キリスト教と現代科学の時間の差

西洋文明(キリスト教)では、人類の歴史は、約7000年だけだという説もあり、現に西暦2000年を超えた現在、本来ならもうじき大艱難の時代、そのあとに来る1000年王国、ゴクとマゴクの戦いのあとに最後の審判で人類と宇宙全体の歴史は終焉するのです。
(1000年王国は存在しないという説もあります。だから西暦3000年頃まで人類社会の歴史が続くと思われるです。)

科学的には多くの突っ込みが入れられそうですが、創世記ではビックバーンで全宇宙が創られたということはキリスト教会では否定されております。現代科学では、大部分の物理学者や天文学者ではビックバーン説を支持しており、その証拠に、遠い銀河系ほど、速い速度で遠ざかっており(赤方偏移)とか、ひじょうに遠い宇宙の彼方からマイクロ波が全天から放射されており、それがビックバーンの名残だというのです。

その意味では、宇宙の始まりは137億年前であり、地球の歴史は46億年。
キリスト教の聖書解釈では、創世記では、ある牧師の説だと、文字通り6日で全宇宙を創造したというのです。アダムとエヴァの時代から、約7000年しか人類の歴史は存在しないのです。

でも現代科学では、人類は300万年前に誕生し、文明が発祥したのが、5000年前であり、また、アメリカ大陸の原住民は、1万5千年前に北アメリカに定住し狩猟をしながら南下していったのです。

キリスト教信仰を信じるものとしては、創造論は部分的に認められるのは、人間の祖先はサルではないことです。地上にいる生命体は神様が創造したものであるが、妥協して科学的に考えると、旧約聖書の創世記の一日目という概念は文字通りの24時間ではなく、数億年ではないかと思います。

個人的に創造論を支持する理由は、生物が必要とする炭素が作られるには、何度も太陽の100倍近くの恒星が超新星爆発(核融合)を繰り返さないと、生物の元素である炭素分子が作られない。また地球上には重い元素である金属からウランまである。宇宙が創造されてから、多くの星が何度も爆発と誕生を繰り返しながら、地球上の元素ができあがっているので、そうなると地球に人間が住むのに適した環境にするには数十億年くらいの時間が必要だと思います。

さらに、太陽系での地球の位置が、ちょっとでも太陽から遠かったち近かったりしたら、人間のような知的生命が住める環境にならなかったのではないかと思います。

さらに不思議なことに月の存在があり、月のおかげで地球は正常に自転できるのです。

偶然の産物では、かなり確率が低いのです。

無神論の現代科学では、地球は偶然の産物であると考える学者もいますが、多くの宇宙飛行士は、地球は偶然に作られたものではなく、なんらかの神秘的な偉大な意志によって地球が作られ、そこに人類と言う知的生命体が住むように計画されたと考えがほとんどです。

たしかに暗黒の宇宙にポツリと生命に満ち溢れた惑星をみれば、そのように感じるのです。

その意味で、人類の歴史は、最大なら無限であるという人もいれば、太陽が巨大化した遠未来である60億年後には滅びるとか、または、2億5千年後には地球上の海の水が地面に吸い込まれてなくなれば、酸素を供給量がないため、地球が現在の火星のような環境になるために人類は滅びるとか、あとは、地球は温暖化と寒冷化の繰り返しがあり、極端な寒冷化(氷河期)が500万年後に来れば人類は絶滅すると言う説があります。

ある科学者は21世紀中に人類は滅びる要素がたくさんあるから、22世紀は来ないと信じている人もいます。

科学者によって人類の歴史の長さは違うのです。
まず現代科学は、時間がたつと仮説が変わることがたびたびあるのです。
また科学者の学閥というのがあり、科学とは多数派が正しいとみなされているのです。

さらに、創造説を信じるのは、復活という物理的には説明できない現象が神様の力でおこなわれるなら、逆に言えば土から人間を作ることも可能だと思うのです。最後の審判のときに、全ての人たちが復活する。その復活はどんなものか知らないが、たぶん何らかの生命を持ったもの、または、霊的なものだと思います。それは想像を絶するものですから言葉では表現できないです。

古代の人たちは、現代のクリスチャンの葛藤を感じることなく自然に対して畏敬の念=神様への畏敬の念を抱いたと思います。

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臨死体験とキリスト教の来世観の違い

1990年ごろから立花隆さんの「臨死体験」の本がでており、自分の場合は「かいま見た死後の世界」と言う本を何度も繰りかえり読みました。

霊魂の存在は実証されているという事のみしか解らず、また、全ての臨死体験者に共通するのが、ある境界線(日本人的な表現だと「三途の川」)を超えた人はいない。それを超えると完全に死ぬ事になるからです。だから、その境界線を越えると二度と、この世に戻れない。別の良い方すれば絶対に蘇生しないのです。

たとえ自殺者でも、安楽感・安堵感に満たされる場合がほとんどですが、自殺をさせないために、あえてそのような情報を内密にして、自殺者の僅かな事例、地獄的な世界(仏教の地獄絵図みたいな光景)を見たとことを強調されます。

臨死体験をした人のほとんどが、思いやりを持った人間になれるのです。価値観が大きく変わるのです。

ただし、臨死体験をしたから、今まで信じていた宗教から、別の宗教に変えるという事は、ほとんどないです。

霊魂と死後の世界は実在するのは確かであり、または、神様とか天使、別宗教的な言い方すれば高級霊を目撃したという事例もあり、脳内における強い幻覚ではないのは、臨死体験をしている人が、目隠しされた状態でも、天井から自分を蘇生させる医師の姿がはっきり見える。それを鮮明に記憶できるので、その間、何をしたか話す事ができるのです。

その意味では死後の世界は存在する。霊魂も存在する。神様が存在するという事は確かであるが、

ひとつは、人間の魂は永遠に滅びないのか?死後の世界の社会とはどんなふうなのか?
そしてキリスト教会が口うるさくいう無限の地獄は実在するのか?その辺は、誰も見て来て、生還した人は一人もいないので、地獄や天国の存在は、信仰の世界の問題だと思います。

地獄がなければ、人間は何をやっても裁かれないから、いくらでも悪い事ができるからです。

プロテスタントでは神様は無限の御方だから、死後の世界も無限の世界であり、天国と地獄の両極の世界が存在しており、無信仰者や信仰が弱いものは、地獄に落とされるという教派がありますが、

カトリック教会では、キリストを知らないで死んだ人たち(キリスト教が伝えられない。キリスト教信仰をする自由がなかった地域や時代の人たち)さらには知的障害者や幼児期に死亡した人たちなど、不可抗力の人たちには、煉獄という地獄よりは、はるかに快適な世界で、キリスト教が伝えられており、煉獄でキリストを信じれば、天国に行けるのです。

あとエホバの証人とかセブンスディアドベンティスト教団の教義では、地獄は存在しないという聖書解釈をしています。悪人の霊魂は死亡したときに消滅するから永遠に自我と意識がない状態になるのです。

キリスト教会では臨死体験のことは、あまり語られないし研究対象になっていないので、かりにクリスチャンで臨死体験の経験をしても、それを秘密にしたまま生涯をすごす場合もあると思います。

また、一部のペンテコステ派は、臨死体験を悪魔の業とみなしています。
クリスチャンではない人が、死んだ時に、お花畑をみたり、光の生命を見てひじょうに心地良い気持ちを感じたとか、そのような体験談が広まると、なにもキリスト教に改宗する必要はないとか、熱狂的なクリスチャンになる必要はないと考えるようになるからです。
逆に自殺未遂をして、生還するまで、とても不快で、ひじょうに恐ろしい体験をしたと言う話しだと大々的に、その事を宣伝するのです。(自殺未遂者のほんの僅かの事例しかないのです。)

キリスト教と臨死体験談で共通しているのは、旧約聖書のダニエル書に「死の谷」が、臨死体験の暗黒のトンネル体験に似ているところです。




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地獄の亡者は、ガス生命体なのか??

最後の審判では、地獄に落ちる人と天国に行ける人に分けられます。

地獄の恐ろしさを最も強調するのがペンテコステ派ですから、そちらの教会では、異言が離せない人は、聖霊のバプテスマを受けていないから、不十分であり、その結果、死んだら地獄に落ちると信じられています。

だから必死になって正しい生活を送る努力をしているのです。
ネットでしらべると、世界で最も信者が増えている教派はペンテコステ派です。
(某A教団の牧師は、態度が冷たかったけど。)

自分が10代の頃に一時的に通った関東栄光教会では、熱狂的に歓迎されるし、礼拝の雰囲気も猛烈なエネルギーを感じました。それでいて、激しい口調でランダムな発音による祈りがあり、それを異言というのです。

これは、あまり真面目な話しではないが、地獄の亡者とは、もしかして「ガス生命体」のことではないかと思います。宇宙の終焉といわれる10の33乗年後に、物質を構成する原子がなくなるので、完全な静寂の世界になるはずですが、電子と陽電子からなるガス生命体が生まれる可能性もありえるのです。ただし一つの動作をするのに1000億年かかり、身体の大きさは現代の科学で観測できる宇宙の大きさよりも、はるかに大きい。

完全にスカスカの状態だから、巨大な幽霊みたいなものです。

極限的苦痛、無限の苦痛とは、平均的な成人の大きさが、全身に激しい痛みを感じても、身体全体以上の苦痛はないが、地獄に落ちた人の苦痛は、苦痛を感じる部分が全宇宙よりも遥かに広い範囲なので、それだけ激しい苦痛を受ける事になるのです。

まして、あまりにも酷い苦痛と強い悲しみと怒りの感情に満たされた状態ですから、無限の苦痛の地獄とは、仏教の地獄絵図よりも遥かに悲惨な状態であり、人間の想像を絶する世界だと思います。

また、死後の世界とか、最後の審判の後の世界の状態は、全宇宙の物理法則がまったく異なる世界であるので、前回の日記に書いたように、全宇宙の大きさが細菌くらいに感じるものかもしれません。

地獄の亡者=宇宙終焉後のガス生命体かもしれません。

ようするに、あまりにも激しい苦痛のため、生前の悪い行いを後悔できるほど余裕は一切なく、ただ全宇宙を遥かに超えた感覚器官に無限に強いストレスが襲い掛かる状態なのです。

完璧に無限の寿命を持つ唯一の生命体とは超巨大ガス生命体ではないかと思います。

最後の審判では善人・悪人・キリストを信じた人、信じない人の復活がありますが、それが人間の形とは限らないと思います。ガス生命体ということもありえるかもしれません。



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やはり地獄はあると信じなければ人間は悪を喜んでするようになる

キリスト教が極端に衰退している地域は、「万民救済説」すなわち「どんな悪人でも死後の世界では救われる」とか「地獄は存在しない」という極端な神学を信じている教会が多いところだと思います。

「神様は無限の慈悲と愛を持った御方」ということは、逆に「無限の正義の御方」であるので、個人的に思うのは、地獄は存在すると信じなければ、どんどん悪い方向へ向かってしまい堕落してしまうと思います。

もし「地獄はない」ということが実証されると、人間は自分に甘く意志が弱い存在だから、自分中心の思考になり、きびしい競争社会で周囲の人の足を引っ張ることに夢中になるか、逆に、この世に何の未練がないと思って自殺するしかないです。

「地獄がない」という事が実証できたとしたら、万引きも平気でできるし、自分よりも弱い人に辛辣な態度をとっても何の罪悪感も感じない。ようするに、今まで良い人でいることが苦痛だった人とか、良い人であることに疲れた人などは「地獄がない」という宗教を熱心に信じると思います。

逆にキリスト教会(プロテスタントのメソジスト派など)では、ジョン・ウェスレーが、地獄の恐ろしさについての説教をしたときは、あまりにも恐ろしい話のために、年配の女性が失神したという伝説もあるようです。キリストを信じてキリストの戒めを知っていながら守らない人は、キリストを知らない人よりも厳格な裁きを受け、自分はクリスチャンになり、何も大きな罪を犯していないと思って確実に天国に入れると確信したのに、地獄に落とされるということです。

どの基準で天国に行けるのか地獄に落ちるかは解らないが、もし地獄がないと信じたら、何をしても罪にならないと思って、自分勝手な生き方をしてしまうと思います。

クリスチャンの場合、信じるだけで自分の好き勝手で自己中心的な生き方の最悪の生活しても、地獄に落とされることは逃れると思うと、本当に自分勝手になり、どんどん悪に手を染めてしまい、最後には誰からも相手にされなくなり、地獄に落とされるのではないかと思います。



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西ヨーロッパのキリスト教会は教会としての機能を果たしていない

ヨーロッパ系のクリスチャンの大部分は、カトリックかギリシャ正教であり、プロテスタントは極少数派であるから、現代の日本のキリスト教徒の比率よりも少ないかもしれません。

最近は西ヨーロッパのキリスト教会がイスラム教のモスクへと改築されることが非常に多くなっており、また、7000人が収容できる巨大モスクの建設が計画されています。

ようするに西ヨーロッパはキリスト教圏ではなくなったのです。

逆に東ヨーロッパでは、ギリシャ正教の信者が圧倒的に多く、逆に元ソ連邦だった中央アジアではギリシャ正教への改宗者が増加しているのです。ようするにソ連共産党時代には宗教弾圧が強く、あらゆる宗教の聖職者を処刑してしまった結果、多くの人を引き付ける人材がほとんどいなくなり、なんちゃって聖職者が外国人観光客をひきつけるために、宗教施設でお酒を呑んでも良いとか、また、日本的な言い方すれば「拝観料」としょうして、観光客からお金をとることで生活を支えていたのです。

だから地下に潜伏した有能なギリシャ正教の信者が、ソ連邦解体後に伝道活動をして、被害を免れた信者による伝道活動によって東ヨーロッパでは、信者が増加傾向となっているのです。

その意味では、中南米やアフリカ大陸南部と東ヨーロッパがキリスト教圏であり、かつてキリスト教圏の西欧や北米は宗教的空洞地帯か近い将来イスラム圏になる可能性が高いです。(西ヨーロッパのプロテスタント教会では、クリスチャンにならなくても天国に行けるという神学があるため全然伝道活動も日曜礼拝もしないのです。)

西ヨーロッパの古いキリスト教会は、日曜礼拝をしない、むしろ観光地にして「拝観料」を取る事で牧師の生活資金にするのです。そのため、プロテスタントの信者の比率は日本よりも低いのですから、キリスト教=カトリック教会しかないということになり、プロテスタントはキリスト教系新宗教という扱いであるが、全然、伝道活動をしないから、次から次へと、他の宗教の施設へと改築するという状況です。

プロテスタントの教派は無数あり、それぞれ教義や聖書解釈が異なるので、なにが真実なのかわからないため、それでモルモン教に改宗する場合があるのです。

モルモン教は頑ななほどに「原始キリスト教会を回復させた」と強く主張し、他のキリスト教会は背教した人間が勝手に作った宗教だとみなしているのです。

実は、宣教師からモルモン経をもらって、本を読んでみましたが、これは初めから読めば、矛盾だらけなんです。

簡単に言えば、カラカラに乾燥しているアラビア半島を、食料も水も持たずに、一家そろって現代のイエメンまで徒歩で歩いてたどり着くのは奇跡であり、物理的には不可能だと思うのです。

強盗がいるなら、周囲には猛獣がいることになるが、強盗にきずかれずに、猛獣を捕まえるのは命がけであり、さらに、東京から名古屋までの距離に行った時に、リーハイが「聖典がどうしても必要だ」とわざわざエルサレムに戻し、そこで聖典(それも真鍮版の重たいもの)を取りにいくために、殺人をして、さらにニーファイが声色を使って、召使を誘拐して、そのまま連れて行くのは、現代でいえば強盗殺人と誘拐事件だと思います。

彼らは何も食料を持たないで、弓矢で獲物を取るが、神様の啓示で火を使うなというから、生の肉を強い日差しで干したのではないかと思うが、それだと、ビタミン不足に陥り、体調不調を起こして、満百キロの距離を徒歩で、炎天下の砂漠を歩く体力はなく、普通の人間だったら途中で野たれ死んでしまいます。

ましてイエメンから何の知識もなく、さらに、ニーファイが作った船が、どこの陸地に休憩せずに、そのまま1万キロ以上の距離を海でわたることは、どう考えても不可能だと思います。
(ニーファイは船の知識がないのに、インド洋と太平洋を渡る船を作り上げてしまったのです。また、航海の知識も世界地図も無いのです。どうやってアメリカ大陸に渡れるのだろうか?)

インド洋から太平洋への距離は、気が遠くなるような距離です。

だから、現在の自分の思考力があれば、科学的な矛盾がたくさんある部分を読んで、モルモン教には改宗しなかったと思います。

それでも、日本には2万人もの熱心なモルモン教信者がいるのです。

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タイムマシーンは実現可能なのか?

現代の科学ではタイムマシーンの原理は不明ですけど、もし現代の天文学・宇宙物理学の知識を使えば、数パーセントの確率で可能だと思います。

たとえば、911同時多発テロは1万年後の未来人の仕業であり、現代は実は未来人によって影響を受けた世界ではないかという推測もあります。
(パラレルワールドでは、911同時多発テロがない世界、2009年でもNYツインタワーが存在している世界の自分もいるわけです。)

たとえば人類の歴史が永遠と考えれば、中東の某世界宗教は9000万年後になっても、現代と同じような生活様式と教義のままだと思います。(9000万年後の未来の人類は、ほとんどサイボーグになっており、ある意味では永遠の生命を享受しているかもしれないし、または、肉体は不浄なものだからという理由で、宇宙に漂うエネルギー生命体になっているかもしれません。

仮に地球上でタイムトラベルできる機械を作ることができたとしても、過去に戻ると、地球も太陽も、そして銀河も猛スピードで移動しているので、過去に戻ったら宇宙の彼方へ飛ばされてしまい、一瞬で凍結してしまいます。そのために恒星間宇宙船がタイムトラベルには必要不可欠なのです。

タイムマシーンのアイデアは、たくさんありますが、どれも壮大なものであり、また、タイムマシーンが作られた以前の過去にはもどることはできません。(壮大なものとは、約2.5光年の長さを持つ円筒状の巨大建造物を作り、そこを光の速度とほぼ同じ速度で、巨大建造物の周りを周回することです。そのかわり猛烈な遠心力で、宇宙船内の人間が潰れてしまいます。)

最も現実的なのは、ブラックホールにワザと入ることです。
光の速度に限りない近さで、ブラックホールに入ることです。そうしないと、ブラックホールの引力で自由落下で地表に落ちると、強烈な引力のためブラックホールの地表に達するまでに無限の時間がかかり、(重力が強烈だと時間がかなり遅く進むのです)ブラックホールに乗っている人が後ろを見たら、全宇宙の変化・周囲の銀河が次第に離れるのを数時間で見ることができ、そして最後には完璧な暗黒の世界しか見えない状態になるのです。かなり強烈な引力なので、普通なら人間が完全にぺしゃんこになるのですが、それを考えないで通常の重力として考えればの話しです。

また、ブラックホールに入る宇宙船や乗員たちは、素粒子レベルまで粉々にされるのですが、そうなるまえに、ブラックホールの中心(強烈な自転による遠心力で作られたドーナツ状になった部分の真ん中に入れば)を通りすぎれば、超空間という時間が逆行する世界に到達でき、それによって、過去に戻る事ができるのです。

自由落下でブラックホールに宇宙船が落ちると、宇宙船をかなり遠くから観察する人と、宇宙船の乗員との時間のギャップが大きく、たとえば観察する人の一年が、宇宙船の乗員にとっては、わずか10000万分の1秒という時間の進み方をするので、それを相殺するためには、ブラックホールに入る宇宙船の速度を光の速度に限りなく加速させる必要があります。そうしないとタイムトラベルする乗員達は、永遠にブラックホールの周囲に固定されてしまうからです。

現代科学では、まだ不明な部分がたくさんあり、現代では正しいと思えることも、近未来では間違えていたということもあるので、今の状態のまま1万年という時間をかけて科学が進歩し続ければ、タイムマシーンも作れるかもしれません。

あとジョンタイラーという未来から来た男の話は、論理的に科学的に考えれば完璧に嘘だと思います。


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地獄は絶対に存在しない論について

現在のキリスト教では、「万人救済説」とか、それをより強調した「地獄は存在しない」とい力説するクリスチャンがたくさんいます。

キリスト教神学を学べば学ぶほど、「地獄はありえない」「神様は無限の慈悲を持ったお方だから、どんなに冷酷で残忍な犯罪を犯した人間でも自動的に天国に行ける」だから「キリスト教会不要論・日曜礼拝不要論」があり、また、クリスチャンではなくても天国にいけるから極論を言えばキリスト教は現代社会に必要はない!と力説するのです。

要するに、「地獄」という概念は仏教的なものであり、「地獄」の存在を認めるものは異教に影響されたクリスチャンであるから、純粋な信仰ではないと言うのです。

その根拠とは、キリスト教を知らないで亡くなった祖母・祖父は知らなかっただけで地獄に落ちるのではないかという不安もあり、それだと今頃は地獄の底で24時間、休みなくのた打ち回っているのではないかということになり、そのような考え方は、神様の無限の愛を否定することであり、そもそも地獄という脅しは異教的だから、地獄は絶対に存在しないとなるのです。

だから、キリストが十字架にかかった時に、キリスト教の役目は終っており、その役目が終ったキリスト教信仰では、絶対に奇跡も起きないと力説するのです。西暦2世紀の時点で、キリスト教会の役目は終ったということになるのです。

ようするに、ペンテコステ派の信者が、祈ったら奇跡が起きたというのは、神様の力ではなく、悪魔の仕業だとみなすのです。現代では、どんなに強く祈っても、どんなに長時間祈っても絶対に奇跡は起きるわけないというクリスチャンが多いのです。

地獄は存在しないから、神様に従順である必要はなく、わざわざ良い人になって、隣人愛に満ちた人になる必要はなく、自分が嫌いな人間には意地の悪い事をしても、無限の罪の許しがあるから、どんなに他人に辛酸な思いをさせても絶対に裁かれないというわけです。

ようするに、神学を学べば学ぶほど、性格が悪くなる傾向があります。

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逆に、一部のペンテコステ派では、永遠の地獄を強く主張するあまりに、たとえクリスチャンであって、悪霊を追い払い、奇跡を体験した人でも、隣人に冷たい人は、最後の審判では、「わたし(イエスキリスト)となんのかかわりもない。そこから出て行け!」と永遠に続く、かなり激しい苦痛が及ぶ地獄に悪魔サタンと悪霊ともに地獄に落とされるのです。

地獄の恐ろしさは言葉では表現できない。一瞬でも見たら、どんなに精神的にタフな人間でも発狂するほど、酷いところだと強く主張しています。

ある意味では両極端な主張がキリスト教(プロテスタント教会)ではあり、中庸な神学論は、ごく稀なんだと思います。

よく近所のキリスト教会をお勧めしますと言われますが、個人的には、論理的で道徳の必要性を強調するキリスト教会をお勧めします。それが多少、自分の家から遠い場所でも、近くの狂信的な教会とか、カルト宗教的なキリスト教会には通わないほうが無難だと思います。

また、正常なキリスト教会でも、一部には上記のような極端な神学を強調するクリスチャンも一人や二人いるかも知れませんが、そのような人には、あまりかかわらないほうが良いと思います。


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キリスト教の死後の世界の状態は現代語では表現不可能

神様は無限の御方なので、全宇宙に遍在しており、たとえ光子力ロケットに乗って、アンドロメダ銀河へ400万光年先に行っても、神様からは絶対に逃れられないのです。
(極論を言えば、アンドロメダ銀河に行っても、キリスト教信仰を続けることはできるのです。)

そもそも銀河系だけではなく、超銀河団が集まった所と、全く何もない無限と思えるほどの暗黒の超空洞があり、全宇宙の姿は「泡」のような形になっているのです。まして地球上から観測できる銀河は、わずか1パーセントしかなく、それでも認識されているのは2000億以上の銀河です。

神様は無限の御方ですから、無限のエネルギーという概念が必要であり、死後の世界とか、または、最後の審判後の世界などは、全宇宙がとても小さく見えるほど、巨大なものではないかと思います。

たとえば、1円玉の大きさが全宇宙だとしたら、最後の審判後の世界とは、現在住んでいる全宇宙の大きさ(半径137億光年)なので、無限の神様からみれば、人間はウィルスの大きさにも満たないほどであり、最後の審判のあとの天国と地獄は、現代のどの言葉でも表現できないものではないかと思います。

ようするに生身の人間が天国や地獄を見たら一瞬で発狂してしまうようなものだと思います。

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仏教と現代天文学が酷似しているのが不思議

古代インドでは、巨大な蛇の上に、巨大な像が乗っていて、像の背中に地球(を半分にしたもの)となっているのが古代の宇宙観でした。

実は、それは仏教以前の宇宙観であり、仏教では宇宙は誕生して成長してから、最後には萎んで死ぬ。そして、また宇宙は誕生して、同じように成長して、最後には萎んで死ぬ繰り返しの教義があり、さらに、全ては素粒子からできていると教えているので、紀元前500年ごろの人が何故、現代物理学の知識を持っているのか謎です。

また、西洋では、最高でも兆までの数値しか表記できないので、それ以上の数値は×10の何乗と表現するのです。

現在では西洋(3桁)やインド(2桁)、東洋(4桁)など国によって数字の大きさを表記が統一されてないので、数値の10の何乗というように世界的に統一されています。これは天文学によく使われる数字の表記方法です。(最近は「ギガ」「テラ」バイトというようにな命数法が使われています。)

日本では一般的には、億とか兆までが使われており、それ以上の大きな数は、あまりつかわれないのですが、江戸時代に成立した名数法が現在でも使われています。

兆や京から、21の数字の桁を読みますと、まるでお経をあげいるような感じになります。
逆に小さい数字も、同じようにお経をあげているような感じなります。
江戸時代の数学に仏教の影響が入ったからだと思います。

ようするに無限への向けての命数法とは、「仏典の数詞」があり、なんと最大の数は「不可説不可説転」であり、天文学・物理学的な表記だと、10の37澗乗ですから、普通の人間の感覚では無限とほぼ同一なのです。

また、仏教では普通の生活ではほぼ使わない数を頻繁に使うため、そのために江戸時代では数学がとても重要視されたため、和算が発展しました。和算は西洋数学とほぼ同じくらいのレベルでしたので、明治時代初期に訪れた西洋人は、日本の輪算をみて驚いたのです。

キリスト教文化圏では、とくに古代社会となれば、一万以上の数は数え切れないし、普通の生活ではそれ以上大きな数字はありえないので、一万以上は無限とみなされました。

変なたとえですが、アフリカの未開人などは、1・2の次が「たくさん」とみなすのと似ているのです。アフリカの未開人では3という数字の概念が無い部族もたくさんおり、また、よくても手足の指の数の20までが限度なんです。

もしかしたら、紀元前以前の古代社会は、ほとんど記憶がなくなったため、見下した歴史観があるが、実は現代に近いほどの科学的知識を持っていたのではないかと思います。そうでなければブッタの教義が現代天文学や物理学と一致するわけないです。


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臨死体験をしないと人格は変わらない人間の弱さ

まず初めに、宇宙は無限に近いほど広大であり、大部分が謎に満ちている。
地球上では表現できないほどの、無数の桁を使った数字でないと表現できないほど、宇宙は広大でありエネルギーに満ち溢れている。

それは何を意味しているか。現実世界でさえ、兆とか京とか該という数字で表現するほど非常に大きなものとすれば、来世、死後の世界、さらに最後の審判の後の世界は、数字で表現するとなれば無量とか大数という桁でも足りないほど巨大なものだと思います。

キリスト教では、「無限」という概念がないと教義を説明できないのです。

だが、その無限というものを誤って使うと人格に、ひじょうに悪くさせる場合があり、いままで温厚でとても優しい人が、無限の慈悲、無限の赦しという概念を持つと、自分には利害が無い人に対して、とても冷たい態度を取ります。

たとえば、吾妻ひでおの「失踪日記」では、配管工をやっていたときに、とても意地の悪い同僚からの徹底的にいじめられ、他の社員でさえも彼をとても憎んでおり、ある人は、一日中ねちねち言われたために、半日でぶち切れたのです。何十人もの新人が辞めたのです。

「失踪日記」では、配管工を辞めたのは、吾妻先生と、いじめられた同僚が、性格が悪い同僚の悪口をトコトン言っているときに、社長が来て、相談に乗ったが、結果的には「気まずい雰囲気になり」配管工の仕事を辞めてしまいました。

ようするに無限の慈悲、無限の罪の許しの概念があると、クリスチャンになる前は、温厚で優しい人も、無限の罪の赦しという概念によって、他人に対して辛辣な態度を取り付ける、吾妻先生をいじめた同僚と同じ性格になるのです。

自分には利害がない人間は人間としてみない人間は、たぶんどこのキリスト教会にも多々おり、一部の人は歓迎するが、「無限の慈悲、赦し」を強く信じている人にとっては、初めて教会に来た人に対して「もうこなくてもいいよ!」とか言う場合があり、または、話しかけても挨拶しても完全に無視する場合もあります。そのような人がたくさんいると、日本からキリスト教を信仰をする人がほとんどいなくなると思います。

その意味で、そのような人は臨死体験で非常に恐ろしい思いをしないと、なかなか性格を変えていくことはできないと思います。

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無限の慈悲と愛で天国に行ける加藤智大とは

日本の自殺者数は年間3万5千人以上で、ほとんどの人が自殺するまえに、精神科に行ったり、なんらかのカウンセリングを受けたり、また弁護士と相談をしても、ほとんどがまともに相談してくれないで、ただお説教をするだけです。

よく自殺をしたという事件があると、「自殺する前に一言、相談してくれれば良かったのに」とつぶやく人もいますが、自殺をする人は、何らかの上記の専門カウンセラーを何件か相談しても、どこもお説教で終ってしまい、それで何の問題解決にならないから、最後の手段で自殺を選択するのではないかと思います。

土曜日の夜などは、あちこちの居酒屋を梯子してお酒を飲むのですが、たぶん、カウンセラーなどの仕事をする人は「人間の一人や二人、自殺しても、こっちは痛くも痒くもないんだ。バカヤロー!!」と酔っ払いながら大声で叫ぶのではないかと思います。

その意味で、カウンセラーは何の知識も訓練もなくても誰でもできる職業だと思います。
ある意味では、これほど責任が重いにもかかわらず、思ったよりも楽な仕事だと思います。

ネットでは、延命治療を止めるようにという意見も多々あり、さらには、人生に疲れた人までも安楽死させる施設を作るようにという要望が強いのです。

もし秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大被告に対して親身になって相談する人がいれば、あのような悲劇は起きなかったと思います。たぶん、まともに相談に乗ってくれる人がいないから、ネットで日頃の鬱積を文章にして、ほとんどの人が相手にしないから、あのような事件を起こす切欠になったと思います。

今頃は拘置所にいると思いますので、何件かの宗教団体の信者や聖職者が手紙を送ったり、面会に来ているかもしれません。そうなる前に、本当は宗教団体が親身になって相談をしてくれれば、あのような事件はなかったかもしれません。

ただ、キリスト教にもいろいろあり、おなじプロテスタントでも、進化論を信じる教派もあれば、創造論を信じる教派もあり、同じクリスチャンでも無数の思想があるのです。

特にプロテスタントでは思想が両極端になりがちであり、キリストの無限の慈悲を強調するあまりに、ヒットラーでも、加藤智大でも、または、女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たちでも神様の無限の罪の赦しがあるとして、地獄は一切存在しない、どんな凶悪な人でも天国に行ける。たとえキリスト教に対して様々な批判や妨害、暴言をする人でも、無限の慈悲によって、赦されるという思想と

たとえクリスチャンでも、大部分が無限の苦痛が永遠に続く、非常に恐ろしい地獄に落ちるという意見もあり、名指しで「福音派」は偽キリスト教だと批判する人たちもいるのです。

だから、どこが正しいキリスト教なのか、あちこちのキリスト教会に通って見るべきだと思います。

たしかに、現代の司法では、加藤智大は99パーセントの確率で死刑になると思いますが、彼を英雄視したり、または同情的な意見も多数あります。

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「無限の愛と赦し」論では、ヒットラーは天国にいる

ルター派・カルビン派の予定調和説とか奴隷的意志論者は、世界の歴史は神様が創ったのもだから、戦争や赦し難い犯罪事件、残虐な行為も全て神様の計画だから、完璧な歴史なのです。

だから、ヒットラーも幼児期に洗礼を受けたら、自動的に神様からの「無限の愛、無限の慈悲」すなわち「無限の罪の赦し」があるので、神様から一切、ユダヤ人虐殺については裁かれず、完全に罪が無い状態ですから、ヒットラーが地獄に堕ちるのはナンセンスで、それらの説が正しければ今頃は天国にいるのではないかと考えられます。

逆に被害者側の多くのユダヤ人は異教徒ですから、どんなに善良なユダヤ人でも自動的に地獄に落ちるということになるのです。

極論を言えば、幼児期に洗礼を受けた人が、仮に冷戦時代に核ミサイルのボタンを押して、全面核戦争で全人類を滅ぼしても、核ミサイルのボタンを押した人も、「神様の無限の許し」によって、地球を滅ぼしたことでさえも、罪に問われないで天国に行けるわけです。

たとえ地球上の全生命体を全て滅ぼしても、いったんクリスチャンになった人、極論を言えば、キリスト信仰を捨て、キリスト教会を滅ぼすために尽力を尽くした人が、地球を爆発させても、「無限の罪の赦し」によって、キリスト教会への反逆と地球を爆発させたという罪は一切咎められず、裁かれず、天国で完全な救いを得る事ができるのです!

だから、西ヨーロッパにたくさん立派なキリスト教会(プロテスタント)がたくさんあるのに、日曜礼拝が、何百年間も行われないのか、それは、全然キリストのことを信じなくても洗礼をほどこせば、自動的にクリスチャンになるから、そのあとは、どんなに自分勝手な生活や快楽を追求しても天国に行けるから、日曜日に教会に行く必要がないのです。

そのため、礼拝に行く人がいないのではなく、礼拝は不要であり、日曜礼拝は過去のものとなり、牧師もただ幼児に洗礼(滴礼)を施すだけで、天国に行けるのです。

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反モルモン運動が急激に衰退したのは、無教会に改宗した元モルモンの人が、上記の伝統的プロテスタントの教義を頑なに信じたため、おなじ反モルモンの人間への辛辣な批判がメーリングリストで行われ続け、次第に反モルモン運動から離れてしまったからだと思います。

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「無限の罪の赦し」論となれば、なにもキリスト教会そのものがなくなっても良いのです。
洗礼を施す牧師が勝手に、牧師事務所に連れてきて、洗礼の水を振り掛けるだけで、多くの人が救われる事になるからです。

だから日曜礼拝は不要であり、また全然聖書を読まなくても、神さまに祈らなくても、(一時的に)信じるだけで、どんなに残酷な犯罪を犯しても、無限の罪の赦しによって、救われるのです。



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胸(心臓)の痛みを感じて元気になった

最近は極端に肥ってしまったのは、ストレス解消は美味しいものをたくさん食べるしかないためで、そのために、10月の初めに、胸にチクチクした傷みを頻繁に感じるようになりました。

それが、突然に胸の中にガラスの破片が突き刺さったような傷みを感じた時、ヤバイという気持ちよりも、「もうじきお迎えが来る」という喜びがあり、それが切欠で、以前よりも元気になりました。(酷い鬱状態が治まりました。)

毎日、部屋に閉じこもっていると、何もする意欲もなくなる。ビデオソフトを観る意欲もなくなる。インターネットをする気にもなれず、ただ寝ているだけ。起きたら、すぐに精神安定算を飲んで、また寝ることを繰り返す生活をおくると、気分傷害になり死にたくなるようになります。

時々、この世の不条理に怒りを感じて、イライラすると、コンビニに行って弁当を三つくらい買って食べるが、

食べない時は一日中何も食べる気になれない。お腹すいても買い物にもご飯を作る気持ちにならないです。


鬱が酷い時に食欲がでるのは、イライラが強くなった時です。
そうなるとコンビニの弁当を三つに、アイスクリームも食べるから、意地でもお腹に詰め込んでやると言う事になるのですが、結果的には、肥りすぎは心臓にかなり重い負担をかけることになります。


その前に、教会の人が、日曜日の午後に訪問してくれたりして、とても嬉しい気持ちを感じました。

教会に行こうかなと思ったときに、胸の内部にガラスの破片が刺さったような傷みを感じ、意外と自分の寿命は思ったよりも短いと思うと嬉しくて感じました。苦しいけど嬉しいと言う感情です。

またガラスが突き刺さったような傷みが来ないかと期待したが、良くても胸がチクチク痛んだり、寝ているときに心臓がドキドキするとか、横になって寝ると心臓がやたらと苦しく感じますが、これだと軽い症状なので、はっきりと心臓が悪くなったとおもえないので、また、最近は鬱ぽい気持ちになります。

「もうじきお迎えが来るような」身分となれば、本能的に、悪い事を悔い改め、人の好き嫌いを止めて、もっと優しい良い人間になろうという気持ちになるのです。

神学的には、ルター・カルビン派などの伝統的キリスト教では「無限の赦し」という神学論があり、極論を言えば、一旦、クリスチャンになって奇跡を体験したあとに、他の宗教に改宗して無差別自爆テロで何百人の人を殺しても、そのひとは、たとえ一時的にクリスチャンになれば、神様との関係は永遠に切り離せない立場になったから、自爆テロで何百人を殺しても、その人は神さまによる無限の赦しによって天国に行けるという神学論があるのです。

または、この世の全ての人災、すなわち戦争や殺人事件から、学校のいじめまで、全ての人間の悪意による行動は神様の計画であり、神様が作った歴史は最善だから、戦争とか(たとえばユダヤ人などの)大量虐殺も神様の正義による歴史だということです。

人間的には、上記の神学論はとても受け入れがたく、それを受け入れる人間は、クリスチャンになる前は、温厚で優しい寛容な性格も、ルター・カルビン派神学を絶対的に正しいと受け入れると、人格が他人に冷たく、自分に利害がないひとには無関心で、強いもの上目の人には良い人を演じて、それ以外の人にはどんなに酷い評価されようとも冷酷な態度を取るようになると思います。

その意味では、あくまでも自分の考えですが、ルターやカルビンの宗教改革の功績も多々あり、人類の歴史に良い意味での影響もありますが、人間性を否定した神学は受け入れがたく、本能的に拒絶反応を起こしてしまいます。

その意味では伝統的プロテスタント教会は、キリスト教ではなく、ルター教とかカルビン教という別宗教ではないかと思うことがあります。

だから、伝統的キリスト教では自殺は最悪の罪というが、「無限の罪の赦し」という神学というものがあれば、自殺は聖霊を汚す否定する罪ではないから、神さまは無限に罪を赦されるので、生きているのが疲れたら勝手に死ねば良いと言う事になるのです。

なかなか自殺というのは、簡単にできるものではなく、かなり勇気が必要であり、万が一失敗したら、また後遺症が残ったらどうするかと考えると、恐ろしくって自殺する気になれません。

たしかに病気を嫌がり拒絶すると、不思議に病気は悪化する傾向があり、

逆に喜んで病気を受け入れるようになると、病気がほとんど悪化しない、治る場合もあるのです。

4年前に、宅配便の仕事をしたとき、労働時間が朝7時から夜中の0時、睡眠時間が3時間。見習いですから、隣には意地の悪いおやじがいて、一日中文句を言うので気が変になりそうで、5日目の朝になったら胸がチクチク痛くなり、次第に傷みが強くなって救急車を呼びました。

緊急医療センターで点滴を受けていとき、すごく穏やかな気持ちになりました。

ようするに心臓の病気は、強いストレスによって悪化するものだと思います。



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文化的な格差社会が精神障害者を作り出す

母方の実家は、栃木県足利市で、戦前から繊維業が盛んな町です。

足利市というのは、都会的な冷たさと田舎の封建主義が混在した町だったと思います。
とにかく、少年時代は、月に1度か2度、必ず母の実家の足利市へ自動車で行きました。

片道2時間半くらいで到着しました。(なお、1992年に父と一緒に行った時は、高速道路をつかっても片道4時間以上かかりました。どこも渋滞してないのに)

少年時代ですと、まだ関越自動車道路が開通しておらず、全部、一般道を通って、途中で休憩を入れて2時間半で到着できました。

92年の時は休憩は一切なしで、トイレにいきたいのを我慢しながら足利へ4時間かけて行きました。なぜ、そんなに時間がかかったのか、軽自動車で一般道で時速40キロ以下、後ろからクラクッションを鳴らされぱなしの状態で、高速道路は鶴ヶ島から花園まで時速70キロと言うノロノロ運転をするように強いられたからです。「こわい。こわい」とか「もっと早くしろ」といちいち文句言われながらの運転であり、ちょっとでも速度が速いと怒鳴りつけられると言うありささまですから気が変になりそうでした。

足利と言う町は、ちょっと変わったところがあり、東武鉄道の特急が止まる「足利市駅」は市街地から遠く離れており、歩いて市街地にいくと30分以上くらいかかるような場所にあり、当然、市街地はバス(これが本数が思い切り少ない。一時間に一本)かタクシーで、ほとんどの人がタクシーを利用するのです。

で、市街地にある駅は、当時は国鉄両毛線で、運転本数が極端に少ない。一時間半に一本なので、待っていてもなかなか電車が来ないので、当然、都心へ行くのはほとんど東武鉄道を使う人が多いです。(特急と準急電車が一時間ごとに交互に走っていたからです。)

当時は、鉄道ファンでしたので、国鉄両毛線にのりましたが、短い4両編成電車で昼間でも朝のラッシュアワーなみの満員でした。単線なんですがローカル線とは思えないほど速度が速いのは、駅と駅との距離が遠いからです。

戦前から繊維業が盛んな地域であると同時に、市街地から離れると、見渡す限りの田園風景がありました。また、デパートもたくさんあるが、隣のデパートとの距離が離れているのが特徴です。町そのものが、都心と違い、土地が広々と使えるのと、戦前から開けていた町なのですから、昔からオフィスビルが乱立していました。

なんというか昭和時代と明治時代がゴッチャになった町という印象です。

とにかく自動車がないと、とても不便な町だと思います。

少年時代に従兄弟から自転車をかりて足利市街地を走り回ったけど、あまりの広さのために、途中で疲れてしまいました。

また、家が都内と較べて、とても広くて大きく、8から10畳の部屋が必ず二つあり、これだけ広いと、親戚を集めての集会や宴会など自分の家ですませるのです。
一階と二階の両方に、10畳間が二部屋あるのです。

また、テレビアンテナが異様なほど高いところに立てており、東京から遠いためだとおもいます。だから、群馬県の親戚の家にいくと、ほとんどがUHFになっています。
(アンテナがとても高いところにあるため、東京のテレビ局だけではなく、新潟のテレビ局までも受信できるのです。)

とにかく、見た目は近代的だが、住んでいる人は封建的な環境であり、また、戦時中は足利市は空爆されやすいのは、たくさん繊維工場があり、これを米軍が軍需工場とみなされたからです。

住んでいる人は、当然、思考が軍国主義や封建的になりやすく、市街地は都内とほとんど違わない環境のため、とても精神的にアンバランスな環境だったのではないかと思います。

市街地がから一歩出れば、封建的で軍国主義的な思想が残存しているので、都会のゴチャゴチャした窮屈さと、田舎の古い考えが入り混じった環境ですから、精神的に不安定になるのではないかと思います。

それでも北関東は、繊維業とか戦時中は軍需産業が盛んなため、第二の東京と呼ばれ、東武鉄道が、国鉄山手線をみらなって、埼玉北部と栃木・群馬にまたがる鉄道環状線(第二山手線)と言う構想がありました。

だが、その構想も昭和58年の東武熊谷線廃止で完全に頓挫しました。
(昭和40年代に自動車が急速に普及して、東武鉄道の路線は、ほとんど一時間に一本というローカル線になりました。)

なお、路線跡地は、森林緑道とされおり、現在は歩行者の遊歩道・散歩道に使われていますが、土地所有者は東武鉄道であり、将来的には、埼玉県熊谷市と栃木県を結ぶモノレール路線に使われる計画があるようです。

話しがずれたけど、母方の血縁関係者は、

大人はアル中が多く、従兄弟は登校拒否をしている人もいて、見た目は近代化しても、考え方が封建的とか軍国主義的なところがあると、精神的にとてもアンバランスになって精神障害者になりやすいと思います。

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大艱難時代の極限的苦痛によって大量の餓死者をだす!

現代の日本でも食糧が行渡り、たとえホームレスでも、残飯を探せば餓死を免れるが、酷く思い鬱病になると、何日も食事が喉に通らなくなり、結果的には一ヶ月も続けば餓死することが現代の日本でもありえるのです。

酷い鬱病になると、食欲がなくなる。一日中、横になって寝るだけで、死にたいという気持ちになるのです。

大艱難時代になると、見た目が平和な社会でも、職場でのイジメとか家族からの虐待などがあり、それが原因で重度の精神障害者になり、たとえ熱心なクリスチャンでも、善悪の区別ができないほど心が混乱してしまい、結果的には、心に深い傷、それに酷く重い鬱病になり、一ヶ月もなにも食べなければ餓死するのではないかと思います。

たしかに現代社会でも、食べ物が豊富である日本でも餓死者がいるのです。

よほど精神的に参っており、その苦痛は想像絶するものであり、数十万円のお金があるにもかかわらず、食事をしないで死ぬ人がいるのです。

大艱難時代では、さまざまな人権侵害もあり、聖書の預言にあるように「お互いが裏切りあう」ため、教会そのものが魂の安らぐ場所ではなくなるかもしれないです。

キリスト教会での、この世最後の時代には、ある説だと、キリスト教が衰退し、別宗教が世界的に爆増となると書かれた本があったと思います。(どの本なのか忘れましたが)

前回の日記に書いたような、地獄の底でも良いから死なせて欲しいと言う状態は、かなり心に深い傷をおっており、さらに、酷く重い鬱病で、自殺する意欲もでないまま、一日をすごし、そのままやせ細って、最後には餓死で死ぬクリスチャンが全世界にたくさんいるのではないかと思います。

クリスチャンだけではなく、他の宗教を信じている人でも、無信仰の人でも、大艱難時代では、様々な災いや人権侵害があり、現代の日本の年間自殺者数が3万5千人だとすれば、近未来社会では、その20倍の年間70万人が自殺する世の中になると思います。

ようするに世界規模の戦争や内戦、それに自然災害以上よりも、自殺者のほうが多くなるのではなるのが大艱難時代ではないかと思います。

だから、最近ではネットの意見を読んでみると、自殺は罪悪視するのは少数派であり、個人が自殺する自由は必要だとか、または、自殺幇助業を一つの産業にするべきで、それを合法化するべきだという意見も多々あります。たとえ健康な人でも、心に深い傷を負った人で、この世に未練が無い人のための安楽死施設を建設して欲しいと言う意見が多数あります。

パソコン通信時代なら、上記の事を言えばキチガイ扱いにされたが、現代では自殺の権利を認めるようにという意見が主流になっています。

この世、最後の時代は、善良な人は、より善良な人格者になるが、悪人はより極悪人へとなり、ある意味では人格格差とか道徳格差が極端に広がるようになると思います。

(ようするにキリスト教会でも、2005年に大阪のペンテコステ派教会で女子中学生への性的暴行事件があり、被害者の心にかなり深い傷を負わせてしまったのです。たぶん、牧師は「神様の無限の赦しがあるから、どんなに酷い罪悪を行っても自分は天国に行ける」と本気でおもってまったく反省していないと思います。「無限の赦し」を間違えて解釈すれば、取り返しがつかない悲劇がおきるのです!)

大艱難時代は、死ぬ意欲がなくなるほど、ひどいうつ病になって餓死する人が激増するのではないかと思います。別の言い方すれば孤独死とか路上死などが日常茶飯事になると思います。

暗い話しになると思いますが、10年前と現代と比較すると、ネットの世界でも、口うるさい批判をする人がいても、基本的人権を否定する人はいなかったですが、最近のSNSでは、基本的人権を否定するのが人気者になるのです。

また、精神科などは、10年前なら平日はガラガラにすいていましたが、現在では平日でもかなり込んでいます。それだけ、心の病気になっている人もいると思います。
だから、社会そのものが次第に冷たくなり、微小なりとも徐々に、この世の終わりに近づいているのでないかと思うのです。

とにかく大艱難時代とは、自然災害とか戦争や内戦よりも、心の闇による死への誘い、すなわち、紛争や災害の被害者よりも、自殺者のほうが遥かに多いのではないかと思います。

その意味で、極限的な精神的苦痛は、自殺する意欲も失い、そのまま寝たきりになって餓死するのではないかと思います。

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全世界で一斉に集団失踪が、もし起きたら。 2億人が取り囲んだら?

ペンテコステ派の「空中に取り上げられてキリストと出会う」「正しい生活をした人が断艱難時代直前に天に取り上げられた」ということが、もし実際に起きたとしたら、

たぶん、それが教会の集会中に突然、目の前で教会員が消えるのを目撃したら、それを見ただけで半狂乱状態になると思います。礼拝堂の中で数十人が突然消えてなくなり、残されたのが、信仰心が弱い人とか、まだ求道者で信仰的に迷いがあるひとのみだったり、

逆に教会で人格者だと思われた人の家を訪問したら、誰も出てこない。一晩中電気がつけっぱなしになっている。数週間たつと郵便ポストに大量のチラシがそのまま入っている。もしかしたら突然死による孤独死ではないか思って、ドアを無理やり空けたら、誰もいない。部屋中の窓に鍵がかかっている。不可解な事件とみなされます。

さらに、一家揃って突然失踪とみなされ、何日たっても電気がつけっぱなし、当然、ガスも水道も使われないので、不信に思って家の中に入ったら、残ったのは無傷のペットがいるだけ。

強盗が入った痕跡もなく、通帳や現金も取られた様子もなく、家の中にいた人だけが突然失踪。

世界中で一斉に突然失踪したというニュースが全世界で話題となり、世界の人々はある種のパニック状態になると思います。

または、職場に6日以上無断欠勤をしたから上司が尋ねたら、ドアが閉まっており、アパートの管理人を呼び出して、予備の鍵で開けたら誰もいない。

そのような奇妙と思える失踪事件が全世界で同時に起こると、いままで生ぬるい信仰生活を送った人は、今後来る艱難時代の恐怖に怯え、まれに、将来を悲観して自殺するクリスチャンもいるかもしれません。

ある人に何度もメールを送っても返事が返ってこないなど、さまざまな不可解な状況になると思います。

当然、人工衛星を使った捜索活動をしたり、警察官が集団失踪した人たちが暮らせる場所をあちこちさがしまわっても、全世界から失踪者が誰一人みつからない。

地上に残されたクリスチャンは、これを大艱難の前触れと言う人もいれば、あくまでも自分たちの教派の教えに固執して、不可解な集団失踪事件としてみなすだけで、いつもどおりに日曜礼拝を行うかもしれません。

もし大部分のキリスト教会から人格者がいなくなれば、目を見張るように礼拝出席者が減少しだし、必然的にキリスト教が衰退すると思います。

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大艱難時代の最後には、ハルマゲドンの戦い。イスラエル包囲されるが、包囲する軍隊が2億人とは・・・!

現代のイスラエル共和国の周辺国の人口が2億人ですが、発展途上国のみが人口増加しておりますので、近い将来は3億人以上になると思います。

イスラエル共和国の面積は、およそ20,770km²という狭い国土の周囲に2億人の軍隊が駐留するのは現代の科学力では不可能です。さらにイスラエルと敵対するのがアラブ諸国なので先進国の最先端技術を使うことはできません。

南北には470kmの長さですから、普通に計算したら、周囲に極超高層ビルの高さの城壁で2億人が収容できる建ものでない限りイスラエルを包囲できないと思います。要するに、小松左京のSF小説「物体O」のような、成層圏に達する巨大な城壁で取り囲まなければ、2億人もの兵士を収容できないと思います。

極論を言えば、物体Oみたいに何の前触れもなく突然イスラエルを取り囲めば、海外と一切交流や貿易できなくなり、当然、食料不足に陥り、ハルマゲドンの戦い以前に、半年以内で全てのユダヤ人が餓死するのではないかと思います。

ただ餓死するのを待つようなユダヤ人ではないので、対応策として、原子爆弾で巨大な城壁を破壊するのではないかと思います。

現代の科学力では、一夜にしてイスラエル共和国を取り囲む城壁を作ることは無理であり、未来社会で、たぶん宇宙空間・たとえば月面の裏側で秘密裏に巨大城壁を作り、超高速度のステレス状(レーダーに反応しない透明のような巨大建造物)で突然イスラエルを囲む城壁で取り囲むのではないかと思います。
(光学迷彩・人間の肉眼では見えない2億人が収容できる巨大建造物を宇宙空間のどこかで作るのです。)

(宇宙で2億人が収容できる建造物となれば、それは超巨大スペースコロニーに応用できると思います。SFの世界でも1000万人が限界なのです。)

突然、イスラエルを取り囲んだ巨大建造物が地上に落下すると、その振動でイスラエル全体に巨大地震が起きるのです。バルカン半島やエジプトに大津波と地震の被害を受けると思います。落下速度を抑えるために巨大な逆噴射すれば、逆噴射の圧力によって、強烈な突風が巻き起こり、イスラエルだけではなく、エジプトやアラビア半島にも甚大な被害がこうむるのです。

もう一つの方法は自己増殖力が強烈なナノマシーンを大量に使って一夜にして、超高層状態の城壁を作りあげるのではないかと思います。そうなるとSFの世界です。

そうでもしないと2億人の兵士をイスラエルを取り囲むことは不可能なんだと思います。

2億人は現代の日本の人口の2倍弱で、そんなに狭い場所に兵士に食料をいきわたらせるのもの想像を絶するものであり、また、そこからでる汚物によって地中海は汚染されるのです。大量のゴミも出るわけです。

繰り返し言えば、宇宙空間で2億人が居住できる巨大建造物が作るには、軌道エレベーターによる人類の宇宙進出が必要不可欠となります。軌道エレベーターはテロの標的になりやすく、破壊されれば、水爆数発分の被害となるのです。

その理由で、軌道エレベーターにしろスペースコロニーにしろ、それらが作られる時代は、遠い未来の産物だと思います。テロが一切ない完璧で強固な管理社会が必要です。

極論を言えば、数百年間戦争も内戦も戦争もテロ事件ない完璧な平和な時代が来ないと作れない。仮に近未来の社会で技術的に作ろうと思えば作れるが、全世界の安全性を考えれば、作らないと思うのです。

どう考えても現代の科学力では、イスラエルという国を2億人の兵士が取り囲む超高層状の城壁は作れない。と言う事は、ハルマゲドンの戦いは、遠い未来のことになるかもしれません。

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「人生をたのしんだか」と神様がおっしゃるほど呑気ではない!

仮にペンテコステ派の主張が正しいとしたら、

キリストの再降臨までに、99.99パーセントのクリスチャンが、かなり酷い心的外傷や、酷く重い鬱病のまま再降臨を迎えると思います。全員に近いほどのクリスチャンが心に酷く深い傷を持ったままキリストの再降臨を迎えるのです。

地獄の底だと思えるような、非常に恐ろしい極限的な苦痛を体験をした人だと、

全部に近いほど、正気を失い、善悪の判断ができなくなり、人格が破綻する。正常な生活をすることができないままキリストの再降臨を迎えるのです。

極限的苦痛と思える環境では、発狂寸前になり、たとえ地獄に落ちても良いから死を願う気持ちのみ残るのです。

仮にペンテコステ派が言う、大艱難時代の直前に、数百万人もの熱心なクリスチャンが全世界から一斉に失踪したという事件(正しい生活をしたクリスチャンが天に取り上げられる現象が実際に起きたら)があれば、それは、地上に残された多くのクリスチャンにとって『死刑判決』を言い渡されたようなものです。

今後7年半の期間が、地獄の底でさえも生ぬるいとおもえるほど、7年半が7億年に感じるほど時間が長く感じる

苦しみが強烈だから、当然、どんなにタフな人でも正気を保つことはできないのです!

あまりの激しい苦痛のために発狂するクリスチャンもいると思います。

もし、この世最後の世界の惨状を見ることができたら、あまりの恐ろしさで、発狂寸前になり、どんなに「頑固なほど他人に冷たい人」でも、温厚で優しい人になるのではないかと思います。

だから、呑気に「人生を楽しんだか」と神様はおっしゃらないと思います。

これらは仮にペンテコステ派が正しければの話であります。





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秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大が、もしクリスチャンなら・・?

キリスト教では信仰をもつことによって、完全に神様から裁かれない。激しい憤りを感じるような残虐な犯罪行為でされも(無限の赦し)によって赦されると、伝統的プロテスタント教会では教えられています。(?)

仮に秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大が、犯行前にクリスチャンになったら、彼は神様から裁かれず、死刑になったら、そのまま天国に行けるのだろうかと疑問に思います。

逆に、加藤被告によって殺害された人は、たぶん大きな確率でノンクリスチャンですから、自動的に地獄に堕ちたと言う事になるのではないかと考えられます。(ノンクリスチャンの救いは別の機会で。)

殺されたほうが地獄に堕ちて、殺人をした人間が天国に行くとは、とても不条理だと思います。

個人的な考えですが、行動には動機が重要であり、「国が死刑という名目で自殺幇助してくれる」とか「死刑は国が行う殺人だから自殺にはならない」という自殺の正当化という動機もあります。

クリスチャンの自殺で有名なのが細川ガラシャであり、壮絶な最後を遂げたものがあります。
また、塩狩峠でも列車の最後部の連結器が外れて、乗客を助けるために飛び降りて自らを犠牲にしたとい話は有名です。

まとめると、
自殺を正当化するのと
自殺をしざるえない状況に置かれたのでは、動機が全然違うと思います。

神様は人間の心の底を読んでおられ、強烈な邪悪な邪念によって無差別殺人をすれば、信仰そのものが無効になるのではないかと思いますが、なかなか聖書には疑問に答える聖句がみつかりません。

たとえばルターの奴隷的意思論では、人間は自らの選択で善悪を判断するのではなく、神様によって、生まれつきの悪人と善人を作り、さらに、死後の世界で救われる人と滅ぶ人もきめられている。要するに自分で考えて行動して、自由意志で何かを選択しているようでも、実際は神様によって操られているという神学的な仮説(?)です。個人の自由意志は存在しないと言うことです。

それによると分岐時間論(無数のパラレルワールド)という物理学的な多次元論は、保守的キリスト教の教義とはかみ合わないのです。(分岐時間論とは、原子核のまわりにある電子は、一つだけど一つの場所には存在しない、無数の場所に存在しているという説です。電子一粒が無数の衝突跡があるという研究結果があります。その意味で個々人の自由意志で無限のパラレルワールドが発生すると考えられるのです。)

宇宙論を考えれば、宇宙は天地創造の時に作られ最後の審判で燃え尽きて終る。また歴史は、どんなに些細なことでも全て神様の計画になっており、個人が行う犯罪や不道徳も神様の計画のひとつと考えるほうが単純なのです。

伝統的キリスト教会に、もし改宗した加藤智広が、無差別殺傷事件で裁判員に「情状の酌量の余地一切なし。被告を死刑と処す。」という判決がでれば、加藤被告にとって自殺ではなく、国によって殺される。また、神様は無限の罪を購い赦してくれる御方だから、首に縄をかけられて落とされた瞬間に天国に行ける望みが達成できるわけです。


もしクリスチャンの加藤智大と同じ考えをもつクリスチャンがいれば、細川ガラシャと正反対の人格変貌を遂げ、温厚で優しい性格が、怒りやすく嫉妬深く、他人には冷たく自分以外の人間には無関心という人格になると思います。ようするにクリスチャンになることで、良い人になる必要はないと思えば、気が楽になる人もいると思います。

良い人になるには、自分の話した言葉や態度や行いをいちいち気にしなければならないです。だから、神様が無限の罪の赦しがあると確信したら、人を傷つけたのではないかと不安になる心理状態から解放されるです。

好きになれない人と無理して仲良くなろうと言う意欲がなくなると思います。

細川ガラシャや(塩狩峠の小説のモデルになった)長野政雄のような人格者になら無いで良いのです。

もし、細川ガラシャがルター派の宣教師によってキリスト教徒になったら、今まで通りの、とても怒りっぽい女性であり、自分勝手な性格によって、石田三成の人質になってでも生き残り、壮絶な死を迎えなかったと思います。

そこから歴史が大きく変わったと思います。

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非常に恐ろしい地獄に落ちるという脅迫という方法は正しいのか?

メアリーバクスターの著書では、たとえ善良なクリスチャンでも、完璧に正しい生活をしなければ非常に恐ろしい地獄に堕ちるという内容です。名指しで「福音派の信徒と牧師が地獄で永遠にもだえ苦しんでいる」という内容です。

ようするに聖霊の働きを認めない福音派クリスチャンを強く批判する内容です。
無宗教の一般人向けというよりも、ペンテコステ派以外のクリスチャン向けの内容になっており、他の教派のクリスチャンをペンテコステ派へ改宗させる為の書物だと思います。

たぶん既成のキリスト教会で不満(かなり強いフラストレーションを感じている)がある人には受ける内容だと思いますが、読んでみると信憑性が弱く、ほとんどが想像で描いたフィクションであり、それを事実としてとらえる人は、ほとんどいないと思います。

そんなに神様が厳格なお方なら、人類全体の罪を購うためにイエスキリスト様が十字架にかかる必要は無いのではないかと思います。


たしかに、教義的に「完璧に近いほど正しい生活をしないと地獄に落ちる」と教えられても、他人に冷たい人は冷たいし、自分に利害がない人には無関心だと思います。




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80歳になってもパソコンやケータイでメールを打つ(鬱)未来

サイボーグの進化と細胞をいじることで若返て寿命を延ばすという近未来技術が、遅くても20年以内に実現確定ですが、その反面、アンドロイドとか人工知能・介護ロボット・宇宙開発などは全然進歩していないで、自分が80歳になっても、今日とおなじような生活を送っているのではないかと強い懸念があります。

ようするにケータイがあまりの超多機能化してしまい、ケータイがあればコンビニで買い物ができスイカとしても利用できる。逆に便利すぎる生活が科学技術の進歩を停滞させるので葉のではないかと懸念します。

また新自由主義社会による経済格差によって、貧困層が激増と国家破産による科学技術開発の停滞などがあり、まして、大部分が貧困層になれば、選挙で国会議員を選ぶとなれば、南米のほとんどの国ような社会民主主義政権になることを危惧する政治家と富裕層も多々おり、将来的には近代議会政治から、インターネット政治へと移行するのではないかと思います。

ある意味では直接議会政治になり、政治の素人でも、多数の意見で、不条理な法案が可決してしまい、次第に政治家不在の国家へと移行することで新自由主義体制は存続させるのではないかと思います。

政治家が法律を作る時代がいずれ終焉を向かえ、ケータイやパソコンを使える人だけが直接政治に参加でき、大部分の一般庶民が自分勝手な法律を作って、自らの首を絞める結果になるのではないかと思います。

まず日本という国は、たとえば天皇制を廃止しても、そのまま共和制になるだけで生活に大きな支障は無く、また日本銀行が潰れても、廃止してもユーロやドルという貨幣に切り替えれば良いが、自民党による新自由主義体制がなくなれば日本は自動的に消滅するということです。自民党がない日本はありえないのです!

自民党の最重要政策(政治体制)とは新自由主義経済であり、新自由主義経済が日本で崩壊すれば日本という国の存在意義がなくなるのです。

だから国会の廃止、衆議院・参議院議会の全面的廃止により、何が何でも新自由主義体制を維持するには、インターネットによる無数の個人の言論によって法律を作り、政策をつくるという新しい政治体制へ移行するのではないかと思います。

だからインターネット参政権体制になれば、日本在住で日本国籍がない外国人でも、外国人にとって都合の良い法律を勝手に作られてしまうことがあるのです。

ようするに自民党関係の政治家が新しい皇族となり、天文学的な金額が恩給として支払われるのです。
だから、自民党は政党から日本のインターネット言論統括管理委員会となることで、実質的には自民党のみの一党独裁体制が確立し、インターネットの世論で政党政治が不要だと言えば、他の政党は自動的に不合法化とみなされるのです。

自民党=政党
から
自民党=インターネットの言論統括機構へと変容する事で

政党政治が完全に廃止され自民党以外の政党は必然的に不用となり、必然的に自民党一党独裁体制が日本が滅びるまで存続するのです。

で、インターネットの言論によって、日本国憲法廃止が確定し、必然的に基本的人権が無効となり、極端な場合、100円以下の品物を万引きしただけで死刑にする法律が勝手に作られるのです。また公開死刑制度をするべきだとか、死刑囚には長時間苦痛を強いる残酷な刑罰から、さらに自分たちで自分の首をしめる、低所得者ほど税金が多く取られ、逆に高所得者には高額所得者手当てが数億円も支払われるような世の中になるのではないかと思います。

現代のままの政治体制でも、たぶん文明はほとんど発達せず、きつい労働とか満員電車に押し込められる状態が、100年後でも現代と同じ光景をのままになるのではないかと思います。

自分たちが高齢者になっても、介護ロボットから介護してもらうのではなく、未来社会の介護はロボットやアンドロイドではなく人間が介護を行うの宿命ではないかと思います。

その意味で、80歳になっても現代と同じようにキーボードで文字を打つのではないかと思います。(その前に老眼になり画面の文字がほとんど見えなくなるかと、指が思うように動かないためキーボードを叩く速度がめざましく遅くなるのではないかと思います。)

「人間の終焉」という本では、科学の進歩が人類に不幸をもたらすと書いているが
科学が全然進歩しない社会も、同じように人類に不幸をもたらすと思います。
夢も希望も無い社会は、必然的に弱体化して最終的には滅んでしまうのです。

逆に富裕層だけは、細胞を操作させて、若返らせることは20年以内に確実に実現すると思います。だから、富裕層が限りない時間の人生を送り続けると思います。

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押川春浪「一千年後の世界」は現代社会を予言した

押川春浪とは、明治時代のSF小説家で、ほとんどが未来戦記ものを描き、プライベートでは野球に夢中になっている、現代でいうオタクとは程遠い健康的なイメージがありましたが、大正3年、38歳の若さで、この世を去りました。

「千年後の世界」という小説は、現代科学でいえばどうしようもない内容なんですが、ある意味では新鮮なおもしろさがある作品だと思います。

25世紀までの世界を予測し、まず近未来の世界(1900年代から見て)では、人類は肉食が主体になり人格が肉食動物のように獰猛で好戦的になり、世界各国が戦争を続けたが、戦争はお金がかかると言う理由でバカバカしくなり、そのかわり個人どうしの争いが絶えない状態になり、ある意味では現代の、近状同士の争い、職場や学校でのいじめなどを予言したと思います。

たしかに人類が肉食を止めれば、アフリカ大陸の飢餓がなくなります。
美味しいそうにハンバーガーを食べる社会を予見したのではないかと思います。

ソ連邦(社会主義国家出現)の予言をしており、仕事を一生懸命やっても怠けている人と同じ金額の給料しかもらえないので、一生懸命働く事が馬鹿らしくなるということです。

世界各地に内戦の激増化の予言。発展途上国の大部分が内戦を経験しています。
結果的にソ連邦のような多くの民族を強力な権力で一つの国に押し付ける社会主義連邦国家が誕生して内戦が収まるが・・。

文明の発達(オートメーション・産業用ロボット)などにより、物不足が解消され多くの人が裕福になるが、経済力や資源に限界があるため、大部分が平均的な中流階級になるが、淫乱だけは限りがないため、人類の大部分が淫乱化してエログロナンセンスにより風紀が乱れるという事を予言していました。

地球温暖化の予言。(小説では資源の使いすぎで地球温暖化ではなく、巨大彗星の引力により地球の軌道がずれてしまい、世界の平均気温が急上昇してしまう。)

また、政治家が法律を作る時代が終わって、ほとんどの市民が自分勝手な法律を作るようになる。(これは、将来的には政党政治から、最終的にはインターネット利用者が次第に自分たちの価値観にあわせた法律を勝手に作るようになり、議会政治や政党そのものが消滅してしまう社会を予言したものだと思います。)

たしかに、死刑制度の厳格化というインターネットでの世論が多々あり、ある人は「絞首刑では甘すぎる!溶鉱炉に死刑囚を突き落とせ!」とか「死刑囚の身体を切り刻むべきだ」とか残酷な刑罰を求めたり、また、死刑執行が中国よりもはるかに少ないから、もっと裁判を厳格化させ、どのような理由があっても情状酌量の余地一切無しということで、たとえ正当防衛でも死刑にするなど、いちいちネットの意見を求めていたら、それこそ日本は共産主義国家よりも人権侵害が酷い国になると思います。

死刑執行件数が世界一なれば日本は立派な国になれると言うのです。

また、死刑執行をテレビで生中継しろという意見もあり、たいていの死刑執行は午前中に行われるので、ほとんどの人が会社を休んだり半日休暇をとって、死刑執行をみて、日頃のストレスを発散させるのではないかと思います。

インターネットの利用者が政治的発言をして、無数の人たちの執拗な要求により、徐々に政党の存在の意義をなくし、国会の必要性がなくなり、ある意味では近未来の政治体制は「すべての国民が直接政治に参加できる直接民主政治」へと以降するのではないかと思います。

だから、日本が原爆所持の正当化とか、自衛隊の拡大化、そして最終的には極端な軍国主義国家になるのではないかと個人的に懸念します。


最後の予言とは、25世紀には人類は獣人化となり、自らの手で近代文明を破壊させ、その500年後に巨大彗星が地球に直撃して、人類が滅びると言うところで終るのです。

で、地下に避難して生き残った人類が、いつまでも幸せな生活を送るところで物語が終るのです。

追加事項ですが、

古代から近世までの世界のほとんどの国では死刑執行は、お祭りであり、庶民の娯楽だったのです。古代ローマでは、原始キリスト教徒をコロッセオで猛獣で食い殺されるのが娯楽でした。そのほかに十字架に貼り付けにされて火やぶりにするのを見て、当時のローマの市民のストレスを発散になったと思います。

中世では、かなり激痛が伴う拷問具や長期間激痛によって死ぬ死刑の道具がさまざま開発され続け、結果的には現代文明の原点にもなりました。その意味では中世は文明の暗黒時代でありながら、残忍な拷問や死刑の技術だけは進歩し、その技術が現代にも生かされているのです。

近世のヨーロッパでは、死刑囚がギロチンで首を切り落とされるのが行われると、全ての人が仕事をそっちのけにして、死刑執行を見学に来る。一種のお祭り騒ぎになりました。

で、近代になると、民主主義とか人権の尊重、人道主義の台頭により、公開死刑が行われなくなりました。

いつの時代も目の前で凶悪犯罪者が死ぬ事を見ることで、日頃のストレスが発散されるのです。







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ディストピア小説の書き方

ハードSFで最も簡単な分野は、未来社会を悲観したディストピア小説だと思います。

前回の日記に書いた「21世紀のバベルの塔」のような、無限の富をもつものが、政界や国家を乗っ取り独善的な法律をつくり、全ての国民を地獄の底に落とすと言う内容だけなら、口うるさいSFマニアの批判を受ける事はないと思います。

有名なのがジョージオーエルの近未来小説「1984年」で、権力の本質とは何だろうかということを率直に描いた作品です。オーエルはスペイン内乱でソ連の義勇軍に苦しめられた経験があり、ソ連批判を最初に行った作家です。ソ連の政治体制を動物でたとえる「動物農場」という作品も有名です。

戦後まもない頃に出版されえて、冷戦の始まり反共主義の台頭により、たちまちベストセラーになりました。

だから「1984年」という小説は、共産党が支配する極限的な管理社会にいる主人公の日常生活を描いたものであり、結果的には狡猾な秘密警察に国家反逆罪として捕らえられ、さまざまな拷問をさせられて、最後には耐えられないほどの強烈な恐怖の連続によって洗脳させられ、共産党に対して忠誠心をもち最後には銃殺されると言う話しです。

2度ほど映画化されましたが、カラー版の映画を見ましたが、内容が退屈な感じだったと思います。

ディストピア小説として、映画作品として比較的におもしろいくかんじたのは、「未来世紀ブラジル」「華氏451」で、同じように共産化した超管理社会の状況を伝えている作品です。
なお、まだ見たことも無い、また見る気も無いのはキューブリック監督の「時計仕掛けのオレンジ」ですが、あまりの暴力的な場面が多すぎるため、目を被いたくなる作品ではないかと思います。

要するに、現代社会にはひじょうに多くの不安材料が多々ありすぎて、SFの分野で最も簡単な分野、SF小説の初心者が書くものはディストピア小説ではないかと思います。
(お役所の超怠慢な姿勢とか、次第に狂信的なインターネットの利用者による法律改正論などがあり、将来的には法律は政治家が作るのではなく、インターネット利用者が自分にとて都合の良いものを作るものだと思います。結果的には人権侵害が多発し、現代の数倍もの人が自殺する世の中になり、ある意味では内戦よりも人命が保障されない社会になるのです。)

民主主義とか人道主義などは、大きな富をもつものによって簡単に抹殺させられてしまうことがあり、逆に一度、共産化すれば無数の人の流血がなければ、自由を取り戻せないのです。金がある人だけが正義ということです。

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SFは現実逃避なのか? 

最近は、うまく表現ができませんが、うつ状態になれてしまったか、抗うつ剤なしでも徐々に正常な生活ができつつある状態なのか、ブログを頻繁に更新できるようになりました。

酷い気分傷害の時はブログを更新する意欲もないです。

しつこいようですが、吾妻ひでお先生の「けいおん!」批判が物議をかもしたことですが、個人的には吾妻先生は天才であり現代の萌えアニメ・SF美少女アニメの始祖だと思うのですが、吾妻先生の「現実をみるのがそんなに嫌なのか」という発言が多くのブローガーに反感を持たれたのではないかと思います。

ようするに失踪したり自殺未遂やホームレスをしたり、挙句の果てには(ちゃんと漫画の連載の仕事があるのに)アルコール中毒になって精神病院に入院する人が、「現実逃避」という意見には全然説得力がないだけではなく、逆にいま流行のアニメである「けいおん!」をネットで無名で売れない漫画家が批判したのが、多くの人に強い反感を持ったのではないかと思います。

それによってSFは現実逃避の手段だと言われ、下手すればますますSF離れ科学離れが進むのではないかと思います。逆に言えば、夢がない刹那的な若者が増加すると思います。

「けいおん!」は、一部の人にとっては今年最悪のアニメと評されているが、その反対に「けいおん!」に影響されてギターが弾けないのに楽器を買う女子高生が多くいるというほどの反響があり、ある種の社会現象になっています。(高価なAKGのヘットフォンなど買う「けいおん!」ファンもいるのです。)

若者のSF離れの原因は、一癖もあるSFマニア同士によるSF作品批判本が売れており、柳田氏の「空想科学読本」で人気がある特撮やアニメの科学考察をおもしろく解説した本を、山本弘氏が「ここがへんだよ『空想科学読本』」で柳田氏の人格否定から攻撃的な文章で反論するのは、とても陰湿だと思います。

部外者からみれば、マニア同士の無益な争いに知性は全く感じられず、SFなんて所詮現実逃避ではないかということになるのです。

その状況下で、SFマニアの吾妻先生が「現実をみるのがそんなに嫌なのか」という発言に全然説得力も無く逆に強い反感を持たれたと思います。

吾妻先生が「けいおん!」を批判しないで、むしろ「涼宮ハルヒの憂鬱」を賞賛すれば良かったと思います。そもそもSFの定義は明確ではなく個人の好みによって、その範囲が人によって異なるので、ある人はSFは夢の分野だから、たとえば「銀河鉄道999」もSFだと言う人もいれば、全然科学考証を無視しているから「スペースオペラ」とか「ファンタジー」とみなす人もいるのです。だから、へんな言い方すれば、おもしろければ多少の科学考証が間違えても良いのではないかと思うのです。

SFマニアは、おもしろいとか夢があるだけでは物足りず、徹底した科学考証とリアリティを追求するのです。

「涼宮ハルヒ」シリーズは、SFの冬の時代に突如として現れた作品であり、ある意味ではSFの可能性と発展に貢献するものだと思います。
だから、吾妻先生が「ハルヒ」を賞賛すれば良かったのです。

要するに「涼宮ハルヒ」シリーズは吾妻先生の「スクラップ学園」に似た作品であり、原作者の谷川氏によってキャラ設定を「新世紀エヴァンゲリヲン」から、ちょっとパクリ、現代風にアレンジした作品だと思います。


自分がもしSFを描くとしたら、内容が暗いディストピア小説とか、地球人が悪者であり異星人の文明を破壊させるというものしか描けないと思います。
そもそもディストピア小説はアジア大陸の北の某国の日常生活をたんたんと描けば、それだけで立派なSFになるのです。

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最近、酷い鬱(うつ)になった原因は

自分にも責任があると思いますが、7月の初めごろに、ある知人と待ち合わせをしたが、自分が時間に遅れたので、携帯電話で遅れる事を連絡しようとしたら、相手側の携帯電話が全然繋がらない、次に連絡したら電源が落とされており、それが原因で酷い鬱状態に陥りました。

そもそも、6月あたりから仕事をしていないとか、お役所仕事の人から怒鳴りつけられられたり、精神科の先生からは「もっと仕事して頑張れ」と、かなり冷遇されたので、その頃の自分は社会に強い不満を持ちイライラが極地に達しており、真夜中にその事を思い出すだけで、怒鳴り声あげたい衝動に何十回もかられました。

とくに市役所の福祉課の保健士(若い女性)から、お説教という名目で長時間も怒鳴りつけられ、自分に対して敵意と軽蔑心が感じ取られるのです!

怒鳴りつかされると殺意を感じるのです。

その関係で、7月から10月までキリスト教会に通う元気がないのです。
というか、何もする意欲も無いのです。
で、精神科では、何度も「元気がなくなった。何もする意欲が無くなった。」というと、「頑張りが足りない」「自分で病気にしている。働けば元気になる」なんていうのです。それで抗うつ剤をださないのです。それを数ヶ月も続けているのです。

社会のシステムが先進国レベルでも、そのような仕事をする人の心は第四世界・かなり劣悪だと思うのです。

精神的に危なくなるのはテレビの討論番組で、8月14日の夜に日本は核兵器を持つべきなのかという右派・左派・専門家を交えての議論を見ていたけど、結局、国を動かす公務員ほど、「日本は今すぐ原子爆弾で武装するべきだ!!!」というヒステリックな公務員がいて、ある意味、あの人「逝っちゃっている」と思います。

その公務員の人の意見だと、平和のためでなく国家の威信のため、日本が原爆を持ち核実験すれば、国際社会で一人前にされると力説しているのです!

(個人的に自衛隊の軍拡をすれば、攻撃は最大の防御論で先制攻撃で北朝鮮に戦争をするのではないかと思うのです。自分たちが原爆を落とされたから、北朝鮮の人々の上に原爆を落とせば原爆被害者の気持ちが安らぐと言うのです。それこそ狂気と思える発想です。)

医師とか公務員などは、人生一度も自殺をしたいという経験を一切したことが無い人ばかりなので、毎日が愉快でしかたないのではないのでしょうか。それに、近所の笑い声などが大きすぎるので、イライラしたり寂しさを感じます。

特に金曜と土曜の夜などは、近所の部屋は宴会状態なのが解るのです。
大声で笑ったり、叫んだり、ベランダで携帯電話で深夜の2時半まで、若い女性が大きい声でベラベラ話したりで、その時は、怒鳴りつける気力も無い状態でした。

9月の末あたりから、胸の真ん中あたりがチクチク痛く感じ、それが強い痛みになることがあり、特に横になって寝るときとか座っている時など胸が痛くなるのです。心臓も激しい運動していないのにドキドキするのです。

強いストレスが続くと、一日中何もしないで寝ているだけになり、それが連日続くと、死にたくなるような気持ちになり、さらに、宗教的には自殺は最大の罪悪だと言われても、そんなことよりも自殺をするのも個人の自由だと言う考えがでてしまい、これは不味いと思って、教会に地を張ってでも通う気持ちになりました。

一人暮らしをで、ほとんど友達がいない状態ですと、一日中話しをすることがないので、久しぶりに教会に行ったとき、人と話しを長くすると、気分はスッキリするのですが口が疲れるのです。

些細なことでネガティブな思考になり、それがちょっとした事で、酷い鬱になる場合もあるのです。で、身体にも異常を来たすのです。


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現代の視点で吾妻ひでおの漫画を読むと コミカル・ファンタジー

アマゾンで買える作品を集めましたが、当時はSF・美少女の元祖・カリスマと呼ばれていましたが、現代の視点で見れば、SFというよりもファンタジーだと思います。

そもそも前回の日記に書いたように、吾妻先生は熱心なSFファンですがハードSFは一度も描いたことは無かったと思います。むしろコミカルなファンタジーにしか見えません。もっともSFらしいのは「不条理日記」というSF小説・SF映画・SF漫画のパロディをギャク漫画にしたものだけなんです。

で、集めて最も質が高いと思うのは、(これは自分の好みですが)「オリンポスのポロン」だと思います。毒(不条理ギャク)が最もないだけあって、初めて読んだ時は、別の作家の作品だと一瞬思えたのは、絵柄が「石森章太郎」に近く毒がないギャク漫画だからです。

ようするに「オリンポスのポロン」でテレビアニメになったから、その方向で行けば、もしかしたら失踪する事は無かったと思います。

かなり古い話しになるが、1970年代当初は、石森章太郎原作の「好き好き魔女先生」とか東映動画原作の「魔法使いチャッピー」など、ある意味では美味しい仕事を貰っていたので、漫画家なら商業的に考えれば、その路線で行けばよかったのではないかと思います。

あとは、吾妻先生の作品でテレビアニメ化しそうだったのが「ぶらっとバニー」で、ただし主人公が白目なのが、キャラクター的に問題ありということでアニメ化しませんでした。吾妻先生もバニーの弟をだしてアニメ化を狙ったのですが、思ったように行かなかったのです。

ようするに吾妻ひでお先生は商業漫画家ではなく、芸術家を自負しておりますので、あまり漫画で儲けるという発想は皆無だったのではないかと思います。

最も人気があり先生も描いて楽しいと思える作品は「ななこSOS」であり、テレビアニメにもなった作品です。「オリンポスのポロン」とか「ななこSOS」のような読者うけする楽しい作品を作り続けていたら、失踪する事は無かったと思います。

コミカルなファンタジー路線で行けばよかったと思います。

最近はネットで、吾妻先生のWeb漫画日記で「けいおん!」の批判をしたら、物議を出してしまいました。これが宮崎さんや富野さんが批判したなら、叩かれないと言う意見もありますが、その通りだと思います。要するに強烈な力を持ったアニメ界の巨匠が批判したなら、反感を持たないと思うのです。それがほとんど無名に近い売れない漫画家が批判したのが、いけなかったのです。



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そもそもSFというのは、科学の進歩にともない、時代が進むに従い科学考証でボロがでてしまう分野です。だからハミルトンの「キャプテン・フィチャー」シリーズはSFの名作といわれていましたが、いま読むと全然科学考証がなっていないのです。(その意味でスペースオペラはSFではないという意見も多々あるのです。)

要するにSF作品は時代とともに劣化する消耗品みたいなものだと思いますが、それでも現代の最先端科学の知識を活用して物語を作るのは、それだけ知識がないと描けないのです。

あとは国民的人気作品である「ウルトラマン」などは、放映当時はSF特撮番組と認識されていましたが、科学考証をすると、SFでなく怪獣物だとしか認識できないです。
(ウルトラマンの最終回で、ゼットンが発した火の玉が1兆度というのは、科学的に考えれば、強烈なγ線を発するので、地球上の全生命体は一瞬で即死なんです。たんなる火の玉と言えば良かったのです。)

SFはファンタジーの一種だと思います。

ようするに下手にSF作品だと言えば、口うるさいSFマニアが厳格な科学考証を持ち出して、「空想科学読本」みたいな本で粗探しをするのですから、作者が、たとえハードSFだと思っても、「これはあくまでもファンタジー作品ですよ」と強調するのが無難です。

それでもハードSFを称する作品を描くなら、ディストピア小説(超管理社会の全体主義国家の悲惨な生活を描いた作品)で、あまりSFの小道具(ロボットとか宇宙人や超能力など)を一切出さず、未来社会の悲惨な状況を描けば良いのです。

ハードSF=ディストピア小説と考えれば良いのです。

そもそも、北○鮮と言う国そのものが現実に存在するディストピア社会なのです。

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異性を罵倒する言葉は「童貞」と「処女」

現代の日本ではフリーセックスを通り越し、婚前前にどれくらの異性と肉体関係を持ったかによって人間の価値観が決められる風潮があります。

異性と毎日のように性的交わりをする人は、多くの人から尊敬されるのです。それをmixiで自慢する馬鹿がたくさんいるのです。そもそもmixiは基本的人権否定と倫理観否定のSNSであり、悪質な2ちゃんねらーが、3つ以上のIDを習得するのは極当たり前の事です。

その結果、性の秩序が完璧に破壊された社会なので、結果的に少女漫画雑誌では、過激な性描写が多々あり、それを買うことが何のためらいもなく買えることが問題だと思います。ようするに、少女漫画雑誌を買えば性教育の一環になるというメリットがあるが、あくまでも性描写のみ固執しているので、ストーリーは何も無いのです。

特にネットで相手を罵倒することばで最も使われるのが「童貞」と言う言葉です。

逆に言えば男性の淫乱が、社会的に地位が高い人という誤解が多々あります。むしろ性病になったとか梅毒をもっていることを自慢するバカもいるのです。




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911同時多発テロとマイケルジャクソンの急死は未来人の仕業!?

現実の世界は無限の並行世界があり、もしかすればタイムマシーンが使える未来人によって、現代社会に影響を与える大事件たのではないか。その可能性は完全に0パーセントとは言いきれないと思います。

逆に言えば、ある説だと(全宇宙規模からみれば)人類の歴史は、まだ始まったばかりであり、1万年後でも20万年後でも人類が地球上に存在しており、そのまま科学が進歩すればタイムマシーンを発明して過去に影響を与えようと考える人たちがいると思います。

ようするに自分の価値観どおりの好ましい時代に住むためにタイムマシーンを利用するわけです。

と言う事は、アフガン戦争・イラク戦争がもし無い未来社会があったとしたら、またマイケルジャクソンが大統領になった未来世界への影響など、1万年後以降の未来の住む人にとって決して好ましくない時代に住んでおり、そのために現代にタイムスリップして、911事件とかマイケルジャクソン急死(未来人による暗殺)は未来人の仕業だと考えられるのです。

そのように考えるようになると、頭はSF脳でありるのではないかと思います。

SF脳で現代の世界情勢を考えると、アフガン戦争・イラク戦争は未来人によって引き起こされた歴史的事件であり、すでに過去の多くの歴史的事件は未来人によって何らかの影響を受けているのではないかと思います。

で、良く考えると、未来は人間の判断しだいで無限に存在するとなれば、現実とは何だろうか疑問に思うことがあります。

自分が良い未来を強く願うなら、良い未来の宇宙へと自分の意識が、それを認識し、暗黒の未来を悲観すれば、自分にとって都合の悪い未来へと意識が移動すると考えられます。そこに人間の自由意志の不思議さがあり、誤解されるかもしれないが、自分が「この世の中心」に似た世界観になるのではないかと思います。

ようするに、もし過去に賢明な選択した自分がいたとすれば、正しい判断や行動を起こした時点で、自分ではなく異世界の別人(性格や容姿がまったく同じでも別人)になるわけです。それを無限に分技するのが「自由意志」だと思います。

すなわち意識とは、無限に存在する並行宇宙を渡り歩くものだと思います。

説明するのは難しいと思いますが、怠惰というのは、意識のエントロピー(?)が高い状態だと思います。

エントロピーが高いほど、並行宇宙が発生率が低くなり、低いほど並行宇宙の発生率が高くなると考えられます。

上手に文章で表現できませんが、未来は神様によって完璧に固定されたものではなく、一つ一つの自由意志による選択の連続で、無限の未来があるということです。

その反対が運命論・宿命論であり、
全ての人の人生は無限の過去から無限の未来まで神様によって、運命が決められており、自分の思考による意思決定で行動しているように見えるが、実は全ては神様によって操られていると言う考えです。

一部のプロテスタント教会では、滅ぶ人は滅ぼされるために、この世に誕生し、救われる人は、救われるために、この世に誕生していると言うわけです。決して、自分の愚かさ弱さによって悪と滅びを刈り取るのではなく、悪を行う人は悪を行うように神さまによって創造されたという単純な思想です。

ようするに、宇宙論でも、無限の過去から無限の未来まで全宇宙は、永久不変ならわかりやすいのです。

キリスト教会ではビックバーン理論は認めておらず、天地創造は現代の科学では謎とみなす傾向があります。

タイムマシーンの発明は、ワープ航法と同じくらい難しいので、何か新しい法則が発見しない限り実用化するまで、1万年以上先になると思います。

911事件とかマイケルジャクソンの急死(未来人による暗殺)などは、未来人によって引き起こされたと言うSF的な発想できるわけです。






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吾妻ひでお先生が失踪した遠因は「ふたりと5人」という作品を書くように強要され続けたから

6月末から体調を悪化したためブログを更新できませんでした

吾妻先生ほど、自分の作品で弱音を吐く作家は珍しく、その遠因を考えたら、1972年から76年まで少年チャンピオン連載した「ふたりと5人」というギャク漫画ではないかと思います。

描きたいものが描けないというのは、作家としてかなり精神的苦痛らしいです。

個人的には「ふたりと5人」は駄作だと思うのは、その作品の記憶が全然無く、むしろ別の作家のギャク漫画「がきデカ」を少し覚えているくらいで、同じシモネタを扱う漫画でも面白さがぜんぜん違うのです。

なんというか、70年代の少年キングに連載された「おそまつくん」なども、とてもつまらなくて途中で読むのをやめるほどなんです。その作品と同じレベルだった思うので、なぜ「ふたりと5人」がこんなに人気あるのか子ども心に不思議に思いました。

吾妻先生も「ふたりと5人」に関しては、やる気なしなのです。だから、読むほうも面白く感じないのです。漫画家の場合は、ネーム(シナリオ)を出版社の編集者に送り、それを編集者が勝手に書き直したものを、漫画の原稿にするのです。

吾妻先生も何度も連載を中止してくれと懇願したが、人気がなくなったときに急に連載を中止し、その後に「みだれモコ」を描いたら、わずか6回で連載終了。

1979年に「シャン・キャット」を連載させたら、これもわずか5回で連載終了で、それ以降、すべてがマイナー誌への連載に至りました。結果的に自由に作品を描けるようになり、結果的には、当時の基準では傑作を多くつくり、吾妻先生の人気がうなぎのぼりになりました。

1980年当時には約30もの吾妻先生のファンクラブがあり、実は人気が出たことが、ファンの期待を裏切らないようにと思って、それがプレッシャーになッ他のではないかと思います。

人気がでたときには、既に仕事が嫌いになり、「ふたりと5人」を描いていた当時に、既に「うつ病」が発生したのではないかと思います。うつ病の原因は、編集者たちの過剰なプレッシャーがあり、最盛期には、多くのファンクラブができてしまって、期待を裏切らないようにと言うプレッシャーが、鬱を酷くさせ、次第に仕事に対する拒絶反応が酷くなったと思います。

というか、多くのギャク漫画家は自殺が多いのです。
最近、名前を聞かなくなったなと思う作家がいれば、たいていは自殺したということになるのです。

その意味では、最近の少女漫画の性的表現が成人向けアダルト作品よりも過激になったのは、少年誌やアダルト雑誌にはフェミニスト団体や教育団体の圧力が強く働き、まさかと思うところ、それらの団体の死角である「少女漫画」などにかなり過激な性表現を載せるのですが、実は、性表現のみだけに特質してしまい、内容が全くなくなってしまったのです。

ようするに何も考えず(頭脳を使う領域を少なくするため性表現のみ)漫画を描くほうが楽なんです。感動させる漫画は比較的に出来るが、人を笑わせる作品を作るのはとても難しいことなんです。

だから、徐々にギャク漫画という分野は無くなっていくのではないかと思います。

また漫画を描くのが好きな人は、あえてプロになろうとせず同人誌で自分が描きたい物を描く作家が増えると思います。

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死刑制度の残忍さについて

現在の日本では死刑制度の賛成率は85パーセント以上であり、ネットで下手に「死刑廃止」と言えば確実に炎上(避難轟々状態)になるのがオチです。

日本で死刑制度廃止は今世紀中には確実に無理であり、22世紀中になり社会そのものがたぶん大きく変化すると思うので、その時代まで死刑制度は確実に残ると思います。

ようするに中華人民共和国や北朝鮮でも死刑制度廃止しても、一応は民主主義国家としてみられている日本では絶対に廃止はできない死刑制度廃止なんてことがあったら大暴動は確実に起きます!

ネットを調べると、情状酌量の余地一切ない極悪非道な犯罪者ほど、拘置所生活は悲惨なものであり、死刑判決がでてから、いつ自分が死刑を執行されるか一切しらされないのです。

早い人なら1年以内に、遅い人の場合は20年以上先になるのです。

「死の恐怖」と「潜在的な罪悪感」のため、かなり重い統合失調症になる受刑者が多くおり、自分の枕元に人が立っているとか、目を覚ますと自分が殺した被害者が睨んでいるという幻覚を何十回も見て、恐怖のために叫び声をあげ、それを放置したら、食糞をしたり、自分の身体に傷を負わせたり、一晩中ブツブツ独り言を喋ったりして、昼夜が逆転してしまうのです。

受刑者の精神が拘置所内で崩壊し、結局は警察署推薦の精神病院に強制入院させられ、幻聴や幻覚などの症状が収まった時点で拘置所に戻され、元のように「死と罪悪感」という恐怖に悩み続けるのです。

また、死刑執行直前には、約70パーセントの死刑囚が馬鹿力で抵抗して暴れ周り、拘置所職員を殴ったり蹴ったり大声で怒鳴りつけたりしながら暴れ周り、刑務官10名くらいで死死刑囚を強制的に押さえつけて首に縄をかけ、落とされるのです。落とされると首に強烈な衝撃があり首の骨が折れたりします。地下にいる職員がぶらぶらした死刑囚を押さえつけ、二名以上の医師がストップウォッチで時間を計り、死亡するまでには短くても20分かかり、完全に心臓停止してからさらに15分以上所吊り下げておくのです。

よく死刑執行のビデオや本では、執行直前に教戒師(神父・牧師・お坊さんなど)に最後の祈りをささげて、親族宛てに手紙を書き、最期のタバコを吸い、目隠しされ両手に手錠をされて素直に絞首刑をされるのは、ほとんどなく、たいていの場合、死刑囚が暴れ刑務官の顔を思い切り殴ったり、蹴り罵倒するので、死刑を行うと必ず怪我人がでてくるのです。

死刑を受けるのは自分は運が悪いからということで、死刑囚には罪悪感が皆無であり、それが凶悪であればあるほど罪悪感がないのです。その罪悪感や反省の意識があれば大人しく死刑を受けるが、それがないから死刑囚が死刑直前に暴れまわるのです。

世論では、死刑の生中継をして欲しいとか、ネットで流してもらいたいとか言いますが、暴れまわる死刑囚を見せて、

そして死刑囚をおろした時に、

からだのあらゆる穴から体液や汚物がでてくるのを放映すれば、逆に死刑制度の見直し論へと変わるから、死刑執行を撮影しないと思うのです。

宮崎勤の連続幼女殺人事件を10年早く行っていたら、宮崎は今頃、釈放されて死刑を免れていると思います。

1980年に新宿バス放火事件の犯人は、軽度の統合失調症だけで一切の刑事責任を否定され不起訴で保釈されたが、その十数年後に罪悪感に悩まされ続けたために自殺しました。

個人的には、女子高生コンクリート殺人事件の犯人や関係者は全員、「情状の余地一切無し死刑確定」ということを強く望んでいたにもかかわらず、少年法があるから死刑にできない。関係者全てを死刑にしなければ、この事件は永遠に解決し無いのです!

コンクリート事件は凶悪犯罪として人類が存続する限り永遠に語り継がれるのです。

残忍な猟奇犯罪者をかばう弁護士の力が強すぎたため、犯罪被害者の遺族の人権を踏みにじみ続けたのも死刑制度存続論になるのです。


だから日本の犯罪の特徴は猟奇的で残酷な犯罪の比率が国際的にみて極めて多い。犯罪被害者遺族の悔しさが先にたつので、死刑制度存続論は今世紀中でも根強く残ると思います。



あるモルモン教の弁護士は、目の前で自分の娘や息子が殺されても、その犯罪者を弁護する。そのような人間を赦すというが、人間はか弱い存在だから、口先だけではそんなこと言えるが、そんな人間ほど教団内の些細な摩擦があれば、些細なことで傷つけた相手を憎むのではないかと思います。そのような偽善的な言い方をする人の意見は一切信用できません。


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吾妻ひでおはSFアニメの教祖なのか?

最近思うことですが、吾妻ひでおの漫画を良く読みます。
なんと吾妻ひでおの黄金時代とモルモン教の狂乱のバプテスマ(入信の強要)の時期がほとんど同じというのです。1978年から1983年までの5年間です。

また、吾妻ひでお先生のファンクラブが、大小30くらいあり、当時の本屋で漫画の立ち読みをすると、かならず吾妻ひでおの漫画をみかけるのです。吾妻先生は元祖オタクの教祖であり、DAICON3/4のオープニングにも影響を多々与え、最も影響を受けたのがGAINAXの庵野さんなんです。(現在は「カラー」というエヴァンゲリオンの映画専門の会社を設立しています。)また、吾妻先生がモルモン教の宣教師に声かけられたときに、「オーソン・スコット・ガードという作家を知らないか?」と質問したら、宣教師は「?」なので「モルモン教のSF作家だよ」とおっしゃりました。

吾妻先生の失踪・自殺未遂などがあり、もし自殺が成功したら「消えたまんが家」という本に載せられるところでした。

ようするに、1985年以降から作品には多くのファンからプレッシャーのため完璧主義になり性格が粗暴になり、ファンクラブと喧嘩したり、出版社の編集者と喧嘩したり、アルコールが入ると友人にからみつき、友達を多く失い、仕事もほとんどなくなったためアシスタントも辞めてしまいました。(ななこSOS3巻・ハヤカワ文庫版より)

そのため、アルコール中毒(ひきこもり生活)と、重いうつ病にかかり89年11月に自殺未遂。その後、ホームレスになりました。

その辺のことは「失踪日記」で詳しく書かれているので、読んでみる価値があります。

うつ病になる人は、他人には理解できない何らかの理由があり、世間的な正義感で、その人を判断できないです。人間の心理は宇宙の謎と同じくらい深いものがあるからです。

吾妻先生の作品を21世紀になって読んで見ると、SF漫画・美少女・ギャク漫画のカリスマといわれますが、SFの分野においては、社会風刺やハードSFは一切無く、むしろ現在の視点で見れば「ファンタジー」「ホラー」「スペースオペラ」をギャク漫画にしたものがほとんどです。

あえてSFらしいSFは、「不条理日記」で有名無名のSF作品のパロディをギャク漫画で表現しており、SF作品をほとんど知らない人でも笑えます。

SFというジャンルは、大部分が「ファンタジー」や「スペースオペラ」という別のジャンルに区別され、現代科学に正確な作品のみがSFであり、それ以外は別のジャンル「ファンタジー」とみなされています。

ましてSF小説を書くには、現代科学(一般性相対性理論・ホーキング博士の理論など)に熟知しなければなりません。自分ではハードSFを書いたつもりが、と学会で「トンデモ本」扱いされる場合があるからです。

話しは戻って、吾妻ひでお先生はSF作品に熟知したかたですが、先生そのものがSF(?不条理)思考なので、一般の人には理解できない行動をする。だから、お金に困って無くても、奥さんや子どもがいても、追い詰められたら逃げてしまうのです。

吾妻先生のことは吾妻先生にしか理解できず、家庭を捨てて逃げ出すなんて卑怯だというのは、それはあまりにも酷で厳格な感情論だと思います。

吾妻先生がいなければ、現代のオタクの世界観は全然違ったものになったか、もしかしたら90年代にオタク界が自然消滅したかもしれません。その意味では吾妻先生は偉大な漫画家だと思います。

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モルモン教のサマーカンファレンスが輝いたのは

1980年代のカンファレンスが輝いていたのは、みんなが真面目だからだと思うのです。
今でもモルモン教で敗北があると考えたら、真面目になって信仰生活を送る努力を一切しないで美味しいところだけいただくと思うのです。

結局、真面目にやればそれなりの見返りがくると言う考え方そのものが間違えていたと思います。人それぞれ能力や個性があり、不得手な分野にぶち当たれば、どんなに頑張っても壁を越えられないのです。

サマーカンファレンスが婚活の場となり、そして、東京神殿別館での「神殿結婚セミナー」に出ることで完全な婚活となれば、異性からみれば「しつこい」というオーラーがでてくるのです。

信仰を失った時点で、それらの楽しい思い出は虚しいものになってしまうのです。

あとは今思うけど、不真面目にやっていた活発会員もいたわけで、いかにも不真面目だという雰囲気というか、そのようなオーラーが感じ取れるのです。オーラーと言うよりも、その人の仕草や表情、喋り方、態度から、その人の雰囲気がでてくるのです。いい加減だと、信仰的なものが感じ取れないのです。その人そものもに輝きが感じられないから浮いた感じになるのです。

自分も歳をとると、伝道に出ない。そのしっぺ返しが婚活の挫折なのです。
ようするに自分の運命みたいなのが先に解れば、どんな人でも真面目にやらず美味しいところ(たのしいイベントだけでる)だけ頂くいい加減なモルモンになるわけです。

人間は未来の事を知らないから、時としては無駄骨を折ることが多々あるが、無駄骨をいかにして未来に生かすのが本来の進歩ではないかと思うのです。

キリスト教では結婚しなくても「不完全な救い」とか、原理主義者が言う「滅び」もなく、信じて真面目に通い、正しい生活だけをすれば救われるのです。

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モルモン教とキリスト教の違い

モルモン教側では自ら「クリスチャン」とか「LDSのクリスチャン」「末日聖徒のクリスチャン」と呼んでいます。それは個人の自由ですから誰も迷惑にならないと思うのです。

20年前のようにモルモン教徒が「モルモン」と言わなくなったのは、中央幹部の指示もあったと思うのです。

モルモン教とキリスト教の大きな違いの一つは、強固な組織だと思います。
ホームティチングなどは、相互訪問なのである意味では相互監視なのかもしれません。
ワード部や支部で事細かな組織が作られているのです。

あともう一つ違いが、モルモン教の神殿結婚の儀式があり、永遠の結婚の儀式を受けないと救いが完全ではないと言われております。

そこに大きな違いがあるのです。
まず、キリスト教には信仰義認の教義があり、イエスキリストを主として認めなければ、どんなに正しい生活をしても神様から義と認められないのです。(セカンドチャンスの話もあるが軌道がずれるので後ほどに)

これは個人的な考えですがキリスト教には信仰の敗北はありえないと思うのです。
一生懸命真面目に信仰していれば、どんな人でも救われるのですが、モルモン教では、不完全な救い(月の光栄の王国とか星の光栄の王国など)になるのです。

最近、「婚活」と言う言葉が流行っていますが、あーもうーも言わせないでとにかく結婚しなさいと言う圧力がモルモン教にあり、それが原因で精神的に参ってしまう場合があり、人によっては結婚生活は不能の人もいるわけで、そのような人までも一くくりに結婚をさせるようとするのは、結果的に人生の敗北者と勝利者を別ける事になるのです。

その意味で、自分が後悔したのは、モルモン教前半期に真面目なモルモンだったことで、適当にやっていれば今日のような状態はありえなかったと思うのです。

それと比較すると、キリスト教には真面目にさえやっていれば、信仰が敗北する事はありえないと思うのです。(ただしカルト化したとか、人間関係の躓きなどもあり、それでキリスト教会に通わなくなる事もありえるのは確かなのです。)

まず全然違うのは、モルモン教は努力しても人によっては無駄骨で信仰を失う、悲劇に襲われる可能性も多々あるので、だから、適当にやれば、月の光栄の王国でも入れるのではないかと思うのです。それからモルモン教を棄教すると、日本の原理主義的な人たちは「滅びの子」と脅して、信仰の自由を奪うのです。

この言い方は間違えていると思うのですが、モルモンを辞めた人を人生の敗北者扱いするのは日本型モルモン教原理主義者と同じで、意志が弱いとか「愚かさ」「弱さ」で自ら滅びを招いていると言うのです。それは人を不当に裁く事になると思うのです。

またはモルモン教会をお休みした人にも、変に頑張るようにしむけたりするのは、原理主義者に良くある傾向で、個人的には精神的未熟さを感じます。そのような未熟な人が、人を励ましたりする事もできないし逆効果になることがあるのです。

まとまりがなくなったが、別に反モルモン的な言い方をしているつもりではないが、もし、そのように受け取って不快に思ったら、申し訳ないです。

なんでもがむしゃらになって頑張り、他のモルモン教会員にも自分と同じではないと言う日本型モルモン教原理主義者が、モルモン教関係者の心を傷つけたと思うのです。配慮不足だと思うのです。

キリスト教は「仮に」全力を尽くさなくても信じることで救われるが、モルモン教では全力疾走でも挫折して敗北を味わう危険性があるのが大きな違いです。

キリスト教は信じるだけで救われるが、モルモン教は信じても全力で努力して成功しないと完全な救いを得る事ができないのです。

成功とは結婚する事です。
たとえどんなに頑張っても結婚と言う結果がでなければ救われない。だからモルモン教は恋愛至上主義に陥っていると思うのです。そこに神様の話しが無いのは当然です。





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スピチュアリティの発達がキリスト教伝道を

現在、キリスト教では三大異端問題などに囚われてしまい、最近流行のスピチュアリティ(スピチュアル)に対して無関心ではないかと思います。それが日本のキリスト教伝道の特異点だと思います。

スピチュアリティに影響されたクリスチャンもたぶんいるかもしれません。
自分が通う保守的なキリスト教会ではほとんど無いと思えるが、他の教派、特にリベラルな教会のクリスチャンが、あまりにも寛容に何事も受け入れてしまいスピチュアリティやヒューマニズム、それにニューエイジ運動など教会内に潜伏させてしまうのです。

ある意味、パソコンに入ったウィルスみたいな存在であり、教会とは無関係なら問題ないが、キリスト教と融合すると異端化する危険性が多々あります。

近年、日本伝道が虚しいと言う米国の教会の意見が多々あり、ある意味では日本という国に無関心、まして日本文化(古典芸能からアニメまで)には無知であり、そのような人たちがいきなり日本に来ても、自分が思ったものと全然違う環境を見たら、強烈なカルチャーショックを受けると思います。

米国から最近のキリスト教会に何故か宣教師が送り込まれないのは円高だけではなく、日本文化に無知で無関心であることと、それを東欧やアフリカと同じやり方でやろうとするから実を結ばないのではないかと思うのです。

日本人の文化を理解しないと日本人の国民性が理解できず、特にキーワードになるのがオウム真理教の地下鉄サリン事件で、日本人が組織化を忌み嫌う民族になった事を米国人は知らないからです。

スピチュアリティは組織化していない宗教であり、ある意味では『(内村鑑三の)無教会』に近い精神世界・自己啓発活動だと思います。

「宗教」というものを忌み嫌う民族に、「しゅうきょう」的なキリスト教が日本に入り込むことは、とても難しいことだと思います。

ある説だと潜在的クリスチャン(隠れキリスタンみたいな人たちではなく)は日本には6パーセントあり、実質的クリスチャン人口の10倍は存在しているのは、インターネットの発達による個人礼拝だと思います。あくまでも個人礼拝なので宗教活動とは思えず、別の言い方すれば「キリスト教オタク」「キリスト教シンパ」だと思います。

h ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/ownrighteousness.html

そのような人たちが、大なり小なりの組織に組み込むのが日本の伝道のあり方ではないかと思います。

人間関係がどうしてもダメだというなら、大きい教会のセルグループの活動だけ参加するのも良いのではないかと思います。

検索してどこが教会員数が多い教会なのか確認して、その教会でセルグループ(セル教会)を行っているのか調べて見るのも良いと思います。

20世紀の日本のキリスト教会では、近所の教会に行くのが当たり前でしたが、近年は教会まで30分から1時間も時間をかけて通うクリスチャンも多くなりました。

日本の主要都市の教会員が多いキリスト教会に通い、そのなかでセルグループを行っている教会に通うのがお勧めだと思います。

で、セルグループ(セル教会)とは、ひとつのキリスト教会内に「地域ごと」「世代ごと」などで幾つかのグループに別けて、月に一度くらいは活動する細分化された教会のことです。サークル活動のような感覚で気を使わずに通えるのが特徴だと思います。

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セルグループについて詳しい情報

別のグループのキリスト教界なので直接リンクできないのですが以下のURLを参考にしてください。

 h ttp://midori.church.jp/CellGroup1.htm




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モルモン教とキリスト教は全然違うということ!

このブログにかかれたことは大部分が自分の目から見た、個人的なフィルターが強いので、他の人では、また、違うように感じられると思います。

キリスト教は、よく「宗教ではない」と言われています。正確に言えば、「現世利益を求める。ご利益宗教ではない。」です。そのためか益々生活が困窮する現代社会では、むしろキリスト教には眼中が無く、スピリチュアルなど組織化していない宗教が流行っています。

なぜ組織化が嫌がるのか、それはオウム真理教など反社会的カルト宗教を忌み嫌う傾向が社会にもあり、組織化されず、本一冊でも宗教ができるスピチュアルが宗教として、キリスト教的な表現で言えば「リバイバル」状態なのです。すでに精神世界に世間は覚醒したと思うのです。

キリスト教が何故、西洋の古代社会や日本では戦国時代に急激に広まったのか?これは自分の考えですが、社会全体が殺伐としており非人道的な行為が当たり前の暗黒の世界に、キリスト教という善意の光が差し込んだのです。それで人々の良心に刺激を与え、キリスト教の福音が一気に広まったと思うのです。

現代だとキリスト教的な理想論を言っても誰も見向きしないのが現状です。
が、なぜテロがおきるのか?なにが正義なのかというグローバルな視点で考えると、聖書の知識が無いと世界情勢は理解できないのです。

モルモン教ではグローバルな視点というよりも、むしろ興味本位の神秘主義や終末論が主体になり、または、永遠の家族という目標のために、恋愛至上主義に偏る傾向があります。
モルモンというとアメリカ文化・英会話・モルモン信者同士の恋愛・信者同士の結束・たのしいイベントなど、ポジティブなイメージがありキリスト教にはない概念が多々あるのです。

では、自分がちゃんとした(?)クリスチャンを一年以上続けて感じたことは、純粋な意味での神様への愛、または畏敬の概念だけだと思います。それだけで十分すぎるほど奥が深いと思うのです。

簡単に言えば人間と神様との関係だと思います。

それにモルモン教では何となく勝ち組の宗教というイメージが強く、夫婦そろってモルモンだけではなく、一族全部がモルモンも日本でも珍しくないです。なんというかモルモン教は人を選ぶ宗教であり、「召されるものは多いけど選ばれるものは少ない」という言葉が最も的を得た言葉だと思うのです。

モルモン教を2時間で語るには、モルモン教の教義云々の説明よりも、「サタディウォーリアー(土曜の戦士)」という演劇を一回見るだけで十分モルモニズムが誰でも理解できると思うのです。

ただし、近年の組織化した宗教への嫌悪感と、一切の犠牲を必要としない完全なご利益主義などがあり、極論を言えば、スピチュアルの知識さえ吸収すれば将来に希望を持てるのです。キリスト教は現在流行のスピチュアルと正反対だと思えば良いのです。多かれ少なかれ組織化しているし、人間関係もあるし、儀式もある。聖書という唯一の正典が権威があるのです。そして献金を収めるのは教会への寄付ではなく、神様への捧げものなのです。

宗教法人だとどのようなところでも大なり小なりの他者からみれば洗脳行為と思われるようにみえるのです。

自分にはモルモニズムは無理だとトコトン思い知らされたので、仮にモルモン教信者同士の結婚があっても、鬱病では途中で挫折するのが火を見るよりも明らかなのです。






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過去は永遠に戻らない いま考えてみるとモルモン教とは

過去のモルモン教は、たしかにイベントが多くありましたが、次第に面白くなくなったのは、独身成人(青年会)の年齢では次第に自分が年長者になり話が合わなくなったからです。

まして長活発会員の姉妹たちは完全無視ですから、女らしさを感じられないようなモルモン教の道徳の基準。そもそも道徳の基準と言うのは個人個人が異なるのでそれを全員一致でみな同じ基準にすること事態が(全体)共産主義的な発想だと思います。

人それぞれ立場があり、なかなか直せない悪い習慣や趣向などもあり、周囲がその人をコントロールするほど磁石の反発作用みたいに逆効果になることが多々あります。

今の自分の状況になったのも、自分の個性否定の結果だと思います。
個性の否定、その人の価値観の否定は、結果的には悪癖しかなく結果的には、そのように育てた本人が苦労を強いられる場合があるのです。

最近、無差別殺人事件が多々あるのは、その人らしさを否定して、まったく違う個性へと強制的に改造する事で、結果的には無差別殺人犯になるのです。

第一、全ての人が全ての人に好まれる個性にしたら人間が人間ではなくなりロボットよりもロボットらしい存在になってしまい、単なる生きた機械でしかなら無いのです。

「教会の標準」というのは結果的には、その人の個性を完全に否定するので、その反動は時間がたてばたつほど、反作用が強くなると思います。


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教会公式サイトは誰のものではなく教会のものである

個人的には教会公式サイトは、やる気があり相応しい人なら誰でも良いと思います。
その意味では教会員であるなし関係ないと思います。

ひとつは、この責任を楽しく喜びを持って行えることです。その意味では技術よりも意欲が重要だと思います。

もう一つは責任者を明確化させることです。

その意味では、「○○の責任には負担となる」と考えるようですなら、その人に相応しくない責任なんだと思います。

その意味では躓きにならないように、十分気をつけるべきだと自分はそのように思います。

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モルモン教のキャンプ(?)SAキャンプ実行委員をして

今考えると完璧な闇状態だったと思うのは、自分に責任を押し付けて、独身成人の代表が頻繁に口出しすることです。次年度(1995年)の実行委員は自分とは性格が違うので、頻繁に口出しする独身成人代表に対して、怒りをあらわにして、ぶち切れました。

目立たない奉仕活動は人からはなかなか認められない。神様しか知らないものが多々ある反面、逆に言えば上記のように一生懸命やっても文句を言われること無いのでストレスを最も感じないからです。

奉仕で重要なのは喜びを持ってできるかできないかしかなく、それ以外はありえないのです。それ以外だと自己顕示欲か、それとも自分の夢をかなえるための裏心なのかしかないと思います。



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SF中毒はモルモンの影響?

1990年代は神秘主義に傾向してしまい、ファンタジーやSFなどに興味を持ち、結果的にはSF中毒になりました。で、実は宇宙開発に興味を持ち熱力学や一般性相対性理論などの知識が入り込み、さらに政治思想にも興味をもち、自分の人生で最も大きな影響を及ぼしたのが、ジョージオーゥエルの近未来小説「1984年」です。

「1984年」という映画を観て、何となくモルモン教的な共産主義支配が感じられ、そんなふうに人間を支配する事が神様のみこころなのか?と疑問に思ってから数年もの時間がかかりました。

1997年に自分の頭の中でSFバブルになりました。

結果的に知人が酷い鬱病にかかり、もともとは熱心な信者でしたが、いろいろとあり、過剰な律法主義は人間をおかしくさせると思い、自分の中に自由主義的な思想が浸透しモルモン教の戒律をある程度は破ることになりました。

モルモンなんだけどコーヒーを飲む、日曜日(安息日)には買い物をする。

さらに日曜礼拝の証会で、人前で話をすることを止めたとき(1996年5月が最後)じわじわとモルモン教信仰が弱体化し始めました。

1980年代の自分は絶対にモルモンを辞めないと考えていたが、それは、楽しい時間を過ごせる仲間がたくさんいたから。その仲間も結婚や転勤でいなくなり、まして、後輩の教会員から自分のプライドを傷つけられ続けると、過度のストレスを感じて日曜日に教会に行くのがたまにしか行かない。具体的には月に2度しか行かない。

一切の教会の奉仕を勧められても断りました。

精神的暗黒時代といえるのは、80年代にあったような喜びを感じられない。なにか虚しさを感じる。モルモン教会に通うくらいなら自分の部屋の中で好きな事をすれば良いと考え、次第に日曜日にいろんなところに遊びに行く習慣が出来てしまいました。

で、そんな状態で同時に熱心なモルモン教の女性の結婚相手を探さないといけないという矛盾がありました

とにかく今もいろんなことで悩みがあったが、当時は今以上ストレスを感じており、それが不眠や鬱の原因になったと思います。

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惑星コロブとは

モルモン教とキリスト教の大きな違いは、モルモン教の神様エロヒムが住む惑星がコロブと「高価なる真珠」に書かれています。

その意味ではモルモン教の神はある意味では有限だと誤解してしまう場合があります。
さらにモルモン教の父なる神様は、キリスト教の父なる神様とは違うのは、神様がかつては人間だった。だから人間も正しい生活をすれば神になるという教えです。

モルモン教の神様エロヒムは、もとは人間だった。惑星コロブに住んでいる。

新興宗教においても、たとえば「ラエリアン・ブームメント」のように神様は他の惑星に住んでいる宇宙人だと真剣に信じているところが、モルモン教に影響されたと考えられます。ラエリアン・ムーブメントとは。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88

公式サイト 
http://ja.rael.org/rael_content/index.php


それがモルモン教の正体であり、モルモン教では奥義として教えられているのです。
なお、その奥義はモルモン教神殿では教えていないと思います。

モルモン神殿はとても神秘的であり霊的な場所ですから、たとえモルモン教の信仰を失っても儀式の内容は言えないです。

モルモン教神殿で奥義と言えるエンダウメントを受けるには、2年間の無報酬の宣教師になるためと、それからモルモン教信者同士の結婚をすることです。それ以外でも、モルモン教会の教会員として毎週欠かさず宗教施設(ワード部・支部)の日曜礼拝に出席が7割以上であることと、ワード部の監督と面接受けて、相応しいとされた場合のみしか神殿に入ることはできません。

そのためには正直であることが第一条件であり、同時にモルモン教の神を信じることです。
面接時に必ずその人の罪を告白させられる場合もあります。正直な人は脅迫的に自分の犯した罪を告白するようになっているのです。

あとはモルモン教独特の特殊な下着(ガーメント)をどんな時でも着る事を義務つけられます。(当然、入浴とかは別ですが)

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復元イエスキリスト教会について

世田谷の成城に教会があるのが復元イエスキリスト教会です。

1998年2月1日に行ったことがあり、普通のプロテスタントの教会と全く同じです。礼拝が終わった後にコーヒーを飲み、例のインデペンデンス地方の大聖堂(神殿)の大きな写真がありました。

記憶によると日本人の牧師さんとお話しをしました。説教が英語と日本語で行われているのですが、自分が行ったときには、英語を母国語にする人が説教して、日本人の牧師が日本語に訳すと言う形です。礼拝に来る人の半分が日本人で半分がアメリカ人(白人)だったと思います。

復元イエスキリスト教会の歴史は元々はモルモン教のコピーみたいなものであり、教祖はジョセフスミス3世とジョセフ2世の妻エマスミスが始めた宗教団体で、北米を中心に信者が現在では約30万人もいる教団です。なお、近年では宗教団体名を変え「コミュニティクライスト(キリスト共同体)」となり、さらに復元教会の保守的な人々だけ数千人が「復元末日聖徒イエスキリスト教会」と名乗っているのです。

復元イエスキリスト教会は、リベラルな聖書解釈などがあり、個々人の信仰の自由を強調したため、モルモン色がなくなり、そのためジョセフスミスが書き上げた「モルモン経(モルモン書)」をほとんど使わなくなりました。

普通のプロテスタントというが、ある信者のサイトではブッタの教えも大事だというので、かなりリベラルになりすぎているのではないかと思います。それにあまり伝道活動をしないため(日本での伝道は1960年より)東京の成城と沖縄にしか支部教会がなく、日本国内の教会員もおよそ30人から50人しかいないようです。

モルモン教と大きく異なり、コーヒーやアルコールを飲んでも咎められない、什分の一献金の義務もない。

こんなに自由な宗教なら楽に続けられるので、そちらに入信すれば良いのではないかと考えますが、当時の自分としてはカルチャーショックを受けるほど、自由すぎるので距離も遠いのもあり、自分が通う教会として選ばなかったです。



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教会員生活とは

教会から離れる人は、自分が求めているものが得られない場合で離れるとか、長期に続く試練に負けてしまうなど、人によってそれぞれ違うと思います。

当然、教会から離れた人を不当に裁く権利はクリスチャンにはありません。

このブログは、メモ書き帳を一般公開形式であり極めて私的な内容ですから、社会的なことから、信仰まで統一したテーマがありません。

で、セカンドエディションというサイトに、信仰生活を中心としたブログも運営しています。

どこの教会なのか具体的にわかってしまうので、今のところはお伝えしなです。


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mixiは二つの流れが在る/神様の栄光を求める信仰

今まで散々、mixiのネガティブな内容を書き込んでいましたが、実はノンポリな人々もいるので友達同士の連絡用に使う場合もあります。

また、アマチュア無線と同じで知らない人と文字で会話するだけで十分の人もいるのです。

たしかにmixiをみると愚衆主義的な雰囲気があるのは、たいていは18歳から35歳までの青年がほとんどであり、ある意味では苦労知らずだから、厳格なことをいくらでも言えるのです。若いうちは職業をえり好みできるし、不況でも一部の人は安定した地位にいるが、実は、人間は嫉妬の塊なので、幸福そうな人を見るだけでイライラする、その人に殺意さえ感じる。
だから自分にあとでどんなに酷いしっぺ返しが着ても良いから、とにかくあいつを地獄の苦しみに落としてやりたいと念じるのです。

遇衆主義者と無思想な人とは、何処で別れるのか、嫉妬深さからだと思います。
人の不幸の話しを聴いて喜ぶ人が、けっこう過激な意見、たとえば安楽死施設を日本中に作って死にたい人に安楽な自殺の権利を強く主張するとか、ホームレスや障がい者を一人残らず、いや仕事もできない人も強制的に安楽死施設で殺す事を求める意見が多いです。

そのような過激な意見があるか、秋葉原無差別殺人事件が起きたのではないかと思います。なにもmixiだけではなく、2ちゃんねるやケータイサイトの掲示板などでも、過激な意見が多数あるのです。

そもそも日本が民主化はアメリカが強制的に行い、歴史的にまだ浅い未熟ですから、民主主義というよりも偶衆主義とか多数専制政治に陥りやすいのです。

その意味では、エリート専制政治(独裁制)のほうがマシではないかという意見があるが、良い独裁者は極少数だと思います。独裁制だと反抗勢力との血なまぐさい戦いになるので、やはり近代的な議会政治を行い、徐々に民主化を行う、それに人権について啓蒙運動をするべきだと思います。

日本が本当の民主主義国家になるにはあと40年はかかると思います。



それから、献金については日頃の感謝の気持ちを捧げる事が本来の献金のあり方だと思います。まちがえても何か仕事が上手く行くように願う気持ちで十分の一献金をするのは、不純な気持ちだと思います。

むしろ仕事に不満を持ちながら十分の一献金をしても、裏心があれば、現実としてあまり環境の改善に期待できないと思います。

神様に対する愛が必要であり、神様を皆で礼拝するために教会があり、教会とは建物ではなくクリスチャンの集まりなので、一人一人のクリスチャンが教会の一部なのです。

たしかに教会が困窮したら初めのうちは、皆が教会のためにいつもよりも多く献金する意欲が起きるが、それが、しばらく今までどおりになると、今までのやり方の献金になると思います。だから、教会のためではなく、神様への感謝の気持ちの捧げ物、純粋な気持ちで収入の一部をお返しする事だと思います。

極端な言い方すれば誰も献金しなくなれば、教会は運営できなくなります。教会が運営できるために献金を捧げるのも一理ありますが、教会は伝道者家族のものではなく神様のものですから、神様の栄光のために捧げるべきだと思います。

単純に言えば、教会員の人数が一人でも多くなれば、それだけ献金の金額が増えるのから伝道が大事ではなく、真理を伝えることで一人でも多くの人が魂が救われる事が重要なのです。

厳しい言い方すれば、ほとんどの教会員が純粋な気持ちで十分の一献金をすれば、教会が祝福されて、逆に言えば、教会員の数も増える。だから、教会から離れる人も少なくなるから必然的に日曜礼拝の出席者も増える。

教会員が増えれば、それだけ楽しいイベントも増えるので、信仰生活も活気あるものになり、若い人たちも自然と集まるようになると思います。

十分の一献金は強いられて行うものではなく、自主的に純粋な気持ちで行わないとならないと思います。

理想論になりましたが、とにかく言うのは簡単ですが行うのは難しいと思います。

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教会年報と公式サイトについて

今年も教会年報を作ることになりますが、まず初めに計画を立てて段取りから始める必要があります。

まず何を準備するのか、話し合う前にメモをしておくことです。

事前に報告をすることと、それから、原稿用紙とか原稿を送るメールアドレスを公開することも重要だと思います。年報専門のフリーメールもあっても良いのではないかと思うのは、へんに原稿内容をチェクされるのではないかという不安を払拭するために良いのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか?(教会宛のメールに集中させれば、外聞部に漏れないという安心があると思います。またはフロッピーディスクから、USBメモリーとかCD-Rに書き込むなど多くの方法があります。)

ページ作りから初め、原稿と昨年度の資料集めを行い、そして集まった原稿はワードで編集するべきではないでしょうか?

良い訳臭いが、昨年は近所のトラブルがあり(長時間継続の騒音・振動)の問題があり、
そのためにストレスを受けて、精神的にかなり不調を来たした時期でした。だから教会年
報が思い通りに行かなくなりました。

あまり細かい事を書き込む必要が無いので、とにかく、あまり目を三角にしない程度に疲れて仕事に支障を来たさない程度で良いのではないかと思います。

もう一つは「教会公式ホームページ」ですが、誤字の撲滅の必要性がありホームページ作製ソフトでも文字が小さい状態で文字入力をすると、目も疲れるし漢字語変換に気がつかないことがあるので、エディターソフトでテキスト(文字)を入力すれば、文字も大きいので漢字を誤変換を見逃すことが比較的に少なくなると思います。

ネットスケープの付属ソフト・コンポーサーというホームページ(Html言語編集)ソフトを使っているのは、機能がシンプルで市販品のソフトと違い余分な物が無いということです。

ホームページは基本的にHtml言語であり、テキスト言語を発展させたものですから、極論を言えばwindowsの付属ソフト「メモ帳」でも編集は可能ですが、文字が小さくみえるので、能率良く使えないと思います。

公式ホームページでも教会年報でも共通して最も苦労したのはレイアウトよりも、文字の誤変換です。年報ではページの節約になっていないことです。ちょっとしたことで精神的な苦痛なることがあるので、今のうちワードの使い方を調べたい使い方を熟知したいと思います。

後は意見が喰い違うことで言い争うことのないように、結論を言えば100点満点のものを作るのではなく、70点レベルのもので充分という気持ちで作らないと仕事や生活に大きな支障を来たすと思います。

目標は70点であることです。完璧主義になるとそれが原因でストレスとなり二度とやりたくなくなるので、とにかく70点、80点レベルのものができれば良いのではないかと思います。




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献金と経済状態のバランス

捧げ物(献金と奉仕)は、嫌々やるくらいなら初めからしないほうがマシです。
信仰とは喜びと平安が必要だと思います。多くのクリスチャンが、ネットを使い匿名で不満と誰にも言えない本音をぶちまける事が多々あります。

自分としてはmixiのクリスチャンコミュに入ると、多くの求道者を躓かせるような内容が多々あります。

実はクリスチャンコミュに入ると、ただ議論をすることにエネルギーを使ったり、また、ある人は、自分が所属している教会の不満をぶちまける人もいるのです。

同じクリスチャンでも、長文を読まされると時間がかかるし疲れる、意欲を失うので、Mixiの全てのキリスト教関係のコミュから抜けることにしました。

または社会的なもの政治的なコミュでも、頻繁に荒らしがあり、リタイアして今は休職中の人たちを、「社会のクズ」よばわりするので、それを無視しないで相手にするから、ある意味ではmixiは心が病んでいる人がたくさんいると思います。

で、本題に入りますが

収入の10パーセントを捧げるとは、働いただけの給料からの10パーセントを献金として支払うことです。個人的には職場からの収入だけではなく、精神障害者年金もあり、年金の10パーセントを支払うべきなのか不明です。

さらに、いままでの自分なら、モルモン的な発想があり、別のワードのイベントに出席にでることも自由であり、それによって知人を増やすことも可能でした。

では、『キリストの教会』では、クリスチャンキャンプとかYAキャンプなどは、都内からだと交通費が高額で、参加費などもあり、お金と体力に見合った祝福が無いという不安があるなら参加する必要はないと思います。参加費や交通費を自由献金に捧げるほうが賢いと思います。

モルモン的発想だと、信仰心を強化するよりも、たのしい思い出作りのためにしかならず、ある意味では、自己中心的な信仰生活だと思います。

その意味では、クリスチャンキャンプとかYAキャンプの参加は慎重に考えないとならないです。

クリスチャン生活で最も優先することは、自分が所属する教会への奉仕をすることです。

奉仕活動とは、表舞台にたち「礼拝の司会をする」とか「日曜礼拝の説教をする」または日曜学校の教師を行うとか、さらには外に出て社会奉仕活動をするのが奉仕と思われますが、地味な奉仕、極端な言い方すればゴミを拾うだけでも立派な奉仕だと思うのです。

いきなり社会で奉仕をしたいと思って、そのためにクリスチャンになる人もいましたが、なぜ、その人に対して誰もついてこないのか。それは、地道な奉仕と信頼関係の積み重ねがなければ誰も頭では良いことだと理解しても、信頼関係が積みかさらないとほとんどの人は、ついてこないと思うのです。いきなりでは社会的な奉仕活動はできないと思うのです。その人のことは見ていないようで実は鋭く見ている場合があるのです。

教会から一方的に「○○をしてください」と指名することはなく、奉仕をする機会を待つだけでは、いつまでも見学者や訪問者扱いにされる場合があります。さらに、目立つ形の奉仕とは、一番乗りの人が優先するので、結果的に言えば誰もしたがらない奉仕をするようになることもあるし、または、積極的になにをしたいかを伝道者や教会員に告げないと、いつまでたっても見学者みたいな感じになるのです。その意味で、自分が必要とされないと思ってキリスト教会から離れるのも、教会だけが悪いのではなく、その個人の自主性の不足から、疎外感を感じる場合が多々あると思います。

聖書の言葉でも小さいことに忠実なものは大きな事も任されると言われます。

だからクリスチャンも下積みと思える期間が必要だと思うのです。また、教会でリーダー的な存在にならなくても、小さい奉仕を頻繁に行い続けるなら、それが喜びになると思います。





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什分の一献金をする勇気があるだろうか!?

他のキリスト教会では什分の一献金(以下・十分の一献金)は普通に行われております。たいていのキリスト教会では個人の自由意志であり強制はしないということです。

有名な聖句では「マラキ書」に「神を試してみなさい」「恵みがくる」と書いています。

実は就職できたのは良いが、最近は正直な話、仕事が嫌になり辞めようかと考える事がたびたびあるのです。でも、良く考えれば、欠勤をしないためになるべく休みを多くするようにお願いしたのですが、最近は欠勤も多く、毎日が自分との戦いになるのです。

このような悩みがあるから、聖書を読むようになり頻繁に祈るようになった。その結果、神様を身近に感じるようになった。

以前は、「叱られることがすくなくなるように」と頻繁に祈ったら、その通りになり、一時的には改善されましたが、最近は、また仕事ができない人と組まされる。仕事の内容が大きく異なりはじめ、特に数字、暗算に弱いので、これがストレスになるのです。

教会のほうでも誠に言いにくいのですが、財政的に良くない状態であり、ある意味では危機的状態で経済的に余裕無いです。結果的には教会をより組織化させ、万が一、伝道者がいなくなっても、伝道者が社会で仕事するようになっても、教会を管理運営できるように教会員が結束力を強化しなければならないのです。

かつてはモルモン教信仰をしていたが、それが仮に10年で年収を平均で300万円なら、年間30万、10年で300万円という大金になるのです。将来的に永久にキリスト教信仰を続けられる自信があれば後悔はないが、万が一でもキリスト教信仰を失えば金銭的後悔をもう一度感じるということです。

どうやって十分の一献金を払うかはここでは書かないが、とにかく労働で得た収入の10パーセントを毎月献金すれば良いのです。

無駄な出費を抑え、金銭管理をきちんと行い、さらには自己中心的な欲望による信仰生活を慎む必要があると思います。

自己中心的な信仰生活とは、あまり意味の無い他の姉妹教会への集会の出席とか、自己満足による他教会のイベントの参加だと思います。そのような交通費があれば教会に献金すする方が自分の通っている教会のためになると考えられます。

クリスチャンの知り合いを増やしたいという気持ちがあるが、結局、これはモルモン信仰時代な発想で、自分の顔を広げても、本当の意味での友達ができなかった。むしろ、逆に嫌われたから、結果的にはモルモン教信仰を弱める事になった。(逆説に言えばキリスト教に当時から関心があったから、クリスチャンになる地盤を作った)

5月末のYAキャンプ参加は意味があるのか?ほんとうに楽しいもので友達が作れるなら良いが、それだけでなく、そんなお金があれば、自分が通う教会に献金にまわすべきなのかも知れません。

それを言えば、きりがなく、限りなく閉鎖的な状態と禁欲状態になるので、その辺を充分判断しなければならないと思います。


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他人に理解させる会話術/もう一つのブログ運営の停滞について

人間の脳は年齢が高くなるほど、劣る傾向があると言われますが、脳は筋肉と同じで使わないと衰えるのです。逆に言えば新しいことにチャレンジする精神があれば、何歳になっても気持ちが若く保てるし、人間関係も良好にすることもできるのです。

ただし、何かしらの主張をする場合、相手にくどいという感情を持たせたら、どんなに整合性があり善意がある発言でも、反感を買ってしまう場合があります。

自治会(近所同士の会合)の役員をしていたときに、同じ事を何度も繰り返し言う人がいて、どんなにバカでも身体で覚えてしまうくらい繰り返しいうのでイライラしました。結果的にはその人の主張の反感を買い、全然、協力をしなかったです。

くどい人は嫌われやすいのです。


繰り返し言うなら言葉の表現を変えてみるとか、たとえ話を使って誰でも解る解りやすい話しをするなど方法はいくらでもあると思うのです。ただ、呪文や祈りのように何度も何度も繰り返し言うと人間は神様ではないから、聴いていてイライラして、その人の意見に耳を貸さなくなるものなのです。

コミュニケーションの技術が劣るようなったなら、これは脳が老化してきていると思うのです。

では良質なコミュニケーションとは何だろうか?と考えるのですが、相手の気持ちを想像して、気配りする事だと思います。別の言い方すれば、思いやりの気持ちだと思います。
自分の状況や相手の心理を把握して、どうしたら不快感を感じさせないのか考えながら行動することは、とても頭を使うからです。

現在はテレビなど受動的に情報を受け入れる状態が高齢者の脳を働かせないから良くない影響を与え、特に映像があるものだと想像力が働かなくなるので、だから小説や読み物、ラジオを聴く事が脳に良いと思うのです。逆にパソコンなどにトライして、ネットの中高年者向けSNSやブログで自分の意見を書き込むことも重要だと思います。




また、ゲーム機が社会悪とか脳に悪影響を与えると言うのはまったくの「でたらめ」であり偏見だと思います。

それから、もう一つのブログを運営しているのですが、良い物作ろうとして画像を入れようとか、自分の内面をなるべく書き込まないように気おつけるなど、変に気を使いすぎると更新が止まってしまうのです。

なるべく画像が多いほうが、観る側も楽しいけど、更新頻度が低すぎると、どんなに名文でも、ほとんどの人が訪れなくなるのです。だからあまり気取らないで、マイナスイメージを与えない程度の内容で良いのではないかと思うのです。

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「英語は逆から学べ!」は間違えている?

この本の最後に「英語のスペル字幕を見るな」と書いていますが、実は、英語のスペルを見ないと英語が聞き取れないのです。

英語の場合は、少しだけローマ字に近い表記があり、英文を見れば、俳優の喋っている英語がある程度聞き取れるが、英語字幕がないと、ほんの僅かの英単語しか聞き取れないです。

それを何回やっても同じ事なので、ある程度英単語を読み取る聞き取る訓練は必要だと思います。

個人的には、Fから始まる単語のほうが馴染みやすいのです。

逆にEやTから始まる単語は、最も使われる文字ですが、最も発音しにくい単語が多いのです。
たとえば「イングランド」という単語は、初めの「イ」は唇を広げてというが、日本語のイとは音がぜんぜん違い、イとエの中間のような音なのです。

自分が思うには何故、学校の英語教育で発音記号を教えなかったのか?そして単語が繋がり短くなる現象をあまり教えないのか、疑問に思います。

英語だけでテレビドラマやアニメを観るなら良いですが、ドキュメンタリーなどは、初めに日本語で観て、次は英語というので、時間が2倍かかるのです。

あと英語とフランス語は同じ欧米の言語だから似ていると思ったら大間違えであり、実は、文法が全然異なる事と、覚え方が違うことです。

英語だと習ったことがある言語で、外来語で親しみある言葉が多々ありますが、フランス語はまったく習ったことない言語ですから、実はフランス語のほうが、文法を一まとめで覚えたほうが早い。スペルは難しすぎるので、文字表記は一切覚える必要はない。他のラテン語系と違い”ヘボン式”ローマ字読みができないのです。(フランス語式のローマ字表記はあるようですが)

英語の場合は英語脳を、フランス語の場合はフランス語脳を脳内に作る必要があるのです。

ストーリーが単純なアニメのDVDを観て、英文の字幕を見ながらヒヤリング力を鍛え、一日2時間続ければ良いとおもいます。

毎日、英文字幕を2時間観ないといけないのであまり能率は良くないですが。それを忍耐強く行うと

ANF英語放送を聴いた時には、意味が訳せない細かい部分は理解できないが、以前よりは発音が聞き取れるようになるのです。

日本のアニメが英語音声に吹き替えさせられているもの。これらは少し古いが、ネットにUPされる時にダウンロードして、話の内容が解っているアニメを観ながら英語に親しむのが良いと思います。

あとは1970年代の洋楽、特にオリビアニュートンジョンの歌は英語の歌詞は比較的に単純なのでなんだか中学生の時の英語のレベルで歌を聞き取る事ができると思います。


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漢字表記を止めた韓国語は語彙や表現が乏しくなった?

漢字表記を止めた韓国語は、実は活字離れが酷い状態であると言う情報があります。漢字を使わなくてもハングルだけで意味が通じるのが日本語と大きな違いであるが、逆に7割以上が漢字言葉だったのです。

欧米では初めからアルファベットの音節文字で問題なく使われた反面、複雑なスペルが英語やフランス語などでも使われているのです。むしろフランス語のほうが英語以上にスペルは難しいが、発音は短い、いや状況によって発音が短縮され繋がって話すので、発音が変化する。英語と違い単語を覚えても正確な発音はできないのです。フランス語の場合は、文法ごと覚えるほうが効果的だというのです。

英語でもフランス語に近い現象があります。

実はあまり英語で物事を考えすぎると日本語の語彙が乏しくなり、また使う単語のセンスが悪くなるので、変な印象を聞き手に与えてしまうのです。

英語は逆から学べ!」という本がありますが、言語にも宇宙があり、全世界の言語はそれを元にして、各言語に訳しているに過ぎないのです。これをユニバーサル言語といわれ、自分の言葉で置き換えるとイメージ語だと思います。

きめ細かい言語表現(表記)には、むしろ単純なローマ字やハングルよりも、複雑なスペルや漢語のほうが都合が良い場合があるのです。

日本語はどこの国の言葉とも繋がりが無い独自の言葉、特殊な言語というのは英語圏の人たちの評価であるが、実は母音5個は言語の6割もあり、動詞が後にくるのは4割なのですから別に特殊な言語ではないのです。

むしろ日本語の言語表現力の豊かさに誇りを持つべきだと思います。

韓国では漢字教育を止めたら、効率良い学習どころか、逆に語彙が乏しくなって、きめ細かな言語表現力を失った、活字離れしたと嘆く高齢者も多いのです。

結果的には活字離れを招いてしまったのです。

日本の場合はライトノベルズなどからアニメ化される作品も多々あり、むしろ活字離れから程遠い状態なのです。

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ポメラは欲しいものではなく「必需品」だろうか?

超小型ノートパソコンよりも遥かに安く、昨日はテキストファイルを打ち込むだけで起動時間は僅か2秒の「ポメラ」はぜいたく品ではなく必需品でしょうか?

日本国内での評価はかなり良いですが海外での評価はまったく聞いたことはないです。これは日本語の語彙が多いことと漢字を使うため、とても複雑でどのような言語よりもきめ細かな表現ができる日本語ではポメラは必需品になるのではないかと思います。

それに較べて英語の場合は語彙が日本語よりも少ない。だから、意味が通じればどんな表現でも言いのだろうかと思うのですが、実はネティブからジャバリッシュ(日本人の英語)を聞くと、簡略化された古い英語に聞こえるらしいです。

そもそも中学や高校の英語を現代のネイティブはほとんど使っていないです。日本語にたとえると古文に近い言葉使い。または、日本の学校英語教育の英文は文語体になるのです。

まず日本語は文章の順序が目茶目茶でも何とか意味が通じるが、英語は文章の順序が正確ではないと通じないのです。

英語について詳しいことはわからないが、

日本語の場合は発音や言葉使い、さらには敬語・尊敬語などがあり、性別で言葉使いが異なるので、それが他の国の言語よりも語彙や表現が豊富な言語なのです。

そもそも日本語は特殊な言語と言われますが、母音が5個だけなのが世界の言語の主流であり、最も有名なラテン語でさえも母音が5個しか無いのです。子音も少ないのです。あまりにも子音母音と規則的だから「カナ文字」が日本で開発されたのです。(ただし平安時代の日本では母音は8個あったという説もあります。)

母音と子音が少ない言語だが、その反対に語彙が最も多いのが日本語であり、そのため質の高い文章を書くには、ポメラで入力して、パソコンで文字修正するのが読みやすいブログにできるのではないかと思います。


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肥満は集中力と持続力が落ちる

肥満は温暖化と同じくらい厄介なものはなく、温暖化は全宇宙規模、太陽の熱の放射量から、人類全体が排出した温暖化ガスまでマクロなものですが、

肥満は目に見えないほど小さなミクロの視点で考えるものであり、細胞一つ一つが「肥満になる身体を記録」と「肥満にさせるプログラムを起動」してしまったものだと考えられます。極論を言えば肥満になるように細胞規模からプログラムされたと考えても良いものです。

肥満になれば、前回の日記に書かれたように脳に糖分などの栄養が行き渡らなくなり集中力と持続力が落ちる、そして身体全体の体積が大きくなるので糖分も薄くなるため疲れやすくなるのです。

疲れた時に甘いものを食べたくなるのは、糖分には疲れを癒す物質があるからです。疲れの原因は乳酸が身体中の筋肉にあり、それが多いと疲労感を感じるが、糖分によってそれが分解されて疲れが癒されるのです。

肥満を治すには、イメージ療法しかありえず、たとえば苦痛が強く無駄骨と思わせる「婚活」が何故たのしくないのか、それは、頑張れば頑張るほど解りきった事を言われ続けて、精神を壊すほどの過剰プレッシャーによってストレスのみが戻ってくる。または、精神的ダメージとして自分の心を傷つける場合もあるのです。

細胞規模でストレス=苦痛となり、「苦痛」を取り除くために、ダイエットさせないために意志薄弱化させ、多くの誘惑に負けるように仕向けるように細胞からより肥満になるようにプログラムを組み込まされるのです。

結果的には必要以上に食事をして栄養吸収力が高くなり、そして基礎代謝が必要最小限度まで低く留められてしまうのです。

ダイエットが苦痛になるから細胞がそのストレスから逃れるためにダイエットさせないように、ダイエットが成功してもリバンドするようにプログラムされ、どんなに強靭な意志でも絶対に肥満化のプログラムには逆らえないようにできているのです。

仮にダイエットが楽しい快感になれば、ダイエットはストレスとならず、それを排斥するようにプログラムが起動しないので、思い存分、いくらでも痩せられるのです。


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肥満は病気である

最近は集中力がなくなり、パソコンの画面を見るのがめんどくさく感じることが多々あります。

これは脳に栄養(糖分)が不足になるのです。まず、好きなだけ糖分を取れば糖尿病になってしまうからです。また、自分は喫煙をまったくしないが喫煙者のほうが糖尿病になる確率が高いです。

集中力低下とは、聖書を読みつづけることが困難になり、次が祈りをするのがめんどくさくなる、でも、神様を求めたいという気持ちがあるが、それができないのです

実は個人的な考えですが、肥満になるとデメリットだけしかなく、体重が増えれば増えるほど、身体中に糖分などが使われ続け、結果的には脳への栄養もそのぶん少なくなるのです。

肥満のデメリットはそれだけではなく、酷いイビキの原因になり、脂肪が多いほど、それだけ喉の奥を圧迫させて、睡眠時の呼吸を止めてしまい、それだけ脳がやすめない。脳が疲労するのです。

脳に送る糖分が身体の体積が増えるため糖分が脳に回ってこない無呼吸になるから脳の疲れが取れない。だから集中力がなくなる、持続力がなくなるのです。

また身体が重く感じるので外出するのが億劫になるのです。

結果的には生活の質が低下を招くので、肥満は病気なのです。

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成果主義は地獄の門

昭和時代は何でもかんでも思い通りに行く時代ですが、平成だとバブルはじけてからグローバル経済、そして新自由主義(いや新共産主義・劣化共産主義という ほうが相応しい)になり、努力がむなしくなります。

昭和時代なら
たとえば一時間に50個作れるとしたら、八時間で400個作れるが、
平成時代だと 全てが機械化すると 機械の調子で その日によってばらつきがでて 予定が立てられない。
ある日は調子よいから600個作れて、ある日は調子悪いから300個までしかできない。

その300個しか作れないと半日サボったと評価され、労働時間よりも作った数で賃金を決められるのです。これを裁量性の拡大というのです。

毎日600個というノルマが課せられるのです。で、これが技術の進歩で一日700個になると、毎日700個と言うノルマになり、下手すれば毎日残業となるのです。

セールスも同じで、厳しいノルマがあると、しつっこいセールスマンを作り出す原因になり、契約から2週間以内のクリーングオフを知らないと、とんでもない借金をしなければならないのです。

昭和時代なら努力した分だけ報われる。セールスマンも努力しただけ成績が向上するが、

平成時代の場合は、社会状況が変化しているので、努力した分が必ず報われるとは限らないのです。

昭和思考のまま現代を生きたら過度のストレスで、ひどい鬱病になるのです。

そもそも人間は20代に生きた時代の常識を『世界共通の普遍的真理』と思い込むので、どうしても時代錯誤な発想をしがちなのです。時代についていけないのは、現代と過去がどのくらい違うか認知できないからです。

バブル崩壊までの時代なら、頑張れば頑張るほど面白いように年収が上がり続けるが、現代ではある人は楽して儲けて贅沢な生活ができる。ある人は頑張りすぎて全然成果がでないために最後には燃えついてしまうのです。

現代と言う時代を知らないと、どんなに頑張っても無駄骨になるのです。

まだ比較的に痩せていた時代のほうが、実は健康的な生活をしていたのです。

ひとつは、市民体育館に行って週に2回以上は運動してきたことです。
もう一つはあちこちの日帰り温泉にいけたことです。

では、なぜ現在はいけなくなったのか?

全ては何を努力したかを一切関係なく、すべて結果で評価する成果主義(どのくらいスマートになったのか理想的なスタイルになったのか)で理想を求められためだと思います。

ある人は楽して良い評価を受けられるが、自分のような智恵がない人間だと、頑張ればいつかは報われると考えることが既に負けているのです。いかにしたら楽して良い評価を受けられるかと言う考えを持つことです。

結局は、成果主義のために、頑張っても良い結果がでなければ、何もしないことになるので、それが原因で、鬱病になるのです。鬱病とは一種の「燃え尽きた状態」であり「頑張るとか努力が嫌いになるのです。」

それはダイエットにも言えると思います。
いや、ダイエットそものもが実は何処にも存在しないのです。

理性が暴走させ、前回のように糖尿病になれば一気に体重が減ると考えましたが、糖尿病になると好きなものが食べられなくなるし、目が見えなくなる足が腐るなどの最悪の状態になるのです。

それを軽々しく感情的になって言ってしまい申し訳ないです。


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肥満=鬱病 成果至上主義

昨日は、母が来て、毎回のように肥満の話をしてきたが、
これは、もう十数年前から言われ続けているので、むしろ、肥満を苦にして自殺するか、糖尿病かガンになって一気に痩せるほうが、健康な状態での肥満よりはマシだと思います。

ダイエットはありえない

本音を言えば、はやく糖尿病になって一気に体重が減ってくれる事を願うばかりです。糖尿病だと食事の量が増えても逆に痩せるから、健康を害しても痩せたほうが良いに決まっているのです。

毎回、肥り続けているとブツブツ文句を言われることに、本当にうんざりします。

なお、アメリカのように肥満に寛容な国なら、それは苦にならないし、豊富な食料があるのに、それを我慢する。豊富な食料を食べないこと事態が、犠牲になった生き物に対して失礼ではないのでしょうか?食べることの喜びが得られない、過去の人の妬みなんでしょう。

日本の社会は妬みの社会であり、幸福は限られた面積のパイを奪い合うと言うのが科学的に実証されていると思い込んでいるので、それがキチガイと思うのです。

なお、十数年前までは、肥満を食い止めるために運動をしたが、焼け石に水状態、良くて現状維持でとても運動や食事制限だけではやせられない。むしろ健康を害してこそ痩せられ、肥満を妬む声をこれ以上聴かないで済むからです。

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死者のためのバプテスマは殉教者のための

モルモン教神殿では、死者のためのバプテスマの儀式がおこなわれております。これを行うには、架空の人間ではなくかつて、この世で生きていた人たちにさえ行うものです。

批判は別にして、
ではキリスト教会ではどう解釈するべきなのか議論があり結論はつかないし教派によって解釈が異なるが、

個人的な考えを述べると

ます、原始キリスト教会ではユダヤ教やローマ帝国からの迫害があり、雄雄しく福音を伝えた人たちが、牢獄に入れられ、残酷なやりかたで処刑されました。

その人たちの意思を尊重するため、殉教した人たちが伝えた福音を信じることを告白するために「死者のためのバプテスマ」を受けるのです。

聖書には、たしかに「殉教者のための」とは書かれていません。

死者とは、処刑された人だけではなく、不幸にも迫害者とは関係ない強盗に殺された人、旅の途中で事故死した人、病死した人も福音を誰かに伝えたかったと思います。

そのような死者たち、別の言い方すれば「聖徒」たちの願いに報いるために、バプテスマを受けるのです。

原始キリスト教会の時代は、想像を絶するほど厳しい状態であり、時代が進むに従い、大部分の人たちが信仰を捨ててしまいました。クリスチャンに対する弾圧が、ますます非人間的になったからです。

おそろしくて信仰を捨てた人も大部分いたが、中には勇気ある人たちが、現在のキリスト教をもとにしたと思います。



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もしモルモン教が正しくても好きなように生きても良い

そもそもモルモン教とキリスト教の大きな違いは、昇栄という、無数の神々の一人になることです。ここがキリスト教とは教義的に大きな違いです。

全知全能の神になって、被造物をつくり、それらに崇拝されても、あまり嬉しくないです。

その点、キリスト教では必ず天国と地獄という最後の裁きの教義ががあり、悪徳に従った人とか自分に利害が無い人に冷たい人などは、地獄に落ちる。さらに最も厳しい裁きを受けるのは、キリスト教を棄教する人たちです。

これが正しいかどうか解りませんが、クリスチャンでもそれぞれ復活の栄光の輝きが人によって違うのは、

ある人は信じるだけの、なんちゃってクリスチャンになりあまり教会に通わないで正しい生活をしない人は、やっと救われた、ほとんど輝きが無い救いであり、

また正しい生活をした人には、眩しいほどの輝かしいような栄光に満ちたが復活があるのです。

誤解されると思われるが、天国にも階級があり、それは永遠に変えられないのです。

なお、自殺はそれぞれの意見があるが、かつては自殺は棄教あつかいされ、キリストを裏切る行為とみなし、聖霊に逆らう罪なので死んだら永遠に許されないと言われたが、最近の精神科の進歩により、自殺の大部分は鬱病という病気であり、ある意味では冷静な判断ができないため、ある場合によっては自殺も罪に問われないと言う考えになっています。でも、クリスチャンの自殺は周囲に強いショックを与え、ある人はそれを切欠に棄教する可能性があるのです。

棄教行為に関しても本人が悪いだけではなく教会が異常なら、それで罪に問われる事は無いと思います。


以上は自分の考えですが、その根拠は神様の愛は無限であり、神様を信頼するからこそ慈悲深いお方だと思うからです。

仮にモルモン教が正しい宗教だとしても、熱狂的に信仰しても、神々になれる人は、ほんの一部の意識が強靭な人たちだけであり、また、経済的に多くの恵みが無ければ、モルモン教の厳しい律法を厳格に守る事はとても困難です。

神になるために無理をする。そのために自分を責めてしまい、精神に異常を来たしてしまう人がいたことも事実です!

本当に永遠の地獄の苦痛を受ける人は、人類史上、わずか五本指に収まるだけで、既に一人はイスカリオテのユダと、人類初の殺人者カインだけです。もしかしたら再臨の前に、もう一人の人(モルモン教の幹部)が滅びの子になるというかなり深刻な予言もあり、さらに、福千年(千年王国)の後にサタンが開放されたときに、ゴクとマゴクの人類最後の最後の戦争のときに、一人滅びの子が出てくるのです。

五本指以内に収まる人が滅びの子となるわけです。

なお、モルモン教では煉獄(霊体の牢獄”ひとや”)という教義を信じており、死後の世界でもモルモンなる人がいれば、煉獄から開放されパラダイスに行けるのです。

最後の裁きのとき、人類の大部分が星の光栄の王国に入るが、実は「星の光栄の王国」とは、その人が最も幸福な生活ができる世界なのです。

あまりにも素晴らしい世界なので、それを見たら、何もモルモン教に通って無理して厳格な律法を守る必要は無いということです。

また、一部の活発モルモンが安易に、その棄教者のことを「滅びの子」と宣告する人もいますが何の権威によって、宣告するのでしょうか?

モルモン教では家庭の素晴らしさを宣伝するが、その実態は夫婦喧嘩が耐えない、子供もそれをみてモルモン信仰を継続する意欲を失い、自分の好きな道に進みたくなるのです。

熱心なモルモン信者の夫婦の離婚も多いのです。


そもそも、家庭で成功するモルモンは、少数派だと思います。

結論を言えば、無理をしない。自分を責めない事が重要なのです。

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女子高生の言葉になっているニュースとは

以下のニュースの文字が女子高生化しているので、ブログなどはどんなに漢字語変換があっても、どうでも良いが、公的なニュースの場合は、問題ありだと思います。

http://www.excite.co.jp/News/society/20090302/Kyodo_OT_CO2009030101000495.html

2009年3月2日 03時02分
脳の神経細胞が時を刻む 「間」の取り方解明

 スピーチに挟む効果的な「間」やスポーツでの間合いなど、日常生活で無意識に適切な間を取ることができるのは、脳の神経細胞が砂時計のように時を刻んでいるおかげ―。こんな脳の働きを丹治順・玉川大教授(脳生理学)と東北大のチームが見つけ、1日付の米科学誌電子版に発表した。脳が秒単位の時間をつくる仕組みを解明した初の成果で、時間認知に障害が出るパーキンソン病などの治療に役立つ可能性があるという。


「時を刻んでるおかげー。」女子高生が書き込んだニュースですか?笑えます。

なお、個人的にはあまり顔文字を使わないのは、顔文字を作れないのではなく、内容が軽くなった感じがするからです。

やはり文字が観やすいエディターソフト(「メモ帳」みたいなソフト)で大きくした文字で入力と修正してからブログの記事に貼り付けるべきかもしれません。

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ペンテコステ派には

現世ご利益的にペンテコステ派に関心をもったのが2004年であり、その当時は残業が多すぎる状態で、少しでも恵みが在るように願ったが、結果的には自分には合わないと思いました。

ひとつは再臨主義と過度の宣教活動があり、教会員を増やす事だけに熱心であり、何か違うと感じました。

同時に二ヶ所のペンテコステ派教会の夕方礼拝に通ったが、どちらも共通しているのは、全力をかたむけた献身と奉仕が強調されおり、あまり恵みに関しては語られず、また、思っている以上に厳しい律法主義に陥っている事です。

一つはアメリカ系のA教団、もうひとつは韓国系の有名な教団。

一時的にそちらの教団の教会に通ったが、むしろ恵みが失われ、落ちるかのように環境が悪化して、会社を退職をすることになりましたが、そもそも、会社を辞めるのが遅すぎたのです。

まず自分に合わない常に悪化の一途をたどってると思ったら、早めに辞める決断力が必要だと思います。

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しつこい要求は精神を壊してしまう

モルモン教会だけが悪いのではなく、自分の性格に重大な欠陥があるのが致命傷だと思います。

痩せるのは簡単にできるという風に考える人が多々いますが、ダイエットはかなりの意志力が必要であり、よくても現状維持が限度なのです。

別名、「おせっかいな虐待」というものでしょうか。

本人が最も望んでいる事を、あたかもその人の結果がなにもかわっていないから何も努力していないと決め付けることで、確実に燃えついてしまう現象で、まだ、それを言う相手に対して殺意があるうちは、やる気があり、現状維持になるが、殺意さえ失い自殺願望をもつようになると、どんどん体重が増加するような生活をしてしまい、努力する意欲を失うことです。これを燃え尽きた状態になるのです。

だから、過去をみるいと転職する機会があった。転職先がみつかり退職願を出したにもかかわらず、会社を辞めさせないのが、最大の欠陥だと思います。上司にも成績があり、退職者がでると給料にひびくわけです。

よくいわれるのが「彼女できたか」とか「もっとやせろとか」その二言だけで人生が崩壊したといっても過言ではないです。

なお、前回の日記は漢字誤変換が多いのは、とても悔しい気持ちで感情的になっていたからです。

もし、過去において転職をして別の会社に勤めたら、たぶん、現在のような暗黒時代は来なかったと思います。



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鬱病になったのは、数万回も同じ事をいわさせる欠陥的な性格

従順もモルモン教のように捻くれたもののみかたをすればネガティブに捉えるが、逆に言えば、一種の安心感、裏切らない、「道からそれない」ということです。

捻くれて解釈するのは、その人たちもモルモン教信仰が弱く、そのような評価をする教会員は一部であり、別の人は良い意味で捉えたが、結果的には自分も、鬱病が発病しだし、

その原因は、「結婚」と「肥満」の二つの話題しかないことです。

それを毎日のようにしつこく言われ続ければノイローゼになり、何か妄想に囚われるようになる。何事も悪く捉えるようになるのです。

結果的には、精神的に燃え尽きてしまい、この道は間違えているという核心にいたり、真理を探すためにSDA教会の土曜礼拝に通うことから始めました。

菜食主義になれば、肥満も少しは解消できるし、SDAは若い教会員も多いので、結婚できる可能性も十分ありうるのです。

自分がキリストの教会に通うようになったときに挫折を感じたのは、メーリングリストで知り合った人もバプテスマを受けたが、彼の場合は、強い孤立感がつきまとい、何か連帯感を感じられる宗教組織を求めていたと思います。

その人の自己実現には至らず、むしろ逆に、神様を憎むようになったことと、2000年の秋季の合同礼拝で、他の教会の牧師の話しがあまりにも深刻すぎて、自分の中にキリスト教に救いが無いと感じて、次第に教会に通わなくなったことです。

そして2004年の10月ごろに、ペンテコステ派はどうだろうか?いやしと恵みを強調しているから、そこに行けば寄りよくなると思ったが、逆にかえって以前よりももっと社会的に悪化した。結果的には2005年8月に会社を退職した。退職する直前はまるで地獄のようなサービス残業と、労働組合からも見放されて、これでは自分が完璧にダメになると思ったが、そのときには既に自分が立ち直れないほどダメになっていたのです。決断があまりにも遅すぎたのです!

なかなか仕事がみつからず、2007年には自殺を考えたときに、少しでも生きる気持ちがあるなら、教会に戻るべきだと言う気持ちがあり、それで、もとのようにきちんと日曜礼拝に出席するようになりました。

自分の欠陥とは、思った以上のことを言われ安すぎる。
遠慮なく重い存分言わないと胸糞悪くなるというところです。

従順も欠点なら、欠点も見方を変えれば長所にもなるが、欠陥はどう見ても致命的欠陥であり欠点なのです。

毎日のように同じ事を繰り返し言われ続ける事で、初めは反感を買う、または強い憤りを感じるうちは花で、反感や憤りを感じるのを通り越し、死んでしまいたい、消えてしまいたいという気持ちになるのです。

初めから自分が最も求めていることで解りきっている事を言われ続けると、反感や敵意、強い復讐心を抱くほど潰れるのも早いです。

だから、もし魔法があるなら、肥満解消や独身生活の終焉よりも、自分が望んでいる事を執拗に言い続ける人が同じ苦しみを受ける事を強く望みます!

いまは会社を辞めたので、そのような人と二度と会うことは無いと思うし、今後も、単なるワーキングプアだから変な期待はしないから、そんなことをしつこく言う人は二度と出ない事を強く望みます!


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ネットのモルモン擁護・反モルモンをバカにするのは活発モルモンではない!

10年以上前のモルモン教の実体と現在のモルモンでは、世帯交代などもあり、過去の事を述べるのはナンセンスであり、まして、当時活発だった人が今でも活発だとは限らないからです。

一言言わせてもらえば、従順はたいていは良い意味に捉えられるが、十数年前の活発モルモンは思考がひねくれており、従順=自我が確立していない「自立していない」「親のすねかじり」「マザコン」というように評価され、その意味では従順で、まさかモルモン教の信仰を捨てるとは思われない自分が、なぜモルモン教信仰を捨てたのかは、周囲の人の悪い意味での評価。それも80年代後半から90年代の歴代の監督でさえも、否定的に捉えたため、最も締め出すためには、奉仕の機会を与えない。また、会話の輪に入れないで浮いた感じにさせる、有志の娯楽的な活動を一切誘わない教えない。教えなくても良いから、それなら、最後まで自分が知らないようにしてくれて欲しい。孤独感を強調させたことです。

従順な故にそれが自我がない自立できないとねじれた評価をされて、そのまま数年、1990年あたりから1998年2月まで自分の気持ちの中に「モルモン教会に行きたいない」「モルモン教に行くとより孤独感を感じる」「教団の人が皆、自分のことを見下している」「モルモン教にとっては元気ない自分は敵対行為とみなす」など、

従順になればなるほど、捻じれ現象による歪が激しくなり、それが精神的ダメージ、そして、後もう少しでモルモン教の女性と結婚と言うところで、親の反対があり、モルモン教のカミに裏切られたような気持ちになり、何かが間違えていると確信しました。

前置きが長くなりましたが、
あえて結婚をしたがらない若者も多い。その反面いざというときは三ヶ月以内で確実に結婚できる自信があるから「結婚できないのではなく結婚しないだけ」で、本音を言えば、家庭不和の連鎖をこれ以上作りたくない、自分たちの世代で時代錯誤の家族主義を葬るには一生独身が言いということです。

そのような考えのモルモンの人もいえれば、反モルモンが消滅した現在、いまだにねちこく反モルモンを批判する、自称活発モルモンとは、仮想上モルモンであり現実ではお休み教会員であり、モルモン教の教義を反モルモンほど理解できていないでお休みしただけなのです。

反モルモンは一種の負け犬であり、ある意味では弱者であり、それを叩く事で、自分が彼らよりはマシな人間だと認識して優越感に浸れるのです。

活発モルモンの場合は、そんな事をする暇は無いと思うのです。

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問題解決力を強化させる方法とは。

参考になる本は、「メモをとる習慣」です。それから計画性も大事なので必要なスケジュールを作る習慣を持つことです。

どんな方向にむかってもいいから計画性をもたないと将来は暗黒になるばあが在ります。

所詮、悪魔サタンからみれば、人間はサルと大差ないような知的存在です。

サタンにとっては、人間の行動は猿の行動を見るようなものです。

逆に言えばサタンのような知能があれば、どんな問題も解決できるほど想像以上に賢いのです。

最先端の技術を受け入れる準備をするために、最新の知識を得る事が重要だと思います。

あとは、メモをとる習慣をもつことで、それにスケジュールをたてるのは、仮にできないことでも良いから、それをメモする事です。

思考力強化するたにゲーム感覚でできるソフトを使い頭を鍛える事が重要だと思います。

本来は数学などが物事を順序建てて論理的に考えるには有益なんです。でも、数学は理解させてくれる教師がいないと勉強にはならないので、結局は頭脳を鍛えるソフトが必要だと思います。

まず無理をする時、辛いと思うときはサタンの力が必ず入っているからです。逆に夢中になるときはサタンの影響はない状態です。

あまり脳に負担をかける訓練の仕方をすると、逆効果になり、頭が堅くなり認知症になる原因になるのです。認知症とは脳神経が縮小した状態。特に短期の記録を司る部分を破壊された状態です。短期記録に頼る勉強ではダメなんです。

一番悪いのが受験勉強みたいなやり方が脳神経に負担をかけるのです。

覚えていることをアウトプット(出力)させることが重要で、それがブログを書くとか、ノートにメモ書きをするなどです。インプットするのはすぐ忘れるようにできているのでそれを無理に覚えようとすると脳神経に負担がかかり、将来、認知症にしてしまう危険性が高いからです。

ゲーム感覚とアウトプット作業が脳を鍛え負担も少なく脳の思考力が高くなるのです。

将来、いろんな問題が多々あると思います。
そのとき賢く振舞わなければ試練に潰されてしまうからです。

学力や知識が人を救うのではなく、知識と賢さがあらゆる問題を解決するのです。

今後の社会教育は、問題解決能力の高さが必要です。

あとは周囲の人への配慮や気配りが賢さの基準になると思います。



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自己反省として高齢者に尊敬の念を

最近は老人による介護がある状態で、はたして長寿は幸福なのか疑問に思うし、または、認知症や高齢による精神障害(妄想・幻聴・幻覚など)の問題があります。

それを正直な話、邪魔者扱いする人もいますが、本来はそうなる前までは過去の医学だったら環境だったら長く生きられなかったと思う人ばかりなのです。医学だけが進歩して、健康な精神の持続に関する研究は今までないがしろにされて来たのです。

認知症とかは仕方ないと考えて諦めがつくのでストレスが少なく感じますが、比較的に頭がクリア、認知症ではない高齢者は口が悪いため高齢者を敬遠する人も多々いると思います。

まず、認知症なり精神障害なり、または頑固で言葉がキツイ高齢者へは、過去の時代に頑張って現代社会があるから敬意を払わないといけないと思います。

高齢者介護の仕事がたくさんある割には、すぐに辞める人も多いのが介護業界です。それには職員同士の人間関係の問題があり、ストレスを溜め込んで辞めてしまう人が多々いるわけです。

自分のように初めから負け戦したくないと思い、資格がとれても職業として選択するべきではないと考える場合もあるのです。

と言うか、しばらく就職できないのも、介護関係の資格を取ったことが大きな原因だと思うのです。また軽貨物自動車の仕事で酷いいじめに遭った。自動車をわざとぶつけるほど気が変になってしまった。立ち直るまでには時間がかかりました。

結果的には宗教的なことなど考えている暇が無い状態でした。


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身体よりも脳の劣化に気おつけよう。 

日本人の平均寿命は現在80歳ですが、実は健康寿命はこれよりも20歳低いはずです。

長く生きることが幸福ではなく、たとえ60歳代の寿命でも最後まで健康に生きることが重要なんです。

脳が老化すると、どうでも良いことに拘りを持つ場合があり、そのために町内会や自治会などの話し合いで、重要な話しが後回しにさせられる。協調性を失い孤独になる危険性があるのです。

記憶力の低下だけではなく、論理的思考力の低下があるために、どうでもよいことへの頑固なこだわりがあり、そのために、話し合いにならなくなるのです。

たとえば、自分が自治会をしていたとき、会議で話し合いをするときに、団地建て替え問題の会議に自分もでることになった。それは自分が出席できてもできなくても良いから副会長の責任だからと言っても、頭が堅い老人だと、それが気に入らないということになるのです。

「老人」ということばは、考える人と書きます。

若いときから論理的な思考ができなくなると、細かいことへの拘りを持ち相手の言い分が理解できない。そのために、次第に信頼を失い敬遠される危険性があるので、まずは、年下のひとたちに信頼をおき、いざというときに相談役になれば良いと思います。

そもそも過去の高齢者は、人生経験と知識が豊富であり、若い人から尊敬されていたが、現在は認知症とか精神障害から、頑固で融通がきかないから邪魔者扱いされる場合が多々あるのです。

まず、自分も反省しなければならないのは物事を単純に捉えていないだろうか?ステレオタイプと思える思考(全部を人括りに捕らえて考える。個性と立場いう概念がない。)になっていないだろうか。

たとえば、現代の若者は軟弱ものというが、ステレオタイプで全部の若者をそのようにみていたら確実に痛い目にあいます。

ほんとうに優しく人畜無害な若者もいえれば、凶暴性を持った若者もいるわけですし、まして、最近は若い人にアニメが流行っているから、だから若いから全員がアニメに詳しいわけでは無いのです。中にはアニメに無関心な人もいるはずです。

脳の老化の始まりは、ものごとをステレオタイプで観ることです。

次には相手の意見を聴く耳をもつことです。
自分が絶対正しいと思っても、他の人の立場や環境、感じ方もあるので、自分とは違う意見があるはずです。それが間違えている好ましくないものかもしれないが、なぜそのような意見がくるのか、相手の主張を理解しようと努力する事です。

老化すると理解力も衰えてくる場合があり、相手の意見を聞き届けられない場合があります。

思考力だけではなく、理解力の低下もありうるのです。

でも同じ70歳代でも、パソコンやデジカメなどに拒否する人と、それを上手に使いこなす人がいます。

真に失礼な意見だと思いますが、前者のほうが認知症になる確率が高いと自分は考えます。

人間の脳細胞は意外と小さいもので、加齢ともに縮小するので、知能が低下する場合が考えられるので、脳が十二分機能するためには、若いときから「論理的に思考する」習慣をもつことです。

どこに矛盾がないか確かめながら考える習慣です。

または自分の考えている事を書き込んでみることです。

なぜ新しいテクノロジーに拒絶反応を持ったり、持論を頑固に固執するのか?自分でよく吟味するべきだと思います。

このことについては、長くなるので、また別の機会にでもつづきを書きたいと思います。

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大きい政府ほど使える(機能する)政府になる

新自由主義というのは、無政府主義に近い社会で、ある意味では国家の管理を最小限度まで縮小する。

究極の公営化・競争原理が導入されないのは「空気」と「政治」だけになるのではないかと思います。

日本のように蓄えがほとんどない国の場合は、英国と正反対の事をすれば良いのです。

国ができることは何でもするという社会主義的な国家にすることです。改革の正反対の事をすればいいのです。そうすれば生活不安はなくなり、自殺者や精神障害者も減るわけです。それだけノンビリした社会なら、使える政府と国民が認め政府を信頼し、「政治」に競争原理を導入すれば、さらに使える使える政府になるわけです。

みなが細かいことでギスギスした社会では人間関係も悪くなるばかりだし、それに、孤立してしまう人も多々いるわけですし、そんな厳しい社会だと性格が悪い人間だらけになるのです。

英国では有り余るほど蓄えがあるから新自由主義政策でも持ちこたえたのです。タンス預金が有り余るほどあるとか、それに生活保護・社会保障がアメリカよりも進んでいるからです。

英国ではお金が無い収入が無くても進んだ社会保障で、生活が保障されたのです。人権思想が日本よりも進んでいるからです。

日本は既に経済大国ではなく、インドよりも貧しい人が多い貧乏国であり、そのような国が、小さな政府にしてしまったら、秩序がなくなり、犯罪や自殺が増加して使え物にならない政府となってしまうのです。

貧しい人が多い国ほど大きな政府が必要なのです。


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CPAPを使わないで寝ると目覚めが悪い

昨日の夕方から頭と身体中の筋肉が痛くインフルエンザだと思いました。風邪くすりを飲むと睡眠導入剤とは違った眠気があり、そのまま寝てしまうためCPAPをつけないで寝てしまうと目覚めた時は、頭がしばらくぼーとした感じです。

今回の風邪の場合は、食欲が出てこない。結果的にはダイエットには都合が良いのです。

あとは診療所の待ち時間が永遠と思えるほど長く感じました。それは、強い頭痛が薬をもらって飲むまで続くし体中が痛くって仕方無いのです。

まして日曜日の診療所は、大変混んでいて、2時間は待つのを覚悟しなければならないのです。

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モルモン教とキリスト教の大きな違いとは、神秘主義

現在でもモルモン教に入信するのは、神秘主義やUFO・オーパツ・超古代文明など聖書のみのキリスト教の世界とは、感覚がまったく異なることです。

キリスト教会の場合、とくに「キリストの教会」の若い人の場合は、優等生が多く、学力が高い、だから英語も日本語のような感覚で喋れるほどレベルが高いのです。だから大卒は当たり前なのです。

その意味では、思考的には人種が異なりすぎるのです。

まずモルモン教宣教師に上記のような神秘主義的な話をしても喜んで付き合ってくれるが、特に聖書研究に熱心な「キリストの教会」ではあくまでも話題は聖書のみですから、上記のことをいっても理解されないのです。

モルモン教には何でもありと考えるのが正しいと思います。

特にあまり話題とされていないUMAなど未確認生物の話しから、世界の秘密結社まで「キリストの教会」の若い人以上に熟知しているのではないかと思います。

モルモン教に改宗させるには、とにかく「ムー」という雑誌を必ず毎月購読してモルモン書よりも、そちらの本を読んだほうが良いと思います。

モルモン書はあくまでもキリストのことだけを証するだけの書物であります。なお、改宗者には二つの流れがあり、バージンハンターの男性もおり風俗嬢とちがって誰も触られていない女を狙うために改宗するのです。だから、モルモン教では顔が悪い女性ほど既婚率が高いので美人は汚らわしいものとされるのです。

この世の基準・価値観とは正反対なのです。

モルモンの男性はブス専・デブ専男性が多いので、結婚をあきらめた女性もモルモン教に入れば、ちやほやされてデートを誘われる可能性も高いと思います。



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モルモン教では結婚できる人もできなくなる?

熱心なモルモン教の信者の視点では、救われるためには同じ信仰を持った人同士の結婚しなければ救われないです。

聖書にも、極力同じ信者同士の結婚を求める箇所があるが、実際はクリスチャン同士の結婚は至難の技であり、どちらか片っ方が信仰を持っている場合があり、夫婦そろってクリスチャンは珍しいほうです。逆に言えば、一生独身でも、伴侶が未信者でも同じように天国に入れて救われるが、モルモン教ではそれをすれば、良くて「月の光栄」(地獄には落とされないで住むが完全な救いを得られない)行きになるのです。月の光栄ならモルモン教の信者でなくても、誰でもいける世界と教えられているのです。

日本のモルモン教では非婚率が、一般社会よりも高いのは、せっかく神殿結婚セミナーを開催してもそれに参加しないプライドが高い理想主義の女性が多いことがあげられます。

その意味では、かつて自分がモルモン教徒出会った予言のように、40代50代の独身者だけになる、モルモン教も高齢化の影響を受けざる絵無いのです。

なお、モルモン教の場合、女性は美人ではないほうが既婚率が高いというのは、男性はトコトン妥協するので愛がない結婚、ときめきがない、恋愛感覚も無い、ただ救いと周囲の期待にこたえるための結婚なので、ある意味では、あわれな気持ちになるのです。

それを言えば自己中心主義というが、そもそも自己中心主義とののしる人ほど、他人を奴隷のように見下しているのです。それが全体主義社会の拝呈、それに人権思想の低下を招いているのです。

そもそも、モルモン教徒でも死後の地獄にさえ落ちなければ良いので、背伸びをして神殿結婚するよりは、一般の未信者に魅力的な異性と結婚してしあわせな家庭を築いたほうが民族の存続に貢献できると思いますし、社会の平和にも貢献できます。

もともとモルモン教徒同士が結婚しても、好きでもないのに周囲の圧力でかなり妥協して結婚するよりは、ゆっくり選んで、好みと現実のバランスをとって、現実的なビジョンを持って結婚するべきだと思います。そのほうが離婚率も低いし、結婚生活も必要以上に忍耐を強いられることがないからです。

1980年代から90年代前半に改宗者が多くおり、それらは「婚活の時代」にかかれたように女性が最も結婚の理想と現実のギャップに苦しめられる世代なのです。

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強い組織は自由な言論や批判に負けない!

ソ連型共産主義がなぜ言論の自由が無いのか?それは官僚支配による天下り式で美味しい汁を吸って生きる弱い寄生虫みたいなものだからです。

だから、ソ連は大量の資源がある、高い科学力があるにもかかわらず崩壊したのです。

弱いものは批判を恐れる。

弱い組織は自由な意見交換を好まない。

なぜ日本やアメリカなどが自由に政府をボロクソに言っても、言論に屈指なのか、それだけ強い政府だからです。世論がどうなろうとも政府は潰せない。政府を潰すにはホワイトハウスみたいな政府の中枢に原爆を投下させて一瞬で蒸発させるしかないです。

それだけの強い破壊力は地球全体に大きな影響を与えるほどです!

ある評論家が、もと総理を老化が早い早死すると言っても、これが中国なら国家反逆罪ものですが、日本では犯罪になら無いのです。ようするに日本の政府は中国の政府よりも堅牢だという事です。

憲法で言論の自由は共産主義国家でもあるが、政府は世論を恐れて、報道の自由が無いのです。その意味では、長期にわたる経済不況が続けば、物不足が続けばいづれば、潜在的世論で政府は崩壊するのです。

だけど、日本やアメリカなどは、政府をどんなにボロクソに批判し、反政府組織や反体制政党をのばなししても、政権が倒れないという自信があるのです。

その意味で、モルモン教が内外の批判に屈しないのは、それだけ組織が強くなっているからです。

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モルモン教批判よりも厳しいキリスト教会批判

思ってもネットで言うバカはいない。自分の立場が危うくなる危険性があります。

モルモン教は、すでに退会しており、かなり辛らつな意見をだしても、モルモン教会側では、痛くも痒くもないのです。

キリスト教会内のことはネットにおいて秘密が鉄則です!

それができないと、どこの教会に行っても信頼されない人間になると思います。いろんな問題があるが個人の問題と同じようにあくまでもプライバシーなのです。

二つ目は、自分の視点でいう正論を言わないことです。

モルモン教では、匿名で教団内の批判などはいくらしても、結局は外国人宣教師が次から次へと若い人を連れてくる。モルモン教は明るい雰囲気だと思わせるので、ネットにおける不満や愚痴などは、新たにモルモンに接する人には悪質な嘘としか感じられません。その意味では逆に、たとえ活発なモルモンでも、ネットで監督の悪口や批判をしても、黙認されるのです。

あとは、キリスト教会で最も嫌がれるのが、良くも悪くもモルモン教との比較です。たとえ、モルモンよりも良かった。クリスチャンはモルモンと違って純粋だと評価しても、比較されることが嫌がるのです。

比較されるのは、似ているから共通点があるから、そのように思われたくないからです。とにかく比較されるのは嫌がるのです。

あとは内部事情はあまりネットには載せない事です。

でも他のクリスチャンでは、2ちゃんねるとかmixiでは、キリスト教会の内部事情を暴露しているのです。


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ブログ運営について

実はキリスト教信仰生活の個人的な日記のつもりなんですが、最も多いのがMDをmp3ファイルしたいという内容が多く、次には、「鉄腕アトム最終回」についての日記です。

実はもう一つのブログがあり、これは、もっと洗練された内容で写真入なんです。または、後には音声も載せる予定です。

最近はネットの傾向を懸念する内容が多くなり、結論を言えば今の時代は民主主義もファシズム・共産主義も否定する、愚衆主義(新自由主義待望)の時代だと思います。日本の場合、まだ民主主義が定着して60年程度であり、それも自分たちで手に入れた民主主義ではなく、日本が敗北してアメリカが勝手に押し付けたものなのです。そこが他のアジアの国々のような徐々に民主主義が芽生えて発展するのとは違うのです。

話しはもとにもどって、ネットのラジオなど音声をMDに録音するのは誰でもできるが、逆にMDからPCに録音するのは、適切なソフトを見つけないとならないです。多くのフリーソフトがあり、PCのライン入力端子とMDを接続して、それを再生させながら録音するのが最も簡単です。

光ファイバーケーブルの場合は、ダイレクトにCDラジカセ(またはミニコンポ)でCDをMDにダビングしないとならないです。

MDですとCDをレンタルしたものもあり、これがかなり古いものですが、実はMDがでたのが1990年代で、あの当時の音楽はあまりきかないです。

すっポッと、90年代が抜けて知るのが自分の状態です。
なんというか、今よりも、酷いうつ状態で何もかもが暗く感じたじだいですから、あまり楽しい思いでもないです。

逆に80年代は楽しい思い出が多いので、どうしても80年代とか、それよりも古い音楽を今でも聴くことがあります。

その意味でMDをMP3にダビングは面倒なのでやっていないです。

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インターネットでは直接民主主義は不可能!

民主主義とは最低でも100年継続しないと有権者も成熟した意見が出ないので、民主主義というよりも遇衆政治、多数専制政治となる危険性があり、結果的には賢人専制政治へと民主主義の崩壊を招きます。

では、ネットの発言はいくら声をおおきくしても、0に等しい。

やはり選挙活動をすることが大事だと思います。

選挙はお金がかかるというけど、落選してもともとなら政見放送に出るだけの価値はあります。たぶん、ただで5分間、公共の電波を使わせてもらえるのです。

選挙の政見放送は県議会選挙から参議院・衆議院まであり、または県知事選挙もあります。

選挙のポスターを作り、街頭演説で好き勝手な事を言い放題だし、政見放送でテレビにもでれるのです。

落選しても、自分の意見を公式に言えるチャンスなのです。

ネットだと、匿名性が高く、読む人が反感を感じるだけです。

では時代はファシズムを求めるようになったのか?独裁者が有能な人を人気とは関係なく選び、選ばれた人が国民のために政治を熱心にしてくれる。ましてファシズムだと結束という意味があるので、カリスマ性がある政治家が、後世に継承者が適切な運営できるシステムを作れば良いだけなのです。

そこがファシズムの長所なのです!

たしかに古代ローマでも共和制という民主的な社会が行き詰まり、だから、有能な人が皇帝になって、無能なら辞めさせるというシステムを作ったから、その後200年は繁栄を続けたのです。

いまはファシズムや民主主義でさえも否定されているので、極論を言えば人工知能に任せる技術ができるまで、なんとか現状を維持するしかないです。第三の道というものを模索する必要があります。

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新自由主義とはポルポト型超共産主義

また元に戻りますが、
新自由主義とはあるブログでは「新封建社会」とか「新封建制度」といわれ、裕福な人はより裕福になりそれが極少数の人たちが億万長者になれ、大部分の人たちは、より貧乏になるという社会です。

何を好んで、それを望むのか?論理の破綻ではないかと思います。ちょうど戦前のドイツがナチスを熱狂的に支持して戦争で地獄を見るようなものです。

まして、ヒトラーみたいな雄弁な政治家がいうのではなく名も無きネットの住民がいうだけでそれを支持するのですから、日本は戦前のドイツよりもひどいとおもいます。

新自由主義とは福祉や社会保障は甘えとみなし、それを悪であり、正義とは弱肉強食の社会、自殺幇助は社会ためになるので、自殺幇助を商売にする人が激増すると思うので、ある意味では大量虐殺が起きても仕方ないです。

新自由主義でも最も得するのがマスコミです。
各地で犯罪や、さらに溜め込んだものが一気に爆発すれば、各地に暴動が起きる。それで視聴率が上がるが、デジタル化のためテレビの普及率は先進国とは思えないほど下がるのは、デジタル化対応もできない家庭が増えるからです。

予想としてはテレビ普及率、40から20パーセントへと落ち込むのではないかと思います。

逆に言えば、民主主義の原動力である、平和的な「デモ」だけでは解決できないなら「暴動」がおきる。暴動を取り締まれば、秘密結社による政治家暗殺事件の多発化。

それを放置させれば日本はソマリアやジンバブエみたいな国になり世界から孤立する運命になるのです。

ニートなど(働きたくても働けない精神的に障害がある人などもいれて)強制労働をさせても、最終的には職場での会社員への殺人事件から集団暴動までおきる。失うものが何も無い人間ほど何をするか解らないから、それほど恐ろしいものはありません。

たしかにナチスはナチスなりの理想があったと思うが、最近のネットの情報は理想論やビジョンさえなく、ただ、差別感情や仮想的有能間に浸りたいだけで、発言の暴走へとなっているので、その意味では戦前のドイツよりも劣悪なのです。

新自由主義とはソ連型共産主義の劣化コピーであり、そのような社会ができても、各地に暴動や犯罪が激増して、秩序が保てなくなるので、長くても半年は持たないと思います。

日本で新自由主義政策を行い続ければ、東西にアメリカや中国に分割されて、日本という国家もなくなるので、ある意味ではカンボジアよりも悲惨だと思います。

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ソ連型共産主義以下の新自由主義社会による機械文明崩壊!

日本の場合、個人の所得税は北欧に近いレベルなのに福祉はかなり遅れているのです。

さらに福祉を否定を考えるとは、もし、自分が働けなくなった、突然会社を解雇されたリストラされた、再就職ができなくなった。で、住んでいるアパート家賃滞納で追い出されたら、今までの自分の考えは間違えていると思っても、すでに遅いのです。

まず、新自由主義社会が作り出す結果としてアフリカ大陸にあるジンバブエとかソマリアに滞在してみればわかります。どんなに酷い結果になったのか。または新自由主義者が大好きな北朝鮮の一般庶民の生活を体験してみればいいのです。

新自由主義の未来像とは上記の社会そのもの、いや機械文明さえも破壊するほど酷いものです。自由の名のもとの怪物なのです!

個人的には新自由主義のイメージというのは、無差別に人を刺し殺す凶悪通り魔をイメージします。

新自由主義とか福祉切り捨てなど、読んでいても面白くないので今回で終わりにします。

とにかく、日本にいるだけではなく開発途上国に行き、その庶民の暮らしを見ることが大事だと思います。

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思考が停止しているだろう?多様な発想のすすめ

人間を幸せにするにはお金持ちになることが大事だと思います。

では、どれくらいが貧乏で、どれくらいがお金持ちなのか?
自分の考えでは、金額に関係なく金銭管理ができる人が真の意味でのお金持ちであり、逆に年収600万円以上でも浪費壁があるひとは貧乏と思います。

人間、義務教育期間は全ての子ども達はある意味では、自動人形みたいなものだと思います。ストレスに対処できない逃げられないので、それが、自分よりも弱いものへのいじめになるのです。

子ども達はどうあがいても、親を変えたり学校を変えることができず、逃げる事もできないため、ストレスを受ければ、イジメに走るのです。

最近のネットでの社会的困窮者への非人道的発言も、子どものイジメと同じなのです。

いじめ自殺がおきても、いじめた本人には何一つストレスからは解放されず、また別のクラスメートなどをいじめるのです。

自分の考えですが、20年前と現代では、同じ20代・30代でも幼稚化してきていると感じるのは、信念を持たない信条も無い思想も無い。ただ感情論だけで世論を語り、その世論から出た影響で自分の首を締め付ける。

福祉の縮小は誰にも徳にはならないです。

多くの人が将来を絶望しており、だけど自殺する勇気が無い。
自殺する勇気があれば、自分で何らかのアクションを起こすのです。転職から事業を始めるなど、いろいろあると思います。政治活動もあると思います。それさえできないのは、ある意味では宿命論をしんじているのです。

幼児期から親から怒られてばかりいて、褒められた経験が無い。自分に自信が無く自分をダメ人間と否定する。

まず、人間を幸せにするにはお金が必要。

お金の話をすれば卑しいという人がいるが、それはより金儲けしたい人のでっち上げです。また「お金で人の心は買える(変える)」も真理なんです。それを不道徳とされ、安い賃金で長時間は高させるためにお金の話題をするひとは卑しいとされるのは、資本家がそれだけ労働者にはなるべく安い賃金で働いてもらいたいからです。

不満があるならお金をためてみろ!と言いたいです。

まずお金持ちのイメージを変えることが大事だと思います。
お金持ちとは高級乗用車を乗り回し、大きな家に住む人たちとおもうが、上記のように、それらは全て借金で得たものであり、万が一返せなくなれば、自己破産になるのです。

むしろ一つの事だけ豪華にして、他を犠牲にする。
事業で成功した人とか、大企業で出世した人がお金持ちではなく、自己管理の徹底できる人のみが真の意味でのお金持ちなのです。

大人になれば、子供の時と違い選択が多くなり、会社が嫌になれば他の会社に転職すればいいだけなのです。逆に言えば発想を転換させる絶好の機会でもあるのです。

日本の将来が不安なら、外国へ永住すればいいし、または、政治活動で日本を良くするために頑張る事も大事だと思います。無限の選択があるので、なにも絶望しないで、いいのです。

子供の時は操り人形のように、学校でひどいいじめがあっても自動的に学校に通わされたが、社会人になれば会社を辞める自由があるのです。

たしかに親たちは、子どもはたとえ70歳になっても、小学生みたいなものにみえるのです。立派な孫がいてもおなじですが、もう、江戸時代ではないから子どもには多くの選択の自由と自己責任を教える時代だと思うのです。

被告kは、いつまでも子どものままだから秋葉原の無差別殺人がおきたのです。ネットで暴言はくひとも子どものままなんです。








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より具体化する若者たちの声

ネットでの発言が近年、より具体化してきているのは、ある意味では絶望力の力だと思います。

政治思想の左右にこだわりをもたなくなり、むしろ感情論や社会的一般論による正義感のみに支配されているような気がします。

一昔前なら憲法改正論とか北方領土とか、さらに再軍備化(自衛隊を正式な軍隊にすること)など政治的な要素があるが、現代は政治的要素よりも良くも悪くも「政策的」要素の声が大きくなっているのです。

まず顕著なのが死刑制度の徹底化です。

さらに、自殺率の向上化、すなわち福祉の切捨てです。

まだ、ファシズムが台頭する社会のほうが将来への希望があり、良くも悪くも新しいシステムをもった社会へと方向つけられるのですが、

現在は政治活動しても、右翼とか国粋主義者では社会から異端視されるから、一つことに焦点を集中させて、それを大きな声にして社会を変えたいという気持ちがネットで増えてきているような気がします。

生活保護制度の廃止論があります。
生活保護を受ける人間は自分でそれを刈り取ったから天罰だという情け容赦ない意見もあれば、生活保護者は乱暴で昼間は働かずギャンブルをしていて暮らしているとも言うのです。

絶望の声が、さらに絶望的な社会へと変えてしまう危険性があるのです。

むかしのように北方領土を取り返せとか日本国憲法の改正など、右よりの思想では政策的に具体性が無く、自分たちの生活にも影響力があまりないのではないか。それよりもより具体的な意見を出せば良いと考えるようになったと思うのです。

まして、自殺サイトを作る人は、一部の人たちからは英雄視されます。どうすれば楽に死ねて少ない勇気で自殺できるかです。

自殺者の統計は年間3万人といわれているが実際はその10倍である可能性も指摘され、それは自殺未遂者が年間60万人もいるということで、少なくみつもっても年間10万人はいるのではないかということです。

では、なぜ良い意味、ポジティブな意見がネットででてこないのか。それは、善意による意見は全て偽善だと思われるからです。

まず、ネガティブな声で社会はドンドン悪化するだけですから、ネガティブな思考を持った人は、悪化した社会の餌食にさせられて自ら命を絶つ事を選択するのです。自分で自分の首を絞めることになるのです。

将来に対して希望を持つには人間を信用する勇気が必要だと思います。そうすれな思考もポジティブになり(悲観論からでた破壊的思考から)発展的な発想になるのです。

そのためには宗教団体への信用回復が必要だと思います。

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なぜネットで人を見下すのか。

mixiに限らず、いまの20代から30代でネットで発言する人の傾向は、ちょっと前まではネット右翼が目立っており、それは「スローガン」なので具体性がなかったが、最近は悪い意味で具体化していると思います。

1・死刑制度の徹底化 一日に4人同時に死刑にすることへの喜び
2・犯罪者への情け容赦ない厳罰化の徹底
3・福祉の切捨て
4・社会的困窮者があえて自殺を選択するようにさせる社会
5・身体障がい者や精神障がい者への偏見と差別感情
6・自分のみが正義という発想
7・善意と思えることが全て偽善にしか思えない
8・精神世界にも何の期待をしない

いまの若い人は、ほんとうに、かわいそうなんです!
もう、この世にも絶望していて、自殺する勇気がないので、だから、自分よりも立場が弱い人たちを罵倒することで、一日一日を生きながらえているのです。

そもそも、その原因は彼らの親から褒められた経験がなく、最善をつくしても、どうでもよいことを叱責させられ、ある意味では完璧主義に陥り、完璧さを求めるあまりに、自分から何も行動する勇気がないのです。

そのような若者が、昔の大学生のよう政治活動をする気にもなれず、ただ、自分よりも社会的に恵まれていない人たちを罵倒することのみしか自分を慰めるものがないのです。

まして、宗教的な教えは彼らには偽善にしか思えず、ますます、思考が捻くれるのです。

で、10年前に「完全自殺マニュアル」という本が発行されましたが、どうしたら楽にあの世に逝けるか具体的に書かれた本であり、いろんな自殺方法が書かれているのです。

説教くさいこと、または論理的な事を書き込んでも胡散臭く思われるので、省略しますが、

今の若い人の大部分は、霊の存在を信じていない。
死というものは完全な無になるか、それとも人生というゲームをリセットさせて、実は現実と思えるものは仮想空間であり、死ぬ事で本当の自分という存在へと目覚める事だというのです。

解りにくいけので、具体的言えば、
たとえば、映画「マトリックス」のような状態で、現実は全て幻であり、人工的に作られたもので、自分が死ぬと、本当の自分に戻る。自分が死んだ後に体験する事が現実であるのです。これは死後の世界の事ではなく、夢から目覚めた状態なのです。

いまの20代、30代には何も期待できないけど、少なくとも10台以下の人たちには、希望を託したいと思います。

まず、具体的には一人でも多くの10代の若者に海外留学、ホームスティを体験してもらうことです。日本の過程とは違い、親から貶されぱなしはないので、自分に自信が付くのです。そうなれば新しい事にもチャレンジする勇気が付くのです。

あとはワーキングホリディを利用して、いろんな人たちとの交流により、新しい発見をする。両者も共通しているのはカルチャーショックによって発想が大きく変わることです。

いまの若い人に最も発想を変えるには、海外での生活を少しでもさせることです。日本と全然違う環境を観る事で、日本特有の完璧主義でなくとも人間は生きていられる。または、海外での生活が親や学校からの与えられた悪影響を中和させ、発想が変われば、希望をもつことができる。そうなれば人を貶す事がバカらしく感じるのです。

インターネットの発達で全世界の事が自分の部屋の中で何もかも解っているように錯覚しているが、実は文字や画像だけでは、何もわからないと同じなのです。

海外生活を実体験する事によって、新しい発見をし、自分の視野が狭い事を痛感させ、いくらでも選択がある事を認識でき、けっして絶望と不安だけしかないと思えるからです。

オタクを批判するわけではないが、アキバという閉鎖された環境だけでは、そこにいれば視野が狭くなって思考が停止してしまい。多くの悲観論を聞くことで絶望感を感じて、まして自殺する勇気さえも、いや気力さえも出ないのです。

死ぬ勇気が無い人が選択するのが、無差別殺人を突発的に行って国が自殺を幇助すること、すなわち死刑で殺してもらう事なのです。

簡単に言えば、今の若い人は、インターネットの発達で全世界の事が全てわかっていると錯覚する。人をバカにする事で強くなった賢くなったと錯覚する。錯覚を求める事で現実逃避をくりかえす。

それをやっても、何も変わらないどころか、外国からいつかはバカにされて相手にされなくなる。

それを打開するには大きな発想の転換をすることしかないのです。

たしかに親が自分が海外へ行く事を強く反対するかもしれません。たしかに、かなり生活が不便で不自由でも安全で安定した社会生活を望む母親が多くいると思います。子離れできない母親もいますが、逆説的に安定を望めば望むほど、社会は悪化するだけなのです。

少なくとも20歳を過ぎたら大人だから、一度はどこの国でも良いから外国に行ってカルチャーショックを受ければ、人生観画大きく変わり、人生観が変わった人が増えれば増えるだけ、日本の未来に希望が持てるようになるのです。

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金属の塊が空を飛ぶのが不思議・飛行機

飛行機を見て不思議と思うのは、あの金属の塊が何故空を飛べるだろうかということです。

飛び上がる前に、ガソリンを精製したジェット燃料をより燃えやすくするために、空気を思い切り圧縮させるターボエンジンで、酸素を圧縮させて、飛び上がる時に後方に爆発をさせて、その反動で空を飛ぶのです。

むかしのレシプロエンジン4機のプロペラ機でも空を飛べましたが、現在は戦車などかなり重いものを運ぶので、ジェット機ではないと無理なのです。

なお、飛行機の近くだと鼓膜が破れるほどの大きな音がするわけです。

理想的なのは垂直離着陸、垂直発信方式なんですが、それだと重量級の飛行機よりも多くの燃料や酸素が必要で、飛び上がる時にはすごい騒音が出るわけです。

では、飛行船を使えば良いのではないかというアイデアもありますが、速度が遅すぎるのが欠点なのです。

軽自動車でも論理的にはターボエンジンで普通車なみの性能にすることが可能ですが、自動車業界では自主規制で64馬力以上はださないようにしているのです。

なおターボエンジンだと燃費が悪いため、最近はあまりはやらないらしいです。それに車両価格が高くなるからです。

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簡単に派遣村・もと派遣社員を批判するな!

いま笑っている人はいずれ泣く時代が必ずやって来る!

それがハイパーインフレなのか、再度株の暴落なのか、それとも第二次関東大震災や東海地震なのか。国際紛争もある。

社会的困窮者を笑っている人たちよ。いい気になるな!

で、たしかに派遣社員とは、けっこう面倒なんです。
仕事を休むにしても、派遣先と派遣会社に連絡するので二度手間。日雇い労働も、場所と時間を知らされても、どんな仕事をさせられるか解らない。

まして、正社員になるチャンスがあっても、今よりは責任が重くなる割には給料は派遣社員と同じくらいしかもらえない。厚生保険や雇用保険など積み立ててもらえるかが保証が無い。正社員になると賃金は逆に安くなる割には仕事が以前よりもきつくなる。これでは、多くの人が仕事をえり好みをするのは当然です。

ただ、個人的には、仕事は毎日のことですから、辛い仕事に付いたら死にたくなるほどゆうつな気持ちになる。それなら仕事をしないで、自分が我慢できるものが来るのを待つしかないです。

それを甘えとして批判されます。

逆に言えば、もと派遣社員が甘えつづけると、パートやアルバイトで生活している人には正社員になるチャンスが増えるのです。

たとえ給料が安くても休日が少なくても、正社員で社会的に安定した地位をえるか、それとも、足元がふらついた状態だけど、とにかく自由気ままな生活が良いのかは、その人の自由なので、派遣村を批判するのはちょっとおかしいです。だれも正社員になる事を義務つけられていないからです。

聖書の言葉でも「いま笑っている人は、悲しむようになる」と書いていますが、それは事実だと思います。ネットで実情を知らず、自分の尺度で人を裁くのは、結果的には、人の痛みが理解できない人たちであり、実際に自分もリストラに遭って、路頭に迷ったらどうにもなら無いのです。

いま安泰の人も、いつかは自分もそのようになるかもしれないということを肝に銘じるしかないです。または、同じ正社員でも上司からのパワハラで自主的にリストラさせられる人もいるわけです。

明日は我が身と思い、十分注意をするべきだと思います。

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mixiで人気者になるには、差別用語の連発

mixiも、2ちゃんねるもまったくレベルが同じですから、特に社会保障の廃止、慈善活動家を反社会的な人物とみなす。彼らの思想は「情けは人のためにならず」めざすは日本を北朝鮮みたいな国にすることだということです。

mixiで多くのコメントやマイミクを作るには、毒舌の連発をすることです。社会的に困窮している人を、自分で刈り取ったからと罵倒する。犯罪者には極刑を求める。死刑の件数を世界で最も多くすること。そして死刑囚には時間を掛けて苦しんで死ぬような方法を採用することを求めているのです。

長くなるので簡単に言うと

1・ゴミとかクズとか呼びつけること。
2・自分の立場を言わないこと。(どんな身分なのかわからないから)
3・反論するものを徹底的に罵倒すること。
4・善意に満ちた内容をバカにすること。
5・犯罪者や事故死した人を愚か者呼ばわりすること。
6・自分はさぞ偉い人のように振舞うこと。
7・社会的に優遇された人に対して、敵意むき出しの発言をすること。
8・ひとりでも多くの人が自殺する事を望む事を書き込むこと。
9・文体がふざけた内容であること。
10・やたらと顔文字とかを使うこと。
11・キチ○イとかカ○ワとかの差別用語を多用すること。
12・相手が怒らせることに熟知していること。
13・辛辣な反論されても、それに動じない態度を取れること。
14・社会に対して悲惨な状態の人をあざ笑う態度をすること。
15・乱暴な言葉使いをすること。
16・人の不幸を笑うこと。
17・高齢者や身障者の言動を笑うことです。

最低でもこれだけの事をすれば、日記一件に20以上のコメントが付くわけで、マイミク(ネット上での友達)も賛同者ができるので軽く100人はできるのです。

それがmixiの悲しい現実です。

多くの人たちは善意や温か味がある日記を期待するものですが、社会が不安が強くなればなるほど、全てのことが嘘っぽく感じ、むしろドきつい本音のみしか信じられなくなるのです。

不安のみしかない希望無き社会では、たぶん、ヤケクソになり人間らしさを捨てるのです。絶望を上記の暴言を履く事で不安を少しでも和らげようとする、かわいそうな人たちなのです。

mixiが原因でテレビ局のカメラの前で人を刺し殺してVサインをする人もいるし、人を殺してもなんにも罪悪感を感じないのは、重度のmixi脳になっているのです。テレビカメラの前で人を刺すのは、自分が英雄になった気分に浸れるのです。当然、無罪を主張するのです。

特に某在日朝鮮人を名のるものが危険な存在として警戒され、最近は、生活保護問題とか、身体・精神障がい者問題のコミュニティを問題人物を追い出し、そして真面目に討議できる人のみしか参加できないようにして、部外者には掲示板が読めないようにしているのです。

精神が狂った人には英雄ですが、普通の精神状態の人から見れば狂人なのです。



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CPAPは無呼吸症候群に効果あるかも

一度の睡眠時間は平均して3時間くらいですが、それをICレコーダーで録音すると、CPAPをつけると付かないでは、寝ている時の呼吸音が全然違うのです。

CPAPをつけないで寝ると、起きた時にまだ眠気が残っており、目覚めが悪く、何といっても身体が重く感じます。CPAPをつけて寝ると鼻から空気を送り込むので、酷いいびきは書かないし寝ている時には静かなのです。

起きた時の状態も、身体が軽く感じる。間接に油が差されたような感じがして頭もはっきりするのです。その意味ではCPAP無しでは生活はできないです。

キャンプに行く時、実は電源が無い場所にはいけないのです。茨城県の日立市クリスチャンキャンプ場にはAC電源がないと、CPAPが使えないので、横田基地の貨物飛行機が飛び上がる直前のような酷い騒音となるのです。すなわち、異常なほど大きなイビキになるのです。

この状態ですと、実は呼吸が頻繁に止まり睡眠が浅くなるので、いくら寝ても寝たような気にならないし疲れがとれないのです。

今年の場合、次のYAキャンプは青年の家なので、電源さえあればCPAPを持っていけば、何の問題なく宿泊できるのです。

あとは近状として、昨日は風邪で高熱がでたが、今日は雨が降ったため湿度が高くなったためなのか、風邪の最近が鈍り、風邪が僅か一日で治りました。

一年で12月から3月までの期間は、寒いのであまり外出するきになれないし、やはり他の季節と違い身体がだるく感じます。

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YAキャンプとCPAP

睡眠時無呼吸症候群だと寝ているときの騒音は、横田基地にある飛行機のエンジン並みにすごく大きいのです。飛行機を飛ばす前に空気を圧縮するためにエンジンを回転させるのです。圧縮した空気でジェット機を発信させるのです。

無呼吸症候群とは飛ぶ前の飛行機みたいなものなのです。

空気を圧縮するためジェットエンジンの前にある、ターボポンプの音がうるさいのは重い貨物専用飛行機です。人間の場合も体重が重くなると貨物飛行機と同じことになるのです。

で、飛び上がる時がすごくエネルギーが必要なのです。
それだけ多くの酸素を使わなければならないからです。

キャンプに行くには必ず電源コンセントがあるかないかで参加できるかできないかが決まるのです。日帰りならCPAPは必要ないです。

単純に体重は減らないのは、基礎代謝量が異常に少なくなり、食べ物から取った脂肪だけが蓄積されるのです。食事の量が少なくしても、もともと筋肉などが少なくなれば肥満が酷くなるだけです。運動して筋肉をつければいいという意見もあるが、ちょっとの運動では簡単に筋肉は付かない。筋肉痛をするほど運動をしないといけないです。だから、ダイエット食品を買うしか無いのです。

夢の中で、YAキャンプの夢を見ましたが、CPAPがないと身体がだるい。身体全体に酸素が行き渡らないために、力がでないのです。それに疲れやすくなるのです。

だるい状態ですと、とにかく一人だけになって寝ることがあるのです。

酸素を身体に多く取り入れると、逆に細胞が活性化するので、ほとんどスポーツしなくてもスポーツマンらしく感じられ、スポーツマン独特のオーラーがでるのでスポーツ好きな人に好感をもたれるのです。

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mixiを良くするには分割するべきだと思う

かつてのように安心して使えるSNSにするには、少数化が一番良いとおもいます。

その意味では、mixiを分離させることが究極の解決策になると思います。そうすれば複数のアカントという禁じられたことも可能になるからです。

さらにホームレスにノートパソコンと発電機やバッテリーを無料で配り、社会的に最も酷い状態の人の本音も聞きだすことも大事だと思います。いやmixi対応の携帯電話という方法もあります。

非人道的な事を言う人は、その人たちだけが集まって警察がそれを監視すれば良いのです。たぶん、そのような人たちはバカだから無差別殺人オフなどは、どこかの掲示板で予告して「予告in」などに告発されるのです。無差別殺人オフ会をするまえに警察のお世話になるわけです。で、その人たちが正社員だったら懲戒解雇という悲劇があるのです。

mixiの分離とは、テーマごとで分離すると、キチガイと思える人が集まりテロリスト組織を作ってしまうので、これは年齢ごとに分離するべきです。

ようするに18歳以下のmixiとか、35歳未満の青年mixiとか、35歳以上のmixiなど年齢で別ける。さらに細分化させることで、小さなSNSにすることです。あとは地域別、都道府県別に別けることで、地域密着型のSNSにして、オフ会がしやすいようにするのです。で、アダルトならアダルトだけを分離すれば良いので、mixiを細切れにしないとmixiは良くならないと思います。

なぜ人々から愛が冷えてきているのか。それは将来に何の希望が無いと思わせるマスコミの報道があり、日本人には未来のビジョンが無いのです。不安ばかりが強く、宗教を嫌悪するので、最も信用できるのが自分だけなので、だから世界で最も自己中心的な人たちが増えてきているのです。結果的にはある意味では最も宗教的に大爆発的に発展しているのが「自分教」という宗教です。自分が全宇宙の帝王であり主人公であり、現実は全て幻だから他人は単なる幻影にしか思えないから、人に対して優しくなれ無いのです。

ようするに現代人の思想の変化が大きく変わったのは、宗教団体への偏見と憎悪をつくりだしたのが、オウム真理教の地下鉄サリン事件だと思います。それまでも宗教団体への偏見は強い民族性があり自分だけしか信じられない風潮があり、決して神様を認められない状態でしたが、オウムのために宗教団体への偏見が大爆発して、その結果、信用できるのは自分だけという自己中心的思想がより強化されて、世界最大の「自分教」国家になったのです。

キリスト教においてもいろんな個性の人がたくさんいるので、欠点一つを誇大に取り上げ、クリスチャンは人間として駄目なんだと思うのです。それも「自分教」の熱心な信者になるのです。

「自分教」ほど愉快で楽しい宗教は無いです。戒律はないし警察のお世話にならなければ何をしても良いとか、いや、場合によっては警察のお世話になる事をしても良い。自分が正義ならホームレスや身体障がい者を殺してもゴミ掃除みたいなものなんだとしか感じられないから、「自分教」はオウム以上のカルトなのです。

極限的カルトである「自分教」とは、悪質さにおいてはモルモンやオウムでさえも足元に及ばない、いや、それらの宗教がまともに見えるほどなのです!

人を怒らせたりバカにする事で、仮に相手が逆上して殺されても、それは殉教という形になり、自分教信者にとっては栄光ある死なのです。

自分教の場合は、自分が死ぬことはゲームオーバーであり、自分が死ねば世界も同時に消滅すると考えるのです。

あまりに不安が強い社会だと宗教が流行るが、なぜ日本において宗教団体という組織化した宗教が逆に弱体化するのか。それは自分教という自分が世界の中心という思想の宗教が最も流行っているからです。

組織化されていないから人間関係のいざこざも無いし、ネットで自分の意見をぶちまければ、それを賞賛する人がたくさんいるし、近い将来はオウム真理教と同じように確実にテロを行うのは火を見るよりもあきらかなのです。

組織化してない、自分教は一人一人が教祖であるからです。

その自分教信者を何らかのまともな宗教に改宗させ人間性を取り戻すためには、もう宗教団体同士の対立をしている場合ではないと思うのです。○○教は異端という場合ではなく、むしろ異端といえる団体と協力して、自分教信者を既成の宗教に改宗させて人間性を取り戻すことが重要なのです。

自分の考えですが、社会全体の事を考えると、他宗教との対話と強調が今の時代は必要とされているのです。

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何が正義なんだろうか?

一人の人が救われるなら自分は犯罪者でも悪者でもなっても言いと考える事があります。または、偽善的で名誉欲の塊と思われて栄光です。

現在、生活保護が受けられないで首をつって自殺する人も多々おり、または、今の日本では餓死者も数百人もいるわけです。日本の実情は先進国とは思えないです。

まず生活保護費は毎月8万円プラス家賃ですので、月に12万円から15万円までで、単身者だけではなく、家族がいる人も生活保護を受けているのですが、これが、かなり生活が困窮しているにもかかわらず、それを受け入れないで生活保護を拒否される人もいるわけです。

必死になって仕事をさがしてもなかなか見つからない。または、病気のために仕事ができないなど、結果的に自殺や餓死で死ぬ人がいるわけです。


もう一つは犯罪者に対する情け容赦ない厳格な態度です。
裁判員制度が行われることで日本は世界で最も死刑が多い国になる。中には冤罪もいるのに強引に犯人に仕立てられる。冤罪ではないか情状酌量の余地あるのではないかと言えば袋たたきにあう。だから裁判員制度には反対です。

mixiでは、人には情けをかけることは罪悪であり、他人には徹底的に厳しくするべきだということが大受けしているのです。ということはmixiで人気者になるにはアンチヒューマニズムを徹底化させ、自分が最も偉く絶対に正しいという態度が必要です。

mixiで人気者になるには
ダークな本音をぶちまける事です。

1・精神障害者や身体障害者を強制的尊厳死施設に入れてあの世に送り込むこと。

2・上記の人間には生きる権利が無い事を強調すること。

3・非正規雇用者などを人間扱いしない。そのような人たちを徹底的にバカにすること。

4・反対に優遇されている公務員や大企業で年収が多い人への嫉妬にみちた書き込みをすること。

5・福祉や人権などの否定。反人道主義の徹底。

6・自分が最も偉い人間であることを強調し、相手を見下す事。その相手を人間とは思わないこと。

7・人を怒らせるようなことのみを常に考えること。

8・自分には甘く他人には超厳格であること。

9・自分は常に正義であるという態度をすること。

mixiで人気者になるには、身障者をバカにするとか、身障者の真似をして人を笑わせるビデオを作ること。(身体が不自由な状態で動きがぎこちないのを真似して笑わせること)究極の場合は、国家の破壊!オフ会感覚で政治家でなく擁護施設への無差別殺人をする計画をたてることです。

はたから見れば悪魔そのものですが、本人達は自分の行いは神の意志に一致していると重い自分が絶対に正しい。なぜなら、自分の意見に賛同する人がいるから、下手すれば昨年の無差別事件がmixiの会員がオフ会感覚で行われるのではないかと思います。

派遣社員の集合場所を襲撃して刃物で刺すなど。

毎回、自分には大甘で他人には超厳格だから、人を何十人殺しても爽快感だけしかかんじられないのです。

その意味ではmixiは「自分教」のコミュニケーションツールとなっており、内容が悪質であればあるほど、普通の人から見れば、決して許せないことも、mixiでは絶対正義となるのです。

個人の人権の尊重、命の大切さなど言えば、それは「偽善だ!」というのです。
まともな事を言えば言うほど叩かれるのです。

自分は予言するが、きっとmixiが原因でオフ会感覚の無差別殺人事件もあり、警察に捕まっても、人は娯楽であると、開き直る態度となるのです。

非人道的な態度ほど、賞賛されるmixiは、あるいみではmixi悪魔崇拝者であり、下手な悪魔崇拝者以上に悪筆なのです。

mixi脳になることで、本当に警察のお世話になる人も出てくるのです。

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では、インターネットは人格を劣化させるから危険なんだろうか?

好むこのまざるもITとインターネットの発展は全世界が大きな打撃を受けない限り、つまり機械文明が続く限り永久に存在するのです。それを失くす力は何処の政府の力でも抑えられない。むしろ、良い意味で利用するしか無いのです。

最近は、派遣村など、またネットカフェ難民などへの強い攻撃的な発言が非情に目立っており、所詮、弱いものが自分よりも弱いものを攻撃して自分が強くなったと感じているだけではないか。

個人的に思うが、まだ暴力的なゲームのほうが社会的には健全ではないかと思います。言葉の暴力の束ねれば、多くの人たちが人間不信や人間嫌いに陥り、ますます引きこもりが酷くなるからです。

まず、ネットをすることで他人の痛みが理解できなくなる危険性があります。想像力の欠如と、思いやりを失うことです。その根源は自己中心主義が日本人に根強くあるからです。全宇宙の皇帝・帝王・王様・主人公は自分という、「自分教」が現代の日本の国教になっているからです。

「自分教」とは、目に見える聞こえる触れる六感で感じられるものはすべてまぼろしであり、人生はゲームの一つである。自分が死ねば世界は終わると思うのです。

自分教のツールとしてネットを利用するのです。

それが重症になれば、人を刺し殺しても罪悪感も何も感じられなくなるのです。まさにゲーム脳の危険性と似ているのです。

あまり科学的ではないが言霊というのがあり、自分が繰り返し語る言葉が人生を構築するといっても過言ではないです。言葉が習慣を作り、習慣が人格を作り、人格が人生を作る。

暴力的なゲームの場合は、画面に出てきた相手を殺すだけで良いのです。それ以上もそれ以下もないのです。だが、言葉による暴力とは、人生に疲れた人間の愚痴を読み、それを甘えと貶し、相手の人格を否定する事で、次第に人の痛みを創造する力を失い、良心が麻痺してくるのです。

個人的には「ゲーム脳の危険性」よりも「ネット中毒の危険性」のほうを取り上げて欲しいと思います。

その意味では宗教の必要性を痛感します。

人間は人間の智恵では理解できない存在を認識し、それを畏れる気持ちがなければ、ネット中毒者のように人を刺し殺しても、それが憎くも無い相手でさえも、目の前で血を流して死んでも、それを何とも思わなくなるのです。

いままで呼吸し動いていた人間という生き物が、自分の手で命を奪っても何とも感じられなくなるまで、他人の痛みが理解できなくなる。自分が全宇宙の神であると思うあまりに、自分だけが全て正しいという傲慢さ。

その基礎の基礎、一つの単位であるネガティブな言葉から人間は人間性を次第に失い、初めて殺人をしても、ショッキングな事とは思えなくなるのです。他人の痛みが理解できない人間を作り出すのがネットであり、それがたとえ本音や本心でも、それを心に隠す事が重要である。それを言葉として出す時に、次第にその人の人格が冷酷になり残忍さが増すのです。

今後、ネットの普及により、社会的に困窮している人たちへの罵倒が今後はより激しくなり、最終的には日本版ナチスが確実に誕生すると思います。

ナチスとは身体障害や知的障害者などを強制的に安楽死させ、少数民族への差別を徹底化した結果、ユダヤ人の大量虐殺を行ったのです。ナチズムとは地球上に生きる権利があるのは強者のみであり弱者はあーもうーもいわせず、あの世に逝かせる思想なのです。

早く、ネットで娯楽的な動画が中心となった状態、すなわち高画質な動画を無料で楽しむ時代が来る事を願います。

いずれ、ソドムとゴモラが滅びたように自分教という自分を偶像にした自然発生的な宗教を元にした社会は、確実に滅びる運命だと思います。

ネットをする人間は自分が正義だと思い傲慢になりすぎており、結局は自分教の熱狂的な信者なので、そのような人たちが自然災害でカタワになって生活に困窮しない限り、考えを帰られないと思います。

ようするに、そうなる前に宗教の必要性が重要であり、今の日本は政治をかえるよりも、一人一人の国民の心を変えなければ、どんなに天才的な政治家がいても、ナチスドイツのような状態になる宿命ではないかと思います。その宿命へと進まないために、宗教は重要だと思います。

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インターネットが作るバイオレンスジャックの世界

mixiのなかでもいろんな思想を持った人がおり、いずれは北朝鮮に本気で永住したいという人もいると思います。

1995年の神戸大震災の時、日本人のボランティアがたくさん来ましたが、次の第二次関東大震災のときには、たぶん日本国内のボランティアは極少数になります。さらに被災地においての犯罪の激増化もあり、または、将来を悲観して自殺者も数え切れないほどいるのです。それは単なる妄想ではなく、たとえば大正時代末期の関東大震災でも韓国人に対する虐待事件があり、それは、妄想から作られたデマによって自警団が多くの韓国人をリンチした事件がありました。

いまのような愛が冷えている社会では、警察力とか犯罪抑止力を失えば、ふだん過激なことを書き込んできている人が、本当に無法地帯を作り出す。すなわち、海外から来たボランティアへの襲撃、または警察官への暴行などがあり、避難所での荒しがあり、食料の強奪などがあります。

比較的被害が少ない場所から、とにかく被害が少ない地方部へ逃げる事が重要です。空港周辺など海外からの輸入品が大量にえられるからです。

なぜ日本では人間関係の愛が冷えているのに犯罪が比較的に少ないのか、それは、都市が密集しており、誰かが必ず監視しているようなので実行することができないからです。たしかにネットで過激な意見を言う人ほど何もしないのですが、その何もしないを奪えば、猛獣のように無差別に人を刺したりするからです。

ようするに比較的に安定した生活、会社を勤め、そして仕事ができない派遣社員やパートへの苛立ちをネットで爆発させるのです。それによって自分が強く有能になった気分に浸れるのです。

地震が恐ろしいのは大きな揺れによる都市部の破壊、建物の崩壊による人的被害よりも、そのあとの二次災害、復興するまで、または政府が管理できるようになるまでの期間に多くの犯罪や自殺、暴動などによる被害者のほうが自然災害よりも遥かに多いと思うのです。

インターネットが時代と共に社会の悪者にさせられるという構図が予測できます。

ようするに電車の中でもどこでも、ケータイで画面をみるのはなんだか異様な雰囲気があるだけではなく、ネットが及ぼす思想の影響、人格の影響ではないかと思います。

社会的に困窮しているものを貶すのは、実は困窮者よりも意志が弱い。困窮したら自殺を確実に選択する人たちで、本当に精神的に弱い人が、ただ幸運にも正社員としていられるが、日頃から自分への自信が無く劣等感の塊になっている人が、自分よりも立場が弱い人にしか攻撃ができないからです。

暴力ではなく必ず言葉で相手を傷つけることで、爽快感と優越感を感じる人間で、それが、社会そのものが崩壊したときには、生き残るためには殺人も何のためらいも無くできるのです。

ネットをすればするほど、劣等感の塊の心が弱い人間が傷を舐めあい集まりながら、ダークな人格をより強化させ、地震などの災害で社会や会社などが崩壊した時に、猛獣のように荒れ狂い、やけくそになって避難所の人間を殺したり暴行したり、または、せっかく助けに来た外国人ボランティアや消防署職員などを刃物で刺し殺すのです。

言動から次に来るのが、物理的攻撃、暴力なのです。

結論を先に言えばネットが人格に大きな影響を与え続け、人間性を失う。そして、社会そのものの秩序がなくなれば猛獣のように無差別に人を殺すようになるのです。

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mixiの猛獣どもめ!地獄へ堕ちろ!!

個人的にmixiは他の人にお勧めできないSNSだと思うのは、目立つ内容が、社会に対して非常に厳格すぎる書き込みが多いことです。

たとえば「生活保護即時停止を求める」とか、それが結果的には自殺幇助などになり、mixiをやると人間嫌いになるのです。特に犯罪者や犯罪の被害者への辛辣な意見など読むと怒りがこみ上げてくるので、まだ、悪魔崇拝をする人たちのほうが人間らしいです。

もし自分がクリスチャンではなかったら、たぶん悪魔崇拝をして、この世の人がもっともっと苦しむように強く呪ったと思います。政治家が悪いのではなく私たち全ての国民の道徳が低いから、現在の金融破綻だけではすまされない。いずれは、第二次関東大震災の二次災害(外国人のボランティアへの強盗、およびリンチ事件などの頻発化。食べ物の奪い合い。警察官への殺害など)のほうが被害者が多く、永井豪の漫画「バイオレンスジャック」のような世界になるのは確実だと思います。

第二次関東大震災がおきたとき政府は東京を確実に捨てるのは、治安が悪すぎる事と、東京を復興させる経済力や能力も日本には無く、むしろ地方の主要都市に首都機能を分散させ、東京は都から県へと落ちるのは安全を求め人口が急激に減るからです。

そして日本が貧しい国になって、国民がうぬぼれがなくなるまで辛酸なめに合うと思うからです。

モルモン教の予言、日本がモルモン教の中心地になるという予言。「私たち(アメリカ人)に取って代わるのが日本人だ」というナンセンスな予言は永遠に当たらず、むしろ、モルモン教はラテンアメリカ人に取って代わられるからです。

なぜ東南アジアやラテンアメリカでキリスト教が増えるのか、宗教への覚醒が起きるのか、それは貧困のため人々が謙虚になっているからです。

豊かさが悪い事ではないが、その反面、豊かな故に傲慢になり、自分よりも弱いものを攻撃する。攻撃的な言動をするのは、所詮、その人には弱さがあるからです。弱さを隠すために、攻撃しやすい人物や待遇の人間を攻撃する事で自分が強くなったような気がする。そのような人が、どんな理屈でもたぶん地獄に落ちるのではないか。いや、地獄に落ちる可能性が高いと思います。

キリスト教を知らない地域や時代に生きている人は、その人の良心の尺度で、どれだけ良心に従っていたかで天国に行けるか地獄に落ちるかが決まるのです。結局、悪意や攻撃心しかない人は、今は毎日たのしく愉快に過ごしているが、死んだ後に、この世のあらゆる苦しみを永遠に背負う宿命を刈り取るのです。

個人的にはmixiは大量の情報がある反面、人間の嫌なところをみて人間嫌いになる危険性があるので、自分の意志がしっかり保てない人は、間違えてもmixiに入会するべきではないです。

また、mixiが安心して使えるというのは大嘘であり、

むしろ、まだ男女の不純な快楽を求める出会い系のほうが、はるかに人間らしいです。

むしろ自分に甘く他人には厳格な人の意見のほうが人間性を全く感じません。

mixiを入るくらいなら、アダルトサイトの出会い系のほうが、遥かに道徳的です!

それでも一部の人たちがまだ善意の気持ちを持っており、悪意や偏見、差別感情に怒りをもつひともmixiにいます。悪意のみしかないかわいそうな人と衝突することが多々あるので、


そのうちmixiが原因で殺人事件が起きると自分は予言します!

そう、後で泣きたくなかったらmixiには入会しないで他のSNSに入会してください。

たとえば年齢層が高い「趣味人倶楽部」などお勧めです。
比較的に生活が安定している人たちが集まっているので、精神的に余裕があるので、社会に対する偏見や差別的な意見も無く、さらに精神障害者や生活保護を受けている人への差別もほとんどないからです。

また、mixiと違いアダルトなコミュニティ(掲示板など)が無いため、宗教や政治を強く主張しない限り誰でも参加できると思います。

自分の宗教の内容を書き込みたいなら「CURURU」というSNSがありブログ機能があります。参加者はmixiに入れない16歳以下の利用者が多いのが特徴ですが会員数が少ないので、換算としているが、その反対に変な人も来ないので、ある意味では安心して自分の意見を書き込むことができます。

肥大化したSNSは、異常人格者があるまりやすくなり、そのようなSNSにはモラルはなく、社会的弱者や生活困窮者への攻撃や罵倒などがあり、そこには人間性をまったく感じません。

所詮はモラルよりも儲けなんだと思うのです。経営者からみれば、多くのスタッフをかかえているから、キ○ガイ(サイコパス)でも神様(お客さま)なんです。



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うつ病には「元気?」という呼びかけは禁物

暗黒時代であった1990年代ではモルモン教会内で、自分が元気がないとき、S木さんとか最もモルモンらしいS嶋さんなどから頻繁に「元気」と言われました。

特に印象的なのは強引にも元気にしようと、取り囲むような形で、「なぜ元気じゃないのだ。兄弟。」と言われ、いろいろと悩みや不安があるのに、無理してでも明るく振舞えというのは、それは圧力である。それだけ今、考えればモルモンのワードの人が若いが故に未熟すぎたと考えられます。

その意味で、知らずにいろんな人に迷惑や不快感を与えて、モルモン教に悪い印象を与えてしまうので、むしろ元気ない表情以上に悪い影響を与える事になるのです。

敬遠してパーティなどで浮いた感じになったり、または、モルモン教でしか通じないジョークとか。仲間内ネタばかりだと部外者は何が楽しくて笑っているのか不思議に思うはずです。

その意味ではモルモン教の伝道活動は「ザル」にたとえられます。宣教師が連れてきた若者を改宗させても、教会員をみて躓き、普通考えるのはもっと良い道、良い宗教、もっと良い生き方があると考えて、たんなる旅人の通過点でしかないのです。

これはキリスト教にもいえることです。

モルモン教の場合は、教会員数と献金の金額だけで評価され、内容がまったく評価されないのです。

まして日本の反モルモンが消滅したのも、長年の無神経な対応や未熟さを引きづった結果かもしれません。

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YAキャンプについて。その2

「キリストの教会」のYAキャンプでは、高校生から自分が若いと思う人(原則では35歳までなんです)が参加できるのです。

食事に関しては、前回行ったように全て自炊というから、その意味では青年の家を使っても「キャンプ」なんだと思います。

たいていの場合は、カレーライスとか、「うどん」などがメニューとなります。

この発言は以前リアルに大顰蹙を買ったが、「モルモン教のほうがキリスト教会よりもキャンプが上手」という発言ですが、モルモン教では、数百人規模であり、キャンプと修養会が一緒になったものを皆で作ろうというから、当然、人海戦術で作るのです。

全ての人が企画に参加できるのは評価するべき事ですが、より完璧なものへと至ると、数百人もの人が満足するものを作るのは、どんなに頑張っても不可能です!

モルモン教の大規模なサマーキャンプすなわち「サマーカンファレンス」を作るには、準備期間半年で、完璧主義者のリーダーが、無理な事を要求したり、リーダーが逆に誰かに手伝ってもらえば良いのに、一人で抱え込んで責任を果たしたり、ちょっとでも不完全な所があれば、キツイ口調でしかりつけるので、宗教団体では、企業と違い人間関係に利害関係が無いため嫌になれば途中で投げ出す人もいるし、それが原因で感情的に根に持つ場合もあるのです。

暗黒の1990年代のサマーカンファレンスは、まさに修羅場であり、親睦を強めるよりも逆に敵対心を強め、そこから、モルモンを辞める人も出てもおかしく無いのです。


キリストの教会のYA(青年)キャンプの運営と準備については、個人的に不明なところが多々あるので何ともいえないが、参加するのはある程度大人であり、事故や怪我さえなければ、それで良いのではないかと思います。

こんなことは無いと思うが、もし、本当につまらないと思ったら、途中で帰っても良いと思います。


あと、モルモン教も同じ活発会員でも主流派と非主流派と分かれており、ネットでモルモン教を辞めた人をボロクソに言う人が意外と、何処に行っても人間関係が上手にできない非主流派の人たちではないかと思います。

自分も非主流派だったので、だから、信仰を失うように仕向けられ、内部が思った以上に腐っていた。処女狙いのためにモルモンに入信しに来たのではないかとさえ思える世俗性があり、正直な話、礼拝の時と、その場から離れた時にギャップが激しいのを強く感じます。

今さらなんだけど、何だかんだ1990年代のサマーカンファレンスで、散々きれいごとをいう青年会(独身成人)のリーダーによる、越権行為が頻発化して、ほんとうに準備や計画を立てにくかったです。というか自分のアイデアは何一つ採用させていただけませんでした。それなら、リーダーが準備の仕事を一括でやれば効率よかったのではないかと思います。

その意味では、サマーカンファレンスとか、うつ病が酷い教会員とのお付き合いなどから、正直な話、ガーメント(神殿に入る人が履く特殊な下着)などは、90年代後半頃から次第にはかなくなりました。

今まで堅く信仰していたモルモン教信仰も、次第に崩壊し始め、日曜日に買い物に行ったり、温泉に行ったりして、あと十分の一献金も払わなくなりだして、さらに、毎月の断食証会では証を一切しなくなりました。

それらは人間関係が大きな影響を与えたものだと思います。
だから日曜学校の教師をしても、自分がやっても授業にならない状態まで酷くなり、自分に対する敵対心さえ持つ人もいるわけです。

当然、次第にモルモン教に対する感情的敵対心が強くなるのです。


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キリスト教会のキャンプについて

昨年、2月にYAキャンプに参加してきましたが、

宿泊所から食事を作ってくれるわけではなく、全て自炊なのです。
ランダムに別けられた班で自炊を行うのです。国際色が非常に豊かであります。だから、英語も話せないと、思うようにコミュニケーションがとれないのです。

若く見えるなら、年齢には関係ないらしいです。
高校生から、自分が青年と言う気持ちがある人まで参加可能です。

最も大事なのが「アイスブレーキング」という自己紹介の時間です。

当然、個性が強い人が多いので、この時間が楽しい思い出にするか、途中で帰ってもう二度と参加したくないと思うかが分かれる重要な時間です。

あとは、イビキが酷い場合は、一回のフロアーで寝れば良いのです。今年の場合は、たぶん5月になると思うので、暖かくなり毛布一枚でも大丈夫です。

趣味の写真撮影も行う予定です。

自炊ですから調理は最低でも包丁で野菜などが切れないとならないです。

開催地まで行くには、早朝5時代に電車に乗っていかないといけないです。たまには茨城県は電車で行きたいと思うのです。

今から旅費の積み立てを行いたいと思います。

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1990年代が何故ノスタルジックな気持ちになれないのか。

過去でもノスタルジックな雰囲気に浸れる時代と、そうではない時代があります。特にその時代に流行った音楽に大きな影響があると思います。

1980年代では、アイドルからアニメソングのシンガー・飯島真理さんの音楽が最も80年代らしく、よく自動車の中で聞いていました。

youtubeなどで「マクロス」シリーズのテーマソングとか映画版のエンディング・天使の絵の具など聴くと黄金時代は80年代だったことを象徴していると感じます。

1990年代になると、広瀬 香美の「ロマンスの神様」が流行だし、女性が上位、結婚相手の条件も3高厳守となり、顔はそこそこきれいだが、男性からみて全然かわいくない、むしろ生意気だと思い、これが現代の男性が現実の女性に興味を持たなくなり、アニメキャラに恋する男性が激増した始まりだったと思います。

90年代はイベントは浮いた感じになるし、さらに、それが、次第に「鬱」気分を増長させ、なんというかあまりも楽しい思い出が無い。まして人間関係も悪化して、後から入信した年下の教会員が、自分の事を敬遠してきて、それを最長7年間は我慢してきました。

90年代でも森高千里など優れた歌詞・聞いていて面白い歌詞を書く歌手が活躍していたが、今聞いても、古いとしか感じられないのです。だから、全然、同じ古いものでもノスタルジックな気持ちになれるものと、そうではないものがあるのです。

ノスタルジックな気持ちになれないのは、その時代がいろんな悩みが多く楽しい思い出が少ないことが原因だと思います。

90年代は世紀末を思わせる、暗いニュースが多々あり、長期不況の始まりでもあり、まして、年齢的にも既に子どもがいてもおかしくないはずなのに独身なので、寂しさとか疎外感、孤独感などあまり思い出したくない時代なんです。

では、現在は何と言うか新90年代だとおもいます。
昨年、教会に戻った時、一時期は安心して神様を礼拝できると思ったが、誤解されないように良く読んで欲しいけど、モルモン教時代ほどひどくはないが、将来への不安、地に足が付いていない状態。そして自分の居場所は何処にあるのか、神様は何を望んでいらしゃるのか。2007年から自殺願望が強くなり、一種の絶望感を感じており、これが「新90年代」なんです。で、結局は戻るところは元の「キリストの教会」だったということなのです。

2000年代もあと僅かで終わり、次の2010年代に入りますが、少しでも希望を持てる時代になって欲しいと願います。

あと、某SNSを脱会する事を考えています。
もともとクリスチャンとの交流を目的にしたが、クリスチャンコミュのほとんどが議論が多く、それに、都心の某教会の牧師関係者から何の理由を言わずにアクセス禁止をされたことは、とても強いショックを受けました。

その意味では、信仰関係では守りに徹したほうが懸命な選択だと思います。

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逆にクリスチャンからモルモンへ改宗させる地盤

以前は、もっと早くモルモンをやめるべきだと思いましたが、

もし、自分の判断で10年早く辞めたら、逆に今頃はモルモンに戻る可能性も多少はあるかもしれないです。

反モルモンをしていた時代に、再度のバプテスマを行われたことが多々あり、ほとんどが、某日本人教会幹部が日本の地を牛耳っていた時代に破門されたり、または、疑問に思って退会した人がほとんどで、以前よりは良くなった、某日本人幹部の力も弱くなったということ。ある人は別の宗教に入信したが何処も同じようなものと思い、モルモンに戻る人が多かったと聞きました。

確かに、キリスト教でも年々、平均年齢が向上しており老齢化が顕著になり。老齢化による頓珍漢な言動にうんざりしてしまえば、間違えた選択をする場合があると考えられます。

個人的には、クリスチャンである自分の場合は、まず人間関係も大事だが、人間関係で躓いてクリスチャンを辞める必要はない。そんな事をしたら神様を否定すること意なるからです。

モルモン教はピラミット型の組織であり、人間関係重視の宗教ですが、キリスト教は最悪の場合は、他の教会に転会するという最終手段がありますし、または、家庭礼拝をする知り合いの家族のところに行くという方法もあると思います。教会という枠組みにとらわれずに、信仰生活を続けられるのがモルモン教と大きな違いです。

もし10年早く教会を辞めてしまったら、別の教会に通っていた。

そこで、人間関係に躓くと、戻ろうかという迷いを感じる場合があると思います。

要するに口では、いくらでも理想論を言えるが、これを実行するのはとても難しいし時間がかかるのです。一生懸命にやりすぎる教会員について来れない、それを追いかけるのが疲れるので休むと、嫌な顔をされるが、そもそも人の顔色を疑うよりは、自分が神様と繋がれるために、自分のペースで進むべきだと思います。

モルモン教の場合は信仰の中心はあくまでも教会であり、自分が所属するワード部や支部なのです。

キリスト教の場合は、父なる神様とイエスキリストが中心であり、教会はそれを学ぶ、礼拝するための媒体でしかないのです。(クリスチャン一人一人が教会の一部という人もいますが)あまり人間関係にわずらいを持つことは、良くないことだと思います。

某SNSでは、ある教会の牧師関係者からアクセス禁止をさせられ、それ以来、その某Aさんが所属する教会に行きたくないのが正直な気持ちです。大きな教会、100人は通う教会ですが、インターネットの環境もない人なら、自分が来ても歓迎される場合があるが、某Aさんという牧師関係者は、たぶん危険思想を持った危ないクリスチャンとしてみているので、歓迎できないらしいです。

無言の対立という現象が起きているのです。

あとは加速度的な成長を求めて、支配されるようなものがあれば、それは徒弟制度がある東京教会と同じことになるので、あくまでも自分のペースを乱す必要はないと思います。

個人的には東京教会にもモルモン教にもまったく通う意思はないです。

過去をノスタルジックな思い出に浸るのでもない。むしろ現在は無理をせず守りを徹底化するべきではないかと思います。

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狂乱のバプテスマときの宣教師の品位の低さ

1980年前後はモルモン教会員が急増した、また、現在のような金融恐慌で社会が混乱して、多くの人がモルモン教に訪れる時代が確実に来るという説教(1982年のステーク大会の話し)があり、たしかに金融恐慌で世界的に景気が悪くなる事を予言は当たったが、はたして、多くの人がモルモン教に訪れるだろうか?

モルモン教に改宗するのは宗教的な下地があり、モルモンに入信すれば、生活が保障させるモルモン教会の福祉プログラムがあるからだと思います。その辺で現実的には、モルモンに入信する人が増える可能性はあると思います。

既にラテンアメリカでは貧困のために生活に困ってモルモン教に入信するので、モルモン教がラテン化するのは確定しているくらいです。

話しがずれたが、当時のモルモン教の宣教師のレベルは、実は神様を信じていない。とか、まして宣教師の厳しい規則を守らない人が多く、伝道部長が見ていないところで、逸脱した行動が見られました。

そもそも日本人女性がモルモン宣教師をアメリカまで追いかけてくる場合もあるのです。

自分が楽しかった輝いたいた1980年代に既に腐敗しており、それが90年代には教会員にも広がり、モルモン教はたんなる人間の寄せ集め、宗教というよりも社交クラブみたいなものになり、敬虔な信仰をもつのがアホらしく感じてしまうのです。

自分も90年代の真面目な信仰生活とか神殿での奉仕、宣教師と一緒に伝道活動をしたことが、なんか今思うと失敗であり、所詮、宗教の名をかりた社交団体です。

自分が通っているS嶋さんなどが、ワード部の顔みたいであり、彼が最もモルモンらしいモルモンで、ワード部なら、Tワード(某鉄道の終点のモダンな住宅地)が最もモルモンらしい宗教施設だと感じました。

ベタなアメリカンな雰囲気と、仲間内しか通じないジョークとかあり、当時、同じモルモンであった自分でも違和感を感じるほどです。

あと、モルモンニズムは「結婚」を重視していたが、独身の若い人はそれに反感を感じており、ほとんどの若い人は自分にかなり自信があるのか、結婚セミナーなどには参加しないです。それに参加するのは地方の教会員がほとんどですから、長距離恋愛になる場合もあります。

結婚相手探しに熱心になるか、または、結婚に無関心で自分は結婚しようとすれば、いつでもできるという自信満々の人もいるわけです。自分の所属していたワードでは後者の人が多く、結婚そのものに不安を強く感じる人が多いのです。

2000年代のモルモンは良くなったかどうか不明ですが、某SNSのモルモンの若い人は、ちょうど自分が80年代にエンジョイしてたように、それなりに充実した信仰生活を送る2世の人がおおく、改宗者はほとんどが偽科学やオカルトからモルモンへと改宗した人が多いです。たぶん、改宗者は長くは定着しないのは、浮いた感じになる、仲間はずれにされたと思うから、次第にストレスを感じてやめてしまうと思います。

ようするに、モルモン教宣教師が初めからモルモン教の道徳標準を守らない。だから、自分たちも守らなくても良いという風潮が日本のモルモンを腐らせ、暗黒の90年代にしてしまったと思います。

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実は初めからモルモンではなかった。狂乱のバプテスマでの洗礼の強要!

まず地球は丸いと実感できるには、かなり高いところにいないと実感できないように、自分の背の高さだと地球の丸さを実感できないです。

では、客観的に宗教的な意味での本当の入信とは。それは自主的な意思で入信の儀式を受けることです。

1980年前後にモルモン教会では狂乱のバプテスマという現象があり、外国人宣教師(主に19歳くらい)がカタゴトの日本語でフレンドリーで話しかけてくるのです。初めて外国人の知り合いが出来たという喜びがあるが、例のジョセフスミスの最初の示現という二人の神様に逢ったというスライドを見せたら、信じる信じない関係なく、「アナタはこれからセンレイを受けてモライマス。」といきなり白い衣服を着替えさせて、宣教師アパートとか伝道所で強制的にバプテスマ(そもそもバプテスマもどき)を受けさせるので、

もし当時の自分の年齢に戻ったら、いったんそれを取り消す。入信するのは自分の人生では最も大事なことだから、自分が納得したら、それで入信の儀式を受けたいから、強制的な入信儀式を破棄して欲しいと手紙を出すと思います。

17年後にその手紙をだしたので結果的には、17年間モルモンの求道者だったということになるのです。

17年でも長すぎると思うし、そのあいだの献金のお金とか、労力とか時間などはかなりのものになるのです。

個人的には、厳格に守るように仕向けたモルモン教の指導者が、思考の停止をさせて、挙句の果てには、90年代から神殿での儀式を受け奉仕するように仕向けたが、

1988年まではモルモン教会の生活は楽しかったが、ドンドン新規の年下の若い人が入信してから別宗教団体みたいになり、真面目にやる自分を敬遠するようになったので、90年代は、モルモン教に対してストレスを強く感じました。

まず日曜日の礼拝がわずか30人前後しかいないけど、教会員の人数はなんと600人もいたのです。その後、礼拝人数が増えて子供を入れて100人に達したが、そうなると教会員数は700人と増加。(当時は他人の住民票を調べたりできた。その結果、多摩地区の建前上のモルモン信者の数が急激に増えた。)大部分が自分がモルモン信者だということを知らされないで、強引にバプテスマを受けた人なのです。

日本のモルモン教の信者は実際は2万人くらいしかいない。統計では13万人であり、大部分が1980年前後に強制的に入信させれた人たちなのです。

またモルモン教宣教師の質の劣悪で、お酒を飲んだり喫煙するのはかわいほうで、一部の宣教師はもとは麻薬をやっていたとか、ほとんど日曜日の礼拝に来ない人たち。ようするに、日本へ強制的に送られた不良の集団だったのです。

日本がアメリカの次にモルモン教宣教師が多い国であり、日本人は宗教の免疫がないために、強制的な入信儀式を理解できないで、ただ水に漬かるだけなのです。

もうじき引越しとなるので、そうなると実は完全にモルモン教と縁が切れるのは、現在の住所がモルモン教側に記録されているが、その住所も変更となれば、完全に行方不明となる。まして17年前に教会員会員記録抹消(退会届)を出しており、17年間教会にはいかなことになるのです。

その前に、ペンテコステ派のキリスト教からイエスキリストと聖書をしっているので、実は1981年4月にペンテコステ派でのバプテスマも半分強制的なので、高いところから見れば、17年間、クリスチャンをお休みしていた。自主的な洗礼は1998年9月になるので、17年間、キリスト教求道者だったということになるのです。

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東京キリストの教会の責めの実態とは

基本的には徒弟制度というものを使うと、かならず支配される側の精神に異常をきたすものです。

「あそび」がない、個人の趣味趣向を他人にコントロールされることです。東京教会側では、クリスチャンとしての基礎的道徳の徹底とみなし、相応しくない漫画やビデオなどは全て禁じられるのです。

人間の精神の安定とは、「あそび」があるから正常に機能するのです。

地球で言えば月みたいなもので、もし月がなければ、北極と南極がゆっくりと赤道へ行ったりします。もし地球の周りに月と言う衛星がなければ、そこに人類を住まわせたら、暦が作れない状態で文明など存在しないです。生存はできても文化や文明は暦という基礎がなければ、そこから農耕もありえないので、人類の歴史は初めから終わりまで、狩猟だけです。

たとえば中東のオリエントにすんだとすると、地球が目茶目茶な自転をすると、季節の期間が短くなったり長くなったりする。

今年は、熱帯で来年はツンドラ、冷帯であることです。夏がない年もあったり冬がない年がないので、暦を作ることができないのです。そうなると農業などは生まれないのです。文化や文明も永久に発生しないのです。

精神を安定させるために「あそび」「プライベート」という部分を作り、強引に罪を告白をさせるなどさせない。東京キリストの教会が失敗したのは、初めから「情け容赦ない責め」すなわち「個人の秘密の保持」「プライベートな趣味を剥奪」という軍隊や修道院みたいな状態を行ったことです。世俗的な状態とのギャップが激しいほど崩壊の酷さも比例します。

では、東京キリストの教会・ボストン派は無楽器派といつかは融合するだろうか?

旧・代々木八幡キリストの教会の建物をのっとらなければ、意外と簡単に融合できたと思うが、過去の確執みたいなものがあり、「乗っ取られた」「奪われた」というものがあって、東京教会との連携をとるのは、現状では難しいことだと思います。

ひとつは、東京教会が他教派の牧師とか教会との連携を積極的に取ること。

完璧に過去の「情け容赦ない責め」と思える「徒弟制度」のようなものが無いことが必要です。そこから過去の確執を徐々に取り除ける必要があると思います。そうなれば、将来的に融合は簡単にいくと思います。

モルモン教でも自己申告で、罪の告白があり、それをしないと地獄に落ちると脅すローカルな指導者がいるから、克服できない罪、喫煙癖などが良い例であり、被害者側に言うと失礼ですが、融通が利かない教会員の場合、事細かに監督に罪を告白するので、または、モルモン教の道徳基準とかドレスコードなどがあり、現に他者による管理社会を嫌う若者が増えているので、わざわざ、自己申告したり、戒めを守る若い信者は、ほとんどいないと思います。

むしろ、真面目な人ほどモルモン教に嫌われるのは、その人に自我がない。自分の主張を男らしく雄雄しく言えない奴は嫌いだということです。嫌なものは嫌だといえない奴は消えてしまえというが、現実は自己主張が強い人ほど、反モルモンになり、お互いに強く自己主張してしまったから、日本の反モルモンは空中分解してしまったと思います。

これは人生における基礎の基礎ですが

嫌なものは嫌だと、できないものは「できない」とはっきり言えないと自分を責めたり、被害者意識を持ち続けると思います。カルトの被害者も100パーセント教会にあるわけではなく、自己主張をする勇気がない人が、監督などに支配されいろいろと責められたり不愉快な思いをするのではないかと思います。

だから反モルモンになる人は、二つの両極のタイプがおり、[NO」と言えない人と、誰がなんと言っても持論を曲げない自我が強い人間の二つがあり、結果的には、現代の切れる若者も増えているため自己の欲望を型にはめる、または、誰かに従属する信仰生活をする人は、ほんとうに稀だと思います。

東京教会が失敗したのは、教会員を雁字搦めに管理したり、言動を監視した結果だと思います。

常識ですが、自分は変えられるが他人はどんなことをしても変わらないという鉄則を忘れると、月を失った地球のように滅茶苦茶な自転をするので、そこから文化は何も存在しないように、何一つ進歩をしないのです。

簡単に言えば秋葉原無差別殺傷事件の被告の母親みたいに、親が過剰に子供を管理しすぎると、どこかで爆発して崩壊するのと同じです。だから、「あそび」は必要なのです。

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なぜ、このブログは「普通の人たち」なの?

アニメ「絶対可憐チルドレン」に反エスパー団体の名前が「フツーの人々」というテロ組織です。

モルモン教がテロには走らないです。社会に不満があってもテロに走れないのは、一枚岩といえるほど意外と結束力がないですが、

「絶対可憐」の原作でも、フツーの人々の過激派が「ブラックゴースト」という完璧な悪の化身となった、より危険な無差別破壊と営利追求のテロ組織があり、

ちょうどモルモン教でも、フツーのモルモンと、過激なモルモンが一部いるわけです。

モルモン教原理主義者だと白人至上主義者で、日本人は近づけないのは、彼らは髭をはやし、いつも機関銃を持ち歩き防弾チョッキで身を守り、数名の女性といつも一緒に歩き回る武装した一夫多妻主義者で人種差別主義者だから、日本人などは人間だと思わないから簡単に殺されるのです。

「フツーの人々」=ユタ州本部のモルモン教と

「ブラックゴースト」=ユタ州周辺にいる武装した一夫多妻制主義者で、大型ジープを乗り回したいるのです。

日本のモルモン教原理主義者は別の形、アメリカにもないほどの厳格なローカルルールを作り続けてしまう『スポコン』型の教会指導者が、チョコレートを食べては駄目、日曜日はテレビを見てはいけないなど、アメリカのモルモンに無い厳格な戒律を作りそれを守るようにさせるのですが・・。

でも、個人的な想像ですが、21世紀の現在、普通のモルモン教の戒めでさえ、若い人には守ることは無理だと思います。

英語で「正常」というのがカナ表記では「ノーマル」ですが、英語を聞くと「モルモン」と聞き取れるのです。だから英語では「モルモン」と「正常」「普通」という言葉の発音が良く似ていると思います。

たとえば「ライス」といえば「米」にあれば「しらみ」という意味にもなるのです。

日本語の同音意義ではなく英語の発音のおくの深さ、英語の発音母音と子音全部で100あるのですから似ているものも多々あるのです。

そもそもモルモン教にはかなり穏健になりキリスト教化した宗派もあれば、あくまでも一夫多妻制を厳格に守る過激な原理主義教団もあり、その真ん中に主流派ユタ州モルモン教があるわけです。

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21世紀の日本が貧しい豊かに関係なく

モルモン教は日本人の国民性には向かないと思うのは

今も若い人はキレる、自制心が足りないため、厳格な戒律を守ることは不可能であります。

結婚したくてもでいない男女があまりのも多く、それは前世紀のモルモン教会内でも多くみられ、かといって、結婚して逆に不幸になったということが多々あるのです。

成長とはなんだろうか?実は具体的な概念が不明です。

人格的なものと、教会への貢献だけだろうか?

とにかく、「私が怠けても教会は存続する」という考えは自分の居場所を破壊することになるのは常識的です。

人格的な成長とはなんだろうか?キリストに近い人格であると思います。

そうなれば、たとえ嫌いな人でも悪意で対応することもないと思います。

逆に完璧を求めることはモルモン教みたいになるので、どこか欠点や不完全なところがあっても、それは発展途上であり、一瞬で完璧になることは絶対に不可能なのです。

完璧を求めるためにモルモン教の日本版原理主義者(一夫多妻制をしない戒律至上主義者)のようになれば、それはカルトなのです。

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急激な成長を求めることの危険性

無理をさせることがカルトの始まりだと思います。

前回の懸念事項とは、あまり不安に思うようなものではないと思います。

モルモン教や東京キリストの教会で共通しているのは、個人の罪の告白の義務化があります。

罪を告白しなければ、悔い改めが完成しないために、その罪が神様から許されることがないのです。

共通点とは

1・守るのが困難な戒律を守るように指示する。

2・些細な罪でも、それを破れば、それを監督(長老)や牧師に告白しなければ罪は赦されない。

3・告白した罪の内容によって、教会破門される場合がある。再度バプテスマを受けて罪が赦される。

「キリストの教会」でも「無楽器派」「有楽器派」でも、罪を犯したら何度もバプテスマを受けなおすのは聖書的ではなく、再度、洗礼を受けるためには、個人の意思で洗礼を受けられない強制された。強制されたときには、まだ、信仰がない。その場合のみ再度の洗礼が適切なのです。

逆に信仰をないのに、バプテスマを受けることは、1980年代のモルモン教の狂乱のバプテスマは、信仰の自由の否定になるのです。それは、バプテスマそのものが理解できていないのに、いきなり全身を水の中に入れる儀式を行うことは、強制的に宗教団体の会員にすることになり、会員数がいくら多くなっても、よくモルモン教を擁護する立場の人たちは「後から信仰を持てば良い」というが、「信仰告白」をする機会もなく、儀式を受けるとき、何の儀式か理解できない、教理を理解しないでバプテスマを受けることは、ある意味ではカトリックの幼児洗礼と同じです。


信仰告白は一度だけであり、同時にバプテスマも一度だけで救いには十分なのです。


個人的な人生で巨視的な視点で見ると、自主的に洗礼を受けたのは、ペンテコステ派で受け、もうひとつは「キリストの教会」でも受けたことです。両者には交流がなく、ペンテコステ派で受けたバプテスマは、まだ、キリスト教を理解していない時であり、逆にキリスト教そのものを理解していたらモルモン教には改宗することはなかったので、違った人生を送ったことになったのです。でも、その時点でキリスト教求道者という巨視的な長期期間が始まったわけです。

モルモン教のバプテスマは、狂乱のバプテスマ、手当たり次第に若い人に声をかけ、例のジョセフスミスの「最初の示現」のスライドを見せて、信じる信じない関係なく強制的にバプテスマを受けないと家に帰さないのです。

モルモン教会への「教会員記録抹消届け(退会届)」を10年前に出したが、もともと、信仰が無い状態でバプテスマを受け、約17年近くモルモン教信者としての生活を送ったが、バプテスマを受けて半年後にモルモン教の教議を理解したのです。

本来は、宣教師に出会って、そしてちゃんと日曜日に教会に通い続け、信仰を持ち、自主的に洗礼を受ければ、それは、きちんとしたバプテスマであるが、100パーセント確実に近い将来に信仰を持つことが予測できても、その時点では教義も理解していない、信仰が無い状態でバプテスマを施すのは、信仰の強制なのですから、強制的な儀式そのものは実はなかったことになるのです。

ペンテコステ派にしてもモルモン教にしても、ある程度基礎的な教理理解と信仰と、自分の意思でバプテスマを受けないと、それは「信仰告白」にならず、無効となるのです。

クリスチャンとモルモンの大きな違いとは、全ての人たちは確実に結婚して子供を育て、その子供たちにもモルモン教の熱心な信者にすることで、個人が救われるのではなく、家族単位の救いがモルモニズムなのです。


モルモン教とは、モルモン書を読むことではなく、
実はモルモンの代表的ミュージカル「サタディウォーリアズ(土曜戦士)」という、

恋愛至上主義と 結婚の重要性であります。

だがモルモンが、今後日本で芽を結ばないのは、非婚化社会になり結婚したくてもできない。結婚をさせない社会的環境があり、さらに、現代の若い人が、厳しい戒律や複雑な人間関係に我慢をすることは無理なのです。

そもそも、その原因は終戦直後の日本の結婚の義務化、結婚が人生の全ての目的であり、多くの富を得るよりも遥かに偉大なものである。結婚することでどんな不幸があったとしても結婚をするべきであり、子供を残すことが義務という昭和20年代の日本人のお母さんたちの姿に、当時のモルモンの指導者が強く感銘を受けて、世界で二番目にモルモン教宣教師が今でもいる国なのです。

もう昭和時代のような、ぬるま湯の時代は終わり、個人が生きるために必死になり、とても結婚どころではない時代、まして、自制が主眼となる宗教では、ある意味では時代錯誤的な感じなので、モルモン宣教師はラテンアメリカに集中させるべきであり、21世紀のモルモン教はラテンアメリカの宗教になる宿命だと思います。

個人的には、自主性がなく洗礼を受けたことは、それは、もし当時に戻れば、取り消してもらい、再度、自分の意識でバプテスマを受けたいから、モルモン教の勉強をさせてもらってからバプテスマを受ける受けないか洗濯させてもらいたいと教会管理部に手紙を送ったと思います。


巨視的に言えば、長期のクリスチャン求道者時代があまりにも長かった。
そして、クリスチャンの不活発時代も10年近く続いた。

本当の意味でのクリスチャン生活のスタートは昨年の10月くらいから始まったのです。


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実は夢のお告げがあり

9月16日火曜日の夜の集会・「分かち合いの時間」というフリートーキングの時間があり、その頃は、薬物の関係で感情が上手にコントロールできないおで、些細なことで爆発するのと元気がない。意欲が低下状態です。

実は自分が通っている「キリストの教会」懸念事項とは、期待されて求められる、それが自分への管理、監視へとコントロールされると、結局はモルモン教と同じではないかと思います。

昭和30年代後半組みは、教会で精神障害者が多いのは口減らしで兄弟が少ない。ようするに母親が堕胎という殺人を行うから、罪悪感から幼少期に潜在意識へ影響を受けたと思います。

自分の年齢に近い世代、宮崎勤による連続幼女殺人事件から「オタク」への偏見、ステレオタイプな大人たちの思考が、当時よりも顕著になり、来年当たりに確実に、コミケへのテロが起きるので、コミケは危険なので行かないほうが良いと思います。

社会的に震撼させる犯罪は被害が大きい小さいは関係なく、スポーツ選手による自爆テロみたいなことで2000人が死亡と、オタクが上司一人殺害のどちらが、社会を震撼させるのか、後者のオタクによる上司殺害事件のほうが社会に震撼させ、2000人瞬殺テロ事件などは、本来は歴史に残るほどの事件、海外なら確実に歴史に残る大事件なのです。被害規模でなく、どんな人物が事件を起こしたのかが重要なのです!

でも、日本人の思考パタンは

自分の考えは確実に正しい。でも、他の人の意見を全部流用。

人には厳しく、自分には大甘。自分には甘いので自分の罪を省みない。

異文化排斥度が激しい。自分が良いと思ったものは完全な普遍的な真理だと思っている。

喰わず嫌いで、新しいものを触ろうとしない。

上記の思考では民主主義は正常に機能しません。

コミケにいかなくなったのは、実は数万人が一箇所に集まり、確かにコスプレなど楽しいものがテンコ盛りなんですが、個人的には、分散化、小規模化によるコミケで、開催日と開催日を別々で小規模化することを願います。

広い会場に数百人いて、それが狭い出入り口があれば、何か事件が起きたら、逃げ道がないのです。

オタクを2000人でも3000人でも殺しても、情状酌量の余地ありとすぐに釈放され、オタク=反社会思想集団・犯罪者予備軍という考えがあるからです。

だから、分散化、少人数で行うことが安全だと思います。

夢のお告げというのは意外と当たるので、悪意無き勧告でも、もし気分が悪い状態だとネガティブに受け止めてしまう危険性があるので、自分を守る事は重要な事だと思います。

なんか、コミケと信仰は別物ですが、衝突と隣り合わせになっているのです。

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クリスチャンがモルモンを異端する資格があるだろうか?

個人的に大部分のクリスチャンは、まことに残念ながらクリスチャンと言いながら、実は進化論を信じる牧師、その牧師の教会の教会員の人たちなど、進化論を信じていない。創世記の記述は全て古代の神話であり、事実ではないというので、それで、キリスト教でも「福音派」と「伝統的キリスト教=正統派」という線引きをしているのです。

たしかに「福音派」にも千差万別であり、

イラク攻撃支援と支持を教会が行うアメリカの教会が多々あり、教会が共和党政府の支援団体へとなり、自分の息子を強引にも軍隊に入隊させる親もいると思います。

自分が知っているアメリカ人宣教師は、その反対に、ベトナム戦争に何が何でも行かない!しごかれるから嫌でなく、自分の父親が日本の東京などの大都市を空爆して、戦後、進駐軍として東京の街を見たら、その廃墟を見て愕然として、それで日本人の魂の救いのために、宣教師になり二歩の語を学んで、日本での伝道活動をした。そして、その息子がベトナム戦争の召集令状を拒絶して、宣教師になった。

良心的徴兵拒否を行い「殺人をしたくない」という理由なのです。

その判断は父親を喜ばせるだけでなく、実はベトナム戦争はまさに無限地獄で、ほとんどが精神障害者、社会復帰不能になり一生精神病院で暮らす人とか、民間人虐殺で良心の呵責に苦しめられ続けて自殺した人もたくさんいたのです。

何を基準でキリスト教なのか?戦争をすることは「十字軍」と発想は同じで進歩していないです。世界中に半分くらいが独裁国家で、地上最大の独裁国家が中国、それに中東やアフリカの大部分が独裁国。イラクのような独裁国家はたくさんあるので、独裁政権打倒のための戦争は、ベトナム戦争で共産主義国家の連鎖を食い止めるためと言いながら、

とにかく何か戦争をするために、最もらしい理由を政府が考え、そして牧師がそれを支持する。特に南部の保守キリスト教(聖書忠実に解釈する教派・福音派とペンテコステ派など)の牧師、その信者が従うので、結果的には宗教ファシズムではないか、アメリカをますます軍国主義・愛国主義を強化させるのがキリスト教ではないか。

で、日本基●教団とかカト●ックなど、戦争には反対、社会のための福利活動を行うが、その反対に、聖書の言葉を、あまり信じていない。

極端な場合は、イエスをキリストと信じてなくても、教会に所属すれば「クリスチャン」と認められる。実際に特に●公会(英○教会)などでは、イエスをキリストでも神でもなく、歴史に残る天才的な教師レベルに落とすのです。

だから、教会員という概念も、洗礼を受けない人でも教会員と同じ扱いされるのは、その人が教会への帰属意識があれば良いのです。

洗礼・浸礼(バプテスマ)を受けなくても、教会に関係あるひと。また、教会墓地に葬って欲しいという遺言があれば、教会墓地に葬ってもらえると思います。

とにかく、どこのキリスト教会内でも、ヒューマニズムとかニューエイジなどの寄生虫みたいなキリスト教を内部から変える危険な人がいるので、むしろ、弱ったクリスチャンを一人だけ狙うモルモン教の方が、目に見える敵だが、内部の敵は、本心を言わない。言う人もいるが、それは、その人も霊が弱ったクリスチャンであり内心、頭の中が整理できず混乱して、頭の中で上手にパーティッションを作り、整理整頓が出来ない人だと、モルモン教の宣教師の話を鵜呑みして盛るもんになる場合があります。

ある人は、自由を求めモルモンになるが、逆に厳しい戒律のためにより不自由になり、今までの価値観を全部捨てなければならないことは、一時的には、モルモン教のバプテスマを受けても、長くても3年たてば、もっと多くの混乱と、モルモン教内の人間関係での苦痛などで、傷つき混乱を酷くさせるだけなので、

所詮は、真理はとても明確でシンプルなのです。

むしろキリストを信じないでクリスチャンといわれる人のほうが、逆にモルモンの方がクリスチャンらしいのではなか?たしかに部外者には理解できな神殿儀式などが行われていますが、日曜日になれば普通に礼拝しているし、彼らモルモンも一部の反モルモンがいうように別のキリストを信じているというが、大部分はそれでも、他の正統派・伝統的キリスト教と比較すると、モルモンのほうが聖書をある程度、信じているので、まして、今後は内部の敵、現代思想に染まったクリスチャンが別のクリスチャンに影響を連鎖的に行うことでキリスト教会を変質させる。モルモン教みたいな別宗教ではなく、表向きはクリスチャンであるが、実は正統な信仰からかけ離れた人たちが教会を乗っ取る場合が今後も起きる可能性は高いです。

だからと言って、思想監視のため、各個人のブログやSNS日記を読んで、危険思想がないか監視する教会の関係者も、ある意味では現代版異端尋問ではないかと思うのです。

真理は単純です!

イエスは文字通り神様の御子であり、キリストです。罪のために十字架で死なれました。、聖書の言葉は全て文字通り解釈(みたま”神様の霊”の導きで)るするべきで、現代的な科学など人間の小さく有限な脳では本当の聖書解釈は不可なのです。

個人的に、

これは遺言になりますが、万が一、近い将来、事故(外部)か身体的(内部)などで何らかの理由で自分が死んだとしますと、当然、教会の墓地に埋葬を希望します。当然、キリスト教式葬儀を希望します。

ブログやWebサイト(教会公式サイトは別)、SNSの日記は全ての人に公開なので削除しないで欲しいが、パソコン内部のデーターは全て削除。ハードディスク・CD-R・RWの物理的破壊を願います。

自分の所有物は全て兄に自動的に移管を希望します。あとは、不要なものは廃棄、売却、個人的に利用をするのは自由です。

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SNSは自己申請登録制で良いのではないか

今までSNSは招待されないと入会できないとなっていますが、実際は現実に逢った事ない人からの招待が大部分であり、また、人の意見を読んで、細かいことで文句を言う人がいるので、リアルな友達は全然いない人だと思います。

まず、喧嘩を売ってきたら言い返すべきか?

否!いくら激しい口調の暴言でも相手は微動だしない無傷な状態ですので、言葉の暴力をいくら使っても、その人から見れば機械そのものが文句を言うくらいで、その言葉を発しているという概念が無い。通信しているというのではなくプログラムが、そのように反応していると感じるだけですから、何を言っても、こちらが疲れるだけです。

無視をするのも良いし、無視よりも手ごわいのは、回答の内容が、無視されたほうがまだマシだと思える返事です。

たとえば、

新幹線の騒音のことについては、

実際は根本的な解決方法は皆無であり、解決方法らしき回答、騒音を中和させるスピーカーをで音を静かにするとか、回答にならない回答のほうが、相手の精神的ダメージ、不快感は絶大です。

あとは、これも現実的ではないが、レールと車輪を防音材を使うという方法とか、

さらに相手がイラつくのは、そのスピンオフ的なアイデア、車輪にかかる圧力から電力を得るという方法などで、話しをワザとそらすと、無視された以上にイライラするのです。

個人的には招待を希望のメールをだしても、丁寧なことばで断れる場合もあるが、どうしても参加したいなら、誰でも招待という掲示板などで、そちらへ申し込むの良いとおもいます。

結果的には、面倒だからいっそのこと自己申請・自己責任という方法のSNSのほうが合理的だと思います。

参加人数が極少ないSNSで、SNSにも方向性があるので、自分に合ったSNSを探すことも大事だと思います。

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ユビキタスと言論の自由

へんにネットでいろんな情報(駄文)の情報に押し流されるよりは、むしろ暴力的なゲームに夢中になったほうが精神的に健全です。

たいていの場合、多くの人が集団ヒステリー的な辛酸と思える発言があり、それが、ある階級または、非生産的な人たちへの大量虐殺へとつながると思います。

ホームレス狩りから、ニート・ひきこもりへの、心の病気が重い人への負寛容な気持ち。人に対して厳しく自分には甘い。ある意味では自己中の人が増殖で、こんな国は第二次関東大震災でも起きたら、たぶん、都内の復興する意欲無しなので、放置され永井豪の漫画「バイオレンスジャック」のような無法地帯化するのではないかと思います。

むしろ、そのような復興しない都心は、温暖化でほとんど水没して海の底に沈んだほうが良いと思います。

所詮、いくらネットが発達しても、やっていることは1990年代のパソコン通信と同じで、一次元的思考ですから、創造性がないのです。

その意味ではPCやケータイの終焉、いや終焉させるべきで、もっと精神的に負荷がないものへ移行するべきだと思います。

現代人の特徴として

ひとつは、人に厳しく自分には甘い!

なにか仮想的な優越感に飢えている。人を見下す事で自分が有能になったと錯覚する。

現代の職場環境も、できるだけ怒ることで相手を威圧する。それによって自分が優位であり、相手を奴隷以下あつかいする。

たいていは上司が、仕事ができるできない関係なく、いじめたりします。

職場もある意味ではベトナム・イラク・アフガンに派遣された米兵のような、強い精神的ストレスの病で、社会復帰ができなくなる。強い口調で怒鳴られたら、殺意を持つ。

事実、昭島市在住のアルバイトが「ヤマト運輸」の派遣社員を刃物で刺し殺したという事件があるが、自分も、場合によっては、そのような犯罪をする可能性があるのです。

Yahooの質問・相談で「叱られるのが怖い」という人への辛辣な批判。

批判する人が、職場では気に入らない人間、または弱そうで反撃できない人間に暴言を言うので、逆に言えば、人間性を感じない!

そのような不寛容な発想をもつ生き物は殺されてもしかたないです。

相談しなければならない上司と仲良くする、いや、それなりのやる気をだす以前に、上司が仕事ができるできない関係なく怒鳴りつけるし殺意さえもつ。強気の上司や同僚ほど、それだけメッタ刺しされてもしかたない。

そうなると殺人が快感になる。

それは自己中でもなく、怒鳴る事で支配するという行為なので、良く見込みがあるから、叱るというが、たしかに嫌いな人には、よほど危険な行為しないかぎり、遅刻しようが、仕事中サボろうが注意しないが、叱り方一つでも、人間は共感する生き物ですから、愛ある叱り方と、殺意をもった叱り方では、殺意なら、殺意という感情しか残らないです。

良い例が、口喧嘩するとき、相手に強い口調で怒鳴るとき、相手に愛があるでしょうか?むしろ、支配する優位に建ちたい、自分の意見を強引に受け入れさせようとして怒鳴るからです。

とにかく、まず質問箱で『自己中で自殺してください』と相手をワザと怒らせる人の意見には真理は0です!逆に、いろんな意見が述べられており、前者の「自己中で自殺をしろ!」発言がとてもインパクトが強く目立つが、大部分が、同情的に共感する人、ある意味では精神科と相談する必要があり、退職なり休職するなりで、上記のような戦場のような強いストレスによる精神障害を癒されるまで仕事をしないことなど、ポジティブな意見をメモするなり、コピーペーストするなり、自分で、そのポジティブがどれだけあるか、冷静になって数えるべきだと思います。

たしかにゲームは危険という人が多々いますが、むしろ、ネットの精神的な不快ノイズのほうが心の病を酷くさせる原因になるので、原点に戻り、PCもゲーム機みたいに、ストレス発散に使うべきだと考えます。

とにかく、非人間的な意見をどうしても目に付く、それが最もインパクトが強い場合があるので、

キリスト教会に通う精神障害者にはPCとかケータイ(電話で会話のみなら良い)は、あまり、お勧めしないのは、不快ノイズで心の病が酷くなるからです。

全ての人がネットに繋がる時代は、まだまだ先の時代の事だと思います。

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m。x。のIDは貴重な財産です

実は何度も某SNSを辞めたり入会したりの繰り返しをしています。
むかついて大喧嘩して辞める事が、大きな理由なのです。

相手が悪すぎる、他人の気持ちを考える能力が欠けているからです。
暴言と思える言葉がでてくるし、本気で怒らせるのでが、暴言を言う、人の揚げ足をとる人、嫉妬深く妬みが強い人間ほど、ネットでのトラブルメーカーと思える人間ほど、かなり強烈な暴言で言い返しても何の反応がないのです。

その意味では言葉の暴力になれている人間だから、どんな激しい口調でこれ以上酷い言葉を遠慮なく言い続けても、相手は自分が思ったほど、微動だしない。
まったく無傷なのです。

たとえば「○ね!○ちがい!」「この○ソ野郎」「○カ!」と暴言をいくら返しても相手は、逆に本気で怒っていると思い、言われる側のほうは愉快に感じるだけなので、無視をするのが一番良いです。

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逆上して、退会したら次に招待してもらうまで、けっこう努力が必要であるのです。
だから、○垢を作るのは復活しやすくするためです。

逆上して辞めたら、復活するまで時間がかかるので、しばらくログオフしてお休みするのが一番です。

そもそも今年の3月ごろから、完全に一人に一つのアカントという鉄則になりました。(ようするに別の登録型SNSに参加するほうが無難であり常識的なんです。)

招待されても、安心できない。結果的には2ちゃんねると同じ変な奴ばっかりです。

その大きな原因はケータイ依存族という24時間ケータイを手放せられない奴が●ixiには多いのです。ケータイだけで投稿も閲覧も可能ですから。

全てのケータイ利用者が人格的に異常とか社会的に不適応なクズとは言いません。
これは、アニメやゲームと同じように、それが好きな人が全部がクズと決め付ける言動は反感を買い、自分のバカさ加減を見せ付けているようなものです。

ケータイ依存症の僅か1パーセントが人格的に破綻している人間と考えるのがすじだと思います。アニメやゲームが趣味の人間も同じなんです。大きな違いは、

ケータイは一次元思考の世界、3インチ以下の画面の世界ですが、

アニメやゲームは、3インチ以上の画面、思考レベルが高い2次元の世界です。

線と平面(縦と横の面)の違いです。

だから、オタクほどケータイ依存度が高い人間とは水と油の関係で、そもそも思考の次元が違う、平面に住む生き物がいたとすると、高さという概念が理解できないようなものなので、アニメオタクの発言などケータイ族には理解できない概念だらけなのです。

某SNSは「2ちゃんねる」と同じくらい多くの情報がたくさんあるので、それは、ある意味では財産であり、場合によっては自分を救う切欠になるのです。

ひとつは、コミュニティの流れ雰囲気を上手に把握しないで、いきないり自己紹介や挨拶して「はじめまして」一つで、それだけで、いちいち文句を言う人も、どこかのコミュニティにいるのです。

要するに、参加するコミュを絞る。または、必要以上増やさない事です。

とにかく現実の友人から招待だと思って安心しては駄目です。

実は仮想上の友達からの招待が大部分なのです。

友人がいるから人格的に問題ない人、優しい人というわけではない。どうしても合わない人もいるわけです。

知らない人のところで、相手の人格がどんなものなのか把握しないで、日記にコメントを入れるのは、相手の人格がどんな状態なのか日記を良く読むか、参加しているコミュのスレットで、どのように対話しているのか把握しないと、嫌な思いをするだけです。

コメントをする前に、その人の思考、人格を知らないと痛い目に遭い、場合によっては、細かいところ同でも良いところで、喧嘩を売る、喧嘩をするのが好きな人、人を本気で怒らせるのが喜びに感じる人など、会員数最大のSNSである●ixiだから、人格が異常な人間も多々いるので、ある意味では匿名掲示板「2ちゃんねる」と同じくらい慎重に対応しないとならないです。

結論を言えば ●ixi=2ちゃんねる(匿名掲示板) 参加者は同じレベルなのです!

最近の若い人は自分が思っている以上に異文化排斥的で不寛容!自分は駄目人間と自己否定している奴ほど、自分の意見は絶対に正しいと譲らないのです。ニュースの記事など、犯罪事件があれば加害者への情け容赦ない辛辣な言動、「寛容」という概念が皆無。

ニュース版などは今すぐに廃止して欲しいです。

ニュース版からの日記には言論の自由でない!人の意見が自分の意見と思い込む、そもそも自分が駄目人間だという奴が、自分の意見を考えだせるわけないです。

自分の考えが無い奴に犯罪者を非難する資格も無い!

犯罪者に不寛容な人間ほど、実は犯罪者予備軍なのです。

最大のSNSのニュース版では、加害者をとことん責め、2ちゃんねるでは、予告殺人をする。

二重人格的なやり方をネットでするから。

自分の身を守るには、ポイントを絞ること。

スレット(掲示板)で誰が参加して、発言する人間に人格的に問題ある人がいるのかどうか、よく読んでみる必要があります。

逆に言えば、マイミクや「マイミクのマイミク」の日記、

スレット参加者の日記を読むと、いくら時間があっても足りないから日記を読む必要はないです。

たいていはプロフィールや参加しているコミュで、その人の方向性がわかるのです。あとは日記、最低5件遡って読むだけで、その人の人柄が何となく見えてくるのです。

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モルモン教が異端視されなくなったのは

モルモン教そのものが衰退化ではないかとおもいます。

キリスト教会でもさまざまな問題を抱えているが、モルモン教のほうがもっと多くの問題があるのではないか?モルモニズムとは?

もう、モルモン教のことを忘れても良いのではないか。

既に時代が変化しており、今の若い人に厳しい戒律を守れるわけが無い。

外国人だから珍しいとは限らない。

その際めつけは、新規に訪れた人への無視です。1980年代には「歓迎員」という責任があり、初めて着た人を導く役割がありましたが、1990年代に世俗的な社交団体化すると、また、組織のあり方が親睦でなく、あくまでも完璧さを求め続けて、それぞれの強い個性を持つ人が衝突することでお互いに敵意をもち許そうとしないことです。

それを観れば、誰もモルモン教の信者になる気はしない。

宣教師がいくら歓迎し親しくしても、それは友達で終わるだけ。

義理でバプテスマを受けて、宣教師が別のところへ異動すると、その人も同時に教会に来なくなる。

そして2000年代では、モルモン2世が若者の中心になり、現代の若者と違う文化で育ち、まったく価値観が異なるので、友達になれない。

アメリカでも日本でも、同じように衰退化はしていると思います。

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低価格の英会話教室での伝道

モルモン教では毎日の伝道活動で無料英会話教室のチラシを配って伝道をします。

キリスト教会と大きな違いとは、彼ら宣教師は、わずか三ヶ月で日本語を覚えるのです。たぶん、発音記号とローマ字のみで会話を効率的に覚える秘訣があると思います。(辞書を使わず単語を覚えず、文法ごと丸暗記とか)

だからモルモン教宣教師は、日本の文字・ひらがなやカタカナが全然読めないのです。漢字などチンプンカンプンですが、それでも日本語が話せるのです。

第二次世界大戦後、アメリカが日本占領時に、合衆国の有力な人たちを今後送り出し続けるには日本語の書類を読みやすくするために、日本語を全てローマ字化政策を当時の政府に圧力をかけたが、識字率が高いとか、日本文化の破壊行為になるとか、逆にアメリカへの反心を煽るなるなど、日本語のローマ字化は失敗しました。

でも実は漢字が無くなれば、自分の子ども時代は、漢字で苦労しないですんだ、ローマ字化したほうが学力が向上したかもしれないし、外国の学校にいた生徒が漢字で苦労しないですむとおもうのですが。

で、英会話教室で夏休みに犠牲的な奉仕をしてくださった方にはたいへん感謝しますが、実はあるサイトではこんな意見があります。

http://religion.web.infoseek.co.jp/religion/icc_doc/icc_nomura.htm

英語教室について

日本社会に於けるキリスト教が置かれているいろ

いろな問題に対する関心や興味は見られず、日本語の準備も殆どなく、陽気で無邪気

なアメリカ人青年たちが「指導者として日本人を教える」という発想です。

  この事をよしとする日本側の教会や伝道者もあれば、苦々しく思う教会や伝道者も

います。  そして、鉄のカーテン崩壊後には、旧ソ連邦各地に同じような主旨で勇ん

で「伝道」に出かける米国教会や米国の青年たちが後を絶ちません。

合衆国からの人たちへ悪意はないが、自分の「日本人はアメリカから多くの事を学んだ」という発言も、それはアメリカが世界の中心という日本を低く見下すという発言になるのです。日本には日本にしかない高い文化があるのです。

その辺、反省します。

それは、イエスを殺害したユダヤ人が世界で最も優れた民族であるという自慢からイエスを殺した。選民意識が神様を殺した。そして時をへて西欧人が新大陸の人たちの文化をすべて焼き尽くした。根絶させて強制的に西欧の文化を教え込んでやるという選民意識。そして、全世界の大部分が西欧人の植民地になり、そこから世界が大混乱を起こして、大量虐殺の時代が始まった。

(こんなこというと、中川健一さんから批判が来ると思うが)

イエスを殺したユダヤ人の子孫が、けっしてろくな事をしない!

パレスチナ問題は、それは独善的なユダヤ人が強引に先住民を強制的に排除させて、いまでも悲劇が続いている。攻撃すれば報復する。

だから、神様を殺した民族は、たとえ同胞でさえも虐殺すると考えるのです。

まず、一つはLSTのありかたを考えて見る。それもあと11ヶ月もあるのです。短くとも10ヶ月も思考する期間がある。

ただ、LST5週間だけでは、だれかが洗礼を受けてクリスチャンになるのは無理であり、教会員と話し合えただけで、それだけで十二分の成果があったと自分は思います。また、はるばるアメリカから来た人たちが何も不満を言わず無事に終了したことも十分評価するべきところです。

一部の教会員でも、ほとんどノータッチの人もいたし、

それは、上記のように日本語を大事にしない人が外国語を習う事がナンセンス。キリスト教や聖書の教えは全ての民族に平等である。人種・民族・文化・言語で人間の優位をつける神様はいない。

来年度はどうするべきなのか?北米のキリストの教会では期待がかけられているので、たぶん来年もLSTが行われるのは必至だと思います。

キャンプは?若い人の参加者が少なくなった。その反対に子どもが多くなった。

日本語が全然喋れない人とのコミニケーションをどうやって取るべきなのか?

健康状態の問題、途中で風邪を引いたとか、睡眠時の問題、または事故による怪我など、深夜などの緊急連絡など。途中参加は可能なのか?

実は、言葉で上手く表現できなかったこと、アメリカ人が喜ぶようなゲームが日本人である自分には、時には「しらける」ときもある。変に義理で付き合うのも相手には、とても失礼なので、これは「しらけた」と感じた時、無理に付き合わないで、その場にいないで、それが終わった時に、話しかけ、カタゴトのコミュニケーションを取るだけでも十分だと思います。アメリカ式のゲームは子どもには受けるが、大人だといまいちなのです。

で、はるばる北米から来て、自分たちが何もしないで放置では、それは、あまりにも薄情です。日本には良い印象を持って帰っていただき、帰国後は日本は良い国だということを伝えていただけたら幸いです。

野村基之先生は、LSTに必要以上に心配しているのですが、実は初めての人だと5週間だと、外国人と英語で話しができたしか印象がなく、キリスト教への改宗まで、さらには日本文化を低く見下し、アメリカ文化を高く見るということは、たぶん無いと思います。既にアメリカそのものが衰退化、弱体化し、さらに多言語国家・英語が通じなければスペイン語を使えばという状態で、いろんな民族が増えてきている、だから中核であるアングロサクソン系の比率は年々低下してきているのです。

アメリカ文化とは北米に定住したアングロサクソン系の人たちの文化なのです。

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信仰の継続が何故できないの

信仰生活は楽しく行わないと続かないと思います。

最近は、自分の状況は日に日に悪化しているのは、うつ状態が酷くなり、気分転換が出来ないからだと思います。

あとパソコンにのめりこみすぎて、一時期はブログの書き込みを制限しました。

それでも駄目なんです。

まず、信仰生活が楽しくない原因は、対人関係があると思います。

気が合わないとか、だから、その人とは会話を極力しないなどもあります。

でもモルモン教だと組織化されており、あえて気が会わない人と一緒にする指導者がいるため、相手が強く出ると、その人に対して言葉の暴力を行い続けて、凹ませ続け、それが、酷い鬱病へと至らせるのです。

ただ、辛いから辞めるのも、意外と少なく、

自分の体験だと、我慢した物が一気に大爆発して、それが辞めるきっかけになったと思います。だからどこかでストレスを発散させガス抜きをする工夫が必要です。それが1980年代の楽しいイベントやキャンプなどです。

1990年代にもありましたが、何かワード内で派閥ができ、主流派出ない人を排斥するような動きがあり、だから話しかけても、会話がなりたたないのです。こちらが悪意がなくとも、相手は何らかの理由で敵意を抱いているので、ワード内が分裂した状態なのです。

かれら主流派は主流派のための、主流派だけのワードにするために、非主流はを排除させるのです。

敵意を持つのは

信仰が弱い人、逆に献身的がゆえにそれが嫌味に感じる人、かなり真面目な性格が気に入らない。敬虔な信仰の話だと思っていても聴くほうは、聴きたくないために席から離れるなど、

キリスト教会ではありえない強烈な分裂行為がモルモン教会では行われていたと思います。

キリスト教会でも、2月のキャンプでも、理由が解らないが自分に敵意をむき出しにする若い男性もおり、モルモン教と共通しているのは、吐き出したいほど強い違和感、異様さ、さらに受け入れがたい雰囲気、生理的に強い嫌悪感などもあると思います。特に見た目が気に入らないなどです。

それから、コミュニケーション能力が自分が若いときと比較して退化している。長文の質問の意味が理解できない。だから若い人には、「何する」「これからどうする」「どこへ行く」なら通じますが、「あなたは今日は、どこに行くのですか?そこで何をしますか?」という質問だと、相手は長文を暗記できないので、意味が通じない人が増加しているのです。

ケータイでメールがそれが顕著になり、一日10件以上は当たり前で、断片的で単語の羅列のみですから、文章になっていないのです。丁度、チャトよりも短いのです。

今後は「え!」「はい」から「?」「(^^;)」「(TT)」へと言葉にならないメールになるのではないかと思います。そのような人が活字を読むことはほとんどなく、Websiteの長文を読んでも理解不可能です。それでも少子化の