臨死体験とキリスト教の来世観の違い

1990年ごろから立花隆さんの「臨死体験」の本がでており、自分の場合は「かいま見た死後の世界」と言う本を何度も繰りかえり読みました。

霊魂の存在は実証されているという事のみしか解らず、また、全ての臨死体験者に共通するのが、ある境界線(日本人的な表現だと「三途の川」)を超えた人はいない。それを超えると完全に死ぬ事になるからです。だから、その境界線を越えると二度と、この世に戻れない。別の良い方すれば絶対に蘇生しないのです。

たとえ自殺者でも、安楽感・安堵感に満たされる場合がほとんどですが、自殺をさせないために、あえてそのような情報を内密にして、自殺者の僅かな事例、地獄的な世界(仏教の地獄絵図みたいな光景)を見たとことを強調されます。

臨死体験をした人のほとんどが、思いやりを持った人間になれるのです。価値観が大きく変わるのです。

ただし、臨死体験をしたから、今まで信じていた宗教から、別の宗教に変えるという事は、ほとんどないです。

霊魂と死後の世界は実在するのは確かであり、または、神様とか天使、別宗教的な言い方すれば高級霊を目撃したという事例もあり、脳内における強い幻覚ではないのは、臨死体験をしている人が、目隠しされた状態でも、天井から自分を蘇生させる医師の姿がはっきり見える。それを鮮明に記憶できるので、その間、何をしたか話す事ができるのです。

その意味では死後の世界は存在する。霊魂も存在する。神様が存在するという事は確かであるが、

ひとつは、人間の魂は永遠に滅びないのか?死後の世界の社会とはどんなふうなのか?
そしてキリスト教会が口うるさくいう無限の地獄は実在するのか?その辺は、誰も見て来て、生還した人は一人もいないので、地獄や天国の存在は、信仰の世界の問題だと思います。

地獄がなければ、人間は何をやっても裁かれないから、いくらでも悪い事ができるからです。

プロテスタントでは神様は無限の御方だから、死後の世界も無限の世界であり、天国と地獄の両極の世界が存在しており、無信仰者や信仰が弱いものは、地獄に落とされるという教派がありますが、

カトリック教会では、キリストを知らないで死んだ人たち(キリスト教が伝えられない。キリスト教信仰をする自由がなかった地域や時代の人たち)さらには知的障害者や幼児期に死亡した人たちなど、不可抗力の人たちには、煉獄という地獄よりは、はるかに快適な世界で、キリスト教が伝えられており、煉獄でキリストを信じれば、天国に行けるのです。

あとエホバの証人とかセブンスディアドベンティスト教団の教義では、地獄は存在しないという聖書解釈をしています。悪人の霊魂は死亡したときに消滅するから永遠に自我と意識がない状態になるのです。

キリスト教会では臨死体験のことは、あまり語られないし研究対象になっていないので、かりにクリスチャンで臨死体験の経験をしても、それを秘密にしたまま生涯をすごす場合もあると思います。

また、一部のペンテコステ派は、臨死体験を悪魔の業とみなしています。
クリスチャンではない人が、死んだ時に、お花畑をみたり、光の生命を見てひじょうに心地良い気持ちを感じたとか、そのような体験談が広まると、なにもキリスト教に改宗する必要はないとか、熱狂的なクリスチャンになる必要はないと考えるようになるからです。
逆に自殺未遂をして、生還するまで、とても不快で、ひじょうに恐ろしい体験をしたと言う話しだと大々的に、その事を宣伝するのです。(自殺未遂者のほんの僅かの事例しかないのです。)

キリスト教と臨死体験談で共通しているのは、旧約聖書のダニエル書に「死の谷」が、臨死体験の暗黒のトンネル体験に似ているところです。




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やはり地獄はあると信じなければ人間は悪を喜んでするようになる

キリスト教が極端に衰退している地域は、「万民救済説」すなわち「どんな悪人でも死後の世界では救われる」とか「地獄は存在しない」という極端な神学を信じている教会が多いところだと思います。

「神様は無限の慈悲と愛を持った御方」ということは、逆に「無限の正義の御方」であるので、個人的に思うのは、地獄は存在すると信じなければ、どんどん悪い方向へ向かってしまい堕落してしまうと思います。

もし「地獄はない」ということが実証されると、人間は自分に甘く意志が弱い存在だから、自分中心の思考になり、きびしい競争社会で周囲の人の足を引っ張ることに夢中になるか、逆に、この世に何の未練がないと思って自殺するしかないです。

「地獄がない」という事が実証できたとしたら、万引きも平気でできるし、自分よりも弱い人に辛辣な態度をとっても何の罪悪感も感じない。ようするに、今まで良い人でいることが苦痛だった人とか、良い人であることに疲れた人などは「地獄がない」という宗教を熱心に信じると思います。

逆にキリスト教会(プロテスタントのメソジスト派など)では、ジョン・ウェスレーが、地獄の恐ろしさについての説教をしたときは、あまりにも恐ろしい話のために、年配の女性が失神したという伝説もあるようです。キリストを信じてキリストの戒めを知っていながら守らない人は、キリストを知らない人よりも厳格な裁きを受け、自分はクリスチャンになり、何も大きな罪を犯していないと思って確実に天国に入れると確信したのに、地獄に落とされるということです。

どの基準で天国に行けるのか地獄に落ちるかは解らないが、もし地獄がないと信じたら、何をしても罪にならないと思って、自分勝手な生き方をしてしまうと思います。

クリスチャンの場合、信じるだけで自分の好き勝手で自己中心的な生き方の最悪の生活しても、地獄に落とされることは逃れると思うと、本当に自分勝手になり、どんどん悪に手を染めてしまい、最後には誰からも相手にされなくなり、地獄に落とされるのではないかと思います。



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西ヨーロッパのキリスト教会は教会としての機能を果たしていない

ヨーロッパ系のクリスチャンの大部分は、カトリックかギリシャ正教であり、プロテスタントは極少数派であるから、現代の日本のキリスト教徒の比率よりも少ないかもしれません。

最近は西ヨーロッパのキリスト教会がイスラム教のモスクへと改築されることが非常に多くなっており、また、7000人が収容できる巨大モスクの建設が計画されています。

ようするに西ヨーロッパはキリスト教圏ではなくなったのです。

逆に東ヨーロッパでは、ギリシャ正教の信者が圧倒的に多く、逆に元ソ連邦だった中央アジアではギリシャ正教への改宗者が増加しているのです。ようするにソ連共産党時代には宗教弾圧が強く、あらゆる宗教の聖職者を処刑してしまった結果、多くの人を引き付ける人材がほとんどいなくなり、なんちゃって聖職者が外国人観光客をひきつけるために、宗教施設でお酒を呑んでも良いとか、また、日本的な言い方すれば「拝観料」としょうして、観光客からお金をとることで生活を支えていたのです。

だから地下に潜伏した有能なギリシャ正教の信者が、ソ連邦解体後に伝道活動をして、被害を免れた信者による伝道活動によって東ヨーロッパでは、信者が増加傾向となっているのです。

その意味では、中南米やアフリカ大陸南部と東ヨーロッパがキリスト教圏であり、かつてキリスト教圏の西欧や北米は宗教的空洞地帯か近い将来イスラム圏になる可能性が高いです。(西ヨーロッパのプロテスタント教会では、クリスチャンにならなくても天国に行けるという神学があるため全然伝道活動も日曜礼拝もしないのです。)

西ヨーロッパの古いキリスト教会は、日曜礼拝をしない、むしろ観光地にして「拝観料」を取る事で牧師の生活資金にするのです。そのため、プロテスタントの信者の比率は日本よりも低いのですから、キリスト教=カトリック教会しかないということになり、プロテスタントはキリスト教系新宗教という扱いであるが、全然、伝道活動をしないから、次から次へと、他の宗教の施設へと改築するという状況です。

プロテスタントの教派は無数あり、それぞれ教義や聖書解釈が異なるので、なにが真実なのかわからないため、それでモルモン教に改宗する場合があるのです。

モルモン教は頑ななほどに「原始キリスト教会を回復させた」と強く主張し、他のキリスト教会は背教した人間が勝手に作った宗教だとみなしているのです。

実は、宣教師からモルモン経をもらって、本を読んでみましたが、これは初めから読めば、矛盾だらけなんです。

簡単に言えば、カラカラに乾燥しているアラビア半島を、食料も水も持たずに、一家そろって現代のイエメンまで徒歩で歩いてたどり着くのは奇跡であり、物理的には不可能だと思うのです。

強盗がいるなら、周囲には猛獣がいることになるが、強盗にきずかれずに、猛獣を捕まえるのは命がけであり、さらに、東京から名古屋までの距離に行った時に、リーハイが「聖典がどうしても必要だ」とわざわざエルサレムに戻し、そこで聖典(それも真鍮版の重たいもの)を取りにいくために、殺人をして、さらにニーファイが声色を使って、召使を誘拐して、そのまま連れて行くのは、現代でいえば強盗殺人と誘拐事件だと思います。

彼らは何も食料を持たないで、弓矢で獲物を取るが、神様の啓示で火を使うなというから、生の肉を強い日差しで干したのではないかと思うが、それだと、ビタミン不足に陥り、体調不調を起こして、満百キロの距離を徒歩で、炎天下の砂漠を歩く体力はなく、普通の人間だったら途中で野たれ死んでしまいます。

ましてイエメンから何の知識もなく、さらに、ニーファイが作った船が、どこの陸地に休憩せずに、そのまま1万キロ以上の距離を海でわたることは、どう考えても不可能だと思います。
(ニーファイは船の知識がないのに、インド洋と太平洋を渡る船を作り上げてしまったのです。また、航海の知識も世界地図も無いのです。どうやってアメリカ大陸に渡れるのだろうか?)

インド洋から太平洋への距離は、気が遠くなるような距離です。

だから、現在の自分の思考力があれば、科学的な矛盾がたくさんある部分を読んで、モルモン教には改宗しなかったと思います。

それでも、日本には2万人もの熱心なモルモン教信者がいるのです。

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ガンダムの世界ではスペースコロニーが180機ある

まず軌道(宇宙)エレベーターとスペースコロニーが作られる時代とは、完璧な超管理社会であり、ある意味では戦争と内戦もない、だからテロ活動をしたくても絶対に出来ないような、権力がひじょうに強い地球連邦が形成されないと、作れても作らないと思います。

機動戦士ガンダムのオープニングのはじめのシーンでは、スペースコロニー落としでニューヨークらしき街が破壊されました。水爆数発分の破壊力があり、実際はこれだけでも、核の冬が訪れ、地球が急激な寒冷化によって、食料不足になり大部分の人たちが餓死するのです。

一つのスペースコロニーに2億人が居住できるものを180機も作るとしたら、周囲にある月面の岩石や大量の小惑星を捕まえても足りないので、木星や土星の衛星をもスペースコロニーの材料になるのではないかと思います。

まだ人類が月面基地や火星基地を作り、ロケットで宇宙に行ける時代は、超大国や先進国が独占している状態なのです。だけど、「プラテネス」のように地球周回軌道の大型宇宙ステーションを一つ破壊しただけで、大量のスペースデブリが出て、人類の宇宙進出が当分先になってしまうのです。結果的には地球に閉じ込められた人類は、人類が存続する限り永遠に限られた資源の奪い合いとテロ地獄で苦しむ事になるのです。

もしかしたら人類の価値観は大きく変わり、刑務所よりも厳格に人間を管理する、極超管理社会を望むようになるのではないかと思います。かつては近代以前では残酷な拷問や死刑が庶民の娯楽だったり、アフリカ人の奴隷商売が正当化された時代がありました。現代から見れば人道的な大きな問題とみなされます。

だけど、あまりにも多いテロ地獄、いつまでも終らない戦争、その原因は人間をひとりひとり管理できない社会は危険な社会であり、管理できないから、精神障害や肥満がはびこる。自由放任社会があらゆる災いの原因だから、極超管理社会を求める声が次第に強くなるのではないかと思います。

逆に言えば、宇宙開発が進歩すればするほど、宇宙建造物はテロの標的になりやすくなり、その破壊力は計り知れず、結果的には第二次世界大戦よりも大きな被害となれば、世界中の人が、極超管理社会の到来を求めるようになるのではないかと思います。

極超管理社会はディストピア小説で良く使われる題材で、そのような社会には何も自由が無い悲劇的な社会と描かれているが、逆に極超管理社会では犯罪がまったくない安全な社会、ましてテロをしたくても絶対に出来ない社会。ようするに一人の人間に対して、数十人の専門家が監視する社会ではないかと思います。

毎日のように警察官が訪問してくれるような社会だと思います。

ある意味では自殺したくても自殺も絶対にできない社会。熟練の心理カウンセラーが毎日監視するので、場合によっては自殺する必要もない社会となり、

むしろ、未来の人からみれば21世紀の社会は、とても文明が低いため野蛮な思想が残っているため、精神障害者や自殺が多かったと悪い意味で評価すると思います。

当然、脳内のあらゆるところにチップを埋め込まされる義務があり、それを行わなければ終身刑にさせられて一生刑務所ですごすようになるのです。
(逆に刑務所のほうが自由な生活ができるかもしれません。)

特に思考犯罪と言う概念ができあがり、万一、社会に不満を持つものがいれば、まだ何も悪い事をしてなくても、テロ未遂犯として刑務所に入れられ、厚生させるために懲役刑となるのです。

極超管理社会とは、電脳化社会であり、電脳化していない人は、どんなに理知的な生活をしても未開人扱いされ、働いてお金を貰ったり、そのお金で買い物もできないのです。
考えている事を監視され、自分の周りに何十人もの人間やロボットが常に目を光らせている社会なのです。

発想を変えてみると、孤独とは無縁の社会。肥満や鬱病、不眠、不規則な生活とは無縁の社会。適正(才能)を十分生かせる社会、働くのが楽しい社会になる場合も考えられます。

極超管理社会は、とても良い社会のように感じられる文章になりましたが、たぶん、悪い人が支配したら人類全体が悲劇だと思います。極超管理社会の到来とは、遠い未来の話だと思います。

21世紀の技術でも、たぶん機動(宇宙)エレベーターとかスペースコロニーも作れると思いますが、テロの標的にされる危険性が高いので、早くても22世紀後半ごろにならないと作らないかと思います。

21世紀末の世界人口の予測は、30億人以下になり、さらに22世紀になると20から15億人程度になるので、あえて2億人が収容できる超巨大スペースコロニーを作る必要はなく、むしろスペースコロニーは将来、数世代にわたる恒星間飛行の実験施設になると思います。


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文化的な格差社会が精神障害者を作り出す

母方の実家は、栃木県足利市で、戦前から繊維業が盛んな町です。

足利市というのは、都会的な冷たさと田舎の封建主義が混在した町だったと思います。
とにかく、少年時代は、月に1度か2度、必ず母の実家の足利市へ自動車で行きました。

片道2時間半くらいで到着しました。(なお、1992年に父と一緒に行った時は、高速道路をつかっても片道4時間以上かかりました。どこも渋滞してないのに)

少年時代ですと、まだ関越自動車道路が開通しておらず、全部、一般道を通って、途中で休憩を入れて2時間半で到着できました。

92年の時は休憩は一切なしで、トイレにいきたいのを我慢しながら足利へ4時間かけて行きました。なぜ、そんなに時間がかかったのか、軽自動車で一般道で時速40キロ以下、後ろからクラクッションを鳴らされぱなしの状態で、高速道路は鶴ヶ島から花園まで時速70キロと言うノロノロ運転をするように強いられたからです。「こわい。こわい」とか「もっと早くしろ」といちいち文句言われながらの運転であり、ちょっとでも速度が速いと怒鳴りつけられると言うありささまですから気が変になりそうでした。

足利と言う町は、ちょっと変わったところがあり、東武鉄道の特急が止まる「足利市駅」は市街地から遠く離れており、歩いて市街地にいくと30分以上くらいかかるような場所にあり、当然、市街地はバス(これが本数が思い切り少ない。一時間に一本)かタクシーで、ほとんどの人がタクシーを利用するのです。

で、市街地にある駅は、当時は国鉄両毛線で、運転本数が極端に少ない。一時間半に一本なので、待っていてもなかなか電車が来ないので、当然、都心へ行くのはほとんど東武鉄道を使う人が多いです。(特急と準急電車が一時間ごとに交互に走っていたからです。)

当時は、鉄道ファンでしたので、国鉄両毛線にのりましたが、短い4両編成電車で昼間でも朝のラッシュアワーなみの満員でした。単線なんですがローカル線とは思えないほど速度が速いのは、駅と駅との距離が遠いからです。

戦前から繊維業が盛んな地域であると同時に、市街地から離れると、見渡す限りの田園風景がありました。また、デパートもたくさんあるが、隣のデパートとの距離が離れているのが特徴です。町そのものが、都心と違い、土地が広々と使えるのと、戦前から開けていた町なのですから、昔からオフィスビルが乱立していました。

なんというか昭和時代と明治時代がゴッチャになった町という印象です。

とにかく自動車がないと、とても不便な町だと思います。

少年時代に従兄弟から自転車をかりて足利市街地を走り回ったけど、あまりの広さのために、途中で疲れてしまいました。

また、家が都内と較べて、とても広くて大きく、8から10畳の部屋が必ず二つあり、これだけ広いと、親戚を集めての集会や宴会など自分の家ですませるのです。
一階と二階の両方に、10畳間が二部屋あるのです。

また、テレビアンテナが異様なほど高いところに立てており、東京から遠いためだとおもいます。だから、群馬県の親戚の家にいくと、ほとんどがUHFになっています。
(アンテナがとても高いところにあるため、東京のテレビ局だけではなく、新潟のテレビ局までも受信できるのです。)

とにかく、見た目は近代的だが、住んでいる人は封建的な環境であり、また、戦時中は足利市は空爆されやすいのは、たくさん繊維工場があり、これを米軍が軍需工場とみなされたからです。

住んでいる人は、当然、思考が軍国主義や封建的になりやすく、市街地は都内とほとんど違わない環境のため、とても精神的にアンバランスな環境だったのではないかと思います。

市街地がから一歩出れば、封建的で軍国主義的な思想が残存しているので、都会のゴチャゴチャした窮屈さと、田舎の古い考えが入り混じった環境ですから、精神的に不安定になるのではないかと思います。

それでも北関東は、繊維業とか戦時中は軍需産業が盛んなため、第二の東京と呼ばれ、東武鉄道が、国鉄山手線をみらなって、埼玉北部と栃木・群馬にまたがる鉄道環状線(第二山手線)と言う構想がありました。

だが、その構想も昭和58年の東武熊谷線廃止で完全に頓挫しました。
(昭和40年代に自動車が急速に普及して、東武鉄道の路線は、ほとんど一時間に一本というローカル線になりました。)

なお、路線跡地は、森林緑道とされおり、現在は歩行者の遊歩道・散歩道に使われていますが、土地所有者は東武鉄道であり、将来的には、埼玉県熊谷市と栃木県を結ぶモノレール路線に使われる計画があるようです。

話しがずれたけど、母方の血縁関係者は、

大人はアル中が多く、従兄弟は登校拒否をしている人もいて、見た目は近代化しても、考え方が封建的とか軍国主義的なところがあると、精神的にとてもアンバランスになって精神障害者になりやすいと思います。

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全世界で一斉に集団失踪が、もし起きたら。 2億人が取り囲んだら?

ペンテコステ派の「空中に取り上げられてキリストと出会う」「正しい生活をした人が断艱難時代直前に天に取り上げられた」ということが、もし実際に起きたとしたら、

たぶん、それが教会の集会中に突然、目の前で教会員が消えるのを目撃したら、それを見ただけで半狂乱状態になると思います。礼拝堂の中で数十人が突然消えてなくなり、残されたのが、信仰心が弱い人とか、まだ求道者で信仰的に迷いがあるひとのみだったり、

逆に教会で人格者だと思われた人の家を訪問したら、誰も出てこない。一晩中電気がつけっぱなしになっている。数週間たつと郵便ポストに大量のチラシがそのまま入っている。もしかしたら突然死による孤独死ではないか思って、ドアを無理やり空けたら、誰もいない。部屋中の窓に鍵がかかっている。不可解な事件とみなされます。

さらに、一家揃って突然失踪とみなされ、何日たっても電気がつけっぱなし、当然、ガスも水道も使われないので、不信に思って家の中に入ったら、残ったのは無傷のペットがいるだけ。

強盗が入った痕跡もなく、通帳や現金も取られた様子もなく、家の中にいた人だけが突然失踪。

世界中で一斉に突然失踪したというニュースが全世界で話題となり、世界の人々はある種のパニック状態になると思います。

または、職場に6日以上無断欠勤をしたから上司が尋ねたら、ドアが閉まっており、アパートの管理人を呼び出して、予備の鍵で開けたら誰もいない。

そのような奇妙と思える失踪事件が全世界で同時に起こると、いままで生ぬるい信仰生活を送った人は、今後来る艱難時代の恐怖に怯え、まれに、将来を悲観して自殺するクリスチャンもいるかもしれません。

ある人に何度もメールを送っても返事が返ってこないなど、さまざまな不可解な状況になると思います。

当然、人工衛星を使った捜索活動をしたり、警察官が集団失踪した人たちが暮らせる場所をあちこちさがしまわっても、全世界から失踪者が誰一人みつからない。

地上に残されたクリスチャンは、これを大艱難の前触れと言う人もいれば、あくまでも自分たちの教派の教えに固執して、不可解な集団失踪事件としてみなすだけで、いつもどおりに日曜礼拝を行うかもしれません。

もし大部分のキリスト教会から人格者がいなくなれば、目を見張るように礼拝出席者が減少しだし、必然的にキリスト教が衰退すると思います。

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大艱難時代の最後には、ハルマゲドンの戦い。イスラエル包囲されるが、包囲する軍隊が2億人とは・・・!

現代のイスラエル共和国の周辺国の人口が2億人ですが、発展途上国のみが人口増加しておりますので、近い将来は3億人以上になると思います。

イスラエル共和国の面積は、およそ20,770km²という狭い国土の周囲に2億人の軍隊が駐留するのは現代の科学力では不可能です。さらにイスラエルと敵対するのがアラブ諸国なので先進国の最先端技術を使うことはできません。

南北には470kmの長さですから、普通に計算したら、周囲に極超高層ビルの高さの城壁で2億人が収容できる建ものでない限りイスラエルを包囲できないと思います。要するに、小松左京のSF小説「物体O」のような、成層圏に達する巨大な城壁で取り囲まなければ、2億人もの兵士を収容できないと思います。

極論を言えば、物体Oみたいに何の前触れもなく突然イスラエルを取り囲めば、海外と一切交流や貿易できなくなり、当然、食料不足に陥り、ハルマゲドンの戦い以前に、半年以内で全てのユダヤ人が餓死するのではないかと思います。

ただ餓死するのを待つようなユダヤ人ではないので、対応策として、原子爆弾で巨大な城壁を破壊するのではないかと思います。

現代の科学力では、一夜にしてイスラエル共和国を取り囲む城壁を作ることは無理であり、未来社会で、たぶん宇宙空間・たとえば月面の裏側で秘密裏に巨大城壁を作り、超高速度のステレス状(レーダーに反応しない透明のような巨大建造物)で突然イスラエルを囲む城壁で取り囲むのではないかと思います。
(光学迷彩・人間の肉眼では見えない2億人が収容できる巨大建造物を宇宙空間のどこかで作るのです。)

(宇宙で2億人が収容できる建造物となれば、それは超巨大スペースコロニーに応用できると思います。SFの世界でも1000万人が限界なのです。)

突然、イスラエルを取り囲んだ巨大建造物が地上に落下すると、その振動でイスラエル全体に巨大地震が起きるのです。バルカン半島やエジプトに大津波と地震の被害を受けると思います。落下速度を抑えるために巨大な逆噴射すれば、逆噴射の圧力によって、強烈な突風が巻き起こり、イスラエルだけではなく、エジプトやアラビア半島にも甚大な被害がこうむるのです。

もう一つの方法は自己増殖力が強烈なナノマシーンを大量に使って一夜にして、超高層状態の城壁を作りあげるのではないかと思います。そうなるとSFの世界です。

そうでもしないと2億人の兵士をイスラエルを取り囲むことは不可能なんだと思います。

2億人は現代の日本の人口の2倍弱で、そんなに狭い場所に兵士に食料をいきわたらせるのもの想像を絶するものであり、また、そこからでる汚物によって地中海は汚染されるのです。大量のゴミも出るわけです。

繰り返し言えば、宇宙空間で2億人が居住できる巨大建造物が作るには、軌道エレベーターによる人類の宇宙進出が必要不可欠となります。軌道エレベーターはテロの標的になりやすく、破壊されれば、水爆数発分の被害となるのです。

その理由で、軌道エレベーターにしろスペースコロニーにしろ、それらが作られる時代は、遠い未来の産物だと思います。テロが一切ない完璧で強固な管理社会が必要です。

極論を言えば、数百年間戦争も内戦も戦争もテロ事件ない完璧な平和な時代が来ないと作れない。仮に近未来の社会で技術的に作ろうと思えば作れるが、全世界の安全性を考えれば、作らないと思うのです。

どう考えても現代の科学力では、イスラエルという国を2億人の兵士が取り囲む超高層状の城壁は作れない。と言う事は、ハルマゲドンの戦いは、遠い未来のことになるかもしれません。

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非常に恐ろしい地獄に落ちるという脅迫という方法は正しいのか?

メアリーバクスターの著書では、たとえ善良なクリスチャンでも、完璧に正しい生活をしなければ非常に恐ろしい地獄に堕ちるという内容です。名指しで「福音派の信徒と牧師が地獄で永遠にもだえ苦しんでいる」という内容です。

ようするに聖霊の働きを認めない福音派クリスチャンを強く批判する内容です。
無宗教の一般人向けというよりも、ペンテコステ派以外のクリスチャン向けの内容になっており、他の教派のクリスチャンをペンテコステ派へ改宗させる為の書物だと思います。

たぶん既成のキリスト教会で不満(かなり強いフラストレーションを感じている)がある人には受ける内容だと思いますが、読んでみると信憑性が弱く、ほとんどが想像で描いたフィクションであり、それを事実としてとらえる人は、ほとんどいないと思います。

そんなに神様が厳格なお方なら、人類全体の罪を購うためにイエスキリスト様が十字架にかかる必要は無いのではないかと思います。


たしかに、教義的に「完璧に近いほど正しい生活をしないと地獄に落ちる」と教えられても、他人に冷たい人は冷たいし、自分に利害がない人には無関心だと思います。




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キリストの再降臨はいつくるのか?

あと10年後にでも再降臨があると主張する教派はペンテコステ派だと思います。

4・5年前に二軒ほどペンテコステ派のキリスト教会に通ったことがありますが、すごく堅苦しいことを言う割には、Aという大きな教派の教会の牧師は態度が冷たかったです。だから、若い女性の訪問者(?)が来ると、人が変わったように親切な態度をします。そのかわり牧師婦人がいろいろ話しを聴いてくれたのが、ある意味では救いだったと思います。
(ペンテコステ派ですが、キリストの再降臨が強調されていませんでした。むしろ戒律的なものが強調されていました。)

ただゴスペルソングが熱心なので、11月の土曜日にゴスペルコンサートの招待状が来て、それに参加しなかったら、ほとんどの教会員が何となく冷たい態度になり、話しかけても話しが続かないなどゴスペルコンサートに行かないだけで態度が冷たくなるのは、彼らにとってゴスペルはよほど大事なものだったと思うのです。

また、比較的に若い人が多くおり、青年会が充実しているみたいですが、年齢制限があり、30歳以下で正社員か大学生でないと、パーティに参加できないらしいです。

もう一軒のJという教派では、より堅苦しい感じの説教が多々あり、人間の性欲は悪だという説教が多々あり、徹底した戒律主義になっていると思いますし、また、そこの牧師先生が書いた本をもらいましたが、さしせまった再臨主義が書かれており、たとえクリスチャンでも他人に親切にしない神様の戒めを厳格に守らないと、再降臨前の大艱難時代でとことん苦しむようになると強く主張していました。その意味で、比較的に親切で教会に来てくれたことを歓迎する雰囲気がありました。

ただ、モルモン教に似た雰囲気があり生理的に受け付けないです。
(あとは礼拝中に意味不明なランダムな発音による祈りなども、異様な雰囲気がありました。)

モルモン教でも最も親切に対応する人たちは宣教師たちで、それはバプテスマ件数が少ないと叱責されるから、誰でも良いから、どんな理由があってもいいから、たとえ義理でも良いから洗礼を受けて欲しいと言うことです。

だからモルモン教の宣教師は、よほど酷い人ではない限り誰でも親切で優しいのです。

一人でも多くの人が洗礼を受ければとか、人に親切にしないと耐え難い災いが降り注ぐと言う発想がないと、より良い人になれないのではないかと思うのです。

人間は弱いものだから、自分が神様によって厳しいく裁かれていると言う感覚が無いと、自分に利害関係が無い人に無関心になり誰にも親切にする意欲がなくなるのではないかと思います。

宗教改革でルターが、新約聖書のヤコブの手紙を正典ではなく偽典(にせもの扱い)にしたのは、「行いがともわない信仰は意味が無い」ような文章があり、ルターの信仰義認「救いは完全に無料であるから、信じれば神様の無限の赦しがある」「クリスチャンになれば、(どんなに悪い行いをしても)罪を一切裁かない」という聖書の解釈と矛盾してしまうのです。

たしかにペンテコステ派J教団の牧師先生の本では、キリストの再臨前に7年半の大艱難時代が来て、完璧に近いほど正しい生活をしたクリスチャンとか、自分に一切利害関係がない人に親切をした人、隣人愛が強いクリスチャンのみが、天に取り上げられて、災いから守られ、ただ信じているだけのクリスチャンは、暴力とか飢え乾き、それ以外にもあらゆる人権侵害に苦しみ、自殺したくなるほどの激しい苦痛を耐えなければならず(サソリに刺されたような状態の苦しみに似ている。死を嘆願しても再臨まで絶対に死ねないという、ひじょうに恐ろしい罰をうける。)、ただ信じただけだと、生温かいクリスチャンを清めるために、自殺したくなるような激しい苦痛を受けるようになると書いていました。

キリスト教に限らず、戦前の日本でもお寺で紙芝居などで、悪い事をすると地獄で激しい苦痛を受けるという物語が語られており、戦前の日本では、近所付き合いでお互いに困ったことがあれば助け合う機運があったと思います。

結局、無神論主義や(霊や死後の存在を一切否定する)唯一物論が戦後の日本の公立学校で教えられており、悪い事をしたら地獄に落ちるという考えは、非科学的でありオカルトとみなされた結果、辛酸で取り返しがつかないほどのイジメ地獄へと変わってしまったと思います。

特に公立学校を支配していた日教組は、マルクス(スターリン極左)共産主義が主体ですから、徹底した唯一物論だから、あらゆる宗教の教えを封建的で不合理なものとして排除した結果、子供たちの残酷な側面だけが特出してしまい、弱いものイジメをしても教師がいじめっ子を叱れない、仮にいじめっ子を殴る行為をすれば、親から強いバッシングを受けて教師生命を絶たれるので、結果的にイジメが横行していまい、いじめ自殺が日常化となるわけです。

新自由主義に通じるものがあり、新自由主義は徹底した反共主義(貧困をなくすという考えは偽善であり、進化論は絶対的に科学的な論理だから、弱いものを駆逐させるのは正義という考え)があり、超格差社会こそ科学的国家論とみなすのです。

だから、超格差社会の行き着く先は国民の99.5パーセント以上が貨幣を持つことが犯罪とされ、それを使って買い物をすれば犯罪となる社会だと思います。富裕層には無限の富があるので、極論を言えばスペースシャトルを個人が所有して打ち上げることできるのです。

極限的な億万長者は、外国を買う(侵略して独裁者になる)こともできるのが新自由主義の最終目的だと思います。


話しがずれたけど、人間の弱さがあり、宗教は自由ですから、あまり厳しくしすぎると離れてしまう。

ちょっと優しい口調で、この世の終わりの話、死後の世界の話をすれば、想像するだけでも、ただ信じるだけでは、さまざまな災いを受けるという恐怖感がないと、自分勝手な生き方とすると思います。

たしかに、無理をする必要はないと思うし、無理を強いると、たとえ異端的キリスト教会でなくてもカルト宗教になる危険性があるので、絶妙なバランスが必要だと思います。

人が正しい生活させる切欠と、自分に利害関係が無い人にも親切に優しく接するように、仕向けるには、ちょっと軽く突っつく程度であれば良いと思いますあまり厳しい態度や、脅迫的な態度、何度もしつこく繰り返して同じ事を説教すれば、ストレスを感じてしまって離れてしまうと思います。

要するに人間は弱い存在ですから、ちょっと軽く言わないと、なかなか悔い改めをしないと思います。


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無限の寿命があれば、夢のハイテク社会で生活できる

無限の寿命=高額所得者であるので、極端な話、30世紀の世界でも、20世紀や21世紀の大富豪が生きているのではないかと思います。

100年・200年なら毎日が愉快で、毎晩のように宴会をして笑いが止まらない生活を送るが、その愉快な生活そのものが、虚しくなり、300年以上生きると、何も悩みの無い人生、何も問題も無い人生、何不自由ない人生が空虚になり、ほとんどの半永久的に生きられる大富豪にとって、いろんな哲学や宗教を学ぶようになり、結果的には無限の寿命と何一つ問題が無い人生が虚しいということになり、たぶん、400年後の未来社会では寿命を無限に伸ばす技術を選択する人はほとんどいないのではないかと思います。

200年後の世界になれば、微小なりとも進歩する現代科学の世界でも、まったく異なった生活形式となり、現代の生活になれている現代人が、200年後以降の世界の常識についていけなくなるのではないかと思います。だから、毎日宴会をして楽しく愉快に過ごす大富豪たちも、人生とは何だろうか?と考えるようになるのではないかと思います。

松本零士の「銀河鉄道999」とか「宇宙戦艦ヤマト」など科学考証をわざと否定して、読んでいて楽しく、夢がある物語を描ける人は、天才だと思います。

逆に未来社会の悲惨な状態を描いたディストピアものは、誰でも描けるのです。

ようするに、夢があり、観て楽しい作品を作れるのがプロの作家であり、現代社会の矛盾や批判を未来社会に置き換えたディストピア小説という分野は、素人が書くもののです。

ある売れない漫画家(某田中さん)の人類が絶滅寸前を描いた近未来漫画は、有機物でできた人間ロボットの少女との恋愛を描いた暗い感じの作品です。(物語をよりリアリティにするために、作家の知識を最大限に出して、様々な不安材料である地球温暖化とか、極限的な少子化社会などが描かれています。まったく内戦や戦争が一切ない平和な地球だとしても極限的な少子化社会によって人類は100年以内で絶滅するという設定なのです。)

その意味では同じ漫画家でも力量の違いを感じられるのです。

たしかに歴代の皇帝や大富豪が、2000年以上もの間、不老不死の薬を求め続けました。特に中国の歴代の皇帝などは、自分の権力が永遠になるために、極限的な権力により様々な不老不死の研究を近代という時代になるまで2000年以上続けたのですが、

やっと21世紀になって実用化のめどがたったわけです。

現代の大富豪たちは、たぶん30世紀の未来社会に過ごすことは間違いないと思います。
だが、孤独、無限の寿命、不死という苦しみに永遠に耐えなければならないと思います。

30世紀なれば限定的だと思うけど(タイムマシーンとかワープ航法による宇宙旅行は絶対に無理だと思うが)心をもっているようにみえるアンドロイドとの生活とか、月面や火星への宇宙旅行なども体験できるが、それでも、無限の寿命を持つ人にとって、毎日が虚しい、生きていることが苦痛と思えるようになるのではないかと思います。

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松本零士さんの作品はほとんどが科学考証を無視したスペースオペラで、「銀河鉄道999」はある意味ではファンタジーであると思います。無限の寿命・永遠の生命を求めて主人公が宇宙の彼方へ列車の旅をするというのは、普通の人は考えないです

「宇宙戦艦ヤマト」をリアルに考えればミラス人が地球人の根絶を実行するなら、二つの中性子星を太陽系の近くで衝突させれば、強烈なX線が放射され、そのX線によって地球上の生命体を死滅できると思います。西暦2199年ですから、もしかしたら人類は太陽系を進出しているかもしれないので、地球だけではなく、太陽系全体の全生命体が滅びると思うのです。
太陽系全体に強烈なX線が放射されれば、太陽系のどこの惑星に逃げても絶対に助からないのです。(合体した中性子星が太陽の重力に引き寄せられる可能性があり、中性子星の重力で太陽系の惑星の軌道が変わってしまうと思います。)

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押川春浪「一千年後の世界」は現代社会を予言した

押川春浪とは、明治時代のSF小説家で、ほとんどが未来戦記ものを描き、プライベートでは野球に夢中になっている、現代でいうオタクとは程遠い健康的なイメージがありましたが、大正3年、38歳の若さで、この世を去りました。

「千年後の世界」という小説は、現代科学でいえばどうしようもない内容なんですが、ある意味では新鮮なおもしろさがある作品だと思います。

25世紀までの世界を予測し、まず近未来の世界(1900年代から見て)では、人類は肉食が主体になり人格が肉食動物のように獰猛で好戦的になり、世界各国が戦争を続けたが、戦争はお金がかかると言う理由でバカバカしくなり、そのかわり個人どうしの争いが絶えない状態になり、ある意味では現代の、近状同士の争い、職場や学校でのいじめなどを予言したと思います。

たしかに人類が肉食を止めれば、アフリカ大陸の飢餓がなくなります。
美味しいそうにハンバーガーを食べる社会を予見したのではないかと思います。

ソ連邦(社会主義国家出現)の予言をしており、仕事を一生懸命やっても怠けている人と同じ金額の給料しかもらえないので、一生懸命働く事が馬鹿らしくなるということです。

世界各地に内戦の激増化の予言。発展途上国の大部分が内戦を経験しています。
結果的にソ連邦のような多くの民族を強力な権力で一つの国に押し付ける社会主義連邦国家が誕生して内戦が収まるが・・。

文明の発達(オートメーション・産業用ロボット)などにより、物不足が解消され多くの人が裕福になるが、経済力や資源に限界があるため、大部分が平均的な中流階級になるが、淫乱だけは限りがないため、人類の大部分が淫乱化してエログロナンセンスにより風紀が乱れるという事を予言していました。

地球温暖化の予言。(小説では資源の使いすぎで地球温暖化ではなく、巨大彗星の引力により地球の軌道がずれてしまい、世界の平均気温が急上昇してしまう。)

また、政治家が法律を作る時代が終わって、ほとんどの市民が自分勝手な法律を作るようになる。(これは、将来的には政党政治から、最終的にはインターネット利用者が次第に自分たちの価値観にあわせた法律を勝手に作るようになり、議会政治や政党そのものが消滅してしまう社会を予言したものだと思います。)

たしかに、死刑制度の厳格化というインターネットでの世論が多々あり、ある人は「絞首刑では甘すぎる!溶鉱炉に死刑囚を突き落とせ!」とか「死刑囚の身体を切り刻むべきだ」とか残酷な刑罰を求めたり、また、死刑執行が中国よりもはるかに少ないから、もっと裁判を厳格化させ、どのような理由があっても情状酌量の余地一切無しということで、たとえ正当防衛でも死刑にするなど、いちいちネットの意見を求めていたら、それこそ日本は共産主義国家よりも人権侵害が酷い国になると思います。

死刑執行件数が世界一なれば日本は立派な国になれると言うのです。

また、死刑執行をテレビで生中継しろという意見もあり、たいていの死刑執行は午前中に行われるので、ほとんどの人が会社を休んだり半日休暇をとって、死刑執行をみて、日頃のストレスを発散させるのではないかと思います。

インターネットの利用者が政治的発言をして、無数の人たちの執拗な要求により、徐々に政党の存在の意義をなくし、国会の必要性がなくなり、ある意味では近未来の政治体制は「すべての国民が直接政治に参加できる直接民主政治」へと以降するのではないかと思います。

だから、日本が原爆所持の正当化とか、自衛隊の拡大化、そして最終的には極端な軍国主義国家になるのではないかと個人的に懸念します。


最後の予言とは、25世紀には人類は獣人化となり、自らの手で近代文明を破壊させ、その500年後に巨大彗星が地球に直撃して、人類が滅びると言うところで終るのです。

で、地下に避難して生き残った人類が、いつまでも幸せな生活を送るところで物語が終るのです。

追加事項ですが、

古代から近世までの世界のほとんどの国では死刑執行は、お祭りであり、庶民の娯楽だったのです。古代ローマでは、原始キリスト教徒をコロッセオで猛獣で食い殺されるのが娯楽でした。そのほかに十字架に貼り付けにされて火やぶりにするのを見て、当時のローマの市民のストレスを発散になったと思います。

中世では、かなり激痛が伴う拷問具や長期間激痛によって死ぬ死刑の道具がさまざま開発され続け、結果的には現代文明の原点にもなりました。その意味では中世は文明の暗黒時代でありながら、残忍な拷問や死刑の技術だけは進歩し、その技術が現代にも生かされているのです。

近世のヨーロッパでは、死刑囚がギロチンで首を切り落とされるのが行われると、全ての人が仕事をそっちのけにして、死刑執行を見学に来る。一種のお祭り騒ぎになりました。

で、近代になると、民主主義とか人権の尊重、人道主義の台頭により、公開死刑が行われなくなりました。

いつの時代も目の前で凶悪犯罪者が死ぬ事を見ることで、日頃のストレスが発散されるのです。







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ディストピア小説の書き方

ハードSFで最も簡単な分野は、未来社会を悲観したディストピア小説だと思います。

前回の日記に書いた「21世紀のバベルの塔」のような、無限の富をもつものが、政界や国家を乗っ取り独善的な法律をつくり、全ての国民を地獄の底に落とすと言う内容だけなら、口うるさいSFマニアの批判を受ける事はないと思います。

有名なのがジョージオーエルの近未来小説「1984年」で、権力の本質とは何だろうかということを率直に描いた作品です。オーエルはスペイン内乱でソ連の義勇軍に苦しめられた経験があり、ソ連批判を最初に行った作家です。ソ連の政治体制を動物でたとえる「動物農場」という作品も有名です。

戦後まもない頃に出版されえて、冷戦の始まり反共主義の台頭により、たちまちベストセラーになりました。

だから「1984年」という小説は、共産党が支配する極限的な管理社会にいる主人公の日常生活を描いたものであり、結果的には狡猾な秘密警察に国家反逆罪として捕らえられ、さまざまな拷問をさせられて、最後には耐えられないほどの強烈な恐怖の連続によって洗脳させられ、共産党に対して忠誠心をもち最後には銃殺されると言う話しです。

2度ほど映画化されましたが、カラー版の映画を見ましたが、内容が退屈な感じだったと思います。

ディストピア小説として、映画作品として比較的におもしろいくかんじたのは、「未来世紀ブラジル」「華氏451」で、同じように共産化した超管理社会の状況を伝えている作品です。
なお、まだ見たことも無い、また見る気も無いのはキューブリック監督の「時計仕掛けのオレンジ」ですが、あまりの暴力的な場面が多すぎるため、目を被いたくなる作品ではないかと思います。

要するに、現代社会にはひじょうに多くの不安材料が多々ありすぎて、SFの分野で最も簡単な分野、SF小説の初心者が書くものはディストピア小説ではないかと思います。
(お役所の超怠慢な姿勢とか、次第に狂信的なインターネットの利用者による法律改正論などがあり、将来的には法律は政治家が作るのではなく、インターネット利用者が自分にとて都合の良いものを作るものだと思います。結果的には人権侵害が多発し、現代の数倍もの人が自殺する世の中になり、ある意味では内戦よりも人命が保障されない社会になるのです。)

民主主義とか人道主義などは、大きな富をもつものによって簡単に抹殺させられてしまうことがあり、逆に一度、共産化すれば無数の人の流血がなければ、自由を取り戻せないのです。金がある人だけが正義ということです。

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SFは現実逃避なのか? 

最近は、うまく表現ができませんが、うつ状態になれてしまったか、抗うつ剤なしでも徐々に正常な生活ができつつある状態なのか、ブログを頻繁に更新できるようになりました。

酷い気分傷害の時はブログを更新する意欲もないです。

しつこいようですが、吾妻ひでお先生の「けいおん!」批判が物議をかもしたことですが、個人的には吾妻先生は天才であり現代の萌えアニメ・SF美少女アニメの始祖だと思うのですが、吾妻先生の「現実をみるのがそんなに嫌なのか」という発言が多くのブローガーに反感を持たれたのではないかと思います。

ようするに失踪したり自殺未遂やホームレスをしたり、挙句の果てには(ちゃんと漫画の連載の仕事があるのに)アルコール中毒になって精神病院に入院する人が、「現実逃避」という意見には全然説得力がないだけではなく、逆にいま流行のアニメである「けいおん!」をネットで無名で売れない漫画家が批判したのが、多くの人に強い反感を持ったのではないかと思います。

それによってSFは現実逃避の手段だと言われ、下手すればますますSF離れ科学離れが進むのではないかと思います。逆に言えば、夢がない刹那的な若者が増加すると思います。

「けいおん!」は、一部の人にとっては今年最悪のアニメと評されているが、その反対に「けいおん!」に影響されてギターが弾けないのに楽器を買う女子高生が多くいるというほどの反響があり、ある種の社会現象になっています。(高価なAKGのヘットフォンなど買う「けいおん!」ファンもいるのです。)

若者のSF離れの原因は、一癖もあるSFマニア同士によるSF作品批判本が売れており、柳田氏の「空想科学読本」で人気がある特撮やアニメの科学考察をおもしろく解説した本を、山本弘氏が「ここがへんだよ『空想科学読本』」で柳田氏の人格否定から攻撃的な文章で反論するのは、とても陰湿だと思います。

部外者からみれば、マニア同士の無益な争いに知性は全く感じられず、SFなんて所詮現実逃避ではないかということになるのです。

その状況下で、SFマニアの吾妻先生が「現実をみるのがそんなに嫌なのか」という発言に全然説得力も無く逆に強い反感を持たれたと思います。

吾妻先生が「けいおん!」を批判しないで、むしろ「涼宮ハルヒの憂鬱」を賞賛すれば良かったと思います。そもそもSFの定義は明確ではなく個人の好みによって、その範囲が人によって異なるので、ある人はSFは夢の分野だから、たとえば「銀河鉄道999」もSFだと言う人もいれば、全然科学考証を無視しているから「スペースオペラ」とか「ファンタジー」とみなす人もいるのです。だから、へんな言い方すれば、おもしろければ多少の科学考証が間違えても良いのではないかと思うのです。

SFマニアは、おもしろいとか夢があるだけでは物足りず、徹底した科学考証とリアリティを追求するのです。

「涼宮ハルヒ」シリーズは、SFの冬の時代に突如として現れた作品であり、ある意味ではSFの可能性と発展に貢献するものだと思います。
だから、吾妻先生が「ハルヒ」を賞賛すれば良かったのです。

要するに「涼宮ハルヒ」シリーズは吾妻先生の「スクラップ学園」に似た作品であり、原作者の谷川氏によってキャラ設定を「新世紀エヴァンゲリヲン」から、ちょっとパクリ、現代風にアレンジした作品だと思います。


自分がもしSFを描くとしたら、内容が暗いディストピア小説とか、地球人が悪者であり異星人の文明を破壊させるというものしか描けないと思います。
そもそもディストピア小説はアジア大陸の北の某国の日常生活をたんたんと描けば、それだけで立派なSFになるのです。

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現代の視点で吾妻ひでおの漫画を読むと コミカル・ファンタジー

アマゾンで買える作品を集めましたが、当時はSF・美少女の元祖・カリスマと呼ばれていましたが、現代の視点で見れば、SFというよりもファンタジーだと思います。

そもそも前回の日記に書いたように、吾妻先生は熱心なSFファンですがハードSFは一度も描いたことは無かったと思います。むしろコミカルなファンタジーにしか見えません。もっともSFらしいのは「不条理日記」というSF小説・SF映画・SF漫画のパロディをギャク漫画にしたものだけなんです。

で、集めて最も質が高いと思うのは、(これは自分の好みですが)「オリンポスのポロン」だと思います。毒(不条理ギャク)が最もないだけあって、初めて読んだ時は、別の作家の作品だと一瞬思えたのは、絵柄が「石森章太郎」に近く毒がないギャク漫画だからです。

ようするに「オリンポスのポロン」でテレビアニメになったから、その方向で行けば、もしかしたら失踪する事は無かったと思います。

かなり古い話しになるが、1970年代当初は、石森章太郎原作の「好き好き魔女先生」とか東映動画原作の「魔法使いチャッピー」など、ある意味では美味しい仕事を貰っていたので、漫画家なら商業的に考えれば、その路線で行けばよかったのではないかと思います。

あとは、吾妻先生の作品でテレビアニメ化しそうだったのが「ぶらっとバニー」で、ただし主人公が白目なのが、キャラクター的に問題ありということでアニメ化しませんでした。吾妻先生もバニーの弟をだしてアニメ化を狙ったのですが、思ったように行かなかったのです。

ようするに吾妻ひでお先生は商業漫画家ではなく、芸術家を自負しておりますので、あまり漫画で儲けるという発想は皆無だったのではないかと思います。

最も人気があり先生も描いて楽しいと思える作品は「ななこSOS」であり、テレビアニメにもなった作品です。「オリンポスのポロン」とか「ななこSOS」のような読者うけする楽しい作品を作り続けていたら、失踪する事は無かったと思います。

コミカルなファンタジー路線で行けばよかったと思います。

最近はネットで、吾妻先生のWeb漫画日記で「けいおん!」の批判をしたら、物議を出してしまいました。これが宮崎さんや富野さんが批判したなら、叩かれないと言う意見もありますが、その通りだと思います。要するに強烈な力を持ったアニメ界の巨匠が批判したなら、反感を持たないと思うのです。それがほとんど無名に近い売れない漫画家が批判したのが、いけなかったのです。



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そもそもSFというのは、科学の進歩にともない、時代が進むに従い科学考証でボロがでてしまう分野です。だからハミルトンの「キャプテン・フィチャー」シリーズはSFの名作といわれていましたが、いま読むと全然科学考証がなっていないのです。(その意味でスペースオペラはSFではないという意見も多々あるのです。)

要するにSF作品は時代とともに劣化する消耗品みたいなものだと思いますが、それでも現代の最先端科学の知識を活用して物語を作るのは、それだけ知識がないと描けないのです。

あとは国民的人気作品である「ウルトラマン」などは、放映当時はSF特撮番組と認識されていましたが、科学考証をすると、SFでなく怪獣物だとしか認識できないです。
(ウルトラマンの最終回で、ゼットンが発した火の玉が1兆度というのは、科学的に考えれば、強烈なγ線を発するので、地球上の全生命体は一瞬で即死なんです。たんなる火の玉と言えば良かったのです。)

SFはファンタジーの一種だと思います。

ようするに下手にSF作品だと言えば、口うるさいSFマニアが厳格な科学考証を持ち出して、「空想科学読本」みたいな本で粗探しをするのですから、作者が、たとえハードSFだと思っても、「これはあくまでもファンタジー作品ですよ」と強調するのが無難です。

それでもハードSFを称する作品を描くなら、ディストピア小説(超管理社会の全体主義国家の悲惨な生活を描いた作品)で、あまりSFの小道具(ロボットとか宇宙人や超能力など)を一切出さず、未来社会の悲惨な状況を描けば良いのです。

ハードSF=ディストピア小説と考えれば良いのです。

そもそも、北○鮮と言う国そのものが現実に存在するディストピア社会なのです。

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1万年後の地球に存在する国家とは

キリストの再臨がいつ来るのか誰も予測できないのです。そんなに遠い未来ではないとおもうのですが、仮に人類が永遠と思えるほど地球に存続したとしたら、1万年後の未来に残存している国は、北朝鮮とイラ○と○○○アラ○アなど、国際社会の異端児であり、人権侵害が極めて激しい国、女性差別が酷い国だけが、今後1万年たっても微動だしないのではないかと思います。

だから、前回の日記で「未来人が現代社会へ何らかの影響を与える」ということも考えられると思います。

タイムマシーンの原理は、ブラックホールにわざと恒星間宇宙船を突入させて、時間が逆方向に向かうというのもありますが、もし宇宙船がブラックホールに入ると、遠くから見ると、止まったまま少しずつ宇宙船が赤く輝きだし、次第に宇宙船が暗くなりだし、すこしづつ半透明になって見えなくなるのではないかと思います。

ブラックホールの周囲には強烈な重力があるので、時間が遅く進むのです。

あとは、宇宙は謎だらけであり、宇宙の大部分がダークマターとかダークエネルギーがほとんどであり、目に見える輝く星は、ほんの数パーセントしかないのです。

ということは、まだ知られていない未知の物理法則も存在しており、新しい発見が宇宙物理学をひっくり返すこともあるので、もしかしたら、タイムマシーンも人類が発明できる可能性も僅かながらありえるのです。

未来に行くには、超高速の宇宙船に乗れば、ウラシマ効果で片道で未来へ行けるのですが、最も難しいのは過去に遡る事です。あとは、過去の地球があった場所に行くのですから、タイムマシーンは地上に固定させられると、過去に戻ると、宇宙の見知らぬ場所に穂織り出されるのです。だからタイムマシーンは恒星間宇宙船が必要不可欠です。

また、911同時多発テロでは、ニューヨーク周辺でUFOの目撃証言が多々あり、もしかしたら未来人が現代の歴史的瞬間を目撃したのではないかと推測します。

では、1万年後の世界とはどんな環境なのか、たぶん現代でも特異な国だけが国家として残存しており、それが1万年たっても頑なに社会そのものが全然変わっておらず、それ以外の国は、国家と言う概念さえなくなっていて、気が合う人たちが電脳ネットワークを作り出し、性格が似たもの同士が、集まる世界なのかもしれません。

精神的に低俗な人は、低俗な人同士がグループを作り集まり、精神的に高尚な人たちは、高尚な人たちがグループを作り集まるという社会になると思います。

また、もう一つ考え出せるのが、過度の情報化のため大部分の国が地球連邦に統合されるのではないかと思います。

なぜ地球連邦にほとんどの国が統合されるのか、人類が恒星間飛行をするには莫大な予算がかかり、また、ほぼ全世界の国が一致しないと宇宙開発が出来ないからだと思います。

宇宙進出した人類にとって、広大な全宇宙と比較すると地球は小さな生活領域でしかなく、1万年後の未来では国家とか国境という概念が古臭くなるのです。

そもそも100年後さえも、自分たちの世代には理解できない通用しない常識が多々あると思います。同じ日本語を使っても、無数の新語(単語)が作られるので、もし100年後の世界に行ったら、全然会話の内容が理解できないと思います。

たとえば、もし40年前の人がインターネットの話しを聞いても会話の内容が全然理解出来ないのと同じなのです。

1万年後の世界だと、1万年間頑なに伝統を守り続ける国もあれば、時代とともに変化し続ける国もあるわけです。

で、前回の日記で、なぜマイケルジャクソンが未来人から暗殺されたというのは、マイケルの巨大な財力で政界を牛耳るが、結果的には文明間の戦争がマイケルの手腕で解決して、結果的には中東の伝統的な生活をする人たちは、ほんの一握りになってしまって、1万年後には、全ての国は地球連邦に所属することになり、そのほんの一握りの人たちの価値観が踏みにじられ続ける歴史が1万年もつづくからです。

また、アフガン戦争がなければアフガンは100年後には自然消滅して、西欧文明の拠点になり、イラク戦争がなければ、次第にイラクが民主化して、周囲の中東諸国に影響与えるからです。

1万年後の極少数派があらゆる犠牲を乗り越えて、もしかしたらブラックホールとか未知の法則を使って現代へ来て、同時多発テロとかマイケルジャクソンを暗殺したと言う事も考えられるのです。

これは、SF的な考えなのですから、あまり本気にしないで欲しいと思います。



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異性を罵倒する言葉は「童貞」と「処女」

現代の日本ではフリーセックスを通り越し、婚前前にどれくらの異性と肉体関係を持ったかによって人間の価値観が決められる風潮があります。

異性と毎日のように性的交わりをする人は、多くの人から尊敬されるのです。それをmixiで自慢する馬鹿がたくさんいるのです。そもそもmixiは基本的人権否定と倫理観否定のSNSであり、悪質な2ちゃんねらーが、3つ以上のIDを習得するのは極当たり前の事です。

その結果、性の秩序が完璧に破壊された社会なので、結果的に少女漫画雑誌では、過激な性描写が多々あり、それを買うことが何のためらいもなく買えることが問題だと思います。ようするに、少女漫画雑誌を買えば性教育の一環になるというメリットがあるが、あくまでも性描写のみ固執しているので、ストーリーは何も無いのです。

特にネットで相手を罵倒することばで最も使われるのが「童貞」と言う言葉です。

逆に言えば男性の淫乱が、社会的に地位が高い人という誤解が多々あります。むしろ性病になったとか梅毒をもっていることを自慢するバカもいるのです。




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911同時多発テロとマイケルジャクソンの急死は未来人の仕業!?

現実の世界は無限の並行世界があり、もしかすればタイムマシーンが使える未来人によって、現代社会に影響を与える大事件たのではないか。その可能性は完全に0パーセントとは言いきれないと思います。

逆に言えば、ある説だと(全宇宙規模からみれば)人類の歴史は、まだ始まったばかりであり、1万年後でも20万年後でも人類が地球上に存在しており、そのまま科学が進歩すればタイムマシーンを発明して過去に影響を与えようと考える人たちがいると思います。

ようするに自分の価値観どおりの好ましい時代に住むためにタイムマシーンを利用するわけです。

と言う事は、アフガン戦争・イラク戦争がもし無い未来社会があったとしたら、またマイケルジャクソンが大統領になった未来世界への影響など、1万年後以降の未来の住む人にとって決して好ましくない時代に住んでおり、そのために現代にタイムスリップして、911事件とかマイケルジャクソン急死(未来人による暗殺)は未来人の仕業だと考えられるのです。

そのように考えるようになると、頭はSF脳でありるのではないかと思います。

SF脳で現代の世界情勢を考えると、アフガン戦争・イラク戦争は未来人によって引き起こされた歴史的事件であり、すでに過去の多くの歴史的事件は未来人によって何らかの影響を受けているのではないかと思います。

で、良く考えると、未来は人間の判断しだいで無限に存在するとなれば、現実とは何だろうか疑問に思うことがあります。

自分が良い未来を強く願うなら、良い未来の宇宙へと自分の意識が、それを認識し、暗黒の未来を悲観すれば、自分にとって都合の悪い未来へと意識が移動すると考えられます。そこに人間の自由意志の不思議さがあり、誤解されるかもしれないが、自分が「この世の中心」に似た世界観になるのではないかと思います。

ようするに、もし過去に賢明な選択した自分がいたとすれば、正しい判断や行動を起こした時点で、自分ではなく異世界の別人(性格や容姿がまったく同じでも別人)になるわけです。それを無限に分技するのが「自由意志」だと思います。

すなわち意識とは、無限に存在する並行宇宙を渡り歩くものだと思います。

説明するのは難しいと思いますが、怠惰というのは、意識のエントロピー(?)が高い状態だと思います。

エントロピーが高いほど、並行宇宙が発生率が低くなり、低いほど並行宇宙の発生率が高くなると考えられます。

上手に文章で表現できませんが、未来は神様によって完璧に固定されたものではなく、一つ一つの自由意志による選択の連続で、無限の未来があるということです。

その反対が運命論・宿命論であり、
全ての人の人生は無限の過去から無限の未来まで神様によって、運命が決められており、自分の思考による意思決定で行動しているように見えるが、実は全ては神様によって操られていると言う考えです。

一部のプロテスタント教会では、滅ぶ人は滅ぼされるために、この世に誕生し、救われる人は、救われるために、この世に誕生していると言うわけです。決して、自分の愚かさ弱さによって悪と滅びを刈り取るのではなく、悪を行う人は悪を行うように神さまによって創造されたという単純な思想です。

ようするに、宇宙論でも、無限の過去から無限の未来まで全宇宙は、永久不変ならわかりやすいのです。

キリスト教会ではビックバーン理論は認めておらず、天地創造は現代の科学では謎とみなす傾向があります。

タイムマシーンの発明は、ワープ航法と同じくらい難しいので、何か新しい法則が発見しない限り実用化するまで、1万年以上先になると思います。

911事件とかマイケルジャクソンの急死(未来人による暗殺)などは、未来人によって引き起こされたと言うSF的な発想できるわけです。






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吾妻ひでお「けいおん!」批判についての考察

吾妻ひでお先生が先月の公式ホームページでの漫画日記で物議となった発言がありました。

しだいに「吾妻」色が薄まるアニメ界に対する脅威を感じらっしゃっている。だが、吾妻ひでお先生が「SF美少女アニメ」「オタク」の教祖と呼ばれたのが、いまから三十数年前であるから、どんな天才でも時代の流れを止めることはできないです。

そもそも「けいおん!」というアニメは、同じ京都アニメション製作の「涼宮ハルヒの憂鬱」とは対極の性質である。

吾妻先生は「涼宮ハルヒ」シリーズなら大いに歓迎するが、「けいおん!」では、吾妻先生が求めている「ナンセンス」「ユーモア」「ギャク」「SF」という要素がなく、そのようなアニメを観ることで、自分の影響力が次第に衰退したという脅威を感じたかもしれません。

最近の漫画でもギャク漫画らしい絵柄を描く人が少なくなり、ギャク漫画でもアニメタッチのキャラデザインになったことは、ようするに「かつての『丸っこい手塚絵柄』の影響」が時代がたつにつれてなくなるようなものです。(その意味で絵柄では吾妻先生が手塚治虫絵柄を使った最後の作家でもあるのです。)

また吾妻先生の「スクラップ学園」という学園SFがなければ、もしかしたら「涼宮ハルヒ」シリーズも世に出てこなかったかもしれません。

「涼宮ハルヒ」シリーズは、始点の「スクラップ学園」から「ギャラクシー・トリッパー美葉」という作品を経由して出来上がった作品だと考えられます。だから、吾妻ひでお先生の「スクラップ学園」がなければ、「涼宮ハルヒ」という作品も出て来なかったと考えられます。

もし、吾妻ひでお先生が漫画家として存在しなかったら、21世紀の現代でも、少年SFヒーロー物が幅を利かせており、まして少女が主人公の作品はほとんどなく、また「萌え」「オタク」という単語も存在しなかったと思います。(その分、アニメ作品数が少なくなったかもしれない。)

吾妻先生が存在しない、「もし」と言うこと考えると、オタク不在のアニメ界は現代と大きく異なったものになり、(これは自分の想像だけど)「超人ロック」とか「地球(テラ)へ」など少年ヒーローものが国民的アニメになったと思います。

まして深夜アニメという概念さえ生まれてこなかったかもしれません。

で、スクラップ学園の単行本は現在、入手困難であり、復刻も期待できない状態になったのは、2006年にコンビニ向け単行本「スクラップ学園・天真爛漫編」が発売されましたが、ほとんど売れなかったので古本屋でも見るけるのは、かなり困難だと思います。秋田書店がちゃんとした形で、「スクラップ学園」を復刻してくれれば良かったと思うのです。

吾妻先生が二番目にお気に入り作品(1番お気に入りなのがテレビアニメになった「ななこSOS」で)なのが「スクラップ学園」であり、先生が求めている「ユーモア」「ナンセンス」「SF」「ギャク」などがたくさんつまった作品なんです。(吾妻先生は大のSFマニアですから、どんなかたちでもいいからSFになっていればいいのです。)

世代間の価値観がことなり、「けいおん!」がつまらないと思うのが、オヤジだといわれても仕方ないと思います。たしかに「けいおん!」は、後半だけ観たけど、大きな事件や山場、オチなどがなく、あまり面白くなかったと思います。

--------------------------------------------追加事項

アマゾンで買える作品を集めましたが、当時はSF・美少女の元祖・カリスマと呼ばれていましたが、現代の視点で見れば、SFというよりもファンタジーだと思います。

そもそも前回の日記に書いたように、吾妻先生は熱心なSFファンですがハードSFは一度も描いたことは無かったと思います。むしろコミカルなファン タジーにしか見えません。もっともSFらしいのは「不条理日記」というSF小説・SF映画・SF漫画のパロディをギャク漫画にしたものだけなんです。

で、集めて最も質が高いと思うのは、(これは自分の好みですが)「オリンポスのポロン」だと思います。毒(不条理ギャク)が最もないだけあって、初めて読んだ時は、別の作家の作品だと一瞬思えたのは、絵柄が「石森章太郎」に近く毒がないギャク漫画だからです。

ようするに「オリンポスのポロン」でテレビアニメになったから、その方向で行けば、もしかしたら失踪する事は無かったと思います。

かなり古い話しになるが、1970年代当初は、石森章太郎原作の「好き好き魔女先生」とか東映動画原作の「魔法使いチャッピー」など、ある意味では美味しい仕事を貰っていたので、漫画家なら商業的に考えれば、その路線で行けばよかったのではないかと思います。

あとは、吾妻先生の作品でテレビアニメ化しそうだったのが「ぶらっとバニー」で、ただし主人公が白目なのが、キャラクター的に問題ありということでアニメ化しませんでした。吾妻先生もバニーの弟をだしてアニメ化を狙ったのですが、思ったように行かなかったのです。

ようするに吾妻ひでお先生は商業漫画家ではなく、芸術家を自負しておりますので、あまり漫画で儲けるという発想は皆無だったのではないかと思います。

最も人気があり先生も描いて楽しいと思える作品は「ななこSOS」であり、テレビアニメにもなった作品です。「オリンポスのポロン」とか「ななこSOS」のような読者うけする楽しい作品を作り続けていたら、失踪する事は無かったと思います。

コミカルなファンタジー路線で行けばよかったと思います。

最近はネットで、吾妻先生のWeb漫画日記で「けいおん!」の批判をしたら、物議を出してしまいました。これが宮崎さんや富野さんが批判したなら、 叩かれないと言う意見もありますが、その通りだと思います。要するに強烈な力を持ったアニメ界の巨匠が批判したなら、反感を持たないと思うのです。それが ほとんど無名に近い売れない漫画家が批判したのが、いけなかったのです。

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吾妻ひでお先生が失踪した遠因は「ふたりと5人」という作品を書くように強要され続けたから

6月末から体調を悪化したためブログを更新できませんでした

吾妻先生ほど、自分の作品で弱音を吐く作家は珍しく、その遠因を考えたら、1972年から76年まで少年チャンピオン連載した「ふたりと5人」というギャク漫画ではないかと思います。

描きたいものが描けないというのは、作家としてかなり精神的苦痛らしいです。

個人的には「ふたりと5人」は駄作だと思うのは、その作品の記憶が全然無く、むしろ別の作家のギャク漫画「がきデカ」を少し覚えているくらいで、同じシモネタを扱う漫画でも面白さがぜんぜん違うのです。

なんというか、70年代の少年キングに連載された「おそまつくん」なども、とてもつまらなくて途中で読むのをやめるほどなんです。その作品と同じレベルだった思うので、なぜ「ふたりと5人」がこんなに人気あるのか子ども心に不思議に思いました。

吾妻先生も「ふたりと5人」に関しては、やる気なしなのです。だから、読むほうも面白く感じないのです。漫画家の場合は、ネーム(シナリオ)を出版社の編集者に送り、それを編集者が勝手に書き直したものを、漫画の原稿にするのです。

吾妻先生も何度も連載を中止してくれと懇願したが、人気がなくなったときに急に連載を中止し、その後に「みだれモコ」を描いたら、わずか6回で連載終了。

1979年に「シャン・キャット」を連載させたら、これもわずか5回で連載終了で、それ以降、すべてがマイナー誌への連載に至りました。結果的に自由に作品を描けるようになり、結果的には、当時の基準では傑作を多くつくり、吾妻先生の人気がうなぎのぼりになりました。

1980年当時には約30もの吾妻先生のファンクラブがあり、実は人気が出たことが、ファンの期待を裏切らないようにと思って、それがプレッシャーになッ他のではないかと思います。

人気がでたときには、既に仕事が嫌いになり、「ふたりと5人」を描いていた当時に、既に「うつ病」が発生したのではないかと思います。うつ病の原因は、編集者たちの過剰なプレッシャーがあり、最盛期には、多くのファンクラブができてしまって、期待を裏切らないようにと言うプレッシャーが、鬱を酷くさせ、次第に仕事に対する拒絶反応が酷くなったと思います。

というか、多くのギャク漫画家は自殺が多いのです。
最近、名前を聞かなくなったなと思う作家がいれば、たいていは自殺したということになるのです。

その意味では、最近の少女漫画の性的表現が成人向けアダルト作品よりも過激になったのは、少年誌やアダルト雑誌にはフェミニスト団体や教育団体の圧力が強く働き、まさかと思うところ、それらの団体の死角である「少女漫画」などにかなり過激な性表現を載せるのですが、実は、性表現のみだけに特質してしまい、内容が全くなくなってしまったのです。

ようするに何も考えず(頭脳を使う領域を少なくするため性表現のみ)漫画を描くほうが楽なんです。感動させる漫画は比較的に出来るが、人を笑わせる作品を作るのはとても難しいことなんです。

だから、徐々にギャク漫画という分野は無くなっていくのではないかと思います。

また漫画を描くのが好きな人は、あえてプロになろうとせず同人誌で自分が描きたい物を描く作家が増えると思います。

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死刑制度の残忍さについて

現在の日本では死刑制度の賛成率は85パーセント以上であり、ネットで下手に「死刑廃止」と言えば確実に炎上(避難轟々状態)になるのがオチです。

日本で死刑制度廃止は今世紀中には確実に無理であり、22世紀中になり社会そのものがたぶん大きく変化すると思うので、その時代まで死刑制度は確実に残ると思います。

ようするに中華人民共和国や北朝鮮でも死刑制度廃止しても、一応は民主主義国家としてみられている日本では絶対に廃止はできない死刑制度廃止なんてことがあったら大暴動は確実に起きます!

ネットを調べると、情状酌量の余地一切ない極悪非道な犯罪者ほど、拘置所生活は悲惨なものであり、死刑判決がでてから、いつ自分が死刑を執行されるか一切しらされないのです。

早い人なら1年以内に、遅い人の場合は20年以上先になるのです。

「死の恐怖」と「潜在的な罪悪感」のため、かなり重い統合失調症になる受刑者が多くおり、自分の枕元に人が立っているとか、目を覚ますと自分が殺した被害者が睨んでいるという幻覚を何十回も見て、恐怖のために叫び声をあげ、それを放置したら、食糞をしたり、自分の身体に傷を負わせたり、一晩中ブツブツ独り言を喋ったりして、昼夜が逆転してしまうのです。

受刑者の精神が拘置所内で崩壊し、結局は警察署推薦の精神病院に強制入院させられ、幻聴や幻覚などの症状が収まった時点で拘置所に戻され、元のように「死と罪悪感」という恐怖に悩み続けるのです。

また、死刑執行直前には、約70パーセントの死刑囚が馬鹿力で抵抗して暴れ周り、拘置所職員を殴ったり蹴ったり大声で怒鳴りつけたりしながら暴れ周り、刑務官10名くらいで死死刑囚を強制的に押さえつけて首に縄をかけ、落とされるのです。落とされると首に強烈な衝撃があり首の骨が折れたりします。地下にいる職員がぶらぶらした死刑囚を押さえつけ、二名以上の医師がストップウォッチで時間を計り、死亡するまでには短くても20分かかり、完全に心臓停止してからさらに15分以上所吊り下げておくのです。

よく死刑執行のビデオや本では、執行直前に教戒師(神父・牧師・お坊さんなど)に最後の祈りをささげて、親族宛てに手紙を書き、最期のタバコを吸い、目隠しされ両手に手錠をされて素直に絞首刑をされるのは、ほとんどなく、たいていの場合、死刑囚が暴れ刑務官の顔を思い切り殴ったり、蹴り罵倒するので、死刑を行うと必ず怪我人がでてくるのです。

死刑を受けるのは自分は運が悪いからということで、死刑囚には罪悪感が皆無であり、それが凶悪であればあるほど罪悪感がないのです。その罪悪感や反省の意識があれば大人しく死刑を受けるが、それがないから死刑囚が死刑直前に暴れまわるのです。

世論では、死刑の生中継をして欲しいとか、ネットで流してもらいたいとか言いますが、暴れまわる死刑囚を見せて、

そして死刑囚をおろした時に、

からだのあらゆる穴から体液や汚物がでてくるのを放映すれば、逆に死刑制度の見直し論へと変わるから、死刑執行を撮影しないと思うのです。

宮崎勤の連続幼女殺人事件を10年早く行っていたら、宮崎は今頃、釈放されて死刑を免れていると思います。

1980年に新宿バス放火事件の犯人は、軽度の統合失調症だけで一切の刑事責任を否定され不起訴で保釈されたが、その十数年後に罪悪感に悩まされ続けたために自殺しました。

個人的には、女子高生コンクリート殺人事件の犯人や関係者は全員、「情状の余地一切無し死刑確定」ということを強く望んでいたにもかかわらず、少年法があるから死刑にできない。関係者全てを死刑にしなければ、この事件は永遠に解決し無いのです!

コンクリート事件は凶悪犯罪として人類が存続する限り永遠に語り継がれるのです。

残忍な猟奇犯罪者をかばう弁護士の力が強すぎたため、犯罪被害者の遺族の人権を踏みにじみ続けたのも死刑制度存続論になるのです。


だから日本の犯罪の特徴は猟奇的で残酷な犯罪の比率が国際的にみて極めて多い。犯罪被害者遺族の悔しさが先にたつので、死刑制度存続論は今世紀中でも根強く残ると思います。



あるモルモン教の弁護士は、目の前で自分の娘や息子が殺されても、その犯罪者を弁護する。そのような人間を赦すというが、人間はか弱い存在だから、口先だけではそんなこと言えるが、そんな人間ほど教団内の些細な摩擦があれば、些細なことで傷つけた相手を憎むのではないかと思います。そのような偽善的な言い方をする人の意見は一切信用できません。


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吾妻ひでおはSFアニメの教祖なのか?

最近思うことですが、吾妻ひでおの漫画を良く読みます。
なんと吾妻ひでおの黄金時代とモルモン教の狂乱のバプテスマ(入信の強要)の時期がほとんど同じというのです。1978年から1983年までの5年間です。

また、吾妻ひでお先生のファンクラブが、大小30くらいあり、当時の本屋で漫画の立ち読みをすると、かならず吾妻ひでおの漫画をみかけるのです。吾妻先生は元祖オタクの教祖であり、DAICON3/4のオープニングにも影響を多々与え、最も影響を受けたのがGAINAXの庵野さんなんです。(現在は「カラー」というエヴァンゲリオンの映画専門の会社を設立しています。)また、吾妻先生がモルモン教の宣教師に声かけられたときに、「オーソン・スコット・ガードという作家を知らないか?」と質問したら、宣教師は「?」なので「モルモン教のSF作家だよ」とおっしゃりました。

吾妻先生の失踪・自殺未遂などがあり、もし自殺が成功したら「消えたまんが家」という本に載せられるところでした。

ようするに、1985年以降から作品には多くのファンからプレッシャーのため完璧主義になり性格が粗暴になり、ファンクラブと喧嘩したり、出版社の編集者と喧嘩したり、アルコールが入ると友人にからみつき、友達を多く失い、仕事もほとんどなくなったためアシスタントも辞めてしまいました。(ななこSOS3巻・ハヤカワ文庫版より)

そのため、アルコール中毒(ひきこもり生活)と、重いうつ病にかかり89年11月に自殺未遂。その後、ホームレスになりました。

その辺のことは「失踪日記」で詳しく書かれているので、読んでみる価値があります。

うつ病になる人は、他人には理解できない何らかの理由があり、世間的な正義感で、その人を判断できないです。人間の心理は宇宙の謎と同じくらい深いものがあるからです。

吾妻先生の作品を21世紀になって読んで見ると、SF漫画・美少女・ギャク漫画のカリスマといわれますが、SFの分野においては、社会風刺やハードSFは一切無く、むしろ現在の視点で見れば「ファンタジー」「ホラー」「スペースオペラ」をギャク漫画にしたものがほとんどです。

あえてSFらしいSFは、「不条理日記」で有名無名のSF作品のパロディをギャク漫画で表現しており、SF作品をほとんど知らない人でも笑えます。

SFというジャンルは、大部分が「ファンタジー」や「スペースオペラ」という別のジャンルに区別され、現代科学に正確な作品のみがSFであり、それ以外は別のジャンル「ファンタジー」とみなされています。

ましてSF小説を書くには、現代科学(一般性相対性理論・ホーキング博士の理論など)に熟知しなければなりません。自分ではハードSFを書いたつもりが、と学会で「トンデモ本」扱いされる場合があるからです。

話しは戻って、吾妻ひでお先生はSF作品に熟知したかたですが、先生そのものがSF(?不条理)思考なので、一般の人には理解できない行動をする。だから、お金に困って無くても、奥さんや子どもがいても、追い詰められたら逃げてしまうのです。

吾妻先生のことは吾妻先生にしか理解できず、家庭を捨てて逃げ出すなんて卑怯だというのは、それはあまりにも酷で厳格な感情論だと思います。

吾妻先生がいなければ、現代のオタクの世界観は全然違ったものになったか、もしかしたら90年代にオタク界が自然消滅したかもしれません。その意味では吾妻先生は偉大な漫画家だと思います。

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モルモン教とキリスト教の違い

モルモン教側では自ら「クリスチャン」とか「LDSのクリスチャン」「末日聖徒のクリスチャン」と呼んでいます。それは個人の自由ですから誰も迷惑にならないと思うのです。

20年前のようにモルモン教徒が「モルモン」と言わなくなったのは、中央幹部の指示もあったと思うのです。

モルモン教とキリスト教の大きな違いの一つは、強固な組織だと思います。
ホームティチングなどは、相互訪問なのである意味では相互監視なのかもしれません。
ワード部や支部で事細かな組織が作られているのです。

あともう一つ違いが、モルモン教の神殿結婚の儀式があり、永遠の結婚の儀式を受けないと救いが完全ではないと言われております。

そこに大きな違いがあるのです。
まず、キリスト教には信仰義認の教義があり、イエスキリストを主として認めなければ、どんなに正しい生活をしても神様から義と認められないのです。(セカンドチャンスの話もあるが軌道がずれるので後ほどに)

これは個人的な考えですがキリスト教には信仰の敗北はありえないと思うのです。
一生懸命真面目に信仰していれば、どんな人でも救われるのですが、モルモン教では、不完全な救い(月の光栄の王国とか星の光栄の王国など)になるのです。

最近、「婚活」と言う言葉が流行っていますが、あーもうーも言わせないでとにかく結婚しなさいと言う圧力がモルモン教にあり、それが原因で精神的に参ってしまう場合があり、人によっては結婚生活は不能の人もいるわけで、そのような人までも一くくりに結婚をさせるようとするのは、結果的に人生の敗北者と勝利者を別ける事になるのです。

その意味で、自分が後悔したのは、モルモン教前半期に真面目なモルモンだったことで、適当にやっていれば今日のような状態はありえなかったと思うのです。

それと比較すると、キリスト教には真面目にさえやっていれば、信仰が敗北する事はありえないと思うのです。(ただしカルト化したとか、人間関係の躓きなどもあり、それでキリスト教会に通わなくなる事もありえるのは確かなのです。)

まず全然違うのは、モルモン教は努力しても人によっては無駄骨で信仰を失う、悲劇に襲われる可能性も多々あるので、だから、適当にやれば、月の光栄の王国でも入れるのではないかと思うのです。それからモルモン教を棄教すると、日本の原理主義的な人たちは「滅びの子」と脅して、信仰の自由を奪うのです。

この言い方は間違えていると思うのですが、モルモンを辞めた人を人生の敗北者扱いするのは日本型モルモン教原理主義者と同じで、意志が弱いとか「愚かさ」「弱さ」で自ら滅びを招いていると言うのです。それは人を不当に裁く事になると思うのです。

またはモルモン教会をお休みした人にも、変に頑張るようにしむけたりするのは、原理主義者に良くある傾向で、個人的には精神的未熟さを感じます。そのような未熟な人が、人を励ましたりする事もできないし逆効果になることがあるのです。

まとまりがなくなったが、別に反モルモン的な言い方をしているつもりではないが、もし、そのように受け取って不快に思ったら、申し訳ないです。

なんでもがむしゃらになって頑張り、他のモルモン教会員にも自分と同じではないと言う日本型モルモン教原理主義者が、モルモン教関係者の心を傷つけたと思うのです。配慮不足だと思うのです。

キリスト教は「仮に」全力を尽くさなくても信じることで救われるが、モルモン教では全力疾走でも挫折して敗北を味わう危険性があるのが大きな違いです。

キリスト教は信じるだけで救われるが、モルモン教は信じても全力で努力して成功しないと完全な救いを得る事ができないのです。

成功とは結婚する事です。
たとえどんなに頑張っても結婚と言う結果がでなければ救われない。だからモルモン教は恋愛至上主義に陥っていると思うのです。そこに神様の話しが無いのは当然です。





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スピチュアリティの発達がキリスト教伝道を

現在、キリスト教では三大異端問題などに囚われてしまい、最近流行のスピチュアリティ(スピチュアル)に対して無関心ではないかと思います。それが日本のキリスト教伝道の特異点だと思います。

スピチュアリティに影響されたクリスチャンもたぶんいるかもしれません。
自分が通う保守的なキリスト教会ではほとんど無いと思えるが、他の教派、特にリベラルな教会のクリスチャンが、あまりにも寛容に何事も受け入れてしまいスピチュアリティやヒューマニズム、それにニューエイジ運動など教会内に潜伏させてしまうのです。

ある意味、パソコンに入ったウィルスみたいな存在であり、教会とは無関係なら問題ないが、キリスト教と融合すると異端化する危険性が多々あります。

近年、日本伝道が虚しいと言う米国の教会の意見が多々あり、ある意味では日本という国に無関心、まして日本文化(古典芸能からアニメまで)には無知であり、そのような人たちがいきなり日本に来ても、自分が思ったものと全然違う環境を見たら、強烈なカルチャーショックを受けると思います。

米国から最近のキリスト教会に何故か宣教師が送り込まれないのは円高だけではなく、日本文化に無知で無関心であることと、それを東欧やアフリカと同じやり方でやろうとするから実を結ばないのではないかと思うのです。

日本人の文化を理解しないと日本人の国民性が理解できず、特にキーワードになるのがオウム真理教の地下鉄サリン事件で、日本人が組織化を忌み嫌う民族になった事を米国人は知らないからです。

スピチュアリティは組織化していない宗教であり、ある意味では『(内村鑑三の)無教会』に近い精神世界・自己啓発活動だと思います。

「宗教」というものを忌み嫌う民族に、「しゅうきょう」的なキリスト教が日本に入り込むことは、とても難しいことだと思います。

ある説だと潜在的クリスチャン(隠れキリスタンみたいな人たちではなく)は日本には6パーセントあり、実質的クリスチャン人口の10倍は存在しているのは、インターネットの発達による個人礼拝だと思います。あくまでも個人礼拝なので宗教活動とは思えず、別の言い方すれば「キリスト教オタク」「キリスト教シンパ」だと思います。

h ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/ownrighteousness.html

そのような人たちが、大なり小なりの組織に組み込むのが日本の伝道のあり方ではないかと思います。

人間関係がどうしてもダメだというなら、大きい教会のセルグループの活動だけ参加するのも良いのではないかと思います。

検索してどこが教会員数が多い教会なのか確認して、その教会でセルグループ(セル教会)を行っているのか調べて見るのも良いと思います。

20世紀の日本のキリスト教会では、近所の教会に行くのが当たり前でしたが、近年は教会まで30分から1時間も時間をかけて通うクリスチャンも多くなりました。

日本の主要都市の教会員が多いキリスト教会に通い、そのなかでセルグループを行っている教会に通うのがお勧めだと思います。

で、セルグループ(セル教会)とは、ひとつのキリスト教会内に「地域ごと」「世代ごと」などで幾つかのグループに別けて、月に一度くらいは活動する細分化された教会のことです。サークル活動のような感覚で気を使わずに通えるのが特徴だと思います。

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セルグループについて詳しい情報

別のグループのキリスト教界なので直接リンクできないのですが以下のURLを参考にしてください。

 h ttp://midori.church.jp/CellGroup1.htm




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モルモン教とキリスト教は全然違うということ!

このブログにかかれたことは大部分が自分の目から見た、個人的なフィルターが強いので、他の人では、また、違うように感じられると思います。

キリスト教は、よく「宗教ではない」と言われています。正確に言えば、「現世利益を求める。ご利益宗教ではない。」です。そのためか益々生活が困窮する現代社会では、むしろキリスト教には眼中が無く、スピリチュアルなど組織化していない宗教が流行っています。

なぜ組織化が嫌がるのか、それはオウム真理教など反社会的カルト宗教を忌み嫌う傾向が社会にもあり、組織化されず、本一冊でも宗教ができるスピチュアルが宗教として、キリスト教的な表現で言えば「リバイバル」状態なのです。すでに精神世界に世間は覚醒したと思うのです。

キリスト教が何故、西洋の古代社会や日本では戦国時代に急激に広まったのか?これは自分の考えですが、社会全体が殺伐としており非人道的な行為が当たり前の暗黒の世界に、キリスト教という善意の光が差し込んだのです。それで人々の良心に刺激を与え、キリスト教の福音が一気に広まったと思うのです。

現代だとキリスト教的な理想論を言っても誰も見向きしないのが現状です。
が、なぜテロがおきるのか?なにが正義なのかというグローバルな視点で考えると、聖書の知識が無いと世界情勢は理解できないのです。

モルモン教ではグローバルな視点というよりも、むしろ興味本位の神秘主義や終末論が主体になり、または、永遠の家族という目標のために、恋愛至上主義に偏る傾向があります。
モルモンというとアメリカ文化・英会話・モルモン信者同士の恋愛・信者同士の結束・たのしいイベントなど、ポジティブなイメージがありキリスト教にはない概念が多々あるのです。

では、自分がちゃんとした(?)クリスチャンを一年以上続けて感じたことは、純粋な意味での神様への愛、または畏敬の概念だけだと思います。それだけで十分すぎるほど奥が深いと思うのです。

簡単に言えば人間と神様との関係だと思います。

それにモルモン教では何となく勝ち組の宗教というイメージが強く、夫婦そろってモルモンだけではなく、一族全部がモルモンも日本でも珍しくないです。なんというかモルモン教は人を選ぶ宗教であり、「召されるものは多いけど選ばれるものは少ない」という言葉が最も的を得た言葉だと思うのです。

モルモン教を2時間で語るには、モルモン教の教義云々の説明よりも、「サタディウォーリアー(土曜の戦士)」という演劇を一回見るだけで十分モルモニズムが誰でも理解できると思うのです。

ただし、近年の組織化した宗教への嫌悪感と、一切の犠牲を必要としない完全なご利益主義などがあり、極論を言えば、スピチュアルの知識さえ吸収すれば将来に希望を持てるのです。キリスト教は現在流行のスピチュアルと正反対だと思えば良いのです。多かれ少なかれ組織化しているし、人間関係もあるし、儀式もある。聖書という唯一の正典が権威があるのです。そして献金を収めるのは教会への寄付ではなく、神様への捧げものなのです。

宗教法人だとどのようなところでも大なり小なりの他者からみれば洗脳行為と思われるようにみえるのです。

自分にはモルモニズムは無理だとトコトン思い知らされたので、仮にモルモン教信者同士の結婚があっても、鬱病では途中で挫折するのが火を見るよりも明らかなのです。






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SF中毒はモルモンの影響?

1990年代は神秘主義に傾向してしまい、ファンタジーやSFなどに興味を持ち、結果的にはSF中毒になりました。で、実は宇宙開発に興味を持ち熱力学や一般性相対性理論などの知識が入り込み、さらに政治思想にも興味をもち、自分の人生で最も大きな影響を及ぼしたのが、ジョージオーゥエルの近未来小説「1984年」です。

「1984年」という映画を観て、何となくモルモン教的な共産主義支配が感じられ、そんなふうに人間を支配する事が神様のみこころなのか?と疑問に思ってから数年もの時間がかかりました。

1997年に自分の頭の中でSFバブルになりました。

結果的に知人が酷い鬱病にかかり、もともとは熱心な信者でしたが、いろいろとあり、過剰な律法主義は人間をおかしくさせると思い、自分の中に自由主義的な思想が浸透しモルモン教の戒律をある程度は破ることになりました。

モルモンなんだけどコーヒーを飲む、日曜日(安息日)には買い物をする。

さらに日曜礼拝の証会で、人前で話をすることを止めたとき(1996年5月が最後)じわじわとモルモン教信仰が弱体化し始めました。

1980年代の自分は絶対にモルモンを辞めないと考えていたが、それは、楽しい時間を過ごせる仲間がたくさんいたから。その仲間も結婚や転勤でいなくなり、まして、後輩の教会員から自分のプライドを傷つけられ続けると、過度のストレスを感じて日曜日に教会に行くのがたまにしか行かない。具体的には月に2度しか行かない。

一切の教会の奉仕を勧められても断りました。

精神的暗黒時代といえるのは、80年代にあったような喜びを感じられない。なにか虚しさを感じる。モルモン教会に通うくらいなら自分の部屋の中で好きな事をすれば良いと考え、次第に日曜日にいろんなところに遊びに行く習慣が出来てしまいました。

で、そんな状態で同時に熱心なモルモン教の女性の結婚相手を探さないといけないという矛盾がありました

とにかく今もいろんなことで悩みがあったが、当時は今以上ストレスを感じており、それが不眠や鬱の原因になったと思います。

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惑星コロブとは

モルモン教とキリスト教の大きな違いは、モルモン教の神様エロヒムが住む惑星がコロブと「高価なる真珠」に書かれています。

その意味ではモルモン教の神はある意味では有限だと誤解してしまう場合があります。
さらにモルモン教の父なる神様は、キリスト教の父なる神様とは違うのは、神様がかつては人間だった。だから人間も正しい生活をすれば神になるという教えです。

モルモン教の神様エロヒムは、もとは人間だった。惑星コロブに住んでいる。

新興宗教においても、たとえば「ラエリアン・ブームメント」のように神様は他の惑星に住んでいる宇宙人だと真剣に信じているところが、モルモン教に影響されたと考えられます。ラエリアン・ムーブメントとは。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88

公式サイト 
http://ja.rael.org/rael_content/index.php


それがモルモン教の正体であり、モルモン教では奥義として教えられているのです。
なお、その奥義はモルモン教神殿では教えていないと思います。

モルモン神殿はとても神秘的であり霊的な場所ですから、たとえモルモン教の信仰を失っても儀式の内容は言えないです。

モルモン教神殿で奥義と言えるエンダウメントを受けるには、2年間の無報酬の宣教師になるためと、それからモルモン教信者同士の結婚をすることです。それ以外でも、モルモン教会の教会員として毎週欠かさず宗教施設(ワード部・支部)の日曜礼拝に出席が7割以上であることと、ワード部の監督と面接受けて、相応しいとされた場合のみしか神殿に入ることはできません。

そのためには正直であることが第一条件であり、同時にモルモン教の神を信じることです。
面接時に必ずその人の罪を告白させられる場合もあります。正直な人は脅迫的に自分の犯した罪を告白するようになっているのです。

あとはモルモン教独特の特殊な下着(ガーメント)をどんな時でも着る事を義務つけられます。(当然、入浴とかは別ですが)

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ポメラと任天堂DSが欲しいが

任天堂DSならゲームでどこでも勉強をすることに使えるのです。あまり欲しいソフトのことはいえないが、あえて言うならアニメ系のゲームソフトで気分転換に使えると思います。

それから、ポメラはアマゾンあたりで買うと安くなるらしいです。
ただテキスト文字入力専門なのでもう少し安くならないかと思うのです。ポメラを買う人は経済的に余裕がある人が買うと思います。

家電量販店では全然みかけないし、どんなものなのかいじれないのでキーボードの入力がしやすいのかは、アマゾンの評価やmixiのポメラのコミュニティでの評価しかわからないです。

現在の自分の経済状態だとポメラを買うのは、「清水から飛び降り」ような勇気が必要です。

前回ではPCのエディターソフトを使えば良いのではないかと書き込みましたが、それを習慣化するまでがたいへんであり、むしろポメラのように手軽に文字を入力することができる。または、非公開の日記やアイデアなどもメモを取れるのです。

それから、あとでポメラで読みかえしすることができ、反射式モノクロ液晶ですから目が疲れないので長時間の文字入力に対応できると思います。ATOKという漢字変換ソフトというのが魅力であり、マイクロソフトの漢字変換ソフトよりも精度が高く、すばやい文字入力では漢字を正確さがかかせないです。

たしかにネットパソコンよりは遥かに安いのですが、人それぞれ経済状態があるので、特に買うときには慎重になる必要があると思います。


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英語は粘り強く何年でもかけて覚えるもの

あまり英語を使う環境ではないので、(というか横田基地のアメリカ人教会の人たちが日曜日の夕方に教会に来るが)まして、子どもなどは、大人と違い、自分が話した英語を英語とはまったく認識しない、むりろ強く警戒するのです。

だから、ちょっと怖く感じてしまって行きにくく感じます。
大人たちは、英語が話せないからというから、カタゴトの英語でも、何とか一生懸命聞き取ってくれるのですから会話になるのです。

ひさしふりに、英会話学習ソフトを使ったのですが、昨年の7月24日で英語学習が停滞したままだったのです。

ボランティアの英会話スクールといえばモルモン教が有名ですが、彼らが全く異なる言語である日本語を短期間で覚えられるのは、何らかのコツがあると思うのです。

現在、自分が通っている教会ではアメリカ的な雰囲気が皆無になりだし、キリスト教=アメリカ文化・英会話という人には馴染みにくい雰囲気になってしまったと思います。

21世紀は欧米の世紀ではなくアジアの世紀ですから。

むしろ中国語をならうようにいわれますが。

それでも英語を学ぶ努力を続けるのは、英語圏の人と話ができたら良いなということです。

まず、間違えても文字から英語を覚えて喋るようになろうとするにはよほど努力をしなければならないです。でも、「英語は逆から学べ!」でも、英語音声のテレビドラマを字幕なし原語のまま観るとストーリーが半分しか解らないです。

「英語を逆から学べ!」も能率悪さでは、辞書を片手にひとつひとつの単語を調べて日本語に訳すと同じくらい根気が要ることになるのです。

単語も丸暗記は若い人ならできるが、30代半ばを過ぎると、とても無理なやり方で、むしろ「忘れて当然」という開き直った気持ちが無い限り英語学習は続かないと思います。

やはり英語吹き替えのアニメを観るほうが学習効果はあると思います。


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「英語は逆から学べ!」は間違えている?

この本の最後に「英語のスペル字幕を見るな」と書いていますが、実は、英語のスペルを見ないと英語が聞き取れないのです。

英語の場合は、少しだけローマ字に近い表記があり、英文を見れば、俳優の喋っている英語がある程度聞き取れるが、英語字幕がないと、ほんの僅かの英単語しか聞き取れないです。

それを何回やっても同じ事なので、ある程度英単語を読み取る聞き取る訓練は必要だと思います。

個人的には、Fから始まる単語のほうが馴染みやすいのです。

逆にEやTから始まる単語は、最も使われる文字ですが、最も発音しにくい単語が多いのです。
たとえば「イングランド」という単語は、初めの「イ」は唇を広げてというが、日本語のイとは音がぜんぜん違い、イとエの中間のような音なのです。

自分が思うには何故、学校の英語教育で発音記号を教えなかったのか?そして単語が繋がり短くなる現象をあまり教えないのか、疑問に思います。

英語だけでテレビドラマやアニメを観るなら良いですが、ドキュメンタリーなどは、初めに日本語で観て、次は英語というので、時間が2倍かかるのです。

あと英語とフランス語は同じ欧米の言語だから似ていると思ったら大間違えであり、実は、文法が全然異なる事と、覚え方が違うことです。

英語だと習ったことがある言語で、外来語で親しみある言葉が多々ありますが、フランス語はまったく習ったことない言語ですから、実はフランス語のほうが、文法を一まとめで覚えたほうが早い。スペルは難しすぎるので、文字表記は一切覚える必要はない。他のラテン語系と違い”ヘボン式”ローマ字読みができないのです。(フランス語式のローマ字表記はあるようですが)

英語の場合は英語脳を、フランス語の場合はフランス語脳を脳内に作る必要があるのです。

ストーリーが単純なアニメのDVDを観て、英文の字幕を見ながらヒヤリング力を鍛え、一日2時間続ければ良いとおもいます。

毎日、英文字幕を2時間観ないといけないのであまり能率は良くないですが。それを忍耐強く行うと

ANF英語放送を聴いた時には、意味が訳せない細かい部分は理解できないが、以前よりは発音が聞き取れるようになるのです。

日本のアニメが英語音声に吹き替えさせられているもの。これらは少し古いが、ネットにUPされる時にダウンロードして、話の内容が解っているアニメを観ながら英語に親しむのが良いと思います。

あとは1970年代の洋楽、特にオリビアニュートンジョンの歌は英語の歌詞は比較的に単純なのでなんだか中学生の時の英語のレベルで歌を聞き取る事ができると思います。


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漢字表記を止めた韓国語は語彙や表現が乏しくなった?

漢字表記を止めた韓国語は、実は活字離れが酷い状態であると言う情報があります。漢字を使わなくてもハングルだけで意味が通じるのが日本語と大きな違いであるが、逆に7割以上が漢字言葉だったのです。

欧米では初めからアルファベットの音節文字で問題なく使われた反面、複雑なスペルが英語やフランス語などでも使われているのです。むしろフランス語のほうが英語以上にスペルは難しいが、発音は短い、いや状況によって発音が短縮され繋がって話すので、発音が変化する。英語と違い単語を覚えても正確な発音はできないのです。フランス語の場合は、文法ごと覚えるほうが効果的だというのです。

英語でもフランス語に近い現象があります。

実はあまり英語で物事を考えすぎると日本語の語彙が乏しくなり、また使う単語のセンスが悪くなるので、変な印象を聞き手に与えてしまうのです。

英語は逆から学べ!」という本がありますが、言語にも宇宙があり、全世界の言語はそれを元にして、各言語に訳しているに過ぎないのです。これをユニバーサル言語といわれ、自分の言葉で置き換えるとイメージ語だと思います。

きめ細かい言語表現(表記)には、むしろ単純なローマ字やハングルよりも、複雑なスペルや漢語のほうが都合が良い場合があるのです。

日本語はどこの国の言葉とも繋がりが無い独自の言葉、特殊な言語というのは英語圏の人たちの評価であるが、実は母音5個は言語の6割もあり、動詞が後にくるのは4割なのですから別に特殊な言語ではないのです。

むしろ日本語の言語表現力の豊かさに誇りを持つべきだと思います。

韓国では漢字教育を止めたら、効率良い学習どころか、逆に語彙が乏しくなって、きめ細かな言語表現力を失った、活字離れしたと嘆く高齢者も多いのです。

結果的には活字離れを招いてしまったのです。

日本の場合はライトノベルズなどからアニメ化される作品も多々あり、むしろ活字離れから程遠い状態なのです。

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肥満は集中力と持続力が落ちる

肥満は温暖化と同じくらい厄介なものはなく、温暖化は全宇宙規模、太陽の熱の放射量から、人類全体が排出した温暖化ガスまでマクロなものですが、

肥満は目に見えないほど小さなミクロの視点で考えるものであり、細胞一つ一つが「肥満になる身体を記録」と「肥満にさせるプログラムを起動」してしまったものだと考えられます。極論を言えば肥満になるように細胞規模からプログラムされたと考えても良いものです。

肥満になれば、前回の日記に書かれたように脳に糖分などの栄養が行き渡らなくなり集中力と持続力が落ちる、そして身体全体の体積が大きくなるので糖分も薄くなるため疲れやすくなるのです。

疲れた時に甘いものを食べたくなるのは、糖分には疲れを癒す物質があるからです。疲れの原因は乳酸が身体中の筋肉にあり、それが多いと疲労感を感じるが、糖分によってそれが分解されて疲れが癒されるのです。

肥満を治すには、イメージ療法しかありえず、たとえば苦痛が強く無駄骨と思わせる「婚活」が何故たのしくないのか、それは、頑張れば頑張るほど解りきった事を言われ続けて、精神を壊すほどの過剰プレッシャーによってストレスのみが戻ってくる。または、精神的ダメージとして自分の心を傷つける場合もあるのです。

細胞規模でストレス=苦痛となり、「苦痛」を取り除くために、ダイエットさせないために意志薄弱化させ、多くの誘惑に負けるように仕向けるように細胞からより肥満になるようにプログラムを組み込まされるのです。

結果的には必要以上に食事をして栄養吸収力が高くなり、そして基礎代謝が必要最小限度まで低く留められてしまうのです。

ダイエットが苦痛になるから細胞がそのストレスから逃れるためにダイエットさせないように、ダイエットが成功してもリバンドするようにプログラムされ、どんなに強靭な意志でも絶対に肥満化のプログラムには逆らえないようにできているのです。

仮にダイエットが楽しい快感になれば、ダイエットはストレスとならず、それを排斥するようにプログラムが起動しないので、思い存分、いくらでも痩せられるのです。


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肥満は病気である

最近は集中力がなくなり、パソコンの画面を見るのがめんどくさく感じることが多々あります。

これは脳に栄養(糖分)が不足になるのです。まず、好きなだけ糖分を取れば糖尿病になってしまうからです。また、自分は喫煙をまったくしないが喫煙者のほうが糖尿病になる確率が高いです。

集中力低下とは、聖書を読みつづけることが困難になり、次が祈りをするのがめんどくさくなる、でも、神様を求めたいという気持ちがあるが、それができないのです

実は個人的な考えですが、肥満になるとデメリットだけしかなく、体重が増えれば増えるほど、身体中に糖分などが使われ続け、結果的には脳への栄養もそのぶん少なくなるのです。

肥満のデメリットはそれだけではなく、酷いイビキの原因になり、脂肪が多いほど、それだけ喉の奥を圧迫させて、睡眠時の呼吸を止めてしまい、それだけ脳がやすめない。脳が疲労するのです。

脳に送る糖分が身体の体積が増えるため糖分が脳に回ってこない無呼吸になるから脳の疲れが取れない。だから集中力がなくなる、持続力がなくなるのです。

また身体が重く感じるので外出するのが億劫になるのです。

結果的には生活の質が低下を招くので、肥満は病気なのです。

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成果主義は地獄の門

昭和時代は何でもかんでも思い通りに行く時代ですが、平成だとバブルはじけてからグローバル経済、そして新自由主義(いや新共産主義・劣化共産主義という ほうが相応しい)になり、努力がむなしくなります。

昭和時代なら
たとえば一時間に50個作れるとしたら、八時間で400個作れるが、
平成時代だと 全てが機械化すると 機械の調子で その日によってばらつきがでて 予定が立てられない。
ある日は調子よいから600個作れて、ある日は調子悪いから300個までしかできない。

その300個しか作れないと半日サボったと評価され、労働時間よりも作った数で賃金を決められるのです。これを裁量性の拡大というのです。

毎日600個というノルマが課せられるのです。で、これが技術の進歩で一日700個になると、毎日700個と言うノルマになり、下手すれば毎日残業となるのです。

セールスも同じで、厳しいノルマがあると、しつっこいセールスマンを作り出す原因になり、契約から2週間以内のクリーングオフを知らないと、とんでもない借金をしなければならないのです。

昭和時代なら努力した分だけ報われる。セールスマンも努力しただけ成績が向上するが、

平成時代の場合は、社会状況が変化しているので、努力した分が必ず報われるとは限らないのです。

昭和思考のまま現代を生きたら過度のストレスで、ひどい鬱病になるのです。

そもそも人間は20代に生きた時代の常識を『世界共通の普遍的真理』と思い込むので、どうしても時代錯誤な発想をしがちなのです。時代についていけないのは、現代と過去がどのくらい違うか認知できないからです。

バブル崩壊までの時代なら、頑張れば頑張るほど面白いように年収が上がり続けるが、現代ではある人は楽して儲けて贅沢な生活ができる。ある人は頑張りすぎて全然成果がでないために最後には燃えついてしまうのです。

現代と言う時代を知らないと、どんなに頑張っても無駄骨になるのです。

まだ比較的に痩せていた時代のほうが、実は健康的な生活をしていたのです。

ひとつは、市民体育館に行って週に2回以上は運動してきたことです。
もう一つはあちこちの日帰り温泉にいけたことです。

では、なぜ現在はいけなくなったのか?

全ては何を努力したかを一切関係なく、すべて結果で評価する成果主義(どのくらいスマートになったのか理想的なスタイルになったのか)で理想を求められためだと思います。

ある人は楽して良い評価を受けられるが、自分のような智恵がない人間だと、頑張ればいつかは報われると考えることが既に負けているのです。いかにしたら楽して良い評価を受けられるかと言う考えを持つことです。

結局は、成果主義のために、頑張っても良い結果がでなければ、何もしないことになるので、それが原因で、鬱病になるのです。鬱病とは一種の「燃え尽きた状態」であり「頑張るとか努力が嫌いになるのです。」

それはダイエットにも言えると思います。
いや、ダイエットそものもが実は何処にも存在しないのです。

理性が暴走させ、前回のように糖尿病になれば一気に体重が減ると考えましたが、糖尿病になると好きなものが食べられなくなるし、目が見えなくなる足が腐るなどの最悪の状態になるのです。

それを軽々しく感情的になって言ってしまい申し訳ないです。


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女子高生の言葉になっているニュースとは

以下のニュースの文字が女子高生化しているので、ブログなどはどんなに漢字語変換があっても、どうでも良いが、公的なニュースの場合は、問題ありだと思います。

http://www.excite.co.jp/News/society/20090302/Kyodo_OT_CO2009030101000495.html

2009年3月2日 03時02分
脳の神経細胞が時を刻む 「間」の取り方解明

 スピーチに挟む効果的な「間」やスポーツでの間合いなど、日常生活で無意識に適切な間を取ることができるのは、脳の神経細胞が砂時計のように時を刻んでいるおかげ―。こんな脳の働きを丹治順・玉川大教授(脳生理学)と東北大のチームが見つけ、1日付の米科学誌電子版に発表した。脳が秒単位の時間をつくる仕組みを解明した初の成果で、時間認知に障害が出るパーキンソン病などの治療に役立つ可能性があるという。


「時を刻んでるおかげー。」女子高生が書き込んだニュースですか?笑えます。

なお、個人的にはあまり顔文字を使わないのは、顔文字を作れないのではなく、内容が軽くなった感じがするからです。

やはり文字が観やすいエディターソフト(「メモ帳」みたいなソフト)で大きくした文字で入力と修正してからブログの記事に貼り付けるべきかもしれません。

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ペンテコステ派には

現世ご利益的にペンテコステ派に関心をもったのが2004年であり、その当時は残業が多すぎる状態で、少しでも恵みが在るように願ったが、結果的には自分には合わないと思いました。

ひとつは再臨主義と過度の宣教活動があり、教会員を増やす事だけに熱心であり、何か違うと感じました。

同時に二ヶ所のペンテコステ派教会の夕方礼拝に通ったが、どちらも共通しているのは、全力をかたむけた献身と奉仕が強調されおり、あまり恵みに関しては語られず、また、思っている以上に厳しい律法主義に陥っている事です。

一つはアメリカ系のA教団、もうひとつは韓国系の有名な教団。

一時的にそちらの教団の教会に通ったが、むしろ恵みが失われ、落ちるかのように環境が悪化して、会社を退職をすることになりましたが、そもそも、会社を辞めるのが遅すぎたのです。

まず自分に合わない常に悪化の一途をたどってると思ったら、早めに辞める決断力が必要だと思います。

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問題解決力を強化させる方法とは。

参考になる本は、「メモをとる習慣」です。それから計画性も大事なので必要なスケジュールを作る習慣を持つことです。

どんな方向にむかってもいいから計画性をもたないと将来は暗黒になるばあが在ります。

所詮、悪魔サタンからみれば、人間はサルと大差ないような知的存在です。

サタンにとっては、人間の行動は猿の行動を見るようなものです。

逆に言えばサタンのような知能があれば、どんな問題も解決できるほど想像以上に賢いのです。

最先端の技術を受け入れる準備をするために、最新の知識を得る事が重要だと思います。

あとは、メモをとる習慣をもつことで、それにスケジュールをたてるのは、仮にできないことでも良いから、それをメモする事です。

思考力強化するたにゲーム感覚でできるソフトを使い頭を鍛える事が重要だと思います。

本来は数学などが物事を順序建てて論理的に考えるには有益なんです。でも、数学は理解させてくれる教師がいないと勉強にはならないので、結局は頭脳を鍛えるソフトが必要だと思います。

まず無理をする時、辛いと思うときはサタンの力が必ず入っているからです。逆に夢中になるときはサタンの影響はない状態です。

あまり脳に負担をかける訓練の仕方をすると、逆効果になり、頭が堅くなり認知症になる原因になるのです。認知症とは脳神経が縮小した状態。特に短期の記録を司る部分を破壊された状態です。短期記録に頼る勉強ではダメなんです。

一番悪いのが受験勉強みたいなやり方が脳神経に負担をかけるのです。

覚えていることをアウトプット(出力)させることが重要で、それがブログを書くとか、ノートにメモ書きをするなどです。インプットするのはすぐ忘れるようにできているのでそれを無理に覚えようとすると脳神経に負担がかかり、将来、認知症にしてしまう危険性が高いからです。

ゲーム感覚とアウトプット作業が脳を鍛え負担も少なく脳の思考力が高くなるのです。

将来、いろんな問題が多々あると思います。
そのとき賢く振舞わなければ試練に潰されてしまうからです。

学力や知識が人を救うのではなく、知識と賢さがあらゆる問題を解決するのです。

今後の社会教育は、問題解決能力の高さが必要です。

あとは周囲の人への配慮や気配りが賢さの基準になると思います。



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自己反省として高齢者に尊敬の念を

最近は老人による介護がある状態で、はたして長寿は幸福なのか疑問に思うし、または、認知症や高齢による精神障害(妄想・幻聴・幻覚など)の問題があります。

それを正直な話、邪魔者扱いする人もいますが、本来はそうなる前までは過去の医学だったら環境だったら長く生きられなかったと思う人ばかりなのです。医学だけが進歩して、健康な精神の持続に関する研究は今までないがしろにされて来たのです。

認知症とかは仕方ないと考えて諦めがつくのでストレスが少なく感じますが、比較的に頭がクリア、認知症ではない高齢者は口が悪いため高齢者を敬遠する人も多々いると思います。

まず、認知症なり精神障害なり、または頑固で言葉がキツイ高齢者へは、過去の時代に頑張って現代社会があるから敬意を払わないといけないと思います。

高齢者介護の仕事がたくさんある割には、すぐに辞める人も多いのが介護業界です。それには職員同士の人間関係の問題があり、ストレスを溜め込んで辞めてしまう人が多々いるわけです。

自分のように初めから負け戦したくないと思い、資格がとれても職業として選択するべきではないと考える場合もあるのです。

と言うか、しばらく就職できないのも、介護関係の資格を取ったことが大きな原因だと思うのです。また軽貨物自動車の仕事で酷いいじめに遭った。自動車をわざとぶつけるほど気が変になってしまった。立ち直るまでには時間がかかりました。

結果的には宗教的なことなど考えている暇が無い状態でした。


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身体よりも脳の劣化に気おつけよう。 

日本人の平均寿命は現在80歳ですが、実は健康寿命はこれよりも20歳低いはずです。

長く生きることが幸福ではなく、たとえ60歳代の寿命でも最後まで健康に生きることが重要なんです。

脳が老化すると、どうでも良いことに拘りを持つ場合があり、そのために町内会や自治会などの話し合いで、重要な話しが後回しにさせられる。協調性を失い孤独になる危険性があるのです。

記憶力の低下だけではなく、論理的思考力の低下があるために、どうでもよいことへの頑固なこだわりがあり、そのために、話し合いにならなくなるのです。

たとえば、自分が自治会をしていたとき、会議で話し合いをするときに、団地建て替え問題の会議に自分もでることになった。それは自分が出席できてもできなくても良いから副会長の責任だからと言っても、頭が堅い老人だと、それが気に入らないということになるのです。

「老人」ということばは、考える人と書きます。

若いときから論理的な思考ができなくなると、細かいことへの拘りを持ち相手の言い分が理解できない。そのために、次第に信頼を失い敬遠される危険性があるので、まずは、年下のひとたちに信頼をおき、いざというときに相談役になれば良いと思います。

そもそも過去の高齢者は、人生経験と知識が豊富であり、若い人から尊敬されていたが、現在は認知症とか精神障害から、頑固で融通がきかないから邪魔者扱いされる場合が多々あるのです。

まず、自分も反省しなければならないのは物事を単純に捉えていないだろうか?ステレオタイプと思える思考(全部を人括りに捕らえて考える。個性と立場いう概念がない。)になっていないだろうか。

たとえば、現代の若者は軟弱ものというが、ステレオタイプで全部の若者をそのようにみていたら確実に痛い目にあいます。

ほんとうに優しく人畜無害な若者もいえれば、凶暴性を持った若者もいるわけですし、まして、最近は若い人にアニメが流行っているから、だから若いから全員がアニメに詳しいわけでは無いのです。中にはアニメに無関心な人もいるはずです。

脳の老化の始まりは、ものごとをステレオタイプで観ることです。

次には相手の意見を聴く耳をもつことです。
自分が絶対正しいと思っても、他の人の立場や環境、感じ方もあるので、自分とは違う意見があるはずです。それが間違えている好ましくないものかもしれないが、なぜそのような意見がくるのか、相手の主張を理解しようと努力する事です。

老化すると理解力も衰えてくる場合があり、相手の意見を聞き届けられない場合があります。

思考力だけではなく、理解力の低下もありうるのです。

でも同じ70歳代でも、パソコンやデジカメなどに拒否する人と、それを上手に使いこなす人がいます。

真に失礼な意見だと思いますが、前者のほうが認知症になる確率が高いと自分は考えます。

人間の脳細胞は意外と小さいもので、加齢ともに縮小するので、知能が低下する場合が考えられるので、脳が十二分機能するためには、若いときから「論理的に思考する」習慣をもつことです。

どこに矛盾がないか確かめながら考える習慣です。

または自分の考えている事を書き込んでみることです。

なぜ新しいテクノロジーに拒絶反応を持ったり、持論を頑固に固執するのか?自分でよく吟味するべきだと思います。

このことについては、長くなるので、また別の機会にでもつづきを書きたいと思います。

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大きい政府ほど使える(機能する)政府になる

新自由主義というのは、無政府主義に近い社会で、ある意味では国家の管理を最小限度まで縮小する。

究極の公営化・競争原理が導入されないのは「空気」と「政治」だけになるのではないかと思います。

日本のように蓄えがほとんどない国の場合は、英国と正反対の事をすれば良いのです。

国ができることは何でもするという社会主義的な国家にすることです。改革の正反対の事をすればいいのです。そうすれば生活不安はなくなり、自殺者や精神障害者も減るわけです。それだけノンビリした社会なら、使える政府と国民が認め政府を信頼し、「政治」に競争原理を導入すれば、さらに使える使える政府になるわけです。

みなが細かいことでギスギスした社会では人間関係も悪くなるばかりだし、それに、孤立してしまう人も多々いるわけですし、そんな厳しい社会だと性格が悪い人間だらけになるのです。

英国では有り余るほど蓄えがあるから新自由主義政策でも持ちこたえたのです。タンス預金が有り余るほどあるとか、それに生活保護・社会保障がアメリカよりも進んでいるからです。

英国ではお金が無い収入が無くても進んだ社会保障で、生活が保障されたのです。人権思想が日本よりも進んでいるからです。

日本は既に経済大国ではなく、インドよりも貧しい人が多い貧乏国であり、そのような国が、小さな政府にしてしまったら、秩序がなくなり、犯罪や自殺が増加して使え物にならない政府となってしまうのです。

貧しい人が多い国ほど大きな政府が必要なのです。


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英国が新自由主義主義で成功したのは蓄えが有り余ったから

新自由主義とはソ連型共産主義の劣化コピーだと思う。

そもそも共産主義も社会資本と生活保障が確立していなければ、民主主義を否定したソ連型共産主義になるのですが、現在の新自由主義体制は旧ソ連の劣化コピーなんです。

英国の先進国病・慢性的財政赤字を克服が成功したのは実は高度の生活保障が確立していたから成功しただけで、福祉が遅れた日本で新自由主義政策をすれば確実にソ連邦崩壊と同じことになるわけです。

という事は、道州制の導入は反対なのは、新自由主義の失敗で同州で経済格差が起きて日本が分裂する可能性があるからです。(経済的に裕福な地域の日本人が貧しい地域の日本人を支配する国家になるのです。)アメリカや日本が英国の真似しても福祉が充実していないから自らの手で首を絞める事になるのです。

共産主義は粛清とか恐怖政治で多くの人を殺害したが、新自由主義は自殺者を多くだすので、その意味では自殺幇助支援社会なので共産主義の劣化コピーなのです。


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CPAPを使わないで寝ると目覚めが悪い

昨日の夕方から頭と身体中の筋肉が痛くインフルエンザだと思いました。風邪くすりを飲むと睡眠導入剤とは違った眠気があり、そのまま寝てしまうためCPAPをつけないで寝てしまうと目覚めた時は、頭がしばらくぼーとした感じです。

今回の風邪の場合は、食欲が出てこない。結果的にはダイエットには都合が良いのです。

あとは診療所の待ち時間が永遠と思えるほど長く感じました。それは、強い頭痛が薬をもらって飲むまで続くし体中が痛くって仕方無いのです。

まして日曜日の診療所は、大変混んでいて、2時間は待つのを覚悟しなければならないのです。

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モルモン教とキリスト教の大きな違いとは、神秘主義

現在でもモルモン教に入信するのは、神秘主義やUFO・オーパツ・超古代文明など聖書のみのキリスト教の世界とは、感覚がまったく異なることです。

キリスト教会の場合、とくに「キリストの教会」の若い人の場合は、優等生が多く、学力が高い、だから英語も日本語のような感覚で喋れるほどレベルが高いのです。だから大卒は当たり前なのです。

その意味では、思考的には人種が異なりすぎるのです。

まずモルモン教宣教師に上記のような神秘主義的な話をしても喜んで付き合ってくれるが、特に聖書研究に熱心な「キリストの教会」ではあくまでも話題は聖書のみですから、上記のことをいっても理解されないのです。

モルモン教には何でもありと考えるのが正しいと思います。

特にあまり話題とされていないUMAなど未確認生物の話しから、世界の秘密結社まで「キリストの教会」の若い人以上に熟知しているのではないかと思います。

モルモン教に改宗させるには、とにかく「ムー」という雑誌を必ず毎月購読してモルモン書よりも、そちらの本を読んだほうが良いと思います。

モルモン書はあくまでもキリストのことだけを証するだけの書物であります。なお、改宗者には二つの流れがあり、バージンハンターの男性もおり風俗嬢とちがって誰も触られていない女を狙うために改宗するのです。だから、モルモン教では顔が悪い女性ほど既婚率が高いので美人は汚らわしいものとされるのです。

この世の基準・価値観とは正反対なのです。

モルモンの男性はブス専・デブ専男性が多いので、結婚をあきらめた女性もモルモン教に入れば、ちやほやされてデートを誘われる可能性も高いと思います。



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モルモン教では結婚できる人もできなくなる?

熱心なモルモン教の信者の視点では、救われるためには同じ信仰を持った人同士の結婚しなければ救われないです。

聖書にも、極力同じ信者同士の結婚を求める箇所があるが、実際はクリスチャン同士の結婚は至難の技であり、どちらか片っ方が信仰を持っている場合があり、夫婦そろってクリスチャンは珍しいほうです。逆に言えば、一生独身でも、伴侶が未信者でも同じように天国に入れて救われるが、モルモン教ではそれをすれば、良くて「月の光栄」(地獄には落とされないで住むが完全な救いを得られない)行きになるのです。月の光栄ならモルモン教の信者でなくても、誰でもいける世界と教えられているのです。

日本のモルモン教では非婚率が、一般社会よりも高いのは、せっかく神殿結婚セミナーを開催してもそれに参加しないプライドが高い理想主義の女性が多いことがあげられます。

その意味では、かつて自分がモルモン教徒出会った予言のように、40代50代の独身者だけになる、モルモン教も高齢化の影響を受けざる絵無いのです。

なお、モルモン教の場合、女性は美人ではないほうが既婚率が高いというのは、男性はトコトン妥協するので愛がない結婚、ときめきがない、恋愛感覚も無い、ただ救いと周囲の期待にこたえるための結婚なので、ある意味では、あわれな気持ちになるのです。

それを言えば自己中心主義というが、そもそも自己中心主義とののしる人ほど、他人を奴隷のように見下しているのです。それが全体主義社会の拝呈、それに人権思想の低下を招いているのです。

そもそも、モルモン教徒でも死後の地獄にさえ落ちなければ良いので、背伸びをして神殿結婚するよりは、一般の未信者に魅力的な異性と結婚してしあわせな家庭を築いたほうが民族の存続に貢献できると思いますし、社会の平和にも貢献できます。

もともとモルモン教徒同士が結婚しても、好きでもないのに周囲の圧力でかなり妥協して結婚するよりは、ゆっくり選んで、好みと現実のバランスをとって、現実的なビジョンを持って結婚するべきだと思います。そのほうが離婚率も低いし、結婚生活も必要以上に忍耐を強いられることがないからです。

1980年代から90年代前半に改宗者が多くおり、それらは「婚活の時代」にかかれたように女性が最も結婚の理想と現実のギャップに苦しめられる世代なのです。

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強い組織は自由な言論や批判に負けない!

ソ連型共産主義がなぜ言論の自由が無いのか?それは官僚支配による天下り式で美味しい汁を吸って生きる弱い寄生虫みたいなものだからです。

だから、ソ連は大量の資源がある、高い科学力があるにもかかわらず崩壊したのです。

弱いものは批判を恐れる。

弱い組織は自由な意見交換を好まない。

なぜ日本やアメリカなどが自由に政府をボロクソに言っても、言論に屈指なのか、それだけ強い政府だからです。世論がどうなろうとも政府は潰せない。政府を潰すにはホワイトハウスみたいな政府の中枢に原爆を投下させて一瞬で蒸発させるしかないです。

それだけの強い破壊力は地球全体に大きな影響を与えるほどです!

ある評論家が、もと総理を老化が早い早死すると言っても、これが中国なら国家反逆罪ものですが、日本では犯罪になら無いのです。ようするに日本の政府は中国の政府よりも堅牢だという事です。

憲法で言論の自由は共産主義国家でもあるが、政府は世論を恐れて、報道の自由が無いのです。その意味では、長期にわたる経済不況が続けば、物不足が続けばいづれば、潜在的世論で政府は崩壊するのです。

だけど、日本やアメリカなどは、政府をどんなにボロクソに批判し、反政府組織や反体制政党をのばなししても、政権が倒れないという自信があるのです。

その意味で、モルモン教が内外の批判に屈しないのは、それだけ組織が強くなっているからです。

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意外と面白いフランス語

英語以外の言語で人気があるのが、中国語とドイツ語だと思います。あとは最も広範囲で話されているスペイン語。今後、日本との交流が深くなると予測されるポルトガル語(ブラジル)ではないかと思います。

ポルトガル語は日本に来ている日系人が増えており、モルモン教でもスペイン語やポルトガル語を教えている教会(ワード)が増えているし、宣教師もラテン系の人が増えています。相変わらず黒人は増えていないらしいですが。逆に英語を母国語とする日系人も多いのがモルモン教の宣教師の特徴です。

実は、いろいろと日常に使われながらあまり人気が無いのがフランス語で、キザだと思われる、スペルが難しい、ローマ字読みができない、発音が英語なみに難しい、長い単語も多くて覚えるのが大変。たしかに英語もフランス語も、学校教育どおりに覚えて話せたら天才です。

ひとつひとつの単語の意味と読み方を(発音のことではない)を覚え、それにスペルも覚える。ある文章の単語一つ一つをそれをやすから、非効率なのです。

あとは学校では教えないのが発音記号と、ヒヤリングの練習です。英語の教科書も文法だけで、内容が面白くないのでかなりの忍耐が必要です。

学校教育どおりに教えてもらって、それで英語が話せたら、その人は語学の天才です!

実はフランス語の場合もスペルが難しいため、フランス語を母国語とするひとでも書き間違える場合が多々あります。

なおスペルが長い割には、発音は短い物が多くあるのがフランス語の特徴です。さらに、英語と同じように単語と単語が繋がると、発音が変化するのも同じなのです。発音が短くなり変化するのです。それも学校では教えないのです。

そもそもジャパリッシュというのはエスペラント語の劣化コピーとさえ言われており、英語の古い文章は読める、それも英語を母国語としている人でも読めない、スペルをみて発音が解らないが、日本人だとそれが読めて解るという不思議な現象があり、日本人が英国の古典をジャパリッシュで読み、翻訳して、英語が話せる人が英語圏の人に聞かせるのです。

英語が話せる人と英語の文章が読める人とは違うのです。

フランス語はスペルが難しいので、スペルを覚えて話せるのは秀才ですから普通の人は話せるようにはできません。まず、会話の発音を暗記(?)することです。スペルにすると長いが、会話にすると単語が繋がるので意外と短くなるので、一つの単語を覚えると同じくらいになるのです。

文章語とに暗記するのがフランス語を覚えるコツだと思います。

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新自由主義とはポルポト型超共産主義

また元に戻りますが、
新自由主義とはあるブログでは「新封建社会」とか「新封建制度」といわれ、裕福な人はより裕福になりそれが極少数の人たちが億万長者になれ、大部分の人たちは、より貧乏になるという社会です。

何を好んで、それを望むのか?論理の破綻ではないかと思います。ちょうど戦前のドイツがナチスを熱狂的に支持して戦争で地獄を見るようなものです。

まして、ヒトラーみたいな雄弁な政治家がいうのではなく名も無きネットの住民がいうだけでそれを支持するのですから、日本は戦前のドイツよりもひどいとおもいます。

新自由主義とは福祉や社会保障は甘えとみなし、それを悪であり、正義とは弱肉強食の社会、自殺幇助は社会ためになるので、自殺幇助を商売にする人が激増すると思うので、ある意味では大量虐殺が起きても仕方ないです。

新自由主義でも最も得するのがマスコミです。
各地で犯罪や、さらに溜め込んだものが一気に爆発すれば、各地に暴動が起きる。それで視聴率が上がるが、デジタル化のためテレビの普及率は先進国とは思えないほど下がるのは、デジタル化対応もできない家庭が増えるからです。

予想としてはテレビ普及率、40から20パーセントへと落ち込むのではないかと思います。

逆に言えば、民主主義の原動力である、平和的な「デモ」だけでは解決できないなら「暴動」がおきる。暴動を取り締まれば、秘密結社による政治家暗殺事件の多発化。

それを放置させれば日本はソマリアやジンバブエみたいな国になり世界から孤立する運命になるのです。

ニートなど(働きたくても働けない精神的に障害がある人などもいれて)強制労働をさせても、最終的には職場での会社員への殺人事件から集団暴動までおきる。失うものが何も無い人間ほど何をするか解らないから、それほど恐ろしいものはありません。

たしかにナチスはナチスなりの理想があったと思うが、最近のネットの情報は理想論やビジョンさえなく、ただ、差別感情や仮想的有能間に浸りたいだけで、発言の暴走へとなっているので、その意味では戦前のドイツよりも劣悪なのです。

新自由主義とはソ連型共産主義の劣化コピーであり、そのような社会ができても、各地に暴動や犯罪が激増して、秩序が保てなくなるので、長くても半年は持たないと思います。

日本で新自由主義政策を行い続ければ、東西にアメリカや中国に分割されて、日本という国家もなくなるので、ある意味ではカンボジアよりも悲惨だと思います。

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MDからPCへ

MDからPCにダビング(コピー)

アクセスの生ログを見ると、最も多いのが「MDからPCへ」「MDをmp3ファイル化」です。

一昨年のブログの記事にかかれたことがいまだにアクセスされるのです。

最近のMDの使い方とは、ちょっと前のマイクロカセットレコーダー的な使い方になり、メモ録には丁度良いものになりました

また、MDデッキの中古品はたくさんあるのでわずか数千円で変えるわけです。むしろコンパクトカセットテープデッキのほうが重宝されるのです。

自分の場合はネットラジオの録音に使います。
題名が判らないけど「ジャズ」を適当に録音、キリスト教会の牧師の説教を録音まで幅広く使えます。ただし、ポータブルの小さいものは、ICレコーダーが使うので、MDはネットラジオ放送の録音に適しているのです。

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タイ・カンボジアへのボランティア

海外へのボランティア活動が3月頃に各地の教会合同で行います。参加する人たちは20代の青年達です。

本来なら、もう一つのブログに載せるべきなのですが、自分が参加できないし、それに参加するにはかなりお金がかかるようです。だから正確な情報が載せられないので、ここに述べる事にしました。

往復の旅費と滞在費などです。

ネットでグダグダ言う暇があるなら、お金をためて海外を見ること!それで、人生において大きな変化を受けると思います。

ネットだけだと、特に最近は全世界の航空写真も見られる、あらゆる情報が自分の部屋でわかるから、それだけで自分が全世界の事をあたかも知ったような振りをしているが実はウの中のカワズだと思い知らされるのです。

タイとカンボジアへのボランティア旅行(?)で、現地の人たちの交流を通して、異文化とふれあい、それによって人格的にも大きな影響を受ける事ができます。

基礎的にはキリスト教布教となりますが、それだけではなく、現地の人たちと触れ合う事で、人間らしさとは何だろうか言葉では表現できない何かを感じ取る事ができます。

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思考が停止しているだろう?多様な発想のすすめ

人間を幸せにするにはお金持ちになることが大事だと思います。

では、どれくらいが貧乏で、どれくらいがお金持ちなのか?
自分の考えでは、金額に関係なく金銭管理ができる人が真の意味でのお金持ちであり、逆に年収600万円以上でも浪費壁があるひとは貧乏と思います。

人間、義務教育期間は全ての子ども達はある意味では、自動人形みたいなものだと思います。ストレスに対処できない逃げられないので、それが、自分よりも弱いものへのいじめになるのです。

子ども達はどうあがいても、親を変えたり学校を変えることができず、逃げる事もできないため、ストレスを受ければ、イジメに走るのです。

最近のネットでの社会的困窮者への非人道的発言も、子どものイジメと同じなのです。

いじめ自殺がおきても、いじめた本人には何一つストレスからは解放されず、また別のクラスメートなどをいじめるのです。

自分の考えですが、20年前と現代では、同じ20代・30代でも幼稚化してきていると感じるのは、信念を持たない信条も無い思想も無い。ただ感情論だけで世論を語り、その世論から出た影響で自分の首を締め付ける。

福祉の縮小は誰にも徳にはならないです。

多くの人が将来を絶望しており、だけど自殺する勇気が無い。
自殺する勇気があれば、自分で何らかのアクションを起こすのです。転職から事業を始めるなど、いろいろあると思います。政治活動もあると思います。それさえできないのは、ある意味では宿命論をしんじているのです。

幼児期から親から怒られてばかりいて、褒められた経験が無い。自分に自信が無く自分をダメ人間と否定する。

まず、人間を幸せにするにはお金が必要。

お金の話をすれば卑しいという人がいるが、それはより金儲けしたい人のでっち上げです。また「お金で人の心は買える(変える)」も真理なんです。それを不道徳とされ、安い賃金で長時間は高させるためにお金の話題をするひとは卑しいとされるのは、資本家がそれだけ労働者にはなるべく安い賃金で働いてもらいたいからです。

不満があるならお金をためてみろ!と言いたいです。

まずお金持ちのイメージを変えることが大事だと思います。
お金持ちとは高級乗用車を乗り回し、大きな家に住む人たちとおもうが、上記のように、それらは全て借金で得たものであり、万が一返せなくなれば、自己破産になるのです。

むしろ一つの事だけ豪華にして、他を犠牲にする。
事業で成功した人とか、大企業で出世した人がお金持ちではなく、自己管理の徹底できる人のみが真の意味でのお金持ちなのです。

大人になれば、子供の時と違い選択が多くなり、会社が嫌になれば他の会社に転職すればいいだけなのです。逆に言えば発想を転換させる絶好の機会でもあるのです。

日本の将来が不安なら、外国へ永住すればいいし、または、政治活動で日本を良くするために頑張る事も大事だと思います。無限の選択があるので、なにも絶望しないで、いいのです。

子供の時は操り人形のように、学校でひどいいじめがあっても自動的に学校に通わされたが、社会人になれば会社を辞める自由があるのです。

たしかに親たちは、子どもはたとえ70歳になっても、小学生みたいなものにみえるのです。立派な孫がいてもおなじですが、もう、江戸時代ではないから子どもには多くの選択の自由と自己責任を教える時代だと思うのです。

被告kは、いつまでも子どものままだから秋葉原の無差別殺人がおきたのです。ネットで暴言はくひとも子どものままなんです。








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より具体化する若者たちの声

ネットでの発言が近年、より具体化してきているのは、ある意味では絶望力の力だと思います。

政治思想の左右にこだわりをもたなくなり、むしろ感情論や社会的一般論による正義感のみに支配されているような気がします。

一昔前なら憲法改正論とか北方領土とか、さらに再軍備化(自衛隊を正式な軍隊にすること)など政治的な要素があるが、現代は政治的要素よりも良くも悪くも「政策的」要素の声が大きくなっているのです。

まず顕著なのが死刑制度の徹底化です。

さらに、自殺率の向上化、すなわち福祉の切捨てです。

まだ、ファシズムが台頭する社会のほうが将来への希望があり、良くも悪くも新しいシステムをもった社会へと方向つけられるのですが、

現在は政治活動しても、右翼とか国粋主義者では社会から異端視されるから、一つことに焦点を集中させて、それを大きな声にして社会を変えたいという気持ちがネットで増えてきているような気がします。

生活保護制度の廃止論があります。
生活保護を受ける人間は自分でそれを刈り取ったから天罰だという情け容赦ない意見もあれば、生活保護者は乱暴で昼間は働かずギャンブルをしていて暮らしているとも言うのです。

絶望の声が、さらに絶望的な社会へと変えてしまう危険性があるのです。

むかしのように北方領土を取り返せとか日本国憲法の改正など、右よりの思想では政策的に具体性が無く、自分たちの生活にも影響力があまりないのではないか。それよりもより具体的な意見を出せば良いと考えるようになったと思うのです。

まして、自殺サイトを作る人は、一部の人たちからは英雄視されます。どうすれば楽に死ねて少ない勇気で自殺できるかです。

自殺者の統計は年間3万人といわれているが実際はその10倍である可能性も指摘され、それは自殺未遂者が年間60万人もいるということで、少なくみつもっても年間10万人はいるのではないかということです。

では、なぜ良い意味、ポジティブな意見がネットででてこないのか。それは、善意による意見は全て偽善だと思われるからです。

まず、ネガティブな声で社会はドンドン悪化するだけですから、ネガティブな思考を持った人は、悪化した社会の餌食にさせられて自ら命を絶つ事を選択するのです。自分で自分の首を絞めることになるのです。

将来に対して希望を持つには人間を信用する勇気が必要だと思います。そうすれな思考もポジティブになり(悲観論からでた破壊的思考から)発展的な発想になるのです。

そのためには宗教団体への信用回復が必要だと思います。

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mixiを良くするには分割するべきだと思う

かつてのように安心して使えるSNSにするには、少数化が一番良いとおもいます。

その意味では、mixiを分離させることが究極の解決策になると思います。そうすれば複数のアカントという禁じられたことも可能になるからです。

さらにホームレスにノートパソコンと発電機やバッテリーを無料で配り、社会的に最も酷い状態の人の本音も聞きだすことも大事だと思います。いやmixi対応の携帯電話という方法もあります。

非人道的な事を言う人は、その人たちだけが集まって警察がそれを監視すれば良いのです。たぶん、そのような人たちはバカだから無差別殺人オフなどは、どこかの掲示板で予告して「予告in」などに告発されるのです。無差別殺人オフ会をするまえに警察のお世話になるわけです。で、その人たちが正社員だったら懲戒解雇という悲劇があるのです。

mixiの分離とは、テーマごとで分離すると、キチガイと思える人が集まりテロリスト組織を作ってしまうので、これは年齢ごとに分離するべきです。

ようするに18歳以下のmixiとか、35歳未満の青年mixiとか、35歳以上のmixiなど年齢で別ける。さらに細分化させることで、小さなSNSにすることです。あとは地域別、都道府県別に別けることで、地域密着型のSNSにして、オフ会がしやすいようにするのです。で、アダルトならアダルトだけを分離すれば良いので、mixiを細切れにしないとmixiは良くならないと思います。

なぜ人々から愛が冷えてきているのか。それは将来に何の希望が無いと思わせるマスコミの報道があり、日本人には未来のビジョンが無いのです。不安ばかりが強く、宗教を嫌悪するので、最も信用できるのが自分だけなので、だから世界で最も自己中心的な人たちが増えてきているのです。結果的にはある意味では最も宗教的に大爆発的に発展しているのが「自分教」という宗教です。自分が全宇宙の帝王であり主人公であり、現実は全て幻だから他人は単なる幻影にしか思えないから、人に対して優しくなれ無いのです。

ようするに現代人の思想の変化が大きく変わったのは、宗教団体への偏見と憎悪をつくりだしたのが、オウム真理教の地下鉄サリン事件だと思います。それまでも宗教団体への偏見は強い民族性があり自分だけしか信じられない風潮があり、決して神様を認められない状態でしたが、オウムのために宗教団体への偏見が大爆発して、その結果、信用できるのは自分だけという自己中心的思想がより強化されて、世界最大の「自分教」国家になったのです。

キリスト教においてもいろんな個性の人がたくさんいるので、欠点一つを誇大に取り上げ、クリスチャンは人間として駄目なんだと思うのです。それも「自分教」の熱心な信者になるのです。

「自分教」ほど愉快で楽しい宗教は無いです。戒律はないし警察のお世話にならなければ何をしても良いとか、いや、場合によっては警察のお世話になる事をしても良い。自分が正義ならホームレスや身体障がい者を殺してもゴミ掃除みたいなものなんだとしか感じられないから、「自分教」はオウム以上のカルトなのです。

極限的カルトである「自分教」とは、悪質さにおいてはモルモンやオウムでさえも足元に及ばない、いや、それらの宗教がまともに見えるほどなのです!

人を怒らせたりバカにする事で、仮に相手が逆上して殺されても、それは殉教という形になり、自分教信者にとっては栄光ある死なのです。

自分教の場合は、自分が死ぬことはゲームオーバーであり、自分が死ねば世界も同時に消滅すると考えるのです。

あまりに不安が強い社会だと宗教が流行るが、なぜ日本において宗教団体という組織化した宗教が逆に弱体化するのか。それは自分教という自分が世界の中心という思想の宗教が最も流行っているからです。

組織化されていないから人間関係のいざこざも無いし、ネットで自分の意見をぶちまければ、それを賞賛する人がたくさんいるし、近い将来はオウム真理教と同じように確実にテロを行うのは火を見るよりもあきらかなのです。

組織化してない、自分教は一人一人が教祖であるからです。

その自分教信者を何らかのまともな宗教に改宗させ人間性を取り戻すためには、もう宗教団体同士の対立をしている場合ではないと思うのです。○○教は異端という場合ではなく、むしろ異端といえる団体と協力して、自分教信者を既成の宗教に改宗させて人間性を取り戻すことが重要なのです。

自分の考えですが、社会全体の事を考えると、他宗教との対話と強調が今の時代は必要とされているのです。

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mixi脳の恐怖!!人格崩壊!!

以前は「ゲーム脳の恐怖」と書かれた本が話題になったが、あまりにも非科学的なためみむきされなくなりました。

ゲームをしてもある程度精神的大人なら殺人シーンがあるゲームをしても、現実と空想の区別ができるのであまり人格には影響はないです。

mixiはゲームと違い、画面の向こうには現実の人間がいるわけです。感情を持った相手がいるわけです。

あまり非論理的で科学的ではないと思われるが、2ちゃんねるやmixiばかりやっていると、サイコパスになるのです。良心が麻痺して自分が無力なのに有能になった気分に浸れるのです。

これを「mixi脳の恐怖」というべきなんでしょうか。

まずmixiでは、反ヒューマニズムな書き込みをすればするほどマイミクが増えるし、コメントも増えるので、一晩中やっても疲れを全然感じられないほど楽しいのです。最低でも12時間以上パソコンにしがみ付いて、自分の意見、反人道的な意見と、厳格な正義と思える書き込みをするわけです。

パソコンも楽しくなれば、2から3日の徹夜でも、仕事に支障を来たさなくなるほど愉快な気持ちになれるのです。

ここまでボロクソに書き込むと、mixiを偏った見方をしていると思う人もいるが、やはり、世の中いろんな人がいるので、mixi中毒にになっていて知らない人にいきなり暴言を吐き続けて相手を本気で怒らせるのです。

なぜ、mixi脳になるのか、反人道的な意見を書けば書くほど、本音を暴露した爽快な人と賞賛して、それに続くように他の人も、自分が思った以上に酷い書き込みをするのです。

身がい者やホームレスを殺すのは娯楽であるとか、生活保護を受ける人間はクズとか、日本には福祉はいらないというのです。

ニートやひきこもりを過労死するまでの強制労働をさせるべきだという意見をすれば、多くのコメントが付くのです。ほとんどが、賞賛をするコメントなのです。

mixi脳になると人道主義が悪であるように錯覚するのです。

自分としては、mixiの年齢引き下げは反対なのは、たとえ18歳でも自我が確立していない。自分をしっかり保てない若い人が、悪質な情報に影響されてしまうと危惧するからです。

まず、思っていても本音を書くな!それが社会の鉄則です。若い人に悪い影響を与えるからです。



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mixiの猛獣どもめ!地獄へ堕ちろ!!

個人的にmixiは他の人にお勧めできないSNSだと思うのは、目立つ内容が、社会に対して非常に厳格すぎる書き込みが多いことです。

たとえば「生活保護即時停止を求める」とか、それが結果的には自殺幇助などになり、mixiをやると人間嫌いになるのです。特に犯罪者や犯罪の被害者への辛辣な意見など読むと怒りがこみ上げてくるので、まだ、悪魔崇拝をする人たちのほうが人間らしいです。

もし自分がクリスチャンではなかったら、たぶん悪魔崇拝をして、この世の人がもっともっと苦しむように強く呪ったと思います。政治家が悪いのではなく私たち全ての国民の道徳が低いから、現在の金融破綻だけではすまされない。いずれは、第二次関東大震災の二次災害(外国人のボランティアへの強盗、およびリンチ事件などの頻発化。食べ物の奪い合い。警察官への殺害など)のほうが被害者が多く、永井豪の漫画「バイオレンスジャック」のような世界になるのは確実だと思います。

第二次関東大震災がおきたとき政府は東京を確実に捨てるのは、治安が悪すぎる事と、東京を復興させる経済力や能力も日本には無く、むしろ地方の主要都市に首都機能を分散させ、東京は都から県へと落ちるのは安全を求め人口が急激に減るからです。

そして日本が貧しい国になって、国民がうぬぼれがなくなるまで辛酸なめに合うと思うからです。

モルモン教の予言、日本がモルモン教の中心地になるという予言。「私たち(アメリカ人)に取って代わるのが日本人だ」というナンセンスな予言は永遠に当たらず、むしろ、モルモン教はラテンアメリカ人に取って代わられるからです。

なぜ東南アジアやラテンアメリカでキリスト教が増えるのか、宗教への覚醒が起きるのか、それは貧困のため人々が謙虚になっているからです。

豊かさが悪い事ではないが、その反面、豊かな故に傲慢になり、自分よりも弱いものを攻撃する。攻撃的な言動をするのは、所詮、その人には弱さがあるからです。弱さを隠すために、攻撃しやすい人物や待遇の人間を攻撃する事で自分が強くなったような気がする。そのような人が、どんな理屈でもたぶん地獄に落ちるのではないか。いや、地獄に落ちる可能性が高いと思います。

キリスト教を知らない地域や時代に生きている人は、その人の良心の尺度で、どれだけ良心に従っていたかで天国に行けるか地獄に落ちるかが決まるのです。結局、悪意や攻撃心しかない人は、今は毎日たのしく愉快に過ごしているが、死んだ後に、この世のあらゆる苦しみを永遠に背負う宿命を刈り取るのです。

個人的にはmixiは大量の情報がある反面、人間の嫌なところをみて人間嫌いになる危険性があるので、自分の意志がしっかり保てない人は、間違えてもmixiに入会するべきではないです。

また、mixiが安心して使えるというのは大嘘であり、

むしろ、まだ男女の不純な快楽を求める出会い系のほうが、はるかに人間らしいです。

むしろ自分に甘く他人には厳格な人の意見のほうが人間性を全く感じません。

mixiを入るくらいなら、アダルトサイトの出会い系のほうが、遥かに道徳的です!

それでも一部の人たちがまだ善意の気持ちを持っており、悪意や偏見、差別感情に怒りをもつひともmixiにいます。悪意のみしかないかわいそうな人と衝突することが多々あるので、


そのうちmixiが原因で殺人事件が起きると自分は予言します!

そう、後で泣きたくなかったらmixiには入会しないで他のSNSに入会してください。

たとえば年齢層が高い「趣味人倶楽部」などお勧めです。
比較的に生活が安定している人たちが集まっているので、精神的に余裕があるので、社会に対する偏見や差別的な意見も無く、さらに精神障害者や生活保護を受けている人への差別もほとんどないからです。

また、mixiと違いアダルトなコミュニティ(掲示板など)が無いため、宗教や政治を強く主張しない限り誰でも参加できると思います。

自分の宗教の内容を書き込みたいなら「CURURU」というSNSがありブログ機能があります。参加者はmixiに入れない16歳以下の利用者が多いのが特徴ですが会員数が少ないので、換算としているが、その反対に変な人も来ないので、ある意味では安心して自分の意見を書き込むことができます。

肥大化したSNSは、異常人格者があるまりやすくなり、そのようなSNSにはモラルはなく、社会的弱者や生活困窮者への攻撃や罵倒などがあり、そこには人間性をまったく感じません。

所詮はモラルよりも儲けなんだと思うのです。経営者からみれば、多くのスタッフをかかえているから、キ○ガイ(サイコパス)でも神様(お客さま)なんです。



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2回目の訪問しないの。復元イエスキリスト教会へ。

自分にとって誘惑だと思うのは、もっと楽で良い道があるのではないか、自分を必要としている教会がどこかにあるという考えから、復元イエスキリスト教会に転会を考えることがたびたびあるのですが、

論理的に考えると
最初で最後の、復元イエスキリスト教会の訪問で十分だったのは、英会話が得意な人には向いている人が通う教会です。それはアメリカ人と日本人が半分づついる教会ですが、ひとつは説教の内容が英語から日本語に訳すから内容が難しすぎること。もう一つは少人数なので、クリスチャンの知り合いが作りにくいことです。

復元イエスキリスト教会まで行く交通費をだすくらいなら、自分が通う教会に献金したほうが良いのと、

さらに良くない考えは、両立化しようと考えることです。
ミックス(教会の二股)というのは究極の自己中心主義であり、自分だけの宗教にしてしまうからです。

たぶん前回のセブンスディアドベンティスト教会に土曜礼拝に訪問したときに感じた、「ここは自分がいるべき場所ではない!」という強い感覚に襲われると思うのです。

両者の教会が自分にとって異様に感じるとか、不快に感じるのではなく、神様はもともと産まれながらクリスチャンになる人を選んで、その人に相応しい教会に導くものだと思うのです。

今は理由が理解できない、回答がなくとも神様が導いた教会には、毎週通うことが重要だと思います。

たまに他のキリスト教会の礼拝に出席することも大事ですが、それは、礼拝の仕方がどう違うのか知るべきであるからです。

いまの状態では電車賃もかけて今のところは他の教会の礼拝に行く余裕は無いのです。

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本栖湖キャンプの復活・なぜキャンプはモノクロ写真が良いのか

本栖湖クリスチャンキャンプ場は現在利用者がほとんどいないため、近い将来、そちらでキャンプをする機会があると考えます。

東京教会のサイトで、あまり本栖湖キャンプ場の写真がなく、芦ノ湖のキャンプ場の写真がほとんどであり、幸い本栖湖クリスチャンキャンプ場は廃墟になってない。代々木八幡キリストの教会やその姉妹教会が所有していたときのモノが残存しているらしいのです。

いや、むしろ使用頻度は少ない過ぎる割には、時代に対応した近代化処置をされており、誰でも利用できる場所になっているので、有志で使うには良い場所かもしれません。


その途中で、思い出の地、1980年代にモルモン教で数百人規模の独身者だけの修養会・キャンプ(サマーカンファレンス・略して「サマカン」)が行われたのが西湖のキャンプ場で現在ではPICA西湖という名称になっています。

昨年、早朝に近い深夜に行きましたが、全然建物が変わり、むしろきれいになりモダンになったと思います。ただし宿泊費は夏だと値段がとても高いので教会だけで行くには料金では無理があると思います。

とにかく80年代の時とは建物が代わってしまったのは確かです。

なぜ、モノクロ写真にこだわりを持つのか。
より鮮明に忠実に思い出を記録するには、ハイビジョン・ビデオカメラで録画すれば良いのです。あとはデジカメのほうがフィルム代を気にしないで何百枚でも撮影できるのですが、モノクロ写真は色がないため、それだけ情報量が少なく、後になって、自分の記憶を寄り鮮明に思い出す気力を持てる、当時の事を想像しやすいからです。

モノクロ写真は撮影した風景を忠実に記録するのではなく、自分がその時に感じ取ったイメージも一緒に記録しやすいのです。それは、

モノクロ写真は記録する写真ではなく作る写真なのです。

一眼レフカメラでモノクロ写真には必ず黄色や緑のフィルターをつけるのは、それによってコントラストを調整することができるからです。

だから、その場の雰囲気で作る写真がモノクロ写真であり、あるときは28ミリ広角レンズにしたり、または35ミリ、標準50ミリにしたり、絞りを広げ、周りをぼかしたり、逆に絞りを小さくさせることで、全体をシャープな画像にすることもできるのです。

これがデジカメだと、自動的に完全な写真を撮影するから、あとになっても、その時の心境を思い出しにくいのです。

良いも悪いも、その時の心理状態を撮影するのがモノクロ写真です。デジカメだと小さいし、場合によっては動画も撮影できる。動画も意外と鮮明なんです。(音質が悪いが)

デジカメだと一回のキャンプで数百枚でも撮影可能ですが、

実は写真は、数枚だけでも十分な場合もあり、たくさんはいらないと思うし、まして、一眼レフカメラだと大きく目立つので、邪魔な時は持ち歩かないから、写真に囚われないでキャンプに参加できると思うのです。

モノクロ写真は自分のその時の心理状態で作る写真であり、色とかの情報がないから、逆にその時の事を寄り鮮明に思い出そうとするのです。

ようするに楽しい思い出ができるという確信が無ければ、高い電車賃や宿泊費を払って行くわけは無いと思います。

1990年代にモルモン教のサマーカンファレンスをビデオ撮影しましたが、当時のカメラも大きすぎるし、ビデオだと人の動きや言葉を録画できるが、あまり、思い出に浸れ無いのです。
むしろ、ビデオテープが紛失した。または、捨ててしまったなどがあり、どこか、思い出の余韻に浸れ無いのです。ビデオの場合は。

また、当時のビデオカメラは電池は持たない、すぐバッテリーが上がるとても重いし、機動力は一眼レフカメラよりも悪く、帰ってから観ても全て録画したのを見るには2時間以上もかかるのです。

ビデオだととても思い出に浸るには時間がかかりすぎるから、当時の余韻が感じられないのです。

その意味では若干、情報量が少ないモノクロ写真の方が、最も相応しいと思います。

個人的にはキャンプ=お祭り(?)みたいなもので、一年で一度か二度しかない特別な機会なのです。

昨年の教会のLST夏キャンプでは、カラーとモノクロを混在したのは失敗だったのは、カラーだと色褪せてしまいやすく、それに、カラー写真が常識だというから、それを誰かに見せないといけない場合があるからです。

だからモノクロに統一すればよかったと思います。





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YAキャンプについて。その2

「キリストの教会」のYAキャンプでは、高校生から自分が若いと思う人(原則では35歳までなんです)が参加できるのです。

食事に関しては、前回行ったように全て自炊というから、その意味では青年の家を使っても「キャンプ」なんだと思います。

たいていの場合は、カレーライスとか、「うどん」などがメニューとなります。

この発言は以前リアルに大顰蹙を買ったが、「モルモン教のほうがキリスト教会よりもキャンプが上手」という発言ですが、モルモン教では、数百人規模であり、キャンプと修養会が一緒になったものを皆で作ろうというから、当然、人海戦術で作るのです。

全ての人が企画に参加できるのは評価するべき事ですが、より完璧なものへと至ると、数百人もの人が満足するものを作るのは、どんなに頑張っても不可能です!

モルモン教の大規模なサマーキャンプすなわち「サマーカンファレンス」を作るには、準備期間半年で、完璧主義者のリーダーが、無理な事を要求したり、リーダーが逆に誰かに手伝ってもらえば良いのに、一人で抱え込んで責任を果たしたり、ちょっとでも不完全な所があれば、キツイ口調でしかりつけるので、宗教団体では、企業と違い人間関係に利害関係が無いため嫌になれば途中で投げ出す人もいるし、それが原因で感情的に根に持つ場合もあるのです。

暗黒の1990年代のサマーカンファレンスは、まさに修羅場であり、親睦を強めるよりも逆に敵対心を強め、そこから、モルモンを辞める人も出てもおかしく無いのです。


キリストの教会のYA(青年)キャンプの運営と準備については、個人的に不明なところが多々あるので何ともいえないが、参加するのはある程度大人であり、事故や怪我さえなければ、それで良いのではないかと思います。

こんなことは無いと思うが、もし、本当につまらないと思ったら、途中で帰っても良いと思います。


あと、モルモン教も同じ活発会員でも主流派と非主流派と分かれており、ネットでモルモン教を辞めた人をボロクソに言う人が意外と、何処に行っても人間関係が上手にできない非主流派の人たちではないかと思います。

自分も非主流派だったので、だから、信仰を失うように仕向けられ、内部が思った以上に腐っていた。処女狙いのためにモルモンに入信しに来たのではないかとさえ思える世俗性があり、正直な話、礼拝の時と、その場から離れた時にギャップが激しいのを強く感じます。

今さらなんだけど、何だかんだ1990年代のサマーカンファレンスで、散々きれいごとをいう青年会(独身成人)のリーダーによる、越権行為が頻発化して、ほんとうに準備や計画を立てにくかったです。というか自分のアイデアは何一つ採用させていただけませんでした。それなら、リーダーが準備の仕事を一括でやれば効率よかったのではないかと思います。

その意味では、サマーカンファレンスとか、うつ病が酷い教会員とのお付き合いなどから、正直な話、ガーメント(神殿に入る人が履く特殊な下着)などは、90年代後半頃から次第にはかなくなりました。

今まで堅く信仰していたモルモン教信仰も、次第に崩壊し始め、日曜日に買い物に行ったり、温泉に行ったりして、あと十分の一献金も払わなくなりだして、さらに、毎月の断食証会では証を一切しなくなりました。

それらは人間関係が大きな影響を与えたものだと思います。
だから日曜学校の教師をしても、自分がやっても授業にならない状態まで酷くなり、自分に対する敵対心さえ持つ人もいるわけです。

当然、次第にモルモン教に対する感情的敵対心が強くなるのです。


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訂正・マスコミについて

最近はマスコミの信頼を失ったのは、ネットの発達によるものだと思います。本来はマスコミが権力者の言動を監視する働きがあり健全な民主主義国家を運営できるはずでしたが、誰でも持っている漫画本一冊あるだけでアニメやゲームを悪者にして、逆にパチンコがらみのギャンブルなどが原因でもギャンブル業界を擁護する立場を取るのです。

社会的な弱者、報復できないものを悪者にして、本当の悪については何もいえないのは、以前書き込んだように、暴力団や警察よりも強いのではなく、逆にそのような団体の報復を恐れて悪者に仕立てられないのではないかと思います。

マスコミはゴキブリみたいなものという前回の発言をしましたが、自分のヒステリックな発言であり訂正します。

ひとつは報酬無き状態になった無政府社会となったとしたら、もう金銭などは何も価値が無いので、いかに生き残り、いかにしたら安住の地へ逃げ出せるかが問題であるから、そのためには現代の貧富の差は無いと思います。(金塊など値打ちあるものを盛っていたら何らかの役に立つと思いますが)

まず昭和時代ではないから、最後の最後まで報道をするようなマスコミの関係者はいないし、まして命を掛けて報道するマスコミ関係者はいないと思います。

それから、マスコミは「マスゴミ」と軽蔑して一括りしている内容ですが、全てのマスコミ関係者がゴミ(人間のクズ)といっているわけではなく、本来、マスコミの使命を次の世代に伝えないのが大きな原因であり、これはマスコミの世界だけではなく、あらゆる分野でも問題視されていることだと思います。

本来、国家権力者の監視や社会の不正を暴くはずのマスコミが、自分たちの安全と利益だけを求めて、悪くないものを規制させ、社会的弊害があるものを薦める社会にしたら、報道の自由でなく、むしろ放縦、野放しであり、ある意味では報道界の無政府化だと思います。

個人的な考えですが、マスコミに関しては温室育ちの苦労知らずのお坊ちゃまたちの集まりであり、そのような人たちに命を掛けて正しい報道をしなさいということを期待することに無理があり、

逆にネットでマスコミを「ゴミ」と軽蔑する匿名掲示板利用者などは、むしろより悪質で、人の欠点を見つけて喜び、優越感に浸るのも問題だと思います。

何を信頼して良いのか解らない現代社会では、モルモン教なら預言者の言葉となり、信仰を持たない人は、スピチアルの教師か、または神社の神主さんになると思います。

これだけ言えるのは、今後は戦前に日本にあった海外移民ブームが復活するのではないかと思います。


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大不況のときこそ借金をしてでも非常緊急事態宣教活動をするべきなのか

最近は、これでもかこれでもかと言わんばかりに不況を強調するニュースが多く、将来への不安を増長させるのです。

既にマスゴミ(マスコミの蔑称)は国民の敵、国民を混乱させる悪であることは普通の思考を持つ人間なら誰でも解るはずです。

マスゴミが求めるものとは何だろうか?将来を悲観しての暴動、集団自殺、無差別殺人の急増化ですか。

マスゴミが叩かないのはパチンコ業界と低俗なバラエティ番組の放置。子ども達に悪影響を多々与えているのに、年々、内容がより酷くなる一方であり、極論を言えば、戦争無き状態で、機械文明の停止。北斗の拳のような世界になるまで、最後まで生き残るのがマスゴミではないかと思います。

マスゴミを誰も抑える事はできない。たとえ政府と警察官、またはヤクザや武装右翼でも、それを止めることはできないです。

マスゴミはヤクザよりも遥かに強くなっているからです。

悲観的な未来社会とは、政府と企業がなくなっても放送局だけは生き残り、それでも、悲観的なニュースを電力が完全になくなるまで流し続け、この世からテレビがなくなるまで、使える環境でなくなるまで、低俗なバラエティ番組を流し続けると思います。

マスゴミとはゴキブリのようなものです。

本題の、大不況にはモルモン教信者が急増するという予言があたるだろうか?いまは、まだリアルに職業選択の自由があるから、逆説的には派遣切りを騒いでいるが、これ以上、個人消費が下がると、最終的には購買券がないと買い物ができない戦時中のような状態と終戦直後の配給制度まで堕ちるのではないか。

結果的には闇市ができるときまで、モルモン教会側が待っているのではないかと思います。

そのような時、モルモン教会側も多額の借金してでも、1980年代前半のような狂乱のバプテスマの復活。宣教師にはバプテスマのノルマをかせて、わずか5年内に日本では100万人の教会員にするのではないかと思います。

当然、人海戦術ですから、宣教師の質も劣悪になり、狂乱のバプテスマの時代を繰り返すが、たぶん1980年代とは違い、職業選択を妥協しなければならないので日曜日が休めない。給料が安い、一人で二つも三つも仕事を抱えるなどで時間が無いなど、精神的な意味での黄金時代は来ないと思います。

また、将来を不安に思わせるのは、これは宗教団体の圧力だと考えられます。不安が強ければ強いほど、信仰を持ちやすくなる傾向があるからです。

では、信仰を持てば、果たして以前のような豊かな生活ができるだろうか?できない、そして、精神的な豊かさという仮想的な豊かさしかえられないで、労力と金銭を教団から搾取され続けると思います。そのようになるのは、思考停止した人たちが大部分であり、あまり賢くない人ばかりがたくさん集まり、皆が不幸なら、宗教団体が何故、数にこだわるのか、たとえ月100円の献金でも、それが100万人の信者なら1億円にもなるのです。

信仰の大量販売による小さな儲けから巨大な富を生み出すことです。

だから、未来のモルモン教でも、1980年代ようなモルモン原理主義者はいないで、何も什分の一献金を払わなくても、断食(実際は断食をしていないが)献金だけでも日本国内で100万人の信者が増えれば充分やっていけるのです。

当然、教会員が飲酒や喫煙しても、誰も咎めないです。

そもそも、安息日の徹底厳守とか、禁酒禁煙の徹底などの知恵の言葉を守られるという期待は毛頭無いのです。

経済破綻が酷くなれば街でモルモン宣教師を頻繁に見かける時代がこれから来るのではないかと思います。

とにかく今の時期、虎視眈々と宣教師になれる若者をあつめ、いまの経済状態が続けば、モルモン教会側も多額な借金をしてでも、人海戦術的な宣教師を送り込む、それでも足りないなら日曜日の午後に教会員による街頭伝道も行うと思います。


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十分の一献金・モルモン教の義務

什分の一献金(以下・十分の一)は教会運営のために使われます。モルモン教では本部ビルが高層建築であり、いかにもお金がたくさんある教団だと思わせます。

たしかに他のキリスト教会でも、十分の一献金を行っている教派や教団などでは、牧師への給料を支払う事ができるのです。それをおこなっていないキリスト教会では、牧師が平日に社会に出て何等かの仕事・職業をしながら説教の準備をします。

モルモン教では十分の一献金は義務であり、それを行わなかったら、教会員としての地位が脅かされるのです。

実は十分の一献金ではさまざまな弊害があり、

ひとつは

モルモン教内で兄弟姉妹という仲間意識を利用したネズミ講が流行りだす。それは時代と共に形や目的を変えながら浸透していくのです。

高価なタッパーの販売(内部の空気圧が少なくなるから食料の保存に有利)から、鍋の販売など、多くのものを買い込みそれを他のモルモン教教会員に販売させやすいのです。で、義理で高価なものを買わされたり、または、自らが儲けるためにディラーになることで、多額の負債を受けてしまい破産してしまうのです。

ローカルにおいては、そのような弊害が多々あるのです。
それなら十分の一を払わないで、堅実な生活を送るべきだと思います。

そもそも、クレジットカードの所有は金銭を借りる可能性があるのでダメだと思います。買い物には便利で現金を持ち歩かないで済むのですが、個人的には全てはローンを組まないでモノを所有する。だから、自動車購入や海外旅行なども貯金を積み立てしてから買うべきだと思います。

上記のことはモルモン教でも借金を一切しないことないことが教団無いで教えられており、例外は家を買うときと、事業を始める時だけです。

モルモン教では当然、ギャンブルも禁じているので、パチンコ・競輪・競馬の公共ギャンブルから株の取引までしない、投資を一切しないように警告しているのです。

現在、非正規社員の増加から、収入の激減りに陥り、十分の一献金を払うのが困難な教会員増え、上記の事を守らない信者がいてもおかしくないと思います。

だから生活に困らないように、モルモン教の福祉制度があるのです。物品で支払うとか、教会堂の清掃などの労働などで、時給として現金を支払う制度があるのです。そのような立派な制度がありながら、教会員側では貪欲とか見栄、教会側では頑迷なほどに十分の一献金を支払わない教会員に制限を与えるのは、結果的には、ネズミ講とか株の投資などを行うことになると思います。

キリスト教会では、詳しいことは書けないが、柔軟な献金制度があり、あくまでも個人が決めた金額を支払うことなのです。

ようするに働いたお金の10パーセントを神様への感謝として捧げることは大事だと思います。

十分の一献金だと、もし万が一自分が信仰を失った時、その数年間、または数十年間の金額が積み立てると、数百万円になるので、モルモン教など安易に入信する人は、思考が停止していると思うのは、もし、将来挫折するとしたら大きな後悔の念に駆られるからです。十分の一献金は法律的には『贈り物』として捉えられ、信仰を失ったから帰してくださいといっても、与えた物を返す権利は受け取ったほうには返す義務は無いからです。

たとえば年収300万円なら、年30万円、それに数年の時間を掛けると、10年なら300万円という高価な金額になります。

もし、モルモン教を入信を考えるなら、一生涯モルモン教を辞めない自信がある人なら、十分の一献金を払っても構わないと思います。そのかわり貪欲や見栄から上記のネズミ講とか株の投資などしないよう十分注意するべきです。ローンも極力組まない、できればクレジットカードを一生涯使わない事をお勧めします。

献金の金額も、クリスチャンになると、習慣化して、あまり記録をしない管理を怠りがちですが、自分がどれだけの金額を神様に捧げたのか自己管理をするべきだと思います。

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1990年代が何故ノスタルジックな気持ちになれないのか。

過去でもノスタルジックな雰囲気に浸れる時代と、そうではない時代があります。特にその時代に流行った音楽に大きな影響があると思います。

1980年代では、アイドルからアニメソングのシンガー・飯島真理さんの音楽が最も80年代らしく、よく自動車の中で聞いていました。

youtubeなどで「マクロス」シリーズのテーマソングとか映画版のエンディング・天使の絵の具など聴くと黄金時代は80年代だったことを象徴していると感じます。

1990年代になると、広瀬 香美の「ロマンスの神様」が流行だし、女性が上位、結婚相手の条件も3高厳守となり、顔はそこそこきれいだが、男性からみて全然かわいくない、むしろ生意気だと思い、これが現代の男性が現実の女性に興味を持たなくなり、アニメキャラに恋する男性が激増した始まりだったと思います。

90年代はイベントは浮いた感じになるし、さらに、それが、次第に「鬱」気分を増長させ、なんというかあまりも楽しい思い出が無い。まして人間関係も悪化して、後から入信した年下の教会員が、自分の事を敬遠してきて、それを最長7年間は我慢してきました。

90年代でも森高千里など優れた歌詞・聞いていて面白い歌詞を書く歌手が活躍していたが、今聞いても、古いとしか感じられないのです。だから、全然、同じ古いものでもノスタルジックな気持ちになれるものと、そうではないものがあるのです。

ノスタルジックな気持ちになれないのは、その時代がいろんな悩みが多く楽しい思い出が少ないことが原因だと思います。

90年代は世紀末を思わせる、暗いニュースが多々あり、長期不況の始まりでもあり、まして、年齢的にも既に子どもがいてもおかしくないはずなのに独身なので、寂しさとか疎外感、孤独感などあまり思い出したくない時代なんです。

では、現在は何と言うか新90年代だとおもいます。
昨年、教会に戻った時、一時期は安心して神様を礼拝できると思ったが、誤解されないように良く読んで欲しいけど、モルモン教時代ほどひどくはないが、将来への不安、地に足が付いていない状態。そして自分の居場所は何処にあるのか、神様は何を望んでいらしゃるのか。2007年から自殺願望が強くなり、一種の絶望感を感じており、これが「新90年代」なんです。で、結局は戻るところは元の「キリストの教会」だったということなのです。

2000年代もあと僅かで終わり、次の2010年代に入りますが、少しでも希望を持てる時代になって欲しいと願います。

あと、某SNSを脱会する事を考えています。
もともとクリスチャンとの交流を目的にしたが、クリスチャンコミュのほとんどが議論が多く、それに、都心の某教会の牧師関係者から何の理由を言わずにアクセス禁止をされたことは、とても強いショックを受けました。

その意味では、信仰関係では守りに徹したほうが懸命な選択だと思います。

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逆にクリスチャンからモルモンへ改宗させる地盤

以前は、もっと早くモルモンをやめるべきだと思いましたが、

もし、自分の判断で10年早く辞めたら、逆に今頃はモルモンに戻る可能性も多少はあるかもしれないです。

反モルモンをしていた時代に、再度のバプテスマを行われたことが多々あり、ほとんどが、某日本人教会幹部が日本の地を牛耳っていた時代に破門されたり、または、疑問に思って退会した人がほとんどで、以前よりは良くなった、某日本人幹部の力も弱くなったということ。ある人は別の宗教に入信したが何処も同じようなものと思い、モルモンに戻る人が多かったと聞きました。

確かに、キリスト教でも年々、平均年齢が向上しており老齢化が顕著になり。老齢化による頓珍漢な言動にうんざりしてしまえば、間違えた選択をする場合があると考えられます。

個人的には、クリスチャンである自分の場合は、まず人間関係も大事だが、人間関係で躓いてクリスチャンを辞める必要はない。そんな事をしたら神様を否定すること意なるからです。

モルモン教はピラミット型の組織であり、人間関係重視の宗教ですが、キリスト教は最悪の場合は、他の教会に転会するという最終手段がありますし、または、家庭礼拝をする知り合いの家族のところに行くという方法もあると思います。教会という枠組みにとらわれずに、信仰生活を続けられるのがモルモン教と大きな違いです。

もし10年早く教会を辞めてしまったら、別の教会に通っていた。

そこで、人間関係に躓くと、戻ろうかという迷いを感じる場合があると思います。

要するに口では、いくらでも理想論を言えるが、これを実行するのはとても難しいし時間がかかるのです。一生懸命にやりすぎる教会員について来れない、それを追いかけるのが疲れるので休むと、嫌な顔をされるが、そもそも人の顔色を疑うよりは、自分が神様と繋がれるために、自分のペースで進むべきだと思います。

モルモン教の場合は信仰の中心はあくまでも教会であり、自分が所属するワード部や支部なのです。

キリスト教の場合は、父なる神様とイエスキリストが中心であり、教会はそれを学ぶ、礼拝するための媒体でしかないのです。(クリスチャン一人一人が教会の一部という人もいますが)あまり人間関係にわずらいを持つことは、良くないことだと思います。

某SNSでは、ある教会の牧師関係者からアクセス禁止をさせられ、それ以来、その某Aさんが所属する教会に行きたくないのが正直な気持ちです。大きな教会、100人は通う教会ですが、インターネットの環境もない人なら、自分が来ても歓迎される場合があるが、某Aさんという牧師関係者は、たぶん危険思想を持った危ないクリスチャンとしてみているので、歓迎できないらしいです。

無言の対立という現象が起きているのです。

あとは加速度的な成長を求めて、支配されるようなものがあれば、それは徒弟制度がある東京教会と同じことになるので、あくまでも自分のペースを乱す必要はないと思います。

個人的には東京教会にもモルモン教にもまったく通う意思はないです。

過去をノスタルジックな思い出に浸るのでもない。むしろ現在は無理をせず守りを徹底化するべきではないかと思います。

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狂乱のバプテスマときの宣教師の品位の低さ

1980年前後はモルモン教会員が急増した、また、現在のような金融恐慌で社会が混乱して、多くの人がモルモン教に訪れる時代が確実に来るという説教(1982年のステーク大会の話し)があり、たしかに金融恐慌で世界的に景気が悪くなる事を予言は当たったが、はたして、多くの人がモルモン教に訪れるだろうか?

モルモン教に改宗するのは宗教的な下地があり、モルモンに入信すれば、生活が保障させるモルモン教会の福祉プログラムがあるからだと思います。その辺で現実的には、モルモンに入信する人が増える可能性はあると思います。

既にラテンアメリカでは貧困のために生活に困ってモルモン教に入信するので、モルモン教がラテン化するのは確定しているくらいです。

話しがずれたが、当時のモルモン教の宣教師のレベルは、実は神様を信じていない。とか、まして宣教師の厳しい規則を守らない人が多く、伝道部長が見ていないところで、逸脱した行動が見られました。

そもそも日本人女性がモルモン宣教師をアメリカまで追いかけてくる場合もあるのです。

自分が楽しかった輝いたいた1980年代に既に腐敗しており、それが90年代には教会員にも広がり、モルモン教はたんなる人間の寄せ集め、宗教というよりも社交クラブみたいなものになり、敬虔な信仰をもつのがアホらしく感じてしまうのです。

自分も90年代の真面目な信仰生活とか神殿での奉仕、宣教師と一緒に伝道活動をしたことが、なんか今思うと失敗であり、所詮、宗教の名をかりた社交団体です。

自分が通っているS嶋さんなどが、ワード部の顔みたいであり、彼が最もモルモンらしいモルモンで、ワード部なら、Tワード(某鉄道の終点のモダンな住宅地)が最もモルモンらしい宗教施設だと感じました。

ベタなアメリカンな雰囲気と、仲間内しか通じないジョークとかあり、当時、同じモルモンであった自分でも違和感を感じるほどです。

あと、モルモンニズムは「結婚」を重視していたが、独身の若い人はそれに反感を感じており、ほとんどの若い人は自分にかなり自信があるのか、結婚セミナーなどには参加しないです。それに参加するのは地方の教会員がほとんどですから、長距離恋愛になる場合もあります。

結婚相手探しに熱心になるか、または、結婚に無関心で自分は結婚しようとすれば、いつでもできるという自信満々の人もいるわけです。自分の所属していたワードでは後者の人が多く、結婚そのものに不安を強く感じる人が多いのです。

2000年代のモルモンは良くなったかどうか不明ですが、某SNSのモルモンの若い人は、ちょうど自分が80年代にエンジョイしてたように、それなりに充実した信仰生活を送る2世の人がおおく、改宗者はほとんどが偽科学やオカルトからモルモンへと改宗した人が多いです。たぶん、改宗者は長くは定着しないのは、浮いた感じになる、仲間はずれにされたと思うから、次第にストレスを感じてやめてしまうと思います。

ようするに、モルモン教宣教師が初めからモルモン教の道徳標準を守らない。だから、自分たちも守らなくても良いという風潮が日本のモルモンを腐らせ、暗黒の90年代にしてしまったと思います。

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実は初めからモルモンではなかった。狂乱のバプテスマでの洗礼の強要!

まず地球は丸いと実感できるには、かなり高いところにいないと実感できないように、自分の背の高さだと地球の丸さを実感できないです。

では、客観的に宗教的な意味での本当の入信とは。それは自主的な意思で入信の儀式を受けることです。

1980年前後にモルモン教会では狂乱のバプテスマという現象があり、外国人宣教師(主に19歳くらい)がカタゴトの日本語でフレンドリーで話しかけてくるのです。初めて外国人の知り合いが出来たという喜びがあるが、例のジョセフスミスの最初の示現という二人の神様に逢ったというスライドを見せたら、信じる信じない関係なく、「アナタはこれからセンレイを受けてモライマス。」といきなり白い衣服を着替えさせて、宣教師アパートとか伝道所で強制的にバプテスマ(そもそもバプテスマもどき)を受けさせるので、

もし当時の自分の年齢に戻ったら、いったんそれを取り消す。入信するのは自分の人生では最も大事なことだから、自分が納得したら、それで入信の儀式を受けたいから、強制的な入信儀式を破棄して欲しいと手紙を出すと思います。

17年後にその手紙をだしたので結果的には、17年間モルモンの求道者だったということになるのです。

17年でも長すぎると思うし、そのあいだの献金のお金とか、労力とか時間などはかなりのものになるのです。

個人的には、厳格に守るように仕向けたモルモン教の指導者が、思考の停止をさせて、挙句の果てには、90年代から神殿での儀式を受け奉仕するように仕向けたが、

1988年まではモルモン教会の生活は楽しかったが、ドンドン新規の年下の若い人が入信してから別宗教団体みたいになり、真面目にやる自分を敬遠するようになったので、90年代は、モルモン教に対してストレスを強く感じました。

まず日曜日の礼拝がわずか30人前後しかいないけど、教会員の人数はなんと600人もいたのです。その後、礼拝人数が増えて子供を入れて100人に達したが、そうなると教会員数は700人と増加。(当時は他人の住民票を調べたりできた。その結果、多摩地区の建前上のモルモン信者の数が急激に増えた。)大部分が自分がモルモン信者だということを知らされないで、強引にバプテスマを受けた人なのです。

日本のモルモン教の信者は実際は2万人くらいしかいない。統計では13万人であり、大部分が1980年前後に強制的に入信させれた人たちなのです。

またモルモン教宣教師の質の劣悪で、お酒を飲んだり喫煙するのはかわいほうで、一部の宣教師はもとは麻薬をやっていたとか、ほとんど日曜日の礼拝に来ない人たち。ようするに、日本へ強制的に送られた不良の集団だったのです。

日本がアメリカの次にモルモン教宣教師が多い国であり、日本人は宗教の免疫がないために、強制的な入信儀式を理解できないで、ただ水に漬かるだけなのです。

もうじき引越しとなるので、そうなると実は完全にモルモン教と縁が切れるのは、現在の住所がモルモン教側に記録されているが、その住所も変更となれば、完全に行方不明となる。まして17年前に教会員会員記録抹消(退会届)を出しており、17年間教会にはいかなことになるのです。

その前に、ペンテコステ派のキリスト教からイエスキリストと聖書をしっているので、実は1981年4月にペンテコステ派でのバプテスマも半分強制的なので、高いところから見れば、17年間、クリスチャンをお休みしていた。自主的な洗礼は1998年9月になるので、17年間、キリスト教求道者だったということになるのです。

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ボストン運動が沈静化したのは情け容赦ない責め

もしモルモン教も初めから信者への情け容赦ない責めをしていたら、いまではモルモン教の名前を知らない人がほとんどで、たぶん「キリストの教会の歴史」に、信仰復帰運動から出た、無学な若者を教祖にしたてた別宗教として歴史に名前が残っただけで、その残党が、「復元イエスキリスト教会」という名前で現在では、穏健的な教会だけが残っていたと思います。

1830年代に燃え出した火がくすぶったので、全米から北米へ南北アメリカ大陸や太平洋とアジアの一部に広がったのです。

ボストン運動が沈静化して、今後、「キリストの教会」と名乗りながら、単独でボストン派として穏健的な教会へと変わる可能性があると思います。そのように期待したいです。

ボストン運動とは、教会員に対する情け容赦ない責めの連続、真性サディストが性的快感を求めるために、いじめられることで快感を感じる人ではなく、むしろそのような性癖がない人をいじめることで性的快感を感じると、お腹を殴る、鞭で叩くなど、挙句の果てには、監禁されるのです。

ボストンとモルモンの大きな違いは、モルモンは楽しいとか連帯感という甘い飴や快感をあたえるが、ボストンは一切飴を与えないために、20年もしないで崩壊してしまいました。

たかが20年といっても、数百人の人がキリストを嫌い神様をもう信じないという、その人の人生から、信仰をもつ機会を永久に奪ったわけです。

もっと解りやすく言えば、ボストン運動は、ドメスティックバイオレンスみたいなものだと思えば良いです。これでは、マゾヒストな女性でも逃げ出します。

もともとモルモン教には厳格な戒律はなかったのです。

モルモン教会歴史では、初期はジョセフスミスは喫煙しておりお酒を飲んでいましたので、これは普通のモルモン教信者でも知っています。後ほど、身体のために禁酒をしたほうが良いのではないかというニュアンスがありました。だから、紅茶とかも飲んでいたが、

西へ逃げソルトレークに到着した時点で、ブリガムヤングが禁酒禁煙とコーヒーを飲んではいけないというようになりました。

徐々に責めを激しくしたので、それで火の手がくすぶりだして、それが一気に燃え広がったのです。

モルモン教は、普段は厳しくても、どこかに飴を与えるなら

ボストン運動とは、真性サディストな男性とのドメスティックバイオレンスの恋愛なのです。

献身的な信仰の強要、徒弟制度の確立で、私生活まで他の人に管理されたら、それは嫌になると思います。

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なぜ、このブログは「普通の人たち」なの?

アニメ「絶対可憐チルドレン」に反エスパー団体の名前が「フツーの人々」というテロ組織です。

モルモン教がテロには走らないです。社会に不満があってもテロに走れないのは、一枚岩といえるほど意外と結束力がないですが、

「絶対可憐」の原作でも、フツーの人々の過激派が「ブラックゴースト」という完璧な悪の化身となった、より危険な無差別破壊と営利追求のテロ組織があり、

ちょうどモルモン教でも、フツーのモルモンと、過激なモルモンが一部いるわけです。

モルモン教原理主義者だと白人至上主義者で、日本人は近づけないのは、彼らは髭をはやし、いつも機関銃を持ち歩き防弾チョッキで身を守り、数名の女性といつも一緒に歩き回る武装した一夫多妻主義者で人種差別主義者だから、日本人などは人間だと思わないから簡単に殺されるのです。

「フツーの人々」=ユタ州本部のモルモン教と

「ブラックゴースト」=ユタ州周辺にいる武装した一夫多妻制主義者で、大型ジープを乗り回したいるのです。

日本のモルモン教原理主義者は別の形、アメリカにもないほどの厳格なローカルルールを作り続けてしまう『スポコン』型の教会指導者が、チョコレートを食べては駄目、日曜日はテレビを見てはいけないなど、アメリカのモルモンに無い厳格な戒律を作りそれを守るようにさせるのですが・・。

でも、個人的な想像ですが、21世紀の現在、普通のモルモン教の戒めでさえ、若い人には守ることは無理だと思います。

英語で「正常」というのがカナ表記では「ノーマル」ですが、英語を聞くと「モルモン」と聞き取れるのです。だから英語では「モルモン」と「正常」「普通」という言葉の発音が良く似ていると思います。

たとえば「ライス」といえば「米」にあれば「しらみ」という意味にもなるのです。

日本語の同音意義ではなく英語の発音のおくの深さ、英語の発音母音と子音全部で100あるのですから似ているものも多々あるのです。

そもそもモルモン教にはかなり穏健になりキリスト教化した宗派もあれば、あくまでも一夫多妻制を厳格に守る過激な原理主義教団もあり、その真ん中に主流派ユタ州モルモン教があるわけです。

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21世紀の日本が貧しい豊かに関係なく

モルモン教は日本人の国民性には向かないと思うのは

今も若い人はキレる、自制心が足りないため、厳格な戒律を守ることは不可能であります。

結婚したくてもでいない男女があまりのも多く、それは前世紀のモルモン教会内でも多くみられ、かといって、結婚して逆に不幸になったということが多々あるのです。

成長とはなんだろうか?実は具体的な概念が不明です。

人格的なものと、教会への貢献だけだろうか?

とにかく、「私が怠けても教会は存続する」という考えは自分の居場所を破壊することになるのは常識的です。

人格的な成長とはなんだろうか?キリストに近い人格であると思います。

そうなれば、たとえ嫌いな人でも悪意で対応することもないと思います。

逆に完璧を求めることはモルモン教みたいになるので、どこか欠点や不完全なところがあっても、それは発展途上であり、一瞬で完璧になることは絶対に不可能なのです。

完璧を求めるためにモルモン教の日本版原理主義者(一夫多妻制をしない戒律至上主義者)のようになれば、それはカルトなのです。

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実は夢のお告げがあり

9月16日火曜日の夜の集会・「分かち合いの時間」というフリートーキングの時間があり、その頃は、薬物の関係で感情が上手にコントロールできないおで、些細なことで爆発するのと元気がない。意欲が低下状態です。

実は自分が通っている「キリストの教会」懸念事項とは、期待されて求められる、それが自分への管理、監視へとコントロールされると、結局はモルモン教と同じではないかと思います。

昭和30年代後半組みは、教会で精神障害者が多いのは口減らしで兄弟が少ない。ようするに母親が堕胎という殺人を行うから、罪悪感から幼少期に潜在意識へ影響を受けたと思います。

自分の年齢に近い世代、宮崎勤による連続幼女殺人事件から「オタク」への偏見、ステレオタイプな大人たちの思考が、当時よりも顕著になり、来年当たりに確実に、コミケへのテロが起きるので、コミケは危険なので行かないほうが良いと思います。

社会的に震撼させる犯罪は被害が大きい小さいは関係なく、スポーツ選手による自爆テロみたいなことで2000人が死亡と、オタクが上司一人殺害のどちらが、社会を震撼させるのか、後者のオタクによる上司殺害事件のほうが社会に震撼させ、2000人瞬殺テロ事件などは、本来は歴史に残るほどの事件、海外なら確実に歴史に残る大事件なのです。被害規模でなく、どんな人物が事件を起こしたのかが重要なのです!

でも、日本人の思考パタンは

自分の考えは確実に正しい。でも、他の人の意見を全部流用。

人には厳しく、自分には大甘。自分には甘いので自分の罪を省みない。

異文化排斥度が激しい。自分が良いと思ったものは完全な普遍的な真理だと思っている。

喰わず嫌いで、新しいものを触ろうとしない。

上記の思考では民主主義は正常に機能しません。

コミケにいかなくなったのは、実は数万人が一箇所に集まり、確かにコスプレなど楽しいものがテンコ盛りなんですが、個人的には、分散化、小規模化によるコミケで、開催日と開催日を別々で小規模化することを願います。

広い会場に数百人いて、それが狭い出入り口があれば、何か事件が起きたら、逃げ道がないのです。

オタクを2000人でも3000人でも殺しても、情状酌量の余地ありとすぐに釈放され、オタク=反社会思想集団・犯罪者予備軍という考えがあるからです。

だから、分散化、少人数で行うことが安全だと思います。

夢のお告げというのは意外と当たるので、悪意無き勧告でも、もし気分が悪い状態だとネガティブに受け止めてしまう危険性があるので、自分を守る事は重要な事だと思います。

なんか、コミケと信仰は別物ですが、衝突と隣り合わせになっているのです。

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モルモン教がラテン化する21世紀

同じ西欧人でも、英米人とラテン系の人たちとは全然国民性が違います。

日本人と中国人の違いどころではない!ラテン系の人たちがキリスト教を広め続けたのです。

英米系・アングロサクソン系の人たちは、ゲルマン民族の系列であるから、彼がいなければ地球上に機械文明はいつまでたっても発祥しない。

英米系の人たちは勤勉で几帳面なので、ドイツ人に似ているのです。

戦前でも西ヨーロッパでモルモン教伝道をしても英国以外はほとんど成果がでないのは、ラテン系諸国ではカトリックの伝統が根強く、その辺、プロテスタント教会もなかなか伝道活動が上手くいかないのです。

戦前・世界大戦後の戦後冷戦期でも、日本以上にモルモン教信者はヨーロッパでは増えないのは、生活が裕福であり社会保障が整い生活の不安が無いからです。

で、逆にラテンアメリカでのモルモン教の発展は予測以上であり、それは、多くの人が貧困での苦しみ、特にアルゼンチンなどかつては先進国であり、現代はブラジルよりも貧しい人が多い国になり、国家破産状態であるから、孤立しては生きられない社会なので、地上で最も宗教が熱心な国なのです。

当然、キリスト教礼拝出席者数も年々増加傾向であり、特にキリスト教会に不満がある人が、ネットの情報が知らないためにモルモン教に入信する人が多いのです。

ラテン系では、勤勉さとか感じられない反面、陽気な国民性であり、知らない人でも友達になる習性があり、どこの国の人でも話しかけるのは、自分がかつてモルモン教時代にラテン系アメリカ人、英語とスペイン語のバイリンガルの人は、やはりアングロサクソン系の人よりも性格は穏やかです。

スペインを含めて世界大戦にラテンアメリカは、ほとんど戦争に参加しなかったなど、逆に言えばアメリカ合衆国にあまり協力しない国には、かつての敵国以上に酷い扱いをするので、一部のラテンアメリカの国・キューバやベネゼエラのような反米国家も存在するのです。

古神道の神主さんがブラジル伝道したとき、ラテン系の人は、ほとんどが性格が優しい。かつての戦前の日本人のような人情があると言うのです。

個人的には、第二外国語を習うなら、スペイン語かポルトガル語を習うほうが良いと思います。母音の発音が日本語に似ている。

言語もローマ字読みで通じる。

英語だと、舌や唇に意識を集中させて、自分の声が少し変わるくらい発音しないと通じないが、ラテン系の言語(フランス語を除く)は、カタカナどおりに読めば、たいていは通じるのは、母音が日本語とほとんど似ている。

日本語と同じ、子音+母音+子音+母音の繰り返しで、最後に母音で終わるのが似ているのです。(フランス語もスペルが複雑でローマ字読みの発音ではないが、発音そのものがラテン系言語なので、英語よりも聞き取りやすい、発音しやすいと言う情報もあるようです。)

実は、モルモン教の宣教師が何故、三ヶ月で日本語の基礎的会話が覚えられるのか、日本を学ぶのではなく、全てローマ字で書かれた日本語語の会話基礎を暗記するからです。だから、ひらがな、カタカナなど知らないのです。

たしかにラテン系は同じ白人でも全然国民性が違います。

北米と日本のモルモン教が停滞、後退しているというネットの情報が多々あるが、それはモルモン教がラテンアメリカ諸国へ南下して来ているのです。

共産主義国・アメリカと対立しているキューバを除いたほとんどの国で、モルモン教が発展しているのです。

アルゼンチンは、かつては発展した社会から衰退へといたるので、ちょうど古代西ローマ帝国そのもので、原始キリスト教が発展した環境に似ているのです。まして現代は信仰の自由があるから、迫害もないので、その辺が違うのです。

国が衰えると、社会全体が貧しくなると、神様を求める動きが活発になるのです。

特にアフリカ諸国と違い、ラテンアメリカの大国では識字率が比較的に高いのもキリスト教やモルモン教に入信する人が増える基礎があるのです。

では、日本が第二次関東大震災が起きたて、日本が衰退したら、キリスト教信者が増えるだろうか?否!自己肯定できない現代の日本人の若者に、罪の赦されるということが理解させるのは、とても困難です。

聖書など長文で書かれた書物を読んで理解できない。じっとして説教を聴く事もできない。まして、最近流行のスピチュアルと混同する、混乱するので、日本の若者が自信を持たない限り、どんなに美味しい伝道方法をやっても、無意味です。

キリスト教などが発展するには、国民性が重要な要素なのです。

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低価格の英会話教室での伝道

モルモン教では毎日の伝道活動で無料英会話教室のチラシを配って伝道をします。

キリスト教会と大きな違いとは、彼ら宣教師は、わずか三ヶ月で日本語を覚えるのです。たぶん、発音記号とローマ字のみで会話を効率的に覚える秘訣があると思います。(辞書を使わず単語を覚えず、文法ごと丸暗記とか)

だからモルモン教宣教師は、日本の文字・ひらがなやカタカナが全然読めないのです。漢字などチンプンカンプンですが、それでも日本語が話せるのです。

第二次世界大戦後、アメリカが日本占領時に、合衆国の有力な人たちを今後送り出し続けるには日本語の書類を読みやすくするために、日本語を全てローマ字化政策を当時の政府に圧力をかけたが、識字率が高いとか、日本文化の破壊行為になるとか、逆にアメリカへの反心を煽るなるなど、日本語のローマ字化は失敗しました。

でも実は漢字が無くなれば、自分の子ども時代は、漢字で苦労しないですんだ、ローマ字化したほうが学力が向上したかもしれないし、外国の学校にいた生徒が漢字で苦労しないですむとおもうのですが。

で、英会話教室で夏休みに犠牲的な奉仕をしてくださった方にはたいへん感謝しますが、実はあるサイトではこんな意見があります。

http://religion.web.infoseek.co.jp/religion/icc_doc/icc_nomura.htm

英語教室について

日本社会に於けるキリスト教が置かれているいろ

いろな問題に対する関心や興味は見られず、日本語の準備も殆どなく、陽気で無邪気

なアメリカ人青年たちが「指導者として日本人を教える」という発想です。

  この事をよしとする日本側の教会や伝道者もあれば、苦々しく思う教会や伝道者も

います。  そして、鉄のカーテン崩壊後には、旧ソ連邦各地に同じような主旨で勇ん

で「伝道」に出かける米国教会や米国の青年たちが後を絶ちません。

合衆国からの人たちへ悪意はないが、自分の「日本人はアメリカから多くの事を学んだ」という発言も、それはアメリカが世界の中心という日本を低く見下すという発言になるのです。日本には日本にしかない高い文化があるのです。

その辺、反省します。

それは、イエスを殺害したユダヤ人が世界で最も優れた民族であるという自慢からイエスを殺した。選民意識が神様を殺した。そして時をへて西欧人が新大陸の人たちの文化をすべて焼き尽くした。根絶させて強制的に西欧の文化を教え込んでやるという選民意識。そして、全世界の大部分が西欧人の植民地になり、そこから世界が大混乱を起こして、大量虐殺の時代が始まった。

(こんなこというと、中川健一さんから批判が来ると思うが)

イエスを殺したユダヤ人の子孫が、けっしてろくな事をしない!

パレスチナ問題は、それは独善的なユダヤ人が強引に先住民を強制的に排除させて、いまでも悲劇が続いている。攻撃すれば報復する。

だから、神様を殺した民族は、たとえ同胞でさえも虐殺すると考えるのです。

まず、一つはLSTのありかたを考えて見る。それもあと11ヶ月もあるのです。短くとも10ヶ月も思考する期間がある。

ただ、LST5週間だけでは、だれかが洗礼を受けてクリスチャンになるのは無理であり、教会員と話し合えただけで、それだけで十二分の成果があったと自分は思います。また、はるばるアメリカから来た人たちが何も不満を言わず無事に終了したことも十分評価するべきところです。

一部の教会員でも、ほとんどノータッチの人もいたし、

それは、上記のように日本語を大事にしない人が外国語を習う事がナンセンス。キリスト教や聖書の教えは全ての民族に平等である。人種・民族・文化・言語で人間の優位をつける神様はいない。

来年度はどうするべきなのか?北米のキリストの教会では期待がかけられているので、たぶん来年もLSTが行われるのは必至だと思います。

キャンプは?若い人の参加者が少なくなった。その反対に子どもが多くなった。

日本語が全然喋れない人とのコミニケーションをどうやって取るべきなのか?

健康状態の問題、途中で風邪を引いたとか、睡眠時の問題、または事故による怪我など、深夜などの緊急連絡など。途中参加は可能なのか?

実は、言葉で上手く表現できなかったこと、アメリカ人が喜ぶようなゲームが日本人である自分には、時には「しらける」ときもある。変に義理で付き合うのも相手には、とても失礼なので、これは「しらけた」と感じた時、無理に付き合わないで、その場にいないで、それが終わった時に、話しかけ、カタゴトのコミュニケーションを取るだけでも十分だと思います。アメリカ式のゲームは子どもには受けるが、大人だといまいちなのです。

で、はるばる北米から来て、自分たちが何もしないで放置では、それは、あまりにも薄情です。日本には良い印象を持って帰っていただき、帰国後は日本は良い国だということを伝えていただけたら幸いです。

野村基之先生は、LSTに必要以上に心配しているのですが、実は初めての人だと5週間だと、外国人と英語で話しができたしか印象がなく、キリスト教への改宗まで、さらには日本文化を低く見下し、アメリカ文化を高く見るということは、たぶん無いと思います。既にアメリカそのものが衰退化、弱体化し、さらに多言語国家・英語が通じなければスペイン語を使えばという状態で、いろんな民族が増えてきている、だから中核であるアングロサクソン系の比率は年々低下してきているのです。

アメリカ文化とは北米に定住したアングロサクソン系の人たちの文化なのです。

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なぜ反モルモンサイトの大部分が消えたのか?

エホバの証人の被害者サイトと違い、最後まで活発に更新をまめに行っているサイトが一つだけになったのです。反モルモンのサイトは更新停止、だからリンク切れも日に日に目立つようになり、作成者がそのまま放置状態か、または、突然消滅という状態になったと思います。

反モルモン衰退の原因は、反モルモンになる前に活発モルモンの時から、議論を好む人も多々おり、互いに信頼関係ができていないうちに、相手の言葉じりをとらえて批判をする傾向が強く、さらに、建設的な意見が皆無だったと思います。

モルモン教会からの一方的な指示をいつまでも待つ状態であり、自分たちが考え行動する訓練を怠った結果だと思います。それから被害者がエホバの証人ほど少ない深刻ではないなどは、大半のモルモン改宗者は、親に依存しない独立心が強い傾向があるのが、2年間の無報酬の伝道活動にでるくらいですから、親の操り人形で無いというところがエホバの証人の2世と大きな違いだと思います。

モルモンの場合は、20代前半の若者が改宗するのがほとんどであり、エホバの証人は子育てで忙しい主婦が主体ですから、エホバの証人の信者は既婚女性が多く、自分の子どもを自分の身体の一部、または分身だと思い込むので、母親が好む物は自分の息子も間違えなく好む、親切でも自分が喜ぶ物なら、自分の息子も間違えなく喜ぶという錯覚があり、独立した一人の人間とみなさないのです。そのような親に育てられた子ども達は、親がいなければ何も出来ない、親が死んだらホームレスという状態にさえなりうるのです。

モルモンは独立性を持った若者の宗教であるが、エホバの証人は完璧な操り人形であり子どもには人格や意思は皆無というわけです。

「鉄腕アトム」のように自分で考え行動するのと、「鉄人28号」のようにリモコン操縦で操られるロボットの違いです。

モルモン教の場合は、親子問題も多々あるが、信仰については親から押し付けられたものでなく、自らの意思で選択したので、逆に言えば、もう過去の過ちだと思えば、そのようなネガティブなことをいつまでも考えないのです。

エホバの証人だと、強制的に信仰を押し付けられ、一切の自由意志は認められず、親の価値観は子どもも同じだと刷り込まされたため、根が深いのです。そのため、同じエホバの証人の2世でも、ある意味では自我がない、強い自己主張もないため、逆に言えば共通の敵という認識はモルモンよりは強いために、アンチエホバの証人サイトが多々あると思います。

親から押し付けられた自分の人生を狂わされたなど、それまでリモコンロボットのように人格の存在を認められない、たんなるたんぱく質の塊のマネキン人形とみなされた2世たちが、エホバの証人の母親達から見れば、人格や意識も無いロボットのような存在だったものが、たまりに溜まった物が爆発して、被害者サイトなど、またはエホバの証人救催サイトなどが作られるのです。

なお、東京キリストの教会はわずか17年間で、過度の神権体制は緩和しても、いまだに悪夢のような信仰強要をされたことによる精神障害などがあるため、かなり聖書には忠実でも信仰のあり方を間違えれば、モルモン以上のカルトになるのです。モルモンは飴と鞭を与えながら信者を虜にするが、東京キリストの教会は情け容赦ない責めの連続でしたから、カルトとしては幼稚なレベルだったと思います。

むしろモルモンよりも東京キリストの教会のほうが反面教師としての価値はあると思います。それによって、人を裁かない無理に罪の告白をさせないなど、信仰を持っている人に性急な成長を求めない、現実的な見方ができるきっかけになったからです。

もともとモルモン教は18世紀のアメリカの信仰復帰運動が原因で、それから出た異端、さらにブリガムヤングなどが支援したので、大きな火が消えない状態で今に至るのです。

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モルモンはサタディオーリアズというミュージカルに全てがつぎ込まされている

モルモン教の核となるのは、モルモン書でなく、実はミュージカル「サタディオーリアズ」という恋愛ものでモルモンの全てがわかるのです。

ストーリーの概略は、

モルモン独自の教義・前世という世界で、男女二人が永遠の結婚をする約束をした。ふたりは地上に産まれ、男性はモルモン教の宣教師になり、ある女性を見出し運命的な出会いだと直感した。

そして、その女性にモルモン教の教えを伝え、最後には二人は前世からの約束である永遠の結婚をモルモン教神殿で受けることになってハッピーエンドで終わる。

モルモン教では、結婚に始まり結婚で終わる。どんなに敬虔なモルモン教とでも結婚無しでは、一切の救いはありえない。どんなにモルモン教会のために奉仕しても 1000000×0=0のように虚しく寂しい人生で終えることになる。そのような人はまことに災いであり、産まれてこないほうが幸福である。

個人的にはミーハー(死語)な内容であり世俗的で薄ぺらい感じがするのは、聖書的でなく単なる恋愛至上主義にいたるため、それが自分を良く見せようとする偽善へと至るからです。

「脚には鈴などで騒がしい音を出しながら歩く若い女性」という言葉があるように、このミュージカルに影響されて、過度にお金をかけたファッションをして日曜日に教会に来る若い女性がいる。(過度の柔軟性をしめすために、脚を上げたとき、つま先が頭よりも高く上げれなければならないです。)

または、自分を高く、本来の自分よりも数倍よく見せるために、話術や歌の練習に明け暮れる。音楽的な才能を磨き、そしてクリスチャンらしからぬロックミュージックコンサートを行う。

外側がきれいに塗られた墓みたいなもので中身は、腐った死体がいる状態で、そのような人が、モルモン教の教義をかいつまみポイントだけを知り、日曜礼拝では涙を必ず流して、敬虔な信者の振りをする。

モルモンには、原理主義者みたいな人から、世俗的な一以上に世俗的なモルモンもおり、一概にモルモンは何だろうかと一括では簡単に説明できないと思います。

だが、このような外見だけ美しく着飾った女性が管理する家庭がはたして、次の世代に信仰を継続させることは、たぶん困難だと思います。

我慢をする習慣、感情をコントロールすることが出来ない精神的に幼稚な女性が、子どもを所有物にすれば、おばさん脳のエホバの証人と同じような、親子の断絶が待っていると思います。

そのような父親や母親を子ども達は反面教師としてみなし、宗教を信じる人は偽善者であり、神様に対して無関心になると思います。

「多くの人は召されるが、選ばれるのは極少数」というように、モルモン教の信仰生活はピラミット型であり、無数の独身者が寂しい信仰生活を送る下層階級であり、中間層にミーハー的で精神的に未熟な夫婦がおり、選ばれた人が、上層部のモルモン一族になるのではないかと思います

たしかに、神様のことをまったく考えない人でも、モルモンの「サタディオーリアーズ」を見れば、それだけでモルモンに入信する若者もいたと思います。

ただ、これも20年以上前のミュージカルであり色褪せており、今の20代の女性がそれを見て感銘するだろうか、内容が薄ぺらいため普遍性が無く、その作品も過去のものになりつつあると思います。

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反モルモン活動をやめた時点で不活発クリスチャンになった

当時、西暦2000年10月初旬に「反モルモン」活動停止宣言を出し、過去を振り返るよりも、未来に向かってということが、今考えれば実は裏目に出てしまったのです。

たんなる個人攻撃、誹謗中傷行為とみなされるため、活発モルモンの時代に、無断でモルモンの若い姉妹の写真をバシバシ撮影したのが、現在の視点で言えば、プライバシー侵害行為とみなされます。

今考えれば、それは思い出を残すための行為であり、何を撮影したかはアルバムを持ってきて、焼き増しが必要な人には与えることでした。

今の視点で言えば、もし変体行為と言われるなら、写真雑誌を買い、水着モデルの写真を撮影会に出るほうが良かったと思います。

クリスチャンには、その人しかない賜物があり、十数年間ものカルト生活の知識を利用した「異端問題」対策を原動力としていけば、今日まで熱心なクリスチャンだったと言う事です。

反省する点は特定の個人攻撃、個人への誹謗中傷的な内容が反感を買ったと思います。でも感情があってこそ、信仰を捨ててアンチになる場合もありえるのです。

熱狂的な信仰が、それまで我慢し抑えたものが、ちょっとした事で大爆発を起こし、元監督への殺意さえ感じるが、殺意を徹底的に感じさせるのが、実はモルモン教の気をつかわない行為の連鎖だと思います

「あいつにはこんな事を言っても言い返せないだろう」「あの人は絶対に怒らないから何でも言える」という相手に隙を見せる行為が、実は信仰の致命傷だったと思います。さらに90年代になり、ジェネレーションギャップを痛感し、それが不快に思うほどダサいという印象に感じ、あまりにも陳腐すぎるというように見られるのです

では、この後の場合は、どうすれば良いのか、異端問題・反モルモン活動の停止をするべきでなかった。それを辞めたと同時にクリスチャンとしての信仰も弱くなりだし、近年においては、ますます厳しくなる労働環境で、ご利益を求めペンテコステ派や古神道とかバハイ教への関心へと至るが、結局は元のさやに戻る事になりました。

異端・反モルモンに関しては、既に過去の物になり、愚か過ぎる自分の反省も痛感し、感情論でなく論理的に自分の意見を伝えるべきだと思います。

「感情論に振り回されず、まともなモルモン批判をしろ!」「悲劇の主人公の振りをするのはやめろ!」という意見は、活発モルモンのときイリアンタムでも全く同じような意見があり、その結果、むしろそのような反モルモンがいるなら、元の活発モルモンに戻ったほうがまだマシだったのではないかとさえ思いました。(元のモルモンに戻るとしても、罪を犯しても告白は一切しない。たぶんコーヒーを飲んだりしていたと思いますし、神殿推薦状などの面接を受けないで神殿の礼拝はしない。中途半端なモルモンになったと思います。その意味では、活発モルモンでも戒めを守らないが、それでも、ネットでネチネチやる反モルモンよりは人間として立派だと思うからです。)

反モルモン・異端問題への取り組みという自分のアンディティが失われた時、キリストに対する信仰は残存したいたが、活発化、敬虔さの原動力を失った時点で、不活発なクリスチャンになってしまったのです。

反モルモンの衰退の原因は、反モルモン同士が批判し会う精神構造が残存しており、その原因は活発モルモン時代に作られたものだと思います。

強い意志で相手を許すと言う気持ちが皆が忘れられ、次第に空中分解を起こし、そのため、「過去にこだわるな!後ろを振り返るな!モルモンには反面教師とてしての値打ちも無い。それ以上のカルト問題を力を注ぐべきだと言う事に」なるのです。

要するに、反モルモンを辞めたと同時に、活発クリスチャンとしての自分のアンディティさえ失い、その結果、お休みクリスチャンになってしまったと思います。

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