臨死体験とキリスト教の来世観の違い
1990年ごろから立花隆さんの「臨死体験」の本がでており、自分の場合は「かいま見た死後の世界」と言う本を何度も繰りかえり読みました。
霊魂の存在は実証されているという事のみしか解らず、また、全ての臨死体験者に共通するのが、ある境界線(日本人的な表現だと「三途の川」)を超えた人はいない。それを超えると完全に死ぬ事になるからです。だから、その境界線を越えると二度と、この世に戻れない。別の良い方すれば絶対に蘇生しないのです。
たとえ自殺者でも、安楽感・安堵感に満たされる場合がほとんどですが、自殺をさせないために、あえてそのような情報を内密にして、自殺者の僅かな事例、地獄的な世界(仏教の地獄絵図みたいな光景)を見たとことを強調されます。
臨死体験をした人のほとんどが、思いやりを持った人間になれるのです。価値観が大きく変わるのです。
ただし、臨死体験をしたから、今まで信じていた宗教から、別の宗教に変えるという事は、ほとんどないです。
霊魂と死後の世界は実在するのは確かであり、または、神様とか天使、別宗教的な言い方すれば高級霊を目撃したという事例もあり、脳内における強い幻覚ではないのは、臨死体験をしている人が、目隠しされた状態でも、天井から自分を蘇生させる医師の姿がはっきり見える。それを鮮明に記憶できるので、その間、何をしたか話す事ができるのです。
その意味では死後の世界は存在する。霊魂も存在する。神様が存在するという事は確かであるが、
ひとつは、人間の魂は永遠に滅びないのか?死後の世界の社会とはどんなふうなのか?
そしてキリスト教会が口うるさくいう無限の地獄は実在するのか?その辺は、誰も見て来て、生還した人は一人もいないので、地獄や天国の存在は、信仰の世界の問題だと思います。
地獄がなければ、人間は何をやっても裁かれないから、いくらでも悪い事ができるからです。
プロテスタントでは神様は無限の御方だから、死後の世界も無限の世界であり、天国と地獄の両極の世界が存在しており、無信仰者や信仰が弱いものは、地獄に落とされるという教派がありますが、
カトリック教会では、キリストを知らないで死んだ人たち(キリスト教が伝えられない。キリスト教信仰をする自由がなかった地域や時代の人たち)さらには知的障害者や幼児期に死亡した人たちなど、不可抗力の人たちには、煉獄という地獄よりは、はるかに快適な世界で、キリスト教が伝えられており、煉獄でキリストを信じれば、天国に行けるのです。
あとエホバの証人とかセブンスディアドベンティスト教団の教義では、地獄は存在しないという聖書解釈をしています。悪人の霊魂は死亡したときに消滅するから永遠に自我と意識がない状態になるのです。
キリスト教会では臨死体験のことは、あまり語られないし研究対象になっていないので、かりにクリスチャンで臨死体験の経験をしても、それを秘密にしたまま生涯をすごす場合もあると思います。
また、一部のペンテコステ派は、臨死体験を悪魔の業とみなしています。
クリスチャンではない人が、死んだ時に、お花畑をみたり、光の生命を見てひじょうに心地良い気持ちを感じたとか、そのような体験談が広まると、なにもキリスト教に改宗する必要はないとか、熱狂的なクリスチャンになる必要はないと考えるようになるからです。
逆に自殺未遂をして、生還するまで、とても不快で、ひじょうに恐ろしい体験をしたと言う話しだと大々的に、その事を宣伝するのです。(自殺未遂者のほんの僅かの事例しかないのです。)
キリスト教と臨死体験談で共通しているのは、旧約聖書のダニエル書に「死の谷」が、臨死体験の暗黒のトンネル体験に似ているところです。


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