モルモン教のサマーカンファレンスが輝いたのは
1980年代のカンファレンスが輝いていたのは、みんなが真面目だからだと思うのです。
今でもモルモン教で敗北があると考えたら、真面目になって信仰生活を送る努力を一切しないで美味しいところだけいただくと思うのです。
結局、真面目にやればそれなりの見返りがくると言う考え方そのものが間違えていたと思います。人それぞれ能力や個性があり、不得手な分野にぶち当たれば、どんなに頑張っても壁を越えられないのです。
サマーカンファレンスが婚活の場となり、そして、東京神殿別館での「神殿結婚セミナー」に出ることで完全な婚活となれば、異性からみれば「しつこい」というオーラーがでてくるのです。
信仰を失った時点で、それらの楽しい思い出は虚しいものになってしまうのです。
あとは今思うけど、不真面目にやっていた活発会員もいたわけで、いかにも不真面目だという雰囲気というか、そのようなオーラーが感じ取れるのです。オーラーと言うよりも、その人の仕草や表情、喋り方、態度から、その人の雰囲気がでてくるのです。いい加減だと、信仰的なものが感じ取れないのです。その人そものもに輝きが感じられないから浮いた感じになるのです。
自分も歳をとると、伝道に出ない。そのしっぺ返しが婚活の挫折なのです。
ようするに自分の運命みたいなのが先に解れば、どんな人でも真面目にやらず美味しいところ(たのしいイベントだけでる)だけ頂くいい加減なモルモンになるわけです。
人間は未来の事を知らないから、時としては無駄骨を折ることが多々あるが、無駄骨をいかにして未来に生かすのが本来の進歩ではないかと思うのです。
キリスト教では結婚しなくても「不完全な救い」とか、原理主義者が言う「滅び」もなく、信じて真面目に通い、正しい生活だけをすれば救われるのです。
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コメント
コメントが遅れて申し訳ないです。
いま思い出すと、日曜日の集会(神権会「成人男性が集まる集会」)で、当時、大祭司グループの人が金銭管理の話しをしていました。当時としては、おもしろい話だと聴いていましたが、なんというか、個人が自立することは大事だけど、
世俗的になりすぎるのもどうかな?と疑問に思います。
モルモン教だと社会的に成功している人が優遇されるところがあり、金銭的に恵まれている人が、美味しい責任(ステーク会長会の12評議員や祝福師)につけるのです。
監督とかステーク会長は、ハードな責任だから、社会的に成功している人でも、任期満了でモルモン教を長期間お休みする人もいるみたいです。
投稿: ブログ管理人 | 2009年10月30日 (金) 00時03分
モルモンの会堂で経済学や経営などを学べました。
今、考えれば、おかしな気もします。
投稿: モルモン離反者 | 2009年10月20日 (火) 13時40分
返事が、たいへん遅れて申し訳ありません。
しばらく体調が悪くブログを管理する状態ではなかったからです。
モルモン教信仰生活が良かったというつもりではありませんが、モルモン教会に「もし」入信していなかったら、たいして良い思いではなかったかもしれないと思います。
メリットもあればデメリットもあるわけで、むしろデメリットのほうが大きいからモルモン教を辞めたわけです。
これは自分中心的な考えですが、率直に言えばモルモン教の宣教師からインスティチュートの教師に『騙され続けた』と思います。
無意味な「知恵の言葉」など守る必要は無かったと思います。エンダウメントも受けて時間を無駄に過ごす必要も無かったと思います。
個人的にはサマーカンファレンスは、若さがあったから楽しかったのであって、教会員同士の信頼関係があったから楽しかったと思います。
ただし、これが完璧を求めるあまりに、仲たがいしたり、無意味な奉仕を強要されたりしたデメリットも多々ありました。
投稿: ブログ管理人 | 2009年10月19日 (月) 17時44分
はじめまして、かな?
どうぞよろしくお願いします。
>信仰を失った時点で、それらの楽しい思い出は虚しいものになってしまうのです。
それが分かっていませんでした。
分かっていたとしても苦しんだでしょうけど。
教会では楽しい思い出が沢山ありました。
信仰(モルモン教の言うところの信仰は盲信だと今は理解しています)は醒めている一方で思い出は熱い。
一時は親しかった会員ともずるずるコンタクトを保っていましたが「虚しいもの」として切り捨てるしか前に進むことはできませんでした。
お互い前に進んでいこうと言い残して思い出、友情と決別するしかないのかな、と。
相手はどうかは知りませんが、遠い空の下でお互いの道を邁進していることを願い、私自身を叱咤するのです。
モルモンで過ごした日々は全くの無駄骨でした。
もしモルモン教に入らなかったら、という「IF」はしません。全く想像もできないから。
何を失ったか、また何を得たかも考えません。
ただ、虚しい信仰だった。
全てを取り崩して前に進むだけ。
投稿: ほろ酔い | 2009年7月 7日 (火) 01時17分