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モルモン教とキリスト教は全然違うということ!

このブログにかかれたことは大部分が自分の目から見た、個人的なフィルターが強いので、他の人では、また、違うように感じられると思います。

キリスト教は、よく「宗教ではない」と言われています。正確に言えば、「現世利益を求める。ご利益宗教ではない。」です。そのためか益々生活が困窮する現代社会では、むしろキリスト教には眼中が無く、スピリチュアルなど組織化していない宗教が流行っています。

なぜ組織化が嫌がるのか、それはオウム真理教など反社会的カルト宗教を忌み嫌う傾向が社会にもあり、組織化されず、本一冊でも宗教ができるスピチュアルが宗教として、キリスト教的な表現で言えば「リバイバル」状態なのです。すでに精神世界に世間は覚醒したと思うのです。

キリスト教が何故、西洋の古代社会や日本では戦国時代に急激に広まったのか?これは自分の考えですが、社会全体が殺伐としており非人道的な行為が当たり前の暗黒の世界に、キリスト教という善意の光が差し込んだのです。それで人々の良心に刺激を与え、キリスト教の福音が一気に広まったと思うのです。

現代だとキリスト教的な理想論を言っても誰も見向きしないのが現状です。
が、なぜテロがおきるのか?なにが正義なのかというグローバルな視点で考えると、聖書の知識が無いと世界情勢は理解できないのです。

モルモン教ではグローバルな視点というよりも、むしろ興味本位の神秘主義や終末論が主体になり、または、永遠の家族という目標のために、恋愛至上主義に偏る傾向があります。
モルモンというとアメリカ文化・英会話・モルモン信者同士の恋愛・信者同士の結束・たのしいイベントなど、ポジティブなイメージがありキリスト教にはない概念が多々あるのです。

では、自分がちゃんとした(?)クリスチャンを一年以上続けて感じたことは、純粋な意味での神様への愛、または畏敬の概念だけだと思います。それだけで十分すぎるほど奥が深いと思うのです。

簡単に言えば人間と神様との関係だと思います。

それにモルモン教では何となく勝ち組の宗教というイメージが強く、夫婦そろってモルモンだけではなく、一族全部がモルモンも日本でも珍しくないです。なんというかモルモン教は人を選ぶ宗教であり、「召されるものは多いけど選ばれるものは少ない」という言葉が最も的を得た言葉だと思うのです。

モルモン教を2時間で語るには、モルモン教の教義云々の説明よりも、「サタディウォーリアー(土曜の戦士)」という演劇を一回見るだけで十分モルモニズムが誰でも理解できると思うのです。

ただし、近年の組織化した宗教への嫌悪感と、一切の犠牲を必要としない完全なご利益主義などがあり、極論を言えば、スピチュアルの知識さえ吸収すれば将来に希望を持てるのです。キリスト教は現在流行のスピチュアルと正反対だと思えば良いのです。多かれ少なかれ組織化しているし、人間関係もあるし、儀式もある。聖書という唯一の正典が権威があるのです。そして献金を収めるのは教会への寄付ではなく、神様への捧げものなのです。

宗教法人だとどのようなところでも大なり小なりの他者からみれば洗脳行為と思われるようにみえるのです。

自分にはモルモニズムは無理だとトコトン思い知らされたので、仮にモルモン教信者同士の結婚があっても、鬱病では途中で挫折するのが火を見るよりも明らかなのです。






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コメント

たしかに聖書を使う、神様と祈ると言う点では共通しているように感じられます。

モルモン教とキリスト教がまったく異なるものというのは、モルモン教時代の個人的な未熟さもあると思います。

個人的には共通点よりも相違点の方が多く感じられます。そのことについては後に、詳しく書かせていただきます。

投稿: ブログ管理人 | 2009年6月22日 (月) 07時26分

興味ある観察であり、エッセーであると思います。ただ、全然違う、と言っても共にユダヤ・キリスト教の延長線上にあるもので、共通点がたくさんあるのではないでしょうか。

モルモン教は聖書や伝統的なキリスト教と切り離しては生まれなかったでしょう。

投稿: NJWindow | 2009年6月19日 (金) 08時14分

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