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モルモン教とキリスト教の違い

モルモン教側では自ら「クリスチャン」とか「LDSのクリスチャン」「末日聖徒のクリスチャン」と呼んでいます。それは個人の自由ですから誰も迷惑にならないと思うのです。

20年前のようにモルモン教徒が「モルモン」と言わなくなったのは、中央幹部の指示もあったと思うのです。

モルモン教とキリスト教の大きな違いの一つは、強固な組織だと思います。
ホームティチングなどは、相互訪問なのである意味では相互監視なのかもしれません。
ワード部や支部で事細かな組織が作られているのです。

あともう一つ違いが、モルモン教の神殿結婚の儀式があり、永遠の結婚の儀式を受けないと救いが完全ではないと言われております。

そこに大きな違いがあるのです。
まず、キリスト教には信仰義認の教義があり、イエスキリストを主として認めなければ、どんなに正しい生活をしても神様から義と認められないのです。(セカンドチャンスの話もあるが軌道がずれるので後ほどに)

これは個人的な考えですがキリスト教には信仰の敗北はありえないと思うのです。
一生懸命真面目に信仰していれば、どんな人でも救われるのですが、モルモン教では、不完全な救い(月の光栄の王国とか星の光栄の王国など)になるのです。

最近、「婚活」と言う言葉が流行っていますが、あーもうーも言わせないでとにかく結婚しなさいと言う圧力がモルモン教にあり、それが原因で精神的に参ってしまう場合があり、人によっては結婚生活は不能の人もいるわけで、そのような人までも一くくりに結婚をさせるようとするのは、結果的に人生の敗北者と勝利者を別ける事になるのです。

その意味で、自分が後悔したのは、モルモン教前半期に真面目なモルモンだったことで、適当にやっていれば今日のような状態はありえなかったと思うのです。

それと比較すると、キリスト教には真面目にさえやっていれば、信仰が敗北する事はありえないと思うのです。(ただしカルト化したとか、人間関係の躓きなどもあり、それでキリスト教会に通わなくなる事もありえるのは確かなのです。)

まず全然違うのは、モルモン教は努力しても人によっては無駄骨で信仰を失う、悲劇に襲われる可能性も多々あるので、だから、適当にやれば、月の光栄の王国でも入れるのではないかと思うのです。それからモルモン教を棄教すると、日本の原理主義的な人たちは「滅びの子」と脅して、信仰の自由を奪うのです。

この言い方は間違えていると思うのですが、モルモンを辞めた人を人生の敗北者扱いするのは日本型モルモン教原理主義者と同じで、意志が弱いとか「愚かさ」「弱さ」で自ら滅びを招いていると言うのです。それは人を不当に裁く事になると思うのです。

またはモルモン教会をお休みした人にも、変に頑張るようにしむけたりするのは、原理主義者に良くある傾向で、個人的には精神的未熟さを感じます。そのような未熟な人が、人を励ましたりする事もできないし逆効果になることがあるのです。

まとまりがなくなったが、別に反モルモン的な言い方をしているつもりではないが、もし、そのように受け取って不快に思ったら、申し訳ないです。

なんでもがむしゃらになって頑張り、他のモルモン教会員にも自分と同じではないと言う日本型モルモン教原理主義者が、モルモン教関係者の心を傷つけたと思うのです。配慮不足だと思うのです。

キリスト教は「仮に」全力を尽くさなくても信じることで救われるが、モルモン教では全力疾走でも挫折して敗北を味わう危険性があるのが大きな違いです。

キリスト教は信じるだけで救われるが、モルモン教は信じても全力で努力して成功しないと完全な救いを得る事ができないのです。

成功とは結婚する事です。
たとえどんなに頑張っても結婚と言う結果がでなければ救われない。だからモルモン教は恋愛至上主義に陥っていると思うのです。そこに神様の話しが無いのは当然です。





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