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成果主義は地獄の門

昭和時代は何でもかんでも思い通りに行く時代ですが、平成だとバブルはじけてからグローバル経済、そして新自由主義(いや新共産主義・劣化共産主義という ほうが相応しい)になり、努力がむなしくなります。

昭和時代なら
たとえば一時間に50個作れるとしたら、八時間で400個作れるが、
平成時代だと 全てが機械化すると 機械の調子で その日によってばらつきがでて 予定が立てられない。
ある日は調子よいから600個作れて、ある日は調子悪いから300個までしかできない。

その300個しか作れないと半日サボったと評価され、労働時間よりも作った数で賃金を決められるのです。これを裁量性の拡大というのです。

毎日600個というノルマが課せられるのです。で、これが技術の進歩で一日700個になると、毎日700個と言うノルマになり、下手すれば毎日残業となるのです。

セールスも同じで、厳しいノルマがあると、しつっこいセールスマンを作り出す原因になり、契約から2週間以内のクリーングオフを知らないと、とんでもない借金をしなければならないのです。

昭和時代なら努力した分だけ報われる。セールスマンも努力しただけ成績が向上するが、

平成時代の場合は、社会状況が変化しているので、努力した分が必ず報われるとは限らないのです。

昭和思考のまま現代を生きたら過度のストレスで、ひどい鬱病になるのです。

そもそも人間は20代に生きた時代の常識を『世界共通の普遍的真理』と思い込むので、どうしても時代錯誤な発想をしがちなのです。時代についていけないのは、現代と過去がどのくらい違うか認知できないからです。

バブル崩壊までの時代なら、頑張れば頑張るほど面白いように年収が上がり続けるが、現代ではある人は楽して儲けて贅沢な生活ができる。ある人は頑張りすぎて全然成果がでないために最後には燃えついてしまうのです。

現代と言う時代を知らないと、どんなに頑張っても無駄骨になるのです。

まだ比較的に痩せていた時代のほうが、実は健康的な生活をしていたのです。

ひとつは、市民体育館に行って週に2回以上は運動してきたことです。
もう一つはあちこちの日帰り温泉にいけたことです。

では、なぜ現在はいけなくなったのか?

全ては何を努力したかを一切関係なく、すべて結果で評価する成果主義(どのくらいスマートになったのか理想的なスタイルになったのか)で理想を求められためだと思います。

ある人は楽して良い評価を受けられるが、自分のような智恵がない人間だと、頑張ればいつかは報われると考えることが既に負けているのです。いかにしたら楽して良い評価を受けられるかと言う考えを持つことです。

結局は、成果主義のために、頑張っても良い結果がでなければ、何もしないことになるので、それが原因で、鬱病になるのです。鬱病とは一種の「燃え尽きた状態」であり「頑張るとか努力が嫌いになるのです。」

それはダイエットにも言えると思います。
いや、ダイエットそものもが実は何処にも存在しないのです。

理性が暴走させ、前回のように糖尿病になれば一気に体重が減ると考えましたが、糖尿病になると好きなものが食べられなくなるし、目が見えなくなる足が腐るなどの最悪の状態になるのです。

それを軽々しく感情的になって言ってしまい申し訳ないです。


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肥満=鬱病 成果至上主義

昨日は、母が来て、毎回のように肥満の話をしてきたが、
これは、もう十数年前から言われ続けているので、むしろ、肥満を苦にして自殺するか、糖尿病かガンになって一気に痩せるほうが、健康な状態での肥満よりはマシだと思います。

ダイエットはありえない

本音を言えば、はやく糖尿病になって一気に体重が減ってくれる事を願うばかりです。糖尿病だと食事の量が増えても逆に痩せるから、健康を害しても痩せたほうが良いに決まっているのです。

毎回、肥り続けているとブツブツ文句を言われることに、本当にうんざりします。

なお、アメリカのように肥満に寛容な国なら、それは苦にならないし、豊富な食料があるのに、それを我慢する。豊富な食料を食べないこと事態が、犠牲になった生き物に対して失礼ではないのでしょうか?食べることの喜びが得られない、過去の人の妬みなんでしょう。

日本の社会は妬みの社会であり、幸福は限られた面積のパイを奪い合うと言うのが科学的に実証されていると思い込んでいるので、それがキチガイと思うのです。

なお、十数年前までは、肥満を食い止めるために運動をしたが、焼け石に水状態、良くて現状維持でとても運動や食事制限だけではやせられない。むしろ健康を害してこそ痩せられ、肥満を妬む声をこれ以上聴かないで済むからです。

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死者のためのバプテスマは殉教者のための

モルモン教神殿では、死者のためのバプテスマの儀式がおこなわれております。これを行うには、架空の人間ではなくかつて、この世で生きていた人たちにさえ行うものです。

批判は別にして、
ではキリスト教会ではどう解釈するべきなのか議論があり結論はつかないし教派によって解釈が異なるが、

個人的な考えを述べると

ます、原始キリスト教会ではユダヤ教やローマ帝国からの迫害があり、雄雄しく福音を伝えた人たちが、牢獄に入れられ、残酷なやりかたで処刑されました。

その人たちの意思を尊重するため、殉教した人たちが伝えた福音を信じることを告白するために「死者のためのバプテスマ」を受けるのです。

聖書には、たしかに「殉教者のための」とは書かれていません。

死者とは、処刑された人だけではなく、不幸にも迫害者とは関係ない強盗に殺された人、旅の途中で事故死した人、病死した人も福音を誰かに伝えたかったと思います。

そのような死者たち、別の言い方すれば「聖徒」たちの願いに報いるために、バプテスマを受けるのです。

原始キリスト教会の時代は、想像を絶するほど厳しい状態であり、時代が進むに従い、大部分の人たちが信仰を捨ててしまいました。クリスチャンに対する弾圧が、ますます非人間的になったからです。

おそろしくて信仰を捨てた人も大部分いたが、中には勇気ある人たちが、現在のキリスト教をもとにしたと思います。



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もしモルモン教が正しくても好きなように生きても良い

そもそもモルモン教とキリスト教の大きな違いは、昇栄という、無数の神々の一人になることです。ここがキリスト教とは教義的に大きな違いです。

全知全能の神になって、被造物をつくり、それらに崇拝されても、あまり嬉しくないです。

その点、キリスト教では必ず天国と地獄という最後の裁きの教義ががあり、悪徳に従った人とか自分に利害が無い人に冷たい人などは、地獄に落ちる。さらに最も厳しい裁きを受けるのは、キリスト教を棄教する人たちです。

これが正しいかどうか解りませんが、クリスチャンでもそれぞれ復活の栄光の輝きが人によって違うのは、

ある人は信じるだけの、なんちゃってクリスチャンになりあまり教会に通わないで正しい生活をしない人は、やっと救われた、ほとんど輝きが無い救いであり、

また正しい生活をした人には、眩しいほどの輝かしいような栄光に満ちたが復活があるのです。

誤解されると思われるが、天国にも階級があり、それは永遠に変えられないのです。

なお、自殺はそれぞれの意見があるが、かつては自殺は棄教あつかいされ、キリストを裏切る行為とみなし、聖霊に逆らう罪なので死んだら永遠に許されないと言われたが、最近の精神科の進歩により、自殺の大部分は鬱病という病気であり、ある意味では冷静な判断ができないため、ある場合によっては自殺も罪に問われないと言う考えになっています。でも、クリスチャンの自殺は周囲に強いショックを与え、ある人はそれを切欠に棄教する可能性があるのです。

棄教行為に関しても本人が悪いだけではなく教会が異常なら、それで罪に問われる事は無いと思います。


以上は自分の考えですが、その根拠は神様の愛は無限であり、神様を信頼するからこそ慈悲深いお方だと思うからです。

仮にモルモン教が正しい宗教だとしても、熱狂的に信仰しても、神々になれる人は、ほんの一部の意識が強靭な人たちだけであり、また、経済的に多くの恵みが無ければ、モルモン教の厳しい律法を厳格に守る事はとても困難です。

神になるために無理をする。そのために自分を責めてしまい、精神に異常を来たしてしまう人がいたことも事実です!

本当に永遠の地獄の苦痛を受ける人は、人類史上、わずか五本指に収まるだけで、既に一人はイスカリオテのユダと、人類初の殺人者カインだけです。もしかしたら再臨の前に、もう一人の人(モルモン教の幹部)が滅びの子になるというかなり深刻な予言もあり、さらに、福千年(千年王国)の後にサタンが開放されたときに、ゴクとマゴクの人類最後の最後の戦争のときに、一人滅びの子が出てくるのです。

五本指以内に収まる人が滅びの子となるわけです。

なお、モルモン教では煉獄(霊体の牢獄”ひとや”)という教義を信じており、死後の世界でもモルモンなる人がいれば、煉獄から開放されパラダイスに行けるのです。

最後の裁きのとき、人類の大部分が星の光栄の王国に入るが、実は「星の光栄の王国」とは、その人が最も幸福な生活ができる世界なのです。

あまりにも素晴らしい世界なので、それを見たら、何もモルモン教に通って無理して厳格な律法を守る必要は無いということです。

また、一部の活発モルモンが安易に、その棄教者のことを「滅びの子」と宣告する人もいますが何の権威によって、宣告するのでしょうか?

モルモン教では家庭の素晴らしさを宣伝するが、その実態は夫婦喧嘩が耐えない、子供もそれをみてモルモン信仰を継続する意欲を失い、自分の好きな道に進みたくなるのです。

熱心なモルモン信者の夫婦の離婚も多いのです。


そもそも、家庭で成功するモルモンは、少数派だと思います。

結論を言えば、無理をしない。自分を責めない事が重要なのです。

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モルモン教に無関心な牧師たち

前回の日記でも「お互いが疲れたものを伝道する」という内容の日記を書き込みましたが、クリスチャン生活をして教会に行くのが辛い、疲れたという人も多々いると思います。

その反対にモルモン教の生活が律法主義的で疲れる。教会の責任が重くって辛い。日曜日には早く帰れないとか、そのように疲れている人も多々いるかもしれません。

それにモルモンの認知度が低いため一般社会の人はモルモン教の律法を知らず、かならず何らかの摩擦する。そのため妥協するのが苦痛と言う人もいます。また理解ない人からは変な目で見られるなどあります。

まずなぜ結婚できないのか?親たちがハードルをあまりにも高く設定させてしまったからです。披露宴だけでも一年間はぜいたくさえしなければ食べるものには不自由しないほどの生活費が僅か一日で浪費させるのです。無数の時代錯誤と思える不経済なしきたりの数々。そのうえ心に多くの傷を与え、自分の値打ちを安くさせ自己憐憫化させる「婚活」。

賢い人は上記のことを予測し、あえて婚活をしないです。

むしろ独身をポジティブにとらえること。ますます悪化する経済状態に時代錯誤と思える浪費(披露宴と結納金)。リストラや倒産時のための貯蓄を食いつぶすから、あえて結婚しない。

結婚しても子ども達の教育費が膨大な金額。

これでは、とても人生をたのしめるわけはなく、ある意味では虚しささえ感じます。

あらゆる苦痛を耐え忍ぶことだけになると、モルモン教から離れる人たちが多いと思います。

まず、モルモン教の神殿結婚なければ「昇栄」という完全な救いはなく、独身だと、どんなに頑張っても、月の光栄の王国に復活する(解りやすく言えば、「天国と地獄の中間」の世界。煉獄でもない)。

月の光栄の王国なら、別にお酒を飲んでも、周囲の人に親切にして自分に利害が無い人に優しい態度をして、この世で言う『良い人』なら、どの宗教でも月の光栄の王国に入れるのです。だから、極論を言えば、仮にモルモン教が正しいとしたら、モルモン教のバプテスマを受ける必要もなく正しい生活さえすれば、死後の地獄から逃れられるのです。

ますます、この世的に賢くなればなるほど、なんちゃってモルモンになるのではないかと思います。

まして周囲のプレッシャーで好きでもない人とお付き合いして結婚してもたのしくないです。

で、本題に入るが、モルモン教に無関心でかなり誤解している牧師や聖職者が多いのも事実だと思います。

モルモン教に適応できるクリスチャンもいることはいるが、キリスト教からモルモンへ改宗するのは、モルモン教の奥義を知らないからです。

これは、モルモン教の信仰生活経験があったクリスチャンからモルモン教の『核心』を教えてもらわないと、興味本位からモルモン教の宣教師と仲良くなってモルモンに改宗してしまう場合があるのです。

キリスト教会内ではモルモン教のことを語る機会がほとんどなく、まして自分もそのことをあえて語らないほうが良い、必要ではないときは「それは神様の御心ではない」と考えて自主的に語りません。クリスチャンの場合はキリスト教の教義を学ぶ=聖書を学ぶことが重点を置かれているので、他宗教を学ぶ余裕が無いからです。

そこで、クリスチャン生活に疲れた人とか、ある人は興味本位でモルモン教会に言って見れば、「ミイラ取りがミイラになる」ように、モルモンに改宗する危険性があります。

モルモン教とは表面的には普通のクリスチャンの礼拝と同じことをするし、この世の人から見れば、酷似しているので見分けつかないが、

究極の違いは、神殿礼拝があることです。

これは、たとえモルモン教信仰を捨てても礼拝の内容を漏らすのが恐ろしいと思うものですから、それを言えないです。

ある意味ではモルモン教神殿は、とても霊的な場所であり、人間だけがいるのではなく、霊的な存在を実感できる場所です!その意味では、深みにハマると抜け出すのは困難になる場合もあります。

どこのキリスト教会にもない独自の礼拝儀式があることを良く考えないで入信する人もが多々います。その意味では、なぜモルモン教が求道生活がキリスト教よりも極端に短い、バプテスマを性急にさせるのかは、急かすことで冷静な判断を失わせるからです。

その意味では、日本のモルモンの大部分がモルモン教会に通っていない。極端な場合は、自分はモルモン教の信者にさせられたことに気づかない人も多いと思います。

自分もモルモンを辞めたいと思って辞めるまでには6年くらいかかりました。
神殿という深みにハマると、かなり辛くても抜けるまで、時間がかかるのです。

なお、棄教する場合は「退会」ではなく「教会員記録抹消」というのです。

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女子高生の言葉になっているニュースとは

以下のニュースの文字が女子高生化しているので、ブログなどはどんなに漢字語変換があっても、どうでも良いが、公的なニュースの場合は、問題ありだと思います。

http://www.excite.co.jp/News/society/20090302/Kyodo_OT_CO2009030101000495.html

2009年3月2日 03時02分
脳の神経細胞が時を刻む 「間」の取り方解明

 スピーチに挟む効果的な「間」やスポーツでの間合いなど、日常生活で無意識に適切な間を取ることができるのは、脳の神経細胞が砂時計のように時を刻んでいるおかげ―。こんな脳の働きを丹治順・玉川大教授(脳生理学)と東北大のチームが見つけ、1日付の米科学誌電子版に発表した。脳が秒単位の時間をつくる仕組みを解明した初の成果で、時間認知に障害が出るパーキンソン病などの治療に役立つ可能性があるという。


「時を刻んでるおかげー。」女子高生が書き込んだニュースですか?笑えます。

なお、個人的にはあまり顔文字を使わないのは、顔文字を作れないのではなく、内容が軽くなった感じがするからです。

やはり文字が観やすいエディターソフト(「メモ帳」みたいなソフト)で大きくした文字で入力と修正してからブログの記事に貼り付けるべきかもしれません。

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ペンテコステ派には

現世ご利益的にペンテコステ派に関心をもったのが2004年であり、その当時は残業が多すぎる状態で、少しでも恵みが在るように願ったが、結果的には自分には合わないと思いました。

ひとつは再臨主義と過度の宣教活動があり、教会員を増やす事だけに熱心であり、何か違うと感じました。

同時に二ヶ所のペンテコステ派教会の夕方礼拝に通ったが、どちらも共通しているのは、全力をかたむけた献身と奉仕が強調されおり、あまり恵みに関しては語られず、また、思っている以上に厳しい律法主義に陥っている事です。

一つはアメリカ系のA教団、もうひとつは韓国系の有名な教団。

一時的にそちらの教団の教会に通ったが、むしろ恵みが失われ、落ちるかのように環境が悪化して、会社を退職をすることになりましたが、そもそも、会社を辞めるのが遅すぎたのです。

まず自分に合わない常に悪化の一途をたどってると思ったら、早めに辞める決断力が必要だと思います。

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しつこい要求は精神を壊してしまう

モルモン教会だけが悪いのではなく、自分の性格に重大な欠陥があるのが致命傷だと思います。

痩せるのは簡単にできるという風に考える人が多々いますが、ダイエットはかなりの意志力が必要であり、よくても現状維持が限度なのです。

別名、「おせっかいな虐待」というものでしょうか。

本人が最も望んでいる事を、あたかもその人の結果がなにもかわっていないから何も努力していないと決め付けることで、確実に燃えついてしまう現象で、まだ、それを言う相手に対して殺意があるうちは、やる気があり、現状維持になるが、殺意さえ失い自殺願望をもつようになると、どんどん体重が増加するような生活をしてしまい、努力する意欲を失うことです。これを燃え尽きた状態になるのです。

だから、過去をみるいと転職する機会があった。転職先がみつかり退職願を出したにもかかわらず、会社を辞めさせないのが、最大の欠陥だと思います。上司にも成績があり、退職者がでると給料にひびくわけです。

よくいわれるのが「彼女できたか」とか「もっとやせろとか」その二言だけで人生が崩壊したといっても過言ではないです。

なお、前回の日記は漢字誤変換が多いのは、とても悔しい気持ちで感情的になっていたからです。

もし、過去において転職をして別の会社に勤めたら、たぶん、現在のような暗黒時代は来なかったと思います。



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鬱病になったのは、数万回も同じ事をいわさせる欠陥的な性格

従順もモルモン教のように捻くれたもののみかたをすればネガティブに捉えるが、逆に言えば、一種の安心感、裏切らない、「道からそれない」ということです。

捻くれて解釈するのは、その人たちもモルモン教信仰が弱く、そのような評価をする教会員は一部であり、別の人は良い意味で捉えたが、結果的には自分も、鬱病が発病しだし、

その原因は、「結婚」と「肥満」の二つの話題しかないことです。

それを毎日のようにしつこく言われ続ければノイローゼになり、何か妄想に囚われるようになる。何事も悪く捉えるようになるのです。

結果的には、精神的に燃え尽きてしまい、この道は間違えているという核心にいたり、真理を探すためにSDA教会の土曜礼拝に通うことから始めました。

菜食主義になれば、肥満も少しは解消できるし、SDAは若い教会員も多いので、結婚できる可能性も十分ありうるのです。

自分がキリストの教会に通うようになったときに挫折を感じたのは、メーリングリストで知り合った人もバプテスマを受けたが、彼の場合は、強い孤立感がつきまとい、何か連帯感を感じられる宗教組織を求めていたと思います。

その人の自己実現には至らず、むしろ逆に、神様を憎むようになったことと、2000年の秋季の合同礼拝で、他の教会の牧師の話しがあまりにも深刻すぎて、自分の中にキリスト教に救いが無いと感じて、次第に教会に通わなくなったことです。

そして2004年の10月ごろに、ペンテコステ派はどうだろうか?いやしと恵みを強調しているから、そこに行けば寄りよくなると思ったが、逆にかえって以前よりももっと社会的に悪化した。結果的には2005年8月に会社を退職した。退職する直前はまるで地獄のようなサービス残業と、労働組合からも見放されて、これでは自分が完璧にダメになると思ったが、そのときには既に自分が立ち直れないほどダメになっていたのです。決断があまりにも遅すぎたのです!

なかなか仕事がみつからず、2007年には自殺を考えたときに、少しでも生きる気持ちがあるなら、教会に戻るべきだと言う気持ちがあり、それで、もとのようにきちんと日曜礼拝に出席するようになりました。

自分の欠陥とは、思った以上のことを言われ安すぎる。
遠慮なく重い存分言わないと胸糞悪くなるというところです。

従順も欠点なら、欠点も見方を変えれば長所にもなるが、欠陥はどう見ても致命的欠陥であり欠点なのです。

毎日のように同じ事を繰り返し言われ続ける事で、初めは反感を買う、または強い憤りを感じるうちは花で、反感や憤りを感じるのを通り越し、死んでしまいたい、消えてしまいたいという気持ちになるのです。

初めから自分が最も求めていることで解りきっている事を言われ続けると、反感や敵意、強い復讐心を抱くほど潰れるのも早いです。

だから、もし魔法があるなら、肥満解消や独身生活の終焉よりも、自分が望んでいる事を執拗に言い続ける人が同じ苦しみを受ける事を強く望みます!

いまは会社を辞めたので、そのような人と二度と会うことは無いと思うし、今後も、単なるワーキングプアだから変な期待はしないから、そんなことをしつこく言う人は二度と出ない事を強く望みます!


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ネットのモルモン擁護・反モルモンをバカにするのは活発モルモンではない!

10年以上前のモルモン教の実体と現在のモルモンでは、世帯交代などもあり、過去の事を述べるのはナンセンスであり、まして、当時活発だった人が今でも活発だとは限らないからです。

一言言わせてもらえば、従順はたいていは良い意味に捉えられるが、十数年前の活発モルモンは思考がひねくれており、従順=自我が確立していない「自立していない」「親のすねかじり」「マザコン」というように評価され、その意味では従順で、まさかモルモン教の信仰を捨てるとは思われない自分が、なぜモルモン教信仰を捨てたのかは、周囲の人の悪い意味での評価。それも80年代後半から90年代の歴代の監督でさえも、否定的に捉えたため、最も締め出すためには、奉仕の機会を与えない。また、会話の輪に入れないで浮いた感じにさせる、有志の娯楽的な活動を一切誘わない教えない。教えなくても良いから、それなら、最後まで自分が知らないようにしてくれて欲しい。孤独感を強調させたことです。

従順な故にそれが自我がない自立できないとねじれた評価をされて、そのまま数年、1990年あたりから1998年2月まで自分の気持ちの中に「モルモン教会に行きたいない」「モルモン教に行くとより孤独感を感じる」「教団の人が皆、自分のことを見下している」「モルモン教にとっては元気ない自分は敵対行為とみなす」など、

従順になればなるほど、捻じれ現象による歪が激しくなり、それが精神的ダメージ、そして、後もう少しでモルモン教の女性と結婚と言うところで、親の反対があり、モルモン教のカミに裏切られたような気持ちになり、何かが間違えていると確信しました。

前置きが長くなりましたが、
あえて結婚をしたがらない若者も多い。その反面いざというときは三ヶ月以内で確実に結婚できる自信があるから「結婚できないのではなく結婚しないだけ」で、本音を言えば、家庭不和の連鎖をこれ以上作りたくない、自分たちの世代で時代錯誤の家族主義を葬るには一生独身が言いということです。

そのような考えのモルモンの人もいえれば、反モルモンが消滅した現在、いまだにねちこく反モルモンを批判する、自称活発モルモンとは、仮想上モルモンであり現実ではお休み教会員であり、モルモン教の教義を反モルモンほど理解できていないでお休みしただけなのです。

反モルモンは一種の負け犬であり、ある意味では弱者であり、それを叩く事で、自分が彼らよりはマシな人間だと認識して優越感に浸れるのです。

活発モルモンの場合は、そんな事をする暇は無いと思うのです。

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