キリスト教と現代科学の時間の差

西洋文明(キリスト教)では、人類の歴史は、約7000年だけだという説もあり、現に西暦2000年を超えた現在、本来ならもうじき大艱難の時代、そのあとに来る1000年王国、ゴクとマゴクの戦いのあとに最後の審判で人類と宇宙全体の歴史は終焉するのです。
(1000年王国は存在しないという説もあります。だから西暦3000年頃まで人類社会の歴史が続くと思われるです。)

科学的には多くの突っ込みが入れられそうですが、創世記ではビックバーンで全宇宙が創られたということはキリスト教会では否定されております。現代科学では、大部分の物理学者や天文学者ではビックバーン説を支持しており、その証拠に、遠い銀河系ほど、速い速度で遠ざかっており(赤方偏移)とか、ひじょうに遠い宇宙の彼方からマイクロ波が全天から放射されており、それがビックバーンの名残だというのです。

その意味では、宇宙の始まりは137億年前であり、地球の歴史は46億年。
キリスト教の聖書解釈では、創世記では、ある牧師の説だと、文字通り6日で全宇宙を創造したというのです。アダムとエヴァの時代から、約7000年しか人類の歴史は存在しないのです。

でも現代科学では、人類は300万年前に誕生し、文明が発祥したのが、5000年前であり、また、アメリカ大陸の原住民は、1万5千年前に北アメリカに定住し狩猟をしながら南下していったのです。

キリスト教信仰を信じるものとしては、創造論は部分的に認められるのは、人間の祖先はサルではないことです。地上にいる生命体は神様が創造したものであるが、妥協して科学的に考えると、旧約聖書の創世記の一日目という概念は文字通りの24時間ではなく、数億年ではないかと思います。

個人的に創造論を支持する理由は、生物が必要とする炭素が作られるには、何度も太陽の100倍近くの恒星が超新星爆発(核融合)を繰り返さないと、生物の元素である炭素分子が作られない。また地球上には重い元素である金属からウランまである。宇宙が創造されてから、多くの星が何度も爆発と誕生を繰り返しながら、地球上の元素ができあがっているので、そうなると地球に人間が住むのに適した環境にするには数十億年くらいの時間が必要だと思います。

さらに、太陽系での地球の位置が、ちょっとでも太陽から遠かったち近かったりしたら、人間のような知的生命が住める環境にならなかったのではないかと思います。

さらに不思議なことに月の存在があり、月のおかげで地球は正常に自転できるのです。

偶然の産物では、かなり確率が低いのです。

無神論の現代科学では、地球は偶然の産物であると考える学者もいますが、多くの宇宙飛行士は、地球は偶然に作られたものではなく、なんらかの神秘的な偉大な意志によって地球が作られ、そこに人類と言う知的生命体が住むように計画されたと考えがほとんどです。

たしかに暗黒の宇宙にポツリと生命に満ち溢れた惑星をみれば、そのように感じるのです。

その意味で、人類の歴史は、最大なら無限であるという人もいれば、太陽が巨大化した遠未来である60億年後には滅びるとか、または、2億5千年後には地球上の海の水が地面に吸い込まれてなくなれば、酸素を供給量がないため、地球が現在の火星のような環境になるために人類は滅びるとか、あとは、地球は温暖化と寒冷化の繰り返しがあり、極端な寒冷化(氷河期)が500万年後に来れば人類は絶滅すると言う説があります。

ある科学者は21世紀中に人類は滅びる要素がたくさんあるから、22世紀は来ないと信じている人もいます。

科学者によって人類の歴史の長さは違うのです。
まず現代科学は、時間がたつと仮説が変わることがたびたびあるのです。
また科学者の学閥というのがあり、科学とは多数派が正しいとみなされているのです。

さらに、創造説を信じるのは、復活という物理的には説明できない現象が神様の力でおこなわれるなら、逆に言えば土から人間を作ることも可能だと思うのです。最後の審判のときに、全ての人たちが復活する。その復活はどんなものか知らないが、たぶん何らかの生命を持ったもの、または、霊的なものだと思います。それは想像を絶するものですから言葉では表現できないです。

古代の人たちは、現代のクリスチャンの葛藤を感じることなく自然に対して畏敬の念=神様への畏敬の念を抱いたと思います。

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地獄の亡者は、ガス生命体なのか??

最後の審判では、地獄に落ちる人と天国に行ける人に分けられます。

地獄の恐ろしさを最も強調するのがペンテコステ派ですから、そちらの教会では、異言が離せない人は、聖霊のバプテスマを受けていないから、不十分であり、その結果、死んだら地獄に落ちると信じられています。

だから必死になって正しい生活を送る努力をしているのです。
ネットでしらべると、世界で最も信者が増えている教派はペンテコステ派です。
(某A教団の牧師は、態度が冷たかったけど。)

自分が10代の頃に一時的に通った関東栄光教会では、熱狂的に歓迎されるし、礼拝の雰囲気も猛烈なエネルギーを感じました。それでいて、激しい口調でランダムな発音による祈りがあり、それを異言というのです。

これは、あまり真面目な話しではないが、地獄の亡者とは、もしかして「ガス生命体」のことではないかと思います。宇宙の終焉といわれる10の33乗年後に、物質を構成する原子がなくなるので、完全な静寂の世界になるはずですが、電子と陽電子からなるガス生命体が生まれる可能性もありえるのです。ただし一つの動作をするのに1000億年かかり、身体の大きさは現代の科学で観測できる宇宙の大きさよりも、はるかに大きい。

完全にスカスカの状態だから、巨大な幽霊みたいなものです。

極限的苦痛、無限の苦痛とは、平均的な成人の大きさが、全身に激しい痛みを感じても、身体全体以上の苦痛はないが、地獄に落ちた人の苦痛は、苦痛を感じる部分が全宇宙よりも遥かに広い範囲なので、それだけ激しい苦痛を受ける事になるのです。

まして、あまりにも酷い苦痛と強い悲しみと怒りの感情に満たされた状態ですから、無限の苦痛の地獄とは、仏教の地獄絵図よりも遥かに悲惨な状態であり、人間の想像を絶する世界だと思います。

また、死後の世界とか、最後の審判の後の世界の状態は、全宇宙の物理法則がまったく異なる世界であるので、前回の日記に書いたように、全宇宙の大きさが細菌くらいに感じるものかもしれません。

地獄の亡者=宇宙終焉後のガス生命体かもしれません。

ようするに、あまりにも激しい苦痛のため、生前の悪い行いを後悔できるほど余裕は一切なく、ただ全宇宙を遥かに超えた感覚器官に無限に強いストレスが襲い掛かる状態なのです。

完璧に無限の寿命を持つ唯一の生命体とは超巨大ガス生命体ではないかと思います。

最後の審判では善人・悪人・キリストを信じた人、信じない人の復活がありますが、それが人間の形とは限らないと思います。ガス生命体ということもありえるかもしれません。



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ガンダムの世界ではスペースコロニーが180機ある

まず軌道(宇宙)エレベーターとスペースコロニーが作られる時代とは、完璧な超管理社会であり、ある意味では戦争と内戦もない、だからテロ活動をしたくても絶対に出来ないような、権力がひじょうに強い地球連邦が形成されないと、作れても作らないと思います。

機動戦士ガンダムのオープニングのはじめのシーンでは、スペースコロニー落としでニューヨークらしき街が破壊されました。水爆数発分の破壊力があり、実際はこれだけでも、核の冬が訪れ、地球が急激な寒冷化によって、食料不足になり大部分の人たちが餓死するのです。

一つのスペースコロニーに2億人が居住できるものを180機も作るとしたら、周囲にある月面の岩石や大量の小惑星を捕まえても足りないので、木星や土星の衛星をもスペースコロニーの材料になるのではないかと思います。

まだ人類が月面基地や火星基地を作り、ロケットで宇宙に行ける時代は、超大国や先進国が独占している状態なのです。だけど、「プラテネス」のように地球周回軌道の大型宇宙ステーションを一つ破壊しただけで、大量のスペースデブリが出て、人類の宇宙進出が当分先になってしまうのです。結果的には地球に閉じ込められた人類は、人類が存続する限り永遠に限られた資源の奪い合いとテロ地獄で苦しむ事になるのです。

もしかしたら人類の価値観は大きく変わり、刑務所よりも厳格に人間を管理する、極超管理社会を望むようになるのではないかと思います。かつては近代以前では残酷な拷問や死刑が庶民の娯楽だったり、アフリカ人の奴隷商売が正当化された時代がありました。現代から見れば人道的な大きな問題とみなされます。

だけど、あまりにも多いテロ地獄、いつまでも終らない戦争、その原因は人間をひとりひとり管理できない社会は危険な社会であり、管理できないから、精神障害や肥満がはびこる。自由放任社会があらゆる災いの原因だから、極超管理社会を求める声が次第に強くなるのではないかと思います。

逆に言えば、宇宙開発が進歩すればするほど、宇宙建造物はテロの標的になりやすくなり、その破壊力は計り知れず、結果的には第二次世界大戦よりも大きな被害となれば、世界中の人が、極超管理社会の到来を求めるようになるのではないかと思います。

極超管理社会はディストピア小説で良く使われる題材で、そのような社会には何も自由が無い悲劇的な社会と描かれているが、逆に極超管理社会では犯罪がまったくない安全な社会、ましてテロをしたくても絶対に出来ない社会。ようするに一人の人間に対して、数十人の専門家が監視する社会ではないかと思います。

毎日のように警察官が訪問してくれるような社会だと思います。

ある意味では自殺したくても自殺も絶対にできない社会。熟練の心理カウンセラーが毎日監視するので、場合によっては自殺する必要もない社会となり、

むしろ、未来の人からみれば21世紀の社会は、とても文明が低いため野蛮な思想が残っているため、精神障害者や自殺が多かったと悪い意味で評価すると思います。

当然、脳内のあらゆるところにチップを埋め込まされる義務があり、それを行わなければ終身刑にさせられて一生刑務所ですごすようになるのです。
(逆に刑務所のほうが自由な生活ができるかもしれません。)

特に思考犯罪と言う概念ができあがり、万一、社会に不満を持つものがいれば、まだ何も悪い事をしてなくても、テロ未遂犯として刑務所に入れられ、厚生させるために懲役刑となるのです。

極超管理社会とは、電脳化社会であり、電脳化していない人は、どんなに理知的な生活をしても未開人扱いされ、働いてお金を貰ったり、そのお金で買い物もできないのです。
考えている事を監視され、自分の周りに何十人もの人間やロボットが常に目を光らせている社会なのです。

発想を変えてみると、孤独とは無縁の社会。肥満や鬱病、不眠、不規則な生活とは無縁の社会。適正(才能)を十分生かせる社会、働くのが楽しい社会になる場合も考えられます。

極超管理社会は、とても良い社会のように感じられる文章になりましたが、たぶん、悪い人が支配したら人類全体が悲劇だと思います。極超管理社会の到来とは、遠い未来の話だと思います。

21世紀の技術でも、たぶん機動(宇宙)エレベーターとかスペースコロニーも作れると思いますが、テロの標的にされる危険性が高いので、早くても22世紀後半ごろにならないと作らないかと思います。

21世紀末の世界人口の予測は、30億人以下になり、さらに22世紀になると20から15億人程度になるので、あえて2億人が収容できる超巨大スペースコロニーを作る必要はなく、むしろスペースコロニーは将来、数世代にわたる恒星間飛行の実験施設になると思います。


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タイムマシーンは実現可能なのか?

現代の科学ではタイムマシーンの原理は不明ですけど、もし現代の天文学・宇宙物理学の知識を使えば、数パーセントの確率で可能だと思います。

たとえば、911同時多発テロは1万年後の未来人の仕業であり、現代は実は未来人によって影響を受けた世界ではないかという推測もあります。
(パラレルワールドでは、911同時多発テロがない世界、2009年でもNYツインタワーが存在している世界の自分もいるわけです。)

たとえば人類の歴史が永遠と考えれば、中東の某世界宗教は9000万年後になっても、現代と同じような生活様式と教義のままだと思います。(9000万年後の未来の人類は、ほとんどサイボーグになっており、ある意味では永遠の生命を享受しているかもしれないし、または、肉体は不浄なものだからという理由で、宇宙に漂うエネルギー生命体になっているかもしれません。

仮に地球上でタイムトラベルできる機械を作ることができたとしても、過去に戻ると、地球も太陽も、そして銀河も猛スピードで移動しているので、過去に戻ったら宇宙の彼方へ飛ばされてしまい、一瞬で凍結してしまいます。そのために恒星間宇宙船がタイムトラベルには必要不可欠なのです。

タイムマシーンのアイデアは、たくさんありますが、どれも壮大なものであり、また、タイムマシーンが作られた以前の過去にはもどることはできません。(壮大なものとは、約2.5光年の長さを持つ円筒状の巨大建造物を作り、そこを光の速度とほぼ同じ速度で、巨大建造物の周りを周回することです。そのかわり猛烈な遠心力で、宇宙船内の人間が潰れてしまいます。)

最も現実的なのは、ブラックホールにワザと入ることです。
光の速度に限りない近さで、ブラックホールに入ることです。そうしないと、ブラックホールの引力で自由落下で地表に落ちると、強烈な引力のためブラックホールの地表に達するまでに無限の時間がかかり、(重力が強烈だと時間がかなり遅く進むのです)ブラックホールに乗っている人が後ろを見たら、全宇宙の変化・周囲の銀河が次第に離れるのを数時間で見ることができ、そして最後には完璧な暗黒の世界しか見えない状態になるのです。かなり強烈な引力なので、普通なら人間が完全にぺしゃんこになるのですが、それを考えないで通常の重力として考えればの話しです。

また、ブラックホールに入る宇宙船や乗員たちは、素粒子レベルまで粉々にされるのですが、そうなるまえに、ブラックホールの中心(強烈な自転による遠心力で作られたドーナツ状になった部分の真ん中に入れば)を通りすぎれば、超空間という時間が逆行する世界に到達でき、それによって、過去に戻る事ができるのです。

自由落下でブラックホールに宇宙船が落ちると、宇宙船をかなり遠くから観察する人と、宇宙船の乗員との時間のギャップが大きく、たとえば観察する人の一年が、宇宙船の乗員にとっては、わずか10000万分の1秒という時間の進み方をするので、それを相殺するためには、ブラックホールに入る宇宙船の速度を光の速度に限りなく加速させる必要があります。そうしないとタイムトラベルする乗員達は、永遠にブラックホールの周囲に固定されてしまうからです。

現代科学では、まだ不明な部分がたくさんあり、現代では正しいと思えることも、近未来では間違えていたということもあるので、今の状態のまま1万年という時間をかけて科学が進歩し続ければ、タイムマシーンも作れるかもしれません。

あとジョンタイラーという未来から来た男の話は、論理的に科学的に考えれば完璧に嘘だと思います。


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地獄は絶対に存在しない論について

現在のキリスト教では、「万人救済説」とか、それをより強調した「地獄は存在しない」とい力説するクリスチャンがたくさんいます。

キリスト教神学を学べば学ぶほど、「地獄はありえない」「神様は無限の慈悲を持ったお方だから、どんなに冷酷で残忍な犯罪を犯した人間でも自動的に天国に行ける」だから「キリスト教会不要論・日曜礼拝不要論」があり、また、クリスチャンではなくても天国にいけるから極論を言えばキリスト教は現代社会に必要はない!と力説するのです。

要するに、「地獄」という概念は仏教的なものであり、「地獄」の存在を認めるものは異教に影響されたクリスチャンであるから、純粋な信仰ではないと言うのです。

その根拠とは、キリスト教を知らないで亡くなった祖母・祖父は知らなかっただけで地獄に落ちるのではないかという不安もあり、それだと今頃は地獄の底で24時間、休みなくのた打ち回っているのではないかということになり、そのような考え方は、神様の無限の愛を否定することであり、そもそも地獄という脅しは異教的だから、地獄は絶対に存在しないとなるのです。

だから、キリストが十字架にかかった時に、キリスト教の役目は終っており、その役目が終ったキリスト教信仰では、絶対に奇跡も起きないと力説するのです。西暦2世紀の時点で、キリスト教会の役目は終ったということになるのです。

ようするに、ペンテコステ派の信者が、祈ったら奇跡が起きたというのは、神様の力ではなく、悪魔の仕業だとみなすのです。現代では、どんなに強く祈っても、どんなに長時間祈っても絶対に奇跡は起きるわけないというクリスチャンが多いのです。

地獄は存在しないから、神様に従順である必要はなく、わざわざ良い人になって、隣人愛に満ちた人になる必要はなく、自分が嫌いな人間には意地の悪い事をしても、無限の罪の許しがあるから、どんなに他人に辛酸な思いをさせても絶対に裁かれないというわけです。

ようするに、神学を学べば学ぶほど、性格が悪くなる傾向があります。

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逆に、一部のペンテコステ派では、永遠の地獄を強く主張するあまりに、たとえクリスチャンであって、悪霊を追い払い、奇跡を体験した人でも、隣人に冷たい人は、最後の審判では、「わたし(イエスキリスト)となんのかかわりもない。そこから出て行け!」と永遠に続く、かなり激しい苦痛が及ぶ地獄に悪魔サタンと悪霊ともに地獄に落とされるのです。

地獄の恐ろしさは言葉では表現できない。一瞬でも見たら、どんなに精神的にタフな人間でも発狂するほど、酷いところだと強く主張しています。

ある意味では両極端な主張がキリスト教(プロテスタント教会)ではあり、中庸な神学論は、ごく稀なんだと思います。

よく近所のキリスト教会をお勧めしますと言われますが、個人的には、論理的で道徳の必要性を強調するキリスト教会をお勧めします。それが多少、自分の家から遠い場所でも、近くの狂信的な教会とか、カルト宗教的なキリスト教会には通わないほうが無難だと思います。

また、正常なキリスト教会でも、一部には上記のような極端な神学を強調するクリスチャンも一人や二人いるかも知れませんが、そのような人には、あまりかかわらないほうが良いと思います。


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仏教と現代天文学が酷似しているのが不思議

古代インドでは、巨大な蛇の上に、巨大な像が乗っていて、像の背中に地球(を半分にしたもの)となっているのが古代の宇宙観でした。

実は、それは仏教以前の宇宙観であり、仏教では宇宙は誕生して成長してから、最後には萎んで死ぬ。そして、また宇宙は誕生して、同じように成長して、最後には萎んで死ぬ繰り返しの教義があり、さらに、全ては素粒子からできていると教えているので、紀元前500年ごろの人が何故、現代物理学の知識を持っているのか謎です。

また、西洋では、最高でも兆までの数値しか表記できないので、それ以上の数値は×10の何乗と表現するのです。

現在では西洋(3桁)やインド(2桁)、東洋(4桁)など国によって数字の大きさを表記が統一されてないので、数値の10の何乗というように世界的に統一されています。これは天文学によく使われる数字の表記方法です。(最近は「ギガ」「テラ」バイトというようにな命数法が使われています。)

日本では一般的には、億とか兆までが使われており、それ以上の大きな数は、あまりつかわれないのですが、江戸時代に成立した名数法が現在でも使われています。

兆や京から、21の数字の桁を読みますと、まるでお経をあげいるような感じになります。
逆に小さい数字も、同じようにお経をあげているような感じなります。
江戸時代の数学に仏教の影響が入ったからだと思います。

ようするに無限への向けての命数法とは、「仏典の数詞」があり、なんと最大の数は「不可説不可説転」であり、天文学・物理学的な表記だと、10の37澗乗ですから、普通の人間の感覚では無限とほぼ同一なのです。

また、仏教では普通の生活ではほぼ使わない数を頻繁に使うため、そのために江戸時代では数学がとても重要視されたため、和算が発展しました。和算は西洋数学とほぼ同じくらいのレベルでしたので、明治時代初期に訪れた西洋人は、日本の輪算をみて驚いたのです。

キリスト教文化圏では、とくに古代社会となれば、一万以上の数は数え切れないし、普通の生活ではそれ以上大きな数字はありえないので、一万以上は無限とみなされました。

変なたとえですが、アフリカの未開人などは、1・2の次が「たくさん」とみなすのと似ているのです。アフリカの未開人では3という数字の概念が無い部族もたくさんおり、また、よくても手足の指の数の20までが限度なんです。

もしかしたら、紀元前以前の古代社会は、ほとんど記憶がなくなったため、見下した歴史観があるが、実は現代に近いほどの科学的知識を持っていたのではないかと思います。そうでなければブッタの教義が現代天文学や物理学と一致するわけないです。


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キリストの再降臨はいつくるのか?

あと10年後にでも再降臨があると主張する教派はペンテコステ派だと思います。

4・5年前に二軒ほどペンテコステ派のキリスト教会に通ったことがありますが、すごく堅苦しいことを言う割には、Aという大きな教派の教会の牧師は態度が冷たかったです。だから、若い女性の訪問者(?)が来ると、人が変わったように親切な態度をします。そのかわり牧師婦人がいろいろ話しを聴いてくれたのが、ある意味では救いだったと思います。
(ペンテコステ派ですが、キリストの再降臨が強調されていませんでした。むしろ戒律的なものが強調されていました。)

ただゴスペルソングが熱心なので、11月の土曜日にゴスペルコンサートの招待状が来て、それに参加しなかったら、ほとんどの教会員が何となく冷たい態度になり、話しかけても話しが続かないなどゴスペルコンサートに行かないだけで態度が冷たくなるのは、彼らにとってゴスペルはよほど大事なものだったと思うのです。

また、比較的に若い人が多くおり、青年会が充実しているみたいですが、年齢制限があり、30歳以下で正社員か大学生でないと、パーティに参加できないらしいです。

もう一軒のJという教派では、より堅苦しい感じの説教が多々あり、人間の性欲は悪だという説教が多々あり、徹底した戒律主義になっていると思いますし、また、そこの牧師先生が書いた本をもらいましたが、さしせまった再臨主義が書かれており、たとえクリスチャンでも他人に親切にしない神様の戒めを厳格に守らないと、再降臨前の大艱難時代でとことん苦しむようになると強く主張していました。その意味で、比較的に親切で教会に来てくれたことを歓迎する雰囲気がありました。

ただ、モルモン教に似た雰囲気があり生理的に受け付けないです。
(あとは礼拝中に意味不明なランダムな発音による祈りなども、異様な雰囲気がありました。)

モルモン教でも最も親切に対応する人たちは宣教師たちで、それはバプテスマ件数が少ないと叱責されるから、誰でも良いから、どんな理由があってもいいから、たとえ義理でも良いから洗礼を受けて欲しいと言うことです。

だからモルモン教の宣教師は、よほど酷い人ではない限り誰でも親切で優しいのです。

一人でも多くの人が洗礼を受ければとか、人に親切にしないと耐え難い災いが降り注ぐと言う発想がないと、より良い人になれないのではないかと思うのです。

人間は弱いものだから、自分が神様によって厳しいく裁かれていると言う感覚が無いと、自分に利害関係が無い人に無関心になり誰にも親切にする意欲がなくなるのではないかと思います。

宗教改革でルターが、新約聖書のヤコブの手紙を正典ではなく偽典(にせもの扱い)にしたのは、「行いがともわない信仰は意味が無い」ような文章があり、ルターの信仰義認「救いは完全に無料であるから、信じれば神様の無限の赦しがある」「クリスチャンになれば、(どんなに悪い行いをしても)罪を一切裁かない」という聖書の解釈と矛盾してしまうのです。

たしかにペンテコステ派J教団の牧師先生の本では、キリストの再臨前に7年半の大艱難時代が来て、完璧に近いほど正しい生活をしたクリスチャンとか、自分に一切利害関係がない人に親切をした人、隣人愛が強いクリスチャンのみが、天に取り上げられて、災いから守られ、ただ信じているだけのクリスチャンは、暴力とか飢え乾き、それ以外にもあらゆる人権侵害に苦しみ、自殺したくなるほどの激しい苦痛を耐えなければならず(サソリに刺されたような状態の苦しみに似ている。死を嘆願しても再臨まで絶対に死ねないという、ひじょうに恐ろしい罰をうける。)、ただ信じただけだと、生温かいクリスチャンを清めるために、自殺したくなるような激しい苦痛を受けるようになると書いていました。

キリスト教に限らず、戦前の日本でもお寺で紙芝居などで、悪い事をすると地獄で激しい苦痛を受けるという物語が語られており、戦前の日本では、近所付き合いでお互いに困ったことがあれば助け合う機運があったと思います。

結局、無神論主義や(霊や死後の存在を一切否定する)唯一物論が戦後の日本の公立学校で教えられており、悪い事をしたら地獄に落ちるという考えは、非科学的でありオカルトとみなされた結果、辛酸で取り返しがつかないほどのイジメ地獄へと変わってしまったと思います。

特に公立学校を支配していた日教組は、マルクス(スターリン極左)共産主義が主体ですから、徹底した唯一物論だから、あらゆる宗教の教えを封建的で不合理なものとして排除した結果、子供たちの残酷な側面だけが特出してしまい、弱いものイジメをしても教師がいじめっ子を叱れない、仮にいじめっ子を殴る行為をすれば、親から強いバッシングを受けて教師生命を絶たれるので、結果的にイジメが横行していまい、いじめ自殺が日常化となるわけです。

新自由主義に通じるものがあり、新自由主義は徹底した反共主義(貧困をなくすという考えは偽善であり、進化論は絶対的に科学的な論理だから、弱いものを駆逐させるのは正義という考え)があり、超格差社会こそ科学的国家論とみなすのです。

だから、超格差社会の行き着く先は国民の99.5パーセント以上が貨幣を持つことが犯罪とされ、それを使って買い物をすれば犯罪となる社会だと思います。富裕層には無限の富があるので、極論を言えばスペースシャトルを個人が所有して打ち上げることできるのです。

極限的な億万長者は、外国を買う(侵略して独裁者になる)こともできるのが新自由主義の最終目的だと思います。


話しがずれたけど、人間の弱さがあり、宗教は自由ですから、あまり厳しくしすぎると離れてしまう。

ちょっと優しい口調で、この世の終わりの話、死後の世界の話をすれば、想像するだけでも、ただ信じるだけでは、さまざまな災いを受けるという恐怖感がないと、自分勝手な生き方とすると思います。

たしかに、無理をする必要はないと思うし、無理を強いると、たとえ異端的キリスト教会でなくてもカルト宗教になる危険性があるので、絶妙なバランスが必要だと思います。

人が正しい生活させる切欠と、自分に利害関係が無い人にも親切に優しく接するように、仕向けるには、ちょっと軽く突っつく程度であれば良いと思いますあまり厳しい態度や、脅迫的な態度、何度もしつこく繰り返して同じ事を説教すれば、ストレスを感じてしまって離れてしまうと思います。

要するに人間は弱い存在ですから、ちょっと軽く言わないと、なかなか悔い改めをしないと思います。


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無限の寿命があれば、夢のハイテク社会で生活できる

無限の寿命=高額所得者であるので、極端な話、30世紀の世界でも、20世紀や21世紀の大富豪が生きているのではないかと思います。

100年・200年なら毎日が愉快で、毎晩のように宴会をして笑いが止まらない生活を送るが、その愉快な生活そのものが、虚しくなり、300年以上生きると、何も悩みの無い人生、何も問題も無い人生、何不自由ない人生が空虚になり、ほとんどの半永久的に生きられる大富豪にとって、いろんな哲学や宗教を学ぶようになり、結果的には無限の寿命と何一つ問題が無い人生が虚しいということになり、たぶん、400年後の未来社会では寿命を無限に伸ばす技術を選択する人はほとんどいないのではないかと思います。

200年後の世界になれば、微小なりとも進歩する現代科学の世界でも、まったく異なった生活形式となり、現代の生活になれている現代人が、200年後以降の世界の常識についていけなくなるのではないかと思います。だから、毎日宴会をして楽しく愉快に過ごす大富豪たちも、人生とは何だろうか?と考えるようになるのではないかと思います。

松本零士の「銀河鉄道999」とか「宇宙戦艦ヤマト」など科学考証をわざと否定して、読んでいて楽しく、夢がある物語を描ける人は、天才だと思います。

逆に未来社会の悲惨な状態を描いたディストピアものは、誰でも描けるのです。

ようするに、夢があり、観て楽しい作品を作れるのがプロの作家であり、現代社会の矛盾や批判を未来社会に置き換えたディストピア小説という分野は、素人が書くもののです。

ある売れない漫画家(某田中さん)の人類が絶滅寸前を描いた近未来漫画は、有機物でできた人間ロボットの少女との恋愛を描いた暗い感じの作品です。(物語をよりリアリティにするために、作家の知識を最大限に出して、様々な不安材料である地球温暖化とか、極限的な少子化社会などが描かれています。まったく内戦や戦争が一切ない平和な地球だとしても極限的な少子化社会によって人類は100年以内で絶滅するという設定なのです。)

その意味では同じ漫画家でも力量の違いを感じられるのです。

たしかに歴代の皇帝や大富豪が、2000年以上もの間、不老不死の薬を求め続けました。特に中国の歴代の皇帝などは、自分の権力が永遠になるために、極限的な権力により様々な不老不死の研究を近代という時代になるまで2000年以上続けたのですが、

やっと21世紀になって実用化のめどがたったわけです。

現代の大富豪たちは、たぶん30世紀の未来社会に過ごすことは間違いないと思います。
だが、孤独、無限の寿命、不死という苦しみに永遠に耐えなければならないと思います。

30世紀なれば限定的だと思うけど(タイムマシーンとかワープ航法による宇宙旅行は絶対に無理だと思うが)心をもっているようにみえるアンドロイドとの生活とか、月面や火星への宇宙旅行なども体験できるが、それでも、無限の寿命を持つ人にとって、毎日が虚しい、生きていることが苦痛と思えるようになるのではないかと思います。

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松本零士さんの作品はほとんどが科学考証を無視したスペースオペラで、「銀河鉄道999」はある意味ではファンタジーであると思います。無限の寿命・永遠の生命を求めて主人公が宇宙の彼方へ列車の旅をするというのは、普通の人は考えないです

「宇宙戦艦ヤマト」をリアルに考えればミラス人が地球人の根絶を実行するなら、二つの中性子星を太陽系の近くで衝突させれば、強烈なX線が放射され、そのX線によって地球上の生命体を死滅できると思います。西暦2199年ですから、もしかしたら人類は太陽系を進出しているかもしれないので、地球だけではなく、太陽系全体の全生命体が滅びると思うのです。
太陽系全体に強烈なX線が放射されれば、太陽系のどこの惑星に逃げても絶対に助からないのです。(合体した中性子星が太陽の重力に引き寄せられる可能性があり、中性子星の重力で太陽系の惑星の軌道が変わってしまうと思います。)

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80歳になってもパソコンやケータイでメールを打つ(鬱)未来

サイボーグの進化と細胞をいじることで若返て寿命を延ばすという近未来技術が、遅くても20年以内に実現確定ですが、その反面、アンドロイドとか人工知能・介護ロボット・宇宙開発などは全然進歩していないで、自分が80歳になっても、今日とおなじような生活を送っているのではないかと強い懸念があります。

ようするにケータイがあまりの超多機能化してしまい、ケータイがあればコンビニで買い物ができスイカとしても利用できる。逆に便利すぎる生活が科学技術の進歩を停滞させるので葉のではないかと懸念します。

また新自由主義社会による経済格差によって、貧困層が激増と国家破産による科学技術開発の停滞などがあり、まして、大部分が貧困層になれば、選挙で国会議員を選ぶとなれば、南米のほとんどの国ような社会民主主義政権になることを危惧する政治家と富裕層も多々おり、将来的には近代議会政治から、インターネット政治へと移行するのではないかと思います。

ある意味では直接議会政治になり、政治の素人でも、多数の意見で、不条理な法案が可決してしまい、次第に政治家不在の国家へと移行することで新自由主義体制は存続させるのではないかと思います。

政治家が法律を作る時代がいずれ終焉を向かえ、ケータイやパソコンを使える人だけが直接政治に参加でき、大部分の一般庶民が自分勝手な法律を作って、自らの首を絞める結果になるのではないかと思います。

まず日本という国は、たとえば天皇制を廃止しても、そのまま共和制になるだけで生活に大きな支障は無く、また日本銀行が潰れても、廃止してもユーロやドルという貨幣に切り替えれば良いが、自民党による新自由主義体制がなくなれば日本は自動的に消滅するということです。自民党がない日本はありえないのです!

自民党の最重要政策(政治体制)とは新自由主義経済であり、新自由主義経済が日本で崩壊すれば日本という国の存在意義がなくなるのです。

だから国会の廃止、衆議院・参議院議会の全面的廃止により、何が何でも新自由主義体制を維持するには、インターネットによる無数の個人の言論によって法律を作り、政策をつくるという新しい政治体制へ移行するのではないかと思います。

だからインターネット参政権体制になれば、日本在住で日本国籍がない外国人でも、外国人にとって都合の良い法律を勝手に作られてしまうことがあるのです。

ようするに自民党関係の政治家が新しい皇族となり、天文学的な金額が恩給として支払われるのです。
だから、自民党は政党から日本のインターネット言論統括管理委員会となることで、実質的には自民党のみの一党独裁体制が確立し、インターネットの世論で政党政治が不要だと言えば、他の政党は自動的に不合法化とみなされるのです。

自民党=政党
から
自民党=インターネットの言論統括機構へと変容する事で

政党政治が完全に廃止され自民党以外の政党は必然的に不用となり、必然的に自民党一党独裁体制が日本が滅びるまで存続するのです。

で、インターネットの言論によって、日本国憲法廃止が確定し、必然的に基本的人権が無効となり、極端な場合、100円以下の品物を万引きしただけで死刑にする法律が勝手に作られるのです。また公開死刑制度をするべきだとか、死刑囚には長時間苦痛を強いる残酷な刑罰から、さらに自分たちで自分の首をしめる、低所得者ほど税金が多く取られ、逆に高所得者には高額所得者手当てが数億円も支払われるような世の中になるのではないかと思います。

現代のままの政治体制でも、たぶん文明はほとんど発達せず、きつい労働とか満員電車に押し込められる状態が、100年後でも現代と同じ光景をのままになるのではないかと思います。

自分たちが高齢者になっても、介護ロボットから介護してもらうのではなく、未来社会の介護はロボットやアンドロイドではなく人間が介護を行うの宿命ではないかと思います。

その意味で、80歳になっても現代と同じようにキーボードで文字を打つのではないかと思います。(その前に老眼になり画面の文字がほとんど見えなくなるかと、指が思うように動かないためキーボードを叩く速度がめざましく遅くなるのではないかと思います。)

「人間の終焉」という本では、科学の進歩が人類に不幸をもたらすと書いているが
科学が全然進歩しない社会も、同じように人類に不幸をもたらすと思います。
夢も希望も無い社会は、必然的に弱体化して最終的には滅んでしまうのです。

逆に富裕層だけは、細胞を操作させて、若返らせることは20年以内に確実に実現すると思います。だから、富裕層が限りない時間の人生を送り続けると思います。

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押川春浪「一千年後の世界」は現代社会を予言した

押川春浪とは、明治時代のSF小説家で、ほとんどが未来戦記ものを描き、プライベートでは野球に夢中になっている、現代でいうオタクとは程遠い健康的なイメージがありましたが、大正3年、38歳の若さで、この世を去りました。

「千年後の世界」という小説は、現代科学でいえばどうしようもない内容なんですが、ある意味では新鮮なおもしろさがある作品だと思います。

25世紀までの世界を予測し、まず近未来の世界(1900年代から見て)では、人類は肉食が主体になり人格が肉食動物のように獰猛で好戦的になり、世界各国が戦争を続けたが、戦争はお金がかかると言う理由でバカバカしくなり、そのかわり個人どうしの争いが絶えない状態になり、ある意味では現代の、近状同士の争い、職場や学校でのいじめなどを予言したと思います。

たしかに人類が肉食を止めれば、アフリカ大陸の飢餓がなくなります。
美味しいそうにハンバーガーを食べる社会を予見したのではないかと思います。

ソ連邦(社会主義国家出現)の予言をしており、仕事を一生懸命やっても怠けている人と同じ金額の給料しかもらえないので、一生懸命働く事が馬鹿らしくなるということです。

世界各地に内戦の激増化の予言。発展途上国の大部分が内戦を経験しています。
結果的にソ連邦のような多くの民族を強力な権力で一つの国に押し付ける社会主義連邦国家が誕生して内戦が収まるが・・。

文明の発達(オートメーション・産業用ロボット)などにより、物不足が解消され多くの人が裕福になるが、経済力や資源に限界があるため、大部分が平均的な中流階級になるが、淫乱だけは限りがないため、人類の大部分が淫乱化してエログロナンセンスにより風紀が乱れるという事を予言していました。

地球温暖化の予言。(小説では資源の使いすぎで地球温暖化ではなく、巨大彗星の引力により地球の軌道がずれてしまい、世界の平均気温が急上昇してしまう。)

また、政治家が法律を作る時代が終わって、ほとんどの市民が自分勝手な法律を作るようになる。(これは、将来的には政党政治から、最終的にはインターネット利用者が次第に自分たちの価値観にあわせた法律を勝手に作るようになり、議会政治や政党そのものが消滅してしまう社会を予言したものだと思います。)

たしかに、死刑制度の厳格化というインターネットでの世論が多々あり、ある人は「絞首刑では甘すぎる!溶鉱炉に死刑囚を突き落とせ!」とか「死刑囚の身体を切り刻むべきだ」とか残酷な刑罰を求めたり、また、死刑執行が中国よりもはるかに少ないから、もっと裁判を厳格化させ、どのような理由があっても情状酌量の余地一切無しということで、たとえ正当防衛でも死刑にするなど、いちいちネットの意見を求めていたら、それこそ日本は共産主義国家よりも人権侵害が酷い国になると思います。

死刑執行件数が世界一なれば日本は立派な国になれると言うのです。

また、死刑執行をテレビで生中継しろという意見もあり、たいていの死刑執行は午前中に行われるので、ほとんどの人が会社を休んだり半日休暇をとって、死刑執行をみて、日頃のストレスを発散させるのではないかと思います。

インターネットの利用者が政治的発言をして、無数の人たちの執拗な要求により、徐々に政党の存在の意義をなくし、国会の必要性がなくなり、ある意味では近未来の政治体制は「すべての国民が直接政治に参加できる直接民主政治」へと以降するのではないかと思います。

だから、日本が原爆所持の正当化とか、自衛隊の拡大化、そして最終的には極端な軍国主義国家になるのではないかと個人的に懸念します。


最後の予言とは、25世紀には人類は獣人化となり、自らの手で近代文明を破壊させ、その500年後に巨大彗星が地球に直撃して、人類が滅びると言うところで終るのです。

で、地下に避難して生き残った人類が、いつまでも幸せな生活を送るところで物語が終るのです。

追加事項ですが、

古代から近世までの世界のほとんどの国では死刑執行は、お祭りであり、庶民の娯楽だったのです。古代ローマでは、原始キリスト教徒をコロッセオで猛獣で食い殺されるのが娯楽でした。そのほかに十字架に貼り付けにされて火やぶりにするのを見て、当時のローマの市民のストレスを発散になったと思います。

中世では、かなり激痛が伴う拷問具や長期間激痛によって死ぬ死刑の道具がさまざま開発され続け、結果的には現代文明の原点にもなりました。その意味では中世は文明の暗黒時代でありながら、残忍な拷問や死刑の技術だけは進歩し、その技術が現代にも生かされているのです。

近世のヨーロッパでは、死刑囚がギロチンで首を切り落とされるのが行われると、全ての人が仕事をそっちのけにして、死刑執行を見学に来る。一種のお祭り騒ぎになりました。

で、近代になると、民主主義とか人権の尊重、人道主義の台頭により、公開死刑が行われなくなりました。

いつの時代も目の前で凶悪犯罪者が死ぬ事を見ることで、日頃のストレスが発散されるのです。







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ディストピア小説の書き方

ハードSFで最も簡単な分野は、未来社会を悲観したディストピア小説だと思います。

前回の日記に書いた「21世紀のバベルの塔」のような、無限の富をもつものが、政界や国家を乗っ取り独善的な法律をつくり、全ての国民を地獄の底に落とすと言う内容だけなら、口うるさいSFマニアの批判を受ける事はないと思います。

有名なのがジョージオーエルの近未来小説「1984年」で、権力の本質とは何だろうかということを率直に描いた作品です。オーエルはスペイン内乱でソ連の義勇軍に苦しめられた経験があり、ソ連批判を最初に行った作家です。ソ連の政治体制を動物でたとえる「動物農場」という作品も有名です。

戦後まもない頃に出版されえて、冷戦の始まり反共主義の台頭により、たちまちベストセラーになりました。

だから「1984年」という小説は、共産党が支配する極限的な管理社会にいる主人公の日常生活を描いたものであり、結果的には狡猾な秘密警察に国家反逆罪として捕らえられ、さまざまな拷問をさせられて、最後には耐えられないほどの強烈な恐怖の連続によって洗脳させられ、共産党に対して忠誠心をもち最後には銃殺されると言う話しです。

2度ほど映画化されましたが、カラー版の映画を見ましたが、内容が退屈な感じだったと思います。

ディストピア小説として、映画作品として比較的におもしろいくかんじたのは、「未来世紀ブラジル」「華氏451」で、同じように共産化した超管理社会の状況を伝えている作品です。
なお、まだ見たことも無い、また見る気も無いのはキューブリック監督の「時計仕掛けのオレンジ」ですが、あまりの暴力的な場面が多すぎるため、目を被いたくなる作品ではないかと思います。

要するに、現代社会にはひじょうに多くの不安材料が多々ありすぎて、SFの分野で最も簡単な分野、SF小説の初心者が書くものはディストピア小説ではないかと思います。
(お役所の超怠慢な姿勢とか、次第に狂信的なインターネットの利用者による法律改正論などがあり、将来的には法律は政治家が作るのではなく、インターネット利用者が自分にとて都合の良いものを作るものだと思います。結果的には人権侵害が多発し、現代の数倍もの人が自殺する世の中になり、ある意味では内戦よりも人命が保障されない社会になるのです。)

民主主義とか人道主義などは、大きな富をもつものによって簡単に抹殺させられてしまうことがあり、逆に一度、共産化すれば無数の人の流血がなければ、自由を取り戻せないのです。金がある人だけが正義ということです。

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SFは現実逃避なのか? 

最近は、うまく表現ができませんが、うつ状態になれてしまったか、抗うつ剤なしでも徐々に正常な生活ができつつある状態なのか、ブログを頻繁に更新できるようになりました。

酷い気分傷害の時はブログを更新する意欲もないです。

しつこいようですが、吾妻ひでお先生の「けいおん!」批判が物議をかもしたことですが、個人的には吾妻先生は天才であり現代の萌えアニメ・SF美少女アニメの始祖だと思うのですが、吾妻先生の「現実をみるのがそんなに嫌なのか」という発言が多くのブローガーに反感を持たれたのではないかと思います。

ようするに失踪したり自殺未遂やホームレスをしたり、挙句の果てには(ちゃんと漫画の連載の仕事があるのに)アルコール中毒になって精神病院に入院する人が、「現実逃避」という意見には全然説得力がないだけではなく、逆にいま流行のアニメである「けいおん!」をネットで無名で売れない漫画家が批判したのが、多くの人に強い反感を持ったのではないかと思います。

それによってSFは現実逃避の手段だと言われ、下手すればますますSF離れ科学離れが進むのではないかと思います。逆に言えば、夢がない刹那的な若者が増加すると思います。

「けいおん!」は、一部の人にとっては今年最悪のアニメと評されているが、その反対に「けいおん!」に影響されてギターが弾けないのに楽器を買う女子高生が多くいるというほどの反響があり、ある種の社会現象になっています。(高価なAKGのヘットフォンなど買う「けいおん!」ファンもいるのです。)

若者のSF離れの原因は、一癖もあるSFマニア同士によるSF作品批判本が売れており、柳田氏の「空想科学読本」で人気がある特撮やアニメの科学考察をおもしろく解説した本を、山本弘氏が「ここがへんだよ『空想科学読本』」で柳田氏の人格否定から攻撃的な文章で反論するのは、とても陰湿だと思います。

部外者からみれば、マニア同士の無益な争いに知性は全く感じられず、SFなんて所詮現実逃避ではないかということになるのです。

その状況下で、SFマニアの吾妻先生が「現実をみるのがそんなに嫌なのか」という発言に全然説得力も無く逆に強い反感を持たれたと思います。

吾妻先生が「けいおん!」を批判しないで、むしろ「涼宮ハルヒの憂鬱」を賞賛すれば良かったと思います。そもそもSFの定義は明確ではなく個人の好みによって、その範囲が人によって異なるので、ある人はSFは夢の分野だから、たとえば「銀河鉄道999」もSFだと言う人もいれば、全然科学考証を無視しているから「スペースオペラ」とか「ファンタジー」とみなす人もいるのです。だから、へんな言い方すれば、おもしろければ多少の科学考証が間違えても良いのではないかと思うのです。

SFマニアは、おもしろいとか夢があるだけでは物足りず、徹底した科学考証とリアリティを追求するのです。

「涼宮ハルヒ」シリーズは、SFの冬の時代に突如として現れた作品であり、ある意味ではSFの可能性と発展に貢献するものだと思います。
だから、吾妻先生が「ハルヒ」を賞賛すれば良かったのです。

要するに「涼宮ハルヒ」シリーズは吾妻先生の「スクラップ学園」に似た作品であり、原作者の谷川氏によってキャラ設定を「新世紀エヴァンゲリヲン」から、ちょっとパクリ、現代風にアレンジした作品だと思います。


自分がもしSFを描くとしたら、内容が暗いディストピア小説とか、地球人が悪者であり異星人の文明を破壊させるというものしか描けないと思います。
そもそもディストピア小説はアジア大陸の北の某国の日常生活をたんたんと描けば、それだけで立派なSFになるのです。

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現代の視点で吾妻ひでおの漫画を読むと コミカル・ファンタジー

アマゾンで買える作品を集めましたが、当時はSF・美少女の元祖・カリスマと呼ばれていましたが、現代の視点で見れば、SFというよりもファンタジーだと思います。

そもそも前回の日記に書いたように、吾妻先生は熱心なSFファンですがハードSFは一度も描いたことは無かったと思います。むしろコミカルなファンタジーにしか見えません。もっともSFらしいのは「不条理日記」というSF小説・SF映画・SF漫画のパロディをギャク漫画にしたものだけなんです。

で、集めて最も質が高いと思うのは、(これは自分の好みですが)「オリンポスのポロン」だと思います。毒(不条理ギャク)が最もないだけあって、初めて読んだ時は、別の作家の作品だと一瞬思えたのは、絵柄が「石森章太郎」に近く毒がないギャク漫画だからです。

ようするに「オリンポスのポロン」でテレビアニメになったから、その方向で行けば、もしかしたら失踪する事は無かったと思います。

かなり古い話しになるが、1970年代当初は、石森章太郎原作の「好き好き魔女先生」とか東映動画原作の「魔法使いチャッピー」など、ある意味では美味しい仕事を貰っていたので、漫画家なら商業的に考えれば、その路線で行けばよかったのではないかと思います。

あとは、吾妻先生の作品でテレビアニメ化しそうだったのが「ぶらっとバニー」で、ただし主人公が白目なのが、キャラクター的に問題ありということでアニメ化しませんでした。吾妻先生もバニーの弟をだしてアニメ化を狙ったのですが、思ったように行かなかったのです。

ようするに吾妻ひでお先生は商業漫画家ではなく、芸術家を自負しておりますので、あまり漫画で儲けるという発想は皆無だったのではないかと思います。

最も人気があり先生も描いて楽しいと思える作品は「ななこSOS」であり、テレビアニメにもなった作品です。「オリンポスのポロン」とか「ななこSOS」のような読者うけする楽しい作品を作り続けていたら、失踪する事は無かったと思います。

コミカルなファンタジー路線で行けばよかったと思います。

最近はネットで、吾妻先生のWeb漫画日記で「けいおん!」の批判をしたら、物議を出してしまいました。これが宮崎さんや富野さんが批判したなら、叩かれないと言う意見もありますが、その通りだと思います。要するに強烈な力を持ったアニメ界の巨匠が批判したなら、反感を持たないと思うのです。それがほとんど無名に近い売れない漫画家が批判したのが、いけなかったのです。



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そもそもSFというのは、科学の進歩にともない、時代が進むに従い科学考証でボロがでてしまう分野です。だからハミルトンの「キャプテン・フィチャー」シリーズはSFの名作といわれていましたが、いま読むと全然科学考証がなっていないのです。(その意味でスペースオペラはSFではないという意見も多々あるのです。)

要するにSF作品は時代とともに劣化する消耗品みたいなものだと思いますが、それでも現代の最先端科学の知識を活用して物語を作るのは、それだけ知識がないと描けないのです。

あとは国民的人気作品である「ウルトラマン」などは、放映当時はSF特撮番組と認識されていましたが、科学考証をすると、SFでなく怪獣物だとしか認識できないです。
(ウルトラマンの最終回で、ゼットンが発した火の玉が1兆度というのは、科学的に考えれば、強烈なγ線を発するので、地球上の全生命体は一瞬で即死なんです。たんなる火の玉と言えば良かったのです。)

SFはファンタジーの一種だと思います。

ようするに下手にSF作品だと言えば、口うるさいSFマニアが厳格な科学考証を持ち出して、「空想科学読本」みたいな本で粗探しをするのですから、作者が、たとえハードSFだと思っても、「これはあくまでもファンタジー作品ですよ」と強調するのが無難です。

それでもハードSFを称する作品を描くなら、ディストピア小説(超管理社会の全体主義国家の悲惨な生活を描いた作品)で、あまりSFの小道具(ロボットとか宇宙人や超能力など)を一切出さず、未来社会の悲惨な状況を描けば良いのです。

ハードSF=ディストピア小説と考えれば良いのです。

そもそも、北○鮮と言う国そのものが現実に存在するディストピア社会なのです。

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異性を罵倒する言葉は「童貞」と「処女」

現代の日本ではフリーセックスを通り越し、婚前前にどれくらの異性と肉体関係を持ったかによって人間の価値観が決められる風潮があります。

異性と毎日のように性的交わりをする人は、多くの人から尊敬されるのです。それをmixiで自慢する馬鹿がたくさんいるのです。そもそもmixiは基本的人権否定と倫理観否定のSNSであり、悪質な2ちゃんねらーが、3つ以上のIDを習得するのは極当たり前の事です。

その結果、性の秩序が完璧に破壊された社会なので、結果的に少女漫画雑誌では、過激な性描写が多々あり、それを買うことが何のためらいもなく買えることが問題だと思います。ようするに、少女漫画雑誌を買えば性教育の一環になるというメリットがあるが、あくまでも性描写のみ固執しているので、ストーリーは何も無いのです。

特にネットで相手を罵倒することばで最も使われるのが「童貞」と言う言葉です。

逆に言えば男性の淫乱が、社会的に地位が高い人という誤解が多々あります。むしろ性病になったとか梅毒をもっていることを自慢するバカもいるのです。




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911同時多発テロとマイケルジャクソンの急死は未来人の仕業!?

現実の世界は無限の並行世界があり、もしかすればタイムマシーンが使える未来人によって、現代社会に影響を与える大事件たのではないか。その可能性は完全に0パーセントとは言いきれないと思います。

逆に言えば、ある説だと(全宇宙規模からみれば)人類の歴史は、まだ始まったばかりであり、1万年後でも20万年後でも人類が地球上に存在しており、そのまま科学が進歩すればタイムマシーンを発明して過去に影響を与えようと考える人たちがいると思います。

ようするに自分の価値観どおりの好ましい時代に住むためにタイムマシーンを利用するわけです。

と言う事は、アフガン戦争・イラク戦争がもし無い未来社会があったとしたら、またマイケルジャクソンが大統領になった未来世界への影響など、1万年後以降の未来の住む人にとって決して好ましくない時代に住んでおり、そのために現代にタイムスリップして、911事件とかマイケルジャクソン急死(未来人による暗殺)は未来人の仕業だと考えられるのです。

そのように考えるようになると、頭はSF脳でありるのではないかと思います。

SF脳で現代の世界情勢を考えると、アフガン戦争・イラク戦争は未来人によって引き起こされた歴史的事件であり、すでに過去の多くの歴史的事件は未来人によって何らかの影響を受けているのではないかと思います。

で、良く考えると、未来は人間の判断しだいで無限に存在するとなれば、現実とは何だろうか疑問に思うことがあります。

自分が良い未来を強く願うなら、良い未来の宇宙へと自分の意識が、それを認識し、暗黒の未来を悲観すれば、自分にとって都合の悪い未来へと意識が移動すると考えられます。そこに人間の自由意志の不思議さがあり、誤解されるかもしれないが、自分が「この世の中心」に似た世界観になるのではないかと思います。

ようするに、もし過去に賢明な選択した自分がいたとすれば、正しい判断や行動を起こした時点で、自分ではなく異世界の別人(性格や容姿がまったく同じでも別人)になるわけです。それを無限に分技するのが「自由意志」だと思います。

すなわち意識とは、無限に存在する並行宇宙を渡り歩くものだと思います。

説明するのは難しいと思いますが、怠惰というのは、意識のエントロピー(?)が高い状態だと思います。

エントロピーが高いほど、並行宇宙が発生率が低くなり、低いほど並行宇宙の発生率が高くなると考えられます。

上手に文章で表現できませんが、未来は神様によって完璧に固定されたものではなく、一つ一つの自由意志による選択の連続で、無限の未来があるということです。

その反対が運命論・宿命論であり、
全ての人の人生は無限の過去から無限の未来まで神様によって、運命が決められており、自分の思考による意思決定で行動しているように見えるが、実は全ては神様によって操られていると言う考えです。

一部のプロテスタント教会では、滅ぶ人は滅ぼされるために、この世に誕生し、救われる人は、救われるために、この世に誕生していると言うわけです。決して、自分の愚かさ弱さによって悪と滅びを刈り取るのではなく、悪を行う人は悪を行うように神さまによって創造されたという単純な思想です。

ようするに、宇宙論でも、無限の過去から無限の未来まで全宇宙は、永久不変ならわかりやすいのです。

キリスト教会ではビックバーン理論は認めておらず、天地創造は現代の科学では謎とみなす傾向があります。

タイムマシーンの発明は、ワープ航法と同じくらい難しいので、何か新しい法則が発見しない限り実用化するまで、1万年以上先になると思います。

911事件とかマイケルジャクソンの急死(未来人による暗殺)などは、未来人によって引き起こされたと言うSF的な発想できるわけです。






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吾妻ひでお「けいおん!」批判についての考察

吾妻ひでお先生が先月の公式ホームページでの漫画日記で物議となった発言がありました。

しだいに「吾妻」色が薄まるアニメ界に対する脅威を感じらっしゃっている。だが、吾妻ひでお先生が「SF美少女アニメ」「オタク」の教祖と呼ばれたのが、いまから三十数年前であるから、どんな天才でも時代の流れを止めることはできないです。

そもそも「けいおん!」というアニメは、同じ京都アニメション製作の「涼宮ハルヒの憂鬱」とは対極の性質である。

吾妻先生は「涼宮ハルヒ」シリーズなら大いに歓迎するが、「けいおん!」では、吾妻先生が求めている「ナンセンス」「ユーモア」「ギャク」「SF」という要素がなく、そのようなアニメを観ることで、自分の影響力が次第に衰退したという脅威を感じたかもしれません。

最近の漫画でもギャク漫画らしい絵柄を描く人が少なくなり、ギャク漫画でもアニメタッチのキャラデザインになったことは、ようするに「かつての『丸っこい手塚絵柄』の影響」が時代がたつにつれてなくなるようなものです。(その意味で絵柄では吾妻先生が手塚治虫絵柄を使った最後の作家でもあるのです。)

また吾妻先生の「スクラップ学園」という学園SFがなければ、もしかしたら「涼宮ハルヒ」シリーズも世に出てこなかったかもしれません。

「涼宮ハルヒ」シリーズは、始点の「スクラップ学園」から「ギャラクシー・トリッパー美葉」という作品を経由して出来上がった作品だと考えられます。だから、吾妻ひでお先生の「スクラップ学園」がなければ、「涼宮ハルヒ」という作品も出て来なかったと考えられます。

もし、吾妻ひでお先生が漫画家として存在しなかったら、21世紀の現代でも、少年SFヒーロー物が幅を利かせており、まして少女が主人公の作品はほとんどなく、また「萌え」「オタク」という単語も存在しなかったと思います。(その分、アニメ作品数が少なくなったかもしれない。)

吾妻先生が存在しない、「もし」と言うこと考えると、オタク不在のアニメ界は現代と大きく異なったものになり、(これは自分の想像だけど)「超人ロック」とか「地球(テラ)へ」など少年ヒーローものが国民的アニメになったと思います。

まして深夜アニメという概念さえ生まれてこなかったかもしれません。

で、スクラップ学園の単行本は現在、入手困難であり、復刻も期待できない状態になったのは、2006年にコンビニ向け単行本「スクラップ学園・天真爛漫編」が発売されましたが、ほとんど売れなかったので古本屋でも見るけるのは、かなり困難だと思います。秋田書店がちゃんとした形で、「スクラップ学園」を復刻してくれれば良かったと思うのです。

吾妻先生が二番目にお気に入り作品(1番お気に入りなのがテレビアニメになった「ななこSOS」で)なのが「スクラップ学園」であり、先生が求めている「ユーモア」「ナンセンス」「SF」「ギャク」などがたくさんつまった作品なんです。(吾妻先生は大のSFマニアですから、どんなかたちでもいいからSFになっていればいいのです。)

世代間の価値観がことなり、「けいおん!」がつまらないと思うのが、オヤジだといわれても仕方ないと思います。たしかに「けいおん!」は、後半だけ観たけど、大きな事件や山場、オチなどがなく、あまり面白くなかったと思います。

--------------------------------------------追加事項

アマゾンで買える作品を集めましたが、当時はSF・美少女の元祖・カリスマと呼ばれていましたが、現代の視点で見れば、SFというよりもファンタジーだと思います。

そもそも前回の日記に書いたように、吾妻先生は熱心なSFファンですがハードSFは一度も描いたことは無かったと思います。むしろコミカルなファン タジーにしか見えません。もっともSFらしいのは「不条理日記」というSF小説・SF映画・SF漫画のパロディをギャク漫画にしたものだけなんです。

で、集めて最も質が高いと思うのは、(これは自分の好みですが)「オリンポスのポロン」だと思います。毒(不条理ギャク)が最もないだけあって、初めて読んだ時は、別の作家の作品だと一瞬思えたのは、絵柄が「石森章太郎」に近く毒がないギャク漫画だからです。

ようするに「オリンポスのポロン」でテレビアニメになったから、その方向で行けば、もしかしたら失踪する事は無かったと思います。

かなり古い話しになるが、1970年代当初は、石森章太郎原作の「好き好き魔女先生」とか東映動画原作の「魔法使いチャッピー」など、ある意味では美味しい仕事を貰っていたので、漫画家なら商業的に考えれば、その路線で行けばよかったのではないかと思います。

あとは、吾妻先生の作品でテレビアニメ化しそうだったのが「ぶらっとバニー」で、ただし主人公が白目なのが、キャラクター的に問題ありということでアニメ化しませんでした。吾妻先生もバニーの弟をだしてアニメ化を狙ったのですが、思ったように行かなかったのです。

ようするに吾妻ひでお先生は商業漫画家ではなく、芸術家を自負しておりますので、あまり漫画で儲けるという発想は皆無だったのではないかと思います。

最も人気があり先生も描いて楽しいと思える作品は「ななこSOS」であり、テレビアニメにもなった作品です。「オリンポスのポロン」とか「ななこSOS」のような読者うけする楽しい作品を作り続けていたら、失踪する事は無かったと思います。

コミカルなファンタジー路線で行けばよかったと思います。

最近はネットで、吾妻先生のWeb漫画日記で「けいおん!」の批判をしたら、物議を出してしまいました。これが宮崎さんや富野さんが批判したなら、 叩かれないと言う意見もありますが、その通りだと思います。要するに強烈な力を持ったアニメ界の巨匠が批判したなら、反感を持たないと思うのです。それが ほとんど無名に近い売れない漫画家が批判したのが、いけなかったのです。

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吾妻ひでお先生が失踪した遠因は「ふたりと5人」という作品を書くように強要され続けたから

6月末から体調を悪化したためブログを更新できませんでした

吾妻先生ほど、自分の作品で弱音を吐く作家は珍しく、その遠因を考えたら、1972年から76年まで少年チャンピオン連載した「ふたりと5人」というギャク漫画ではないかと思います。

描きたいものが描けないというのは、作家としてかなり精神的苦痛らしいです。

個人的には「ふたりと5人」は駄作だと思うのは、その作品の記憶が全然無く、むしろ別の作家のギャク漫画「がきデカ」を少し覚えているくらいで、同じシモネタを扱う漫画でも面白さがぜんぜん違うのです。

なんというか、70年代の少年キングに連載された「おそまつくん」なども、とてもつまらなくて途中で読むのをやめるほどなんです。その作品と同じレベルだった思うので、なぜ「ふたりと5人」がこんなに人気あるのか子ども心に不思議に思いました。

吾妻先生も「ふたりと5人」に関しては、やる気なしなのです。だから、読むほうも面白く感じないのです。漫画家の場合は、ネーム(シナリオ)を出版社の編集者に送り、それを編集者が勝手に書き直したものを、漫画の原稿にするのです。

吾妻先生も何度も連載を中止してくれと懇願したが、人気がなくなったときに急に連載を中止し、その後に「みだれモコ」を描いたら、わずか6回で連載終了。

1979年に「シャン・キャット」を連載させたら、これもわずか5回で連載終了で、それ以降、すべてがマイナー誌への連載に至りました。結果的に自由に作品を描けるようになり、結果的には、当時の基準では傑作を多くつくり、吾妻先生の人気がうなぎのぼりになりました。

1980年当時には約30もの吾妻先生のファンクラブがあり、実は人気が出たことが、ファンの期待を裏切らないようにと思って、それがプレッシャーになッ他のではないかと思います。

人気がでたときには、既に仕事が嫌いになり、「ふたりと5人」を描いていた当時に、既に「うつ病」が発生したのではないかと思います。うつ病の原因は、編集者たちの過剰なプレッシャーがあり、最盛期には、多くのファンクラブができてしまって、期待を裏切らないようにと言うプレッシャーが、鬱を酷くさせ、次第に仕事に対する拒絶反応が酷くなったと思います。

というか、多くのギャク漫画家は自殺が多いのです。
最近、名前を聞かなくなったなと思う作家がいれば、たいていは自殺したということになるのです。

その意味では、最近の少女漫画の性的表現が成人向けアダルト作品よりも過激になったのは、少年誌やアダルト雑誌にはフェミニスト団体や教育団体の圧力が強く働き、まさかと思うところ、それらの団体の死角である「少女漫画」などにかなり過激な性表現を載せるのですが、実は、性表現のみだけに特質してしまい、内容が全くなくなってしまったのです。

ようするに何も考えず(頭脳を使う領域を少なくするため性表現のみ)漫画を描くほうが楽なんです。感動させる漫画は比較的に出来るが、人を笑わせる作品を作るのはとても難しいことなんです。

だから、徐々にギャク漫画という分野は無くなっていくのではないかと思います。

また漫画を描くのが好きな人は、あえてプロになろうとせず同人誌で自分が描きたい物を描く作家が増えると思います。

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吾妻ひでおはSFアニメの教祖なのか?

最近思うことですが、吾妻ひでおの漫画を良く読みます。
なんと吾妻ひでおの黄金時代とモルモン教の狂乱のバプテスマ(入信の強要)の時期がほとんど同じというのです。1978年から1983年までの5年間です。

また、吾妻ひでお先生のファンクラブが、大小30くらいあり、当時の本屋で漫画の立ち読みをすると、かならず吾妻ひでおの漫画をみかけるのです。吾妻先生は元祖オタクの教祖であり、DAICON3/4のオープニングにも影響を多々与え、最も影響を受けたのがGAINAXの庵野さんなんです。(現在は「カラー」というエヴァンゲリオンの映画専門の会社を設立しています。)また、吾妻先生がモルモン教の宣教師に声かけられたときに、「オーソン・スコット・ガードという作家を知らないか?」と質問したら、宣教師は「?」なので「モルモン教のSF作家だよ」とおっしゃりました。

吾妻先生の失踪・自殺未遂などがあり、もし自殺が成功したら「消えたまんが家」という本に載せられるところでした。

ようするに、1985年以降から作品には多くのファンからプレッシャーのため完璧主義になり性格が粗暴になり、ファンクラブと喧嘩したり、出版社の編集者と喧嘩したり、アルコールが入ると友人にからみつき、友達を多く失い、仕事もほとんどなくなったためアシスタントも辞めてしまいました。(ななこSOS3巻・ハヤカワ文庫版より)

そのため、アルコール中毒(ひきこもり生活)と、重いうつ病にかかり89年11月に自殺未遂。その後、ホームレスになりました。

その辺のことは「失踪日記」で詳しく書かれているので、読んでみる価値があります。

うつ病になる人は、他人には理解できない何らかの理由があり、世間的な正義感で、その人を判断できないです。人間の心理は宇宙の謎と同じくらい深いものがあるからです。

吾妻先生の作品を21世紀になって読んで見ると、SF漫画・美少女・ギャク漫画のカリスマといわれますが、SFの分野においては、社会風刺やハードSFは一切無く、むしろ現在の視点で見れば「ファンタジー」「ホラー」「スペースオペラ」をギャク漫画にしたものがほとんどです。

あえてSFらしいSFは、「不条理日記」で有名無名のSF作品のパロディをギャク漫画で表現しており、SF作品をほとんど知らない人でも笑えます。

SFというジャンルは、大部分が「ファンタジー」や「スペースオペラ」という別のジャンルに区別され、現代科学に正確な作品のみがSFであり、それ以外は別のジャンル「ファンタジー」とみなされています。

ましてSF小説を書くには、現代科学(一般性相対性理論・ホーキング博士の理論など)に熟知しなければなりません。自分ではハードSFを書いたつもりが、と学会で「トンデモ本」扱いされる場合があるからです。

話しは戻って、吾妻ひでお先生はSF作品に熟知したかたですが、先生そのものがSF(?不条理)思考なので、一般の人には理解できない行動をする。だから、お金に困って無くても、奥さんや子どもがいても、追い詰められたら逃げてしまうのです。

吾妻先生のことは吾妻先生にしか理解できず、家庭を捨てて逃げ出すなんて卑怯だというのは、それはあまりにも酷で厳格な感情論だと思います。

吾妻先生がいなければ、現代のオタクの世界観は全然違ったものになったか、もしかしたら90年代にオタク界が自然消滅したかもしれません。その意味では吾妻先生は偉大な漫画家だと思います。

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英語は粘り強く何年でもかけて覚えるもの

あまり英語を使う環境ではないので、(というか横田基地のアメリカ人教会の人たちが日曜日の夕方に教会に来るが)まして、子どもなどは、大人と違い、自分が話した英語を英語とはまったく認識しない、むりろ強く警戒するのです。

だから、ちょっと怖く感じてしまって行きにくく感じます。
大人たちは、英語が話せないからというから、カタゴトの英語でも、何とか一生懸命聞き取ってくれるのですから会話になるのです。

ひさしふりに、英会話学習ソフトを使ったのですが、昨年の7月24日で英語学習が停滞したままだったのです。

ボランティアの英会話スクールといえばモルモン教が有名ですが、彼らが全く異なる言語である日本語を短期間で覚えられるのは、何らかのコツがあると思うのです。

現在、自分が通っている教会ではアメリカ的な雰囲気が皆無になりだし、キリスト教=アメリカ文化・英会話という人には馴染みにくい雰囲気になってしまったと思います。

21世紀は欧米の世紀ではなくアジアの世紀ですから。

むしろ中国語をならうようにいわれますが。

それでも英語を学ぶ努力を続けるのは、英語圏の人と話ができたら良いなということです。

まず、間違えても文字から英語を覚えて喋るようになろうとするにはよほど努力をしなければならないです。でも、「英語は逆から学べ!」でも、英語音声のテレビドラマを字幕なし原語のまま観るとストーリーが半分しか解らないです。

「英語を逆から学べ!」も能率悪さでは、辞書を片手にひとつひとつの単語を調べて日本語に訳すと同じくらい根気が要ることになるのです。

単語も丸暗記は若い人ならできるが、30代半ばを過ぎると、とても無理なやり方で、むしろ「忘れて当然」という開き直った気持ちが無い限り英語学習は続かないと思います。

やはり英語吹き替えのアニメを観るほうが学習効果はあると思います。


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「英語は逆から学べ!」は間違えている?

この本の最後に「英語のスペル字幕を見るな」と書いていますが、実は、英語のスペルを見ないと英語が聞き取れないのです。

英語の場合は、少しだけローマ字に近い表記があり、英文を見れば、俳優の喋っている英語がある程度聞き取れるが、英語字幕がないと、ほんの僅かの英単語しか聞き取れないです。

それを何回やっても同じ事なので、ある程度英単語を読み取る聞き取る訓練は必要だと思います。

個人的には、Fから始まる単語のほうが馴染みやすいのです。

逆にEやTから始まる単語は、最も使われる文字ですが、最も発音しにくい単語が多いのです。
たとえば「イングランド」という単語は、初めの「イ」は唇を広げてというが、日本語のイとは音がぜんぜん違い、イとエの中間のような音なのです。

自分が思うには何故、学校の英語教育で発音記号を教えなかったのか?そして単語が繋がり短くなる現象をあまり教えないのか、疑問に思います。

英語だけでテレビドラマやアニメを観るなら良いですが、ドキュメンタリーなどは、初めに日本語で観て、次は英語というので、時間が2倍かかるのです。

あと英語とフランス語は同じ欧米の言語だから似ていると思ったら大間違えであり、実は、文法が全然異なる事と、覚え方が違うことです。

英語だと習ったことがある言語で、外来語で親しみある言葉が多々ありますが、フランス語はまったく習ったことない言語ですから、実はフランス語のほうが、文法を一まとめで覚えたほうが早い。スペルは難しすぎるので、文字表記は一切覚える必要はない。他のラテン語系と違い”ヘボン式”ローマ字読みができないのです。(フランス語式のローマ字表記はあるようですが)

英語の場合は英語脳を、フランス語の場合はフランス語脳を脳内に作る必要があるのです。

ストーリーが単純なアニメのDVDを観て、英文の字幕を見ながらヒヤリング力を鍛え、一日2時間続ければ良いとおもいます。

毎日、英文字幕を2時間観ないといけないのであまり能率は良くないですが。それを忍耐強く行うと

ANF英語放送を聴いた時には、意味が訳せない細かい部分は理解できないが、以前よりは発音が聞き取れるようになるのです。

日本のアニメが英語音声に吹き替えさせられているもの。これらは少し古いが、ネットにUPされる時にダウンロードして、話の内容が解っているアニメを観ながら英語に親しむのが良いと思います。

あとは1970年代の洋楽、特にオリビアニュートンジョンの歌は英語の歌詞は比較的に単純なのでなんだか中学生の時の英語のレベルで歌を聞き取る事ができると思います。


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任天堂DSとPSPというゲーム機が欲しい

PS3はスペックは高いが、電力をばかくいする、ソフトが少なすぎるため、AV機器として使われる場合が多々あります。

PS3もパソコン化させることができなくはないが、実はイエロードックというLinuxというOSをインストールをするのが難しいのと、メモリーが258メガバイトしかないためパソコンとしてはまだwindowsのほうが使いやすいと思います。

特にお勧めしたい、自分も欲しいのが任天堂DSですが、たぶん本体が安くても豊富なソフトがあるために、今のような貧乏生活ではあっというまに文無しになります。また、ネットとアニメで手一杯なので、寝る時間さえもなくなる可能性があります。

任天堂DSはパソコンソフトよりも有益な自己啓発的な教養ソフトがたくさんあり、それで学習する事も可能なのです。

近年、ゲーム機を懸念する声が多々あるが、これは包丁と同じで、使い方しだいで凶器にも食事を作る道具になるのです。

なぜパソコンに固執するのか、それはインターネットではフリーソフトが多々あり、わざわざ買いにいかなくても、それで間に合ってしまうのです。

ただし英会話・英語発音ソフトのフリーソフトはなかなかネットでソフトを探し出すことができず、市販品を買うしかないです。

あとは、ブローガーの必需品となりつつあるポメラという、テキスト入力専門のツールがあり、人気がありすぎて、入手が困難な状態です。スイッチ入れたらすぐに使え思い出したこと、思いついたアイデアをそれにインプットすればいいのです。

頭を鍛えるには、脳にインプットするのではなく、アウトプット作業をすることが大事なのです。

ゲーム感覚で学習するサイトに行き、満点が取れるまで頑張るのも、学習には効果があると思います。

人間の脳は短期記録だとわずか3分から5分で忘れる。一気に多くの事を覚える事は困難なのです。それを無理にインプットすると認知症になる可能性が高くなるのです。脳に負担がかかる、つらくなりストレスを感じる。だから続かないということになるのです。

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では、インターネットは人格を劣化させるから危険なんだろうか?

好むこのまざるもITとインターネットの発展は全世界が大きな打撃を受けない限り、つまり機械文明が続く限り永久に存在するのです。それを失くす力は何処の政府の力でも抑えられない。むしろ、良い意味で利用するしか無いのです。

最近は、派遣村など、またネットカフェ難民などへの強い攻撃的な発言が非情に目立っており、所詮、弱いものが自分よりも弱いものを攻撃して自分が強くなったと感じているだけではないか。

個人的に思うが、まだ暴力的なゲームのほうが社会的には健全ではないかと思います。言葉の暴力の束ねれば、多くの人たちが人間不信や人間嫌いに陥り、ますます引きこもりが酷くなるからです。

まず、ネットをすることで他人の痛みが理解できなくなる危険性があります。想像力の欠如と、思いやりを失うことです。その根源は自己中心主義が日本人に根強くあるからです。全宇宙の皇帝・帝王・王様・主人公は自分という、「自分教」が現代の日本の国教になっているからです。

「自分教」とは、目に見える聞こえる触れる六感で感じられるものはすべてまぼろしであり、人生はゲームの一つである。自分が死ねば世界は終わると思うのです。

自分教のツールとしてネットを利用するのです。

それが重症になれば、人を刺し殺しても罪悪感も何も感じられなくなるのです。まさにゲーム脳の危険性と似ているのです。

あまり科学的ではないが言霊というのがあり、自分が繰り返し語る言葉が人生を構築するといっても過言ではないです。言葉が習慣を作り、習慣が人格を作り、人格が人生を作る。

暴力的なゲームの場合は、画面に出てきた相手を殺すだけで良いのです。それ以上もそれ以下もないのです。だが、言葉による暴力とは、人生に疲れた人間の愚痴を読み、それを甘えと貶し、相手の人格を否定する事で、次第に人の痛みを創造する力を失い、良心が麻痺してくるのです。

個人的には「ゲーム脳の危険性」よりも「ネット中毒の危険性」のほうを取り上げて欲しいと思います。

その意味では宗教の必要性を痛感します。

人間は人間の智恵では理解できない存在を認識し、それを畏れる気持ちがなければ、ネット中毒者のように人を刺し殺しても、それが憎くも無い相手でさえも、目の前で血を流して死んでも、それを何とも思わなくなるのです。

いままで呼吸し動いていた人間という生き物が、自分の手で命を奪っても何とも感じられなくなるまで、他人の痛みが理解できなくなる。自分が全宇宙の神であると思うあまりに、自分だけが全て正しいという傲慢さ。

その基礎の基礎、一つの単位であるネガティブな言葉から人間は人間性を次第に失い、初めて殺人をしても、ショッキングな事とは思えなくなるのです。他人の痛みが理解できない人間を作り出すのがネットであり、それがたとえ本音や本心でも、それを心に隠す事が重要である。それを言葉として出す時に、次第にその人の人格が冷酷になり残忍さが増すのです。

今後、ネットの普及により、社会的に困窮している人たちへの罵倒が今後はより激しくなり、最終的には日本版ナチスが確実に誕生すると思います。

ナチスとは身体障害や知的障害者などを強制的に安楽死させ、少数民族への差別を徹底化した結果、ユダヤ人の大量虐殺を行ったのです。ナチズムとは地球上に生きる権利があるのは強者のみであり弱者はあーもうーもいわせず、あの世に逝かせる思想なのです。

早く、ネットで娯楽的な動画が中心となった状態、すなわち高画質な動画を無料で楽しむ時代が来る事を願います。

いずれ、ソドムとゴモラが滅びたように自分教という自分を偶像にした自然発生的な宗教を元にした社会は、確実に滅びる運命だと思います。

ネットをする人間は自分が正義だと思い傲慢になりすぎており、結局は自分教の熱狂的な信者なので、そのような人たちが自然災害でカタワになって生活に困窮しない限り、考えを帰られないと思います。

ようするに、そうなる前に宗教の必要性が重要であり、今の日本は政治をかえるよりも、一人一人の国民の心を変えなければ、どんなに天才的な政治家がいても、ナチスドイツのような状態になる宿命ではないかと思います。その宿命へと進まないために、宗教は重要だと思います。

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インターネットが作るバイオレンスジャックの世界

mixiのなかでもいろんな思想を持った人がおり、いずれは北朝鮮に本気で永住したいという人もいると思います。

1995年の神戸大震災の時、日本人のボランティアがたくさん来ましたが、次の第二次関東大震災のときには、たぶん日本国内のボランティアは極少数になります。さらに被災地においての犯罪の激増化もあり、または、将来を悲観して自殺者も数え切れないほどいるのです。それは単なる妄想ではなく、たとえば大正時代末期の関東大震災でも韓国人に対する虐待事件があり、それは、妄想から作られたデマによって自警団が多くの韓国人をリンチした事件がありました。

いまのような愛が冷えている社会では、警察力とか犯罪抑止力を失えば、ふだん過激なことを書き込んできている人が、本当に無法地帯を作り出す。すなわち、海外から来たボランティアへの襲撃、または警察官への暴行などがあり、避難所での荒しがあり、食料の強奪などがあります。

比較的被害が少ない場所から、とにかく被害が少ない地方部へ逃げる事が重要です。空港周辺など海外からの輸入品が大量にえられるからです。

なぜ日本では人間関係の愛が冷えているのに犯罪が比較的に少ないのか、それは、都市が密集しており、誰かが必ず監視しているようなので実行することができないからです。たしかにネットで過激な意見を言う人ほど何もしないのですが、その何もしないを奪えば、猛獣のように無差別に人を刺したりするからです。

ようするに比較的に安定した生活、会社を勤め、そして仕事ができない派遣社員やパートへの苛立ちをネットで爆発させるのです。それによって自分が強く有能になった気分に浸れるのです。

地震が恐ろしいのは大きな揺れによる都市部の破壊、建物の崩壊による人的被害よりも、そのあとの二次災害、復興するまで、または政府が管理できるようになるまでの期間に多くの犯罪や自殺、暴動などによる被害者のほうが自然災害よりも遥かに多いと思うのです。

インターネットが時代と共に社会の悪者にさせられるという構図が予測できます。

ようするに電車の中でもどこでも、ケータイで画面をみるのはなんだか異様な雰囲気があるだけではなく、ネットが及ぼす思想の影響、人格の影響ではないかと思います。

社会的に困窮しているものを貶すのは、実は困窮者よりも意志が弱い。困窮したら自殺を確実に選択する人たちで、本当に精神的に弱い人が、ただ幸運にも正社員としていられるが、日頃から自分への自信が無く劣等感の塊になっている人が、自分よりも立場が弱い人にしか攻撃ができないからです。

暴力ではなく必ず言葉で相手を傷つけることで、爽快感と優越感を感じる人間で、それが、社会そのものが崩壊したときには、生き残るためには殺人も何のためらいも無くできるのです。

ネットをすればするほど、劣等感の塊の心が弱い人間が傷を舐めあい集まりながら、ダークな人格をより強化させ、地震などの災害で社会や会社などが崩壊した時に、猛獣のように荒れ狂い、やけくそになって避難所の人間を殺したり暴行したり、または、せっかく助けに来た外国人ボランティアや消防署職員などを刃物で刺し殺すのです。

言動から次に来るのが、物理的攻撃、暴力なのです。

結論を先に言えばネットが人格に大きな影響を与え続け、人間性を失う。そして、社会そのものの秩序がなくなれば猛獣のように無差別に人を殺すようになるのです。

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東京キリストの教会の責めの実態とは

基本的には徒弟制度というものを使うと、かならず支配される側の精神に異常をきたすものです。

「あそび」がない、個人の趣味趣向を他人にコントロールされることです。東京教会側では、クリスチャンとしての基礎的道徳の徹底とみなし、相応しくない漫画やビデオなどは全て禁じられるのです。

人間の精神の安定とは、「あそび」があるから正常に機能するのです。

地球で言えば月みたいなもので、もし月がなければ、北極と南極がゆっくりと赤道へ行ったりします。もし地球の周りに月と言う衛星がなければ、そこに人類を住まわせたら、暦が作れない状態で文明など存在しないです。生存はできても文化や文明は暦という基礎がなければ、そこから農耕もありえないので、人類の歴史は初めから終わりまで、狩猟だけです。

たとえば中東のオリエントにすんだとすると、地球が目茶目茶な自転をすると、季節の期間が短くなったり長くなったりする。

今年は、熱帯で来年はツンドラ、冷帯であることです。夏がない年もあったり冬がない年がないので、暦を作ることができないのです。そうなると農業などは生まれないのです。文化や文明も永久に発生しないのです。

精神を安定させるために「あそび」「プライベート」という部分を作り、強引に罪を告白をさせるなどさせない。東京キリストの教会が失敗したのは、初めから「情け容赦ない責め」すなわち「個人の秘密の保持」「プライベートな趣味を剥奪」という軍隊や修道院みたいな状態を行ったことです。世俗的な状態とのギャップが激しいほど崩壊の酷さも比例します。

では、東京キリストの教会・ボストン派は無楽器派といつかは融合するだろうか?

旧・代々木八幡キリストの教会の建物をのっとらなければ、意外と簡単に融合できたと思うが、過去の確執みたいなものがあり、「乗っ取られた」「奪われた」というものがあって、東京教会との連携をとるのは、現状では難しいことだと思います。

ひとつは、東京教会が他教派の牧師とか教会との連携を積極的に取ること。

完璧に過去の「情け容赦ない責め」と思える「徒弟制度」のようなものが無いことが必要です。そこから過去の確執を徐々に取り除ける必要があると思います。そうなれば、将来的に融合は簡単にいくと思います。

モルモン教でも自己申告で、罪の告白があり、それをしないと地獄に落ちると脅すローカルな指導者がいるから、克服できない罪、喫煙癖などが良い例であり、被害者側に言うと失礼ですが、融通が利かない教会員の場合、事細かに監督に罪を告白するので、または、モルモン教の道徳基準とかドレスコードなどがあり、現に他者による管理社会を嫌う若者が増えているので、わざわざ、自己申告したり、戒めを守る若い信者は、ほとんどいないと思います。

むしろ、真面目な人ほどモルモン教に嫌われるのは、その人に自我がない。自分の主張を男らしく雄雄しく言えない奴は嫌いだということです。嫌なものは嫌だといえない奴は消えてしまえというが、現実は自己主張が強い人ほど、反モルモンになり、お互いに強く自己主張してしまったから、日本の反モルモンは空中分解してしまったと思います。

これは人生における基礎の基礎ですが

嫌なものは嫌だと、できないものは「できない」とはっきり言えないと自分を責めたり、被害者意識を持ち続けると思います。カルトの被害者も100パーセント教会にあるわけではなく、自己主張をする勇気がない人が、監督などに支配されいろいろと責められたり不愉快な思いをするのではないかと思います。

だから反モルモンになる人は、二つの両極のタイプがおり、[NO」と言えない人と、誰がなんと言っても持論を曲げない自我が強い人間の二つがあり、結果的には、現代の切れる若者も増えているため自己の欲望を型にはめる、または、誰かに従属する信仰生活をする人は、ほんとうに稀だと思います。

東京教会が失敗したのは、教会員を雁字搦めに管理したり、言動を監視した結果だと思います。

常識ですが、自分は変えられるが他人はどんなことをしても変わらないという鉄則を忘れると、月を失った地球のように滅茶苦茶な自転をするので、そこから文化は何も存在しないように、何一つ進歩をしないのです。

簡単に言えば秋葉原無差別殺傷事件の被告の母親みたいに、親が過剰に子供を管理しすぎると、どこかで爆発して崩壊するのと同じです。だから、「あそび」は必要なのです。

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ボストン運動が沈静化したのは情け容赦ない責め

もしモルモン教も初めから信者への情け容赦ない責めをしていたら、いまではモルモン教の名前を知らない人がほとんどで、たぶん「キリストの教会の歴史」に、信仰復帰運動から出た、無学な若者を教祖にしたてた別宗教として歴史に名前が残っただけで、その残党が、「復元イエスキリスト教会」という名前で現在では、穏健的な教会だけが残っていたと思います。

1830年代に燃え出した火がくすぶったので、全米から北米へ南北アメリカ大陸や太平洋とアジアの一部に広がったのです。

ボストン運動が沈静化して、今後、「キリストの教会」と名乗りながら、単独でボストン派として穏健的な教会へと変わる可能性があると思います。そのように期待したいです。

ボストン運動とは、教会員に対する情け容赦ない責めの連続、真性サディストが性的快感を求めるために、いじめられることで快感を感じる人ではなく、むしろそのような性癖がない人をいじめることで性的快感を感じると、お腹を殴る、鞭で叩くなど、挙句の果てには、監禁されるのです。

ボストンとモルモンの大きな違いは、モルモンは楽しいとか連帯感という甘い飴や快感をあたえるが、ボストンは一切飴を与えないために、20年もしないで崩壊してしまいました。

たかが20年といっても、数百人の人がキリストを嫌い神様をもう信じないという、その人の人生から、信仰をもつ機会を永久に奪ったわけです。

もっと解りやすく言えば、ボストン運動は、ドメスティックバイオレンスみたいなものだと思えば良いです。これでは、マゾヒストな女性でも逃げ出します。

もともとモルモン教には厳格な戒律はなかったのです。

モルモン教会歴史では、初期はジョセフスミスは喫煙しておりお酒を飲んでいましたので、これは普通のモルモン教信者でも知っています。後ほど、身体のために禁酒をしたほうが良いのではないかというニュアンスがありました。だから、紅茶とかも飲んでいたが、

西へ逃げソルトレークに到着した時点で、ブリガムヤングが禁酒禁煙とコーヒーを飲んではいけないというようになりました。

徐々に責めを激しくしたので、それで火の手がくすぶりだして、それが一気に燃え広がったのです。

モルモン教は、普段は厳しくても、どこかに飴を与えるなら

ボストン運動とは、真性サディストな男性とのドメスティックバイオレンスの恋愛なのです。

献身的な信仰の強要、徒弟制度の確立で、私生活まで他の人に管理されたら、それは嫌になると思います。

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なぜ、このブログは「普通の人たち」なの?

アニメ「絶対可憐チルドレン」に反エスパー団体の名前が「フツーの人々」というテロ組織です。

モルモン教がテロには走らないです。社会に不満があってもテロに走れないのは、一枚岩といえるほど意外と結束力がないですが、

「絶対可憐」の原作でも、フツーの人々の過激派が「ブラックゴースト」という完璧な悪の化身となった、より危険な無差別破壊と営利追求のテロ組織があり、

ちょうどモルモン教でも、フツーのモルモンと、過激なモルモンが一部いるわけです。

モルモン教原理主義者だと白人至上主義者で、日本人は近づけないのは、彼らは髭をはやし、いつも機関銃を持ち歩き防弾チョッキで身を守り、数名の女性といつも一緒に歩き回る武装した一夫多妻主義者で人種差別主義者だから、日本人などは人間だと思わないから簡単に殺されるのです。

「フツーの人々」=ユタ州本部のモルモン教と

「ブラックゴースト」=ユタ州周辺にいる武装した一夫多妻制主義者で、大型ジープを乗り回したいるのです。

日本のモルモン教原理主義者は別の形、アメリカにもないほどの厳格なローカルルールを作り続けてしまう『スポコン』型の教会指導者が、チョコレートを食べては駄目、日曜日はテレビを見てはいけないなど、アメリカのモルモンに無い厳格な戒律を作りそれを守るようにさせるのですが・・。

でも、個人的な想像ですが、21世紀の現在、普通のモルモン教の戒めでさえ、若い人には守ることは無理だと思います。

英語で「正常」というのがカナ表記では「ノーマル」ですが、英語を聞くと「モルモン」と聞き取れるのです。だから英語では「モルモン」と「正常」「普通」という言葉の発音が良く似ていると思います。

たとえば「ライス」といえば「米」にあれば「しらみ」という意味にもなるのです。

日本語の同音意義ではなく英語の発音のおくの深さ、英語の発音母音と子音全部で100あるのですから似ているものも多々あるのです。

そもそもモルモン教にはかなり穏健になりキリスト教化した宗派もあれば、あくまでも一夫多妻制を厳格に守る過激な原理主義教団もあり、その真ん中に主流派ユタ州モルモン教があるわけです。

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サウスパークに描かれたモルモン教

しばらくブログをつけていませんでした。

mixiと動画に専念していましたからです。で、ニコニコ動画で「モルモン」と検索すると、サウスパーク・ユタから来た転校生という話があります。

一見、善良で模範的な家族なんですが、やはり伝道活動に熱心ななため、人間関係を駄目にしてしまうのがモルモン批判だと思います。あとは思考の停止についてもいえます。

日本人の場合、かなり親しい相手で無い限り(仏教系の新興宗教の信者は別ですが)宗教の話しを控えるのですが、アメリカでは宗教を信じても変な人と言う印象が無いので、そこが国民性の違いだと思います。

物語の内容とは

家庭の夕べが行われていることです。 毎週月曜の夜にテレビを消して、子ども達と一緒にゲームをしたり楽器を演奏して歌を歌うことです。とても模範的なモルモンの家庭を描かれています。

敵意を持った子どもが、善良なモルモンの転校生の態度に根負けしてしまい、一時的にモルモン教に関心を持ってしまうことです。そのため敵意を持った少年の父親が文句言うと、模範的なモルモンの父親が、穏やかな態度、平和的な会話で、文句を言うどころか、モルモン教の真似をして、まさに、ミイラ取りがミイラになった状態になるのです。

だが、少年の場合、思考が柔軟なのか、モルモン教の教義に疑問を感じるのです。

もろにアニメで教祖ジョセフスミスがでてくるのです。

モルモン書が与えられたことが強調され、新しい聖書が神様が人類に与えてくださったと喜んで、その数年後に、ジョセフスミスが金版(反モルモンが主張している金版を全部持ってくるのではなく、金版を一枚か二枚だけ帽子に入れる。金版をばらして一枚づつ持って帰れば、誰でも持ち帰ることが可能なのです。あとで組み立てれば良いのです。)を黒い帽子に入れて、書記に書かせるのです。(ジョセフスミスは英語のスペルが正確に書けない。貧しい農家ですから小学校にもろくいに行けないからです。)

学力が無くとも知恵だけ人並み以上あるのです。

帽子に顔を入れて、それを読み上げた振りをして、それを書き取るが、

本当の預言者なら、同じ文章を書けるのではないかと書記の奥さんに言われ、翻訳した原稿をなくしたことにするのです。で、

ジョセフスミスにそれを言ったら、それに機転を利かせ、「神様がお怒りになった」ということで、(正確な名前が間違えているが)モロナイの書はもう書かない、二ファイの書を書くと言うのです。

今考えれば、もし本当の預言者なら、神様から啓示を受けられるなら、原稿を隠したことがわかるのではないかと思います。(原稿をなくしたか、隠したかは真相は不明です。)

金版の3分の1は翻訳し、残りは後世に取っておくというのです。

少年が思考が停止して無いのは、実は学校では進化論を教えており、モルモン教ではアダムが神様に創られたという食い違いと、さらにアダムがいた地が北アメリカ大陸のミズリー州であったこと。いろいろと少年なりにモルモン教の矛盾を考えてしまい結果的には信者にはならないのです。

実はクリスチャンでも同じことが言えるのは、アダム誕生の時の年代は、現代の考古学ではエジプト文明が繁栄した時代で、それ以前の人類の骨が発見されていることです。素直さと従順さはキリスト教会の教会員としては、とても大事なことですが、思考停止はすごく危険だと思うのです。

矛盾している事を解決しなければ、自分で調べ解決しなければ、本当の信仰が保てないのは、クリスチャンもモルモンも共通していると思います。

クリスチャンの視点で、過去のモルモン教の指導者の揚げ足を取る行為は、現代のモルモンの信者に反感と敵意を与えるだけだと思います。

両者にとって共通した問題とは、素直さ従順な信者を苦しめる環境が問題だと思います。

「正直者がバカを見る」という諺があるように、真面目に信仰している人をいじめる、腐敗した環境こそが問題であって、教義や教会歴史などは別の次元の問題だと思います。

そうなれば人格者だと思えるカトリックの信者などは、みなカルトということになるのです。

個人的な問題に関しては、サウスパークに出てきた転校生を馬鹿にしたクラスメートと、真面目な教会員を嫌う、活発なモルモンとは大差ないとこです。「真面目だから気に入らない
」という態度とは、結局、善良な人をみて自分の罪悪感を刺激されるからだと思うのです。

だから真面目な人間を憎み拒絶するのです。

その意味ではモルモン教を信じるなら、別にお酒を飲んで、神殿でエンダウメントを受けても神罰を受けないと言う、恐れの気持ちが無ければ良いのです。そうすれば、他のモルモンの人たちと仲良くなれるわけです。

90年代は精神的暗黒時代といえるのは、敬虔な信者を演じ、説教台で涙を流し続け、裏側では、何をしているか解らないような、裏表がある活発会員がモルモン教を支配して腐らせたのが最大の原因だと思います。

もしモルモン教宣教師が日本に来なければ、日本のモルモン教会は時間がたつほど活気を失い弱体化すると思います。

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バビル2世 異端論 ヨミが実は正義だった

若さゆえの過ちをテーマにしたのが、「バビル2世」だったのではないかと思います。

彼はテレビアニメでは正義のヒーローと、例外なくみなされたが、時間軸を1973年に焦点をあてても、東西冷戦、その後の中東の宗教ファシズム革命、パレスチナ問題など無数の問題を抱え込み、ヨミひとりでは対処しきれないために、はじめに、バビル2世との協力を申し込んだが、彼は不信の気持ちを感じ、単純に世界征服による、ヨミの世界帝国の皇帝という考えがあった為、バビル2世は敵意を持ってしまい、対立してしまったのです。

ヨミの説得力不足、たんなる私利私欲でなく人類を救済するために、「私と手を組まないか」と協力を申し込んだにもかかわらず、バビル2世は、現代社会の矛盾、悲劇を理解せず、現代社会そのもを仕組みを破壊する物は、どんな理想論をいっても、それは悪だと頑なに拒んだのです。

バビル2世は現代の体制側を擁護する側に立ち、誰一人例外なく正義の味方と信じていたが、

21世紀を向かえ、新自由主義の発展(?)が弱肉強食、弱者を餌食にして強者が繁栄する社会。放映当時からまったく解決していない貧困問題、最終的には新自由社会の最終地点は無政府社会へと至り、それまで築いた人類の文明に終止符を打つのではないかと言う事です。

超大国同士が戦争して機械文明が滅びるのではなく、新自由主義社会が人類の文化と文明を根こそぎ破壊する。

大人になったバビル2世は、もしかしたら、ヨミと手を組まなかった事に、強く後悔し続けていたと思います。(ヨミは老化しており、彼が死亡した場合、バビル2世が次の世界皇帝の地位に即位できるのです。紛争も国境も無い人類史上初の世界国家が誕生するのです。)

アニメの冒頭にあるように「ヨミが悪魔か、バビル2世が悪魔なのか」という台詞があり、実はバビル2世が知らずに悪魔の手先になっていたという究極なオチだったと思います。

超能力を使う事によって、それは老化を早め、かつてのような超人的な力をだせない、バビル2世の人生は孤独と後悔だけの状態だったと思います。今頃になって何もする事も出来ない状態だと思います。

テレビアニメの「北斗の拳」は、新自由主義支持者のバイブルであり未来の設計図なのです。核戦争をしなくてもグローバル経済と新自由主義社会という革命輸出による世界革命で、先進国の無政府化、無政府社会には警察は機能しなくなり、たとえ勝ち組で人生がばら色だった人たちでさえ安心して暮らせなくなり、疎開地に脱出する共同体やグループが続出。

新自由主義社会はアナーキーでありカオスを社会にもたらすものなのです。

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