ほとんどの人が自殺するまえに、精神科に行ったり、なんらかのカウンセリングを受けたり、また弁護士と相談をしても、ほとんどがまともに相談してくれないで、ただお説教をするだけです。

よく自殺をしたという事件があると、「自殺する前に一言、相談してくれれば良かったのに」とつぶやく人もいますが、自殺をする人は、何らかの上記の専門カウンセラーを何件か相談しても、どこもお説教で終ってしまい、それで何の問題解決にならないから、最後の手段で自殺を選択するのではないかと思います。

土曜日の夜などは、あちこちの居酒屋を梯子してお酒を飲むのですが、たぶん、カウンセラーなどの仕事をする人は「人間の一人や二人、自殺しても、こっちは痛くも痒くもないんだ。バカヤロー!!」と酔っ払いながら大声で叫ぶのではないかと思います。

その意味で、カウンセラーは何の知識も訓練もなくても誰でもできる職業だと思います。
ある意味では、これほど責任が重いにもかかわらず、思ったよりも楽な仕事だと思います。

ネットでは、延命治療を止めるようにという意見も多々あり、さらには、人生に疲れた人までも安楽死させる施設を作るようにという要望が強いのです。

もし秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大被告に対して親身になって相談する人がいれば、あのような悲劇は起きなかったと思います。たぶん、まともに相談に乗ってくれる人がいないから、ネットで日頃の鬱積を文章にして、ほとんどの人が相手にしないから、あのような事件を起こす切欠になったと思います。

今頃は拘置所にいると思いますので、何件かの宗教団体の信者や聖職者が手紙を送ったり、面会に来ているかもしれません。そうなる前に、本当は宗教団体が親身になって相談をしてくれれば、あのような事件はなかったかもしれません。

ただ、キリスト教にもいろいろあり、おなじプロテスタントでも、進化論を信じる教派もあれば、創造論を信じる教派もあり、同じクリスチャンでも無数の思想があるのです。

特にプロテスタントでは思想が両極端になりがちであり、キリストの無限の慈悲を強調するあまりに、ヒットラーでも、加藤智大でも、または、女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たちでも神様の無限の罪の赦しがあるとして、地獄は一切存在しない、どんな凶悪な人でも天国に行ける。たとえキリスト教に対して様々な批判や妨害、暴言をする人でも、無限の慈悲によって、赦されるという思想と

たとえクリスチャンでも、大部分が無限の苦痛が永遠に続く、非常に恐ろしい地獄に落ちるという意見もあり、名指しで「福音派」は偽キリスト教だと批判する人たちもいるのです。

だから、どこが正しいキリスト教なのか、あちこちのキリスト教会に通って見るべきだと思います。

たしかに、現代の司法では、加藤智大は99パーセントの確率で死刑になると思いますが、彼を英雄視したり、または同情的な意見も多数あります。

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「無限の愛と赦し」論では、ヒットラーは天国にいる

ルター派・カルビン派の予定調和説とか奴隷的意志論者は、世界の歴史は神様が創ったのもだから、戦争や赦し難い犯罪事件、残虐な行為も全て神様の計画だから、完璧な歴史なのです。

だから、ヒットラーも幼児期に洗礼を受けたら、自動的に神様からの「無限の愛、無限の慈悲」すなわち「無限の罪の赦し」があるので、神様から一切、ユダヤ人虐殺については裁かれず、完全に罪が無い状態ですから、ヒットラーが地獄に堕ちるのはナンセンスで、それらの説が正しければ今頃は天国にいるのではないかと考えられます。

逆に被害者側の多くのユダヤ人は異教徒ですから、どんなに善良なユダヤ人でも自動的に地獄に落ちるということになるのです。

極論を言えば、幼児期に洗礼を受けた人が、仮に冷戦時代に核ミサイルのボタンを押して、全面核戦争で全人類を滅ぼしても、核ミサイルのボタンを押した人も、「神様の無限の許し」によって、地球を滅ぼしたことでさえも、罪に問われないで天国に行けるわけです。

たとえ地球上の全生命体を全て滅ぼしても、いったんクリスチャンになった人、極論を言えば、キリスト信仰を捨て、キリスト教会を滅ぼすために尽力を尽くした人が、地球を爆発させても、「無限の罪の赦し」によって、キリスト教会への反逆と地球を爆発させたという罪は一切咎められず、裁かれず、天国で完全な救いを得る事ができるのです!

だから、西ヨーロッパにたくさん立派なキリスト教会(プロテスタント)がたくさんあるのに、日曜礼拝が、何百年間も行われないのか、それは、全然キリストのことを信じなくても洗礼をほどこせば、自動的にクリスチャンになるから、そのあとは、どんなに自分勝手な生活や快楽を追求しても天国に行けるから、日曜日に教会に行く必要がないのです。

そのため、礼拝に行く人がいないのではなく、礼拝は不要であり、日曜礼拝は過去のものとなり、牧師もただ幼児に洗礼(滴礼)を施すだけで、天国に行けるのです。

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反モルモン運動が急激に衰退したのは、無教会に改宗した元モルモンの人が、上記の伝統的プロテスタントの教義を頑なに信じたため、おなじ反モルモンの人間への辛辣な批判がメーリングリストで行われ続け、次第に反モルモン運動から離れてしまったからだと思います。

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「無限の罪の赦し」論となれば、なにもキリスト教会そのものがなくなっても良いのです。
洗礼を施す牧師が勝手に、牧師事務所に連れてきて、洗礼の水を振り掛けるだけで、多くの人が救われる事になるからです。

だから日曜礼拝は不要であり、また全然聖書を読まなくても、神さまに祈らなくても、(一時的に)信じるだけで、どんなに残酷な犯罪を犯しても、無限の罪の赦しによって、救われるのです。



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胸(心臓)の痛みを感じて元気になった

最近は極端に肥ってしまったのは、ストレス解消は美味しいものをたくさん食べるしかないためで、そのために、10月の初めに、胸にチクチクした傷みを頻繁に感じるようになりました。

それが、突然に胸の中にガラスの破片が突き刺さったような傷みを感じた時、ヤバイという気持ちよりも、「もうじきお迎えが来る」という喜びがあり、それが切欠で、以前よりも元気になりました。(酷い鬱状態が治まりました。)

毎日、部屋に閉じこもっていると、何もする意欲もなくなる。ビデオソフトを観る意欲もなくなる。インターネットをする気にもなれず、ただ寝ているだけ。起きたら、すぐに精神安定算を飲んで、また寝ることを繰り返す生活をおくると、気分傷害になり死にたくなるようになります。

時々、この世の不条理に怒りを感じて、イライラすると、コンビニに行って弁当を三つくらい買って食べるが、

食べない時は一日中何も食べる気になれない。お腹すいても買い物にもご飯を作る気持ちにならないです。


鬱が酷い時に食欲がでるのは、イライラが強くなった時です。
そうなるとコンビニの弁当を三つに、アイスクリームも食べるから、意地でもお腹に詰め込んでやると言う事になるのですが、結果的には、肥りすぎは心臓にかなり重い負担をかけることになります。


その前に、教会の人が、日曜日の午後に訪問してくれたりして、とても嬉しい気持ちを感じました。

教会に行こうかなと思ったときに、胸の内部にガラスの破片が刺さったような傷みを感じ、意外と自分の寿命は思ったよりも短いと思うと嬉しくて感じました。苦しいけど嬉しいと言う感情です。

またガラスが突き刺さったような傷みが来ないかと期待したが、良くても胸がチクチク痛んだり、寝ているときに心臓がドキドキするとか、横になって寝ると心臓がやたらと苦しく感じますが、これだと軽い症状なので、はっきりと心臓が悪くなったとおもえないので、また、最近は鬱ぽい気持ちになります。

「もうじきお迎えが来るような」身分となれば、本能的に、悪い事を悔い改め、人の好き嫌いを止めて、もっと優しい良い人間になろうという気持ちになるのです。

神学的には、ルター・カルビン派などの伝統的キリスト教では「無限の赦し」という神学論があり、極論を言えば、一旦、クリスチャンになって奇跡を体験したあとに、他の宗教に改宗して無差別自爆テロで何百人の人を殺しても、そのひとは、たとえ一時的にクリスチャンになれば、神様との関係は永遠に切り離せない立場になったから、自爆テロで何百人を殺しても、その人は神さまによる無限の赦しによって天国に行けるという神学論があるのです。

または、この世の全ての人災、すなわち戦争や殺人事件から、学校のいじめまで、全ての人間の悪意による行動は神様の計画であり、神様が作った歴史は最善だから、戦争とか(たとえばユダヤ人などの)大量虐殺も神様の正義による歴史だということです。

人間的には、上記の神学論はとても受け入れがたく、それを受け入れる人間は、クリスチャンになる前は、温厚で優しい寛容な性格も、ルター・カルビン派神学を絶対的に正しいと受け入れると、人格が他人に冷たく、自分に利害がないひとには無関心で、強いもの上目の人には良い人を演じて、それ以外の人にはどんなに酷い評価されようとも冷酷な態度を取るようになると思います。

その意味では、あくまでも自分の考えですが、ルターやカルビンの宗教改革の功績も多々あり、人類の歴史に良い意味での影響もありますが、人間性を否定した神学は受け入れがたく、本能的に拒絶反応を起こしてしまいます。

その意味では伝統的プロテスタント教会は、キリスト教ではなく、ルター教とかカルビン教という別宗教ではないかと思うことがあります。

だから、伝統的キリスト教では自殺は最悪の罪というが、「無限の罪の赦し」という神学というものがあれば、自殺は聖霊を汚す否定する罪ではないから、神さまは無限に罪を赦されるので、生きているのが疲れたら勝手に死ねば良いと言う事になるのです。

なかなか自殺というのは、簡単にできるものではなく、かなり勇気が必要であり、万が一失敗したら、また後遺症が残ったらどうするかと考えると、恐ろしくって自殺する気になれません。

たしかに病気を嫌がり拒絶すると、不思議に病気は悪化する傾向があり、

逆に喜んで病気を受け入れるようになると、病気がほとんど悪化しない、治る場合もあるのです。

4年前に、宅配便の仕事をしたとき、労働時間が朝7時から夜中の0時、睡眠時間が3時間。見習いですから、隣には意地の悪いおやじがいて、一日中文句を言うので気が変になりそうで、5日目の朝になったら胸がチクチク痛くなり、次第に傷みが強くなって救急車を呼びました。

緊急医療センターで点滴を受けていとき、すごく穏やかな気持ちになりました。

ようするに心臓の病気は、強いストレスによって悪化するものだと思います。



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文化的な格差社会が精神障害者を作り出す

母方の実家は、栃木県足利市で、戦前から繊維業が盛んな町です。

足利市というのは、都会的な冷たさと田舎の封建主義が混在した町だったと思います。
とにかく、少年時代は、月に1度か2度、必ず母の実家の足利市へ自動車で行きました。

片道2時間半くらいで到着しました。(なお、1992年に父と一緒に行った時は、高速道路をつかっても片道4時間以上かかりました。どこも渋滞してないのに)

少年時代ですと、まだ関越自動車道路が開通しておらず、全部、一般道を通って、途中で休憩を入れて2時間半で到着できました。

92年の時は休憩は一切なしで、トイレにいきたいのを我慢しながら足利へ4時間かけて行きました。なぜ、そんなに時間がかかったのか、軽自動車で一般道で時速40キロ以下、後ろからクラクッションを鳴らされぱなしの状態で、高速道路は鶴ヶ島から花園まで時速70キロと言うノロノロ運転をするように強いられたからです。「こわい。こわい」とか「もっと早くしろ」といちいち文句言われながらの運転であり、ちょっとでも速度が速いと怒鳴りつけられると言うありささまですから気が変になりそうでした。

足利と言う町は、ちょっと変わったところがあり、東武鉄道の特急が止まる「足利市駅」は市街地から遠く離れており、歩いて市街地にいくと30分以上くらいかかるような場所にあり、当然、市街地はバス(これが本数が思い切り少ない。一時間に一本)かタクシーで、ほとんどの人がタクシーを利用するのです。

で、市街地にある駅は、当時は国鉄両毛線で、運転本数が極端に少ない。一時間半に一本なので、待っていてもなかなか電車が来ないので、当然、都心へ行くのはほとんど東武鉄道を使う人が多いです。(特急と準急電車が一時間ごとに交互に走っていたからです。)

当時は、鉄道ファンでしたので、国鉄両毛線にのりましたが、短い4両編成電車で昼間でも朝のラッシュアワーなみの満員でした。単線なんですがローカル線とは思えないほど速度が速いのは、駅と駅との距離が遠いからです。

戦前から繊維業が盛んな地域であると同時に、市街地から離れると、見渡す限りの田園風景がありました。また、デパートもたくさんあるが、隣のデパートとの距離が離れているのが特徴です。町そのものが、都心と違い、土地が広々と使えるのと、戦前から開けていた町なのですから、昔からオフィスビルが乱立していました。

なんというか昭和時代と明治時代がゴッチャになった町という印象です。

とにかく自動車がないと、とても不便な町だと思います。

少年時代に従兄弟から自転車をかりて足利市街地を走り回ったけど、あまりの広さのために、途中で疲れてしまいました。

また、家が都内と較べて、とても広くて大きく、8から10畳の部屋が必ず二つあり、これだけ広いと、親戚を集めての集会や宴会など自分の家ですませるのです。
一階と二階の両方に、10畳間が二部屋あるのです。

また、テレビアンテナが異様なほど高いところに立てており、東京から遠いためだとおもいます。だから、群馬県の親戚の家にいくと、ほとんどがUHFになっています。
(アンテナがとても高いところにあるため、東京のテレビ局だけではなく、新潟のテレビ局までも受信できるのです。)

とにかく、見た目は近代的だが、住んでいる人は封建的な環境であり、また、戦時中は足利市は空爆されやすいのは、たくさん繊維工場があり、これを米軍が軍需工場とみなされたからです。

住んでいる人は、当然、思考が軍国主義や封建的になりやすく、市街地は都内とほとんど違わない環境のため、とても精神的にアンバランスな環境だったのではないかと思います。

市街地がから一歩出れば、封建的で軍国主義的な思想が残存しているので、都会のゴチャゴチャした窮屈さと、田舎の古い考えが入り混じった環境ですから、精神的に不安定になるのではないかと思います。

それでも北関東は、繊維業とか戦時中は軍需産業が盛んなため、第二の東京と呼ばれ、東武鉄道が、国鉄山手線をみらなって、埼玉北部と栃木・群馬にまたがる鉄道環状線(第二山手線)と言う構想がありました。

だが、その構想も昭和58年の東武熊谷線廃止で完全に頓挫しました。
(昭和40年代に自動車が急速に普及して、東武鉄道の路線は、ほとんど一時間に一本というローカル線になりました。)

なお、路線跡地は、森林緑道とされおり、現在は歩行者の遊歩道・散歩道に使われていますが、土地所有者は東武鉄道であり、将来的には、埼玉県熊谷市と栃木県を結ぶモノレール路線に使われる計画があるようです。

話しがずれたけど、母方の血縁関係者は、

大人はアル中が多く、従兄弟は登校拒否をしている人もいて、見た目は近代化しても、考え方が封建的とか軍国主義的なところがあると、精神的にとてもアンバランスになって精神障害者になりやすいと思います。

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大艱難時代の極限的苦痛によって大量の餓死者をだす!

現代の日本でも食糧が行渡り、たとえホームレスでも、残飯を探せば餓死を免れるが、酷く思い鬱病になると、何日も食事が喉に通らなくなり、結果的には一ヶ月も続けば餓死することが現代の日本でもありえるのです。

酷い鬱病になると、食欲がなくなる。一日中、横になって寝るだけで、死にたいという気持ちになるのです。

大艱難時代になると、見た目が平和な社会でも、職場でのイジメとか家族からの虐待などがあり、それが原因で重度の精神障害者になり、たとえ熱心なクリスチャンでも、善悪の区別ができないほど心が混乱してしまい、結果的には、心に深い傷、それに酷く重い鬱病になり、一ヶ月もなにも食べなければ餓死するのではないかと思います。

たしかに現代社会でも、食べ物が豊富である日本でも餓死者がいるのです。

よほど精神的に参っており、その苦痛は想像絶するものであり、数十万円のお金があるにもかかわらず、食事をしないで死ぬ人がいるのです。

大艱難時代では、さまざまな人権侵害もあり、聖書の預言にあるように「お互いが裏切りあう」ため、教会そのものが魂の安らぐ場所ではなくなるかもしれないです。

キリスト教会での、この世最後の時代には、ある説だと、キリスト教が衰退し、別宗教が世界的に爆増となると書かれた本があったと思います。(どの本なのか忘れましたが)

前回の日記に書いたような、地獄の底でも良いから死なせて欲しいと言う状態は、かなり心に深い傷をおっており、さらに、酷く重い鬱病で、自殺する意欲もでないまま、一日をすごし、そのままやせ細って、最後には餓死で死ぬクリスチャンが全世界にたくさんいるのではないかと思います。

クリスチャンだけではなく、他の宗教を信じている人でも、無信仰の人でも、大艱難時代では、様々な災いや人権侵害があり、現代の日本の年間自殺者数が3万5千人だとすれば、近未来社会では、その20倍の年間70万人が自殺する世の中になると思います。

ようするに世界規模の戦争や内戦、それに自然災害以上よりも、自殺者のほうが多くなるのではなるのが大艱難時代ではないかと思います。

だから、最近ではネットの意見を読んでみると、自殺は罪悪視するのは少数派であり、個人が自殺する自由は必要だとか、または、自殺幇助業を一つの産業にするべきで、それを合法化するべきだという意見も多々あります。たとえ健康な人でも、心に深い傷を負った人で、この世に未練が無い人のための安楽死施設を建設して欲しいと言う意見が多数あります。

パソコン通信時代なら、上記の事を言えばキチガイ扱いにされたが、現代では自殺の権利を認めるようにという意見が主流になっています。

この世、最後の時代は、善良な人は、より善良な人格者になるが、悪人はより極悪人へとなり、ある意味では人格格差とか道徳格差が極端に広がるようになると思います。

(ようするにキリスト教会でも、2005年に大阪のペンテコステ派教会で女子中学生への性的暴行事件があり、被害者の心にかなり深い傷を負わせてしまったのです。たぶん、牧師は「神様の無限の赦しがあるから、どんなに酷い罪悪を行っても自分は天国に行ける」と本気でおもってまったく反省していないと思います。「無限の赦し」を間違えて解釈すれば、取り返しがつかない悲劇がおきるのです!)

大艱難時代は、死ぬ意欲がなくなるほど、ひどいうつ病になって餓死する人が激増するのではないかと思います。別の言い方すれば孤独死とか路上死などが日常茶飯事になると思います。

暗い話しになると思いますが、10年前と現代と比較すると、ネットの世界でも、口うるさい批判をする人がいても、基本的人権を否定する人はいなかったですが、最近のSNSでは、基本的人権を否定するのが人気者になるのです。

また、精神科などは、10年前なら平日はガラガラにすいていましたが、現在では平日でもかなり込んでいます。それだけ、心の病気になっている人もいると思います。
だから、社会そのものが次第に冷たくなり、微小なりとも徐々に、この世の終わりに近づいているのでないかと思うのです。

とにかく大艱難時代とは、自然災害とか戦争や内戦よりも、心の闇による死への誘い、すなわち、紛争や災害の被害者よりも、自殺者のほうが遥かに多いのではないかと思います。

その意味で、極限的な精神的苦痛は、自殺する意欲も失い、そのまま寝たきりになって餓死するのではないかと思います。

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全世界で一斉に集団失踪が、もし起きたら。 2億人が取り囲んだら?

ペンテコステ派の「空中に取り上げられてキリストと出会う」「正しい生活をした人が断艱難時代直前に天に取り上げられた」ということが、もし実際に起きたとしたら、

たぶん、それが教会の集会中に突然、目の前で教会員が消えるのを目撃したら、それを見ただけで半狂乱状態になると思います。礼拝堂の中で数十人が突然消えてなくなり、残されたのが、信仰心が弱い人とか、まだ求道者で信仰的に迷いがあるひとのみだったり、

逆に教会で人格者だと思われた人の家を訪問したら、誰も出てこない。一晩中電気がつけっぱなしになっている。数週間たつと郵便ポストに大量のチラシがそのまま入っている。もしかしたら突然死による孤独死ではないか思って、ドアを無理やり空けたら、誰もいない。部屋中の窓に鍵がかかっている。不可解な事件とみなされます。

さらに、一家揃って突然失踪とみなされ、何日たっても電気がつけっぱなし、当然、ガスも水道も使われないので、不信に思って家の中に入ったら、残ったのは無傷のペットがいるだけ。

強盗が入った痕跡もなく、通帳や現金も取られた様子もなく、家の中にいた人だけが突然失踪。

世界中で一斉に突然失踪したというニュースが全世界で話題となり、世界の人々はある種のパニック状態になると思います。

または、職場に6日以上無断欠勤をしたから上司が尋ねたら、ドアが閉まっており、アパートの管理人を呼び出して、予備の鍵で開けたら誰もいない。

そのような奇妙と思える失踪事件が全世界で同時に起こると、いままで生ぬるい信仰生活を送った人は、今後来る艱難時代の恐怖に怯え、まれに、将来を悲観して自殺するクリスチャンもいるかもしれません。

ある人に何度もメールを送っても返事が返ってこないなど、さまざまな不可解な状況になると思います。

当然、人工衛星を使った捜索活動をしたり、警察官が集団失踪した人たちが暮らせる場所をあちこちさがしまわっても、全世界から失踪者が誰一人みつからない。

地上に残されたクリスチャンは、これを大艱難の前触れと言う人もいれば、あくまでも自分たちの教派の教えに固執して、不可解な集団失踪事件としてみなすだけで、いつもどおりに日曜礼拝を行うかもしれません。

もし大部分のキリスト教会から人格者がいなくなれば、目を見張るように礼拝出席者が減少しだし、必然的にキリスト教が衰退すると思います。

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大艱難時代の最後には、ハルマゲドンの戦い。イスラエル包囲されるが、包囲する軍隊が2億人とは・・・!

現代のイスラエル共和国の周辺国の人口が2億人ですが、発展途上国のみが人口増加しておりますので、近い将来は3億人以上になると思います。

イスラエル共和国の面積は、およそ20,770km²という狭い国土の周囲に2億人の軍隊が駐留するのは現代の科学力では不可能です。さらにイスラエルと敵対するのがアラブ諸国なので先進国の最先端技術を使うことはできません。

南北には470kmの長さですから、普通に計算したら、周囲に極超高層ビルの高さの城壁で2億人が収容できる建ものでない限りイスラエルを包囲できないと思います。要するに、小松左京のSF小説「物体O」のような、成層圏に達する巨大な城壁で取り囲まなければ、2億人もの兵士を収容できないと思います。

極論を言えば、物体Oみたいに何の前触れもなく突然イスラエルを取り囲めば、海外と一切交流や貿易できなくなり、当然、食料不足に陥り、ハルマゲドンの戦い以前に、半年以内で全てのユダヤ人が餓死するのではないかと思います。

ただ餓死するのを待つようなユダヤ人ではないので、対応策として、原子爆弾で巨大な城壁を破壊するのではないかと思います。

現代の科学力では、一夜にしてイスラエル共和国を取り囲む城壁を作ることは無理であり、未来社会で、たぶん宇宙空間・たとえば月面の裏側で秘密裏に巨大城壁を作り、超高速度のステレス状(レーダーに反応しない透明のような巨大建造物)で突然イスラエルを囲む城壁で取り囲むのではないかと思います。
(光学迷彩・人間の肉眼では見えない2億人が収容できる巨大建造物を宇宙空間のどこかで作るのです。)

(宇宙で2億人が収容できる建造物となれば、それは超巨大スペースコロニーに応用できると思います。SFの世界でも1000万人が限界なのです。)

突然、イスラエルを取り囲んだ巨大建造物が地上に落下すると、その振動でイスラエル全体に巨大地震が起きるのです。バルカン半島やエジプトに大津波と地震の被害を受けると思います。落下速度を抑えるために巨大な逆噴射すれば、逆噴射の圧力によって、強烈な突風が巻き起こり、イスラエルだけではなく、エジプトやアラビア半島にも甚大な被害がこうむるのです。

もう一つの方法は自己増殖力が強烈なナノマシーンを大量に使って一夜にして、超高層状態の城壁を作りあげるのではないかと思います。そうなるとSFの世界です。

そうでもしないと2億人の兵士をイスラエルを取り囲むことは不可能なんだと思います。

2億人は現代の日本の人口の2倍弱で、そんなに狭い場所に兵士に食料をいきわたらせるのもの想像を絶するものであり、また、そこからでる汚物によって地中海は汚染されるのです。大量のゴミも出るわけです。

繰り返し言えば、宇宙空間で2億人が居住できる巨大建造物が作るには、軌道エレベーターによる人類の宇宙進出が必要不可欠となります。軌道エレベーターはテロの標的になりやすく、破壊されれば、水爆数発分の被害となるのです。

その理由で、軌道エレベーターにしろスペースコロニーにしろ、それらが作られる時代は、遠い未来の産物だと思います。テロが一切ない完璧で強固な管理社会が必要です。

極論を言えば、数百年間戦争も内戦も戦争もテロ事件ない完璧な平和な時代が来ないと作れない。仮に近未来の社会で技術的に作ろうと思えば作れるが、全世界の安全性を考えれば、作らないと思うのです。

どう考えても現代の科学力では、イスラエルという国を2億人の兵士が取り囲む超高層状の城壁は作れない。と言う事は、ハルマゲドンの戦いは、遠い未来のことになるかもしれません。

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「人生をたのしんだか」と神様がおっしゃるほど呑気ではない!

仮にペンテコステ派の主張が正しいとしたら、

キリストの再降臨までに、99.99パーセントのクリスチャンが、かなり酷い心的外傷や、酷く重い鬱病のまま再降臨を迎えると思います。全員に近いほどのクリスチャンが心に酷く深い傷を持ったままキリストの再降臨を迎えるのです。

地獄の底だと思えるような、非常に恐ろしい極限的な苦痛を体験をした人だと、

全部に近いほど、正気を失い、善悪の判断ができなくなり、人格が破綻する。正常な生活をすることができないままキリストの再降臨を迎えるのです。

極限的苦痛と思える環境では、発狂寸前になり、たとえ地獄に落ちても良いから死を願う気持ちのみ残るのです。

仮にペンテコステ派が言う、大艱難時代の直前に、数百万人もの熱心なクリスチャンが全世界から一斉に失踪したという事件(正しい生活をしたクリスチャンが天に取り上げられる現象が実際に起きたら)があれば、それは、地上に残された多くのクリスチャンにとって『死刑判決』を言い渡されたようなものです。

今後7年半の期間が、地獄の底でさえも生ぬるいとおもえるほど、7年半が7億年に感じるほど時間が長く感じる

苦しみが強烈だから、当然、どんなにタフな人でも正気を保つことはできないのです!

あまりの激しい苦痛のために発狂するクリスチャンもいると思います。

もし、この世最後の世界の惨状を見ることができたら、あまりの恐ろしさで、発狂寸前になり、どんなに「頑固なほど他人に冷たい人」でも、温厚で優しい人になるのではないかと思います。

だから、呑気に「人生を楽しんだか」と神様はおっしゃらないと思います。

これらは仮にペンテコステ派が正しければの話であります。





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秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大が、もしクリスチャンなら・・?

キリスト教では信仰をもつことによって、完全に神様から裁かれない。激しい憤りを感じるような残虐な犯罪行為でされも(無限の赦し)によって赦されると、伝統的プロテスタント教会では教えられています。(?)

仮に秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大が、犯行前にクリスチャンになったら、彼は神様から裁かれず、死刑になったら、そのまま天国に行けるのだろうかと疑問に思います。

逆に、加藤被告によって殺害された人は、たぶん大きな確率でノンクリスチャンですから、自動的に地獄に堕ちたと言う事になるのではないかと考えられます。(ノンクリスチャンの救いは別の機会で。)

殺されたほうが地獄に堕ちて、殺人をした人間が天国に行くとは、とても不条理だと思います。

個人的な考えですが、行動には動機が重要であり、「国が死刑という名目で自殺幇助してくれる」とか「死刑は国が行う殺人だから自殺にはならない」という自殺の正当化という動機もあります。

クリスチャンの自殺で有名なのが細川ガラシャであり、壮絶な最後を遂げたものがあります。
また、塩狩峠でも列車の最後部の連結器が外れて、乗客を助けるために飛び降りて自らを犠牲にしたとい話は有名です。

まとめると、
自殺を正当化するのと
自殺をしざるえない状況に置かれたのでは、動機が全然違うと思います。

神様は人間の心の底を読んでおられ、強烈な邪悪な邪念によって無差別殺人をすれば、信仰そのものが無効になるのではないかと思いますが、なかなか聖書には疑問に答える聖句がみつかりません。

たとえばルターの奴隷的意思論では、人間は自らの選択で善悪を判断するのではなく、神様によって、生まれつきの悪人と善人を作り、さらに、死後の世界で救われる人と滅ぶ人もきめられている。要するに自分で考えて行動して、自由意志で何かを選択しているようでも、実際は神様によって操られているという神学的な仮説(?)です。個人の自由意志は存在しないと言うことです。

それによると分岐時間論(無数のパラレルワールド)という物理学的な多次元論は、保守的キリスト教の教義とはかみ合わないのです。(分岐時間論とは、原子核のまわりにある電子は、一つだけど一つの場所には存在しない、無数の場所に存在しているという説です。電子一粒が無数の衝突跡があるという研究結果があります。その意味で個々人の自由意志で無限のパラレルワールドが発生すると考えられるのです。)

宇宙論を考えれば、宇宙は天地創造の時に作られ最後の審判で燃え尽きて終る。また歴史は、どんなに些細なことでも全て神様の計画になっており、個人が行う犯罪や不道徳も神様の計画のひとつと考えるほうが単純なのです。

伝統的キリスト教会に、もし改宗した加藤智広が、無差別殺傷事件で裁判員に「情状の酌量の余地一切なし。被告を死刑と処す。」という判決がでれば、加藤被告にとって自殺ではなく、国によって殺される。また、神様は無限の罪を購い赦してくれる御方だから、首に縄をかけられて落とされた瞬間に天国に行ける望みが達成できるわけです。


もしクリスチャンの加藤智大と同じ考えをもつクリスチャンがいれば、細川ガラシャと正反対の人格変貌を遂げ、温厚で優しい性格が、怒りやすく嫉妬深く、他人には冷たく自分以外の人間には無関心という人格になると思います。ようするにクリスチャンになることで、良い人になる必要はないと思えば、気が楽になる人もいると思います。

良い人になるには、自分の話した言葉や態度や行いをいちいち気にしなければならないです。だから、神様が無限の罪の赦しがあると確信したら、人を傷つけたのではないかと不安になる心理状態から解放されるです。

好きになれない人と無理して仲良くなろうと言う意欲がなくなると思います。

細川ガラシャや(塩狩峠の小説のモデルになった)長野政雄のような人格者になら無いで良いのです。

もし、細川ガラシャがルター派の宣教師によってキリスト教徒になったら、今まで通りの、とても怒りっぽい女性であり、自分勝手な性格によって、石田三成の人質になってでも生き残り、壮絶な死を迎えなかったと思います。

そこから歴史が大きく変わったと思います。

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非常に恐ろしい地獄に落ちるという脅迫という方法は正しいのか?

メアリーバクスターの著書では、たとえ善良なクリスチャンでも、完璧に正しい生活をしなければ非常に恐ろしい地獄に堕ちるという内容です。名指しで「福音派の信徒と牧師が地獄で永遠にもだえ苦しんでいる」という内容です。

ようするに聖霊の働きを認めない福音派クリスチャンを強く批判する内容です。
無宗教の一般人向けというよりも、ペンテコステ派以外のクリスチャン向けの内容になっており、他の教派のクリスチャンをペンテコステ派へ改宗させる為の書物だと思います。

たぶん既成のキリスト教会で不満(かなり強いフラストレーションを感じている)がある人には受ける内容だと思いますが、読んでみると信憑性が弱く、ほとんどが想像で描いたフィクションであり、それを事実としてとらえる人は、ほとんどいないと思います。

そんなに神様が厳格なお方なら、人類全体の罪を購うためにイエスキリスト様が十字架にかかる必要は無いのではないかと思います。


たしかに、教義的に「完璧に近いほど正しい生活をしないと地獄に落ちる」と教えられても、他人に冷たい人は冷たいし、自分に利害がない人には無関心だと思います。




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キリストの再降臨はいつくるのか?

あと10年後にでも再降臨があると主張する教派はペンテコステ派だと思います。

4・5年前に二軒ほどペンテコステ派のキリスト教会に通ったことがありますが、すごく堅苦しいことを言う割には、Aという大きな教派の教会の牧師は態度が冷たかったです。だから、若い女性の訪問者(?)が来ると、人が変わったように親切な態度をします。そのかわり牧師婦人がいろいろ話しを聴いてくれたのが、ある意味では救いだったと思います。
(ペンテコステ派ですが、キリストの再降臨が強調されていませんでした。むしろ戒律的なものが強調されていました。)

ただゴスペルソングが熱心なので、11月の土曜日にゴスペルコンサートの招待状が来て、それに参加しなかったら、ほとんどの教会員が何となく冷たい態度になり、話しかけても話しが続かないなどゴスペルコンサートに行かないだけで態度が冷たくなるのは、彼らにとってゴスペルはよほど大事なものだったと思うのです。

また、比較的に若い人が多くおり、青年会が充実しているみたいですが、年齢制限があり、30歳以下で正社員か大学生でないと、パーティに参加できないらしいです。

もう一軒のJという教派では、より堅苦しい感じの説教が多々あり、人間の性欲は悪だという説教が多々あり、徹底した戒律主義になっていると思いますし、また、そこの牧師先生が書いた本をもらいましたが、さしせまった再臨主義が書かれており、たとえクリスチャンでも他人に親切にしない神様の戒めを厳格に守らないと、再降臨前の大艱難時代でとことん苦しむようになると強く主張していました。その意味で、比較的に親切で教会に来てくれたことを歓迎する雰囲気がありました。

ただ、モルモン教に似た雰囲気があり生理的に受け付けないです。
(あとは礼拝中に意味不明なランダムな発音による祈りなども、異様な雰囲気がありました。)

モルモン教でも最も親切に対応する人たちは宣教師たちで、それはバプテスマ件数が少ないと叱責されるから、誰でも良いから、どんな理由があってもいいから、たとえ義理でも良いから洗礼を受けて欲しいと言うことです。

だからモルモン教の宣教師は、よほど酷い人ではない限り誰でも親切で優しいのです。

一人でも多くの人が洗礼を受ければとか、人に親切にしないと耐え難い災いが降り注ぐと言う発想がないと、より良い人になれないのではないかと思うのです。

人間は弱いものだから、自分が神様によって厳しいく裁かれていると言う感覚が無いと、自分に利害関係が無い人に無関心になり誰にも親切にする意欲がなくなるのではないかと思います。

宗教改革でルターが、新約聖書のヤコブの手紙を正典ではなく偽典(にせもの扱い)にしたのは、「行いがともわない信仰は意味が無い」ような文章があり、ルターの信仰義認「救いは完全に無料であるから、信じれば神様の無限の赦しがある」「クリスチャンになれば、(どんなに悪い行いをしても)罪を一切裁かない」という聖書の解釈と矛盾してしまうのです。

たしかにペンテコステ派J教団の牧師先生の本では、キリストの再臨前に7年半の大艱難時代が来て、完璧に近いほど正しい生活をしたクリスチャンとか、自分に一切利害関係がない人に親切をした人、隣人愛が強いクリスチャンのみが、天に取り上げられて、災いから守られ、ただ信じているだけのクリスチャンは、暴力とか飢え乾き、それ以外にもあらゆる人権侵害に苦しみ、自殺したくなるほどの激しい苦痛を耐えなければならず(サソリに刺されたような状態の苦しみに似ている。死を嘆願しても再臨まで絶対に死ねないという、ひじょうに恐ろしい罰をうける。)、ただ信じただけだと、生温かいクリスチャンを清めるために、自殺したくなるような激しい苦痛を受けるようになると書いていました。

キリスト教に限らず、戦前の日本でもお寺で紙芝居などで、悪い事をすると地獄で激しい苦痛を受けるという物語が語られており、戦前の日本では、近所付き合いでお互いに困ったことがあれば助け合う機運があったと思います。

結局、無神論主義や(霊や死後の存在を一切否定する)唯一物論が戦後の日本の公立学校で教えられており、悪い事をしたら地獄に落ちるという考えは、非科学的でありオカルトとみなされた結果、辛酸で取り返しがつかないほどのイジメ地獄へと変わってしまったと思います。

特に公立学校を支配していた日教組は、マルクス(スターリン極左)共産主義が主体ですから、徹底した唯一物論だから、あらゆる宗教の教えを封建的で不合理なものとして排除した結果、子供たちの残酷な側面だけが特出してしまい、弱いものイジメをしても教師がいじめっ子を叱れない、仮にいじめっ子を殴る行為をすれば、親から強いバッシングを受けて教師生命を絶たれるので、結果的にイジメが横行していまい、いじめ自殺が日常化となるわけです。

新自由主義に通じるものがあり、新自由主義は徹底した反共主義(貧困をなくすという考えは偽善であり、進化論は絶対的に科学的な論理だから、弱いものを駆逐させるのは正義という考え)があり、超格差社会こそ科学的国家論とみなすのです。

だから、超格差社会の行き着く先は国民の99.5パーセント以上が貨幣を持つことが犯罪とされ、それを使って買い物をすれば犯罪となる社会だと思います。富裕層には無限の富があるので、極論を言えばスペースシャトルを個人が所有して打ち上げることできるのです。

極限的な億万長者は、外国を買う(侵略して独裁者になる)こともできるのが新自由主義の最終目的だと思います。


話しがずれたけど、人間の弱さがあり、宗教は自由ですから、あまり厳しくしすぎると離れてしまう。

ちょっと優しい口調で、この世の終わりの話、死後の世界の話をすれば、想像するだけでも、ただ信じるだけでは、さまざまな災いを受けるという恐怖感がないと、自分勝手な生き方とすると思います。

たしかに、無理をする必要はないと思うし、無理を強いると、たとえ異端的キリスト教会でなくてもカルト宗教になる危険性があるので、絶妙なバランスが必要だと思います。

人が正しい生活させる切欠と、自分に利害関係が無い人にも親切に優しく接するように、仕向けるには、ちょっと軽く突っつく程度であれば良いと思いますあまり厳しい態度や、脅迫的な態度、何度もしつこく繰り返して同じ事を説教すれば、ストレスを感じてしまって離れてしまうと思います。

要するに人間は弱い存在ですから、ちょっと軽く言わないと、なかなか悔い改めをしないと思います。


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無限の寿命があれば、夢のハイテク社会で生活できる

無限の寿命=高額所得者であるので、極端な話、30世紀の世界でも、20世紀や21世紀の大富豪が生きているのではないかと思います。

100年・200年なら毎日が愉快で、毎晩のように宴会をして笑いが止まらない生活を送るが、その愉快な生活そのものが、虚しくなり、300年以上生きると、何も悩みの無い人生、何も問題も無い人生、何不自由ない人生が空虚になり、ほとんどの半永久的に生きられる大富豪にとって、いろんな哲学や宗教を学ぶようになり、結果的には無限の寿命と何一つ問題が無い人生が虚しいということになり、たぶん、400年後の未来社会では寿命を無限に伸ばす技術を選択する人はほとんどいないのではないかと思います。

200年後の世界になれば、微小なりとも進歩する現代科学の世界でも、まったく異なった生活形式となり、現代の生活になれている現代人が、200年後以降の世界の常識についていけなくなるのではないかと思います。だから、毎日宴会をして楽しく愉快に過ごす大富豪たちも、人生とは何だろうか?と考えるようになるのではないかと思います。

松本零士の「銀河鉄道999」とか「宇宙戦艦ヤマト」など科学考証をわざと否定して、読んでいて楽しく、夢がある物語を描ける人は、天才だと思います。

逆に未来社会の悲惨な状態を描いたディストピアものは、誰でも描けるのです。

ようするに、夢があり、観て楽しい作品を作れるのがプロの作家であり、現代社会の矛盾や批判を未来社会に置き換えたディストピア小説という分野は、素人が書くもののです。

ある売れない漫画家(某田中さん)の人類が絶滅寸前を描いた近未来漫画は、有機物でできた人間ロボットの少女との恋愛を描いた暗い感じの作品です。(物語をよりリアリティにするために、作家の知識を最大限に出して、様々な不安材料である地球温暖化とか、極限的な少子化社会などが描かれています。まったく内戦や戦争が一切ない平和な地球だとしても極限的な少子化社会によって人類は100年以内で絶滅するという設定なのです。)

その意味では同じ漫画家でも力量の違いを感じられるのです。

たしかに歴代の皇帝や大富豪が、2000年以上もの間、不老不死の薬を求め続けました。特に中国の歴代の皇帝などは、自分の権力が永遠になるために、極限的な権力により様々な不老不死の研究を近代という時代になるまで2000年以上続けたのですが、

やっと21世紀になって実用化のめどがたったわけです。

現代の大富豪たちは、たぶん30世紀の未来社会に過ごすことは間違いないと思います。
だが、孤独、無限の寿命、不死という苦しみに永遠に耐えなければならないと思います。

30世紀なれば限定的だと思うけど(タイムマシーンとかワープ航法による宇宙旅行は絶対に無理だと思うが)心をもっているようにみえるアンドロイドとの生活とか、月面や火星への宇宙旅行なども体験できるが、それでも、無限の寿命を持つ人にとって、毎日が虚しい、生きていることが苦痛と思えるようになるのではないかと思います。

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松本零士さんの作品はほとんどが科学考証を無視したスペースオペラで、「銀河鉄道999」はある意味ではファンタジーであると思います。無限の寿命・永遠の生命を求めて主人公が宇宙の彼方へ列車の旅をするというのは、普通の人は考えないです

「宇宙戦艦ヤマト」をリアルに考えればミラス人が地球人の根絶を実行するなら、二つの中性子星を太陽系の近くで衝突させれば、強烈なX線が放射され、そのX線によって地球上の生命体を死滅できると思います。西暦2199年ですから、もしかしたら人類は太陽系を進出しているかもしれないので、地球だけではなく、太陽系全体の全生命体が滅びると思うのです。
太陽系全体に強烈なX線が放射されれば、太陽系のどこの惑星に逃げても絶対に助からないのです。(合体した中性子星が太陽の重力に引き寄せられる可能性があり、中性子星の重力で太陽系の惑星の軌道が変わってしまうと思います。)

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80歳になってもパソコンやケータイでメールを打つ(鬱)未来

サイボーグの進化と細胞をいじることで若返て寿命を延ばすという近未来技術が、遅くても20年以内に実現確定ですが、その反面、アンドロイドとか人工知能・介護ロボット・宇宙開発などは全然進歩していないで、自分が80歳になっても、今日とおなじような生活を送っているのではないかと強い懸念があります。

ようするにケータイがあまりの超多機能化してしまい、ケータイがあればコンビニで買い物ができスイカとしても利用できる。逆に便利すぎる生活が科学技術の進歩を停滞させるので葉のではないかと懸念します。

また新自由主義社会による経済格差によって、貧困層が激増と国家破産による科学技術開発の停滞などがあり、まして、大部分が貧困層になれば、選挙で国会議員を選ぶとなれば、南米のほとんどの国ような社会民主主義政権になることを危惧する政治家と富裕層も多々おり、将来的には近代議会政治から、インターネット政治へと移行するのではないかと思います。

ある意味では直接議会政治になり、政治の素人でも、多数の意見で、不条理な法案が可決してしまい、次第に政治家不在の国家へと移行することで新自由主義体制は存続させるのではないかと思います。

政治家が法律を作る時代がいずれ終焉を向かえ、ケータイやパソコンを使える人だけが直接政治に参加でき、大部分の一般庶民が自分勝手な法律を作って、自らの首を絞める結果になるのではないかと思います。

まず日本という国は、たとえば天皇制を廃止しても、そのまま共和制になるだけで生活に大きな支障は無く、また日本銀行が潰れても、廃止してもユーロやドルという貨幣に切り替えれば良いが、自民党による新自由主義体制がなくなれば日本は自動的に消滅するということです。自民党がない日本はありえないのです!

自民党の最重要政策(政治体制)とは新自由主義経済であり、新自由主義経済が日本で崩壊すれば日本という国の存在意義がなくなるのです。

だから国会の廃止、衆議院・参議院議会の全面的廃止により、何が何でも新自由主義体制を維持するには、インターネットによる無数の個人の言論によって法律を作り、政策をつくるという新しい政治体制へ移行するのではないかと思います。

だからインターネット参政権体制になれば、日本在住で日本国籍がない外国人でも、外国人にとって都合の良い法律を勝手に作られてしまうことがあるのです。

ようするに自民党関係の政治家が新しい皇族となり、天文学的な金額が恩給として支払われるのです。
だから、自民党は政党から日本のインターネット言論統括管理委員会となることで、実質的には自民党のみの一党独裁体制が確立し、インターネットの世論で政党政治が不要だと言えば、他の政党は自動的に不合法化とみなされるのです。

自民党=政党
から
自民党=インターネットの言論統括機構へと変容する事で

政党政治が完全に廃止され自民党以外の政党は必然的に不用となり、必然的に自民党一党独裁体制が日本が滅びるまで存続するのです。

で、インターネットの言論によって、日本国憲法廃止が確定し、必然的に基本的人権が無効となり、極端な場合、100円以下の品物を万引きしただけで死刑にする法律が勝手に作られるのです。また公開死刑制度をするべきだとか、死刑囚には長時間苦痛を強いる残酷な刑罰から、さらに自分たちで自分の首をしめる、低所得者ほど税金が多く取られ、逆に高所得者には高額所得者手当てが数億円も支払われるような世の中になるのではないかと思います。

現代のままの政治体制でも、たぶん文明はほとんど発達せず、きつい労働とか満員電車に押し込められる状態が、100年後でも現代と同じ光景をのままになるのではないかと思います。

自分たちが高齢者になっても、介護ロボットから介護してもらうのではなく、未来社会の介護はロボットやアンドロイドではなく人間が介護を行うの宿命ではないかと思います。

その意味で、80歳になっても現代と同じようにキーボードで文字を打つのではないかと思います。(その前に老眼になり画面の文字がほとんど見えなくなるかと、指が思うように動かないためキーボードを叩く速度がめざましく遅くなるのではないかと思います。)

「人間の終焉」という本では、科学の進歩が人類に不幸をもたらすと書いているが
科学が全然進歩しない社会も、同じように人類に不幸をもたらすと思います。
夢も希望も無い社会は、必然的に弱体化して最終的には滅んでしまうのです。

逆に富裕層だけは、細胞を操作させて、若返らせることは20年以内に確実に実現すると思います。だから、富裕層が限りない時間の人生を送り続けると思います。

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押川春浪「一千年後の世界」は現代社会を予言した

押川春浪とは、明治時代のSF小説家で、ほとんどが未来戦記ものを描き、プライベートでは野球に夢中になっている、現代でいうオタクとは程遠い健康的なイメージがありましたが、大正3年、38歳の若さで、この世を去りました。

「千年後の世界」という小説は、現代科学でいえばどうしようもない内容なんですが、ある意味では新鮮なおもしろさがある作品だと思います。

25世紀までの世界を予測し、まず近未来の世界(1900年代から見て)では、人類は肉食が主体になり人格が肉食動物のように獰猛で好戦的になり、世界各国が戦争を続けたが、戦争はお金がかかると言う理由でバカバカしくなり、そのかわり個人どうしの争いが絶えない状態になり、ある意味では現代の、近状同士の争い、職場や学校でのいじめなどを予言したと思います。

たしかに人類が肉食を止めれば、アフリカ大陸の飢餓がなくなります。
美味しいそうにハンバーガーを食べる社会を予見したのではないかと思います。

ソ連邦(社会主義国家出現)の予言をしており、仕事を一生懸命やっても怠けている人と同じ金額の給料しかもらえないので、一生懸命働く事が馬鹿らしくなるということです。

世界各地に内戦の激増化の予言。発展途上国の大部分が内戦を経験しています。
結果的にソ連邦のような多くの民族を強力な権力で一つの国に押し付ける社会主義連邦国家が誕生して内戦が収まるが・・。

文明の発達(オートメーション・産業用ロボット)などにより、物不足が解消され多くの人が裕福になるが、経済力や資源に限界があるため、大部分が平均的な中流階級になるが、淫乱だけは限りがないため、人類の大部分が淫乱化してエログロナンセンスにより風紀が乱れるという事を予言していました。

地球温暖化の予言。(小説では資源の使いすぎで地球温暖化ではなく、巨大彗星の引力により地球の軌道がずれてしまい、世界の平均気温が急上昇してしまう。)

また、政治家が法律を作る時代が終わって、ほとんどの市民が自分勝手な法律を作るようになる。(これは、将来的には政党政治から、最終的にはインターネット利用者が次第に自分たちの価値観にあわせた法律を勝手に作るようになり、議会政治や政党そのものが消滅してしまう社会を予言したものだと思います。)

たしかに、死刑制度の厳格化というインターネットでの世論が多々あり、ある人は「絞首刑では甘すぎる!溶鉱炉に死刑囚を突き落とせ!」とか「死刑囚の身体を切り刻むべきだ」とか残酷な刑罰を求めたり、また、死刑執行が中国よりもはるかに少ないから、もっと裁判を厳格化させ、どのような理由があっても情状酌量の余地一切無しということで、たとえ正当防衛でも死刑にするなど、いちいちネットの意見を求めていたら、それこそ日本は共産主義国家よりも人権侵害が酷い国になると思います。

死刑執行件数が世界一なれば日本は立派な国になれると言うのです。

また、死刑執行をテレビで生中継しろという意見もあり、たいていの死刑執行は午前中に行われるので、ほとんどの人が会社を休んだり半日休暇をとって、死刑執行をみて、日頃のストレスを発散させるのではないかと思います。

インターネットの利用者が政治的発言をして、無数の人たちの執拗な要求により、徐々に政党の存在の意義をなくし、国会の必要性がなくなり、ある意味では近未来の政治体制は「すべての国民が直接政治に参加できる直接民主政治」へと以降するのではないかと思います。

だから、日本が原爆所持の正当化とか、自衛隊の拡大化、そして最終的には極端な軍国主義国家になるのではないかと個人的に懸念します。


最後の予言とは、25世紀には人類は獣人化となり、自らの手で近代文明を破壊させ、その500年後に巨大彗星が地球に直撃して、人類が滅びると言うところで終るのです。

で、地下に避難して生き残った人類が、いつまでも幸せな生活を送るところで物語が終るのです。

追加事項ですが、

古代から近世までの世界のほとんどの国では死刑執行は、お祭りであり、庶民の娯楽だったのです。古代ローマでは、原始キリスト教徒をコロッセオで猛獣で食い殺されるのが娯楽でした。そのほかに十字架に貼り付けにされて火やぶりにするのを見て、当時のローマの市民のストレスを発散になったと思います。

中世では、かなり激痛が伴う拷問具や長期間激痛によって死ぬ死刑の道具がさまざま開発され続け、結果的には現代文明の原点にもなりました。その意味では中世は文明の暗黒時代でありながら、残忍な拷問や死刑の技術だけは進歩し、その技術が現代にも生かされているのです。

近世のヨーロッパでは、死刑囚がギロチンで首を切り落とされるのが行われると、全ての人が仕事をそっちのけにして、死刑執行を見学に来る。一種のお祭り騒ぎになりました。

で、近代になると、民主主義とか人権の尊重、人道主義の台頭により、公開死刑が行われなくなりました。

いつの時代も目の前で凶悪犯罪者が死ぬ事を見ることで、日頃のストレスが発散されるのです。







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ディストピア小説の書き方

ハードSFで最も簡単な分野は、未来社会を悲観したディストピア小説だと思います。

前回の日記に書いた「21世紀のバベルの塔」のような、無限の富をもつものが、政界や国家を乗っ取り独善的な法律をつくり、全ての国民を地獄の底に落とすと言う内容だけなら、口うるさいSFマニアの批判を受ける事はないと思います。

有名なのがジョージオーエルの近未来小説「1984年」で、権力の本質とは何だろうかということを率直に描いた作品です。オーエルはスペイン内乱でソ連の義勇軍に苦しめられた経験があり、ソ連批判を最初に行った作家です。ソ連の政治体制を動物でたとえる「動物農場」という作品も有名です。

戦後まもない頃に出版されえて、冷戦の始まり反共主義の台頭により、たちまちベストセラーになりました。

だから「1984年」という小説は、共産党が支配する極限的な管理社会にいる主人公の日常生活を描いたものであり、結果的には狡猾な秘密警察に国家反逆罪として捕らえられ、さまざまな拷問をさせられて、最後には耐えられないほどの強烈な恐怖の連続によって洗脳させられ、共産党に対して忠誠心をもち最後には銃殺されると言う話しです。

2度ほど映画化されましたが、カラー版の映画を見ましたが、内容が退屈な感じだったと思います。

ディストピア小説として、映画作品として比較的におもしろいくかんじたのは、「未来世紀ブラジル」「華氏451」で、同じように共産化した超管理社会の状況を伝えている作品です。
なお、まだ見たことも無い、また見る気も無いのはキューブリック監督の「時計仕掛けのオレンジ」ですが、あまりの暴力的な場面が多すぎるため、目を被いたくなる作品ではないかと思います。

要するに、現代社会にはひじょうに多くの不安材料が多々ありすぎて、SFの分野で最も簡単な分野、SF小説の初心者が書くものはディストピア小説ではないかと思います。
(お役所の超怠慢な姿勢とか、次第に狂信的なインターネットの利用者による法律改正論などがあり、将来的には法律は政治家が作るのではなく、インターネット利用者が自分にとて都合の良いものを作るものだと思います。結果的には人権侵害が多発し、現代の数倍もの人が自殺する世の中になり、ある意味では内戦よりも人命が保障されない社会になるのです。)

民主主義とか人道主義などは、大きな富をもつものによって簡単に抹殺させられてしまうことがあり、逆に一度、共産化すれば無数の人の流血がなければ、自由を取り戻せないのです。金がある人だけが正義ということです。

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極超高層ビルは21世紀のバベルの塔?

これは、くだらない話しだと思うので公開するのですが、

香港からきた元アイドル歌手が、日本発の女性総理大臣になり、極超高層ビルを建設するために、皇居を潰して、そこを土台にして権力の象徴として、高さ3万2千メートルの極超高層ビルを建てるという話しです。

近未来に細胞を捜査して若返りの技術により、大企業の幹部やや政界、法曹界などの億万長者がこぞっと、細胞改造を受けて若返り、寿命を1千2百歳まで延ばすのです。

極超高層ビルの素材は、カーボンナノチューブを大量生産させ、本来は軌道エレベーターの素材に使うのですが、カーボンナノチューブはアルミよりも軽く鋼鉄の10倍の硬さを持ち、極超高層ビルに1000メガトンの水爆の直撃や、6500万年前に地球に落下した隕石の直撃でも耐えられるので、地下に核シェルターを作るのはなく、超頑丈な極超高層ビルを核シェルターに使うのです。

皇居を潰て極超高層ビルを建造を反対する右翼団体を400万人もの特高警察が殲滅させ、反右翼法案を作り出し、右翼であるだけで「国家反逆罪」とみなされ、その場で銃殺される社会です。

司法も政治も教育や科学も、全て香港出身の日本発の女性総理大臣が支配する独裁政治社会で、特に「道徳遵守法」という法律で個人のパソコンやデジカメ・ビデオカメラの所有が違法化され、世界のインターネットの画像形式をjpegを厳禁にする国際法案を強引に進めるアグネス政権が執拗に要求し、日本が開発した世界基準の画像・動画形式でなけならないとインターネットの標準形式にすることを執拗に要求して世界の異端児になる日本。

またフィルムの国内生産や輸入を厳禁とし、フィルムを持つだけで簡単な裁判だけで完全終身刑にさせられ、日本各地には大規模な強制収容所があり、結婚も難易度が高い国家試験を受けないといけない、子供を産むのに2000万円の税金を納めないと人工中絶をさせられるため、日本は一気に極超高齢社会になるのです。

毎年、380万人もの高齢者が介護されないまま餓死する。
アニメ・漫画関係者は全て完全終身刑を言い渡し、大規模な強制収容所に収容させられる。収容所は、深さ2キロメートルの深い穴の底にあり、だれも収容所から出ることができないようになっている。

極超高層ビルの建設には、地上4000メートルからは酸素マスクを、30000メートル以上では与圧服を着て建設作業をするのです。

新自由主義社会の日本では経済格差がますます広がり、アメリカやサウジアラビアにいるような億万長者たちがたくさんおり、某アグネスという元アイドル歌手が多額のお金で政界を乗っ取り、自民党を買い取り、自民翼賛会を結成させ、自民翼賛会以外の政党は非合法にされ、結果的には、社民党や共産党の議員には死刑が判決され、国家権力で自民翼賛会以外の全ての政党や政治結社は非合法化されるのです。

宗教界でも、カトリックや東方正教会を含めたキリスト教会の強引な合併、キリスト教の頂点には「日本キリスト教婦人嬌風会」になり過剰なフェミニスト主義による新日本キリスト教団のみしかキリスト教信仰を一切認めない。

オタクの聖地である秋葉原周辺には、不浄の地とみなされ深さ1000メートルの穴をあけられる。結果的には総武線と山の手線は寸断され、中央線の始発は御茶ノ水駅になる。

また、ほとんどの一般庶民には貨幣や電子マネーを所有を許されず、政府が配給した食糧や衣服や住居など与えられるが。大部分の国民はそれぞれ不足したものを物々交換で生活しており、あまりにも官僚的な政策のために毎年豊作でも、食料がいきわたらないために毎年400万人もの人が餓死する。(食料の無駄使いが酷い)

結果的には、日本初の香港出身の女性総理大臣(終身制であり全国会議員よりもはるかに権力がある)が所有する高さ32000メートルの極超高層ビルに建設するのが一般庶民の唯一の希望であるが・・。

その労働状態とは一日20時間労働で休日はなく、仕事ができないと酸素マスクを取り外され高山病にさせられ、さらに高度30000メートルでは与圧服を着ないと、空気圧がとても低いので身体が破裂してしまうのです。

官僚主義的な食料調達制度では腐った食べ物しか手に入らず、極超高層ビルの建設をすれば、餓死だけは免れる。

毎日、スラム街化した日本中の都市には、テレビ放送は中止され、政府直営のテレビ局が街頭テレビで、たどたどしい日本語で話す女性総理の政見放送があり、「日本はセェカイ(世界)デェ最モ美しいクニィ(国)になりましタァ。」の聴き取り難い日本語での独善的な演説が毎日行われる。

国民の0.5パーセントが、貨幣を持ち海外の高級品を買いあさり、多くの家屋やビルを破壊させて、広大な敷地に大豪邸に暮らす。

新幹線の車両やジェット旅客機は個人所有になる。

極超高層ビルの頂上には、女性総理大臣の黄金の像(高さ40メートル)があり、その上から、冥王星へ向けて飛ぶロケットが打ち上げられ、秒速40キロの極超高速の無人探査機なので、僅か2年から5年で冥王星に到着し、日本国総理大臣のモニュメントが冥王星表面に落下させる。

大金持ちの芸能人が国を買うこともできると思うのです。

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SFは現実逃避なのか? 

最近は、うまく表現ができませんが、うつ状態になれてしまったか、抗うつ剤なしでも徐々に正常な生活ができつつある状態なのか、ブログを頻繁に更新できるようになりました。

酷い気分傷害の時はブログを更新する意欲もないです。

しつこいようですが、吾妻ひでお先生の「けいおん!」批判が物議をかもしたことですが、個人的には吾妻先生は天才であり現代の萌えアニメ・SF美少女アニメの始祖だと思うのですが、吾妻先生の「現実をみるのがそんなに嫌なのか」という発言が多くのブローガーに反感を持たれたのではないかと思います。

ようするに失踪したり自殺未遂やホームレスをしたり、挙句の果てには(ちゃんと漫画の連載の仕事があるのに)アルコール中毒になって精神病院に入院する人が、「現実逃避」という意見には全然説得力がないだけではなく、逆にいま流行のアニメである「けいおん!」をネットで無名で売れない漫画家が批判したのが、多くの人に強い反感を持ったのではないかと思います。

それによってSFは現実逃避の手段だと言われ、下手すればますますSF離れ科学離れが進むのではないかと思います。逆に言えば、夢がない刹那的な若者が増加すると思います。

「けいおん!」は、一部の人にとっては今年最悪のアニメと評されているが、その反対に「けいおん!」に影響されてギターが弾けないのに楽器を買う女子高生が多くいるというほどの反響があり、ある種の社会現象になっています。(高価なAKGのヘットフォンなど買う「けいおん!」ファンもいるのです。)

若者のSF離れの原因は、一癖もあるSFマニア同士によるSF作品批判本が売れており、柳田氏の「空想科学読本」で人気がある特撮やアニメの科学考察をおもしろく解説した本を、山本弘氏が「ここがへんだよ『空想科学読本』」で柳田氏の人格否定から攻撃的な文章で反論するのは、とても陰湿だと思います。

部外者からみれば、マニア同士の無益な争いに知性は全く感じられず、SFなんて所詮現実逃避ではないかということになるのです。

その状況下で、SFマニアの吾妻先生が「現実をみるのがそんなに嫌なのか」という発言に全然説得力も無く逆に強い反感を持たれたと思います。

吾妻先生が「けいおん!」を批判しないで、むしろ「涼宮ハルヒの憂鬱」を賞賛すれば良かったと思います。そもそもSFの定義は明確ではなく個人の好みによって、その範囲が人によって異なるので、ある人はSFは夢の分野だから、たとえば「銀河鉄道999」もSFだと言う人もいれば、全然科学考証を無視しているから「スペースオペラ」とか「ファンタジー」とみなす人もいるのです。だから、へんな言い方すれば、おもしろければ多少の科学考証が間違えても良いのではないかと思うのです。

SFマニアは、おもしろいとか夢があるだけでは物足りず、徹底した科学考証とリアリティを追求するのです。

「涼宮ハルヒ」シリーズは、SFの冬の時代に突如として現れた作品であり、ある意味ではSFの可能性と発展に貢献するものだと思います。
だから、吾妻先生が「ハルヒ」を賞賛すれば良かったのです。

要するに「涼宮ハルヒ」シリーズは吾妻先生の「スクラップ学園」に似た作品であり、原作者の谷川氏によってキャラ設定を「新世紀エヴァンゲリヲン」から、ちょっとパクリ、現代風にアレンジした作品だと思います。


自分がもしSFを描くとしたら、内容が暗いディストピア小説とか、地球人が悪者であり異星人の文明を破壊させるというものしか描けないと思います。
そもそもディストピア小説はアジア大陸の北の某国の日常生活をたんたんと描けば、それだけで立派なSFになるのです。

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最近、酷い鬱(うつ)になった原因は

自分にも責任があると思いますが、7月の初めごろに、ある知人と待ち合わせをしたが、自分が時間に遅れたので、携帯電話で遅れる事を連絡しようとしたら、相手側の携帯電話が全然繋がらない、次に連絡したら電源が落とされており、それが原因で酷い鬱状態に陥りました。

そもそも、6月あたりから仕事をしていないとか、お役所仕事の人から怒鳴りつけられられたり、精神科の先生からは「もっと仕事して頑張れ」と、かなり冷遇されたので、その頃の自分は社会に強い不満を持ちイライラが極地に達しており、真夜中にその事を思い出すだけで、怒鳴り声あげたい衝動に何十回もかられました。

とくに市役所の福祉課の保健士(若い女性)から、お説教という名目で長時間も怒鳴りつけられ、自分に対して敵意と軽蔑心が感じ取られるのです!

怒鳴りつかされると殺意を感じるのです。

その関係で、7月から10月までキリスト教会に通う元気がないのです。
というか、何もする意欲も無いのです。
で、精神科では、何度も「元気がなくなった。何もする意欲が無くなった。」というと、「頑張りが足りない」「自分で病気にしている。働けば元気になる」なんていうのです。それで抗うつ剤をださないのです。それを数ヶ月も続けているのです。

社会のシステムが先進国レベルでも、そのような仕事をする人の心は第四世界・かなり劣悪だと思うのです。

精神的に危なくなるのはテレビの討論番組で、8月14日の夜に日本は核兵器を持つべきなのかという右派・左派・専門家を交えての議論を見ていたけど、結局、国を動かす公務員ほど、「日本は今すぐ原子爆弾で武装するべきだ!!!」というヒステリックな公務員がいて、ある意味、あの人「逝っちゃっている」と思います。

その公務員の人の意見だと、平和のためでなく国家の威信のため、日本が原爆を持ち核実験すれば、国際社会で一人前にされると力説しているのです!

(個人的に自衛隊の軍拡をすれば、攻撃は最大の防御論で先制攻撃で北朝鮮に戦争をするのではないかと思うのです。自分たちが原爆を落とされたから、北朝鮮の人々の上に原爆を落とせば原爆被害者の気持ちが安らぐと言うのです。それこそ狂気と思える発想です。)

医師とか公務員などは、人生一度も自殺をしたいという経験を一切したことが無い人ばかりなので、毎日が愉快でしかたないのではないのでしょうか。それに、近所の笑い声などが大きすぎるので、イライラしたり寂しさを感じます。

特に金曜と土曜の夜などは、近所の部屋は宴会状態なのが解るのです。
大声で笑ったり、叫んだり、ベランダで携帯電話で深夜の2時半まで、若い女性が大きい声でベラベラ話したりで、その時は、怒鳴りつける気力も無い状態でした。

9月の末あたりから、胸の真ん中あたりがチクチク痛く感じ、それが強い痛みになることがあり、特に横になって寝るときとか座っている時など胸が痛くなるのです。心臓も激しい運動していないのにドキドキするのです。

強いストレスが続くと、一日中何もしないで寝ているだけになり、それが連日続くと、死にたくなるような気持ちになり、さらに、宗教的には自殺は最大の罪悪だと言われても、そんなことよりも自殺をするのも個人の自由だと言う考えがでてしまい、これは不味いと思って、教会に地を張ってでも通う気持ちになりました。

一人暮らしをで、ほとんど友達がいない状態ですと、一日中話しをすることがないので、久しぶりに教会に行ったとき、人と話しを長くすると、気分はスッキリするのですが口が疲れるのです。

些細なことでネガティブな思考になり、それがちょっとした事で、酷い鬱になる場合もあるのです。で、身体にも異常を来たすのです。


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現代の視点で吾妻ひでおの漫画を読むと コミカル・ファンタジー

アマゾンで買える作品を集めましたが、当時はSF・美少女の元祖・カリスマと呼ばれていましたが、現代の視点で見れば、SFというよりもファンタジーだと思います。

そもそも前回の日記に書いたように、吾妻先生は熱心なSFファンですがハードSFは一度も描いたことは無かったと思います。むしろコミカルなファンタジーにしか見えません。もっともSFらしいのは「不条理日記」というSF小説・SF映画・SF漫画のパロディをギャク漫画にしたものだけなんです。

で、集めて最も質が高いと思うのは、(これは自分の好みですが)「オリンポスのポロン」だと思います。毒(不条理ギャク)が最もないだけあって、初めて読んだ時は、別の作家の作品だと一瞬思えたのは、絵柄が「石森章太郎」に近く毒がないギャク漫画だからです。

ようするに「オリンポスのポロン」でテレビアニメになったから、その方向で行けば、もしかしたら失踪する事は無かったと思います。

かなり古い話しになるが、1970年代当初は、石森章太郎原作の「好き好き魔女先生」とか東映動画原作の「魔法使いチャッピー」など、ある意味では美味しい仕事を貰っていたので、漫画家なら商業的に考えれば、その路線で行けばよかったのではないかと思います。

あとは、吾妻先生の作品でテレビアニメ化しそうだったのが「ぶらっとバニー」で、ただし主人公が白目なのが、キャラクター的に問題ありということでアニメ化しませんでした。吾妻先生もバニーの弟をだしてアニメ化を狙ったのですが、思ったように行かなかったのです。

ようするに吾妻ひでお先生は商業漫画家ではなく、芸術家を自負しておりますので、あまり漫画で儲けるという発想は皆無だったのではないかと思います。

最も人気があり先生も描いて楽しいと思える作品は「ななこSOS」であり、テレビアニメにもなった作品です。「オリンポスのポロン」とか「ななこSOS」のような読者うけする楽しい作品を作り続けていたら、失踪する事は無かったと思います。

コミカルなファンタジー路線で行けばよかったと思います。

最近はネットで、吾妻先生のWeb漫画日記で「けいおん!」の批判をしたら、物議を出してしまいました。これが宮崎さんや富野さんが批判したなら、叩かれないと言う意見もありますが、その通りだと思います。要するに強烈な力を持ったアニメ界の巨匠が批判したなら、反感を持たないと思うのです。それがほとんど無名に近い売れない漫画家が批判したのが、いけなかったのです。



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そもそもSFというのは、科学の進歩にともない、時代が進むに従い科学考証でボロがでてしまう分野です。だからハミルトンの「キャプテン・フィチャー」シリーズはSFの名作といわれていましたが、いま読むと全然科学考証がなっていないのです。(その意味でスペースオペラはSFではないという意見も多々あるのです。)

要するにSF作品は時代とともに劣化する消耗品みたいなものだと思いますが、それでも現代の最先端科学の知識を活用して物語を作るのは、それだけ知識がないと描けないのです。

あとは国民的人気作品である「ウルトラマン」などは、放映当時はSF特撮番組と認識されていましたが、科学考証をすると、SFでなく怪獣物だとしか認識できないです。
(ウルトラマンの最終回で、ゼットンが発した火の玉が1兆度というのは、科学的に考えれば、強烈なγ線を発するので、地球上の全生命体は一瞬で即死なんです。たんなる火の玉と言えば良かったのです。)

SFはファンタジーの一種だと思います。

ようするに下手にSF作品だと言えば、口うるさいSFマニアが厳格な科学考証を持ち出して、「空想科学読本」みたいな本で粗探しをするのですから、作者が、たとえハードSFだと思っても、「これはあくまでもファンタジー作品ですよ」と強調するのが無難です。

それでもハードSFを称する作品を描くなら、ディストピア小説(超管理社会の全体主義国家の悲惨な生活を描いた作品)で、あまりSFの小道具(ロボットとか宇宙人や超能力など)を一切出さず、未来社会の悲惨な状況を描けば良いのです。

ハードSF=ディストピア小説と考えれば良いのです。

そもそも、北○鮮と言う国そのものが現実に存在するディストピア社会なのです。

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酒井法子への過剰報道への疑問

酒井法子失踪時から現在に至るまで、テレビを見るのもうんざりするほどの報道は、どう考えても異常だと思います。

仮に数十人もの人を殺害した凶悪犯なら、社会を震撼させたことになるから解るけど、懲役1年半の覚せい剤使用だけで、マスコミが馬鹿みたいに騒ぎ立てるのは異常だと思います。

たしかに、芸能界麻薬汚染の問題があり、芸能プロダクションの経営者を悩ませている大きな社会問題なのは解りますが、自分から見れば、これは弱いものイジメではないかと思います。

たぶん酒井法子の対人関係にも問題が多々あったかもしれないし、人気が高いわりにはマスコミ関係者の不評などもあり、酒井法子の芸能生活23年に鬱積したものが、一気に噴出したのではないかと思います。

自分も初めは、少しは同情的になっていたけど、毎日のように報道されると酒井法子が次第に嫌いになり、どうにでもなれと言う気持ちになりますが、無名の一般市民の覚せい剤に手をつけてしまった人たちと扱いが大きく異なり、ある意味では差別であり人権侵害だと思います。、

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1万年後の地球に存在する国家とは

キリストの再臨がいつ来るのか誰も予測できないのです。そんなに遠い未来ではないとおもうのですが、仮に人類が永遠と思えるほど地球に存続したとしたら、1万年後の未来に残存している国は、北朝鮮とイラ○と○○○アラ○アなど、国際社会の異端児であり、人権侵害が極めて激しい国、女性差別が酷い国だけが、今後1万年たっても微動だしないのではないかと思います。

だから、前回の日記で「未来人が現代社会へ何らかの影響を与える」ということも考えられると思います。

タイムマシーンの原理は、ブラックホールにわざと恒星間宇宙船を突入させて、時間が逆方向に向かうというのもありますが、もし宇宙船がブラックホールに入ると、遠くから見ると、止まったまま少しずつ宇宙船が赤く輝きだし、次第に宇宙船が暗くなりだし、すこしづつ半透明になって見えなくなるのではないかと思います。

ブラックホールの周囲には強烈な重力があるので、時間が遅く進むのです。

あとは、宇宙は謎だらけであり、宇宙の大部分がダークマターとかダークエネルギーがほとんどであり、目に見える輝く星は、ほんの数パーセントしかないのです。

ということは、まだ知られていない未知の物理法則も存在しており、新しい発見が宇宙物理学をひっくり返すこともあるので、もしかしたら、タイムマシーンも人類が発明できる可能性も僅かながらありえるのです。

未来に行くには、超高速の宇宙船に乗れば、ウラシマ効果で片道で未来へ行けるのですが、最も難しいのは過去に遡る事です。あとは、過去の地球があった場所に行くのですから、タイムマシーンは地上に固定させられると、過去に戻ると、宇宙の見知らぬ場所に穂織り出されるのです。だからタイムマシーンは恒星間宇宙船が必要不可欠です。

また、911同時多発テロでは、ニューヨーク周辺でUFOの目撃証言が多々あり、もしかしたら未来人が現代の歴史的瞬間を目撃したのではないかと推測します。

では、1万年後の世界とはどんな環境なのか、たぶん現代でも特異な国だけが国家として残存しており、それが1万年たっても頑なに社会そのものが全然変わっておらず、それ以外の国は、国家と言う概念さえなくなっていて、気が合う人たちが電脳ネットワークを作り出し、性格が似たもの同士が、集まる世界なのかもしれません。

精神的に低俗な人は、低俗な人同士がグループを作り集まり、精神的に高尚な人たちは、高尚な人たちがグループを作り集まるという社会になると思います。

また、もう一つ考え出せるのが、過度の情報化のため大部分の国が地球連邦に統合されるのではないかと思います。

なぜ地球連邦にほとんどの国が統合されるのか、人類が恒星間飛行をするには莫大な予算がかかり、また、ほぼ全世界の国が一致しないと宇宙開発が出来ないからだと思います。

宇宙進出した人類にとって、広大な全宇宙と比較すると地球は小さな生活領域でしかなく、1万年後の未来では国家とか国境という概念が古臭くなるのです。

そもそも100年後さえも、自分たちの世代には理解できない通用しない常識が多々あると思います。同じ日本語を使っても、無数の新語(単語)が作られるので、もし100年後の世界に行ったら、全然会話の内容が理解できないと思います。

たとえば、もし40年前の人がインターネットの話しを聞いても会話の内容が全然理解出来ないのと同じなのです。

1万年後の世界だと、1万年間頑なに伝統を守り続ける国もあれば、時代とともに変化し続ける国もあるわけです。

で、前回の日記で、なぜマイケルジャクソンが未来人から暗殺されたというのは、マイケルの巨大な財力で政界を牛耳るが、結果的には文明間の戦争がマイケルの手腕で解決して、結果的には中東の伝統的な生活をする人たちは、ほんの一握りになってしまって、1万年後には、全ての国は地球連邦に所属することになり、そのほんの一握りの人たちの価値観が踏みにじられ続ける歴史が1万年もつづくからです。

また、アフガン戦争がなければアフガンは100年後には自然消滅して、西欧文明の拠点になり、イラク戦争がなければ、次第にイラクが民主化して、周囲の中東諸国に影響与えるからです。

1万年後の極少数派があらゆる犠牲を乗り越えて、もしかしたらブラックホールとか未知の法則を使って現代へ来て、同時多発テロとかマイケルジャクソンを暗殺したと言う事も考えられるのです。

これは、SF的な考えなのですから、あまり本気にしないで欲しいと思います。



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異性を罵倒する言葉は「童貞」と「処女」

現代の日本ではフリーセックスを通り越し、婚前前にどれくらの異性と肉体関係を持ったかによって人間の価値観が決められる風潮があります。

異性と毎日のように性的交わりをする人は、多くの人から尊敬されるのです。それをmixiで自慢する馬鹿がたくさんいるのです。そもそもmixiは基本的人権否定と倫理観否定のSNSであり、悪質な2ちゃんねらーが、3つ以上のIDを習得するのは極当たり前の事です。

その結果、性の秩序が完璧に破壊された社会なので、結果的に少女漫画雑誌では、過激な性描写が多々あり、それを買うことが何のためらいもなく買えることが問題だと思います。ようするに、少女漫画雑誌を買えば性教育の一環になるというメリットがあるが、あくまでも性描写のみ固執しているので、ストーリーは何も無いのです。

特にネットで相手を罵倒することばで最も使われるのが「童貞」と言う言葉です。

逆に言えば男性の淫乱が、社会的に地位が高い人という誤解が多々あります。むしろ性病になったとか梅毒をもっていることを自慢するバカもいるのです。




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911同時多発テロとマイケルジャクソンの急死は未来人の仕業!?

現実の世界は無限の並行世界があり、もしかすればタイムマシーンが使える未来人によって、現代社会に影響を与える大事件たのではないか。その可能性は完全に0パーセントとは言いきれないと思います。

逆に言えば、ある説だと(全宇宙規模からみれば)人類の歴史は、まだ始まったばかりであり、1万年後でも20万年後でも人類が地球上に存在しており、そのまま科学が進歩すればタイムマシーンを発明して過去に影響を与えようと考える人たちがいると思います。

ようするに自分の価値観どおりの好ましい時代に住むためにタイムマシーンを利用するわけです。

と言う事は、アフガン戦争・イラク戦争がもし無い未来社会があったとしたら、またマイケルジャクソンが大統領になった未来世界への影響など、1万年後以降の未来の住む人にとって決して好ましくない時代に住んでおり、そのために現代にタイムスリップして、911事件とかマイケルジャクソン急死(未来人による暗殺)は未来人の仕業だと考えられるのです。

そのように考えるようになると、頭はSF脳でありるのではないかと思います。

SF脳で現代の世界情勢を考えると、アフガン戦争・イラク戦争は未来人によって引き起こされた歴史的事件であり、すでに過去の多くの歴史的事件は未来人によって何らかの影響を受けているのではないかと思います。

で、良く考えると、未来は人間の判断しだいで無限に存在するとなれば、現実とは何だろうか疑問に思うことがあります。

自分が良い未来を強く願うなら、良い未来の宇宙へと自分の意識が、それを認識し、暗黒の未来を悲観すれば、自分にとって都合の悪い未来へと意識が移動すると考えられます。そこに人間の自由意志の不思議さがあり、誤解されるかもしれないが、自分が「この世の中心」に似た世界観になるのではないかと思います。

ようするに、もし過去に賢明な選択した自分がいたとすれば、正しい判断や行動を起こした時点で、自分ではなく異世界の別人(性格や容姿がまったく同じでも別人)になるわけです。それを無限に分技するのが「自由意志」だと思います。

すなわち意識とは、無限に存在する並行宇宙を渡り歩くものだと思います。

説明するのは難しいと思いますが、怠惰というのは、意識のエントロピー(?)が高い状態だと思います。

エントロピーが高いほど、並行宇宙が発生率が低くなり、低いほど並行宇宙の発生率が高くなると考えられます。

上手に文章で表現できませんが、未来は神様によって完璧に固定されたものではなく、一つ一つの自由意志による選択の連続で、無限の未来があるということです。

その反対が運命論・宿命論であり、
全ての人の人生は無限の過去から無限の未来まで神様によって、運命が決められており、自分の思考による意思決定で行動しているように見えるが、実は全ては神様によって操られていると言う考えです。

一部のプロテスタント教会では、滅ぶ人は滅ぼされるために、この世に誕生し、救われる人は、救われるために、この世に誕生していると言うわけです。決して、自分の愚かさ弱さによって悪と滅びを刈り取るのではなく、悪を行う人は悪を行うように神さまによって創造されたという単純な思想です。

ようするに、宇宙論でも、無限の過去から無限の未来まで全宇宙は、永久不変ならわかりやすいのです。

キリスト教会ではビックバーン理論は認めておらず、天地創造は現代の科学では謎とみなす傾向があります。

タイムマシーンの発明は、ワープ航法と同じくらい難しいので、何か新しい法則が発見しない限り実用化するまで、1万年以上先になると思います。

911事件とかマイケルジャクソンの急死(未来人による暗殺)などは、未来人によって引き起こされたと言うSF的な発想できるわけです。






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吾妻ひでお「けいおん!」批判についての考察

吾妻ひでお先生が先月の公式ホームページでの漫画日記で物議となった発言がありました。

しだいに「吾妻」色が薄まるアニメ界に対する脅威を感じらっしゃっている。だが、吾妻ひでお先生が「SF美少女アニメ」「オタク」の教祖と呼ばれたのが、いまから三十数年前であるから、どんな天才でも時代の流れを止めることはできないです。

そもそも「けいおん!」というアニメは、同じ京都アニメション製作の「涼宮ハルヒの憂鬱」とは対極の性質である。

吾妻先生は「涼宮ハルヒ」シリーズなら大いに歓迎するが、「けいおん!」では、吾妻先生が求めている「ナンセンス」「ユーモア」「ギャク」「SF」という要素がなく、そのようなアニメを観ることで、自分の影響力が次第に衰退したという脅威を感じたかもしれません。

最近の漫画でもギャク漫画らしい絵柄を描く人が少なくなり、ギャク漫画でもアニメタッチのキャラデザインになったことは、ようするに「かつての『丸っこい手塚絵柄』の影響」が時代がたつにつれてなくなるようなものです。(その意味で絵柄では吾妻先生が手塚治虫絵柄を使った最後の作家でもあるのです。)

また吾妻先生の「スクラップ学園」という学園SFがなければ、もしかしたら「涼宮ハルヒ」シリーズも世に出てこなかったかもしれません。

「涼宮ハルヒ」シリーズは、始点の「スクラップ学園」から「ギャラクシー・トリッパー美葉」という作品を経由して出来上がった作品だと考えられます。だから、吾妻ひでお先生の「スクラップ学園」がなければ、「涼宮ハルヒ」という作品も出て来なかったと考えられます。

もし、吾妻ひでお先生が漫画家として存在しなかったら、21世紀の現代でも、少年SFヒーロー物が幅を利かせており、まして少女が主人公の作品はほとんどなく、また「萌え」「オタク」という単語も存在しなかったと思います。(その分、アニメ作品数が少なくなったかもしれない。)

吾妻先生が存在しない、「もし」と言うこと考えると、オタク不在のアニメ界は現代と大きく異なったものになり、(これは自分の想像だけど)「超人ロック」とか「地球(テラ)へ」など少年ヒーローものが国民的アニメになったと思います。

まして深夜アニメという概念さえ生まれてこなかったかもしれません。

で、スクラップ学園の単行本は現在、入手困難であり、復刻も期待できない状態になったのは、2006年にコンビニ向け単行本「スクラップ学園・天真爛漫編」が発売されましたが、ほとんど売れなかったので古本屋でも見るけるのは、かなり困難だと思います。秋田書店がちゃんとした形で、「スクラップ学園」を復刻してくれれば良かったと思うのです。

吾妻先生が二番目にお気に入り作品(1番お気に入りなのがテレビアニメになった「ななこSOS」で)なのが「スクラップ学園」であり、先生が求めている「ユーモア」「ナンセンス」「SF」「ギャク」などがたくさんつまった作品なんです。(吾妻先生は大のSFマニアですから、どんなかたちでもいいからSFになっていればいいのです。)

世代間の価値観がことなり、「けいおん!」がつまらないと思うのが、オヤジだといわれても仕方ないと思います。たしかに「けいおん!」は、後半だけ観たけど、大きな事件や山場、オチなどがなく、あまり面白くなかったと思います。

--------------------------------------------追加事項

アマゾンで買える作品を集めましたが、当時はSF・美少女の元祖・カリスマと呼ばれていましたが、現代の視点で見れば、SFというよりもファンタジーだと思います。

そもそも前回の日記に書いたように、吾妻先生は熱心なSFファンですがハードSFは一度も描いたことは無かったと思います。むしろコミカルなファン タジーにしか見えません。もっともSFらしいのは「不条理日記」というSF小説・SF映画・SF漫画のパロディをギャク漫画にしたものだけなんです。

で、集めて最も質が高いと思うのは、(これは自分の好みですが)「オリンポスのポロン」だと思います。毒(不条理ギャク)が最もないだけあって、初めて読んだ時は、別の作家の作品だと一瞬思えたのは、絵柄が「石森章太郎」に近く毒がないギャク漫画だからです。

ようするに「オリンポスのポロン」でテレビアニメになったから、その方向で行けば、もしかしたら失踪する事は無かったと思います。

かなり古い話しになるが、1970年代当初は、石森章太郎原作の「好き好き魔女先生」とか東映動画原作の「魔法使いチャッピー」など、ある意味では美味しい仕事を貰っていたので、漫画家なら商業的に考えれば、その路線で行けばよかったのではないかと思います。

あとは、吾妻先生の作品でテレビアニメ化しそうだったのが「ぶらっとバニー」で、ただし主人公が白目なのが、キャラクター的に問題ありということでアニメ化しませんでした。吾妻先生もバニーの弟をだしてアニメ化を狙ったのですが、思ったように行かなかったのです。

ようするに吾妻ひでお先生は商業漫画家ではなく、芸術家を自負しておりますので、あまり漫画で儲けるという発想は皆無だったのではないかと思います。

最も人気があり先生も描いて楽しいと思える作品は「ななこSOS」であり、テレビアニメにもなった作品です。「オリンポスのポロン」とか「ななこSOS」のような読者うけする楽しい作品を作り続けていたら、失踪する事は無かったと思います。

コミカルなファンタジー路線で行けばよかったと思います。

最近はネットで、吾妻先生のWeb漫画日記で「けいおん!」の批判をしたら、物議を出してしまいました。これが宮崎さんや富野さんが批判したなら、 叩かれないと言う意見もありますが、その通りだと思います。要するに強烈な力を持ったアニメ界の巨匠が批判したなら、反感を持たないと思うのです。それが ほとんど無名に近い売れない漫画家が批判したのが、いけなかったのです。

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吾妻ひでお先生が失踪した遠因は「ふたりと5人」という作品を書くように強要され続けたから

6月末から体調を悪化したためブログを更新できませんでした

吾妻先生ほど、自分の作品で弱音を吐く作家は珍しく、その遠因を考えたら、1972年から76年まで少年チャンピオン連載した「ふたりと5人」というギャク漫画ではないかと思います。

描きたいものが描けないというのは、作家としてかなり精神的苦痛らしいです。

個人的には「ふたりと5人」は駄作だと思うのは、その作品の記憶が全然無く、むしろ別の作家のギャク漫画「がきデカ」を少し覚えているくらいで、同じシモネタを扱う漫画でも面白さがぜんぜん違うのです。

なんというか、70年代の少年キングに連載された「おそまつくん」なども、とてもつまらなくて途中で読むのをやめるほどなんです。その作品と同じレベルだった思うので、なぜ「ふたりと5人」がこんなに人気あるのか子ども心に不思議に思いました。

吾妻先生も「ふたりと5人」に関しては、やる気なしなのです。だから、読むほうも面白く感じないのです。漫画家の場合は、ネーム(シナリオ)を出版社の編集者に送り、それを編集者が勝手に書き直したものを、漫画の原稿にするのです。

吾妻先生も何度も連載を中止してくれと懇願したが、人気がなくなったときに急に連載を中止し、その後に「みだれモコ」を描いたら、わずか6回で連載終了。

1979年に「シャン・キャット」を連載させたら、これもわずか5回で連載終了で、それ以降、すべてがマイナー誌への連載に至りました。結果的に自由に作品を描けるようになり、結果的には、当時の基準では傑作を多くつくり、吾妻先生の人気がうなぎのぼりになりました。

1980年当時には約30もの吾妻先生のファンクラブがあり、実は人気が出たことが、ファンの期待を裏切らないようにと思って、それがプレッシャーになッ他のではないかと思います。

人気がでたときには、既に仕事が嫌いになり、「ふたりと5人」を描いていた当時に、既に「うつ病」が発生したのではないかと思います。うつ病の原因は、編集者たちの過剰なプレッシャーがあり、最盛期には、多くのファンクラブができてしまって、期待を裏切らないようにと言うプレッシャーが、鬱を酷くさせ、次第に仕事に対する拒絶反応が酷くなったと思います。

というか、多くのギャク漫画家は自殺が多いのです。
最近、名前を聞かなくなったなと思う作家がいれば、たいていは自殺したということになるのです。

その意味では、最近の少女漫画の性的表現が成人向けアダルト作品よりも過激になったのは、少年誌やアダルト雑誌にはフェミニスト団体や教育団体の圧力が強く働き、まさかと思うところ、それらの団体の死角である「少女漫画」などにかなり過激な性表現を載せるのですが、実は、性表現のみだけに特質してしまい、内容が全くなくなってしまったのです。

ようするに何も考えず(頭脳を使う領域を少なくするため性表現のみ)漫画を描くほうが楽なんです。感動させる漫画は比較的に出来るが、人を笑わせる作品を作るのはとても難しいことなんです。

だから、徐々にギャク漫画という分野は無くなっていくのではないかと思います。

また漫画を描くのが好きな人は、あえてプロになろうとせず同人誌で自分が描きたい物を描く作家が増えると思います。

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死刑制度の残忍さについて

現在の日本では死刑制度の賛成率は85パーセント以上であり、ネットで下手に「死刑廃止」と言えば確実に炎上(避難轟々状態)になるのがオチです。

日本で死刑制度廃止は今世紀中には確実に無理であり、22世紀中になり社会そのものがたぶん大きく変化すると思うので、その時代まで死刑制度は確実に残ると思います。

ようするに中華人民共和国や北朝鮮でも死刑制度廃止しても、一応は民主主義国家としてみられている日本では絶対に廃止はできない死刑制度廃止なんてことがあったら大暴動は確実に起きます!

ネットを調べると、情状酌量の余地一切ない極悪非道な犯罪者ほど、拘置所生活は悲惨なものであり、死刑判決がでてから、いつ自分が死刑を執行されるか一切しらされないのです。

早い人なら1年以内に、遅い人の場合は20年以上先になるのです。

「死の恐怖」と「潜在的な罪悪感」のため、かなり重い統合失調症になる受刑者が多くおり、自分の枕元に人が立っているとか、目を覚ますと自分が殺した被害者が睨んでいるという幻覚を何十回も見て、恐怖のために叫び声をあげ、それを放置したら、食糞をしたり、自分の身体に傷を負わせたり、一晩中ブツブツ独り言を喋ったりして、昼夜が逆転してしまうのです。

受刑者の精神が拘置所内で崩壊し、結局は警察署推薦の精神病院に強制入院させられ、幻聴や幻覚などの症状が収まった時点で拘置所に戻され、元のように「死と罪悪感」という恐怖に悩み続けるのです。

また、死刑執行直前には、約70パーセントの死刑囚が馬鹿力で抵抗して暴れ周り、拘置所職員を殴ったり蹴ったり大声で怒鳴りつけたりしながら暴れ周り、刑務官10名くらいで死死刑囚を強制的に押さえつけて首に縄をかけ、落とされるのです。落とされると首に強烈な衝撃があり首の骨が折れたりします。地下にいる職員がぶらぶらした死刑囚を押さえつけ、二名以上の医師がストップウォッチで時間を計り、死亡するまでには短くても20分かかり、完全に心臓停止してからさらに15分以上所吊り下げておくのです。

よく死刑執行のビデオや本では、執行直前に教戒師(神父・牧師・お坊さんなど)に最後の祈りをささげて、親族宛てに手紙を書き、最期のタバコを吸い、目隠しされ両手に手錠をされて素直に絞首刑をされるのは、ほとんどなく、たいていの場合、死刑囚が暴れ刑務官の顔を思い切り殴ったり、蹴り罵倒するので、死刑を行うと必ず怪我人がでてくるのです。

死刑を受けるのは自分は運が悪いからということで、死刑囚には罪悪感が皆無であり、それが凶悪であればあるほど罪悪感がないのです。その罪悪感や反省の意識があれば大人しく死刑を受けるが、それがないから死刑囚が死刑直前に暴れまわるのです。

世論では、死刑の生中継をして欲しいとか、ネットで流してもらいたいとか言いますが、暴れまわる死刑囚を見せて、

そして死刑囚をおろした時に、

からだのあらゆる穴から体液や汚物がでてくるのを放映すれば、逆に死刑制度の見直し論へと変わるから、死刑執行を撮影しないと思うのです。

宮崎勤の連続幼女殺人事件を10年早く行っていたら、宮崎は今頃、釈放されて死刑を免れていると思います。

1980年に新宿バス放火事件の犯人は、軽度の統合失調症だけで一切の刑事責任を否定され不起訴で保釈されたが、その十数年後に罪悪感に悩まされ続けたために自殺しました。

個人的には、女子高生コンクリート殺人事件の犯人や関係者は全員、「情状の余地一切無し死刑確定」ということを強く望んでいたにもかかわらず、少年法があるから死刑にできない。関係者全てを死刑にしなければ、この事件は永遠に解決し無いのです!

コンクリート事件は凶悪犯罪として人類が存続する限り永遠に語り継がれるのです。

残忍な猟奇犯罪者をかばう弁護士の力が強すぎたため、犯罪被害者の遺族の人権を踏みにじみ続けたのも死刑制度存続論になるのです。


だから日本の犯罪の特徴は猟奇的で残酷な犯罪の比率が国際的にみて極めて多い。犯罪被害者遺族の悔しさが先にたつので、死刑制度存続論は今世紀中でも根強く残ると思います。



あるモルモン教の弁護士は、目の前で自分の娘や息子が殺されても、その犯罪者を弁護する。そのような人間を赦すというが、人間はか弱い存在だから、口先だけではそんなこと言えるが、そんな人間ほど教団内の些細な摩擦があれば、些細なことで傷つけた相手を憎むのではないかと思います。そのような偽善的な言い方をする人の意見は一切信用できません。


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吾妻ひでおはSFアニメの教祖なのか?

最近思うことですが、吾妻ひでおの漫画を良く読みます。
なんと吾妻ひでおの黄金時代とモルモン教の狂乱のバプテスマ(入信の強要)の時期がほとんど同じというのです。1978年から1983年までの5年間です。

また、吾妻ひでお先生のファンクラブが、大小30くらいあり、当時の本屋で漫画の立ち読みをすると、かならず吾妻ひでおの漫画をみかけるのです。吾妻先生は元祖オタクの教祖であり、DAICON3/4のオープニングにも影響を多々与え、最も影響を受けたのがGAINAXの庵野さんなんです。(現在は「カラー」というエヴァンゲリオンの映画専門の会社を設立しています。)また、吾妻先生がモルモン教の宣教師に声かけられたときに、「オーソン・スコット・ガードという作家を知らないか?」と質問したら、宣教師は「?」なので「モルモン教のSF作家だよ」とおっしゃりました。

吾妻先生の失踪・自殺未遂などがあり、もし自殺が成功したら「消えたまんが家」という本に載せられるところでした。

ようするに、1985年以降から作品には多くのファンからプレッシャーのため完璧主義になり性格が粗暴になり、ファンクラブと喧嘩したり、出版社の編集者と喧嘩したり、アルコールが入ると友人にからみつき、友達を多く失い、仕事もほとんどなくなったためアシスタントも辞めてしまいました。(ななこSOS3巻・ハヤカワ文庫版より)

そのため、アルコール中毒(ひきこもり生活)と、重いうつ病にかかり89年11月に自殺未遂。その後、ホームレスになりました。

その辺のことは「失踪日記」で詳しく書かれているので、読んでみる価値があります。

うつ病になる人は、他人には理解できない何らかの理由があり、世間的な正義感で、その人を判断できないです。人間の心理は宇宙の謎と同じくらい深いものがあるからです。

吾妻先生の作品を21世紀になって読んで見ると、SF漫画・美少女・ギャク漫画のカリスマといわれますが、SFの分野においては、社会風刺やハードSFは一切無く、むしろ現在の視点で見れば「ファンタジー」「ホラー」「スペースオペラ」をギャク漫画にしたものがほとんどです。

あえてSFらしいSFは、「不条理日記」で有名無名のSF作品のパロディをギャク漫画で表現しており、SF作品をほとんど知らない人でも笑えます。

SFというジャンルは、大部分が「ファンタジー」や「スペースオペラ」という別のジャンルに区別され、現代科学に正確な作品のみがSFであり、それ以外は別のジャンル「ファンタジー」とみなされています。

ましてSF小説を書くには、現代科学(一般性相対性理論・ホーキング博士の理論など)に熟知しなければなりません。自分ではハードSFを書いたつもりが、と学会で「トンデモ本」扱いされる場合があるからです。

話しは戻って、吾妻ひでお先生はSF作品に熟知したかたですが、先生そのものがSF(?不条理)思考なので、一般の人には理解できない行動をする。だから、お金に困って無くても、奥さんや子どもがいても、追い詰められたら逃げてしまうのです。

吾妻先生のことは吾妻先生にしか理解できず、家庭を捨てて逃げ出すなんて卑怯だというのは、それはあまりにも酷で厳格な感情論だと思います。

吾妻先生がいなければ、現代のオタクの世界観は全然違ったものになったか、もしかしたら90年代にオタク界が自然消滅したかもしれません。その意味では吾妻先生は偉大な漫画家だと思います。

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スピチュアリティの発達がキリスト教伝道を

現在、キリスト教では三大異端問題などに囚われてしまい、最近流行のスピチュアリティ(スピチュアル)に対して無関心ではないかと思います。それが日本のキリスト教伝道の特異点だと思います。

スピチュアリティに影響されたクリスチャンもたぶんいるかもしれません。
自分が通う保守的なキリスト教会ではほとんど無いと思えるが、他の教派、特にリベラルな教会のクリスチャンが、あまりにも寛容に何事も受け入れてしまいスピチュアリティやヒューマニズム、それにニューエイジ運動など教会内に潜伏させてしまうのです。

ある意味、パソコンに入ったウィルスみたいな存在であり、教会とは無関係なら問題ないが、キリスト教と融合すると異端化する危険性が多々あります。

近年、日本伝道が虚しいと言う米国の教会の意見が多々あり、ある意味では日本という国に無関心、まして日本文化(古典芸能からアニメまで)には無知であり、そのような人たちがいきなり日本に来ても、自分が思ったものと全然違う環境を見たら、強烈なカルチャーショックを受けると思います。

米国から最近のキリスト教会に何故か宣教師が送り込まれないのは円高だけではなく、日本文化に無知で無関心であることと、それを東欧やアフリカと同じやり方でやろうとするから実を結ばないのではないかと思うのです。

日本人の文化を理解しないと日本人の国民性が理解できず、特にキーワードになるのがオウム真理教の地下鉄サリン事件で、日本人が組織化を忌み嫌う民族になった事を米国人は知らないからです。

スピチュアリティは組織化していない宗教であり、ある意味では『(内村鑑三の)無教会』に近い精神世界・自己啓発活動だと思います。

「宗教」というものを忌み嫌う民族に、「しゅうきょう」的なキリスト教が日本に入り込むことは、とても難しいことだと思います。

ある説だと潜在的クリスチャン(隠れキリスタンみたいな人たちではなく)は日本には6パーセントあり、実質的クリスチャン人口の10倍は存在しているのは、インターネットの発達による個人礼拝だと思います。あくまでも個人礼拝なので宗教活動とは思えず、別の言い方すれば「キリスト教オタク」「キリスト教シンパ」だと思います。

h ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/ownrighteousness.html

そのような人たちが、大なり小なりの組織に組み込むのが日本の伝道のあり方ではないかと思います。

人間関係がどうしてもダメだというなら、大きい教会のセルグループの活動だけ参加するのも良いのではないかと思います。

検索してどこが教会員数が多い教会なのか確認して、その教会でセルグループ(セル教会)を行っているのか調べて見るのも良いと思います。

20世紀の日本のキリスト教会では、近所の教会に行くのが当たり前でしたが、近年は教会まで30分から1時間も時間をかけて通うクリスチャンも多くなりました。

日本の主要都市の教会員が多いキリスト教会に通い、そのなかでセルグループを行っている教会に通うのがお勧めだと思います。

で、セルグループ(セル教会)とは、ひとつのキリスト教会内に「地域ごと」「世代ごと」などで幾つかのグループに別けて、月に一度くらいは活動する細分化された教会のことです。サークル活動のような感覚で気を使わずに通えるのが特徴だと思います。

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セルグループについて詳しい情報

別のグループのキリスト教界なので直接リンクできないのですが以下のURLを参考にしてください。

 h ttp://midori.church.jp/CellGroup1.htm




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モルモン教とキリスト教は全然違うということ!

このブログにかかれたことは大部分が自分の目から見た、個人的なフィルターが強いので、他の人では、また、違うように感じられると思います。

キリスト教は、よく「宗教ではない」と言われています。正確に言えば、「現世利益を求める。ご利益宗教ではない。」です。そのためか益々生活が困窮する現代社会では、むしろキリスト教には眼中が無く、スピリチュアルなど組織化していない宗教が流行っています。

なぜ組織化が嫌がるのか、それはオウム真理教など反社会的カルト宗教を忌み嫌う傾向が社会にもあり、組織化されず、本一冊でも宗教ができるスピチュアルが宗教として、キリスト教的な表現で言えば「リバイバル」状態なのです。すでに精神世界に世間は覚醒したと思うのです。

キリスト教が何故、西洋の古代社会や日本では戦国時代に急激に広まったのか?これは自分の考えですが、社会全体が殺伐としており非人道的な行為が当たり前の暗黒の世界に、キリスト教という善意の光が差し込んだのです。それで人々の良心に刺激を与え、キリスト教の福音が一気に広まったと思うのです。

現代だとキリスト教的な理想論を言っても誰も見向きしないのが現状です。
が、なぜテロがおきるのか?なにが正義なのかというグローバルな視点で考えると、聖書の知識が無いと世界情勢は理解できないのです。

モルモン教ではグローバルな視点というよりも、むしろ興味本位の神秘主義や終末論が主体になり、または、永遠の家族という目標のために、恋愛至上主義に偏る傾向があります。
モルモンというとアメリカ文化・英会話・モルモン信者同士の恋愛・信者同士の結束・たのしいイベントなど、ポジティブなイメージがありキリスト教にはない概念が多々あるのです。

では、自分がちゃんとした(?)クリスチャンを一年以上続けて感じたことは、純粋な意味での神様への愛、または畏敬の概念だけだと思います。それだけで十分すぎるほど奥が深いと思うのです。

簡単に言えば人間と神様との関係だと思います。

それにモルモン教では何となく勝ち組の宗教というイメージが強く、夫婦そろってモルモンだけではなく、一族全部がモルモンも日本でも珍しくないです。なんというかモルモン教は人を選ぶ宗教であり、「召されるものは多いけど選ばれるものは少ない」という言葉が最も的を得た言葉だと思うのです。

モルモン教を2時間で語るには、モルモン教の教義云々の説明よりも、「サタディウォーリアー(土曜の戦士)」という演劇を一回見るだけで十分モルモニズムが誰でも理解できると思うのです。

ただし、近年の組織化した宗教への嫌悪感と、一切の犠牲を必要としない完全なご利益主義などがあり、極論を言えば、スピチュアルの知識さえ吸収すれば将来に希望を持てるのです。キリスト教は現在流行のスピチュアルと正反対だと思えば良いのです。多かれ少なかれ組織化しているし、人間関係もあるし、儀式もある。聖書という唯一の正典が権威があるのです。そして献金を収めるのは教会への寄付ではなく、神様への捧げものなのです。

宗教法人だとどのようなところでも大なり小なりの他者からみれば洗脳行為と思われるようにみえるのです。

自分にはモルモニズムは無理だとトコトン思い知らされたので、仮にモルモン教信者同士の結婚があっても、鬱病では途中で挫折するのが火を見るよりも明らかなのです。






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過去は永遠に戻らない いま考えてみるとモルモン教とは

過去のモルモン教は、たしかにイベントが多くありましたが、次第に面白くなくなったのは、独身成人(青年会)の年齢では次第に自分が年長者になり話が合わなくなったからです。

まして長活発会員の姉妹たちは完全無視ですから、女らしさを感じられないようなモルモン教の道徳の基準。そもそも道徳の基準と言うのは個人個人が異なるのでそれを全員一致でみな同じ基準にすること事態が(全体)共産主義的な発想だと思います。

人それぞれ立場があり、なかなか直せない悪い習慣や趣向などもあり、周囲がその人をコントロールするほど磁石の反発作用みたいに逆効果になることが多々あります。

今の自分の状況になったのも、自分の個性否定の結果だと思います。
個性の否定、その人の価値観の否定は、結果的には悪癖しかなく結果的には、そのように育てた本人が苦労を強いられる場合があるのです。

最近、無差別殺人事件が多々あるのは、その人らしさを否定して、まったく違う個性へと強制的に改造する事で、結果的には無差別殺人犯になるのです。

第一、全ての人が全ての人に好まれる個性にしたら人間が人間ではなくなりロボットよりもロボットらしい存在になってしまい、単なる生きた機械でしかなら無いのです。

「教会の標準」というのは結果的には、その人の個性を完全に否定するので、その反動は時間がたてばたつほど、反作用が強くなると思います。


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教会公式サイトは誰のものではなく教会のものである

個人的には教会公式サイトは、やる気があり相応しい人なら誰でも良いと思います。
その意味では教会員であるなし関係ないと思います。

ひとつは、この責任を楽しく喜びを持って行えることです。その意味では技術よりも意欲が重要だと思います。

もう一つは責任者を明確化させることです。

その意味では、「○○の責任には負担となる」と考えるようですなら、その人に相応しくない責任なんだと思います。

その意味では躓きにならないように、十分気をつけるべきだと自分はそのように思います。

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モルモン教のキャンプ(?)SAキャンプ実行委員をして

今考えると完璧な闇状態だったと思うのは、自分に責任を押し付けて、独身成人の代表が頻繁に口出しすることです。次年度(1995年)の実行委員は自分とは性格が違うので、頻繁に口出しする独身成人代表に対して、怒りをあらわにして、ぶち切れました。

目立たない奉仕活動は人からはなかなか認められない。神様しか知らないものが多々ある反面、逆に言えば上記のように一生懸命やっても文句を言われること無いのでストレスを最も感じないからです。

奉仕で重要なのは喜びを持ってできるかできないかしかなく、それ以外はありえないのです。それ以外だと自己顕示欲か、それとも自分の夢をかなえるための裏心なのかしかないと思います。



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SF中毒はモルモンの影響?

1990年代は神秘主義に傾向してしまい、ファンタジーやSFなどに興味を持ち、結果的にはSF中毒になりました。で、実は宇宙開発に興味を持ち熱力学や一般性相対性理論などの知識が入り込み、さらに政治思想にも興味をもち、自分の人生で最も大きな影響を及ぼしたのが、ジョージオーゥエルの近未来小説「1984年」です。

「1984年」という映画を観て、何となくモルモン教的な共産主義支配が感じられ、そんなふうに人間を支配する事が神様のみこころなのか?と疑問に思ってから数年もの時間がかかりました。

1997年に自分の頭の中でSFバブルになりました。

結果的に知人が酷い鬱病にかかり、もともとは熱心な信者でしたが、いろいろとあり、過剰な律法主義は人間をおかしくさせると思い、自分の中に自由主義的な思想が浸透しモルモン教の戒律をある程度は破ることになりました。

モルモンなんだけどコーヒーを飲む、日曜日(安息日)には買い物をする。

さらに日曜礼拝の証会で、人前で話をすることを止めたとき(1996年5月が最後)じわじわとモルモン教信仰が弱体化し始めました。

1980年代の自分は絶対にモルモンを辞めないと考えていたが、それは、楽しい時間を過ごせる仲間がたくさんいたから。その仲間も結婚や転勤でいなくなり、まして、後輩の教会員から自分のプライドを傷つけられ続けると、過度のストレスを感じて日曜日に教会に行くのがたまにしか行かない。具体的には月に2度しか行かない。

一切の教会の奉仕を勧められても断りました。

精神的暗黒時代といえるのは、80年代にあったような喜びを感じられない。なにか虚しさを感じる。モルモン教会に通うくらいなら自分の部屋の中で好きな事をすれば良いと考え、次第に日曜日にいろんなところに遊びに行く習慣が出来てしまいました。

で、そんな状態で同時に熱心なモルモン教の女性の結婚相手を探さないといけないという矛盾がありました

とにかく今もいろんなことで悩みがあったが、当時は今以上ストレスを感じており、それが不眠や鬱の原因になったと思います。

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復元イエスキリスト教会について

世田谷の成城に教会があるのが復元イエスキリスト教会です。

1998年2月1日に行ったことがあり、普通のプロテスタントの教会と全く同じです。礼拝が終わった後にコーヒーを飲み、例のインデペンデンス地方の大聖堂(神殿)の大きな写真がありました。

記憶によると日本人の牧師さんとお話しをしました。説教が英語と日本語で行われているのですが、自分が行ったときには、英語を母国語にする人が説教して、日本人の牧師が日本語に訳すと言う形です。礼拝に来る人の半分が日本人で半分がアメリカ人(白人)だったと思います。

復元イエスキリスト教会の歴史は元々はモルモン教のコピーみたいなものであり、教祖はジョセフスミス3世とジョセフ2世の妻エマスミスが始めた宗教団体で、北米を中心に信者が現在では約30万人もいる教団です。なお、近年では宗教団体名を変え「コミュニティクライスト(キリスト共同体)」となり、さらに復元教会の保守的な人々だけ数千人が「復元末日聖徒イエスキリスト教会」と名乗っているのです。

復元イエスキリスト教会は、リベラルな聖書解釈などがあり、個々人の信仰の自由を強調したため、モルモン色がなくなり、そのためジョセフスミスが書き上げた「モルモン経(モルモン書)」をほとんど使わなくなりました。

普通のプロテスタントというが、ある信者のサイトではブッタの教えも大事だというので、かなりリベラルになりすぎているのではないかと思います。それにあまり伝道活動をしないため(日本での伝道は1960年より)東京の成城と沖縄にしか支部教会がなく、日本国内の教会員もおよそ30人から50人しかいないようです。

モルモン教と大きく異なり、コーヒーやアルコールを飲んでも咎められない、什分の一献金の義務もない。

こんなに自由な宗教なら楽に続けられるので、そちらに入信すれば良いのではないかと考えますが、当時の自分としてはカルチャーショックを受けるほど、自由すぎるので距離も遠いのもあり、自分が通う教会として選ばなかったです。



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教会員生活とは

教会から離れる人は、自分が求めているものが得られない場合で離れるとか、長期に続く試練に負けてしまうなど、人によってそれぞれ違うと思います。

当然、教会から離れた人を不当に裁く権利はクリスチャンにはありません。

このブログは、メモ書き帳を一般公開形式であり極めて私的な内容ですから、社会的なことから、信仰まで統一したテーマがありません。

で、セカンドエディションというサイトに、信仰生活を中心としたブログも運営しています。

どこの教会なのか具体的にわかってしまうので、今のところはお伝えしなです。


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mixiは二つの流れが在る/神様の栄光を求める信仰

今まで散々、mixiのネガティブな内容を書き込んでいましたが、実はノンポリな人々もいるので友達同士の連絡用に使う場合もあります。

また、アマチュア無線と同じで知らない人と文字で会話するだけで十分の人もいるのです。

たしかにmixiをみると愚衆主義的な雰囲気があるのは、たいていは18歳から35歳までの青年がほとんどであり、ある意味では苦労知らずだから、厳格なことをいくらでも言えるのです。若いうちは職業をえり好みできるし、不況でも一部の人は安定した地位にいるが、実は、人間は嫉妬の塊なので、幸福そうな人を見るだけでイライラする、その人に殺意さえ感じる。
だから自分にあとでどんなに酷いしっぺ返しが着ても良いから、とにかくあいつを地獄の苦しみに落としてやりたいと念じるのです。

遇衆主義者と無思想な人とは、何処で別れるのか、嫉妬深さからだと思います。
人の不幸の話しを聴いて喜ぶ人が、けっこう過激な意見、たとえば安楽死施設を日本中に作って死にたい人に安楽な自殺の権利を強く主張するとか、ホームレスや障がい者を一人残らず、いや仕事もできない人も強制的に安楽死施設で殺す事を求める意見が多いです。

そのような過激な意見があるか、秋葉原無差別殺人事件が起きたのではないかと思います。なにもmixiだけではなく、2ちゃんねるやケータイサイトの掲示板などでも、過激な意見が多数あるのです。

そもそも日本が民主化はアメリカが強制的に行い、歴史的にまだ浅い未熟ですから、民主主義というよりも偶衆主義とか多数専制政治に陥りやすいのです。

その意味では、エリート専制政治(独裁制)のほうがマシではないかという意見があるが、良い独裁者は極少数だと思います。独裁制だと反抗勢力との血なまぐさい戦いになるので、やはり近代的な議会政治を行い、徐々に民主化を行う、それに人権について啓蒙運動をするべきだと思います。

日本が本当の民主主義国家になるにはあと40年はかかると思います。



それから、献金については日頃の感謝の気持ちを捧げる事が本来の献金のあり方だと思います。まちがえても何か仕事が上手く行くように願う気持ちで十分の一献金をするのは、不純な気持ちだと思います。

むしろ仕事に不満を持ちながら十分の一献金をしても、裏心があれば、現実としてあまり環境の改善に期待できないと思います。

神様に対する愛が必要であり、神様を皆で礼拝するために教会があり、教会とは建物ではなくクリスチャンの集まりなので、一人一人のクリスチャンが教会の一部なのです。

たしかに教会が困窮したら初めのうちは、皆が教会のためにいつもよりも多く献金する意欲が起きるが、それが、しばらく今までどおりになると、今までのやり方の献金になると思います。だから、教会のためではなく、神様への感謝の気持ちの捧げ物、純粋な気持ちで収入の一部をお返しする事だと思います。

極端な言い方すれば誰も献金しなくなれば、教会は運営できなくなります。教会が運営できるために献金を捧げるのも一理ありますが、教会は伝道者家族のものではなく神様のものですから、神様の栄光のために捧げるべきだと思います。

単純に言えば、教会員の人数が一人でも多くなれば、それだけ献金の金額が増えるのから伝道が大事ではなく、真理を伝えることで一人でも多くの人が魂が救われる事が重要なのです。

厳しい言い方すれば、ほとんどの教会員が純粋な気持ちで十分の一献金をすれば、教会が祝福されて、逆に言えば、教会員の数も増える。だから、教会から離れる人も少なくなるから必然的に日曜礼拝の出席者も増える。

教会員が増えれば、それだけ楽しいイベントも増えるので、信仰生活も活気あるものになり、若い人たちも自然と集まるようになると思います。

十分の一献金は強いられて行うものではなく、自主的に純粋な気持ちで行わないとならないと思います。

理想論になりましたが、とにかく言うのは簡単ですが行うのは難しいと思います。

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教会年報と公式サイトについて

今年も教会年報を作ることになりますが、まず初めに計画を立てて段取りから始める必要があります。

まず何を準備するのか、話し合う前にメモをしておくことです。

事前に報告をすることと、それから、原稿用紙とか原稿を送るメールアドレスを公開することも重要だと思います。年報専門のフリーメールもあっても良いのではないかと思うのは、へんに原稿内容をチェクされるのではないかという不安を払拭するために良いのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか?(教会宛のメールに集中させれば、外聞部に漏れないという安心があると思います。またはフロッピーディスクから、USBメモリーとかCD-Rに書き込むなど多くの方法があります。)

ページ作りから初め、原稿と昨年度の資料集めを行い、そして集まった原稿はワードで編集するべきではないでしょうか?

良い訳臭いが、昨年は近所のトラブルがあり(長時間継続の騒音・振動)の問題があり、
そのためにストレスを受けて、精神的にかなり不調を来たした時期でした。だから教会年
報が思い通りに行かなくなりました。

あまり細かい事を書き込む必要が無いので、とにかく、あまり目を三角にしない程度に疲れて仕事に支障を来たさない程度で良いのではないかと思います。

もう一つは「教会公式ホームページ」ですが、誤字の撲滅の必要性がありホームページ作製ソフトでも文字が小さい状態で文字入力をすると、目も疲れるし漢字語変換に気がつかないことがあるので、エディターソフトでテキスト(文字)を入力すれば、文字も大きいので漢字を誤変換を見逃すことが比較的に少なくなると思います。

ネットスケープの付属ソフト・コンポーサーというホームページ(Html言語編集)ソフトを使っているのは、機能がシンプルで市販品のソフトと違い余分な物が無いということです。

ホームページは基本的にHtml言語であり、テキスト言語を発展させたものですから、極論を言えばwindowsの付属ソフト「メモ帳」でも編集は可能ですが、文字が小さくみえるので、能率良く使えないと思います。

公式ホームページでも教会年報でも共通して最も苦労したのはレイアウトよりも、文字の誤変換です。年報ではページの節約になっていないことです。ちょっとしたことで精神的な苦痛なることがあるので、今のうちワードの使い方を調べたい使い方を熟知したいと思います。

後は意見が喰い違うことで言い争うことのないように、結論を言えば100点満点のものを作るのではなく、70点レベルのもので充分という気持ちで作らないと仕事や生活に大きな支障を来たすと思います。

目標は70点であることです。完璧主義になるとそれが原因でストレスとなり二度とやりたくなくなるので、とにかく70点、80点レベルのものができれば良いのではないかと思います。




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献金と経済状態のバランス

捧げ物(献金と奉仕)は、嫌々やるくらいなら初めからしないほうがマシです。
信仰とは喜びと平安が必要だと思います。多くのクリスチャンが、ネットを使い匿名で不満と誰にも言えない本音をぶちまける事が多々あります。

自分としてはmixiのクリスチャンコミュに入ると、多くの求道者を躓かせるような内容が多々あります。

実はクリスチャンコミュに入ると、ただ議論をすることにエネルギーを使ったり、また、ある人は、自分が所属している教会の不満をぶちまける人もいるのです。

同じクリスチャンでも、長文を読まされると時間がかかるし疲れる、意欲を失うので、Mixiの全てのキリスト教関係のコミュから抜けることにしました。

または社会的なもの政治的なコミュでも、頻繁に荒らしがあり、リタイアして今は休職中の人たちを、「社会のクズ」よばわりするので、それを無視しないで相手にするから、ある意味ではmixiは心が病んでいる人がたくさんいると思います。

で、本題に入りますが

収入の10パーセントを捧げるとは、働いただけの給料からの10パーセントを献金として支払うことです。個人的には職場からの収入だけではなく、精神障害者年金もあり、年金の10パーセントを支払うべきなのか不明です。

さらに、いままでの自分なら、モルモン的な発想があり、別のワードのイベントに出席にでることも自由であり、それによって知人を増やすことも可能でした。

では、『キリストの教会』では、クリスチャンキャンプとかYAキャンプなどは、都内からだと交通費が高額で、参加費などもあり、お金と体力に見合った祝福が無いという不安があるなら参加する必要はないと思います。参加費や交通費を自由献金に捧げるほうが賢いと思います。

モルモン的発想だと、信仰心を強化するよりも、たのしい思い出作りのためにしかならず、ある意味では、自己中心的な信仰生活だと思います。

その意味では、クリスチャンキャンプとかYAキャンプの参加は慎重に考えないとならないです。

クリスチャン生活で最も優先することは、自分が所属する教会への奉仕をすることです。

奉仕活動とは、表舞台にたち「礼拝の司会をする」とか「日曜礼拝の説教をする」または日曜学校の教師を行うとか、さらには外に出て社会奉仕活動をするのが奉仕と思われますが、地味な奉仕、極端な言い方すればゴミを拾うだけでも立派な奉仕だと思うのです。

いきなり社会で奉仕をしたいと思って、そのためにクリスチャンになる人もいましたが、なぜ、その人に対して誰もついてこないのか。それは、地道な奉仕と信頼関係の積み重ねがなければ誰も頭では良いことだと理解しても、信頼関係が積みかさらないとほとんどの人は、ついてこないと思うのです。いきなりでは社会的な奉仕活動はできないと思うのです。その人のことは見ていないようで実は鋭く見ている場合があるのです。

教会から一方的に「○○をしてください」と指名することはなく、奉仕をする機会を待つだけでは、いつまでも見学者や訪問者扱いにされる場合があります。さらに、目立つ形の奉仕とは、一番乗りの人が優先するので、結果的に言えば誰もしたがらない奉仕をするようになることもあるし、または、積極的になにをしたいかを伝道者や教会員に告げないと、いつまでたっても見学者みたいな感じになるのです。その意味で、自分が必要とされないと思ってキリスト教会から離れるのも、教会だけが悪いのではなく、その個人の自主性の不足から、疎外感を感じる場合が多々あると思います。

聖書の言葉でも小さいことに忠実なものは大きな事も任されると言われます。

だからクリスチャンも下積みと思える期間が必要だと思うのです。また、教会でリーダー的な存在にならなくても、小さい奉仕を頻繁に行い続けるなら、それが喜びになると思います。





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他人に理解させる会話術/もう一つのブログ運営の停滞について

人間の脳は年齢が高くなるほど、劣る傾向があると言われますが、脳は筋肉と同じで使わないと衰えるのです。逆に言えば新しいことにチャレンジする精神があれば、何歳になっても気持ちが若く保てるし、人間関係も良好にすることもできるのです。

ただし、何かしらの主張をする場合、相手にくどいという感情を持たせたら、どんなに整合性があり善意がある発言でも、反感を買ってしまう場合があります。

自治会(近所同士の会合)の役員をしていたときに、同じ事を何度も繰り返し言う人がいて、どんなにバカでも身体で覚えてしまうくらい繰り返しいうのでイライラしました。結果的にはその人の主張の反感を買い、全然、協力をしなかったです。

くどい人は嫌われやすいのです。


繰り返し言うなら言葉の表現を変えてみるとか、たとえ話を使って誰でも解る解りやすい話しをするなど方法はいくらでもあると思うのです。ただ、呪文や祈りのように何度も何度も繰り返し言うと人間は神様ではないから、聴いていてイライラして、その人の意見に耳を貸さなくなるものなのです。

コミュニケーションの技術が劣るようなったなら、これは脳が老化してきていると思うのです。

では良質なコミュニケーションとは何だろうか?と考えるのですが、相手の気持ちを想像して、気配りする事だと思います。別の言い方すれば、思いやりの気持ちだと思います。
自分の状況や相手の心理を把握して、どうしたら不快感を感じさせないのか考えながら行動することは、とても頭を使うからです。

現在はテレビなど受動的に情報を受け入れる状態が高齢者の脳を働かせないから良くない影響を与え、特に映像があるものだと想像力が働かなくなるので、だから小説や読み物、ラジオを聴く事が脳に良いと思うのです。逆にパソコンなどにトライして、ネットの中高年者向けSNSやブログで自分の意見を書き込むことも重要だと思います。




また、ゲーム機が社会悪とか脳に悪影響を与えると言うのはまったくの「でたらめ」であり偏見だと思います。

それから、もう一つのブログを運営しているのですが、良い物作ろうとして画像を入れようとか、自分の内面をなるべく書き込まないように気おつけるなど、変に気を使いすぎると更新が止まってしまうのです。

なるべく画像が多いほうが、観る側も楽しいけど、更新頻度が低すぎると、どんなに名文でも、ほとんどの人が訪れなくなるのです。だからあまり気取らないで、マイナスイメージを与えない程度の内容で良いのではないかと思うのです。

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ポメラと任天堂DSが欲しいが

任天堂DSならゲームでどこでも勉強をすることに使えるのです。あまり欲しいソフトのことはいえないが、あえて言うならアニメ系のゲームソフトで気分転換に使えると思います。

それから、ポメラはアマゾンあたりで買うと安くなるらしいです。
ただテキスト文字入力専門なのでもう少し安くならないかと思うのです。ポメラを買う人は経済的に余裕がある人が買うと思います。

家電量販店では全然みかけないし、どんなものなのかいじれないのでキーボードの入力がしやすいのかは、アマゾンの評価やmixiのポメラのコミュニティでの評価しかわからないです。

現在の自分の経済状態だとポメラを買うのは、「清水から飛び降り」ような勇気が必要です。

前回ではPCのエディターソフトを使えば良いのではないかと書き込みましたが、それを習慣化するまでがたいへんであり、むしろポメラのように手軽に文字を入力することができる。または、非公開の日記やアイデアなどもメモを取れるのです。

それから、あとでポメラで読みかえしすることができ、反射式モノクロ液晶ですから目が疲れないので長時間の文字入力に対応できると思います。ATOKという漢字変換ソフトというのが魅力であり、マイクロソフトの漢字変換ソフトよりも精度が高く、すばやい文字入力では漢字を正確さがかかせないです。

たしかにネットパソコンよりは遥かに安いのですが、人それぞれ経済状態があるので、特に買うときには慎重になる必要があると思います。


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質の高いブログを作るツール・ポメラ/効率良い英会話習得方法とは

ポメラはけっこう人気がありユーザーの評判が良いです。その意味ではネットパソコンよりも機能限定で、思いついたときにキーボードに文字を入力すれば良いのです。

ではネットパソコンも24時間電源を入れぱなしにすれば自分の部屋にいる時間が長ければ、そちらでポメラの代用できるのではないか。ひとつは外出先で頻繁に使う機会が多いことがポイントだと思います。ポメラを使う場合は。

あとポメラは、頻繁にブログを書き込む人が、後でPCで文章を整える習慣があれば使うべきだと思います。その前にエディターソフトを使い、ブログの入力画面にコピペして、それを修正すれば文章の質がよくなると思います。

ポメラを使うには、外出先でも文字入力をする必要がある人は価値があると思いますが、自分の部屋だけで文字入力するなら、いままでのようにPCを使いエディターソフトで文字入力をする習慣をつければポメラは必要ないのではないかと思います。

あとは英会話の効率良い勉強方法とは。

最も良い方法は、外国人(英語圏)とコミュニケーションをとることです。できるだけ性格が優しそうな人に話しかけることが重要だと思います。あまり子どもとか、怖そうな雰囲気の人、たとえば刺青を入れているような人など避けたほうが良いと思います。

子どもは世界共通もっとも正直なので、大人のように自分とは違う、違和感あるものには警戒する傾向があり、とくに彼らから外国人だと思える人だと、得体が知らない人、どんな人格なのか不明なので警戒するのです。それがカタゴトの英語だと、英語として認識できないのです。

初めの印象で親しみがあるのか脅威に感じるのかが決まってしまうわけです。

それを乗り越えて、話しかけやすい米国人の大人を捕まえて、挨拶する会話をすると、自然とコミュニケーションが取れると思います。人間のコミュニケーションは、80パーセントが非言語であり、態度や口調などが重要なのです。会話の内容は20パーセントなのです。

とくに目の動きだけは無意識に動くので、それだけは誤魔化せない。それで心の動きがもろに出てしまうので、気持ちを上手にコントロールする必要があります。

極論を言えば、海外留学すれば、英語は必要となり、英語を使う機会があればあるだけ、年齢に関係なく覚えてしまうと思うのです。

また、30代過ぎで英会話を習うよりは、日本語を上手に話しなさいというのがあります。

たしかに英語と日本語のバイリンガルで、英語で思考する人だと、日本語の語彙が乏しい、単語の使い方、選択のセンスが悪いと思うことがあります。

その意味では、日本語を上手に話す勉強をすることも重要だと思います。

英会話は頭の回転が早いことも重要です。時々、カタゴトの英語で会話する時があるが、後になって、この喋り方をすれば良かったと思うことが多々あるのです。

自分が知っている英語での表現の半分しか使われないのが英語でのコミュニケーションの実体です。聴くのは比較的簡単でも話すのは難しいのが英語なのです。

最も一人で自分の部屋で英語を習得するには、前回も書き込んだのですが、英語のアニメを観る事です。たしかに日本のアニメのほうが外国のアニメよりは遥かに面白いです。海外ではアニメは子どもが観るものという認識があり、さらにコミックなどでは、個人が描くのではなく、分担制度があり、ストーリーは脚本家、作画はイラストレーター、海外のコミックはほとんどがカラーですから、色塗り専門の人もいるわけです。複数の人がコミックを作るのです。コミックやアニメは子供向けというから、あくまでも子供向けにするから外国の作品は面白くない。さらに文化が異なるから、なかなか面白いと思う作品に出会えないです。

それでも英語のアニメを観るならCartoonnetworkというチャンネルを観られるようにするしかないです。一部の作品では日本のアニメに負けないくらいの面白い作品にであう場合があります。

自分が所有している海外アニメのDVDは、「スーパーマン」「JQ」などがあります。

子供向け勧善懲悪という単純なストーリーだから、逆に言えばストーリーが簡単だから、英語の台詞が解らない訳せなくても、日本語吹き替えでなく英語のまま観ても、英語を楽しみながら英語を聞き取る力を得る事ができるのです。

ディズニーは個人的に好みではないし、もろに子供向けなのであまり大人にはお勧めできないと思います。むしろワーナー系のアニメのほうが日本のアニメに近い雰囲気があります。

複雑なストーリーとか、台詞が多すぎるものは、話しが見えてこないのであまりお勧めできないと思います。

個人的には1990年代版「スーパーマン」は、日本のアニメと比較すると作画が下手でストーリーは単純だけど、逆に言えば話の先が読めるから英語を覚えるにはちょうど良いかもしれません。「JQ」は1960年代のハンナバーベラの作品(現在はワーナーが著作権所有)ですが、作画はいかにもアメコミなので味がある見ごたえある映像です。これも勧善懲悪な単純なストーリーで先が読めるから、物足りない雰囲気があるが、日本のアニメには無い独特なアメコミな絵柄を楽しむなら丁度良いとおもいます。

Cartoonnetworkというチャンネルを契約する、それを長時間観るという方法、何か「英語は学ぶな!」的な発想ですが、英語を難しく考えて脳に負担をかけるよりは良いと思います。







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ポメラは欲しいものではなく「必需品」だろうか?

超小型ノートパソコンよりも遥かに安く、昨日はテキストファイルを打ち込むだけで起動時間は僅か2秒の「ポメラ」はぜいたく品ではなく必需品でしょうか?

日本国内での評価はかなり良いですが海外での評価はまったく聞いたことはないです。これは日本語の語彙が多いことと漢字を使うため、とても複雑でどのような言語よりもきめ細かな表現ができる日本語ではポメラは必需品になるのではないかと思います。

それに較べて英語の場合は語彙が日本語よりも少ない。だから、意味が通じればどんな表現でも言いのだろうかと思うのですが、実はネティブからジャバリッシュ(日本人の英語)を聞くと、簡略化された古い英語に聞こえるらしいです。

そもそも中学や高校の英語を現代のネイティブはほとんど使っていないです。日本語にたとえると古文に近い言葉使い。または、日本の学校英語教育の英文は文語体になるのです。

まず日本語は文章の順序が目茶目茶でも何とか意味が通じるが、英語は文章の順序が正確ではないと通じないのです。

英語について詳しいことはわからないが、

日本語の場合は発音や言葉使い、さらには敬語・尊敬語などがあり、性別で言葉使いが異なるので、それが他の国の言語よりも語彙や表現が豊富な言語なのです。

そもそも日本語は特殊な言語と言われますが、母音が5個だけなのが世界の言語の主流であり、最も有名なラテン語でさえも母音が5個しか無いのです。子音も少ないのです。あまりにも子音母音と規則的だから「カナ文字」が日本で開発されたのです。(ただし平安時代の日本では母音は8個あったという説もあります。)

母音と子音が少ない言語だが、その反対に語彙が最も多いのが日本語であり、そのため質の高い文章を書くには、ポメラで入力して、パソコンで文字修正するのが読みやすいブログにできるのではないかと思います。


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肥満は集中力と持続力が落ちる

肥満は温暖化と同じくらい厄介なものはなく、温暖化は全宇宙規模、太陽の熱の放射量から、人類全体が排出した温暖化ガスまでマクロなものですが、

肥満は目に見えないほど小さなミクロの視点で考えるものであり、細胞一つ一つが「肥満になる身体を記録」と「肥満にさせるプログラムを起動」してしまったものだと考えられます。極論を言えば肥満になるように細胞規模からプログラムされたと考えても良いものです。

肥満になれば、前回の日記に書かれたように脳に糖分などの栄養が行き渡らなくなり集中力と持続力が落ちる、そして身体全体の体積が大きくなるので糖分も薄くなるため疲れやすくなるのです。

疲れた時に甘いものを食べたくなるのは、糖分には疲れを癒す物質があるからです。疲れの原因は乳酸が身体中の筋肉にあり、それが多いと疲労感を感じるが、糖分によってそれが分解されて疲れが癒されるのです。

肥満を治すには、イメージ療法しかありえず、たとえば苦痛が強く無駄骨と思わせる「婚活」が何故たのしくないのか、それは、頑張れば頑張るほど解りきった事を言われ続けて、精神を壊すほどの過剰プレッシャーによってストレスのみが戻ってくる。または、精神的ダメージとして自分の心を傷つける場合もあるのです。

細胞規模でストレス=苦痛となり、「苦痛」を取り除くために、ダイエットさせないために意志薄弱化させ、多くの誘惑に負けるように仕向けるように細胞からより肥満になるようにプログラムを組み込まされるのです。

結果的には必要以上に食事をして栄養吸収力が高くなり、そして基礎代謝が必要最小限度まで低く留められてしまうのです。

ダイエットが苦痛になるから細胞がそのストレスから逃れるためにダイエットさせないように、ダイエットが成功してもリバンドするようにプログラムされ、どんなに強靭な意志でも絶対に肥満化のプログラムには逆らえないようにできているのです。

仮にダイエットが楽しい快感になれば、ダイエットはストレスとならず、それを排斥するようにプログラムが起動しないので、思い存分、いくらでも痩せられるのです。


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肥満は病気である

最近は集中力がなくなり、パソコンの画面を見るのがめんどくさく感じることが多々あります。

これは脳に栄養(糖分)が不足になるのです。まず、好きなだけ糖分を取れば糖尿病になってしまうからです。また、自分は喫煙をまったくしないが喫煙者のほうが糖尿病になる確率が高いです。

集中力低下とは、聖書を読みつづけることが困難になり、次が祈りをするのがめんどくさくなる、でも、神様を求めたいという気持ちがあるが、それができないのです

実は個人的な考えですが、肥満になるとデメリットだけしかなく、体重が増えれば増えるほど、身体中に糖分などが使われ続け、結果的には脳への栄養もそのぶん少なくなるのです。

肥満のデメリットはそれだけではなく、酷いイビキの原因になり、脂肪が多いほど、それだけ喉の奥を圧迫させて、睡眠時の呼吸を止めてしまい、それだけ脳がやすめない。脳が疲労するのです。

脳に送る糖分が身体の体積が増えるため糖分が脳に回ってこない無呼吸になるから脳の疲れが取れない。だから集中力がなくなる、持続力がなくなるのです。

また身体が重く感じるので外出するのが億劫になるのです。

結果的には生活の質が低下を招くので、肥満は病気なのです。

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成果主義は地獄の門

昭和時代は何でもかんでも思い通りに行く時代ですが、平成だとバブルはじけてからグローバル経済、そして新自由主義(いや新共産主義・劣化共産主義という ほうが相応しい)になり、努力がむなしくなります。

昭和時代なら
たとえば一時間に50個作れるとしたら、八時間で400個作れるが、
平成時代だと 全てが機械化すると 機械の調子で その日によってばらつきがでて 予定が立てられない。
ある日は調子よいから600個作れて、ある日は調子悪いから300個までしかできない。

その300個しか作れないと半日サボったと評価され、労働時間よりも作った数で賃金を決められるのです。これを裁量性の拡大というのです。

毎日600個というノルマが課せられるのです。で、これが技術の進歩で一日700個になると、毎日700個と言うノルマになり、下手すれば毎日残業となるのです。

セールスも同じで、厳しいノルマがあると、しつっこいセールスマンを作り出す原因になり、契約から2週間以内のクリーングオフを知らないと、とんでもない借金をしなければならないのです。

昭和時代なら努力した分だけ報われる。セールスマンも努力しただけ成績が向上するが、

平成時代の場合は、社会状況が変化しているので、努力した分が必ず報われるとは限らないのです。

昭和思考のまま現代を生きたら過度のストレスで、ひどい鬱病になるのです。

そもそも人間は20代に生きた時代の常識を『世界共通の普遍的真理』と思い込むので、どうしても時代錯誤な発想をしがちなのです。時代についていけないのは、現代と過去がどのくらい違うか認知できないからです。

バブル崩壊までの時代なら、頑張れば頑張るほど面白いように年収が上がり続けるが、現代ではある人は楽して儲けて贅沢な生活ができる。ある人は頑張りすぎて全然成果がでないために最後には燃えついてしまうのです。

現代と言う時代を知らないと、どんなに頑張っても無駄骨になるのです。

まだ比較的に痩せていた時代のほうが、実は健康的な生活をしていたのです。

ひとつは、市民体育館に行って週に2回以上は運動してきたことです。
もう一つはあちこちの日帰り温泉にいけたことです。

では、なぜ現在はいけなくなったのか?

全ては何を努力したかを一切関係なく、すべて結果で評価する成果主義(どのくらいスマートになったのか理想的なスタイルになったのか)で理想を求められためだと思います。

ある人は楽して良い評価を受けられるが、自分のような智恵がない人間だと、頑張ればいつかは報われると考えることが既に負けているのです。いかにしたら楽して良い評価を受けられるかと言う考えを持つことです。

結局は、成果主義のために、頑張っても良い結果がでなければ、何もしないことになるので、それが原因で、鬱病になるのです。鬱病とは一種の「燃え尽きた状態」であり「頑張るとか努力が嫌いになるのです。」

それはダイエットにも言えると思います。
いや、ダイエットそものもが実は何処にも存在しないのです。

理性が暴走させ、前回のように糖尿病になれば一気に体重が減ると考えましたが、糖尿病になると好きなものが食べられなくなるし、目が見えなくなる足が腐るなどの最悪の状態になるのです。

それを軽々しく感情的になって言ってしまい申し訳ないです。


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肥満=鬱病 成果至上主義

昨日は、母が来て、毎回のように肥満の話をしてきたが、
これは、もう十数年前から言われ続けているので、むしろ、肥満を苦にして自殺するか、糖尿病かガンになって一気に痩せるほうが、健康な状態での肥満よりはマシだと思います。

ダイエットはありえない

本音を言えば、はやく糖尿病になって一気に体重が減ってくれる事を願うばかりです。糖尿病だと食事の量が増えても逆に痩せるから、健康を害しても痩せたほうが良いに決まっているのです。

毎回、肥り続けているとブツブツ文句を言われることに、本当にうんざりします。

なお、アメリカのように肥満に寛容な国なら、それは苦にならないし、豊富な食料があるのに、それを我慢する。豊富な食料を食べないこと事態が、犠牲になった生き物に対して失礼ではないのでしょうか?食べることの喜びが得られない、過去の人の妬みなんでしょう。

日本の社会は妬みの社会であり、幸福は限られた面積のパイを奪い合うと言うのが科学的に実証されていると思い込んでいるので、それがキチガイと思うのです。

なお、十数年前までは、肥満を食い止めるために運動をしたが、焼け石に水状態、良くて現状維持でとても運動や食事制限だけではやせられない。むしろ健康を害してこそ痩せられ、肥満を妬む声をこれ以上聴かないで済むからです。

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もしモルモン教が正しくても好きなように生きても良い

そもそもモルモン教とキリスト教の大きな違いは、昇栄という、無数の神々の一人になることです。ここがキリスト教とは教義的に大きな違いです。

全知全能の神になって、被造物をつくり、それらに崇拝されても、あまり嬉しくないです。

その点、キリスト教では必ず天国と地獄という最後の裁きの教義ががあり、悪徳に従った人とか自分に利害が無い人に冷たい人などは、地獄に落ちる。さらに最も厳しい裁きを受けるのは、キリスト教を棄教する人たちです。

これが正しいかどうか解りませんが、クリスチャンでもそれぞれ復活の栄光の輝きが人によって違うのは、

ある人は信じるだけの、なんちゃってクリスチャンになりあまり教会に通わないで正しい生活をしない人は、やっと救われた、ほとんど輝きが無い救いであり、

また正しい生活をした人には、眩しいほどの輝かしいような栄光に満ちたが復活があるのです。

誤解されると思われるが、天国にも階級があり、それは永遠に変えられないのです。

なお、自殺はそれぞれの意見があるが、かつては自殺は棄教あつかいされ、キリストを裏切る行為とみなし、聖霊に逆らう罪なので死んだら永遠に許されないと言われたが、最近の精神科の進歩により、自殺の大部分は鬱病という病気であり、ある意味では冷静な判断ができないため、ある場合によっては自殺も罪に問われないと言う考えになっています。でも、クリスチャンの自殺は周囲に強いショックを与え、ある人はそれを切欠に棄教する可能性があるのです。

棄教行為に関しても本人が悪いだけではなく教会が異常なら、それで罪に問われる事は無いと思います。


以上は自分の考えですが、その根拠は神様の愛は無限であり、神様を信頼するからこそ慈悲深いお方だと思うからです。

仮にモルモン教が正しい宗教だとしても、熱狂的に信仰しても、神々になれる人は、ほんの一部の意識が強靭な人たちだけであり、また、経済的に多くの恵みが無ければ、モルモン教の厳しい律法を厳格に守る事はとても困難です。

神になるために無理をする。そのために自分を責めてしまい、精神に異常を来たしてしまう人がいたことも事実です!

本当に永遠の地獄の苦痛を受ける人は、人類史上、わずか五本指に収まるだけで、既に一人はイスカリオテのユダと、人類初の殺人者カインだけです。もしかしたら再臨の前に、もう一人の人(モルモン教の幹部)が滅びの子になるというかなり深刻な予言もあり、さらに、福千年(千年王国)の後にサタンが開放されたときに、ゴクとマゴクの人類最後の最後の戦争のときに、一人滅びの子が出てくるのです。

五本指以内に収まる人が滅びの子となるわけです。

なお、モルモン教では煉獄(霊体の牢獄”ひとや”)という教義を信じており、死後の世界でもモルモンなる人がいれば、煉獄から開放されパラダイスに行けるのです。

最後の裁きのとき、人類の大部分が星の光栄の王国に入るが、実は「星の光栄の王国」とは、その人が最も幸福な生活ができる世界なのです。

あまりにも素晴らしい世界なので、それを見たら、何もモルモン教に通って無理して厳格な律法を守る必要は無いということです。

また、一部の活発モルモンが安易に、その棄教者のことを「滅びの子」と宣告する人もいますが何の権威によって、宣告するのでしょうか?

モルモン教では家庭の素晴らしさを宣伝するが、その実態は夫婦喧嘩が耐えない、子供もそれをみてモルモン信仰を継続する意欲を失い、自分の好きな道に進みたくなるのです。

熱心なモルモン信者の夫婦の離婚も多いのです。


そもそも、家庭で成功するモルモンは、少数派だと思います。

結論を言えば、無理をしない。自分を責めない事が重要なのです。

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モルモン教に無関心な牧師たち

前回の日記でも「お互いが疲れたものを伝道する」という内容の日記を書き込みましたが、クリスチャン生活をして教会に行くのが辛い、疲れたという人も多々いると思います。

その反対にモルモン教の生活が律法主義的で疲れる。教会の責任が重くって辛い。日曜日には早く帰れないとか、そのように疲れている人も多々いるかもしれません。

それにモルモンの認知度が低いため一般社会の人はモルモン教の律法を知らず、かならず何らかの摩擦する。そのため妥協するのが苦痛と言う人もいます。また理解ない人からは変な目で見られるなどあります。

まずなぜ結婚できないのか?親たちがハードルをあまりにも高く設定させてしまったからです。披露宴だけでも一年間はぜいたくさえしなければ食べるものには不自由しないほどの生活費が僅か一日で浪費させるのです。無数の時代錯誤と思える不経済なしきたりの数々。そのうえ心に多くの傷を与え、自分の値打ちを安くさせ自己憐憫化させる「婚活」。

賢い人は上記のことを予測し、あえて婚活をしないです。

むしろ独身をポジティブにとらえること。ますます悪化する経済状態に時代錯誤と思える浪費(披露宴と結納金)。リストラや倒産時のための貯蓄を食いつぶすから、あえて結婚しない。

結婚しても子ども達の教育費が膨大な金額。

これでは、とても人生をたのしめるわけはなく、ある意味では虚しささえ感じます。

あらゆる苦痛を耐え忍ぶことだけになると、モルモン教から離れる人たちが多いと思います。

まず、モルモン教の神殿結婚なければ「昇栄」という完全な救いはなく、独身だと、どんなに頑張っても、月の光栄の王国に復活する(解りやすく言えば、「天国と地獄の中間」の世界。煉獄でもない)。

月の光栄の王国なら、別にお酒を飲んでも、周囲の人に親切にして自分に利害が無い人に優しい態度をして、この世で言う『良い人』なら、どの宗教でも月の光栄の王国に入れるのです。だから、極論を言えば、仮にモルモン教が正しいとしたら、モルモン教のバプテスマを受ける必要もなく正しい生活さえすれば、死後の地獄から逃れられるのです。

ますます、この世的に賢くなればなるほど、なんちゃってモルモンになるのではないかと思います。

まして周囲のプレッシャーで好きでもない人とお付き合いして結婚してもたのしくないです。

で、本題に入るが、モルモン教に無関心でかなり誤解している牧師や聖職者が多いのも事実だと思います。

モルモン教に適応できるクリスチャンもいることはいるが、キリスト教からモルモンへ改宗するのは、モルモン教の奥義を知らないからです。

これは、モルモン教の信仰生活経験があったクリスチャンからモルモン教の『核心』を教えてもらわないと、興味本位からモルモン教の宣教師と仲良くなってモルモンに改宗してしまう場合があるのです。

キリスト教会内ではモルモン教のことを語る機会がほとんどなく、まして自分もそのことをあえて語らないほうが良い、必要ではないときは「それは神様の御心ではない」と考えて自主的に語りません。クリスチャンの場合はキリスト教の教義を学ぶ=聖書を学ぶことが重点を置かれているので、他宗教を学ぶ余裕が無いからです。

そこで、クリスチャン生活に疲れた人とか、ある人は興味本位でモルモン教会に言って見れば、「ミイラ取りがミイラになる」ように、モルモンに改宗する危険性があります。

モルモン教とは表面的には普通のクリスチャンの礼拝と同じことをするし、この世の人から見れば、酷似しているので見分けつかないが、

究極の違いは、神殿礼拝があることです。

これは、たとえモルモン教信仰を捨てても礼拝の内容を漏らすのが恐ろしいと思うものですから、それを言えないです。

ある意味ではモルモン教神殿は、とても霊的な場所であり、人間だけがいるのではなく、霊的な存在を実感できる場所です!その意味では、深みにハマると抜け出すのは困難になる場合もあります。

どこのキリスト教会にもない独自の礼拝儀式があることを良く考えないで入信する人もが多々います。その意味では、なぜモルモン教が求道生活がキリスト教よりも極端に短い、バプテスマを性急にさせるのかは、急かすことで冷静な判断を失わせるからです。

その意味では、日本のモルモンの大部分がモルモン教会に通っていない。極端な場合は、自分はモルモン教の信者にさせられたことに気づかない人も多いと思います。

自分もモルモンを辞めたいと思って辞めるまでには6年くらいかかりました。
神殿という深みにハマると、かなり辛くても抜けるまで、時間がかかるのです。

なお、棄教する場合は「退会」ではなく「教会員記録抹消」というのです。

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ペンテコステ派には

現世ご利益的にペンテコステ派に関心をもったのが2004年であり、その当時は残業が多すぎる状態で、少しでも恵みが在るように願ったが、結果的には自分には合わないと思いました。

ひとつは再臨主義と過度の宣教活動があり、教会員を増やす事だけに熱心であり、何か違うと感じました。

同時に二ヶ所のペンテコステ派教会の夕方礼拝に通ったが、どちらも共通しているのは、全力をかたむけた献身と奉仕が強調されおり、あまり恵みに関しては語られず、また、思っている以上に厳しい律法主義に陥っている事です。

一つはアメリカ系のA教団、もうひとつは韓国系の有名な教団。

一時的にそちらの教団の教会に通ったが、むしろ恵みが失われ、落ちるかのように環境が悪化して、会社を退職をすることになりましたが、そもそも、会社を辞めるのが遅すぎたのです。

まず自分に合わない常に悪化の一途をたどってると思ったら、早めに辞める決断力が必要だと思います。

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しつこい要求は精神を壊してしまう

モルモン教会だけが悪いのではなく、自分の性格に重大な欠陥があるのが致命傷だと思います。

痩せるのは簡単にできるという風に考える人が多々いますが、ダイエットはかなりの意志力が必要であり、よくても現状維持が限度なのです。

別名、「おせっかいな虐待」というものでしょうか。

本人が最も望んでいる事を、あたかもその人の結果がなにもかわっていないから何も努力していないと決め付けることで、確実に燃えついてしまう現象で、まだ、それを言う相手に対して殺意があるうちは、やる気があり、現状維持になるが、殺意さえ失い自殺願望をもつようになると、どんどん体重が増加するような生活をしてしまい、努力する意欲を失うことです。これを燃え尽きた状態になるのです。

だから、過去をみるいと転職する機会があった。転職先がみつかり退職願を出したにもかかわらず、会社を辞めさせないのが、最大の欠陥だと思います。上司にも成績があり、退職者がでると給料にひびくわけです。

よくいわれるのが「彼女できたか」とか「もっとやせろとか」その二言だけで人生が崩壊したといっても過言ではないです。

なお、前回の日記は漢字誤変換が多いのは、とても悔しい気持ちで感情的になっていたからです。

もし、過去において転職をして別の会社に勤めたら、たぶん、現在のような暗黒時代は来なかったと思います。



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鬱病になったのは、数万回も同じ事をいわさせる欠陥的な性格

従順もモルモン教のように捻くれたもののみかたをすればネガティブに捉えるが、逆に言えば、一種の安心感、裏切らない、「道からそれない」ということです。

捻くれて解釈するのは、その人たちもモルモン教信仰が弱く、そのような評価をする教会員は一部であり、別の人は良い意味で捉えたが、結果的には自分も、鬱病が発病しだし、

その原因は、「結婚」と「肥満」の二つの話題しかないことです。

それを毎日のようにしつこく言われ続ければノイローゼになり、何か妄想に囚われるようになる。何事も悪く捉えるようになるのです。

結果的には、精神的に燃え尽きてしまい、この道は間違えているという核心にいたり、真理を探すためにSDA教会の土曜礼拝に通うことから始めました。

菜食主義になれば、肥満も少しは解消できるし、SDAは若い教会員も多いので、結婚できる可能性も十分ありうるのです。

自分がキリストの教会に通うようになったときに挫折を感じたのは、メーリングリストで知り合った人もバプテスマを受けたが、彼の場合は、強い孤立感がつきまとい、何か連帯感を感じられる宗教組織を求めていたと思います。

その人の自己実現には至らず、むしろ逆に、神様を憎むようになったことと、2000年の秋季の合同礼拝で、他の教会の牧師の話しがあまりにも深刻すぎて、自分の中にキリスト教に救いが無いと感じて、次第に教会に通わなくなったことです。

そして2004年の10月ごろに、ペンテコステ派はどうだろうか?いやしと恵みを強調しているから、そこに行けば寄りよくなると思ったが、逆にかえって以前よりももっと社会的に悪化した。結果的には2005年8月に会社を退職した。退職する直前はまるで地獄のようなサービス残業と、労働組合からも見放されて、これでは自分が完璧にダメになると思ったが、そのときには既に自分が立ち直れないほどダメになっていたのです。決断があまりにも遅すぎたのです!

なかなか仕事がみつからず、2007年には自殺を考えたときに、少しでも生きる気持ちがあるなら、教会に戻るべきだと言う気持ちがあり、それで、もとのようにきちんと日曜礼拝に出席するようになりました。

自分の欠陥とは、思った以上のことを言われ安すぎる。
遠慮なく重い存分言わないと胸糞悪くなるというところです。

従順も欠点なら、欠点も見方を変えれば長所にもなるが、欠陥はどう見ても致命的欠陥であり欠点なのです。

毎日のように同じ事を繰り返し言われ続ける事で、初めは反感を買う、または強い憤りを感じるうちは花で、反感や憤りを感じるのを通り越し、死んでしまいたい、消えてしまいたいという気持ちになるのです。

初めから自分が最も求めていることで解りきっている事を言われ続けると、反感や敵意、強い復讐心を抱くほど潰れるのも早いです。

だから、もし魔法があるなら、肥満解消や独身生活の終焉よりも、自分が望んでいる事を執拗に言い続ける人が同じ苦しみを受ける事を強く望みます!

いまは会社を辞めたので、そのような人と二度と会うことは無いと思うし、今後も、単なるワーキングプアだから変な期待はしないから、そんなことをしつこく言う人は二度と出ない事を強く望みます!


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ネットのモルモン擁護・反モルモンをバカにするのは活発モルモンではない!

10年以上前のモルモン教の実体と現在のモルモンでは、世帯交代などもあり、過去の事を述べるのはナンセンスであり、まして、当時活発だった人が今でも活発だとは限らないからです。

一言言わせてもらえば、従順はたいていは良い意味に捉えられるが、十数年前の活発モルモンは思考がひねくれており、従順=自我が確立していない「自立していない」「親のすねかじり」「マザコン」というように評価され、その意味では従順で、まさかモルモン教の信仰を捨てるとは思われない自分が、なぜモルモン教信仰を捨てたのかは、周囲の人の悪い意味での評価。それも80年代後半から90年代の歴代の監督でさえも、否定的に捉えたため、最も締め出すためには、奉仕の機会を与えない。また、会話の輪に入れないで浮いた感じにさせる、有志の娯楽的な活動を一切誘わない教えない。教えなくても良いから、それなら、最後まで自分が知らないようにしてくれて欲しい。孤独感を強調させたことです。

従順な故にそれが自我がない自立できないとねじれた評価をされて、そのまま数年、1990年あたりから1998年2月まで自分の気持ちの中に「モルモン教会に行きたいない」「モルモン教に行くとより孤独感を感じる」「教団の人が皆、自分のことを見下している」「モルモン教にとっては元気ない自分は敵対行為とみなす」など、

従順になればなるほど、捻じれ現象による歪が激しくなり、それが精神的ダメージ、そして、後もう少しでモルモン教の女性と結婚と言うところで、親の反対があり、モルモン教のカミに裏切られたような気持ちになり、何かが間違えていると確信しました。

前置きが長くなりましたが、
あえて結婚をしたがらない若者も多い。その反面いざというときは三ヶ月以内で確実に結婚できる自信があるから「結婚できないのではなく結婚しないだけ」で、本音を言えば、家庭不和の連鎖をこれ以上作りたくない、自分たちの世代で時代錯誤の家族主義を葬るには一生独身が言いということです。

そのような考えのモルモンの人もいえれば、反モルモンが消滅した現在、いまだにねちこく反モルモンを批判する、自称活発モルモンとは、仮想上モルモンであり現実ではお休み教会員であり、モルモン教の教義を反モルモンほど理解できていないでお休みしただけなのです。

反モルモンは一種の負け犬であり、ある意味では弱者であり、それを叩く事で、自分が彼らよりはマシな人間だと認識して優越感に浸れるのです。

活発モルモンの場合は、そんな事をする暇は無いと思うのです。

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自己反省として高齢者に尊敬の念を

最近は老人による介護がある状態で、はたして長寿は幸福なのか疑問に思うし、または、認知症や高齢による精神障害(妄想・幻聴・幻覚など)の問題があります。

それを正直な話、邪魔者扱いする人もいますが、本来はそうなる前までは過去の医学だったら環境だったら長く生きられなかったと思う人ばかりなのです。医学だけが進歩して、健康な精神の持続に関する研究は今までないがしろにされて来たのです。

認知症とかは仕方ないと考えて諦めがつくのでストレスが少なく感じますが、比較的に頭がクリア、認知症ではない高齢者は口が悪いため高齢者を敬遠する人も多々いると思います。

まず、認知症なり精神障害なり、または頑固で言葉がキツイ高齢者へは、過去の時代に頑張って現代社会があるから敬意を払わないといけないと思います。

高齢者介護の仕事がたくさんある割には、すぐに辞める人も多いのが介護業界です。それには職員同士の人間関係の問題があり、ストレスを溜め込んで辞めてしまう人が多々いるわけです。

自分のように初めから負け戦したくないと思い、資格がとれても職業として選択するべきではないと考える場合もあるのです。

と言うか、しばらく就職できないのも、介護関係の資格を取ったことが大きな原因だと思うのです。また軽貨物自動車の仕事で酷いいじめに遭った。自動車をわざとぶつけるほど気が変になってしまった。立ち直るまでには時間がかかりました。

結果的には宗教的なことなど考えている暇が無い状態でした。


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身体よりも脳の劣化に気おつけよう。 

日本人の平均寿命は現在80歳ですが、実は健康寿命はこれよりも20歳低いはずです。

長く生きることが幸福ではなく、たとえ60歳代の寿命でも最後まで健康に生きることが重要なんです。

脳が老化すると、どうでも良いことに拘りを持つ場合があり、そのために町内会や自治会などの話し合いで、重要な話しが後回しにさせられる。協調性を失い孤独になる危険性があるのです。

記憶力の低下だけではなく、論理的思考力の低下があるために、どうでもよいことへの頑固なこだわりがあり、そのために、話し合いにならなくなるのです。

たとえば、自分が自治会をしていたとき、会議で話し合いをするときに、団地建て替え問題の会議に自分もでることになった。それは自分が出席できてもできなくても良いから副会長の責任だからと言っても、頭が堅い老人だと、それが気に入らないということになるのです。

「老人」ということばは、考える人と書きます。

若いときから論理的な思考ができなくなると、細かいことへの拘りを持ち相手の言い分が理解できない。そのために、次第に信頼を失い敬遠される危険性があるので、まずは、年下のひとたちに信頼をおき、いざというときに相談役になれば良いと思います。

そもそも過去の高齢者は、人生経験と知識が豊富であり、若い人から尊敬されていたが、現在は認知症とか精神障害から、頑固で融通がきかないから邪魔者扱いされる場合が多々あるのです。

まず、自分も反省しなければならないのは物事を単純に捉えていないだろうか?ステレオタイプと思える思考(全部を人括りに捕らえて考える。個性と立場いう概念がない。)になっていないだろうか。

たとえば、現代の若者は軟弱ものというが、ステレオタイプで全部の若者をそのようにみていたら確実に痛い目にあいます。

ほんとうに優しく人畜無害な若者もいえれば、凶暴性を持った若者もいるわけですし、まして、最近は若い人にアニメが流行っているから、だから若いから全員がアニメに詳しいわけでは無いのです。中にはアニメに無関心な人もいるはずです。

脳の老化の始まりは、ものごとをステレオタイプで観ることです。

次には相手の意見を聴く耳をもつことです。
自分が絶対正しいと思っても、他の人の立場や環境、感じ方もあるので、自分とは違う意見があるはずです。それが間違えている好ましくないものかもしれないが、なぜそのような意見がくるのか、相手の主張を理解しようと努力する事です。

老化すると理解力も衰えてくる場合があり、相手の意見を聞き届けられない場合があります。

思考力だけではなく、理解力の低下もありうるのです。

でも同じ70歳代でも、パソコンやデジカメなどに拒否する人と、それを上手に使いこなす人がいます。

真に失礼な意見だと思いますが、前者のほうが認知症になる確率が高いと自分は考えます。

人間の脳細胞は意外と小さいもので、加齢ともに縮小するので、知能が低下する場合が考えられるので、脳が十二分機能するためには、若いときから「論理的に思考する」習慣をもつことです。

どこに矛盾がないか確かめながら考える習慣です。

または自分の考えている事を書き込んでみることです。

なぜ新しいテクノロジーに拒絶反応を持ったり、持論を頑固に固執するのか?自分でよく吟味するべきだと思います。

このことについては、長くなるので、また別の機会にでもつづきを書きたいと思います。

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大きい政府ほど使える(機能する)政府になる

新自由主義というのは、無政府主義に近い社会で、ある意味では国家の管理を最小限度まで縮小する。

究極の公営化・競争原理が導入されないのは「空気」と「政治」だけになるのではないかと思います。

日本のように蓄えがほとんどない国の場合は、英国と正反対の事をすれば良いのです。

国ができることは何でもするという社会主義的な国家にすることです。改革の正反対の事をすればいいのです。そうすれば生活不安はなくなり、自殺者や精神障害者も減るわけです。それだけノンビリした社会なら、使える政府と国民が認め政府を信頼し、「政治」に競争原理を導入すれば、さらに使える使える政府になるわけです。

みなが細かいことでギスギスした社会では人間関係も悪くなるばかりだし、それに、孤立してしまう人も多々いるわけですし、そんな厳しい社会だと性格が悪い人間だらけになるのです。

英国では有り余るほど蓄えがあるから新自由主義政策でも持ちこたえたのです。タンス預金が有り余るほどあるとか、それに生活保護・社会保障がアメリカよりも進んでいるからです。

英国ではお金が無い収入が無くても進んだ社会保障で、生活が保障されたのです。人権思想が日本よりも進んでいるからです。

日本は既に経済大国ではなく、インドよりも貧しい人が多い貧乏国であり、そのような国が、小さな政府にしてしまったら、秩序がなくなり、犯罪や自殺が増加して使え物にならない政府となってしまうのです。

貧しい人が多い国ほど大きな政府が必要なのです。


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英国が新自由主義主義で成功したのは蓄えが有り余ったから

新自由主義とはソ連型共産主義の劣化コピーだと思う。

そもそも共産主義も社会資本と生活保障が確立していなければ、民主主義を否定したソ連型共産主義になるのですが、現在の新自由主義体制は旧ソ連の劣化コピーなんです。

英国の先進国病・慢性的財政赤字を克服が成功したのは実は高度の生活保障が確立していたから成功しただけで、福祉が遅れた日本で新自由主義政策をすれば確実にソ連邦崩壊と同じことになるわけです。

という事は、道州制の導入は反対なのは、新自由主義の失敗で同州で経済格差が起きて日本が分裂する可能性があるからです。(経済的に裕福な地域の日本人が貧しい地域の日本人を支配する国家になるのです。)アメリカや日本が英国の真似しても福祉が充実していないから自らの手で首を絞める事になるのです。

共産主義は粛清とか恐怖政治で多くの人を殺害したが、新自由主義は自殺者を多くだすので、その意味では自殺幇助支援社会なので共産主義の劣化コピーなのです。


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CPAPを使わないで寝ると目覚めが悪い

昨日の夕方から頭と身体中の筋肉が痛くインフルエンザだと思いました。風邪くすりを飲むと睡眠導入剤とは違った眠気があり、そのまま寝てしまうためCPAPをつけないで寝てしまうと目覚めた時は、頭がしばらくぼーとした感じです。

今回の風邪の場合は、食欲が出てこない。結果的にはダイエットには都合が良いのです。

あとは診療所の待ち時間が永遠と思えるほど長く感じました。それは、強い頭痛が薬をもらって飲むまで続くし体中が痛くって仕方無いのです。

まして日曜日の診療所は、大変混んでいて、2時間は待つのを覚悟しなければならないのです。

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モルモン教とキリスト教の大きな違いとは、神秘主義

現在でもモルモン教に入信するのは、神秘主義やUFO・オーパツ・超古代文明など聖書のみのキリスト教の世界とは、感覚がまったく異なることです。

キリスト教会の場合、とくに「キリストの教会」の若い人の場合は、優等生が多く、学力が高い、だから英語も日本語のような感覚で喋れるほどレベルが高いのです。だから大卒は当たり前なのです。

その意味では、思考的には人種が異なりすぎるのです。

まずモルモン教宣教師に上記のような神秘主義的な話をしても喜んで付き合ってくれるが、特に聖書研究に熱心な「キリストの教会」ではあくまでも話題は聖書のみですから、上記のことをいっても理解されないのです。

モルモン教には何でもありと考えるのが正しいと思います。

特にあまり話題とされていないUMAなど未確認生物の話しから、世界の秘密結社まで「キリストの教会」の若い人以上に熟知しているのではないかと思います。

モルモン教に改宗させるには、とにかく「ムー」という雑誌を必ず毎月購読してモルモン書よりも、そちらの本を読んだほうが良いと思います。

モルモン書はあくまでもキリストのことだけを証するだけの書物であります。なお、改宗者には二つの流れがあり、バージンハンターの男性もおり風俗嬢とちがって誰も触られていない女を狙うために改宗するのです。だから、モルモン教では顔が悪い女性ほど既婚率が高いので美人は汚らわしいものとされるのです。

この世の基準・価値観とは正反対なのです。

モルモンの男性はブス専・デブ専男性が多いので、結婚をあきらめた女性もモルモン教に入れば、ちやほやされてデートを誘われる可能性も高いと思います。



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モルモン教では結婚できる人もできなくなる?

熱心なモルモン教の信者の視点では、救われるためには同じ信仰を持った人同士の結婚しなければ救われないです。

聖書にも、極力同じ信者同士の結婚を求める箇所があるが、実際はクリスチャン同士の結婚は至難の技であり、どちらか片っ方が信仰を持っている場合があり、夫婦そろってクリスチャンは珍しいほうです。逆に言えば、一生独身でも、伴侶が未信者でも同じように天国に入れて救われるが、モルモン教ではそれをすれば、良くて「月の光栄」(地獄には落とされないで住むが完全な救いを得られない)行きになるのです。月の光栄ならモルモン教の信者でなくても、誰でもいける世界と教えられているのです。

日本のモルモン教では非婚率が、一般社会よりも高いのは、せっかく神殿結婚セミナーを開催してもそれに参加しないプライドが高い理想主義の女性が多いことがあげられます。

その意味では、かつて自分がモルモン教徒出会った予言のように、40代50代の独身者だけになる、モルモン教も高齢化の影響を受けざる絵無いのです。

なお、モルモン教の場合、女性は美人ではないほうが既婚率が高いというのは、男性はトコトン妥協するので愛がない結婚、ときめきがない、恋愛感覚も無い、ただ救いと周囲の期待にこたえるための結婚なので、ある意味では、あわれな気持ちになるのです。

それを言えば自己中心主義というが、そもそも自己中心主義とののしる人ほど、他人を奴隷のように見下しているのです。それが全体主義社会の拝呈、それに人権思想の低下を招いているのです。

そもそも、モルモン教徒でも死後の地獄にさえ落ちなければ良いので、背伸びをして神殿結婚するよりは、一般の未信者に魅力的な異性と結婚してしあわせな家庭を築いたほうが民族の存続に貢献できると思いますし、社会の平和にも貢献できます。

もともとモルモン教徒同士が結婚しても、好きでもないのに周囲の圧力でかなり妥協して結婚するよりは、ゆっくり選んで、好みと現実のバランスをとって、現実的なビジョンを持って結婚するべきだと思います。そのほうが離婚率も低いし、結婚生活も必要以上に忍耐を強いられることがないからです。

1980年代から90年代前半に改宗者が多くおり、それらは「婚活の時代」にかかれたように女性が最も結婚の理想と現実のギャップに苦しめられる世代なのです。

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強い組織は自由な言論や批判に負けない!

ソ連型共産主義がなぜ言論の自由が無いのか?それは官僚支配による天下り式で美味しい汁を吸って生きる弱い寄生虫みたいなものだからです。

だから、ソ連は大量の資源がある、高い科学力があるにもかかわらず崩壊したのです。

弱いものは批判を恐れる。

弱い組織は自由な意見交換を好まない。

なぜ日本やアメリカなどが自由に政府をボロクソに言っても、言論に屈指なのか、それだけ強い政府だからです。世論がどうなろうとも政府は潰せない。政府を潰すにはホワイトハウスみたいな政府の中枢に原爆を投下させて一瞬で蒸発させるしかないです。

それだけの強い破壊力は地球全体に大きな影響を与えるほどです!

ある評論家が、もと総理を老化が早い早死すると言っても、これが中国なら国家反逆罪ものですが、日本では犯罪になら無いのです。ようするに日本の政府は中国の政府よりも堅牢だという事です。

憲法で言論の自由は共産主義国家でもあるが、政府は世論を恐れて、報道の自由が無いのです。その意味では、長期にわたる経済不況が続けば、物不足が続けばいづれば、潜在的世論で政府は崩壊するのです。

だけど、日本やアメリカなどは、政府をどんなにボロクソに批判し、反政府組織や反体制政党をのばなししても、政権が倒れないという自信があるのです。

その意味で、モルモン教が内外の批判に屈しないのは、それだけ組織が強くなっているからです。

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モルモン教批判よりも厳しいキリスト教会批判

思ってもネットで言うバカはいない。自分の立場が危うくなる危険性があります。

モルモン教は、すでに退会しており、かなり辛らつな意見をだしても、モルモン教会側では、痛くも痒くもないのです。

キリスト教会内のことはネットにおいて秘密が鉄則です!

それができないと、どこの教会に行っても信頼されない人間になると思います。いろんな問題があるが個人の問題と同じようにあくまでもプライバシーなのです。

二つ目は、自分の視点でいう正論を言わないことです。

モルモン教では、匿名で教団内の批判などはいくらしても、結局は外国人宣教師が次から次へと若い人を連れてくる。モルモン教は明るい雰囲気だと思わせるので、ネットにおける不満や愚痴などは、新たにモルモンに接する人には悪質な嘘としか感じられません。その意味では逆に、たとえ活発なモルモンでも、ネットで監督の悪口や批判をしても、黙認されるのです。

あとは、キリスト教会で最も嫌がれるのが、良くも悪くもモルモン教との比較です。たとえ、モルモンよりも良かった。クリスチャンはモルモンと違って純粋だと評価しても、比較されることが嫌がるのです。

比較されるのは、似ているから共通点があるから、そのように思われたくないからです。とにかく比較されるのは嫌がるのです。

あとは内部事情はあまりネットには載せない事です。

でも他のクリスチャンでは、2ちゃんねるとかmixiでは、キリスト教会の内部事情を暴露しているのです。


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意外と面白いフランス語

英語以外の言語で人気があるのが、中国語とドイツ語だと思います。あとは最も広範囲で話されているスペイン語。今後、日本との交流が深くなると予測されるポルトガル語(ブラジル)ではないかと思います。

ポルトガル語は日本に来ている日系人が増えており、モルモン教でもスペイン語やポルトガル語を教えている教会(ワード)が増えているし、宣教師もラテン系の人が増えています。相変わらず黒人は増えていないらしいですが。逆に英語を母国語とする日系人も多いのがモルモン教の宣教師の特徴です。

実は、いろいろと日常に使われながらあまり人気が無いのがフランス語で、キザだと思われる、スペルが難しい、ローマ字読みができない、発音が英語なみに難しい、長い単語も多くて覚えるのが大変。たしかに英語もフランス語も、学校教育どおりに覚えて話せたら天才です。

ひとつひとつの単語の意味と読み方を(発音のことではない)を覚え、それにスペルも覚える。ある文章の単語一つ一つをそれをやすから、非効率なのです。

あとは学校では教えないのが発音記号と、ヒヤリングの練習です。英語の教科書も文法だけで、内容が面白くないのでかなりの忍耐が必要です。

学校教育どおりに教えてもらって、それで英語が話せたら、その人は語学の天才です!

実はフランス語の場合もスペルが難しいため、フランス語を母国語とするひとでも書き間違える場合が多々あります。

なおスペルが長い割には、発音は短い物が多くあるのがフランス語の特徴です。さらに、英語と同じように単語と単語が繋がると、発音が変化するのも同じなのです。発音が短くなり変化するのです。それも学校では教えないのです。

そもそもジャパリッシュというのはエスペラント語の劣化コピーとさえ言われており、英語の古い文章は読める、それも英語を母国語としている人でも読めない、スペルをみて発音が解らないが、日本人だとそれが読めて解るという不思議な現象があり、日本人が英国の古典をジャパリッシュで読み、翻訳して、英語が話せる人が英語圏の人に聞かせるのです。

英語が話せる人と英語の文章が読める人とは違うのです。

フランス語はスペルが難しいので、スペルを覚えて話せるのは秀才ですから普通の人は話せるようにはできません。まず、会話の発音を暗記(?)することです。スペルにすると長いが、会話にすると単語が繋がるので意外と短くなるので、一つの単語を覚えると同じくらいになるのです。

文章語とに暗記するのがフランス語を覚えるコツだと思います。

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ブログ運営について

実はキリスト教信仰生活の個人的な日記のつもりなんですが、最も多いのがMDをmp3ファイルしたいという内容が多く、次には、「鉄腕アトム最終回」についての日記です。

実はもう一つのブログがあり、これは、もっと洗練された内容で写真入なんです。または、後には音声も載せる予定です。

最近はネットの傾向を懸念する内容が多くなり、結論を言えば今の時代は民主主義もファシズム・共産主義も否定する、愚衆主義(新自由主義待望)の時代だと思います。日本の場合、まだ民主主義が定着して60年程度であり、それも自分たちで手に入れた民主主義ではなく、日本が敗北してアメリカが勝手に押し付けたものなのです。そこが他のアジアの国々のような徐々に民主主義が芽生えて発展するのとは違うのです。

話しはもとにもどって、ネットのラジオなど音声をMDに録音するのは誰でもできるが、逆にMDからPCに録音するのは、適切なソフトを見つけないとならないです。多くのフリーソフトがあり、PCのライン入力端子とMDを接続して、それを再生させながら録音するのが最も簡単です。

光ファイバーケーブルの場合は、ダイレクトにCDラジカセ(またはミニコンポ)でCDをMDにダビングしないとならないです。

MDですとCDをレンタルしたものもあり、これがかなり古いものですが、実はMDがでたのが1990年代で、あの当時の音楽はあまりきかないです。

すっポッと、90年代が抜けて知るのが自分の状態です。
なんというか、今よりも、酷いうつ状態で何もかもが暗く感じたじだいですから、あまり楽しい思いでもないです。

逆に80年代は楽しい思い出が多いので、どうしても80年代とか、それよりも古い音楽を今でも聴くことがあります。

その意味でMDをMP3にダビングは面倒なのでやっていないです。

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新自由主義とはポルポト型超共産主義

また元に戻りますが、
新自由主義とはあるブログでは「新封建社会」とか「新封建制度」といわれ、裕福な人はより裕福になりそれが極少数の人たちが億万長者になれ、大部分の人たちは、より貧乏になるという社会です。

何を好んで、それを望むのか?論理の破綻ではないかと思います。ちょうど戦前のドイツがナチスを熱狂的に支持して戦争で地獄を見るようなものです。

まして、ヒトラーみたいな雄弁な政治家がいうのではなく名も無きネットの住民がいうだけでそれを支持するのですから、日本は戦前のドイツよりもひどいとおもいます。

新自由主義とは福祉や社会保障は甘えとみなし、それを悪であり、正義とは弱肉強食の社会、自殺幇助は社会ためになるので、自殺幇助を商売にする人が激増すると思うので、ある意味では大量虐殺が起きても仕方ないです。

新自由主義でも最も得するのがマスコミです。
各地で犯罪や、さらに溜め込んだものが一気に爆発すれば、各地に暴動が起きる。それで視聴率が上がるが、デジタル化のためテレビの普及率は先進国とは思えないほど下がるのは、デジタル化対応もできない家庭が増えるからです。

予想としてはテレビ普及率、40から20パーセントへと落ち込むのではないかと思います。

逆に言えば、民主主義の原動力である、平和的な「デモ」だけでは解決できないなら「暴動」がおきる。暴動を取り締まれば、秘密結社による政治家暗殺事件の多発化。

それを放置させれば日本はソマリアやジンバブエみたいな国になり世界から孤立する運命になるのです。

ニートなど(働きたくても働けない精神的に障害がある人などもいれて)強制労働をさせても、最終的には職場での会社員への殺人事件から集団暴動までおきる。失うものが何も無い人間ほど何をするか解らないから、それほど恐ろしいものはありません。

たしかにナチスはナチスなりの理想があったと思うが、最近のネットの情報は理想論やビジョンさえなく、ただ、差別感情や仮想的有能間に浸りたいだけで、発言の暴走へとなっているので、その意味では戦前のドイツよりも劣悪なのです。

新自由主義とはソ連型共産主義の劣化コピーであり、そのような社会ができても、各地に暴動や犯罪が激増して、秩序が保てなくなるので、長くても半年は持たないと思います。

日本で新自由主義政策を行い続ければ、東西にアメリカや中国に分割されて、日本という国家もなくなるので、ある意味ではカンボジアよりも悲惨だと思います。

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MDからPCへ

MDからPCにダビング(コピー)

アクセスの生ログを見ると、最も多いのが「MDからPCへ」「MDをmp3ファイル化」です。

一昨年のブログの記事にかかれたことがいまだにアクセスされるのです。

最近のMDの使い方とは、ちょっと前のマイクロカセットレコーダー的な使い方になり、メモ録には丁度良いものになりました

また、MDデッキの中古品はたくさんあるのでわずか数千円で変えるわけです。むしろコンパクトカセットテープデッキのほうが重宝されるのです。

自分の場合はネットラジオの録音に使います。
題名が判らないけど「ジャズ」を適当に録音、キリスト教会の牧師の説教を録音まで幅広く使えます。ただし、ポータブルの小さいものは、ICレコーダーが使うので、MDはネットラジオ放送の録音に適しているのです。

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タイ・カンボジアへのボランティア

海外へのボランティア活動が3月頃に各地の教会合同で行います。参加する人たちは20代の青年達です。

本来なら、もう一つのブログに載せるべきなのですが、自分が参加できないし、それに参加するにはかなりお金がかかるようです。だから正確な情報が載せられないので、ここに述べる事にしました。

往復の旅費と滞在費などです。

ネットでグダグダ言う暇があるなら、お金をためて海外を見ること!それで、人生において大きな変化を受けると思います。

ネットだけだと、特に最近は全世界の航空写真も見られる、あらゆる情報が自分の部屋でわかるから、それだけで自分が全世界の事をあたかも知ったような振りをしているが実はウの中のカワズだと思い知らされるのです。

タイとカンボジアへのボランティア旅行(?)で、現地の人たちの交流を通して、異文化とふれあい、それによって人格的にも大きな影響を受ける事ができます。

基礎的にはキリスト教布教となりますが、それだけではなく、現地の人たちと触れ合う事で、人間らしさとは何だろうか言葉では表現できない何かを感じ取る事ができます。

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ソ連型共産主義以下の新自由主義社会による機械文明崩壊!

日本の場合、個人の所得税は北欧に近いレベルなのに福祉はかなり遅れているのです。

さらに福祉を否定を考えるとは、もし、自分が働けなくなった、突然会社を解雇されたリストラされた、再就職ができなくなった。で、住んでいるアパート家賃滞納で追い出されたら、今までの自分の考えは間違えていると思っても、すでに遅いのです。

まず、新自由主義社会が作り出す結果としてアフリカ大陸にあるジンバブエとかソマリアに滞在してみればわかります。どんなに酷い結果になったのか。または新自由主義者が大好きな北朝鮮の一般庶民の生活を体験してみればいいのです。

新自由主義の未来像とは上記の社会そのもの、いや機械文明さえも破壊するほど酷いものです。自由の名のもとの怪物なのです!

個人的には新自由主義のイメージというのは、無差別に人を刺し殺す凶悪通り魔をイメージします。

新自由主義とか福祉切り捨てなど、読んでいても面白くないので今回で終わりにします。

とにかく、日本にいるだけではなく開発途上国に行き、その庶民の暮らしを見ることが大事だと思います。

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思考が停止しているだろう?多様な発想のすすめ

人間を幸せにするにはお金持ちになることが大事だと思います。

では、どれくらいが貧乏で、どれくらいがお金持ちなのか?
自分の考えでは、金額に関係なく金銭管理ができる人が真の意味でのお金持ちであり、逆に年収600万円以上でも浪費壁があるひとは貧乏と思います。

人間、義務教育期間は全ての子ども達はある意味では、自動人形みたいなものだと思います。ストレスに対処できない逃げられないので、それが、自分よりも弱いものへのいじめになるのです。

子ども達はどうあがいても、親を変えたり学校を変えることができず、逃げる事もできないため、ストレスを受ければ、イジメに走るのです。

最近のネットでの社会的困窮者への非人道的発言も、子どものイジメと同じなのです。

いじめ自殺がおきても、いじめた本人には何一つストレスからは解放されず、また別のクラスメートなどをいじめるのです。

自分の考えですが、20年前と現代では、同じ20代・30代でも幼稚化してきていると感じるのは、信念を持たない信条も無い思想も無い。ただ感情論だけで世論を語り、その世論から出た影響で自分の首を締め付ける。

福祉の縮小は誰にも徳にはならないです。

多くの人が将来を絶望しており、だけど自殺する勇気が無い。
自殺する勇気があれば、自分で何らかのアクションを起こすのです。転職から事業を始めるなど、いろいろあると思います。政治活動もあると思います。それさえできないのは、ある意味では宿命論をしんじているのです。

幼児期から親から怒られてばかりいて、褒められた経験が無い。自分に自信が無く自分をダメ人間と否定する。

まず、人間を幸せにするにはお金が必要。

お金の話をすれば卑しいという人がいるが、それはより金儲けしたい人のでっち上げです。また「お金で人の心は買える(変える)」も真理なんです。それを不道徳とされ、安い賃金で長時間は高させるためにお金の話題をするひとは卑しいとされるのは、資本家がそれだけ労働者にはなるべく安い賃金で働いてもらいたいからです。

不満があるならお金をためてみろ!と言いたいです。

まずお金持ちのイメージを変えることが大事だと思います。
お金持ちとは高級乗用車を乗り回し、大きな家に住む人たちとおもうが、上記のように、それらは全て借金で得たものであり、万が一返せなくなれば、自己破産になるのです。

むしろ一つの事だけ豪華にして、他を犠牲にする。
事業で成功した人とか、大企業で出世した人がお金持ちではなく、自己管理の徹底できる人のみが真の意味でのお金持ちなのです。

大人になれば、子供の時と違い選択が多くなり、会社が嫌になれば他の会社に転職すればいいだけなのです。逆に言えば発想を転換させる絶好の機会でもあるのです。

日本の将来が不安なら、外国へ永住すればいいし、または、政治活動で日本を良くするために頑張る事も大事だと思います。無限の選択があるので、なにも絶望しないで、いいのです。

子供の時は操り人形のように、学校でひどいいじめがあっても自動的に学校に通わされたが、社会人になれば会社を辞める自由があるのです。

たしかに親たちは、子どもはたとえ70歳になっても、小学生みたいなものにみえるのです。立派な孫がいてもおなじですが、もう、江戸時代ではないから子どもには多くの選択の自由と自己責任を教える時代だと思うのです。

被告kは、いつまでも子どものままだから秋葉原の無差別殺人がおきたのです。ネットで暴言はくひとも子どものままなんです。








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より具体化する若者たちの声

ネットでの発言が近年、より具体化してきているのは、ある意味では絶望力の力だと思います。

政治思想の左右にこだわりをもたなくなり、むしろ感情論や社会的一般論による正義感のみに支配されているような気がします。

一昔前なら憲法改正論とか北方領土とか、さらに再軍備化(自衛隊を正式な軍隊にすること)など政治的な要素があるが、現代は政治的要素よりも良くも悪くも「政策的」要素の声が大きくなっているのです。

まず顕著なのが死刑制度の徹底化です。

さらに、自殺率の向上化、すなわち福祉の切捨てです。

まだ、ファシズムが台頭する社会のほうが将来への希望があり、良くも悪くも新しいシステムをもった社会へと方向つけられるのですが、

現在は政治活動しても、右翼とか国粋主義者では社会から異端視されるから、一つことに焦点を集中させて、それを大きな声にして社会を変えたいという気持ちがネットで増えてきているような気がします。

生活保護制度の廃止論があります。
生活保護を受ける人間は自分でそれを刈り取ったから天罰だという情け容赦ない意見もあれば、生活保護者は乱暴で昼間は働かずギャンブルをしていて暮らしているとも言うのです。

絶望の声が、さらに絶望的な社会へと変えてしまう危険性があるのです。

むかしのように北方領土を取り返せとか日本国憲法の改正など、右よりの思想では政策的に具体性が無く、自分たちの生活にも影響力があまりないのではないか。それよりもより具体的な意見を出せば良いと考えるようになったと思うのです。

まして、自殺サイトを作る人は、一部の人たちからは英雄視されます。どうすれば楽に死ねて少ない勇気で自殺できるかです。

自殺者の統計は年間3万人といわれているが実際はその10倍である可能性も指摘され、それは自殺未遂者が年間60万人もいるということで、少なくみつもっても年間10万人はいるのではないかということです。

では、なぜ良い意味、ポジティブな意見がネットででてこないのか。それは、善意による意見は全て偽善だと思われるからです。

まず、ネガティブな声で社会はドンドン悪化するだけですから、ネガティブな思考を持った人は、悪化した社会の餌食にさせられて自ら命を絶つ事を選択するのです。自分で自分の首を絞めることになるのです。

将来に対して希望を持つには人間を信用する勇気が必要だと思います。そうすれな思考もポジティブになり(悲観論からでた破壊的思考から)発展的な発想になるのです。

そのためには宗教団体への信用回復が必要だと思います。

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なぜネットで人を見下すのか。

mixiに限らず、いまの20代から30代でネットで発言する人の傾向は、ちょっと前まではネット右翼が目立っており、それは「スローガン」なので具体性がなかったが、最近は悪い意味で具体化していると思います。

1・死刑制度の徹底化 一日に4人同時に死刑にすることへの喜び
2・犯罪者への情け容赦ない厳罰化の徹底
3・福祉の切捨て
4・社会的困窮者があえて自殺を選択するようにさせる社会
5・身体障がい者や精神障がい者への偏見と差別感情
6・自分のみが正義という発想
7・善意と思えることが全て偽善にしか思えない
8・精神世界にも何の期待をしない

いまの若い人は、ほんとうに、かわいそうなんです!
もう、この世にも絶望していて、自殺する勇気がないので、だから、自分よりも立場が弱い人たちを罵倒することで、一日一日を生きながらえているのです。

そもそも、その原因は彼らの親から褒められた経験がなく、最善をつくしても、どうでもよいことを叱責させられ、ある意味では完璧主義に陥り、完璧さを求めるあまりに、自分から何も行動する勇気がないのです。

そのような若者が、昔の大学生のよう政治活動をする気にもなれず、ただ、自分よりも社会的に恵まれていない人たちを罵倒することのみしか自分を慰めるものがないのです。

まして、宗教的な教えは彼らには偽善にしか思えず、ますます、思考が捻くれるのです。

で、10年前に「完全自殺マニュアル」という本が発行されましたが、どうしたら楽にあの世に逝けるか具体的に書かれた本であり、いろんな自殺方法が書かれているのです。

説教くさいこと、または論理的な事を書き込んでも胡散臭く思われるので、省略しますが、

今の若い人の大部分は、霊の存在を信じていない。
死というものは完全な無になるか、それとも人生というゲームをリセットさせて、実は現実と思えるものは仮想空間であり、死ぬ事で本当の自分という存在へと目覚める事だというのです。

解りにくいけので、具体的言えば、
たとえば、映画「マトリックス」のような状態で、現実は全て幻であり、人工的に作られたもので、自分が死ぬと、本当の自分に戻る。自分が死んだ後に体験する事が現実であるのです。これは死後の世界の事ではなく、夢から目覚めた状態なのです。

いまの20代、30代には何も期待できないけど、少なくとも10台以下の人たちには、希望を託したいと思います。

まず、具体的には一人でも多くの10代の若者に海外留学、ホームスティを体験してもらうことです。日本の過程とは違い、親から貶されぱなしはないので、自分に自信が付くのです。そうなれば新しい事にもチャレンジする勇気が付くのです。

あとはワーキングホリディを利用して、いろんな人たちとの交流により、新しい発見をする。両者も共通しているのはカルチャーショックによって発想が大きく変わることです。

いまの若い人に最も発想を変えるには、海外での生活を少しでもさせることです。日本と全然違う環境を観る事で、日本特有の完璧主義でなくとも人間は生きていられる。または、海外での生活が親や学校からの与えられた悪影響を中和させ、発想が変われば、希望をもつことができる。そうなれば人を貶す事がバカらしく感じるのです。

インターネットの発達で全世界の事が自分の部屋の中で何もかも解っているように錯覚しているが、実は文字や画像だけでは、何もわからないと同じなのです。

海外生活を実体験する事によって、新しい発見をし、自分の視野が狭い事を痛感させ、いくらでも選択がある事を認識でき、けっして絶望と不安だけしかないと思えるからです。

オタクを批判するわけではないが、アキバという閉鎖された環境だけでは、そこにいれば視野が狭くなって思考が停止してしまい。多くの悲観論を聞くことで絶望感を感じて、まして自殺する勇気さえも、いや気力さえも出ないのです。

死ぬ勇気が無い人が選択するのが、無差別殺人を突発的に行って国が自殺を幇助すること、すなわち死刑で殺してもらう事なのです。

簡単に言えば、今の若い人は、インターネットの発達で全世界の事が全てわかっていると錯覚する。人をバカにする事で強くなった賢くなったと錯覚する。錯覚を求める事で現実逃避をくりかえす。

それをやっても、何も変わらないどころか、外国からいつかはバカにされて相手にされなくなる。

それを打開するには大きな発想の転換をすることしかないのです。

たしかに親が自分が海外へ行く事を強く反対するかもしれません。たしかに、かなり生活が不便で不自由でも安全で安定した社会生活を望む母親が多くいると思います。子離れできない母親もいますが、逆説的に安定を望めば望むほど、社会は悪化するだけなのです。

少なくとも20歳を過ぎたら大人だから、一度はどこの国でも良いから外国に行ってカルチャーショックを受ければ、人生観画大きく変わり、人生観が変わった人が増えれば増えるだけ、日本の未来に希望が持てるようになるのです。

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金属の塊が空を飛ぶのが不思議・飛行機

飛行機を見て不思議と思うのは、あの金属の塊が何故空を飛べるだろうかということです。

飛び上がる前に、ガソリンを精製したジェット燃料をより燃えやすくするために、空気を思い切り圧縮させるターボエンジンで、酸素を圧縮させて、飛び上がる時に後方に爆発をさせて、その反動で空を飛ぶのです。

むかしのレシプロエンジン4機のプロペラ機でも空を飛べましたが、現在は戦車などかなり重いものを運ぶので、ジェット機ではないと無理なのです。

なお、飛行機の近くだと鼓膜が破れるほどの大きな音がするわけです。

理想的なのは垂直離着陸、垂直発信方式なんですが、それだと重量級の飛行機よりも多くの燃料や酸素が必要で、飛び上がる時にはすごい騒音が出るわけです。

では、飛行船を使えば良いのではないかというアイデアもありますが、速度が遅すぎるのが欠点なのです。

軽自動車でも論理的にはターボエンジンで普通車なみの性能にすることが可能ですが、自動車業界では自主規制で64馬力以上はださないようにしているのです。

なおターボエンジンだと燃費が悪いため、最近はあまりはやらないらしいです。それに車両価格が高くなるからです。

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簡単に派遣村・もと派遣社員を批判するな!

いま笑っている人はいずれ泣く時代が必ずやって来る!

それがハイパーインフレなのか、再度株の暴落なのか、それとも第二次関東大震災や東海地震なのか。国際紛争もある。

社会的困窮者を笑っている人たちよ。いい気になるな!

で、たしかに派遣社員とは、けっこう面倒なんです。
仕事を休むにしても、派遣先と派遣会社に連絡するので二度手間。日雇い労働も、場所と時間を知らされても、どんな仕事をさせられるか解らない。

まして、正社員になるチャンスがあっても、今よりは責任が重くなる割には給料は派遣社員と同じくらいしかもらえない。厚生保険や雇用保険など積み立ててもらえるかが保証が無い。正社員になると賃金は逆に安くなる割には仕事が以前よりもきつくなる。これでは、多くの人が仕事をえり好みをするのは当然です。

ただ、個人的には、仕事は毎日のことですから、辛い仕事に付いたら死にたくなるほどゆうつな気持ちになる。それなら仕事をしないで、自分が我慢できるものが来るのを待つしかないです。

それを甘えとして批判されます。

逆に言えば、もと派遣社員が甘えつづけると、パートやアルバイトで生活している人には正社員になるチャンスが増えるのです。

たとえ給料が安くても休日が少なくても、正社員で社会的に安定した地位をえるか、それとも、足元がふらついた状態だけど、とにかく自由気ままな生活が良いのかは、その人の自由なので、派遣村を批判するのはちょっとおかしいです。だれも正社員になる事を義務つけられていないからです。

聖書の言葉でも「いま笑っている人は、悲しむようになる」と書いていますが、それは事実だと思います。ネットで実情を知らず、自分の尺度で人を裁くのは、結果的には、人の痛みが理解できない人たちであり、実際に自分もリストラに遭って、路頭に迷ったらどうにもなら無いのです。

いま安泰の人も、いつかは自分もそのようになるかもしれないということを肝に銘じるしかないです。または、同じ正社員でも上司からのパワハラで自主的にリストラさせられる人もいるわけです。

明日は我が身と思い、十分注意をするべきだと思います。

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mixiで人気者になるには、差別用語の連発

mixiも、2ちゃんねるもまったくレベルが同じですから、特に社会保障の廃止、慈善活動家を反社会的な人物とみなす。彼らの思想は「情けは人のためにならず」めざすは日本を北朝鮮みたいな国にすることだということです。

mixiで多くのコメントやマイミクを作るには、毒舌の連発をすることです。社会的に困窮している人を、自分で刈り取ったからと罵倒する。犯罪者には極刑を求める。死刑の件数を世界で最も多くすること。そして死刑囚には時間を掛けて苦しんで死ぬような方法を採用することを求めているのです。

長くなるので簡単に言うと

1・ゴミとかクズとか呼びつけること。
2・自分の立場を言わないこと。(どんな身分なのかわからないから)
3・反論するものを徹底的に罵倒すること。
4・善意に満ちた内容をバカにすること。
5・犯罪者や事故死した人を愚か者呼ばわりすること。
6・自分はさぞ偉い人のように振舞うこと。
7・社会的に優遇された人に対して、敵意むき出しの発言をすること。
8・ひとりでも多くの人が自殺する事を望む事を書き込むこと。
9・文体がふざけた内容であること。
10・やたらと顔文字とかを使うこと。
11・キチ○イとかカ○ワとかの差別用語を多用すること。
12・相手が怒らせることに熟知していること。
13・辛辣な反論されても、それに動じない態度を取れること。
14・社会に対して悲惨な状態の人をあざ笑う態度をすること。
15・乱暴な言葉使いをすること。
16・人の不幸を笑うこと。
17・高齢者や身障者の言動を笑うことです。

最低でもこれだけの事をすれば、日記一件に20以上のコメントが付くわけで、マイミク(ネット上での友達)も賛同者ができるので軽く100人はできるのです。

それがmixiの悲しい現実です。

多くの人たちは善意や温か味がある日記を期待するものですが、社会が不安が強くなればなるほど、全てのことが嘘っぽく感じ、むしろドきつい本音のみしか信じられなくなるのです。

不安のみしかない希望無き社会では、たぶん、ヤケクソになり人間らしさを捨てるのです。絶望を上記の暴言を履く事で不安を少しでも和らげようとする、かわいそうな人たちなのです。

mixiが原因でテレビ局のカメラの前で人を刺し殺してVサインをする人もいるし、人を殺してもなんにも罪悪感を感じないのは、重度のmixi脳になっているのです。テレビカメラの前で人を刺すのは、自分が英雄になった気分に浸れるのです。当然、無罪を主張するのです。

特に某在日朝鮮人を名のるものが危険な存在として警戒され、最近は、生活保護問題とか、身体・精神障がい者問題のコミュニティを問題人物を追い出し、そして真面目に討議できる人のみしか参加できないようにして、部外者には掲示板が読めないようにしているのです。

精神が狂った人には英雄ですが、普通の精神状態の人から見れば狂人なのです。



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CPAPは無呼吸症候群に効果あるかも

一度の睡眠時間は平均して3時間くらいですが、それをICレコーダーで録音すると、CPAPをつけると付かないでは、寝ている時の呼吸音が全然違うのです。

CPAPをつけないで寝ると、起きた時にまだ眠気が残っており、目覚めが悪く、何といっても身体が重く感じます。CPAPをつけて寝ると鼻から空気を送り込むので、酷いいびきは書かないし寝ている時には静かなのです。

起きた時の状態も、身体が軽く感じる。間接に油が差されたような感じがして頭もはっきりするのです。その意味ではCPAP無しでは生活はできないです。

キャンプに行く時、実は電源が無い場所にはいけないのです。茨城県の日立市クリスチャンキャンプ場にはAC電源がないと、CPAPが使えないので、横田基地の貨物飛行機が飛び上がる直前のような酷い騒音となるのです。すなわち、異常なほど大きなイビキになるのです。

この状態ですと、実は呼吸が頻繁に止まり睡眠が浅くなるので、いくら寝ても寝たような気にならないし疲れがとれないのです。

今年の場合、次のYAキャンプは青年の家なので、電源さえあればCPAPを持っていけば、何の問題なく宿泊できるのです。

あとは近状として、昨日は風邪で高熱がでたが、今日は雨が降ったため湿度が高くなったためなのか、風邪の最近が鈍り、風邪が僅か一日で治りました。

一年で12月から3月までの期間は、寒いのであまり外出するきになれないし、やはり他の季節と違い身体がだるく感じます。

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YAキャンプとCPAP

睡眠時無呼吸症候群だと寝ているときの騒音は、横田基地にある飛行機のエンジン並みにすごく大きいのです。飛行機を飛ばす前に空気を圧縮するためにエンジンを回転させるのです。圧縮した空気でジェット機を発信させるのです。

無呼吸症候群とは飛ぶ前の飛行機みたいなものなのです。

空気を圧縮するためジェットエンジンの前にある、ターボポンプの音がうるさいのは重い貨物専用飛行機です。人間の場合も体重が重くなると貨物飛行機と同じことになるのです。

で、飛び上がる時がすごくエネルギーが必要なのです。
それだけ多くの酸素を使わなければならないからです。

キャンプに行くには必ず電源コンセントがあるかないかで参加できるかできないかが決まるのです。日帰りならCPAPは必要ないです。

単純に体重は減らないのは、基礎代謝量が異常に少なくなり、食べ物から取った脂肪だけが蓄積されるのです。食事の量が少なくしても、もともと筋肉などが少なくなれば肥満が酷くなるだけです。運動して筋肉をつければいいという意見もあるが、ちょっとの運動では簡単に筋肉は付かない。筋肉痛をするほど運動をしないといけないです。だから、ダイエット食品を買うしか無いのです。

夢の中で、YAキャンプの夢を見ましたが、CPAPがないと身体がだるい。身体全体に酸素が行き渡らないために、力がでないのです。それに疲れやすくなるのです。

だるい状態ですと、とにかく一人だけになって寝ることがあるのです。

酸素を身体に多く取り入れると、逆に細胞が活性化するので、ほとんどスポーツしなくてもスポーツマンらしく感じられ、スポーツマン独特のオーラーがでるのでスポーツ好きな人に好感をもたれるのです。

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mixiを良くするには分割するべきだと思う

かつてのように安心して使えるSNSにするには、少数化が一番良いとおもいます。

その意味では、mixiを分離させることが究極の解決策になると思います。そうすれば複数のアカントという禁じられたことも可能になるからです。

さらにホームレスにノートパソコンと発電機やバッテリーを無料で配り、社会的に最も酷い状態の人の本音も聞きだすことも大事だと思います。いやmixi対応の携帯電話という方法もあります。

非人道的な事を言う人は、その人たちだけが集まって警察がそれを監視すれば良いのです。たぶん、そのような人たちはバカだから無差別殺人オフなどは、どこかの掲示板で予告して「予告in」などに告発されるのです。無差別殺人オフ会をするまえに警察のお世話になるわけです。で、その人たちが正社員だったら懲戒解雇という悲劇があるのです。

mixiの分離とは、テーマごとで分離すると、キチガイと思える人が集まりテロリスト組織を作ってしまうので、これは年齢ごとに分離するべきです。

ようするに18歳以下のmixiとか、35歳未満の青年mixiとか、35歳以上のmixiなど年齢で別ける。さらに細分化させることで、小さなSNSにすることです。あとは地域別、都道府県別に別けることで、地域密着型のSNSにして、オフ会がしやすいようにするのです。で、アダルトならアダルトだけを分離すれば良いので、mixiを細切れにしないとmixiは良くならないと思います。

なぜ人々から愛が冷えてきているのか。それは将来に何の希望が無いと思わせるマスコミの報道があり、日本人には未来のビジョンが無いのです。不安ばかりが強く、宗教を嫌悪するので、最も信用できるのが自分だけなので、だから世界で最も自己中心的な人たちが増えてきているのです。結果的にはある意味では最も宗教的に大爆発的に発展しているのが「自分教」という宗教です。自分が全宇宙の帝王であり主人公であり、現実は全て幻だから他人は単なる幻影にしか思えないから、人に対して優しくなれ無いのです。

ようするに現代人の思想の変化が大きく変わったのは、宗教団体への偏見と憎悪をつくりだしたのが、オウム真理教の地下鉄サリン事件だと思います。それまでも宗教団体への偏見は強い民族性があり自分だけしか信じられない風潮があり、決して神様を認められない状態でしたが、オウムのために宗教団体への偏見が大爆発して、その結果、信用できるのは自分だけという自己中心的思想がより強化されて、世界最大の「自分教」国家になったのです。

キリスト教においてもいろんな個性の人がたくさんいるので、欠点一つを誇大に取り上げ、クリスチャンは人間として駄目なんだと思うのです。それも「自分教」の熱心な信者になるのです。

「自分教」ほど愉快で楽しい宗教は無いです。戒律はないし警察のお世話にならなければ何をしても良いとか、いや、場合によっては警察のお世話になる事をしても良い。自分が正義ならホームレスや身体障がい者を殺してもゴミ掃除みたいなものなんだとしか感じられないから、「自分教」はオウム以上のカルトなのです。

極限的カルトである「自分教」とは、悪質さにおいてはモルモンやオウムでさえも足元に及ばない、いや、それらの宗教がまともに見えるほどなのです!

人を怒らせたりバカにする事で、仮に相手が逆上して殺されても、それは殉教という形になり、自分教信者にとっては栄光ある死なのです。

自分教の場合は、自分が死ぬことはゲームオーバーであり、自分が死ねば世界も同時に消滅すると考えるのです。

あまりに不安が強い社会だと宗教が流行るが、なぜ日本において宗教団体という組織化した宗教が逆に弱体化するのか。それは自分教という自分が世界の中心という思想の宗教が最も流行っているからです。

組織化されていないから人間関係のいざこざも無いし、ネットで自分の意見をぶちまければ、それを賞賛する人がたくさんいるし、近い将来はオウム真理教と同じように確実にテロを行うのは火を見るよりもあきらかなのです。

組織化してない、自分教は一人一人が教祖であるからです。

その自分教信者を何らかのまともな宗教に改宗させ人間性を取り戻すためには、もう宗教団体同士の対立をしている場合ではないと思うのです。○○教は異端という場合ではなく、むしろ異端といえる団体と協力して、自分教信者を既成の宗教に改宗させて人間性を取り戻すことが重要なのです。

自分の考えですが、社会全体の事を考えると、他宗教との対話と強調が今の時代は必要とされているのです。

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mixi脳の恐怖!!人格崩壊!!

以前は「ゲーム脳の恐怖」と書かれた本が話題になったが、あまりにも非科学的なためみむきされなくなりました。

ゲームをしてもある程度精神的大人なら殺人シーンがあるゲームをしても、現実と空想の区別ができるのであまり人格には影響はないです。

mixiはゲームと違い、画面の向こうには現実の人間がいるわけです。感情を持った相手がいるわけです。

あまり非論理的で科学的ではないと思われるが、2ちゃんねるやmixiばかりやっていると、サイコパスになるのです。良心が麻痺して自分が無力なのに有能になった気分に浸れるのです。

これを「mixi脳の恐怖」というべきなんでしょうか。

まずmixiでは、反ヒューマニズムな書き込みをすればするほどマイミクが増えるし、コメントも増えるので、一晩中やっても疲れを全然感じられないほど楽しいのです。最低でも12時間以上パソコンにしがみ付いて、自分の意見、反人道的な意見と、厳格な正義と思える書き込みをするわけです。

パソコンも楽しくなれば、2から3日の徹夜でも、仕事に支障を来たさなくなるほど愉快な気持ちになれるのです。

ここまでボロクソに書き込むと、mixiを偏った見方をしていると思う人もいるが、やはり、世の中いろんな人がいるので、mixi中毒にになっていて知らない人にいきなり暴言を吐き続けて相手を本気で怒らせるのです。

なぜ、mixi脳になるのか、反人道的な意見を書けば書くほど、本音を暴露した爽快な人と賞賛して、それに続くように他の人も、自分が思った以上に酷い書き込みをするのです。

身がい者やホームレスを殺すのは娯楽であるとか、生活保護を受ける人間はクズとか、日本には福祉はいらないというのです。

ニートやひきこもりを過労死するまでの強制労働をさせるべきだという意見をすれば、多くのコメントが付くのです。ほとんどが、賞賛をするコメントなのです。

mixi脳になると人道主義が悪であるように錯覚するのです。

自分としては、mixiの年齢引き下げは反対なのは、たとえ18歳でも自我が確立していない。自分をしっかり保てない若い人が、悪質な情報に影響されてしまうと危惧するからです。

まず、思っていても本音を書くな!それが社会の鉄則です。若い人に悪い影響を与えるからです。



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何が正義なんだろうか?

一人の人が救われるなら自分は犯罪者でも悪者でもなっても言いと考える事があります。または、偽善的で名誉欲の塊と思われて栄光です。

現在、生活保護が受けられないで首をつって自殺する人も多々おり、または、今の日本では餓死者も数百人もいるわけです。日本の実情は先進国とは思えないです。

まず生活保護費は毎月8万円プラス家賃ですので、月に12万円から15万円までで、単身者だけではなく、家族がいる人も生活保護を受けているのですが、これが、かなり生活が困窮しているにもかかわらず、それを受け入れないで生活保護を拒否される人もいるわけです。

必死になって仕事をさがしてもなかなか見つからない。または、病気のために仕事ができないなど、結果的に自殺や餓死で死ぬ人がいるわけです。


もう一つは犯罪者に対する情け容赦ない厳格な態度です。
裁判員制度が行われることで日本は世界で最も死刑が多い国になる。中には冤罪もいるのに強引に犯人に仕立てられる。冤罪ではないか情状酌量の余地あるのではないかと言えば袋たたきにあう。だから裁判員制度には反対です。

mixiでは、人には情けをかけることは罪悪であり、他人には徹底的に厳しくするべきだということが大受けしているのです。ということはmixiで人気者になるにはアンチヒューマニズムを徹底化させ、自分が最も偉く絶対に正しいという態度が必要です。

mixiで人気者になるには
ダークな本音をぶちまける事です。

1・精神障害者や身体障害者を強制的尊厳死施設に入れてあの世に送り込むこと。

2・上記の人間には生きる権利が無い事を強調すること。

3・非正規雇用者などを人間扱いしない。そのような人たちを徹底的にバカにすること。

4・反対に優遇されている公務員や大企業で年収が多い人への嫉妬にみちた書き込みをすること。

5・福祉や人権などの否定。反人道主義の徹底。

6・自分が最も偉い人間であることを強調し、相手を見下す事。その相手を人間とは思わないこと。

7・人を怒らせるようなことのみを常に考えること。

8・自分には甘く他人には超厳格であること。

9・自分は常に正義であるという態度をすること。

mixiで人気者になるには、身障者をバカにするとか、身障者の真似をして人を笑わせるビデオを作ること。(身体が不自由な状態で動きがぎこちないのを真似して笑わせること)究極の場合は、国家の破壊!オフ会感覚で政治家でなく擁護施設への無差別殺人をする計画をたてることです。

はたから見れば悪魔そのものですが、本人達は自分の行いは神の意志に一致していると重い自分が絶対に正しい。なぜなら、自分の意見に賛同する人がいるから、下手すれば昨年の無差別事件がmixiの会員がオフ会感覚で行われるのではないかと思います。

派遣社員の集合場所を襲撃して刃物で刺すなど。

毎回、自分には大甘で他人には超厳格だから、人を何十人殺しても爽快感だけしかかんじられないのです。

その意味ではmixiは「自分教」のコミュニケーションツールとなっており、内容が悪質であればあるほど、普通の人から見れば、決して許せないことも、mixiでは絶対正義となるのです。

個人の人権の尊重、命の大切さなど言えば、それは「偽善だ!」というのです。
まともな事を言えば言うほど叩かれるのです。

自分は予言するが、きっとmixiが原因でオフ会感覚の無差別殺人事件もあり、警察に捕まっても、人は娯楽であると、開き直る態度となるのです。

非人道的な態度ほど、賞賛されるmixiは、あるいみではmixi悪魔崇拝者であり、下手な悪魔崇拝者以上に悪筆なのです。

mixi脳になることで、本当に警察のお世話になる人も出てくるのです。

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では、インターネットは人格を劣化させるから危険なんだろうか?

好むこのまざるもITとインターネットの発展は全世界が大きな打撃を受けない限り、つまり機械文明が続く限り永久に存在するのです。それを失くす力は何処の政府の力でも抑えられない。むしろ、良い意味で利用するしか無いのです。

最近は、派遣村など、またネットカフェ難民などへの強い攻撃的な発言が非情に目立っており、所詮、弱いものが自分よりも弱いものを攻撃して自分が強くなったと感じているだけではないか。

個人的に思うが、まだ暴力的なゲームのほうが社会的には健全ではないかと思います。言葉の暴力の束ねれば、多くの人たちが人間不信や人間嫌いに陥り、ますます引きこもりが酷くなるからです。

まず、ネットをすることで他人の痛みが理解できなくなる危険性があります。想像力の欠如と、思いやりを失うことです。その根源は自己中心主義が日本人に根強くあるからです。全宇宙の皇帝・帝王・王様・主人公は自分という、「自分教」が現代の日本の国教になっているからです。

「自分教」とは、目に見える聞こえる触れる六感で感じられるものはすべてまぼろしであり、人生はゲームの一つである。自分が死ねば世界は終わると思うのです。

自分教のツールとしてネットを利用するのです。

それが重症になれば、人を刺し殺しても罪悪感も何も感じられなくなるのです。まさにゲーム脳の危険性と似ているのです。

あまり科学的ではないが言霊というのがあり、自分が繰り返し語る言葉が人生を構築するといっても過言ではないです。言葉が習慣を作り、習慣が人格を作り、人格が人生を作る。

暴力的なゲームの場合は、画面に出てきた相手を殺すだけで良いのです。それ以上もそれ以下もないのです。だが、言葉による暴力とは、人生に疲れた人間の愚痴を読み、それを甘えと貶し、相手の人格を否定する事で、次第に人の痛みを創造する力を失い、良心が麻痺してくるのです。

個人的には「ゲーム脳の危険性」よりも「ネット中毒の危険性」のほうを取り上げて欲しいと思います。

その意味では宗教の必要性を痛感します。

人間は人間の智恵では理解できない存在を認識し、それを畏れる気持ちがなければ、ネット中毒者のように人を刺し殺しても、それが憎くも無い相手でさえも、目の前で血を流して死んでも、それを何とも思わなくなるのです。

いままで呼吸し動いていた人間という生き物が、自分の手で命を奪っても何とも感じられなくなるまで、他人の痛みが理解できなくなる。自分が全宇宙の神であると思うあまりに、自分だけが全て正しいという傲慢さ。

その基礎の基礎、一つの単位であるネガティブな言葉から人間は人間性を次第に失い、初めて殺人をしても、ショッキングな事とは思えなくなるのです。他人の痛みが理解できない人間を作り出すのがネットであり、それがたとえ本音や本心でも、それを心に隠す事が重要である。それを言葉として出す時に、次第にその人の人格が冷酷になり残忍さが増すのです。

今後、ネットの普及により、社会的に困窮している人たちへの罵倒が今後はより激しくなり、最終的には日本版ナチスが確実に誕生すると思います。

ナチスとは身体障害や知的障害者などを強制的に安楽死させ、少数民族への差別を徹底化した結果、ユダヤ人の大量虐殺を行ったのです。ナチズムとは地球上に生きる権利があるのは強者のみであり弱者はあーもうーもいわせず、あの世に逝かせる思想なのです。

早く、ネットで娯楽的な動画が中心となった状態、すなわち高画質な動画を無料で楽しむ時代が来る事を願います。

いずれ、ソドムとゴモラが滅びたように自分教という自分を偶像にした自然発生的な宗教を元にした社会は、確実に滅びる運命だと思います。

ネットをする人間は自分が正義だと思い傲慢になりすぎており、結局は自分教の熱狂的な信者なので、そのような人たちが自然災害でカタワになって生活に困窮しない限り、考えを帰られないと思います。

ようするに、そうなる前に宗教の必要性が重要であり、今の日本は政治をかえるよりも、一人一人の国民の心を変えなければ、どんなに天才的な政治家がいても、ナチスドイツのような状態になる宿命ではないかと思います。その宿命へと進まないために、宗教は重要だと思います。

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インターネットが作るバイオレンスジャックの世界

mixiのなかでもいろんな思想を持った人がおり、いずれは北朝鮮に本気で永住したいという人もいると思います。

1995年の神戸大震災の時、日本人のボランティアがたくさん来ましたが、次の第二次関東大震災のときには、たぶん日本国内のボランティアは極少数になります。さらに被災地においての犯罪の激増化もあり、または、将来を悲観して自殺者も数え切れないほどいるのです。それは単なる妄想ではなく、たとえば大正時代末期の関東大震災でも韓国人に対する虐待事件があり、それは、妄想から作られたデマによって自警団が多くの韓国人をリンチした事件がありました。

いまのような愛が冷えている社会では、警察力とか犯罪抑止力を失えば、ふだん過激なことを書き込んできている人が、本当に無法地帯を作り出す。すなわち、海外から来たボランティアへの襲撃、または警察官への暴行などがあり、避難所での荒しがあり、食料の強奪などがあります。

比較的被害が少ない場所から、とにかく被害が少ない地方部へ逃げる事が重要です。空港周辺など海外からの輸入品が大量にえられるからです。

なぜ日本では人間関係の愛が冷えているのに犯罪が比較的に少ないのか、それは、都市が密集しており、誰かが必ず監視しているようなので実行することができないからです。たしかにネットで過激な意見を言う人ほど何もしないのですが、その何もしないを奪えば、猛獣のように無差別に人を刺したりするからです。

ようするに比較的に安定した生活、会社を勤め、そして仕事ができない派遣社員やパートへの苛立ちをネットで爆発させるのです。それによって自分が強く有能になった気分に浸れるのです。

地震が恐ろしいのは大きな揺れによる都市部の破壊、建物の崩壊による人的被害よりも、そのあとの二次災害、復興するまで、または政府が管理できるようになるまでの期間に多くの犯罪や自殺、暴動などによる被害者のほうが自然災害よりも遥かに多いと思うのです。

インターネットが時代と共に社会の悪者にさせられるという構図が予測できます。

ようするに電車の中でもどこでも、ケータイで画面をみるのはなんだか異様な雰囲気があるだけではなく、ネットが及ぼす思想の影響、人格の影響ではないかと思います。

社会的に困窮しているものを貶すのは、実は困窮者よりも意志が弱い。困窮したら自殺を確実に選択する人たちで、本当に精神的に弱い人が、ただ幸運にも正社員としていられるが、日頃から自分への自信が無く劣等感の塊になっている人が、自分よりも立場が弱い人にしか攻撃ができないからです。

暴力ではなく必ず言葉で相手を傷つけることで、爽快感と優越感を感じる人間で、それが、社会そのものが崩壊したときには、生き残るためには殺人も何のためらいも無くできるのです。

ネットをすればするほど、劣等感の塊の心が弱い人間が傷を舐めあい集まりながら、ダークな人格をより強化させ、地震などの災害で社会や会社などが崩壊した時に、猛獣のように荒れ狂い、やけくそになって避難所の人間を殺したり暴行したり、または、せっかく助けに来た外国人ボランティアや消防署職員などを刃物で刺し殺すのです。

言動から次に来るのが、物理的攻撃、暴力なのです。

結論を先に言えばネットが人格に大きな影響を与え続け、人間性を失う。そして、社会そのものの秩序がなくなれば猛獣のように無差別に人を殺すようになるのです。

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mixiの猛獣どもめ!地獄へ堕ちろ!!

個人的にmixiは他の人にお勧めできないSNSだと思うのは、目立つ内容が、社会に対して非常に厳格すぎる書き込みが多いことです。

たとえば「生活保護即時停止を求める」とか、それが結果的には自殺幇助などになり、mixiをやると人間嫌いになるのです。特に犯罪者や犯罪の被害者への辛辣な意見など読むと怒りがこみ上げてくるので、まだ、悪魔崇拝をする人たちのほうが人間らしいです。

もし自分がクリスチャンではなかったら、たぶん悪魔崇拝をして、この世の人がもっともっと苦しむように強く呪ったと思います。政治家が悪いのではなく私たち全ての国民の道徳が低いから、現在の金融破綻だけではすまされない。いずれは、第二次関東大震災の二次災害(外国人のボランティアへの強盗、およびリンチ事件などの頻発化。食べ物の奪い合い。警察官への殺害など)のほうが被害者が多く、永井豪の漫画「バイオレンスジャック」のような世界になるのは確実だと思います。

第二次関東大震災がおきたとき政府は東京を確実に捨てるのは、治安が悪すぎる事と、東京を復興させる経済力や能力も日本には無く、むしろ地方の主要都市に首都機能を分散させ、東京は都から県へと落ちるのは安全を求め人口が急激に減るからです。

そして日本が貧しい国になって、国民がうぬぼれがなくなるまで辛酸なめに合うと思うからです。

モルモン教の予言、日本がモルモン教の中心地になるという予言。「私たち(アメリカ人)に取って代わるのが日本人だ」というナンセンスな予言は永遠に当たらず、むしろ、モルモン教はラテンアメリカ人に取って代わられるからです。

なぜ東南アジアやラテンアメリカでキリスト教が増えるのか、宗教への覚醒が起きるのか、それは貧困のため人々が謙虚になっているからです。

豊かさが悪い事ではないが、その反面、豊かな故に傲慢になり、自分よりも弱いものを攻撃する。攻撃的な言動をするのは、所詮、その人には弱さがあるからです。弱さを隠すために、攻撃しやすい人物や待遇の人間を攻撃する事で自分が強くなったような気がする。そのような人が、どんな理屈でもたぶん地獄に落ちるのではないか。いや、地獄に落ちる可能性が高いと思います。

キリスト教を知らない地域や時代に生きている人は、その人の良心の尺度で、どれだけ良心に従っていたかで天国に行けるか地獄に落ちるかが決まるのです。結局、悪意や攻撃心しかない人は、今は毎日たのしく愉快に過ごしているが、死んだ後に、この世のあらゆる苦しみを永遠に背負う宿命を刈り取るのです。

個人的にはmixiは大量の情報がある反面、人間の嫌なところをみて人間嫌いになる危険性があるので、自分の意志がしっかり保てない人は、間違えてもmixiに入会するべきではないです。

また、mixiが安心して使えるというのは大嘘であり、

むしろ、まだ男女の不純な快楽を求める出会い系のほうが、はるかに人間らしいです。

むしろ自分に甘く他人には厳格な人の意見のほうが人間性を全く感じません。

mixiを入るくらいなら、アダルトサイトの出会い系のほうが、遥かに道徳的です!

それでも一部の人たちがまだ善意の気持ちを持っており、悪意や偏見、差別感情に怒りをもつひともmixiにいます。悪意のみしかないかわいそうな人と衝突することが多々あるので、


そのうちmixiが原因で殺人事件が起きると自分は予言します!

そう、後で泣きたくなかったらmixiには入会しないで他のSNSに入会してください。

たとえば年齢層が高い「趣味人倶楽部」などお勧めです。
比較的に生活が安定している人たちが集まっているので、精神的に余裕があるので、社会に対する偏見や差別的な意見も無く、さらに精神障害者や生活保護を受けている人への差別もほとんどないからです。

また、mixiと違いアダルトなコミュニティ(掲示板など)が無いため、宗教や政治を強く主張しない限り誰でも参加できると思います。

自分の宗教の内容を書き込みたいなら「CURURU」というSNSがありブログ機能があります。参加者はmixiに入れない16歳以下の利用者が多いのが特徴ですが会員数が少ないので、換算としているが、その反対に変な人も来ないので、ある意味では安心して自分の意見を書き込むことができます。

肥大化したSNSは、異常人格者があるまりやすくなり、そのようなSNSにはモラルはなく、社会的弱者や生活困窮者への攻撃や罵倒などがあり、そこには人間性をまったく感じません。

所詮はモラルよりも儲けなんだと思うのです。経営者からみれば、多くのスタッフをかかえているから、キ○ガイ(サイコパス)でも神様(お客さま)なんです。



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お互いに疲れたものを伝道する

もし自分がモルモンの伝道部長なら、信仰生活に疲れたクリスチャンをターゲットにします。意外と牧師が簡単にモルモン教に改宗しやすいのは、熱い信仰を持てばもつほど、躓いた時の反動が大きいからです。

その時、果たして自分が選んだ道が正しかっただろうか・・・?と疑問に思うときは熱心なクリスチャンほど多いのです。

自分が危惧するのはキリスト教会では、ユダヤ教以外の宗教に無知であること。聖書を熱心に勉強している人ほど、他宗教の常識的なことに無知なのです。

少なくとも単純な概要だけでも知るべきだと思います。

この世の人は、神様とか罪など信仰をもつものでは当たり前の概念が理解できない。それから説明してから改宗させるまで時間がかかる。その間にボロがでて改宗に至らないが、クリスチャンだと共通部分があり、聖書なども使っているのです。

特にモルモン教に関しては、キリスト教会では無知さを実感するので、何人かのクリスチャンが、きれいな身なりの若い男性宣教師にひかれて、モルモン教の教義のレッスンに参加するのではないかと懸念するのです。

信仰はあくまでも自己責任ですから、また、信仰の自由があるので、クリスチャンからモルモンへ改宗する人には、何も説得できないのが現状なのです。

いまのところモルモン教に改宗したクリスチャンがいることを、あまり聴いた事が無いです。

まずモルモン教でも信仰生活に疲れた人しかキリスト教へ改宗させる事はできないのです。わざわざ幸せな生活をしている人、モルモン教が唯一真実だと信じている人に、モルモン教は間違えていると言えば、反発を買われるし、それを言うものは不信感をもたれるからです。

自分の場合は、数年間の過剰な人間関係のストレス。異常なまでの人格的未熟な人間が多いこと。それがモルモン教の顔になっているから、まじめにモルモン教を信仰するのがバカらしく感じたのです。

ではクリスチャンの信仰は、適当で言いのだろうか?否、本音言うと二度バカを見るのは嫌だという気持ちがあるが、キリスト教はあくまでもシンプルな宗教であり、ただ、キリストを信じて生活するだけで良いのです。

教会生活とか人間関係などは、二の次であり、大切なのは神様との関係だと思います。でも、理想論に思えるが、それが目標であり、とにかく信仰とは(モルモン教のように過度に)組織化されるべきものではない。組織化されたほうが良い場合があるが、本質的にはキリスト教は組織は教会以外は必要無いのです。

繰り返すが、モルモン教の伝道部長なら、ひとつはある程度聖書の知識がある人間を勧誘すること。そのほうがレッスンが順調に進みやすいからです。

信仰生活に疲れた人を狙うことです。

まず、信仰生活に疲れないのは他の教会員の目を気にしないマイペースな気持ちが重要であり、けっして無理をしないことです。

無理して、いろんな集会をでて疲れたら、自分の気持ちに迷いがでてくるのです。

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2回目の訪問しないの。復元イエスキリスト教会へ。

自分にとって誘惑だと思うのは、もっと楽で良い道があるのではないか、自分を必要としている教会がどこかにあるという考えから、復元イエスキリスト教会に転会を考えることがたびたびあるのですが、

論理的に考えると
最初で最後の、復元イエスキリスト教会の訪問で十分だったのは、英会話が得意な人には向いている人が通う教会です。それはアメリカ人と日本人が半分づついる教会ですが、ひとつは説教の内容が英語から日本語に訳すから内容が難しすぎること。もう一つは少人数なので、クリスチャンの知り合いが作りにくいことです。

復元イエスキリスト教会まで行く交通費をだすくらいなら、自分が通う教会に献金したほうが良いのと、

さらに良くない考えは、両立化しようと考えることです。
ミックス(教会の二股)というのは究極の自己中心主義であり、自分だけの宗教にしてしまうからです。

たぶん前回のセブンスディアドベンティスト教会に土曜礼拝に訪問したときに感じた、「ここは自分がいるべき場所ではない!」という強い感覚に襲われると思うのです。

両者の教会が自分にとって異様に感じるとか、不快に感じるのではなく、神様はもともと産まれながらクリスチャンになる人を選んで、その人に相応しい教会に導くものだと思うのです。

今は理由が理解できない、回答がなくとも神様が導いた教会には、毎週通うことが重要だと思います。

たまに他のキリスト教会の礼拝に出席することも大事ですが、それは、礼拝の仕方がどう違うのか知るべきであるからです。

いまの状態では電車賃もかけて今のところは他の教会の礼拝に行く余裕は無いのです。

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本栖湖キャンプの復活・なぜキャンプはモノクロ写真が良いのか

本栖湖クリスチャンキャンプ場は現在利用者がほとんどいないため、近い将来、そちらでキャンプをする機会があると考えます。

東京教会のサイトで、あまり本栖湖キャンプ場の写真がなく、芦ノ湖のキャンプ場の写真がほとんどであり、幸い本栖湖クリスチャンキャンプ場は廃墟になってない。代々木八幡キリストの教会やその姉妹教会が所有していたときのモノが残存しているらしいのです。

いや、むしろ使用頻度は少ない過ぎる割には、時代に対応した近代化処置をされており、誰でも利用できる場所になっているので、有志で使うには良い場所かもしれません。


その途中で、思い出の地、1980年代にモルモン教で数百人規模の独身者だけの修養会・キャンプ(サマーカンファレンス・略して「サマカン」)が行われたのが西湖のキャンプ場で現在ではPICA西湖という名称になっています。

昨年、早朝に近い深夜に行きましたが、全然建物が変わり、むしろきれいになりモダンになったと思います。ただし宿泊費は夏だと値段がとても高いので教会だけで行くには料金では無理があると思います。

とにかく80年代の時とは建物が代わってしまったのは確かです。

なぜ、モノクロ写真にこだわりを持つのか。
より鮮明に忠実に思い出を記録するには、ハイビジョン・ビデオカメラで録画すれば良いのです。あとはデジカメのほうがフィルム代を気にしないで何百枚でも撮影できるのですが、モノクロ写真は色がないため、それだけ情報量が少なく、後になって、自分の記憶を寄り鮮明に思い出す気力を持てる、当時の事を想像しやすいからです。

モノクロ写真は撮影した風景を忠実に記録するのではなく、自分がその時に感じ取ったイメージも一緒に記録しやすいのです。それは、

モノクロ写真は記録する写真ではなく作る写真なのです。

一眼レフカメラでモノクロ写真には必ず黄色や緑のフィルターをつけるのは、それによってコントラストを調整することができるからです。

だから、その場の雰囲気で作る写真がモノクロ写真であり、あるときは28ミリ広角レンズにしたり、または35ミリ、標準50ミリにしたり、絞りを広げ、周りをぼかしたり、逆に絞りを小さくさせることで、全体をシャープな画像にすることもできるのです。

これがデジカメだと、自動的に完全な写真を撮影するから、あとになっても、その時の心境を思い出しにくいのです。

良いも悪いも、その時の心理状態を撮影するのがモノクロ写真です。デジカメだと小さいし、場合によっては動画も撮影できる。動画も意外と鮮明なんです。(音質が悪いが)

デジカメだと一回のキャンプで数百枚でも撮影可能ですが、

実は写真は、数枚だけでも十分な場合もあり、たくさんはいらないと思うし、まして、一眼レフカメラだと大きく目立つので、邪魔な時は持ち歩かないから、写真に囚われないでキャンプに参加できると思うのです。

モノクロ写真は自分のその時の心理状態で作る写真であり、色とかの情報がないから、逆にその時の事を寄り鮮明に思い出そうとするのです。

ようするに楽しい思い出ができるという確信が無ければ、高い電車賃や宿泊費を払って行くわけは無いと思います。

1990年代にモルモン教のサマーカンファレンスをビデオ撮影しましたが、当時のカメラも大きすぎるし、ビデオだと人の動きや言葉を録画できるが、あまり、思い出に浸れ無いのです。
むしろ、ビデオテープが紛失した。または、捨ててしまったなどがあり、どこか、思い出の余韻に浸れ無いのです。ビデオの場合は。

また、当時のビデオカメラは電池は持たない、すぐバッテリーが上がるとても重いし、機動力は一眼レフカメラよりも悪く、帰ってから観ても全て録画したのを見るには2時間以上もかかるのです。

ビデオだととても思い出に浸るには時間がかかりすぎるから、当時の余韻が感じられないのです。

その意味では若干、情報量が少ないモノクロ写真の方が、最も相応しいと思います。

個人的にはキャンプ=お祭り(?)みたいなもので、一年で一度か二度しかない特別な機会なのです。

昨年の教会のLST夏キャンプでは、カラーとモノクロを混在したのは失敗だったのは、カラーだと色褪せてしまいやすく、それに、カラー写真が常識だというから、それを誰かに見せないといけない場合があるからです。

だからモノクロに統一すればよかったと思います。





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キリストの教会・YAキャンプについて その3

誤解されないようにさらに追加事項を付け加えます。

自分の場合、イビキが酷いので、治療を受けている最中ですが、深夜に無意識に騒音を出してしまうので、誰も迷惑掛けない場所とはトイレの中か、一回のソファーに横になることです。

週に一度か二度は、ICレコーダーで録音して、いびきが酷くないかどうか確認していますが、意外と昼寝をしているときはイビキはかかないらしいです。

これは、強い睡眠導入剤を飲むと、喉の筋肉が緩くなりすぎて、それが異常なイビキの原因になり、そのため、無呼吸になるのです。

で、疲れが酷い時に薬を一切飲まずに仮眠すとか、弱い睡眠導入剤を飲むと、それほどイビキはかかないです。

目的は、他の「キリストの教会」のメンバーと知り合いを作るためです。

迷惑を極力かけないように参加したいと思います。

目的は、親睦と霊的成長だと思います。
それができないと、8月の「修養会」という2泊の合宿に参加できないのです。

キリスト教会での高齢化が顕著になり、まして世代の空洞化で、20代の若者が極端に少ないため、常磐線沿線の教会の若い人が集まることは現代では、とても貴重な体験だと思います。

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YAキャンプについて。その2

「キリストの教会」のYAキャンプでは、高校生から自分が若いと思う人(原則では35歳までなんです)が参加できるのです。

食事に関しては、前回行ったように全て自炊というから、その意味では青年の家を使っても「キャンプ」なんだと思います。

たいていの場合は、カレーライスとか、「うどん」などがメニューとなります。

この発言は以前リアルに大顰蹙を買ったが、「モルモン教のほうがキリスト教会よりもキャンプが上手」という発言ですが、モルモン教では、数百人規模であり、キャンプと修養会が一緒になったものを皆で作ろうというから、当然、人海戦術で作るのです。

全ての人が企画に参加できるのは評価するべき事ですが、より完璧なものへと至ると、数百人もの人が満足するものを作るのは、どんなに頑張っても不可能です!

モルモン教の大規模なサマーキャンプすなわち「サマーカンファレンス」を作るには、準備期間半年で、完璧主義者のリーダーが、無理な事を要求したり、リーダーが逆に誰かに手伝ってもらえば良いのに、一人で抱え込んで責任を果たしたり、ちょっとでも不完全な所があれば、キツイ口調でしかりつけるので、宗教団体では、企業と違い人間関係に利害関係が無いため嫌になれば途中で投げ出す人もいるし、それが原因で感情的に根に持つ場合もあるのです。

暗黒の1990年代のサマーカンファレンスは、まさに修羅場であり、親睦を強めるよりも逆に敵対心を強め、そこから、モルモンを辞める人も出てもおかしく無いのです。


キリストの教会のYA(青年)キャンプの運営と準備については、個人的に不明なところが多々あるので何ともいえないが、参加するのはある程度大人であり、事故や怪我さえなければ、それで良いのではないかと思います。

こんなことは無いと思うが、もし、本当につまらないと思ったら、途中で帰っても良いと思います。


あと、モルモン教も同じ活発会員でも主流派と非主流派と分かれており、ネットでモルモン教を辞めた人をボロクソに言う人が意外と、何処に行っても人間関係が上手にできない非主流派の人たちではないかと思います。

自分も非主流派だったので、だから、信仰を失うように仕向けられ、内部が思った以上に腐っていた。処女狙いのためにモルモンに入信しに来たのではないかとさえ思える世俗性があり、正直な話、礼拝の時と、その場から離れた時にギャップが激しいのを強く感じます。

今さらなんだけど、何だかんだ1990年代のサマーカンファレンスで、散々きれいごとをいう青年会(独身成人)のリーダーによる、越権行為が頻発化して、ほんとうに準備や計画を立てにくかったです。というか自分のアイデアは何一つ採用させていただけませんでした。それなら、リーダーが準備の仕事を一括でやれば効率よかったのではないかと思います。

その意味では、サマーカンファレンスとか、うつ病が酷い教会員とのお付き合いなどから、正直な話、ガーメント(神殿に入る人が履く特殊な下着)などは、90年代後半頃から次第にはかなくなりました。

今まで堅く信仰していたモルモン教信仰も、次第に崩壊し始め、日曜日に買い物に行ったり、温泉に行ったりして、あと十分の一献金も払わなくなりだして、さらに、毎月の断食証会では証を一切しなくなりました。

それらは人間関係が大きな影響を与えたものだと思います。
だから日曜学校の教師をしても、自分がやっても授業にならない状態まで酷くなり、自分に対する敵対心さえ持つ人もいるわけです。

当然、次第にモルモン教に対する感情的敵対心が強くなるのです。


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訂正・マスコミについて

最近はマスコミの信頼を失ったのは、ネットの発達によるものだと思います。本来はマスコミが権力者の言動を監視する働きがあり健全な民主主義国家を運営できるはずでしたが、誰でも持っている漫画本一冊あるだけでアニメやゲームを悪者にして、逆にパチンコがらみのギャンブルなどが原因でもギャンブル業界を擁護する立場を取るのです。

社会的な弱者、報復できないものを悪者にして、本当の悪については何もいえないのは、以前書き込んだように、暴力団や警察よりも強いのではなく、逆にそのような団体の報復を恐れて悪者に仕立てられないのではないかと思います。

マスコミはゴキブリみたいなものという前回の発言をしましたが、自分のヒステリックな発言であり訂正します。

ひとつは報酬無き状態になった無政府社会となったとしたら、もう金銭などは何も価値が無いので、いかに生き残り、いかにしたら安住の地へ逃げ出せるかが問題であるから、そのためには現代の貧富の差は無いと思います。(金塊など値打ちあるものを盛っていたら何らかの役に立つと思いますが)

まず昭和時代ではないから、最後の最後まで報道をするようなマスコミの関係者はいないし、まして命を掛けて報道するマスコミ関係者はいないと思います。

それから、マスコミは「マスゴミ」と軽蔑して一括りしている内容ですが、全てのマスコミ関係者がゴミ(人間のクズ)といっているわけではなく、本来、マスコミの使命を次の世代に伝えないのが大きな原因であり、これはマスコミの世界だけではなく、あらゆる分野でも問題視されていることだと思います。

本来、国家権力者の監視や社会の不正を暴くはずのマスコミが、自分たちの安全と利益だけを求めて、悪くないものを規制させ、社会的弊害があるものを薦める社会にしたら、報道の自由でなく、むしろ放縦、野放しであり、ある意味では報道界の無政府化だと思います。

個人的な考えですが、マスコミに関しては温室育ちの苦労知らずのお坊ちゃまたちの集まりであり、そのような人たちに命を掛けて正しい報道をしなさいということを期待することに無理があり、

逆にネットでマスコミを「ゴミ」と軽蔑する匿名掲示板利用者などは、むしろより悪質で、人の欠点を見つけて喜び、優越感に浸るのも問題だと思います。

何を信頼して良いのか解らない現代社会では、モルモン教なら預言者の言葉となり、信仰を持たない人は、スピチアルの教師か、または神社の神主さんになると思います。

これだけ言えるのは、今後は戦前に日本にあった海外移民ブームが復活するのではないかと思います。


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キリスト教会のキャンプについて

昨年、2月にYAキャンプに参加してきましたが、

宿泊所から食事を作ってくれるわけではなく、全て自炊なのです。
ランダムに別けられた班で自炊を行うのです。国際色が非常に豊かであります。だから、英語も話せないと、思うようにコミュニケーションがとれないのです。

若く見えるなら、年齢には関係ないらしいです。
高校生から、自分が青年と言う気持ちがある人まで参加可能です。

最も大事なのが「アイスブレーキング」という自己紹介の時間です。

当然、個性が強い人が多いので、この時間が楽しい思い出にするか、途中で帰ってもう二度と参加したくないと思うかが分かれる重要な時間です。

あとは、イビキが酷い場合は、一回のフロアーで寝れば良いのです。今年の場合は、たぶん5月になると思うので、暖かくなり毛布一枚でも大丈夫です。

趣味の写真撮影も行う予定です。

自炊ですから調理は最低でも包丁で野菜などが切れないとならないです。

開催地まで行くには、早朝5時代に電車に乗っていかないといけないです。たまには茨城県は電車で行きたいと思うのです。

今から旅費の積み立てを行いたいと思います。

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大不況のときこそ借金をしてでも非常緊急事態宣教活動をするべきなのか

最近は、これでもかこれでもかと言わんばかりに不況を強調するニュースが多く、将来への不安を増長させるのです。

既にマスゴミ(マスコミの蔑称)は国民の敵、国民を混乱させる悪であることは普通の思考を持つ人間なら誰でも解るはずです。

マスゴミが求めるものとは何だろうか?将来を悲観しての暴動、集団自殺、無差別殺人の急増化ですか。

マスゴミが叩かないのはパチンコ業界と低俗なバラエティ番組の放置。子ども達に悪影響を多々与えているのに、年々、内容がより酷くなる一方であり、極論を言えば、戦争無き状態で、機械文明の停止。北斗の拳のような世界になるまで、最後まで生き残るのがマスゴミではないかと思います。

マスゴミを誰も抑える事はできない。たとえ政府と警察官、またはヤクザや武装右翼でも、それを止めることはできないです。

マスゴミはヤクザよりも遥かに強くなっているからです。

悲観的な未来社会とは、政府と企業がなくなっても放送局だけは生き残り、それでも、悲観的なニュースを電力が完全になくなるまで流し続け、この世からテレビがなくなるまで、使える環境でなくなるまで、低俗なバラエティ番組を流し続けると思います。

マスゴミとはゴキブリのようなものです。

本題の、大不況にはモルモン教信者が急増するという予言があたるだろうか?いまは、まだリアルに職業選択の自由があるから、逆説的には派遣切りを騒いでいるが、これ以上、個人消費が下がると、最終的には購買券がないと買い物ができない戦時中のような状態と終戦直後の配給制度まで堕ちるのではないか。

結果的には闇市ができるときまで、モルモン教会側が待っているのではないかと思います。

そのような時、モルモン教会側も多額の借金してでも、1980年代前半のような狂乱のバプテスマの復活。宣教師にはバプテスマのノルマをかせて、わずか5年内に日本では100万人の教会員にするのではないかと思います。

当然、人海戦術ですから、宣教師の質も劣悪になり、狂乱のバプテスマの時代を繰り返すが、たぶん1980年代とは違い、職業選択を妥協しなければならないので日曜日が休めない。給料が安い、一人で二つも三つも仕事を抱えるなどで時間が無いなど、精神的な意味での黄金時代は来ないと思います。

また、将来を不安に思わせるのは、これは宗教団体の圧力だと考えられます。不安が強ければ強いほど、信仰を持ちやすくなる傾向があるからです。

では、信仰を持てば、果たして以前のような豊かな生活ができるだろうか?できない、そして、精神的な豊かさという仮想的な豊かさしかえられないで、労力と金銭を教団から搾取され続けると思います。そのようになるのは、思考停止した人たちが大部分であり、あまり賢くない人ばかりがたくさん集まり、皆が不幸なら、宗教団体が何故、数にこだわるのか、たとえ月100円の献金でも、それが100万人の信者なら1億円にもなるのです。

信仰の大量販売による小さな儲けから巨大な富を生み出すことです。

だから、未来のモルモン教でも、1980年代ようなモルモン原理主義者はいないで、何も什分の一献金を払わなくても、断食(実際は断食をしていないが)献金だけでも日本国内で100万人の信者が増えれば充分やっていけるのです。

当然、教会員が飲酒や喫煙しても、誰も咎めないです。

そもそも、安息日の徹底厳守とか、禁酒禁煙の徹底などの知恵の言葉を守られるという期待は毛頭無いのです。

経済破綻が酷くなれば街でモルモン宣教師を頻繁に見かける時代がこれから来るのではないかと思います。

とにかく今の時期、虎視眈々と宣教師になれる若者をあつめ、いまの経済状態が続けば、モルモン教会側も多額な借金をしてでも、人海戦術的な宣教師を送り込む、それでも足りないなら日曜日の午後に教会員による街頭伝道も行うと思います。


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十分の一献金・モルモン教の義務

什分の一献金(以下・十分の一)は教会運営のために使われます。モルモン教では本部ビルが高層建築であり、いかにもお金がたくさんある教団だと思わせます。

たしかに他のキリスト教会でも、十分の一献金を行っている教派や教団などでは、牧師への給料を支払う事ができるのです。それをおこなっていないキリスト教会では、牧師が平日に社会に出て何等かの仕事・職業をしながら説教の準備をします。

モルモン教では十分の一献金は義務であり、それを行わなかったら、教会員としての地位が脅かされるのです。

実は十分の一献金ではさまざまな弊害があり、

ひとつは

モルモン教内で兄弟姉妹という仲間意識を利用したネズミ講が流行りだす。それは時代と共に形や目的を変えながら浸透していくのです。

高価なタッパーの販売(内部の空気圧が少なくなるから食料の保存に有利)から、鍋の販売など、多くのものを買い込みそれを他のモルモン教教会員に販売させやすいのです。で、義理で高価なものを買わされたり、または、自らが儲けるためにディラーになることで、多額の負債を受けてしまい破産してしまうのです。

ローカルにおいては、そのような弊害が多々あるのです。
それなら十分の一を払わないで、堅実な生活を送るべきだと思います。

そもそも、クレジットカードの所有は金銭を借りる可能性があるのでダメだと思います。買い物には便利で現金を持ち歩かないで済むのですが、個人的には全てはローンを組まないでモノを所有する。だから、自動車購入や海外旅行なども貯金を積み立てしてから買うべきだと思います。

上記のことはモルモン教でも借金を一切しないことないことが教団無いで教えられており、例外は家を買うときと、事業を始める時だけです。

モルモン教では当然、ギャンブルも禁じているので、パチンコ・競輪・競馬の公共ギャンブルから株の取引までしない、投資を一切しないように警告しているのです。

現在、非正規社員の増加から、収入の激減りに陥り、十分の一献金を払うのが困難な教会員増え、上記の事を守らない信者がいてもおかしくないと思います。

だから生活に困らないように、モルモン教の福祉制度があるのです。物品で支払うとか、教会堂の清掃などの労働などで、時給として現金を支払う制度があるのです。そのような立派な制度がありながら、教会員側では貪欲とか見栄、教会側では頑迷なほどに十分の一献金を支払わない教会員に制限を与えるのは、結果的には、ネズミ講とか株の投資などを行うことになると思います。

キリスト教会では、詳しいことは書けないが、柔軟な献金制度があり、あくまでも個人が決めた金額を支払うことなのです。

ようするに働いたお金の10パーセントを神様への感謝として捧げることは大事だと思います。

十分の一献金だと、もし万が一自分が信仰を失った時、その数年間、または数十年間の金額が積み立てると、数百万円になるので、モルモン教など安易に入信する人は、思考が停止していると思うのは、もし、将来挫折するとしたら大きな後悔の念に駆られるからです。十分の一献金は法律的には『贈り物』として捉えられ、信仰を失ったから帰してくださいといっても、与えた物を返す権利は受け取ったほうには返す義務は無いからです。

たとえば年収300万円なら、年30万円、それに数年の時間を掛けると、10年なら300万円という高価な金額になります。

もし、モルモン教を入信を考えるなら、一生涯モルモン教を辞めない自信がある人なら、十分の一献金を払っても構わないと思います。そのかわり貪欲や見栄から上記のネズミ講とか株の投資などしないよう十分注意するべきです。ローンも極力組まない、できればクレジットカードを一生涯使わない事をお勧めします。

献金の金額も、クリスチャンになると、習慣化して、あまり記録をしない管理を怠りがちですが、自分がどれだけの金額を神様に捧げたのか自己管理をするべきだと思います。

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1990年代が何故ノスタルジックな気持ちになれないのか。

過去でもノスタルジックな雰囲気に浸れる時代と、そうではない時代があります。特にその時代に流行った音楽に大きな影響があると思います。

1980年代では、アイドルからアニメソングのシンガー・飯島真理さんの音楽が最も80年代らしく、よく自動車の中で聞いていました。

youtubeなどで「マクロス」シリーズのテーマソングとか映画版のエンディング・天使の絵の具など聴くと黄金時代は80年代だったことを象徴していると感じます。

1990年代になると、広瀬 香美の「ロマンスの神様」が流行だし、女性が上位、結婚相手の条件も3高厳守となり、顔はそこそこきれいだが、男性からみて全然かわいくない、むしろ生意気だと思い、これが現代の男性が現実の女性に興味を持たなくなり、アニメキャラに恋する男性が激増した始まりだったと思います。

90年代はイベントは浮いた感じになるし、さらに、それが、次第に「鬱」気分を増長させ、なんというかあまりも楽しい思い出が無い。まして人間関係も悪化して、後から入信した年下の教会員が、自分の事を敬遠してきて、それを最長7年間は我慢してきました。

90年代でも森高千里など優れた歌詞・聞いていて面白い歌詞を書く歌手が活躍していたが、今聞いても、古いとしか感じられないのです。だから、全然、同じ古いものでもノスタルジックな気持ちになれるものと、そうではないものがあるのです。

ノスタルジックな気持ちになれないのは、その時代がいろんな悩みが多く楽しい思い出が少ないことが原因だと思います。

90年代は世紀末を思わせる、暗いニュースが多々あり、長期不況の始まりでもあり、まして、年齢的にも既に子どもがいてもおかしくないはずなのに独身なので、寂しさとか疎外感、孤独感などあまり思い出したくない時代なんです。

では、現在は何と言うか新90年代だとおもいます。
昨年、教会に戻った時、一時期は安心して神様を礼拝できると思ったが、誤解されないように良く読んで欲しいけど、モルモン教時代ほどひどくはないが、将来への不安、地に足が付いていない状態。そして自分の居場所は何処にあるのか、神様は何を望んでいらしゃるのか。2007年から自殺願望が強くなり、一種の絶望感を感じており、これが「新90年代」なんです。で、結局は戻るところは元の「キリストの教会」だったということなのです。

2000年代もあと僅かで終わり、次の2010年代に入りますが、少しでも希望を持てる時代になって欲しいと願います。

あと、某SNSを脱会する事を考えています。
もともとクリスチャンとの交流を目的にしたが、クリスチャンコミュのほとんどが議論が多く、それに、都心の某教会の牧師関係者から何の理由を言わずにアクセス禁止をされたことは、とても強いショックを受けました。

その意味では、信仰関係では守りに徹したほうが懸命な選択だと思います。

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逆にクリスチャンからモルモンへ改宗させる地盤

以前は、もっと早くモルモンをやめるべきだと思いましたが、

もし、自分の判断で10年早く辞めたら、逆に今頃はモルモンに戻る可能性も多少はあるかもしれないです。

反モルモンをしていた時代に、再度のバプテスマを行われたことが多々あり、ほとんどが、某日本人教会幹部が日本の地を牛耳っていた時代に破門されたり、または、疑問に思って退会した人がほとんどで、以前よりは良くなった、某日本人幹部の力も弱くなったということ。ある人は別の宗教に入信したが何処も同じようなものと思い、モルモンに戻る人が多かったと聞きました。

確かに、キリスト教でも年々、平均年齢が向上しており老齢化が顕著になり。老齢化による頓珍漢な言動にうんざりしてしまえば、間違えた選択をする場合があると考えられます。

個人的には、クリスチャンである自分の場合は、まず人間関係も大事だが、人間関係で躓いてクリスチャンを辞める必要はない。そんな事をしたら神様を否定すること意なるからです。

モルモン教はピラミット型の組織であり、人間関係重視の宗教ですが、キリスト教は最悪の場合は、他の教会に転会するという最終手段がありますし、または、家庭礼拝をする知り合いの家族のところに行くという方法もあると思います。教会という枠組みにとらわれずに、信仰生活を続けられるのがモルモン教と大きな違いです。

もし10年早く教会を辞めてしまったら、別の教会に通っていた。

そこで、人間関係に躓くと、戻ろうかという迷いを感じる場合があると思います。

要するに口では、いくらでも理想論を言えるが、これを実行するのはとても難しいし時間がかかるのです。一生懸命にやりすぎる教会員について来れない、それを追いかけるのが疲れるので休むと、嫌な顔をされるが、そもそも人の顔色を疑うよりは、自分が神様と繋がれるために、自分のペースで進むべきだと思います。

モルモン教の場合は信仰の中心はあくまでも教会であり、自分が所属するワード部や支部なのです。

キリスト教の場合は、父なる神様とイエスキリストが中心であり、教会はそれを学ぶ、礼拝するための媒体でしかないのです。(クリスチャン一人一人が教会の一部という人もいますが)あまり人間関係にわずらいを持つことは、良くないことだと思います。

某SNSでは、ある教会の牧師関係者からアクセス禁止をさせられ、それ以来、その某Aさんが所属する教会に行きたくないのが正直な気持ちです。大きな教会、100人は通う教会ですが、インターネットの環境もない人なら、自分が来ても歓迎される場合があるが、某Aさんという牧師関係者は、たぶん危険思想を持った危ないクリスチャンとしてみているので、歓迎できないらしいです。

無言の対立という現象が起きているのです。

あとは加速度的な成長を求めて、支配されるようなものがあれば、それは徒弟制度がある東京教会と同じことになるので、あくまでも自分のペースを乱す必要はないと思います。

個人的には東京教会にもモルモン教にもまったく通う意思はないです。

過去をノスタルジックな思い出に浸るのでもない。むしろ現在は無理をせず守りを徹底化するべきではないかと思います。

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狂乱のバプテスマときの宣教師の品位の低さ

1980年前後はモルモン教会員が急増した、また、現在のような金融恐慌で社会が混乱して、多くの人がモルモン教に訪れる時代が確実に来るという説教(1982年のステーク大会の話し)があり、たしかに金融恐慌で世界的に景気が悪くなる事を予言は当たったが、はたして、多くの人がモルモン教に訪れるだろうか?

モルモン教に改宗するのは宗教的な下地があり、モルモンに入信すれば、生活が保障させるモルモン教会の福祉プログラムがあるからだと思います。その辺で現実的には、モルモンに入信する人が増える可能性はあると思います。

既にラテンアメリカでは貧困のために生活に困ってモルモン教に入信するので、モルモン教がラテン化するのは確定しているくらいです。

話しがずれたが、当時のモルモン教の宣教師のレベルは、実は神様を信じていない。とか、まして宣教師の厳しい規則を守らない人が多く、伝道部長が見ていないところで、逸脱した行動が見られました。

そもそも日本人女性がモルモン宣教師をアメリカまで追いかけてくる場合もあるのです。

自分が楽しかった輝いたいた1980年代に既に腐敗しており、それが90年代には教会員にも広がり、モルモン教はたんなる人間の寄せ集め、宗教というよりも社交クラブみたいなものになり、敬虔な信仰をもつのがアホらしく感じてしまうのです。

自分も90年代の真面目な信仰生活とか神殿での奉仕、宣教師と一緒に伝道活動をしたことが、なんか今思うと失敗であり、所詮、宗教の名をかりた社交団体です。

自分が通っているS嶋さんなどが、ワード部の顔みたいであり、彼が最もモルモンらしいモルモンで、ワード部なら、Tワード(某鉄道の終点のモダンな住宅地)が最もモルモンらしい宗教施設だと感じました。

ベタなアメリカンな雰囲気と、仲間内しか通じないジョークとかあり、当時、同じモルモンであった自分でも違和感を感じるほどです。

あと、モルモンニズムは「結婚」を重視していたが、独身の若い人はそれに反感を感じており、ほとんどの若い人は自分にかなり自信があるのか、結婚セミナーなどには参加しないです。それに参加するのは地方の教会員がほとんどですから、長距離恋愛になる場合もあります。

結婚相手探しに熱心になるか、または、結婚に無関心で自分は結婚しようとすれば、いつでもできるという自信満々の人もいるわけです。自分の所属していたワードでは後者の人が多く、結婚そのものに不安を強く感じる人が多いのです。

2000年代のモルモンは良くなったかどうか不明ですが、某SNSのモルモンの若い人は、ちょうど自分が80年代にエンジョイしてたように、それなりに充実した信仰生活を送る2世の人がおおく、改宗者はほとんどが偽科学やオカルトからモルモンへと改宗した人が多いです。たぶん、改宗者は長くは定着しないのは、浮いた感じになる、仲間はずれにされたと思うから、次第にストレスを感じてやめてしまうと思います。

ようするに、モルモン教宣教師が初めからモルモン教の道徳標準を守らない。だから、自分たちも守らなくても良いという風潮が日本のモルモンを腐らせ、暗黒の90年代にしてしまったと思います。

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実は初めからモルモンではなかった。狂乱のバプテスマでの洗礼の強要!

まず地球は丸いと実感できるには、かなり高いところにいないと実感できないように、自分の背の高さだと地球の丸さを実感できないです。

では、客観的に宗教的な意味での本当の入信とは。それは自主的な意思で入信の儀式を受けることです。

1980年前後にモルモン教会では狂乱のバプテスマという現象があり、外国人宣教師(主に19歳くらい)がカタゴトの日本語でフレンドリーで話しかけてくるのです。初めて外国人の知り合いが出来たという喜びがあるが、例のジョセフスミスの最初の示現という二人の神様に逢ったというスライドを見せたら、信じる信じない関係なく、「アナタはこれからセンレイを受けてモライマス。」といきなり白い衣服を着替えさせて、宣教師アパートとか伝道所で強制的にバプテスマ(そもそもバプテスマもどき)を受けさせるので、

もし当時の自分の年齢に戻ったら、いったんそれを取り消す。入信するのは自分の人生では最も大事なことだから、自分が納得したら、それで入信の儀式を受けたいから、強制的な入信儀式を破棄して欲しいと手紙を出すと思います。

17年後にその手紙をだしたので結果的には、17年間モルモンの求道者だったということになるのです。

17年でも長すぎると思うし、そのあいだの献金のお金とか、労力とか時間などはかなりのものになるのです。

個人的には、厳格に守るように仕向けたモルモン教の指導者が、思考の停止をさせて、挙句の果てには、90年代から神殿での儀式を受け奉仕するように仕向けたが、

1988年まではモルモン教会の生活は楽しかったが、ドンドン新規の年下の若い人が入信してから別宗教団