« 狂乱のバプテスマときの宣教師の品位の低さ | トップページ | 1990年代が何故ノスタルジックな気持ちになれないのか。 »

逆にクリスチャンからモルモンへ改宗させる地盤

以前は、もっと早くモルモンをやめるべきだと思いましたが、

もし、自分の判断で10年早く辞めたら、逆に今頃はモルモンに戻る可能性も多少はあるかもしれないです。

反モルモンをしていた時代に、再度のバプテスマを行われたことが多々あり、ほとんどが、某日本人教会幹部が日本の地を牛耳っていた時代に破門されたり、または、疑問に思って退会した人がほとんどで、以前よりは良くなった、某日本人幹部の力も弱くなったということ。ある人は別の宗教に入信したが何処も同じようなものと思い、モルモンに戻る人が多かったと聞きました。

確かに、キリスト教でも年々、平均年齢が向上しており老齢化が顕著になり。老齢化による頓珍漢な言動にうんざりしてしまえば、間違えた選択をする場合があると考えられます。

個人的には、クリスチャンである自分の場合は、まず人間関係も大事だが、人間関係で躓いてクリスチャンを辞める必要はない。そんな事をしたら神様を否定すること意なるからです。

モルモン教はピラミット型の組織であり、人間関係重視の宗教ですが、キリスト教は最悪の場合は、他の教会に転会するという最終手段がありますし、または、家庭礼拝をする知り合いの家族のところに行くという方法もあると思います。教会という枠組みにとらわれずに、信仰生活を続けられるのがモルモン教と大きな違いです。

もし10年早く教会を辞めてしまったら、別の教会に通っていた。

そこで、人間関係に躓くと、戻ろうかという迷いを感じる場合があると思います。

要するに口では、いくらでも理想論を言えるが、これを実行するのはとても難しいし時間がかかるのです。一生懸命にやりすぎる教会員について来れない、それを追いかけるのが疲れるので休むと、嫌な顔をされるが、そもそも人の顔色を疑うよりは、自分が神様と繋がれるために、自分のペースで進むべきだと思います。

モルモン教の場合は信仰の中心はあくまでも教会であり、自分が所属するワード部や支部なのです。

キリスト教の場合は、父なる神様とイエスキリストが中心であり、教会はそれを学ぶ、礼拝するための媒体でしかないのです。(クリスチャン一人一人が教会の一部という人もいますが)あまり人間関係にわずらいを持つことは、良くないことだと思います。

某SNSでは、ある教会の牧師関係者からアクセス禁止をさせられ、それ以来、その某Aさんが所属する教会に行きたくないのが正直な気持ちです。大きな教会、100人は通う教会ですが、インターネットの環境もない人なら、自分が来ても歓迎される場合があるが、某Aさんという牧師関係者は、たぶん危険思想を持った危ないクリスチャンとしてみているので、歓迎できないらしいです。

無言の対立という現象が起きているのです。

あとは加速度的な成長を求めて、支配されるようなものがあれば、それは徒弟制度がある東京教会と同じことになるので、あくまでも自分のペースを乱す必要はないと思います。

個人的には東京教会にもモルモン教にもまったく通う意思はないです。

過去をノスタルジックな思い出に浸るのでもない。むしろ現在は無理をせず守りを徹底化するべきではないかと思います。

|

« 狂乱のバプテスマときの宣教師の品位の低さ | トップページ | 1990年代が何故ノスタルジックな気持ちになれないのか。 »

心と体」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

礼拝・賛美」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 狂乱のバプテスマときの宣教師の品位の低さ | トップページ | 1990年代が何故ノスタルジックな気持ちになれないのか。 »